14 / 19
昭和
しおりを挟む
私が小学生の昭和時代、先生の教育方法は体罰が日常だった。
怒鳴る、ビンタなんて当たり前である。
田舎だったせいなのか誰も声を上げる親はいなかったように感じるが、どちらかというと「先生様」のような存在だ。
学校でなにをされても「先生の言う通りにしなさい」という風潮があった。
職業としての先生の価値観が当時と今ではだいぶ違いがあるように思える。
ある日の授業中、とある女の子が「おもらし」をしてしまう。
この子は小学を卒業するまで誰とも話をしているのを見たこともないような、無口で人と交わらなかった。
私は「第二次ベビーブーム」のピークの生まれだったので、田舎でも学校の生徒はかなり多く目立たない子供はたくさんいたし、話をしたことがない子供の方が多かった。
目立ちたくない人には生きやすい時代だったと思う。
おもらしをした女の子をクラスの悪ガキが授業中に大きな声で「先生、おもらししてるよ~」などと笑いものにしようとした。
先生は悪ガキに近寄り「往復ビンタ」を炸裂させ、その後、教室の外に出し授業が終わるまで入り口前で立たせた。
先生のズボンの前チャックが開いていることを教えただけでビンタ・・・。
今では考えられない。
女性の年配担任が西武ライオンズのキャップをかぶってきた女の子に向かって「女の子がそんな野球帽をかぶってきたら駄目だ」などと禁止にもした。
そんな私も教室前の廊下で野球ごっこをしていて教室入り口のガラスを割り、ビンタをされた一人である。
令和の時代には「セピア色のフィルム」を見ているような記憶だが、何となくこの時代は世の中に活気と元気で溢れていた。
当時は情報発信の手段は携帯電話やネットなどはないから固定電話や手紙である。
日常の事実を知る手段が限定的だったことで「みんな、そんなもんだろう」という漠然とした暮らしだったのであろう。
大型スーパー、コンビニ、ショッピングモール、そんなものはない。
小型のスーパーはあったが商店街と共存共栄できていてみんな顔見知りだった。
悪い事をすると近所の人が叱ってくれて、泣いている子供がいると見知らぬ大人が声をかけて心配してくれた。
今では迷惑おじさん、変質者扱いをされるのかもしれないが、当時は助け合いと言われ、そんな社会がそこに確かにあったのだ。
体罰なんてありえない、それでも先生は子供に対して本気で向き合っていたような、自信を持って接していたような印象だ。
現代の価値と比較すると当時の教育のありようを肯定はしないが、なぜだろう、感謝をしている。
情報を広げる手段が増え、情報を手にする機会も増え、24時間開いているコンビニで便利になり、遠くへの移動も早くなりあらゆる物事が進歩した。
半世紀近く生きてきて思う。
「昔は良かった」などいうつもりはないのだが、便利と豊かさを手に入れた代償はたくさんある気がしている。
怒鳴る、ビンタなんて当たり前である。
田舎だったせいなのか誰も声を上げる親はいなかったように感じるが、どちらかというと「先生様」のような存在だ。
学校でなにをされても「先生の言う通りにしなさい」という風潮があった。
職業としての先生の価値観が当時と今ではだいぶ違いがあるように思える。
ある日の授業中、とある女の子が「おもらし」をしてしまう。
この子は小学を卒業するまで誰とも話をしているのを見たこともないような、無口で人と交わらなかった。
私は「第二次ベビーブーム」のピークの生まれだったので、田舎でも学校の生徒はかなり多く目立たない子供はたくさんいたし、話をしたことがない子供の方が多かった。
目立ちたくない人には生きやすい時代だったと思う。
おもらしをした女の子をクラスの悪ガキが授業中に大きな声で「先生、おもらししてるよ~」などと笑いものにしようとした。
先生は悪ガキに近寄り「往復ビンタ」を炸裂させ、その後、教室の外に出し授業が終わるまで入り口前で立たせた。
先生のズボンの前チャックが開いていることを教えただけでビンタ・・・。
今では考えられない。
女性の年配担任が西武ライオンズのキャップをかぶってきた女の子に向かって「女の子がそんな野球帽をかぶってきたら駄目だ」などと禁止にもした。
そんな私も教室前の廊下で野球ごっこをしていて教室入り口のガラスを割り、ビンタをされた一人である。
令和の時代には「セピア色のフィルム」を見ているような記憶だが、何となくこの時代は世の中に活気と元気で溢れていた。
当時は情報発信の手段は携帯電話やネットなどはないから固定電話や手紙である。
日常の事実を知る手段が限定的だったことで「みんな、そんなもんだろう」という漠然とした暮らしだったのであろう。
大型スーパー、コンビニ、ショッピングモール、そんなものはない。
小型のスーパーはあったが商店街と共存共栄できていてみんな顔見知りだった。
悪い事をすると近所の人が叱ってくれて、泣いている子供がいると見知らぬ大人が声をかけて心配してくれた。
今では迷惑おじさん、変質者扱いをされるのかもしれないが、当時は助け合いと言われ、そんな社会がそこに確かにあったのだ。
体罰なんてありえない、それでも先生は子供に対して本気で向き合っていたような、自信を持って接していたような印象だ。
現代の価値と比較すると当時の教育のありようを肯定はしないが、なぜだろう、感謝をしている。
情報を広げる手段が増え、情報を手にする機会も増え、24時間開いているコンビニで便利になり、遠くへの移動も早くなりあらゆる物事が進歩した。
半世紀近く生きてきて思う。
「昔は良かった」などいうつもりはないのだが、便利と豊かさを手に入れた代償はたくさんある気がしている。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説


クルマについてのエトセトラⅡ
詩川貴彦
エッセイ・ノンフィクション
また始まるよ!!
しつこいようですがまた書いていきたいと思います。
理由は?
理由はお金も体力も嗜好品も趣味もなくて、暇だけはあって、要するに貧乏で暇だからです(泣)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる