大義なき喝采 赤穂事件の背後に蠢く策謀

庭 京介

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第一章

密命

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       1
 浅葱色の死装束に着替えた浅野内匠頭は検使役庄田下総守に引率され、田村右京大夫邸の中庭に設けられた急造の切腹場に向かった。
 広く敷かれた筵の上に二枚の畳が並べられ、その上から毛氈で覆われてある。その前に奉書紙を巻かれた切腹用小刀を載せた三方が置かれてある。内匠頭は所定の位置に正座し、裃を外し着物の衿の腹部を引き開いた。小刀を手にするやいなや、介錯人磯田武太夫の刀が振り下ろされた。
 田村邸より赤穂藩上屋敷に遺体引き取りの命が下り、直ちに赤穂藩士六名は遺体引き取りに向かう。
田村邸で内匠頭の首と胴体が分離した遺体と対面した赤穂藩士六名は、涙ながらに内匠頭の遺骸と切腹時着用していた衣装と足袋、扇子、切腹に用いた小刀を棺に入れ、夜陰に紛れて高輪にある浅野家の菩提寺である泉岳寺へ向かった。その際、一関藩士より遺体引き取りに来た片岡源五右衛門と磯貝十郎左衛門に内匠頭の遺言書が託された。内容は以下のようなものであった。
 "この段、かねて知らせ申すべく候えども、今日やむ事わ得ず候故、知らせず候。不審に存ずべく候"
六名の家臣のみで行われた葬列は、五万三千石の大名とは思えない寂しいものであった。
 泉岳寺では、僧侶による読経が行われた。その際片岡ら四人は髻を切って主君に殉じた。殉死が禁じられていたため、それがせめてもの意思表示であった。
 田村邸から泉岳寺に向かう赤穂藩士の葬列の背後からじっとその動きを見守る四人の武士の姿があった。その衣服や物腰から、かなりの上級武士と思われた。一人の若い武士を他の三人が取り囲む体制を崩さず四人は泉岳寺総門前にて立ち止まった。若い武士の両目から涙が落ちた。身体が小刻みに震え出した。胸の前で合わせた両掌も震えている。掌の指先に涙の滴が落ちた。呻くような声が漏れた。
「浅野様・・・・・」

         2
「五十畑参上つかまつりました」
 江戸城中奥、目付五十畑修次郎は側用人柳沢保明の前で正座し頭を垂れた。
 柳沢は五十畑が頭を上げる前に話を切り出した。
「その方も知っての通り、上様は聡明なお方じゃ。学問を好み、多くの学者も重用されておる。ただ、性格が思い込んだら脇目も振らず一直線という極めて危険な一面をお持ちだ。何かと評判の悪い生類憐れみの令もそうであった。本来狙いとしたのは子捨て親捨ての禁止だったはずが、それがいつの間にやらノミやシラミ、蚊やボウフラにまで広けてしもうた。その結果が犬公方に天下の悪法じゃ。先の殿中での刃傷沙汰に対しても上様の性格が現れておった。両者取り調べにて言い分をよく聞いた上で裁決すべしと申し上げたのだが、聞く耳持たずで突っ走ってしまわれた。困ったものだが、どうしようもなかった」
 浅野内匠頭の殿中での刃傷を知った将軍綱吉は激怒した。この日は綱吉が勅使院使に対し奉答の儀が執り行われる予定であった。その重大な儀式が血で汚されたのである。面目を潰された形の綱吉は、内匠頭に対し即日切腹、浅野家お家断絶を命じたのだ。綱吉が怒りの余り、刀に手を掛け手打ちにしてくれると叫んだという話が伝わっているが、文治政治を牽引する綱吉には相応しくない。怒りの強さを誇張した表現であろう。
「浅野内匠頭に対しては即日切腹で、吉良上野介に対しては一切のおとがめ無しではのう。浅野家では到底納得せんだろうし、何よりも厄介なのは大衆からの反感だ。生類憐れみの令の二の舞にならねばよいがと思っておったが案の定、良からぬ噂が広まっておる」
 大衆の公儀突き上げは、良からぬ噂どころではない。武士間の揉め事は喧嘩両成敗が鉄則にも拘わらず、内匠頭は切腹の上お家は断絶に対し、吉良上野介は一切お咎めなしの上、将軍綱吉からシッカリ養生して全快したら出仕せよ、との見舞いの言葉まで掛けられたという。文治政治を標榜する綱吉には、その担い手の一人である上野介に対し、特別な思い入れがあったのであろう。
 その上、内匠頭は陸奥一関藩田村家へお預けとなった刃傷当日に田村邸の庭先で切腹という五万石の大名にあるまじき扱い。
 この事実を聞き及んだ江戸市民は、判官贔屓と野次馬心理、上野介の 清和源氏足利家を祖とし曾祖父吉良義定は徳川家康の従兄弟という高貴な家柄に対する妬みや権威に対する生理的嫌悪感から誰もが思い込んだに違いない。
 上野介は、喧嘩両成敗の裁決を避けるため、幕府の重臣に賄賂をばら蒔いたのではないか。それによって、完全無罪を勝ち取ったのではないか。江戸市民は怒りに震えて小刀を振り下ろした若殿とその刃先によって傷を負った高齢なる指南役の二人に対し、勝手に人間像を膨らませたに違いない。一方は他方から陰湿なる虐め辱しめを受け耐えに耐えたものの、我慢の限界を超えて遂に小刀の柄に手を掛けた。こちらの性格は実直、礼儀正しく生真面目で正義感に溢れる若者。一方は付け届けが少ないことに腹を立て、指南役としての役目を放棄してネチネチと虐め抜いた腹黒い老醜。それらの思い込みを増長させたものがあった。あの不平等極まりない裁決を独断で推し進めたのが、あの生類憐れみの悪法で庶民を苦しめた犬公方綱吉であるというものだ。柳沢吉保も内匠頭の裁決に当たっては重要な役割を担っていた。側用人は、征夷大将軍の最側近であり 、柳沢吉保の場合は老中の上席として権勢を振るっていた。柳沢には上意である、という金科玉条があった。あの裁決に当たっても、拙速過ぎるという老中の声を、その一声で押しきったのである。独裁体制を築かんとする綱吉の政策を忠実に実践し、その批判は柳沢が盾となって綱吉に及ぶことを防ぐ、それが柳沢が自らに課した綱吉側近としての役目であった。決して将軍の威を借りて利を得んとしたり自らの思いを遂げんとする人間ではなかった。その二人の関係は長い歴史の上に築かれたものであった。現在43才の柳沢が七歳の時に、19才であった綱吉に初めて謁見した。柳沢18才の時に綱吉の小姓として登用された。その五年後に綱吉は将軍に就任する。その後柳沢は綱吉の寵愛を受け側近としての地位を固めてゆく。そうして綱吉の引きにより、柳沢は大名から側用人へと怒濤の出世を遂げてゆく。
 早すぎる出世には周囲の妬みや嫉妬が付きまとう。とりわけ年長の老中達にとっては面白かろうはずもなかった。つい先日まで弱小大名にすぎなかった若造が、自分達を軽々と飛び越えて大老格に居座り、将軍の伝令を自らの意思の如き言い様で下すのである。
 柳沢は、次第に賄賂政治の象徴であるという指摘や、将軍の名を悪用して政治を私物化しているという批判に晒されるようになるが、柳沢にそれを意に介している風には見受けられない。
 柳沢が特別に政治的能力に秀でていたわけでも頭脳明晰でも論敵をねじ伏せる弁舌力を持つでもない。寧ろ寡黙にして物静かてある。老中達との合議の場でも目立つ存在とはいえない。柳沢の売りは献身性と勤勉性にあった。
 二人の揺るぎない関係は、強固な信頼感と忠誠心によって成立していたのである。柳沢には綱吉政治の実現のためなら全てを投げ出せるという覚悟とその為には手段を選ばぬ非情さもあった。目的達成後に障害となりうるものにもしっかりと目を配り、種子や芽のうちから排除せんという周到さも持ち合わせていた。綱吉に多くの判断材料を提示した上で、綱吉の判断を引き出しそれを忠実に実行に移す。柳沢にはそれだけの意志の強さと信念があった。
 柳沢にとっての綱吉は、あらゆるものを犠牲にするに足る存在なのである。
 そして、柳沢の視線は常に、五十畑の目では到底見通せない遥か先を見据えていた。目的達成のための障壁を丹念に取り除くだけに止まらず、将来立ち塞がりかねない障壁にまで心を砕いていた。油断のならない男なのである。五十畑は、そんな柳沢に対し、敬意と共に畏怖の念を抱いていた。
 いつもより長めの前振りが終わり柳沢の話は締めに入った。
「そこで、その方に頼みたいことかある」
「密命にござりますね」
目端の利く五十畑は、既に柳沢の指令にほぼ当たりをつけていた。
目付にとって組織上の上席は柳沢ではなく若年寄である。だが幾つかの密命を経て、いつの間にか柳沢私設の秘密警察的な役割を担うようになっていた。
「既に事件から一年近く経としているが、上様ご自身が世論の異論や批判の声を受けて迷いが生じておられるようじゃ。そこで、あの事件の真実を解き明かしてくれ」
 いつもながらのことであったが、柳沢の指令には余計な装飾がない。 
浅野刃傷事件の解き明かされていない謎はただ一点といっていい。
五十畑の受けも簡潔であった。
「かしこまりました。期間はいかほど?」
「時間はかかっても構わん」 

       3
 五十畑の対応は素早かった。目付部屋に戻り、当日警備や当事者二人の取り調べを担当した同僚の目付何人かから情報を仕入れた。
 その内容は、五十畑が持っていた事件のあらましを大きく超えるものではなかった。五十畑の疑問の最大のものは、加害者浅野内匠頭は被害者吉良上野介に対し何らかの意趣を有していることは口にしていながら、その内容については口を閉ざしたまま刑に服したことであった。もし、その意趣が正当なものであったなら、何故堂々とそれを暴露しなかったのか?憎き上野介を喧嘩両成敗にて罰する機会を自ら放棄したことになるのである。内匠頭が切腹の前に、お預け先の田村右京大夫邸において警護の一関藩士に遺言を託している。その内容は以下のようなものであった。
 この段、かねて知らせ申すべく存ぜしもその遑なく、今日やむを得ず候う故、知らせ申さず候。不審に存ずべく候"
