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婚約破棄された聖女は、千年の眠りに就く事にしました
前編
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「リルディア、君との婚約を解消したい」
前置きもなくそう切り出され、リルディアは金色の瞳を見開いてオズワード王子を凝視した。リルディアの足元で伏せていた雪色の毛並みの獣が、低い唸り声と共に頭をもたげる。
狼に似た獣の視線を真正面から受けたオズワードは顔を引きつらせて身を捩り、豪奢なソファの背もたれにしがみついた。無様な姿を晒した事が悔しかったのか、憎々しげに唇を歪ませてリルディアを睨む。
神から遣わされた神聖な獣を直視出来ないオズワードの度胸のなさに呆れつつ、とにかく睨まれ続けるのはイヤだったリルディアは聖獣の背中を軽く撫でて威嚇を止めさせる。
動物全般を嫌う王子とは逆に、リルディアは動物が大好きだ。だから王子が不憫でならない。
シャンデリアの光を弾いて輝く毛並みはどんな宝飾品より美しく、絹よりも遥かに滑らかで最高の触り心地なのに。こんなにも素晴らしい聖獣を愛せないなんて、人生を損しているとしか思えない。
オズワードは咳払いをしてリルディアに向き直ると、しかめつらしい表情を作って口を開いた。
「王族の責務として、俺は聖女である君と婚約した」
「はい」
「本来であれば、孤児である君が第一王子である俺と婚約するなど有り得ない。これはひとえに君が『悪しきモノを退けるチカラを持つ聖女』であるが故の特例措置だ」
「はい」
「我が国が魔物の被害を受けず平和を保っているのは君のチカラあっての事。父である王も、国民もそう信じている」
「はい」
リルディアは律儀に肯定の言葉を返す。
以前、適当に話を聞き流して返事を疎かにしていたら「俺の話を聞いているのかっ?」と怒鳴られてしまった。それ以来、面倒でも話を聞く姿勢を見せる努力をしている。
「だが!」
ばん!とテーブルを叩いて立ち上がったオズワードが声を張り上げる。しかし、力加減を誤って掌を痛めたらしい。 碧眼を潤ませて痛みに耐える王子を見て、リルディアはうっかり噴き出しそうになって必死に唇を引き結んだ。
「我が国の平和が保たれているのは聖女のチカラ故ではない。軍の尽力があるからこそだ!」
あら、正論も言えるのね。
リルディアは心の中でこっそり呟く。
正直言ってリルディア自身、聖女のチカラがどんなものなのか、いまいち分かっていない。
一年前、孤児院で洗濯物を干していた時、ふらりと現れた聖獣から「君こそ聖なるチカラをその身に宿す、神に選ばれし者。国を守る聖女だ」と告げられ、城へ押し込まれ、あれよあれよと言う間に第一王子との婚約が決まって現在に至る。
取り敢えず聖獣に促されるまま、国の平和を願って日々祈りを捧げてはいるが、本当にそれで効果があるのか定かではない。
全身が光るとか、たちどころに怪我を癒すとか、目に見える奇跡は何一つ起こせない。ただ『聖獣に認められた』、それだけがリルディアを聖女たらしめている。
あるかどうかも分からない聖女の神秘より、目に見える兵力こそを信じる。それはリルディアも同じだ。城で祈っているだけの自分より、実際に魔物に立ち向かう兵士の方がよほど頼もしいし、尊敬に値する。
オズワードは黙ってリルディアを睨み据えている。どうやらリルディアの反応を待っているらしいと察し、ちょっと考えてから口を開いた。
「オズワード様の仰る通りだと、私も思います。でも、それと婚約解消とどう話が繋がるのですか?」
オズワードは苛立たしげにソファに腰を下ろして足を組んだ。その顔には『そんな事も分からないのか』とあからさまに書かれている。
「聖女とは、もっと目に見えて分かり易い存在であるべきだと思わないか?例えば、神々しい程の美貌の持ち主であるとか」
つまりリルディアの容姿は聖女としてのインパクトに欠けると言いたいらしい。
確かに癖の強い赤毛と、孤児院育ちで痩せっぽちな体つきは庶民的どころか貧相過ぎて神秘性とはかけ離れている。高貴なオーラや気品も皆無だ。
ストレートな指摘にヘコむリルディアの手に、聖獣が擦り寄った。慰めようとしてくれる気遣いが嬉しくて、自然と笑みが溢れる。
仲睦まじい様子を見せつけられて面白くないのか、オズワードの声が刺々しさを増す。
「国王や国民の心の拠り所としての聖女は必要だろう。だが、その役目は君には荷が重すぎるのではないかと心配しているんだ」
そこで意味ありげに言葉を切り、オズワードはニヤリと笑って見せる。
「だから君に代わる聖女を、こちらで用意しようと思う」
「代わりの聖女、ですか?一体、誰を?」
「シトラ男爵家のレイーズは知っているだろう?」
孤児院育ちのリルディアにとって、貴族の階級や人間関係は複雑過ぎる。だから貴族は十把一絡げに『何か偉い人』と言う認識でしかない。
そんなリルディアであっても、レイーズの名前と顔は知っていた。その位、見る者に強烈な印象を与える破格の美少女なのだ。
「彼女なら聖女として崇められるに相応しい資質を備えている。君もそう思わないか?」
それ、つまり自分が美人と結婚したいだけなんじゃないの?
