少年と悪魔の天使狩り

グーテン

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第1話 女悪魔との契約

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「だから何度も言っとるだろう。お前の妹は地獄にいないと」

 午前零時。場所はマンションの一室にある、とある少年の部屋。
 そこで窓際に置かれたベッドに座り、やれやれと首を振る一人の少女がいる。
 流れるような黒く長い髪に、炎のような紅い瞳。
そして白を全否定するかのような漆黒の黒衣。
 少女の名前はルシエル。
 悪魔の一人である。

「じゃあ妹はどこに行ったんだよ!?」

 そう叫んだのはルシエルの前で椅子に固定されて身動きの取れない一人の少年。
 学生服に黒い髪と同じく黒い瞳が特徴的だ。
 少年の名前はキョウヤ。十六歳。
 この部屋の住人である。

「まあ落ち着け。喚いた所でお前の妹は地獄にはおらん。せっかく妹を追いかけて死んだお前には気の毒な話だが、こればかりはどうしようもない。諦めろ」

「そう言われて、はいそうですかって諦められるかよ!!」

 呑気なルシエルに対して思わず飛びかかろうとしたキョウヤだが、しかし体の自由は今は自分に無い。
 ルシエルをちっちゃくした手のひらサイズのちびルシエルたちにより、体を押さえつけられている状態だ。
 しかし口は自由に動く。
 だからキョウヤはルシエルに向かってもう一度叫んだ。
 叫ばずにはいられなかったから。

「自殺した奴は地獄に落ちるって聞いたぞ!!! だからお前もオレの前に現れたんだろ!!?」

 そう叫ぶキョウヤの手首には赤い線が一筋、薄っすらと滲んでいるのが見える。
 床にはカッターナイフと、赤い斑点も。

「確かに自殺をした者は地獄へ落ちる。しかし絶対と言うわけでも無い。残念ながらな」

「じゃあ地獄にいないなら妹はどこに行ったんだよ!?」

 当然それでは納得いかないキョウヤ。
 妹に会えると思って死んだのに、これでは何のために自殺したのかわからない。

「全く、ぎゃあぎゃあとうるさい人間だな。妹ならさっき天使に連れて行かれるのを見たから、今頃は天国だろう。これで満足か?」

「天国に? 本当に!!?」

「ああ、間違いない」

 ルシエルの言葉にキョウヤの顔に安堵の表情が浮かぶ。

 地獄だと苦しむことになるかもしれないが、天国は楽園だと聞いたことがある。
 もう会えないのは残念だったが、それを知ることが出来ただけでも死んだ甲斐がある。
 キョウヤはそう思った。

「そっか、それを聞いて俺は安心したよ」

 目を閉じてまるで人生を悟ったかのような表情を浮かべるキョウヤ。

「何だ、急に大人しくなって。妹に会いたくて死んだのではなかったのか?」

「ああ、いいよ。妹が幸せになれるならオレはそれで構わない。オレだってどうせ生きてても虐待といじめの暴力に耐える毎日。妹のいない世界で生きる理由なんてこれっぽっちもない。そこから解放されるなら地獄でも十分だよ」

 キョウヤはこれまでに感じたことのない充足感に満たされていた。
 こんなに清々しい気持ちは初めてかもしれない。
 死んで心が解放されるとはこういうことを言うのだろうか。


 キョウヤは晴れ晴れとした気持ちの中そんなことを思った。
 しかしそんなキョウヤに水を差すようにルシエルが言い放つ。

「何故天国へ行けば幸せになるのだ?」

 意味がわからない、といったルシエルの表情。
 それは心底そう思っているのだろう。
 まるで馬鹿を見るような目でキョウヤを見ていた。

「は? 何言ってんだよ。天国は楽園なんだろ。地獄に比べればどれだけマシか」

 今度は逆にキョウヤがルシエルを馬鹿にするように言い放つ。

「それはお前達人間の考えだろ。私からすればどっちもどっちだと思うがな」

「悪魔には分んねぇよ。天国を知らないんだからな」

 お前も知らないだろ。
 そう突っ込んでくれる者はキョウヤの周りにはいなかった。

「確かに知らんが、少なくともこんな奴らのいるところが楽園だとは思えんがな」

 ふう、とため息をつきながらルシエルが指をパチンと鳴らした。
 するとルシエルの横に黒く渦巻く闇が現れる。
 そして中から大型ディスプレイを抱えたちびルシエルたちが現れてキョウヤとルシエルの間にドシンと置いた。
 役目を終えたちびルシエルたちは息を切らせながら再び闇の中へと帰って行く。