 この遺言を、内匠頭は側近の片岡源五右衛門と磯貝十郎左衛門に伝えてくれるよう言い遺したのである。
この遺言が意味不明なのである。かねて知らせ申すべく、と語っているが、何を知らせたかったのか?上野介に対する刃傷を既に決めており、事前にその方達に知らせるべきであったが、予期せず今日刃傷に及んでしまった故に知らせることが叶わなかった、ということか?刃傷ではなく、上野介に対する遺恨ありという存念を指しているのか?この遺言からは、上野介に対する意趣がいかなるものであったかが読み取れないどころか、意趣そのものがあったかどうかさえも分かりかねるのである。
だが、この遺言を伝聞により受領した片岡源五右衛門は赤穂へ早駕籠を送り書状を託している。その書状の内容が、五十畑の疑問を深める。源五右衛門は書状の中に、"上野介殿理不尽の過言を以て恥辱を与えられ、之により君刃傷に及ばれ候"と記している。誠に不可解である。内匠頭はそのようなことは、一切口にしていないのである。上野介も取り調べにおいて、身に覚えがないと証言している。
 源五右衛門は、それをどこから誰に聞いたのか?この一文が浅野家家臣に五右衛門憎しの感情を植え付け、一部の過激な仇討ち論を創出させたのである。柳沢特命の解明には遺恨の内容以前に遺恨の有無が問題となりそうであった。

 五十畑は配下の徒目付の安堂九郎を呼び、作戦を練った。五十畑の成果は、この安堂の人脈と大胆で素早い動きに負うところが大きかった。
「では、浅野殿の刃傷の理由を解明せよと?これは難題でございますな。全てを知る当事者の浅野殿は今は亡く、吉良殿から自ら不利となる発言を引き出すのは至難の技でござりましょう」
「その方にはちと厄介な役目を頼みたい。配下の者と赤穂周辺に飛んで元浅野家家臣を探しだし浅野家内部や浅野殿に関する情報を引き出してくれんか。浅野殿に関するどんなことでもよい。かき集めてくれ」
「承知しました。五十畑様は、浅野家もしくは浅野殿に秘密がありそうだと踏んでおられるのですね?」
「浅野殿は事件当日に切腹となったため、目付による取り調べで、吉良殿には私的な遺恨があることのみを伝えただけで如何なる遺恨であったかは話しておらん。この点が不可解でな。もし吉良殿に浅野殿に対して理不尽な振る舞いがあったとしたら、それを包み隠さず披瀝すべきであろう。もし、それが明らかとなれば、あのような片手落ちの裁決ではなく喧嘩両成敗として吉良殿にも何らかの罰が下ったやもしれぬではないか」
「仰せの通りにございます。浅野殿は事件後は落ち着きを取り戻し、いかなる罰も受け入れると語ったと聞いております」
「切腹やお家取り潰しが不可避な殿中での刃傷沙汰だ。尋常ならざる理由があったはずだ。短気や激しやすしなどという性格を超える何かがな」
「それを表沙汰にできない理由が浅野殿側にあったと、五十畑様はお考えで?」
「それが浅野家にとってか内匠頭殿個人にとってかは不明であるが、公にはできない理由があったはずだ。だが名誉を著しく傷付けるとなれば隠そうとするであろう。あるいは、誰かを庇っているやもしれんな」
「承知致しました。直ちに動きます」

 五十畑は翌日から動き出した。最初の聴取者は浅野内匠頭の吉良上野介殺しを未遂に終わらせた梶川与惣兵衛である。
「江戸随一の切れ者目付とされ、柳沢様の懐刀の 五十畑 様が、拙者のごとき日陰の下級旗本に一体何用で御座いましょう」
 旗本の監視役を主たる役目とする目付に突然自宅に押し掛けられ、梶川は緊張の色を露にしている。梶川とは三年前の野暮用から二度目である。梶川が懇意にしている某旗本の素行に関する聞き取りをして以来となる。55歳になるはずであるから、五十畑の一回り上である。
「何を心にもないご謙遜を。大奥御台所付き留守居番としての働き振りには日頃から敬意を感じております。ちょっと雑談に付きおうて頂こうとご迷惑を承知で参上仕りました」
座敷に通された五十畑は、一献如何かという誘いを丁重に辞退して本題に入った。
「梶川殿お手柄でしたな。評判に御座いますぞ」
「何の話で御座いましょう?」
「先の殿中の刃傷事件でのご活躍に御座いますよ。浅野殿の暴挙を制止し、とどめの一振りの直前で吉良殿のお命をお救いしたと」
 梶川はこの手柄によって500石加増され、都合1200石となっていた。だが、世評は別である。内匠頭の死罪を覚悟の殿中での抜刀に対し、その武士の意地と覚悟の刃を阻止した梶川の非情なる行為に世間は容赦なき罵声を浴びせた。内匠頭の切腹が避けられないのであれば、何故せめて内匠頭に止めの一太刀を許容してやれなかったのか?羽交い締めすべきは内匠頭ではなく上野介の方ではなかったのか?何故その梶川が加増されねばならないのか?と。
 当然のことをしたまでに御座います。ただ浅野殿はさぞ拙者をお怨みのことかと。それが如何なるものかは存じませぬが、遺恨を晴らせぬまま即日切腹ですからな。世間では、私は武士の情けを知らぬ戯け者と散々な言われようで」
