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目を逸らさないでください

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 ジークお兄ちゃんの両手に感謝の口付けを贈ったその直後、いきなり扉が開かれ、ひどく焦った様子のフレイヤ様が部屋に入って来た。

「またクシェルのせいでコハクちゃんが倒れたって聞いたけど、今度はいったい何がっ……こ、コハクちゃん、あなたその目……!」

 目?わたしの目がどうかしたんだろうか。

 わたしと目があったフレイヤ様は、まるで、時間が止まってしまったかのように、視線すら動かさず、顔色だけがどんどんと悪くなっていく。

 もしかして今、わたしの瞳の色は赤色だったりするのかな?それで今の状況を理解して青ざめてるとか?
 それか、わたしの目にクシェル様に対する良くない感情が映ってた?それで……いや、多分その両方かな。

「大丈夫ですよ。確かに怒ってはいますが、嫌いになったとかではないので」

 安心してくださいと笑顔を向けるが、何故かフレイヤ様の血の気が更に引いていく。

 なんだろう。サアニャといいフレイヤ様といい少し反応がおかしくないか?
 確かにクシェル様に対してここまでの怒りを覚えたのは今回が初めてだけど、その苛立ちを態度や顔に出しいてるつもりはない。
 それに、わたしが怒りの感情を向けているのはクシェル様であって、他の誰でもない。なのになんで二人からそんな怯えられないといけないの?なんで二人してそんな目でわたしを見るの?


 ーーまぁいいや。今はそんなことより

「すみませんフレイヤ様、わたしはこの通り大丈夫なので、ジークお兄ちゃんの手を治してくれませんか?」
「え⁈ぁ……」

 握っていたジークお兄ちゃんの両手を離し、ベッドからで降りようとしたら、腕を掴まれ不安げな目を向けられる。

「大丈夫。クシェル様と少しお話してくるだけだから、ジークお兄ちゃんはフレイヤ様と一緒にここで待ってて」
「ま、待っててって……嫌だ!それなら俺も」
「お兄ちゃんと、フレイヤ様には見せたくないの」

 わたしがクシェル様に怒りを向けている場面なんて、クシェル様がわたしに怒りの感情を向けられて泣いている姿なんて見せたくない。

「分かって、お願い」

 そう言いながらジークお兄ちゃんの手をソッと離させると、わたしはそれ以上何も言えなくなってしまったジークお兄ちゃんとフレイヤ様を置いて部屋を出た。



 クシェル様の居場所が分からなかったので、その辺にいる騎士さんやメイドさん達に聞いて回った。クシェル様が居るというその部屋の前にはグレンさんとアレクさんが物々しい雰囲気で扉を守るように立っていた。

 まるで、クシェル様が急なヒートで体調を崩した時のようだ。

 これはまた部屋に入るのに一悶着ありそうだな。

 わたしは心の中で二人と争う覚悟を決めた。しかし、予想に反して二人は何も言わずそこを通してくれた。

「いいの?」

 わたしが言うのもなんだけど、誰もこの部屋に入れるな、そう命じられて二人はここに立っているんでしょ?なのにわたしを入れてしまったら、二人共後で怒られるんじゃ……

「止める理由がねぇ」
「文句も説教も、真に言うべきはアンタでしょ」

 二人がわたしのために魔王クシェル様に対して怒ってくれているのが分かって、思わず涙が出そうになった。二人にここまで心を傾けてもらっていたことが嬉しい。二人がわたしの身を案じて、怒ってくれるほど親しく思ってくれていたことが嬉しいかった。

「あ、ありがとう!」

 わたしはそんな二人に頭を下げてから、目の前の扉を開けた。

「お前は何度同じ事を繰り返せば気が済むんだ!」
「だ、だってこうでもしないとコハクが」
「下手したら死んでいたかもしれないんだぞ!」

 中ではシェーンハイト様がクシェル様を叱り付けていた。

「し、知らなかったんだ。ヴァンパイアになるのがアレほど苦しみを伴う事だなんてっ、死の危険があるなんて知らなっ!……コハ、っ!!」

 二人の会話に割って入ることも出来ず、扉の近くで佇んでいたわたしの存在に気付いたクシェル様は、わたしと目が合うなりわたしの横を猛スピードで走り去り、逃げた。



「逃げずにちゃんと説明して下さい!」

 数分に及ぶ追いかけっこの末、最後は風魔法で勢いをつけて飛び付くという捨て身の技で、どうにかクシェル様を捕まえることができた。

 そして今わたしは廊下のド真ん中で、クシェル様のお腹の上に跨り、自分の全体重をもってクシェル様を床に押し倒している。

 これが如何に非常識な事かわたしも分かってる。本当はこんなことしたくなかった。でも仕方ないじゃないか、クシェル様がわたしから逃げたんだから!