「まあ取り敢えずこれを見ろ」

 ディスプレイの後ろからルシエルの声が聞こえる。
 やがて映し出されたのは、妹がキョウヤの目の前で命を絶つ瞬間の映像だった。

 キョウヤの住むマンションの屋上。
 フェンス越しで悲し気な表情を浮かべた10歳前後の女の子が立っている。

「ごめんね。お兄ちゃん」

 それが少女の最後の言葉だった。
 飛び降りた少女を追い掛けるように、走ってフェンスを乗り越えるキョウヤが映る。
 恐る恐る下を覗くキョウヤの姿。
 そこには血を流して倒れている妹の姿が見えた。

 映像が切り替わる。

 それは突然だった。
 倒れた少女を囲うように光の柱が降り注ぐ。
 やがて一枚の白い羽根がふわりと少女の傍に落ちた。
 眩い光に白い羽。

 天使が迎えに来た。
 キョウヤはその光景を見てそう思った。
 そしてキョウヤの予想通り、二人の天使がゆっくりと少女の元へと舞い降りた。
 白い翼に天使の輪。
 その姿はどこからどう見ても天使そのもの。
 しかしキョウヤにとって予想外のことが一つだけあった。
 それは……。




「おい、どうしたんだよ」

「この子見てみろよ、可哀想に」

「自殺だろ? ほっとけよ、自分で命を絶つやつなんて地獄がお似合いだ」

「いや、よく見てみろよこの子」

「……? 何かあるのか?」

「めちゃくちゃ可愛くないか?」

「ん? ああ確かに言われて見ればな。って、お前まさか天界に持って帰るつもりじゃないだろうな?」

「何だよ悪いのか?」

「自殺してるんだから無理だぞ」

「いや、そうでもない。この子の死は自己犠牲を伴う死だ。天界へ行く資格はある」

「どれどれ……、お! 本当だ……うわぁ、兄貴へのいじめと虐待が自分のせいだと思って死ぬとかどんだけ兄想いの良い子なんだ」

「だろ?」

「そんなこと言って、自分のタイプだからだろ?」

「ばれたか」

 ニヤニヤしながら一人の天使が少女を抱きかかえる。
 そして忘れられたように肉体だけがその場に残った。
 二人の天使は翼を揺らすとゆっくりとそのまま姿を消していく……。



 チャラい。
 とにかくチャラい。
 それはキョウヤが想像していたものとは遠くかけ離れた天使の姿だった。
 てっきり子供の姿をした天使がラッパを吹きながら現れると思っていたキョウヤにとって、二人の天使の姿は、想像の遥か斜め上だった。

 開いた口が塞がらない。
 自然と拳に力が入る。

「以上がお前の言う楽園で暮らす天使の姿だ」

 再び闇から現れたちびルシエルたちがディスプレイを回収していく。

「ふ、ふざけんなよ!!! 何だよあれ!!!?? あれが天使!!? ただのナンパ野郎と変わらねぇじゃねぇか!!? いや、意識無い相手を連れて行ってる分余計たちが悪りぃよ!!!!」

 キョウヤは怒りをぶちまけるようにして叫んでいた。

「これで分っただろ? あれが天使の姿だ。そしてお前の妹は天使にお持ち帰りされた」

 何故かお持ち帰りという言葉を強調するルシエル。

「そうだ!! そうだよ!!? あの後どうなったんだ?? 妹は無事なんだろうな!!?」

 今にもルシエルに飛びかかりそうな勢いでキョウヤが吠える。

「知らん。天国へ連れて行かれた人間のその後なんて興味も無い」

「そんな、もしかして今頃……」

 キョウヤの頭の中で流れる下衆な天使たちに酷い目に合う妹の姿。
 そしてそんなキョウヤに追い打ちをかけるようにしてルシエルが言う。

「好き放題もてあそばれているかもしれん。もしくは意気投合してイチャイチャしているかもしれん」

 イチャイチャ……。
 かつてない程の怒りがキョウヤの中に宿った。

「……殺してやる」

 暗い感情がキョウヤの中で渦巻く。
 そんなキョウヤの姿に満足そうにニンマリとした表情を浮かべるルシエル。 

「まあ落ち着け。お前の気持ちは良くわかる。大切な妹があのような連中に連れ去られては、おちおち死んでもおれんだろう。しかし自殺したお前には妹と違い天使の慈悲も無ければ奴らを殺してやることも出来ん。さぞ、辛かろう」