うっかり喉元まで出かかった本音を、どうにか飲み込む。思いっ切り表情には出てしまっていたが、幸いオズワードには気付かれずに済んだ。
「勿論、君の待遇はちゃんと考えるから心配いらない」
取って付けた様に言葉を継ぐ。
アテにならない事は明白だった。
どうせレイーズと結婚して王位を継いだら、リルディアの存在など綺麗さっぱり忘れるだろう事は想像に難くない。
リルディアは「はぁ」と間の抜けた相槌を打ちながら、王子の提案を整理する。
国王や国民は『聖女あっての平和』だと信じている→分かる
しかし聖女のチカラは眉唾ものだ→分かる
だから、より聖女らしく見える美人の替え玉を用意(して結婚)する→意味不明
こんな人が第一王位継承者で大丈夫なのかしら、この国。
リルディアはオズワードから視線を外し、突然の婚約解消に混乱している風を装って俯く。
リルディアに説明して同意を得る体裁を取ってはいるが、オズワードにとってこの件は決定事項なのだろう。聖女とは言え明らかに身分が劣るリルディアの反論など端から聞き入れる気もない。まさに権力者の傲慢。
視線を横へ滑らせると、聖獣と目が合った。その黄金色の瞳を見詰め、リルディアは小さく頷いた。立ち上がって粛々と頭を下げる。
「お話は、分かりました。オズワード様のお言葉に従います」
その翌朝。
いつも通りリルディアを起こしに部屋へ入った侍女が、「せ、聖女様が、聖女様が!」と城中に響き渡る悲鳴を上げて廊下へ転がり出た。
普段であれば起床しているリルディアが眠ったままでいる事を訝しんで声を掛け、体を揺すったが、彼女は固く瞼を閉ざしたまま目覚めなかったのだ。
規則正しく上下する胸元と、微かな呼気から死んでいない事だけは分かる。だが、それだけだった。
こうして聖女は、聖獣と共にいつ目覚めるとも知れない眠りに就いた。
前置きもなくそう切り出され、リルディアは金色の瞳を見開いてオズワード王子を凝視した。リルディアの足元で伏せていた雪色の毛並みの獣が、低い唸り声と共に頭をもたげる。
狼に似た獣の視線を真正面から受けたオズワードは顔を引きつらせて身を捩り、豪奢なソファの背もたれにしがみついた。無様な姿を晒した事が悔しかったのか、憎々しげに唇を歪ませてリルディアを睨む。
神から遣わされた神聖な獣を直視出来ないオズワードの度胸のなさに呆れつつ、とにかく睨まれ続けるのはイヤだったリルディアは聖獣の背中を軽く撫でて威嚇を止めさせる。
動物全般を嫌う王子とは逆に、リルディアは動物が大好きだ。だから王子が不憫でならない。
シャンデリアの光を弾いて輝く毛並みはどんな宝飾品より美しく、絹よりも遥かに滑らかで最高の触り心地なのに。こんなにも素晴らしい聖獣を愛せないなんて、人生を損しているとしか思えない。
オズワードは咳払いをしてリルディアに向き直ると、しかめつらしい表情を作って口を開いた。
「王族の責務として、俺は聖女である君と婚約した」
「はい」
「本来であれば、孤児である君が第一王子である俺と婚約するなど有り得ない。これはひとえに君が『悪しきモノを退けるチカラを持つ聖女』であるが故の特例措置だ」
「はい」
「我が国が魔物の被害を受けず平和を保っているのは君のチカラあっての事。父である王も、国民もそう信じている」
「はい」
リルディアは律儀に肯定の言葉を返す。
以前、適当に話を聞き流して返事を疎かにしていたら「俺の話を聞いているのかっ?」と怒鳴られてしまった。それ以来、面倒でも話を聞く姿勢を見せる努力をしている。
「だが!」
ばん!とテーブルを叩いて立ち上がったオズワードが声を張り上げる。しかし、力加減を誤って掌を痛めたらしい。 碧眼を潤ませて痛みに耐える王子を見て、リルディアはうっかり噴き出しそうになって必死に唇を引き結んだ。
「我が国の平和が保たれているのは聖女のチカラ故ではない。軍の尽力があるからこそだ!」
あら、正論も言えるのね。
リルディアは心の中でこっそり呟く。
正直言ってリルディア自身、聖女のチカラがどんなものなのか、いまいち分かっていない。
一年前、孤児院で洗濯物を干していた時、ふらりと現れた聖獣から「君こそ聖なるチカラをその身に宿す、神に選ばれし者。国を守る聖女だ」と告げられ、城へ押し込まれ、あれよあれよと言う間に第一王子との婚約が決まって現在に至る。