 騒ぎを聞きつけた騎士の人達がヒソヒソとこちらを遠巻きに見ながら、無礼な女わたしを魔王様から引き剥がすべきかと話している。そこに少し遅れて現れたシェーンハイト様の鶴の一声によって人払いがなされる。

 それを視界の端で確認したわたしは、心の中でシェーンハイト様に感謝の言葉を述べ、改めてクシェル様に先程の言葉を投げた。

 しかし、やはりクシェル様からの言葉は無い。

 横を向きて目を固く閉じて、ただただ涙を流すばかりだ。

「目を逸らさないで下さい」
「っい、嫌だ。見たくっ、ない」

 何から目を背けたいのか、何を見たくないのかーーそれは勿論わたしの感情だろう。
 いつものわたしなら、クシェル様を傷付けないように、悲しませないようにとむしろ見せないようにしていた。しかし今回はーー

「ダメです。ちゃんとわたしの目を見て、自分のしでかした事の重大さを、現実を受け止めてください」

 一つ一つの言葉に重みを持たせて、言い聞かせるように叱ると、クシェル様の顔がゆっくりとこちらを向き、目が開かれていく。
 そして完全に目が合うと、クシェル様の全身に力が入り、浅い呼吸のために開かれた口からカチカチと音が鳴る。

「何が見えますか?」
「お、怒って……コハクが、すごく、怒って……いやだ、嫌だ!怖い!見たくない!」

 イヤイヤとぎごちなく首を横に振るが、クシェル様はわたしに言われた通り視線だけはわたしの目を捉え続けている。

「なんで怒っているか分かりますか?」
「お、俺がっ、コハクを……ヴァンパイアにっ、した、から。苦しい思いを、させたから」
「違います」

 問題はそこじゃない。

「分かりませんか?」
「わか、らないっ、分からない。ごめんなさい。ごめんなさい!」
「別に、ヴァンパイアにした事自体は怒っていません。わたしも考えていた事なので」

 そう実はこの間思い付いた案というのが、ちょうどこの事だったのだ。

 ヴァンパイアになれば、なってしまえばきっともう元には戻れない。前の世界に帰ってもヴァンパイアになったわたしは生きていけない。だからもし万が一にも帰りたいと思っても、わたしにはその選択が出来ない。
 ヴァンパイアになったわたしはこの世界で、優しい二人に一生血を飲ませてもらいながら生きていくしかない。人を傷つけることも、血を見ることも出来ないわたしは、それを理解して、甘やかしてくれる二人がいないと生きていけない。

 そうなればきっとクシェル様も安心出来る。わたしが離れて行く心配なんてしなくて済む。ジークお兄ちゃんだってわたしに甘えてほしいって、頼られたいって言ってたし、きっと喜んでくれる。そして何より、そうすればより長く二人と一緒に生きてられる。
 でも、それは所詮わたしの勝手な憶測だ。だから、安全性やその後の生活の変化、それに伴う周りへの影響等々きちんと調べて、二人と相談した上で決めようと思っていた。
 残りの人生を懸けたこんな重大な事、一人で勝手に決められない。決めるべきじゃない。
 
 だってわたしのこれからの人生はクシェル様ジークお兄ちゃんわたし、三人で幸せに暮らすためにあるんだから!