「いや、もし梶川殿が浅野殿の意を汲んで傍観したとすれば、世間はまだしも幕府内で難しい立場に立たされていたことでしょう。
 で、梶川殿。事件の経緯について、噂話の範囲では色々と聞いてはおりますが、今日は梶川殿本人から事件のあらましをお聞きたく参上仕った次第です」
「左様でございましたか。私の拙い話がお役に立つのであれば喜んで」
梶川にとっては格別衝撃的な出来事であったのであろう。事件から既に一年以上が経過していたが記憶はまだ鮮明なようで、梶川の話に淀みがなかった。
「勅使饗応の儀式は昨年3月11日から8日間の予定で執り行われる手筈になっておりました。東山天皇の勅使は前大納言柳原資廉殿と前中納言高野保春殿、勅使饗応役が浅野内匠頭殿でごさいました。併せて霊元上皇の院使饗応役は伊予吉田藩主伊達宗春殿が担当され申した」
 伊達宗春は内匠頭の上野介刃傷の際に内匠頭制止に加わった一人である。年はまだ19才であった。その後は高家畠山民部らの指導を受けながら務めを果たしており、無事役目を果たし幕府より賞賛されている。吉田藩においては院使饗応の費用としては破格の五千両を計上したとされる。これは、若き藩主育成のため、本家である仙台藩が全面的に支援した結果のようである。当然ながら高家への謝礼も豪勢なものとなった。それが上野介の浅野家に対する不満説に繋がったとされる。
「事件は四日目の3月14日に発生致しました。この日は、将軍から勅使への返礼品が下されることになっておりました。その日の儀式の進行が早まったということで、その確認のために吉良殿を探しましたがつかまりません。それでやむ無く浅野殿を探して軽くご挨拶を申し上げました」
「その時、浅野殿のご様子に何か変わったところは?」
「いや、いつもの浅野殿でございました。初日に感じた程の堅さも伝わってまいりませんでした。
 ついで吉良殿のお姿を発見致しましたので、松の廊下で立ち話を致しました。内容は勅使の行動予定が早まったという確認でございました。その時でございます。吉良殿の背後から、この間の遺恨覚えたるか、との声を発しながら接近する人影が見えたのでございます。見るとそれが浅野殿でありました。浅野殿の手には小刀が握られております。振り向いた吉良殿に対し、浅野殿は小刀を振り下ろします。吉良殿はヒーという声を上げて後ろのほう、つまり私がいる方へ逃げようとしたところをまた背中に二刀、吉良殿はうつ向きに倒れられました。拙者は反射的に浅野殿に飛びかかりました。浅野殿との間合いはほんの僅かでしたので、すぐに抱き合う形になりました。それから浅野殿の刀を取り上げるとともに床に組伏せました。そのうち近くにいた高家衆や院使饗応役の伊達殿、茶坊主どももやってきて次々と取り押さえに加わってくれました。吉良殿はいつの間にか姿を消しておられました。後に聞いたところでは高家の品川殿と畠山殿が倒れていた吉良殿を抱き起こしたらしいのですが、ご高齢のせいかお倒れになった際の衝撃によるものか、ほとんど意識がなかったようです。この両名で医師の間へ運んだそうです。浅野殿は大広間の方へ連れて行かれましたが、その間絶えず上野介には恨みがある。殿中であること重要な儀式の最中であることに対して恐れ多いとは思ったが、やむ無く刃傷に及んだ。討ち果たさせてほしい、と幾度も繰り返して申しておられました。取り押さえた高家衆から、もはや事は終わったのです。おだまりなさい、と諌められたので、それ以降は浅野殿は無言であったと聞いております。浅野殿の身柄は多門伝八郎殿以下三名の目付に引き渡されました。その後浅野殿は治療を終えた吉良殿と共に取り調べが行われようでございます。この後は伝聞になりますが、お二人は蘇鉄の間に入れられ屏風で仕切られた空間に各々分かれ目付二人によって事の経緯を尋問されたようです。浅野殿は吉良殿に対し恨みがあったというのみで如何なる恨みであるかは口にしておりません。一方の吉良殿は、斬り付けられる覚えはないと。取り調べでは、浅野殿の暴挙の理由について明らかにされることはありませんでした」
梶川の話は、事前に目付仲間から聞いていたものと大きな差異はなかった。五十畑は用意してきた疑問をぶつけた。
「浅野殿は、この間の遺恨覚えたるか、との声を発しながら吉良殿に小刀を振り下ろたのでしたな?」
「左様でござります」
「浅野殿が、この間の遺恨覚えたるか、と声を上げたことか事実とすれば、伝えられておるような吉良殿と梶川殿の立ち話の中の吉良殿の発言に許しがたき内容が含まれておったため浅野殿が激高したという筋書きはちと解せませぬな?」
「はっ、何故でござりましょう?」
「この間の、であれば、浅野殿の遺恨は当日生じた突発的なものではなく、以前から吉良殿に対して抱えていた何らかの遺恨ということにはなりませぬか?」
「確かに」
「もし、そうであれば、何故勅使に対する上様奉答の儀の直前という当儀式の最重要な局面において、その遺恨を晴らさねばならなかったのでござりましょうか?勅使饗応役と指南役であれば、その稽古等で二人きりになる機会は少なからずあったはず。何故そのような絶好の機会を利用しなかったのでござろうか?二人きりであれば確実に仕止められたはず」
「五十畑殿仰せの通りかと存じまするが、浅野殿の遺恨はただ一点のみならず、幾つかの不満や怒りの感情が複合したものではなかろうかと存じます。ぐずぐずと煮えたぎるような怒りが、ある一言で沸点を突き抜けた、そんなところではなかろうかと」
「成程、では梶川殿が吉良殿の立ち話の中に、浅野殿を刺激する何かありましたでしょうか?」
「それが、全く覚えがありませぬ。先程申しましたように、勅使の予定が早まったこと以外には、拙者も記憶にないような他愛もない雑談でございました故」
「では、それ以前の話はいかがでござりましょうか?梶川殿は吉良殿と浅野殿の儀式の事前準備の段階からお二人と行動を共にしておられますね」
「吉良殿は朝廷への新年の挨拶のため、使者として一昨年の年末から2月の末まで京へ行かれてました。その間は手紙のやり取りにて、お二人は連絡をとりあっていたようでございます。したがって、正確に申し上げればお二人と行動を共にしたのは2月29日から以降にございます」
「その際にお二人の様子で、意識のずれや誤解等を感じられたことはありませぬか?」
「全くないとは申しません。完全主義者で儀式典礼の第一人者である吉良殿のことですから、浅野殿の本番に向けた準備全般についてご不満があったことでしょう。いや吉良殿の満足できる領域まで礼儀作法や所作を身に付けておられる大名は全国どこを探してもおられますまい」
「二人にぶつかり合いでもありましたか?」
「いえいえ、それはありませぬ。吉良殿の顔色からそんな感じがしたというだけです」
「では、巷で噂されております吉良殿が浅野殿に賄賂や製塩法の伝授を要求したが拒否されたとかで、吉良殿が憤慨し、勅使饗応に関する指導に手心を加えたというのはいかがでしょうか?」
 梶川は首を振りながら一笑に付した。
「失礼ながら、それは荒唐無稽も甚だしい邪推でしかございませぬ。吉良殿はそのような狭量なお方ではありません。吉良殿は誰よりも儀式の成功を目指しておられました。何事にも一生懸命で手抜きや油断を徹底排除すべく厳しく指導に当たっておられました」
「では、その厳しい指導が浅野殿には負担になったということは?」
「それもあり得ません。浅野殿とて勅使饗応役を無事に乗り越えんと必死で稽古に励んでおられました。しかも吉良殿の厳しさは稽古や指導の間のみのものであって、それを終えた後にまで引きずるような方ではござりませぬ。お二人の足並みは儀式成功のためという、その一点で揃っておられました。蟠りなど介入する余地はござりませぬ」
 梶川の目を疑うわけではないが、人間腹の中と心中は別物である。内匠頭は居城においては絶対君主である。一声掛ければ何事も自由になる世界からいきなり、時には罵声を浴び時には無能呼ばわりされる世界へ放り出された内匠頭が冷静さを失ったり、遺恨を心中に抱えたりしたとしても不思議ではない。
 また、謝礼の少なさに上野介が気分を害した可能性をも否定するものではないが、その可能性は五十畑も低いとは思う。上野介は、儀式典礼を司る高家として勅使饗応役の内匠頭に殿中の作法を指導する役目を担わされているわけである。つまり勅使饗応が不興を買ったとなれば吉良自身が叱責を受けることになるのである。そもそも勅使饗応は朝廷と幕府との関係を良好に導くための重要行事なのだ。接待役である内匠頭に失態なり不祥事があれば、その責めは接待役のみに留まらず、幕府全体の責任問題になる。また、指南役である上野介には真っ先に監督責任者として責任が向けられることになろう。ましてや内匠頭に対し指示を怠ったり故意に歪めて指示を行ったとなれば、上野介の懲罰は切腹の上お家取り潰しという事態にまで及びかねない。ましてや、その原因が巷に流れているように、粗末な贈呈品や製塩技術伝授拒否に憤怒したためなどということがあり得るであろうか?とりわけ名君として誉れの高い吉良上野介と、そのような狭量なる思考とがどうしても結び付かなかったのだ。
 それだけではない。吉良からの浅野としては受け入れ難い要求があったため、それを拒否したことで吉良の怒りを買い歪んだ指導に結びついたとしたなら、何故それを取り調べで口にしない?内匠頭からは取調ではそのような供述はなかったのである。意趣あっての行為であることを告げたのみであった。ならば、それが情状酌量になり得るものであったのなら即日切腹などという厳罰が避けられた可能性が高かったはずである。ならば上野介に対する遺恨はあるが、それは内匠頭にとっても道理に背く種類のもので、口には出せない、そういうことか?