取り敢えず聖獣に促されるまま、国の平和を願って日々祈りを捧げてはいるが、本当にそれで効果があるのか定かではない。
全身が光るとか、たちどころに怪我を癒すとか、目に見える奇跡は何一つ起こせない。ただ『聖獣に認められた』、それだけがリルディアを聖女たらしめている。
あるかどうかも分からない聖女の神秘より、目に見える兵力こそを信じる。それはリルディアも同じだ。城で祈っているだけの自分より、実際に魔物に立ち向かう兵士の方がよほど頼もしいし、尊敬に値する。
オズワードは黙ってリルディアを睨み据えている。どうやらリルディアの反応を待っているらしいと察し、ちょっと考えてから口を開いた。
「オズワード様の仰る通りだと、私も思います。でも、それと婚約解消とどう話が繋がるのですか?」
オズワードは苛立たしげにソファに腰を下ろして足を組んだ。その顔には『そんな事も分からないのか』とあからさまに書かれている。
「聖女とは、もっと目に見えて分かり易い存在であるべきだと思わないか?例えば、神々しい程の美貌の持ち主であるとか」
つまりリルディアの容姿は聖女としてのインパクトに欠けると言いたいらしい。
確かに癖の強い赤毛と、孤児院育ちで痩せっぽちな体つきは庶民的どころか貧相過ぎて神秘性とはかけ離れている。高貴なオーラや気品も皆無だ。
ストレートな指摘にヘコむリルディアの手に、聖獣が擦り寄った。慰めようとしてくれる気遣いが嬉しくて、自然と笑みが溢れる。
仲睦まじい様子を見せつけられて面白くないのか、オズワードの声が刺々しさを増す。
「国王や国民の心の拠り所としての聖女は必要だろう。だが、その役目は君には荷が重すぎるのではないかと心配しているんだ」
そこで意味ありげに言葉を切り、オズワードはニヤリと笑って見せる。
「だから君に代わる聖女を、こちらで用意しようと思う」
「代わりの聖女、ですか?一体、誰を?」
「シトラ男爵家のレイーズは知っているだろう?」
孤児院育ちのリルディアにとって、貴族の階級や人間関係は複雑過ぎる。だから貴族は十把一絡げに『何か偉い人』と言う認識でしかない。
そんなリルディアであっても、レイーズの名前と顔は知っていた。その位、見る者に強烈な印象を与える破格の美少女なのだ。
「彼女なら聖女として崇められるに相応しい資質を備えている。君もそう思わないか?」
それ、つまり自分が美人と結婚したいだけなんじゃないの?
うっかり喉元まで出かかった本音を、どうにか飲み込む。思いっ切り表情には出てしまっていたが、幸いオズワードには気付かれずに済んだ。
「勿論、君の待遇はちゃんと考えるから心配いらない」
取って付けた様に言葉を継ぐ。
アテにならない事は明白だった。
どうせレイーズと結婚して王位を継いだら、リルディアの存在など綺麗さっぱり忘れるだろう事は想像に難くない。
リルディアは「はぁ」と間の抜けた相槌を打ちながら、王子の提案を整理する。
国王や国民は『聖女あっての平和』だと信じている→分かる
しかし聖女のチカラは眉唾ものだ→分かる
だから、より聖女らしく見える美人の替え玉を用意(して結婚)する→意味不明
こんな人が第一王位継承者で大丈夫なのかしら、この国。
リルディアはオズワードから視線を外し、突然の婚約解消に混乱している風を装って俯く。
リルディアに説明して同意を得る体裁を取ってはいるが、オズワードにとってこの件は決定事項なのだろう。聖女とは言え明らかに身分が劣るリルディアの反論など端から聞き入れる気もない。まさに権力者の傲慢。
視線を横へ滑らせると、聖獣と目が合った。その黄金色の瞳を見詰め、リルディアは小さく頷いた。立ち上がって粛々と頭を下げる。
「お話は、分かりました。オズワード様のお言葉に従います」
その翌朝。
いつも通りリルディアを起こしに部屋へ入った侍女が、「せ、聖女様が、聖女様が!」と城中に響き渡る悲鳴を上げて廊下へ転がり出た。
普段であれば起床しているリルディアが眠ったままでいる事を訝しんで声を掛け、体を揺すったが、彼女は固く瞼を閉ざしたまま目覚めなかったのだ。
規則正しく上下する胸元と、微かな呼気から死んでいない事だけは分かる。だが、それだけだった。
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