 なのにクシェル様はーー

「なんでわたし達に何の相談もなく、理由すら告げずにこんなことしたんですか」

 そのせいでジークお兄ちゃんが苦しむはめになった。自分の手をあそこまで傷付けてしまうほどにクシェル様を殴らないといけなくなった。それ程の怒りと絶望をジークお兄ちゃんに与えてしまった。

 事前に三人で話し合っていたら、ジークお兄ちゃんの『獣人族特有の事情』を聞いていたら、絶対にヴァンパイアになるなんて選択はしていなかった。

 出そうになったため息をのみこむ。しかし、クシェル様の目にはそれを隠せない。

「っ!!い、嫌だコハクっ、見捨てないで!嫌だ!コハク!」
「それと、わたし前に言いましたよね?理由もわからずに怒られるのが怖いって、痛いのがすっごく嫌いだって……言いましたよね?」

 理由の分からない苦しみと痛みがどれ程の恐怖か、それを与えられたわたしがどうなるか、クシェル様はよく知っているはずだ。

「ごめっなさい、ごめんなさい!しらっ、知らなかったんだ!あ、あんなになるなんて知らなかったんだ!!」

 これはさっきも言っていた。

 ヴァンパイアになるのがアレほど苦しみを伴う事だなんて、死の危険があるなんて知らなっかったんだ、とシェーンハイト様に訴えていた。

「だからあの時わたしから目を逸らしたんですか?」

 わたしがあまりの苦痛に意識を手放しそうになりながらも、必死にクシェル様の名前を呼んだのに、縋る思いで貴方を見たのに、貴方はそれを知らないことが起きて、怖かったからって、目を逸らしたの?

 わたしはあの時、貴方のせいで苦しんでいたのに。貴方はそれから目を逸らした。
 わたしは苦しいのも痛いのも、貴方の笑顔の為なら耐えられるのに。あの時貴方がちゃんと理由を話していてくれれば、目を逸らさずにいてくれれば耐えられたのに。
 部屋で目があった時も逃げずに「ごめん」「頑張ったな」って優しく頬を撫でてくれれば、それで良かったのに。それだけでわたしは、わたしのあの苦しみは報われていたのに。

「もういい」

 疲れた。

 怒るのも、呆れるのも、悲しむのも、もう全部手放して楽になりたい。昨日からずっと感情が、心が掻き乱されて疲れた。溢れ流れ落ちる涙を拭う気力もない。さっきまで怒っていたせいか胸の辺りが重く痛むし、頭も痛い。

「っーー!?!ぃ嫌だ!行かないで!俺を捨てないでくれ!嫌だ!言う!全部言う!もう二度と隠し事はしない!勝手なこともしない!全部コハクの言う通りにするから!するって誓うから、だからそんな目で見ないでくれ!ちゃんと俺を見て!お願いだコハク!コハク!!」

 腕が痛い。

 もうクシェル様の肩を押さえておく理由もないから、そこから手を離して立ちあがろうと思ったら、その手が離れる寸前で手首を掴まれて、立ち上がれなくされてしまった。

「言っている意味が、よく分かりません。わたしはただ疲れたので少し休みたいだけです。話は後でちゃんと聞きますから、だから今はその手を」
「嫌だっ!!」

 更に強く握られ、ミシミシと腕の骨が悲鳴を上げ始める。まるであの時のようだ。

「っ……またヒビを、入れる気ですか?」

 そのよく知った痛みに、思わず嫌味な言い方をしてしまった。
 その直後の酷く狼狽するクシェル様の姿を見て、自分の発言を激しく後悔する。

「すみません。言い方を間違えました」

 わたしがその事を謝れば、クシェル様は泣きながら首を横に振り、今度はわたしの服を両手で掴んだ。今度は手ではなく、お尻を離れられなくされてしまった。わたしは素直にそこに体重を預け、離れる気がない事をクシェル様に示す。

「……もう逃げませんか?」

 ぎゅっと目を瞑り、コクコクと頷くクシェル様。

「何がいけなかったのか、分かりましたか?」

 コクコク

「反省してますか?」
「……してる」
「わたしの目、ちゃんと見れますか?」
「見れる、ちゃんと見る!」

 そう言うとクシェル様は何かを祈るようにぎゅっと閉じていた目を再び開き、涙に濡れた夕暮れ時の瞳の中にわたしを映した。そして、その瞬間クシェル様の目が見開かれ、新たな涙が次々と溢れ出した。

 これはきっと安堵の涙だ。それか喜びの涙。だってその後すぐにクシェル様が起き上がって、わたしを強く抱きしめてくれたから。そして「ありがとう」をくれたから。


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