「では梶川殿、二人の間に勅使饗応の費用に関して齟齬があったという話がありますが、その点についてはいかがでしょうか?」 
「これについては、浅野殿には気の毒な条件が重なったようです。一つは、院使饗応の伊予吉田藩の方が派手に予算を投入したために、浅野藩側が貧弱に見えたという点です。これは本家仙台伊達藩か若い藩主を盛り立てんと、かなり大型の予算上の支援を行ったためです。更に、浅野藩には老中から倹約に努めるよう指示が出ていたようです。ただ浅野殿が前回勅使饗応役を担当した18年前は400両だったことから物価上昇分を加味しても700両なら十分であろうという判断かあったようです。浅野殿には浅野殿なりの言い分があるわけです。ところが、一方の吉良殿には満足しうる饗応を実現するためには最低限必要な予算があるというわけです。それが1200両とされています。両者の開きは少ないものではありませんでしたが、お互いが譲歩し合い間を取った形で事件の二週間も前に収拾がなった話です。このことが遺恨の原因になるとも思えません。蟠りが全くなかったとは申しませぬが、殿中で抜刀する程のものかと問われれば、否と応ずるしかありません。お二人は、その後も変わらず稽古にお励みでした」
「では、浅野殿の病の可能性についてはどう思われますか?何か突発性の持病については聞き及びでは?」
「痞という持病のことですね?確かに可能性は考えられます。34日前から、酷くなったようで主治医から薬を貰って飲んでいたようです。何でも胸が塞がれて息苦しさを感じる病気だそうですが、それが刃傷に結び付き得るような種類のものかどうかにつきましては、その主治医の話は否定的です。暴れるよりも安静を選ぶ病であると」
 確かに息苦しくなることと刀に手をかけ抜刀するという行動とは大きな隔たりがある。敢えて病気が原因ということならば、精神的な病の方であろう。 
 では、内匠頭が言う個人的な遺恨とは何なのであろうか?
内匠頭は饗応本番に向けて連日連夜に及ぶ礼儀作法や所作の稽古に内匠頭の心身は疲弊し尽くしていた。その上、吉良上野介が京から帰参後、内匠頭が頭に叩き込み体に染み込ませていた儀式での所作を実際に確認した瞬間、吉良上野介の怒声が飛んだ。全て一から出直しと。内匠頭の本当の地獄の責め苦がそこから始まった。完璧主義者の吉良上野介の指導は熾烈を極めた。傍目からは見過ごされそうな僅かな動作の狂いも見逃さなかった。後に巷に広がる噂とは真逆であったのではないか?内匠頭は上野介によって誤った指示をされたり肝要なる指示をわざと省かれたり能力不足を衆目の面前で罵倒されたりといった陰湿なる虐めによって心を壊したのではなく、逆に余りにも熱く徹底した指導によって持病の痞えを悪化させたのではないか?いや、内匠頭の病気は痞えなどという生易しいものではなく、心に狂気を飼っていたのでは?分を超えた勅使饗応役という役目と指南役吉良上野介の容赦なき指導による心労と重圧によって心が折れ、狂気が目覚めたのではないか?そう考える以外に、自分自身をまた赤穂家を消滅の危機に追い込むような愚行に足を踏み出す理由が思いつかなかった。
「では、最後に梶川殿にお尋ねすべきことには当たらぬかと存じまするが、ご意見をお聞かせ頂けまするか。浅野殿は小刀を振り下ろしたそうでございますな?」
「いかにも。三度振り下ろされました」
「何故、振り下ろしたのでござろうか?吉良殿に殿中にも拘わらす抜刀したからには、それなりの御覚悟があったはず。であれば、確実に仕止めんとするはずでございましょう?」
「五十畑殿は浅野殿は何故突き刺そうとされんかったのか?そうお思いなのですな?」
「いかにも。過去の殿中での刃傷事件においては、刺すことによって確実に仕止めております。ましてや先鋭的武断派とされる浅野幸長殿の血を引き軍学者山鹿素行の熏陶を受けた浅野家であります。浅野殿は武官的色合いの強い質実剛健な御仁とされております。そのような浅野殿が小刀を振り下ろし本気で吉良殿を殺害する意志があったのでござろうか?」
「逆に殺害する意志が強すぎたということではないかと思われます。確かに五十畑殿の仰せの通りなれど、浅野殿の装束が動きを妨げたのでござりましょう。長袴を着けておられました故。激情に駆られて吉良殿に向かっていかれたのでござったが、裾に足を取られ思うように進めず刺せる距離まで詰めることが叶わなかったのでござりましょう。冷静さを欠き気ばかりが先走った挙げ句、小刀を振り下ろしてしまわれたのでありましょう。ところが、小刀であったため刃先が十分に吉良殿の身体をとらえ切れず深手を負わすことが叶わなかった。その上不覚にも周囲に控えていた拙者どもに取り押さえられてしまわれた、ということにござろうかと」
 結局は、浅野内匠頭の短慮、浅慮、性急という性格に、その因を求めるしかなさそうである。それが、五十畑が感じた梶川聴取で得た結論であった。

 梶川宅を辞去し、次に五十畑が向かったのは吉良邸である。4200石の旗本とはいえ、相手は由緒正しき高家肝煎の家系である。一介の目付が突然訪問して会える相手ではない。事前に柳沢に話を通してもらっていた。上野介は事件後間もなく高家肝煎を辞職しており、更に年末には公儀へ隠居願いを提出し、養子の佐兵衛義周に家督を譲っていた。義周は上杉家当主である長男綱憲の次男であった。つまり、義周は上野介の孫に当たることになる。
 事件5ヶ月後屋敷を呉服橋門内から本所へ移転していた。巷で上野介の悪評や浅野遺臣の討ち入りの噂が広まったため、旧屋敷周辺からの苦情が殺到した。そこで、公儀より屋敷替えの沙汰が下ったのである。旧屋敷は四年前の9月、大火により鍛冶橋邸が類焼したため新築したばかりの3000坪の豪邸であった。対して本所の新邸は空屋敷となっていた旗本松平登之助の元屋敷で、広さは敷地2550坪あったが、旧屋敷に比べようもなく辺鄙な地であった。その後大規模な改築がなされ、警備上の問題はとりあえず解消となった。だが、上野介を内面から支えるべき妻の富子は贅沢暮らしが身に染み付いていたためか、かような田舎暮らしは耐えられぬと新邸を嫌ったとも浅野内匠頭に傷つけられた額の傷跡によって面相の悪化を嫌ったとも赤穂浪士の討ち入りを怖れたとも噂され、現在は上杉家下屋敷住まいを続け上野介とは別居状態にあった。吉良夫婦関係の悪化の原因については、五十畑には興味はない。だが、その夫婦関係悪化の真の原因が浅野刃傷事件を誘発していたことを、かなり時間が経過してから知ることになる。だが、当の上野介はそれを知ることなく人生の幕を下ろすことになる。
 高家肝煎という高貴なる地位を失い一等地での生活を失い妻の愛を失い世間の悪評に見舞われ、浅野遺臣の影に脅える。事件後の上野介は、悪霊に取り憑かれたかのように不運続きとなった。
 上野介は愛想笑いを浮かべながら五十畑を宅内へ招き入れた。
「よくおいでくだされた。さあ、上がって下され。柳沢様から連絡を頂戴しております。あの事件を記録に留めておきたいとか」
 事件から一年近く経過しており、上野介の額の傷は殆ど目立たなかった。顔色も肌艶もよかった。
「お身体の方、その後如何でございましょう」
「全く問題はござらぬ。身軽な隠居の身が体の為にはよかったのかもしれませぬな」
 茶を勧められたが生来の武骨もの故と辞退し、早速本題に取り掛かった。
「吉良殿におかれましては忘れたき凶事でございましょうが、拙者にとっては仕事なれば避けるわけにはまいりませぬ」
「忘れたきことが逆に忘れ難い。これが世の常。この年になると、頭の中には忘れ難きことではち切れそうでござるよ。遠慮は不要。何なりとお聞きなされ」
「では、恐れながらお言葉に甘えさせて頂きます。浅野殿の遺恨についてでござりますが、吉良殿には何か身に覚えのようなことはおありでしょうか?」
「やはり、そのことであったか」
上野介は鼻で笑うと、そう言った。ただ、気分を害した様子はない。自信過剰、傲岸不遜な人物との評が定着しているが、そのような印象は感じられない。
「世間からは散々な言われようで、お陰で拙者も希代の大悪党じゃ。世間では拙者が赤穂の浪士の手にかかるのを今か今かと待ち望んでおることじゃろう。大衆というものは冷酷なものじゃて。五十畑殿も気を付けなされ。一度転がり始めた噂は雪山の雪だるまの如く速度を増して大きく膨れ上がる。悪評になればなるほどのう。暑い夏になる前に雪ダルマは溶けて水になり蒸発するが、一度染み付いた人物評は溶けることはない。それはそうじゃろう。あちらは若き5万石の大名で、こちらはかような老醜。しかも高家といいながら4千石余りの旗本じゃ。そこに片手落ちとも取れるお上の裁決。あちらは即日武士を愚弄するかのような庭先での切腹。こちらは将軍よりゆっくり養生せよとのお言葉とあっては、その裏に何かあると考えるのも無理はない。判官贔屓の庶民がどのような反応を返すかは明らかじゃ。
 醸成された民意に勝手極まりない屁理屈が上載せされる。何の危険も及ばぬ安全地帯に身を置いて勝手な野次を飛ばすのじゃ。赤穂の遺臣達は何故主君の仇敵である吉良上野介を討ち果たさんのか。真の武士ならば自らの命を捨ててでもそうすべきではないのか。そんなところじゃろうて」
 上野介は大口を開けて笑い声を上げた。目の前の男の鷹揚に自分への批判を口にする態度からは大悪党という印象は感じられない。
「世間の評判というのは、暇に任せた妄言や妄想の延長のようですから、信じるに足るものは少ないようでござります」
「五十畑殿は心根が優しい。世の中五十畑殿のようなお方ばかりですと平穏でしょうなあ」
「あの話は、全て根拠のない虚言の類いでござりまするか?」
