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八章 王二人
茶会への誘い
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「義父上、いい加減に観念してもらいますよ。ここが年貢の納め時です。大人しく筑前国の国主になってください!」
「婿殿、何をそう怒っておるのだ。儂が一体何をした」
永禄二年 (一五五九年)八月、俺はもう一人の義父となる細川玄蕃頭家当主 細川 国慶殿を撫養城へと呼び出し、国主に任命する。長らく胸の奥にあったつかえが取れた瞬間と言って良いだろう。
「私が何も知らないと思ったら大間違いですよ! 大和国で興福寺相手にずっと争っていたでしょう」
「い、いや、それは……本願寺との付き合いもあるからな。そ、そうだ、婿殿と一向衆との関係を良好とするためにも、儂が大和国で励まねばならなかったという訳だ。大和国の金剛砂を婿殿が買えたのも、儂の働きがあってこそぞ」
「大和国の一向衆への協力なら、物資の支援で事足りた筈です。何も義父上が直接兵を率いる必要はありません! 一〇年以上前に私が『石にかじりついてでも生き残ってください』と言ったのを忘れたのですか!」
大和国と言えば、南都と呼ばれる興福寺と大仏で有名な東大寺が思い浮かぶ。特に興福寺は大和国内で存在感が大きく、守護を担っている程だ。武家の影響力が限定的な地と言えるだろう。
そんな国に果敢に進出する勢力がいた。一向衆である。
享禄五年 (一五三二年)、一向一揆との戦いで三好 長慶の父 三好 元長は討ち死にをしたが、これで一揆が解散した訳ではなかった。何とこの一揆は扇動され、大和国の興福寺やその衆徒 (大和国豪族)にも攻め掛かったのだ。
一向門徒の敵に鉄槌を下さんと。
この事実から、大和国にも一向門徒が数多くいるのが分かる。
その一大拠点とも言えるのが願行寺のある南部の吉野地方であろう。この地域から北に勢力拡大を目指していたが、大和国門徒は興福寺に度重なる厳しい取り締まりを受けていた。
そんな大和国門徒からすれば、一揆の流入はまさに渡りに船である。これまでの恨みを晴らさんと合流して興福寺の施設を数多く焼き、略奪の限りを尽くした。猿沢池の鯉や春日大社の鹿まで食い尽くしたというのだから、バッタの大群と何ら変わりない。
最終的には興福寺とその衆徒の反撃によって大敗し、一揆は鎮圧されるのだが、これで興福寺と大和国門徒の争いが終わる筈がない。より泥沼化していくのは必然であった。
この泥沼の争いに加担していたのが義父上である。本部の本願寺が門跡認定されるべく朝廷工作を行っているのはどこ吹く風。現場には現場の事情がある。大人しくなどしていられないと言いだけだ。
とは言え、その恩恵として金剛砂が簡単に手に入ったのは紛れもない事実でもある。金剛砂は大和国中和地方で産出され、その地域には一向衆の拠点があるのだ。義父上の奮闘が興福寺や衆徒から大和国門徒を守ったのは間違いない。この点には俺も感謝している。
ただ、直接兵を率いて地方の小競り合いにまで参戦する必要は無い。
元高級官僚の義父上が戦いに身を投じるようになったのは、あくまで高国派対晴元派の中央政治を巡る争いによるものだ。それが曲がりなりにも、江口の戦いで晴元派を京から追い出す事に成功したのだから、本来は領地で大人しくするべきであろう。
俺と三好 長慶との戦いに備えて。
これでは何のために京に近い大和国宇智郡を任せたか分からない。こうも派手に動かれると悪目立ちして、三好 長慶の息子である畠山 義長に目を付けられてしまう。ただでさえ尾州畠山家は昨年から大和国への侵攻を開始しているのだから、いつ攻め込まれてもおかしくない状況だ。
また尾州畠山家重臣の遊佐 実休が、筋金入りの日蓮宗信者というのもある。日蓮宗と一向衆は因縁浅からぬ仲だ。そうなれば、大和国門徒の協力者である義父上を見過ごす筈がないというのは俺でも分かる。
要するに今回の国替えは、義父上の火遊びを止めさせるのと同時に、尾州畠山家の重要人物二人から身を守るための措置でもあった。
「……分かっておる。分かっておるから、怒りを鎮めてくれ。それでだな、仮に、仮にとして、我等が筑前国に赴いたら宇智郡の領地はどうなるのだ? 誰かが治める手筈になっておるのか?」
「いえ、宇智郡は飛び地となっているので放棄します。紀伊国の隣ですが、雑賀からは距離がありますので。木沢 相政に任せても守り切れないでしょうし」
「何と勿体無い」
「後、仮にではありません。義父上の筑前国国主就任は決定事項です」
「……」
「義父上、ご存じと思いますが、私は来年にも京兆家の当主になる身です。それに、細川玄蕃頭家の次期当主として義父上が養子に迎えた細川 益氏様のお子が来年にも元服致します。ここまで聞けば、国主就任を断れないのが分かるでしょう」
「いや、それでは畿内から遠のいてしまう……」
「義父上、遠州細川家当主でもある私にとって、分家の細川玄蕃頭家は何より大事な存在です。ですので、これを機に力を持ってもらいます。ならば細川玄蕃頭家が博多を押さえる。これ以外の選択があるとお思いですか?」
「婿殿はそこまで考えておってくれたのか」
「対馬国には駿河守家に入ってもらいました。また淡路国の占領が叶った時には、典厩家に入ってもらう予定です。こうして交易の点を細川で固めてしまえば、そう簡単に一族の没落とはならないでしょう。畿内への影響力は、この交易の力を背景にして持てば良いという考えです」
更には薩摩斯波家や肥前渋川家、周防仁木家の存在もある。これに土佐も加えた薩長土肥による海外交易の寡占があれば、対抗勢力が出てくるのは最早不可能と言わざるを得ない。堺など恐れるに足らずだ。
今でこそ唯一三好宗家という抜きん出た勢力があるものの、それは俺達が潰す。そうすれば、細川一族の力は細川 政元が管領だった頃と同等かそれ以上となるのは確実だ。
この構想は細川 氏綱殿が思い描く一族の再興とは違う形になっているとは思うが、畿内情勢に振り回される事無く力を維持できる利点がある。中央政治との関わりは、細川一族の利益を代弁してくれる者を何名か支援するくらいで丁度良い。現代でいう所の圧力団体である。
こうした考えもあり、俺は足利 義栄に中央を丸投げ……いや、任せようとしていた。
「婿殿らしい考え方よの」
「人には向き不向きがありますからね。最低限私は畿内での活動には向いていません。それに長けている者を支援して利益を引き出すのが、我等にとって最も効率が良いと考えています」
「労多くして功少なし」「触らぬ神に祟りなし」「餅は餅屋」等々、幾つかの諺が頭を過り消えていく。
結論として言えるのは、面倒事には関わりたくない。ただそれだけであった。
「致し方あるまい。一族の立て直しに儂の力が必要というのであれば、婿殿の案に乗らぬ訳にはいかぬか。養子が一人前になるまでは筑前国で大人しくしていよう」
「そうは言っても、焼け落ちた博多の町の復興や年行司 (博多の運営組織)との付き合いがありますよ。これまでのような自治を認めないという立場で交渉してもらわないといけませんので、大変かと思われます」
「その辺は何とかなろう。任せておけ」
「さすがは義父上。私の判断は間違ってませんでした。博多が日の本一の町に発展するのを楽しみにしております」
「そうだ。儂も婿殿に用があったのをすっかり忘れていた。まずはこの書状を読んでくれぬか?」
「差出人が誰かは分かりませんが……単なる茶会への誘いですね。これがどうかしましたか?」
「大事なのはこの書状の差出人となる。名は遊佐 実休。これまで何度か誘ったそうだが、良い返事をしなかったらしいの。故に儂にどうしても連れて来て欲しいと言われた。正式に国主を受けるかどうかは、婿殿の返事で決めよう」
「義父上! 貴方という方は!! あれだけ派手に暴れていて尾州畠山家に目を付けられなかった理由が、今分かりましたよ!」
「婿殿、そう褒めるでない」
「褒めてませんよ!」
「例え敵対する相手であっても、最後まで交渉の余地を残しておく。これが神髄であるぞ」
「腐っても鯛」とはよく言ったものだ。今はゲリラ屋となってしまった義父上の手腕はまだ衰えていない。素直にそう感じた。
この行動の意味は、当家と三好宗家の争いが長期化、もしくは泥沼化しても大丈夫なように事前に交渉の窓口を作っておくというものだ。戦というのは始めるのは簡単だが、終わらせるのは意外と難しい。長期化するとそれはより顕著となる。
それを分かっているからこそ、先回りをしていた。これは誰もが思い付く事ではない。元高級官僚の義父上だからこそできる発想だ。
これだからこの時代の傑物は恐ろしい。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
一五日後、俺は大和国宇智郡のとある寺へと足を運んでいた。尾州畠山領国の河内国でもなく、当家の勢力圏内から近く放棄される地。密会場所としてはこれ以上ない。
この地には初めてやって来たのだが、紀伊国からも近く、大和国の中心部にも近く、河内国からも近い交通の要衝とも言える場所だけに、火遊びをするには都合が良かったのだと分かる。義父上が「勿体無い」と言った理由がすぐに理解できた。
そんな開けた地であっても、人通りの少ない寂れた寺というのはやはりある。待っていた案内役の先導によって建物内へと入り、目的の部屋に到着すると三人の男が俺を待ち構えていた。
「お初にお目に掛かります。細川 国虎です。どうぞ気軽に国虎と呼んでください。そして隣が護衛の大野 直昌となります」
「こういう時、噂は当てにならないものだと実感しますな。巷では悪鬼羅刹のように語られる細川殿が、単に背が高いだけだと知って肩透かしを食らった気分です。申し遅れました。遊佐 実休と申します。此度は足を運んで頂き、感謝しております」
「……赤沢 宗伝だ。豪傑と名高い細川殿とは一度手合わせしたいと思っていただけに、少々驚いておる」
「婿殿、どうだこの茶室は。中々のものであろう」
「義父上、何ですかこの設備の充実した茶室は。寺の外観からかけ離れ過ぎているではないですか」
またしても義父上にしてやられたような気分となる。寺自体は良く言えば歴史と伝統のある造り。悪く言えばおんぼろである。一体築何年を経過しているのか分からない程だ。
だというのに、この茶室は違和感だらけとしか言いようがない。柱こそ年季が入っているものの、壁材や敷き詰められた畳は年数を経ておらずまだ綺麗な状態だ。明らかに密会専用に作らせた部屋だと分かる。何をしているんだこの人は。
「いや、それは良いか。それよりも義父上の顔を立ててこの場にやって来たのですが、まだ私は本題を聞いておりません。まさかとは思いますが、本気で茶会のためだけに私を呼んだ訳ではないですよね?」
その上何だろうか。この緩んだ空気は。
当家は既に三好宗家や尾州畠山家に対して宣戦布告をしている。ならば俺と遊佐 実休は敵同士だ。本来ならピリピリとした張り詰めた雰囲気となり、ちょっとした行き違いでいつ刃傷沙汰に発展するか分からない。
だというのに、この場はそれとは全く無縁であった。まるで懐かしの友人と再会したかのような印象を抱く。……もしかしたら阿波国から追い出した小少将の件を、今も感謝しているのだろうか?
遊佐 実休は小少将との間に子を得ている。それも男子二人だ。これが俺に対する良い感情の理由だとすれば、今回の茶会は切った張ったの交渉にはならないのではないかと考えてしまった。
なら目的は一体何なのか? そんな答えの分からない気持ち悪さが表に出て、俺はついつい場の空気を乱すような態度を取ってしまった。
「婿殿、そうせっかちにならずとも良いではないか」
「玄蕃殿、国虎殿が警戒するのも当然かと。何せ儂は三好 長慶の弟ですからな。ゆるりとするのは、話がひと段落してからで良いでしょう」
ただ、そんな態度の悪さがあっても、雰囲気は何も変わらない。むしろ俺へ配慮するかのように話が進んで行く。こうした懐の大きさが、やり手の手腕だと実感をさせる。
三好 長慶と同じく、その弟も一廉の人物なのは間違いない。
「確かに。遊佐殿がそう仰るなら、話を進めましょう」
「では国虎殿、お聞きくだされ。此度宇智郡に招待をしたのは、河内遊佐家が遠州細川家に敵対せぬ事を伝えるためです。お味方はできませぬが、三好宗家との争いに於いては中立を約束致します」
「お待ちくださ……失礼しました。宜しければその理由をお聞かせ頂けますでしょうか?」
「我等阿波衆の悲願のため……では余計混乱させてしまいそうですね。足利 義栄様に是非とも公方になって頂きたい。これが中立を約束する理由となります」
「三好宗家が足利 義輝様と和睦をしたのを理解した上での発言と捉えて良いですか? 今回の和睦は先の和睦と違い、手切れにはならないと考えてます」
「はい。それを分かった上です。実は……」
ここから意外な事実が知らされる。三好宗家は、長く足利 義維を公方に就任させようと水面下で活動を続けていた。それも江口の戦いが終わり、京を実効支配してからその活動は始まっている。阿波出身者を中心として。
だが三好宗家は、続く晴元派との戦いや拡大した領地を治めるので忙しい。そのためこの活動自体は、片手間であったそうだ。
加えて、三好 元長の死の際に足利 義維は家臣を数多く亡くしている。これでは幕府を設立しようにも圧倒的に人材が足りない。
それもあって、一度目の足利 義輝との和睦は黙認した。どの道和睦状態は長くは続かないと考えていたのも大きい。
しかしながら、永禄元年 (一五五八年)の二度目の和睦の際には状況は変わっていたのだ。幕府政所執事 伊勢 貞孝の協力も取り付け、幕府運営の基礎も整いつつあった。言ってしまえば、足利 義輝が亡き者となっていれば見切り発車的に始めるのは可能だったそうだ。
だからこそ現状が悔しくてならない。もう少し河内遊佐家に力があれば、近江六角家を倒す力を持っていれば、今頃足利 義維が公方に就任していたのではないかと考える日が多いという。
勿論兄三好 長慶の現実路線は否定するつもりはない。ただ賛成もしないそうだ。求めるのはあくまでも足利 義維の公方就任。もしくはその子の公方就任となる。
そこで俺の存在に目が向く。正確には当家の阿波北部侵攻で、足利 義栄が兵を率いた頃から注目はしていたらしい。篠原 長房殿程の大胆な行動はできなかったものの、足利 義栄の活躍を聞いて何度も涙したという。ここまで立派になるとは思いもしなかったと。
その後の備後国国主就任、鞆の浦幕府の設立、足利 義維の追放と続き、遊佐 実休の中では次の公方はもう足利 義栄以外いないと確信しているという。それも足利 義輝を倒す武勇を引っさげての堂々たる上洛が数年後には起こるそうだ。
ここまで来ると妄想が入り過ぎだと感じてしまうが、要はそれだけ足利 義栄を評価しているという意味なのだろう。
そこで足利 義栄の上洛を助けるために様々な手を尽くしたいが、如何せん兄の三好 長慶や甥の畠山 義長を裏切る訳にはいかない。その板挟みの中で出した結論が、当家に敵対しないという中立の立場であった。この気持ちをどうしても俺に伝えたかったのが、今回の茶会の真意となる。
……まさかこんな所に足利 義維・義栄親子の信奉者がいるとは思わなかった。世の中は広いと改めて実感する。
「ようやく全ての謎が解けました。先程の非礼をお詫び致します。どうやら足利 義維様が京から追放となった事実によって、私自身の視野が狭くなっていたようです。遊佐殿がここまで足利 義維様を大事に思っていたとは。知らなかったとは言え、大変失礼しました」
「いや、我等も足利 義維様の追放を止められなかったのですから、その罪は背負わなければならないと感じています。だからこそ、国虎殿には三好宗家・尾州畠山家との争いの前にどうしても伝えたかったのです。本来であれば我等が足利 義栄様の上洛を全面的に支援する所を。不甲斐ない限りです」
「そのお気持ちだけで充分です。本日の件は足利 義栄様に内密にお伝えしておきます」
「かたじけない」
今分かった。何故遊佐 実休は河内遊佐家に養子入りしたのかが。
阿波三好家のままでは畿内での活動ができない。かと言って三好宗家の中では、畿内での活動はできるが行動に制限を受ける。畿内での独自の活動という二つの要件を満たすため、河内遊佐家を選んだのだろう。三好 長慶の嫡男を尾州畠山家の養子にねじ込んだのも、より自由に活動するためだと見て良い。
ここまで来ると、執念と言うしかないな。……いや、父親の三好 元長も、足利 義維の公方就任のために細川 晴元を敵に回した人物だった。
そういう意味では、遊佐 実休は間違いなく三好 元長の息子だと分かる。
現実路線を選択できる兄の三好 長慶の方が異常だと評価するのが正しい。
「なら、遊佐殿にはこれをお伝えしておいた方が良いでしょう。足利 義維様は備後国で元気に暮らしております。今では隠居され、のんびりした生活を送っているそうですよ。ご安心ください」
「誠ですか。それは何よりです。足利 義維様の安否はずっと気にしておりましたので、安心致しました」
どんなに仲が良くても兄と弟はそれぞれが別の人間だ。考え方も違って当然だろう。現実が見えてバランスの取れた判断のできる兄と、どこまでも理想の実現に向けて行動する弟。どちらが悪いという訳ではない。どちらもが正しいと言える。
そうなると、細川 氏之が殺された勝瑞事件は起こるべくして起きた事件だというのもまた分かる。全ては足利 義維のために。親子揃って直接の主君よりも足利 義維を優先した。ただそれだけの事であったのだろう。
だからこそ俺は、この場で勝瑞事件を蒸し返したりしない。問題とするかどうかを考えるのは、遊佐 実休が足利 義栄の下で働きたいと言い出した時で良いという考えだ。
現状の遊佐 実休は敵でもなければ、味方でもない。あくまでも中立という立場なのだから。
こうして立場の明確となった俺達は、本当の意味での茶会に突入してしまう。義父上からは道具の自慢話が。遊佐 実休からは小少将へののろけが。赤沢 宗伝からは武勇自慢が。
本題よりも、むしろひたすら愛想笑いを振りまかなければならないこの時間の方が苦痛だったのは内緒である。
……もう二度と誘われても茶会には出ない。
「婿殿、何をそう怒っておるのだ。儂が一体何をした」
永禄二年 (一五五九年)八月、俺はもう一人の義父となる細川玄蕃頭家当主 細川 国慶殿を撫養城へと呼び出し、国主に任命する。長らく胸の奥にあったつかえが取れた瞬間と言って良いだろう。
「私が何も知らないと思ったら大間違いですよ! 大和国で興福寺相手にずっと争っていたでしょう」
「い、いや、それは……本願寺との付き合いもあるからな。そ、そうだ、婿殿と一向衆との関係を良好とするためにも、儂が大和国で励まねばならなかったという訳だ。大和国の金剛砂を婿殿が買えたのも、儂の働きがあってこそぞ」
「大和国の一向衆への協力なら、物資の支援で事足りた筈です。何も義父上が直接兵を率いる必要はありません! 一〇年以上前に私が『石にかじりついてでも生き残ってください』と言ったのを忘れたのですか!」
大和国と言えば、南都と呼ばれる興福寺と大仏で有名な東大寺が思い浮かぶ。特に興福寺は大和国内で存在感が大きく、守護を担っている程だ。武家の影響力が限定的な地と言えるだろう。
そんな国に果敢に進出する勢力がいた。一向衆である。
享禄五年 (一五三二年)、一向一揆との戦いで三好 長慶の父 三好 元長は討ち死にをしたが、これで一揆が解散した訳ではなかった。何とこの一揆は扇動され、大和国の興福寺やその衆徒 (大和国豪族)にも攻め掛かったのだ。
一向門徒の敵に鉄槌を下さんと。
この事実から、大和国にも一向門徒が数多くいるのが分かる。
その一大拠点とも言えるのが願行寺のある南部の吉野地方であろう。この地域から北に勢力拡大を目指していたが、大和国門徒は興福寺に度重なる厳しい取り締まりを受けていた。
そんな大和国門徒からすれば、一揆の流入はまさに渡りに船である。これまでの恨みを晴らさんと合流して興福寺の施設を数多く焼き、略奪の限りを尽くした。猿沢池の鯉や春日大社の鹿まで食い尽くしたというのだから、バッタの大群と何ら変わりない。
最終的には興福寺とその衆徒の反撃によって大敗し、一揆は鎮圧されるのだが、これで興福寺と大和国門徒の争いが終わる筈がない。より泥沼化していくのは必然であった。
この泥沼の争いに加担していたのが義父上である。本部の本願寺が門跡認定されるべく朝廷工作を行っているのはどこ吹く風。現場には現場の事情がある。大人しくなどしていられないと言いだけだ。
とは言え、その恩恵として金剛砂が簡単に手に入ったのは紛れもない事実でもある。金剛砂は大和国中和地方で産出され、その地域には一向衆の拠点があるのだ。義父上の奮闘が興福寺や衆徒から大和国門徒を守ったのは間違いない。この点には俺も感謝している。
ただ、直接兵を率いて地方の小競り合いにまで参戦する必要は無い。
元高級官僚の義父上が戦いに身を投じるようになったのは、あくまで高国派対晴元派の中央政治を巡る争いによるものだ。それが曲がりなりにも、江口の戦いで晴元派を京から追い出す事に成功したのだから、本来は領地で大人しくするべきであろう。
俺と三好 長慶との戦いに備えて。
これでは何のために京に近い大和国宇智郡を任せたか分からない。こうも派手に動かれると悪目立ちして、三好 長慶の息子である畠山 義長に目を付けられてしまう。ただでさえ尾州畠山家は昨年から大和国への侵攻を開始しているのだから、いつ攻め込まれてもおかしくない状況だ。
また尾州畠山家重臣の遊佐 実休が、筋金入りの日蓮宗信者というのもある。日蓮宗と一向衆は因縁浅からぬ仲だ。そうなれば、大和国門徒の協力者である義父上を見過ごす筈がないというのは俺でも分かる。
要するに今回の国替えは、義父上の火遊びを止めさせるのと同時に、尾州畠山家の重要人物二人から身を守るための措置でもあった。
「……分かっておる。分かっておるから、怒りを鎮めてくれ。それでだな、仮に、仮にとして、我等が筑前国に赴いたら宇智郡の領地はどうなるのだ? 誰かが治める手筈になっておるのか?」
「いえ、宇智郡は飛び地となっているので放棄します。紀伊国の隣ですが、雑賀からは距離がありますので。木沢 相政に任せても守り切れないでしょうし」
「何と勿体無い」
「後、仮にではありません。義父上の筑前国国主就任は決定事項です」
「……」
「義父上、ご存じと思いますが、私は来年にも京兆家の当主になる身です。それに、細川玄蕃頭家の次期当主として義父上が養子に迎えた細川 益氏様のお子が来年にも元服致します。ここまで聞けば、国主就任を断れないのが分かるでしょう」
「いや、それでは畿内から遠のいてしまう……」
「義父上、遠州細川家当主でもある私にとって、分家の細川玄蕃頭家は何より大事な存在です。ですので、これを機に力を持ってもらいます。ならば細川玄蕃頭家が博多を押さえる。これ以外の選択があるとお思いですか?」
「婿殿はそこまで考えておってくれたのか」
「対馬国には駿河守家に入ってもらいました。また淡路国の占領が叶った時には、典厩家に入ってもらう予定です。こうして交易の点を細川で固めてしまえば、そう簡単に一族の没落とはならないでしょう。畿内への影響力は、この交易の力を背景にして持てば良いという考えです」
更には薩摩斯波家や肥前渋川家、周防仁木家の存在もある。これに土佐も加えた薩長土肥による海外交易の寡占があれば、対抗勢力が出てくるのは最早不可能と言わざるを得ない。堺など恐れるに足らずだ。
今でこそ唯一三好宗家という抜きん出た勢力があるものの、それは俺達が潰す。そうすれば、細川一族の力は細川 政元が管領だった頃と同等かそれ以上となるのは確実だ。
この構想は細川 氏綱殿が思い描く一族の再興とは違う形になっているとは思うが、畿内情勢に振り回される事無く力を維持できる利点がある。中央政治との関わりは、細川一族の利益を代弁してくれる者を何名か支援するくらいで丁度良い。現代でいう所の圧力団体である。
こうした考えもあり、俺は足利 義栄に中央を丸投げ……いや、任せようとしていた。
「婿殿らしい考え方よの」
「人には向き不向きがありますからね。最低限私は畿内での活動には向いていません。それに長けている者を支援して利益を引き出すのが、我等にとって最も効率が良いと考えています」
「労多くして功少なし」「触らぬ神に祟りなし」「餅は餅屋」等々、幾つかの諺が頭を過り消えていく。
結論として言えるのは、面倒事には関わりたくない。ただそれだけであった。
「致し方あるまい。一族の立て直しに儂の力が必要というのであれば、婿殿の案に乗らぬ訳にはいかぬか。養子が一人前になるまでは筑前国で大人しくしていよう」
「そうは言っても、焼け落ちた博多の町の復興や年行司 (博多の運営組織)との付き合いがありますよ。これまでのような自治を認めないという立場で交渉してもらわないといけませんので、大変かと思われます」
「その辺は何とかなろう。任せておけ」
「さすがは義父上。私の判断は間違ってませんでした。博多が日の本一の町に発展するのを楽しみにしております」
「そうだ。儂も婿殿に用があったのをすっかり忘れていた。まずはこの書状を読んでくれぬか?」
「差出人が誰かは分かりませんが……単なる茶会への誘いですね。これがどうかしましたか?」
「大事なのはこの書状の差出人となる。名は遊佐 実休。これまで何度か誘ったそうだが、良い返事をしなかったらしいの。故に儂にどうしても連れて来て欲しいと言われた。正式に国主を受けるかどうかは、婿殿の返事で決めよう」
「義父上! 貴方という方は!! あれだけ派手に暴れていて尾州畠山家に目を付けられなかった理由が、今分かりましたよ!」
「婿殿、そう褒めるでない」
「褒めてませんよ!」
「例え敵対する相手であっても、最後まで交渉の余地を残しておく。これが神髄であるぞ」
「腐っても鯛」とはよく言ったものだ。今はゲリラ屋となってしまった義父上の手腕はまだ衰えていない。素直にそう感じた。
この行動の意味は、当家と三好宗家の争いが長期化、もしくは泥沼化しても大丈夫なように事前に交渉の窓口を作っておくというものだ。戦というのは始めるのは簡単だが、終わらせるのは意外と難しい。長期化するとそれはより顕著となる。
それを分かっているからこそ、先回りをしていた。これは誰もが思い付く事ではない。元高級官僚の義父上だからこそできる発想だ。
これだからこの時代の傑物は恐ろしい。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
一五日後、俺は大和国宇智郡のとある寺へと足を運んでいた。尾州畠山領国の河内国でもなく、当家の勢力圏内から近く放棄される地。密会場所としてはこれ以上ない。
この地には初めてやって来たのだが、紀伊国からも近く、大和国の中心部にも近く、河内国からも近い交通の要衝とも言える場所だけに、火遊びをするには都合が良かったのだと分かる。義父上が「勿体無い」と言った理由がすぐに理解できた。
そんな開けた地であっても、人通りの少ない寂れた寺というのはやはりある。待っていた案内役の先導によって建物内へと入り、目的の部屋に到着すると三人の男が俺を待ち構えていた。
「お初にお目に掛かります。細川 国虎です。どうぞ気軽に国虎と呼んでください。そして隣が護衛の大野 直昌となります」
「こういう時、噂は当てにならないものだと実感しますな。巷では悪鬼羅刹のように語られる細川殿が、単に背が高いだけだと知って肩透かしを食らった気分です。申し遅れました。遊佐 実休と申します。此度は足を運んで頂き、感謝しております」
「……赤沢 宗伝だ。豪傑と名高い細川殿とは一度手合わせしたいと思っていただけに、少々驚いておる」
「婿殿、どうだこの茶室は。中々のものであろう」
「義父上、何ですかこの設備の充実した茶室は。寺の外観からかけ離れ過ぎているではないですか」
またしても義父上にしてやられたような気分となる。寺自体は良く言えば歴史と伝統のある造り。悪く言えばおんぼろである。一体築何年を経過しているのか分からない程だ。
だというのに、この茶室は違和感だらけとしか言いようがない。柱こそ年季が入っているものの、壁材や敷き詰められた畳は年数を経ておらずまだ綺麗な状態だ。明らかに密会専用に作らせた部屋だと分かる。何をしているんだこの人は。
「いや、それは良いか。それよりも義父上の顔を立ててこの場にやって来たのですが、まだ私は本題を聞いておりません。まさかとは思いますが、本気で茶会のためだけに私を呼んだ訳ではないですよね?」
その上何だろうか。この緩んだ空気は。
当家は既に三好宗家や尾州畠山家に対して宣戦布告をしている。ならば俺と遊佐 実休は敵同士だ。本来ならピリピリとした張り詰めた雰囲気となり、ちょっとした行き違いでいつ刃傷沙汰に発展するか分からない。
だというのに、この場はそれとは全く無縁であった。まるで懐かしの友人と再会したかのような印象を抱く。……もしかしたら阿波国から追い出した小少将の件を、今も感謝しているのだろうか?
遊佐 実休は小少将との間に子を得ている。それも男子二人だ。これが俺に対する良い感情の理由だとすれば、今回の茶会は切った張ったの交渉にはならないのではないかと考えてしまった。
なら目的は一体何なのか? そんな答えの分からない気持ち悪さが表に出て、俺はついつい場の空気を乱すような態度を取ってしまった。
「婿殿、そうせっかちにならずとも良いではないか」
「玄蕃殿、国虎殿が警戒するのも当然かと。何せ儂は三好 長慶の弟ですからな。ゆるりとするのは、話がひと段落してからで良いでしょう」
ただ、そんな態度の悪さがあっても、雰囲気は何も変わらない。むしろ俺へ配慮するかのように話が進んで行く。こうした懐の大きさが、やり手の手腕だと実感をさせる。
三好 長慶と同じく、その弟も一廉の人物なのは間違いない。
「確かに。遊佐殿がそう仰るなら、話を進めましょう」
「では国虎殿、お聞きくだされ。此度宇智郡に招待をしたのは、河内遊佐家が遠州細川家に敵対せぬ事を伝えるためです。お味方はできませぬが、三好宗家との争いに於いては中立を約束致します」
「お待ちくださ……失礼しました。宜しければその理由をお聞かせ頂けますでしょうか?」
「我等阿波衆の悲願のため……では余計混乱させてしまいそうですね。足利 義栄様に是非とも公方になって頂きたい。これが中立を約束する理由となります」
「三好宗家が足利 義輝様と和睦をしたのを理解した上での発言と捉えて良いですか? 今回の和睦は先の和睦と違い、手切れにはならないと考えてます」
「はい。それを分かった上です。実は……」
ここから意外な事実が知らされる。三好宗家は、長く足利 義維を公方に就任させようと水面下で活動を続けていた。それも江口の戦いが終わり、京を実効支配してからその活動は始まっている。阿波出身者を中心として。
だが三好宗家は、続く晴元派との戦いや拡大した領地を治めるので忙しい。そのためこの活動自体は、片手間であったそうだ。
加えて、三好 元長の死の際に足利 義維は家臣を数多く亡くしている。これでは幕府を設立しようにも圧倒的に人材が足りない。
それもあって、一度目の足利 義輝との和睦は黙認した。どの道和睦状態は長くは続かないと考えていたのも大きい。
しかしながら、永禄元年 (一五五八年)の二度目の和睦の際には状況は変わっていたのだ。幕府政所執事 伊勢 貞孝の協力も取り付け、幕府運営の基礎も整いつつあった。言ってしまえば、足利 義輝が亡き者となっていれば見切り発車的に始めるのは可能だったそうだ。
だからこそ現状が悔しくてならない。もう少し河内遊佐家に力があれば、近江六角家を倒す力を持っていれば、今頃足利 義維が公方に就任していたのではないかと考える日が多いという。
勿論兄三好 長慶の現実路線は否定するつもりはない。ただ賛成もしないそうだ。求めるのはあくまでも足利 義維の公方就任。もしくはその子の公方就任となる。
そこで俺の存在に目が向く。正確には当家の阿波北部侵攻で、足利 義栄が兵を率いた頃から注目はしていたらしい。篠原 長房殿程の大胆な行動はできなかったものの、足利 義栄の活躍を聞いて何度も涙したという。ここまで立派になるとは思いもしなかったと。
その後の備後国国主就任、鞆の浦幕府の設立、足利 義維の追放と続き、遊佐 実休の中では次の公方はもう足利 義栄以外いないと確信しているという。それも足利 義輝を倒す武勇を引っさげての堂々たる上洛が数年後には起こるそうだ。
ここまで来ると妄想が入り過ぎだと感じてしまうが、要はそれだけ足利 義栄を評価しているという意味なのだろう。
そこで足利 義栄の上洛を助けるために様々な手を尽くしたいが、如何せん兄の三好 長慶や甥の畠山 義長を裏切る訳にはいかない。その板挟みの中で出した結論が、当家に敵対しないという中立の立場であった。この気持ちをどうしても俺に伝えたかったのが、今回の茶会の真意となる。
……まさかこんな所に足利 義維・義栄親子の信奉者がいるとは思わなかった。世の中は広いと改めて実感する。
「ようやく全ての謎が解けました。先程の非礼をお詫び致します。どうやら足利 義維様が京から追放となった事実によって、私自身の視野が狭くなっていたようです。遊佐殿がここまで足利 義維様を大事に思っていたとは。知らなかったとは言え、大変失礼しました」
「いや、我等も足利 義維様の追放を止められなかったのですから、その罪は背負わなければならないと感じています。だからこそ、国虎殿には三好宗家・尾州畠山家との争いの前にどうしても伝えたかったのです。本来であれば我等が足利 義栄様の上洛を全面的に支援する所を。不甲斐ない限りです」
「そのお気持ちだけで充分です。本日の件は足利 義栄様に内密にお伝えしておきます」
「かたじけない」
今分かった。何故遊佐 実休は河内遊佐家に養子入りしたのかが。
阿波三好家のままでは畿内での活動ができない。かと言って三好宗家の中では、畿内での活動はできるが行動に制限を受ける。畿内での独自の活動という二つの要件を満たすため、河内遊佐家を選んだのだろう。三好 長慶の嫡男を尾州畠山家の養子にねじ込んだのも、より自由に活動するためだと見て良い。
ここまで来ると、執念と言うしかないな。……いや、父親の三好 元長も、足利 義維の公方就任のために細川 晴元を敵に回した人物だった。
そういう意味では、遊佐 実休は間違いなく三好 元長の息子だと分かる。
現実路線を選択できる兄の三好 長慶の方が異常だと評価するのが正しい。
「なら、遊佐殿にはこれをお伝えしておいた方が良いでしょう。足利 義維様は備後国で元気に暮らしております。今では隠居され、のんびりした生活を送っているそうですよ。ご安心ください」
「誠ですか。それは何よりです。足利 義維様の安否はずっと気にしておりましたので、安心致しました」
どんなに仲が良くても兄と弟はそれぞれが別の人間だ。考え方も違って当然だろう。現実が見えてバランスの取れた判断のできる兄と、どこまでも理想の実現に向けて行動する弟。どちらが悪いという訳ではない。どちらもが正しいと言える。
そうなると、細川 氏之が殺された勝瑞事件は起こるべくして起きた事件だというのもまた分かる。全ては足利 義維のために。親子揃って直接の主君よりも足利 義維を優先した。ただそれだけの事であったのだろう。
だからこそ俺は、この場で勝瑞事件を蒸し返したりしない。問題とするかどうかを考えるのは、遊佐 実休が足利 義栄の下で働きたいと言い出した時で良いという考えだ。
現状の遊佐 実休は敵でもなければ、味方でもない。あくまでも中立という立場なのだから。
こうして立場の明確となった俺達は、本当の意味での茶会に突入してしまう。義父上からは道具の自慢話が。遊佐 実休からは小少将へののろけが。赤沢 宗伝からは武勇自慢が。
本題よりも、むしろひたすら愛想笑いを振りまかなければならないこの時間の方が苦痛だったのは内緒である。
……もう二度と誘われても茶会には出ない。
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