 まるでキョウヤのよき理解者であるかのような口ぶりだ。

「なんとか……、なんとかならないのか!?」

 縋《すが》るようなキョウヤの声。
 妹が弄《もてあそ》ばれているかもしれないのにこのまま地獄になんて行けない。
 どうにかして妹を助けたい。
 死んでしまっている以上助けようはないのかもしれない。
 それでもせめて妹がどうなったかぐらいは知りたい。
 出来れば連れて行った天使を一発殴ってやりたい。
 そんな必死なキョウヤの姿にルシエルの目がキラリと光る。

「なんとか……なるかもしれんな」

「本当に!?」

 食いつくキョウヤに更にルシエルの口元がニヤリと釣り上がる。

「ああ、本当だ。実を言うとだな、私も奴らを皆殺しにしてやりたいと考えておるのだ。もしも私に協力してくれると言うのならお前の望みを叶えてやれるかもしれん」

 ルシエルの言葉にキョウヤが更に食いつく。

「じゃ、じゃあ妹に!!! もう一度妹に会うことはできるのか!!?」

「落ち着け。勿論会うことも出来る」

 その瞬間、キョウヤの目にはルシエルが女神様に見えた。
 更に女神様は驚くべきことを口にする。

「それに、もしかすれば大好きな妹を生き返らせることが出来るかもしれん」

「…………」

 キョウヤはその言葉をたっぷり頭の中で反芻《はんすう》してから、更に十秒後。
 歓喜に満ちた表情でちびルシエルたちを吹っ飛ばし、そしてルシエルに抱き着こうとした。
 それを軽く身を捻って躱すルシエル。

「ああ鬱陶しぃ!  話しは最後まで聞け。その為には色々と条件もあるし契約の話しもある」

 ちびルシエルたちにずるずると引きずられて再び椅子へ座らされるキョウヤ。

「条件? 契約?? わかった! 協力するよ!!!」

 中身も聞かずに二つ返事のキョウヤ。
 今の彼ならどんなに下手な詐欺師でも簡単に騙せてしまいそうだ。
 そしてそれはルシエルも感じたようで。

「私が言うのもなんだが、もう少し悪魔の言葉には疑う心を持った方がいいぞ」

 呆れた表情をその顔に浮かべた。
 しかしそんなルシエルの声も今のキョウヤには届いていない。
 早く契約しようとルシエルを急かしている。

「そうだな。条件や契約の中身の説明よりもさっさと契約を交わした方が手っ取り早そうだ」

 ルシエルが一匹のちびルシエルに細い指先を向ける。そして指先がゆっくりとキョウヤの胸に向けられると、見えない何かに動かされるようにちびルシエルがキョウヤの服の上に置かれた。

「どうするんだ?」

 率直な疑問を口にしてみる。

「刻印を刻む。すぐに終わらせるからじっとしていろ」

 ルシエルの細い指先がキョウヤの胸へと置かれたちびルシエルに向けられる。
 指先の動きに合わせてちびルシエルがキョウヤの服のボタンをプチプチと外していく。
 そしてズボンのボタンまで外そうとして悪戦苦闘しているちびルシエル。

「そっちはいい」

 ルシエルが指先をふいっとゴミ箱に向ける。
 すると、ボタンを外そうとしていたちびルシエルが綺麗な弧を描いてゴミ箱の中へと消えて行った。
 残ったちびルシエルによりキョウヤの上半身が露わになる。
 キョウヤにはこれから一体何が起こるのか、全く想像できない。
 さらけ出されたキョウヤの胸に指先を這わせるルシエル。
 そして心臓の上でピタリと止めた。

「痛かったらちゃんと言うんだぞ、止めはしないが」

 ニヤリと嗤うルシエル。
 そして……。

 ずぶ。

 ルシエルが指先でキョウヤの心臓を突き刺した。

「…………痛ってぇぇぇぇぇえええええ!!!!!」

 キョウヤの体を激痛が駆け抜けた。
 気を失いそうになりながらも気を失えないジレンマにキョウヤは全力で叫ぶ。

「死んでるのに何で痛みがあるんだよ!!!!!」

「魂に刻んでるからな。痛くて当たり前だ。大体お前はまだ死んでおらん。仮死状態のようなものだ」

 冷静に説明するルシエルにキョウヤは思いっきり殴ってやりたい衝動に駆られた。
 そして暴れるキョウヤを懸命に押さえつけるちびルシエルたち。
 その姿を見てルシエルの顔が徐々に高揚しているのがわかった。

「お前絶対に楽しんでるだろ!!!」

 キョウヤが怒りと共に叫ぶ。
 しかしルシエルには聞こえていないのか指先の動きを止める気配は一向に無い。








 それからどれぐらいの時間が経っただろうか。
 痛みで頭がおかしくなりそうになったころ、キョウヤが再びルシエルに向かって叫んだ。


「くそったれ!!! まだ終わらないのかよ!!!?」

 キョウヤの絶叫に光悦とした表情を浮かべていたルシエルが目を覚ましたように我に返った。

「ん? ああ、刻印ならとっくに刻み終わってるぞ。なんだ、止めてほしいならもっと早くに言っていれば止めてやったのに」

 つまらなさそうにルシエルが指を引き抜いた。
 そして指先に着いた血をペロリと嘗める。
 それは見ていてとても背徳的な光景だった。
 キョウヤの胸に既に傷は無い。
 残されたのは逆五芒星の刻印のみ。

「ぶっ殺してやる」

 体はぐったりとしながらも瞳は睨むようにルシエルに向けられる。

「おお怖い。しかしその怒りは天使だけに向けてほしいな。我が契約者《エニシ》よ」

「契約者《エニシ》?」

 聞き慣れない言葉にキョウヤが首を傾げる。

「契約を交わした人間を契約者《エニシ》と呼ぶんだ。これで私と契約者《エニシ》は魂で繋がれた。契約者《エニシ》の体を借りれば私も現世に干渉することができる」

 そこでもう一度ルシエルが嗤う。

「え、それってつまり体を乗っ取られるってことじゃあ……?」

 キョウヤは一般的な悪魔のイメージを口にしてみる。

「心配するな。あくまで主従としては契約者《エニシ》が上だからな」

 ルシエルの言葉にほっと一安心のキョウヤ。
 契約の中身も知らなければルシエルの言葉の信憑性も皆無なのにめでたい事である。

「それで、これからどうするんだ?」

 散々嬲られたことを恨んでいるのか若干の苛立ちの籠ったキョウヤの声。
 服のボタンを締めながら横目でルシエルを睨む。

「この世界とは異なる世界。天国と地獄に最も近い世界へ行く」

「えっと……、言ってることがこれっぽっちもわかんないんだけど」

 キョウヤの頭に浮かぶ大量のクエスチョンマーク。
そんなキョウヤに対してルシエルが面倒くさそうに説明を始める。

「この世は契約者《エニシ》の住む世界とは別に、いくつもの世界が存在している。ここは天国と地獄からもっとも離れた場所にある辺鄙《へんぴ》な世界だ。そもそも死に近い者で無ければ天使も悪魔も会うことが出来ないというのが不便すぎる。祈りと生贄で簡単に会うことが出来る世界と比べれば田舎もいいところだ。全く」

 まるで都会暮らしの若者が田舎の不便さを愚痴るかのようなルシエルの口調だ。

「えーと、なんとなくはわかるんだどさ。その、天国と地獄に最も近い世界へ行って何をどうすれば妹を生き返らせることができるんだ?」

「せっかちな契約者《エニシ》だな。ま、それもきちんと説明してやる。兎にも角にも先ずは出発だ。準備は必要ない、目が覚めれば向こうの世界だ」

 善は急げとばかりにルシエルの赤い目が輝くと、床一面に魔法陣のようなものが浮かび上がった。
 しかし話しは理解したが心の準備が全く出来ていない。

「え、ちょっ、今から行くのか!? 大体俺って仮死状態なんだろ!? その辺はどうなるんだよ!!?」

「そんなものは悪魔と契約すればいくらでも元に戻せる」

 キョウヤはいまいちピンとこなかったが、そういものなのかと、無理やり自分を納得させた。

「それと、ちゃんとした自己紹介がまだだったな」

 コホンと咳払いしてルシエルが優雅に一礼する。そして改めて自己紹介をした。

「私の名前はルシエル。地獄を統べる悪魔の一人だ。これからはよろしく頼むぞ。我が契約者《エニシ》よ」

 ルシエルが言い終わると同時に魔法陣が強い輝きを放ち、キョウヤの視界を白一色に染め上げた。
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