「一々反論する価値のない虚言放言戯れ言には違いないが、五十畑殿はそのような返答ではお困りでござろう。世間の噂にある屏風の図柄に難癖を付けて取り替えさせた、魚や鳥の料理を精進料理に取り替えさせた、必要な増上寺の畳替えを不要と申した、呆れもうしたのは拙者が浅野殿の奥方に横恋慕して奥方を差し出すように命じたが浅野殿がそれを拒否されたというものまであるそうではござらぬか。それらの類いのものは拙者には全く身に覚えのないことでござるから一々反論するつもりはござらぬ。どなたに訊かれてもそのような話は得られますまいな。礼服については、浅野殿から長裃か大紋烏帽子かと問われたので大紋烏帽子と答えたのじゃが、少し言葉がきつかったかもしれん。と申すのは、勅答においては大紋烏帽子は常識ですからな。しかも浅野殿は勅使饗応役は二度目でしたからな、当然ご承知であったはず。お忘れになっていたのであろう。指南役というのはある種嫌われ役でもある。儀式をつつがなく終えようと思えば、時としてきつい言葉を投げざるを得んこともある。そうでござろう?」
「では赤穂の製塩技術の伝授を申し入れたが断られたことに立腹したという話はいかがでございますか?」
「想像力が逞しい御仁がおられるようじゃが、愚論の極みと申してよかろうな。製塩と申すものは奥が深いものでな。製塩技術が全てを決するものではない。干満差、降雨量、海水の塩分濃度、気温や風、地形、あらゆる要素が絡み合っておってな。赤穂の塩があのような繁栄をもたらしたのは、あれが赤穂であったからじゃ。他の地で同じことをやって成功するとは限らん。事実、赤穂の入浜式塩田は瀬戸内以外では採用されてはおらん。お分かりかな?赤穂側にしても、自藩の製塩技術を盗用されたとて何ら痛みはないわけじゃ」
上野介の言い分はもっともである
。もう、今の上野介の話のみで十分であった。
「では。清廉な吉良殿にかぎってあり得ないとは存じますが、賄賂に関しての軋轢があったという指摘はいかがでございましょう?」
「それもまた異なことじゃ。賄賂と申すものは職務上の権限を有する者が金品を授受することにより、その対価として金品供与者に何らかの職務上の利益を与えようとするものであろう?浅野殿が拙者に賄賂を贈与したとして、その対価は何であろうか?拙者は、職務上の権限は持たぬ故な。儀礼的な贈答品のことであるならば、確かに院使饗応役の伊達殿は豪華であったため、浅野殿の方が見劣りがしたと聞いておる。ただ、浅野家には浅野家の事情がおありじゃ。老中から倹約に努める旨、指示があったようじゃから。拙者は、贈答品の多寡について全く興味はござらぬ。いずれにしても、拙者がそんなことで臍を曲げたと見られたとなるなら、拙者の不徳の致すところでありましょう」
 元禄時代となり賄賂が横行するようになった。賄賂制度といえる程、武家社会の中に浸透していた。もはや儀礼上不可欠なものあるいは敬意の表現手段ともいえた。取分け上野介については、金銭関係については何かと悪い噂がある。豪華な贈答品を貰い慣れている上野介が、貧相な浅野の贈答品に対して、愚弄されたと激怒した可能性を否定することはできない。特に塩取引で財を築いた赤穂家には、より豪勢な贈答品を期待していたのかもしれない。ただそれが、勅使饗応指南の手心に結び付いたかとなると、五十畑は否定的であった。
「では、最後に一点だけお尋ね致します。勅使饗応の費用についてでございます。浅野殿は700両で考えておられた。ところが吉良殿は必要な予算を1200両で提案された、と聞いておりますが事実でございますか?」
「いやいや、予算はあくまでもご負担される浅野家が考えることです。老中からの倹約指令があったようであるし、拙者には予算を増やせなどと強弁する権利はありもうさぬ。ただ、勅使饗応に相応しい料理や贈答品というものがありますからな、高家としての拙者の立場もありますからご提案申し上げたわけですが、浅野家は予算増を快く受け入れて頂きました」
「では、両者の間にわだかまりはなかったとお考えですか?」
「そんなものはありません。寧ろより結束力が強まったと申してよろしかろう」
 この話についても上野介の言葉をそのまま受け入れることはできない。浅野家は予算増を快く受け入れたなどとは考えられない。吝嗇家とされる内匠頭が他家の金と思って好き勝手を、そんな本音を胸に抱えていたに違いない。内匠頭の刃傷に至る遺恨の原因が一つではなく幾つかが重なった結果であれば、この予算に関する軋轢がその一つになった可能性はあると、五十畑は思った。
「しからば、何故浅野殿はあのような暴挙に出たとお考えでしょう?」
「それが拙者には分かりもうさん。何やら誤解なり曲解なりがあったのでござろう。浅野殿の心の中は、拙者には分かりかねる」
 上野介から自分にとって明らかに不利となる発言を引き出せるとの思いはなかったが、やはりその通りとなった。
 その後、事件の現場に居合わせた高家衆や数名の旗本からも聞き取りをしたが、梶川より得た以上のものを得ることは叶わなかった。
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