6 / 19
入学
しおりを挟む
幼少期をさほどの経験のないまま、小学生になる。
入学式のことは全く記憶にはないのだが、強烈に脳裏に焼き付いているのは自転車である。
私には祖父母がいたのだが、入学祝いで自転車をプレゼントしてくれたのだ。
自転車のハンドルステム(ハンドル部分の中心)にウルトラマンの顔が乗っていて、顔の後ろの蓋を開けると映像が流れる仕組みだったと記憶している。
映像といっても現在のようにデジタルなものではなく、フィルムがスライドするような仕掛けだった。
ハンドルに赤いボタンがついていて、そのボタンを押すとウルトラマンの目が光る仕掛けもあった。
嬉しかった。
おそらく、それまで生きてきた中で一番嬉しかった。
だからこそ、入学式や初登校というイベントすら記憶に残っていないのだろう。
家には三輪車すらなかったので、自分の乗り物を手にすること自体が初めての体験である。
自転車には補助輪がついていて、初めて乗る私でも転ぶことはない。
学校から帰ってくると近くの比較的広い場所で、夜が訪れるまで自転車で遊んだ。
おもちゃや遊ぶものがない家から劇的に楽しい家に変わった瞬間であった。
小学生になった私は姉と登校していた。
ある日のこと、登校中に姉が「車の黄色いナンバーを3つ見かけるといいことがある」などということを話してくれた。
私は正直いって「何言ってんの?」と思ったのだが、姉は早速、「ねえ、あそこに黄色いナンバーの車があるよ」と狭い路地先の家に駐車してある、車らしきものに指をさしている。
ぼんやりしてはいるが確かに黄色いナンバーらしきものが私にも見える。
姉は、ナンバーの数字が「77(仮)」だね・・・といっている。
しかし私にはその番号どころか黄色いナンバープレートすらぼやけて見える。
つまり視力が悪いのだと後々気付くことになる。
学校で勉強していても黒板に書いてある字が見えない。
常に景色がぼやけていたわけだから記憶もぼやけている。
私が眼鏡を購入してもらったのは中学2年生のころである。
それまでの間、はっきりと物体が見ない中で生活していった。
黒板の文字が見えない、これは勉強をしていくには大きなハンディキャップになることは言うまでもない。
大人になってわかるのだが、視力が悪い子供は少し集中力にかける場合があるようだ。
そんな中で勉強と生活をしていても学校という場所は、通信簿という成績表を手渡してくる。
私は初めての通信簿をもらい、学校の帰りにそのまま一直線でお世話になった保育園に向かった。
最近まで面倒を見てくれた先生方に通信簿を自慢したのだ。
先生方は終始ニコニコしてくれて、小学生になった自分が少しだけ誇らしかった。
自宅に帰り母親に通信簿を手渡し、保育園にも見せに行ったことを報告する。
母親は激怒した。
理由はすべての教科が最低の成績だったのである。
当時の成績はA、B、Cだったがオール「C」という結果だ。
目が悪いということもあるのだろう、しかし小学生になるまで親から教育という類のことを受けたことがないこともあったのかもしれない。
また、自宅周辺に公園がなく、公園に遊びに行くといった体を動かすことも保育園以外ではしてこなかったことで体育ですらCである。
視力の悪い私は勉強という行為を、学生時代にほとんどすることができないことになる。
入学式のことは全く記憶にはないのだが、強烈に脳裏に焼き付いているのは自転車である。
私には祖父母がいたのだが、入学祝いで自転車をプレゼントしてくれたのだ。
自転車のハンドルステム(ハンドル部分の中心)にウルトラマンの顔が乗っていて、顔の後ろの蓋を開けると映像が流れる仕組みだったと記憶している。
映像といっても現在のようにデジタルなものではなく、フィルムがスライドするような仕掛けだった。
ハンドルに赤いボタンがついていて、そのボタンを押すとウルトラマンの目が光る仕掛けもあった。
嬉しかった。
おそらく、それまで生きてきた中で一番嬉しかった。
だからこそ、入学式や初登校というイベントすら記憶に残っていないのだろう。
家には三輪車すらなかったので、自分の乗り物を手にすること自体が初めての体験である。
自転車には補助輪がついていて、初めて乗る私でも転ぶことはない。
学校から帰ってくると近くの比較的広い場所で、夜が訪れるまで自転車で遊んだ。
おもちゃや遊ぶものがない家から劇的に楽しい家に変わった瞬間であった。
小学生になった私は姉と登校していた。
ある日のこと、登校中に姉が「車の黄色いナンバーを3つ見かけるといいことがある」などということを話してくれた。
私は正直いって「何言ってんの?」と思ったのだが、姉は早速、「ねえ、あそこに黄色いナンバーの車があるよ」と狭い路地先の家に駐車してある、車らしきものに指をさしている。
ぼんやりしてはいるが確かに黄色いナンバーらしきものが私にも見える。
姉は、ナンバーの数字が「77(仮)」だね・・・といっている。
しかし私にはその番号どころか黄色いナンバープレートすらぼやけて見える。
つまり視力が悪いのだと後々気付くことになる。
学校で勉強していても黒板に書いてある字が見えない。
常に景色がぼやけていたわけだから記憶もぼやけている。
私が眼鏡を購入してもらったのは中学2年生のころである。
それまでの間、はっきりと物体が見ない中で生活していった。
黒板の文字が見えない、これは勉強をしていくには大きなハンディキャップになることは言うまでもない。
大人になってわかるのだが、視力が悪い子供は少し集中力にかける場合があるようだ。
そんな中で勉強と生活をしていても学校という場所は、通信簿という成績表を手渡してくる。
私は初めての通信簿をもらい、学校の帰りにそのまま一直線でお世話になった保育園に向かった。
最近まで面倒を見てくれた先生方に通信簿を自慢したのだ。
先生方は終始ニコニコしてくれて、小学生になった自分が少しだけ誇らしかった。
自宅に帰り母親に通信簿を手渡し、保育園にも見せに行ったことを報告する。
母親は激怒した。
理由はすべての教科が最低の成績だったのである。
当時の成績はA、B、Cだったがオール「C」という結果だ。
目が悪いということもあるのだろう、しかし小学生になるまで親から教育という類のことを受けたことがないこともあったのかもしれない。
また、自宅周辺に公園がなく、公園に遊びに行くといった体を動かすことも保育園以外ではしてこなかったことで体育ですらCである。
視力の悪い私は勉強という行為を、学生時代にほとんどすることができないことになる。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説


クルマについてのエトセトラⅡ
詩川貴彦
エッセイ・ノンフィクション
また始まるよ!!
しつこいようですがまた書いていきたいと思います。
理由は?
理由はお金も体力も嗜好品も趣味もなくて、暇だけはあって、要するに貧乏で暇だからです(泣)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる