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八章 王二人

閑話:しくじり先生

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 永禄えいろく二年 (一五五九年)六月 撫養むや城内 小寺 孝高おでら よしたか

 ──この程度を謀とは言えない。

 国虎様がよく口にされる言葉である。私が撫養城に出仕するようになって何度も聞いた。その言葉を口にする際は、大抵がご家中の皆様を驚嘆させる考えを披露した時である。

 また国虎様は、自らを今朶思大王だしだいおうと評して憚らない。一代でこれだけの偉業を達成していながら、何ゆえ朶思大王なのか。安芸武田あきたけだ家の武田 元繁たけだ もとしげ殿は安芸国の一部を領していただけだというのに、項羽こううに並び立つと評されていた。

 何かが間違っているとしか言いようがない。いや、間違っているのは、明らかに国虎様の方である。武家は舐められないように、常に自らを強く見せようとするものだ。そういった考えが国虎様には無いのだろう。実際に私もご本人と会って話をするまでは、今朶思大王の名もあって軽く見ていた。

 思えば、この慢心こそが私と国虎様との違いなのだろう。

 何にせよ、この不思議な方にお仕えする今の生活は存外楽しいものだ。つい先日もこのような出来事があった。

「ったく、宇喜多 直家うきた なおいえは何がしたいんだよ。これで後方攪乱になる訳ないだろうに。やるんなら、俺をあっと言わせてくれ」

 元服したとは言え、未だ見習いの私の役目は雑用が殆どである。今は書状の整理に忙殺される時が多い。特に当家は領国が広大な上に数々の事業を行っている関係上、書状の量が他家と比べて膨大となるのは必然と言えよう。そのためか国虎様の執務室は日々整理整頓をしても、翌日には散らかる。

 本日の国虎様は珍しく一枚の書状を真剣に読まれていた。普段ならぞんざいに扱い部屋に散らかす所が、愚痴をこぼしながら指で文机をとんとんと叩く。しかもその中に宇喜多様の名が出てくるとなれば、重要な何かが書かれているに違いない。

 そう考え一言声を掛けた。

「ん? 孝高よしたかか。いやな、西美作みまさかの地で吉良 義安きら よしやす奥平 貞友おくだいらさだともが討ち死にしたと書かれている」

 だが、返ってくる言葉は実に国虎様らしいというか、要領を得ないものである。これがあるから皆様は、こういった時の国虎様とは話をしたがらない。筆頭右筆のたに様ですら関わろうとしないのが常である。

 その分私は学びの機会を得ているのだが、話についていくだけで精一杯なのもまた事実であった。

「国虎様、吉良様が討ち死にされたのは衝撃的な話ですが、先程呟かれた際に出された名は宇喜多様です。この二つにどういった関係性が……はっ、もしや、宇喜多様が裏切って西美作へ侵攻し、吉良様を討ち取ったのですか?」

「違う違う。吉良 義安に任せていた西美作で起きたのは一揆だ。主導したのは……多分、美作三浦みうら家の残党だろうな。旧領回復のために動いたと見るのが妥当な所だ」

 美作三浦家というのは高田たかだ城を本拠として、かつて西美作に勢力を築いていた豪族である。出雲尼子いずもあまご家にその本拠を奪われ、美作三浦家当主は人質にされていた。

 かの地は現在当家が領しているのだが、吉良様が討ち死にされたとなれば、此度美作三浦家の残党が高田城の奪還に成功したのであろう。ここまでは何とか理解できた。

「国虎様、話が増々宇喜多様から遠ざかっておりますが」

「悪い。もう少し我慢して聞いてくれ。出雲尼子いずもあまご家が滅んだ……というと厳密には語弊があるが、そういう捉え方をして欲しい。それでだ、再仕官できていない残党が中国地方にはごろごろいる訳だ。何せ元は八カ国守護の家だからな。周辺国や大新宮が吸収した所で、全員の再仕官が叶う筈がない」

「それが美作三浦家の残党と組んで一揆を起こしたのですね」

「そうだ。ただ孝高も知っての通り、武器も自前で手弁当の一揆では組織的な行動はできない。領主が出払っていない限りはな。そうなると領主を討ち取るような大規模な一揆を成立させるには、大抵は裏に支援者がいる。それが宇喜多 直家だ」

 ようやく繋がった。つまりは宇喜多様が西美作に侵攻した訳ではなく、西美作で起きた大規模な一揆を裏で支援したとなる。いや待て。どうして国虎様は、宇喜多様が支援したと断言できるのだろうか。

「お待ちください。宇喜多様はお味方ですよ。一揆を支援したのは三好みよし宗家ではないのですか?」

「安心しろ。支援者が宇喜多 直家だという証拠は何も無い。三好宗家も絡んでいる可能性は、あるにはあるな」

「でしたら!」

「いや、宇喜多 直家には明確な目的がある。生き残りという明確な目的がな。だから揺さぶりを掛けてきた。都合の良い事に、宇喜多 直家と懇意の商家 阿部 善定あべ ぜんていは武具の取り扱いをしている。それで西美作の一揆が他の中国地方に波及して混乱すれば、三好側に寝返って領土を切り取りするつもりだろう。但し、速やかに鎮圧されれば、何食わぬ顔でこちらの陣営に留まるさ」

「意味が分かりませぬ」

「孝高、撫養むやじょう城にいれば分からないだろうが、当家と三好宗家とでは、三好側が有利な状況は今も変わらない。兵の動員力と継戦能力が圧倒的に上だからな。相手は大負けしても態勢を立て直せるが、俺達は一度でも大敗すればその時点で詰む」

「……まさか」

「現実はそんなものだぞ。だから宇喜多 直家は勝つ方に味方する。西美作で一揆を支援したのは、こちらの実力を測るためだ。当家と三好宗家が決戦する前に見極めておきたかったのだろうな」

 私も武家の男だ。お家大事という気持ちは分かる。しかしながら宇喜多様は、今では備前びぜん一国と東美作を領有する実力者だ。それも国虎様の協力によって得ている。そうであるなら、国虎様に恩義を感じて共に三好宗家と争うのが筋であろうに。何ゆえ小さな豪族のような立ち回りをされるのか。私にはその点が納得できなかった。

「多分宇喜多 直家は、小さな城を持っていた頃から考え方が何も変わっていないんじゃないか? だからこそ領地を失うのを極端に恐れている。そんな所だと思うぞ。面白いのがこの期に及んでも、まだどちらに付くか決めかねている点だな。当家が勝つかもしれないと何処かで考えている。それが今回の一揆支援に繋がったのだろう」

「……裏切りを表に出さなかったという意味ですか。国虎様、そのような迂遠な言い方は止めてくだされ」

「気にするな。話を戻すぞ。そうした宇喜多 直家の優柔不断さが、結果として無意味な行動となった」

「それはどういう意味ですか?」

「結論から言うと、西美作は餌だ。さっきも言ったように現在の中国地方には、出雲尼子家の残党がごろごろいる。それを放置しておいて良いと思うか?」

「良くはありませぬ。──もしや、西美作の一揆は敢えて起こさせたと?」

「ご名答。旧出雲尼子領は西美作と東伯耆ほうきの二か所に有力な豪族がいてな、その地域だけは治安維持を緩くさせた。出雲尼子家の残党と結託してもらうために」

 西美作の三浦家、東伯耆の南条なんじょう家。この二家は吉良様や武田様を領主として認めず、行方をくらませていた。旧領回復を目的として潜伏したというのが大筋の見方となる。間違っても帰農して大人しく暮らすような選択はしない。

 そうなれば、通常は潜伏先を探して仕官させるか追放する、もしくは殺害するのが当家流だ。こういった者達を放置しておけば、いつ賊となるか分からない。そうならないように早めに対処するのが領内の静謐の秘訣であり、民を安心させる。私はそう教わった。

 だが今回に限っては、そうした者達を敢えて放置したと話す。それも出雲尼子家の残党との接触を見越して。

「な、何ゆえそのような真似をする必要があるのでしょうか?」

「簡単な話だ。出雲尼子家の残党には賊になって欲しくないからな。集結して武装蜂起できる場所を用意した。そうすれば潜伏した豪族と共に賊予備軍が一掃できる。宇喜多 直家はそれに乗っかっただけだな。思い出してみろよ。今回の因幡いなば国攻めは中国地方の兵を動員していない。いや、大新宮ダイシングーを参加させているから厳密には違うか」

「あっ!」

「そういう事だ。中国地方は最初から、一揆というか武装蜂起が起きるのを前提とした体制にしている。今頃足利 義栄あしかが よしひでが喜んで鎮圧に向かっているさ。誤算は吉良 義安と奥平 貞友の討ち死にとなる。危なくなったら逃げ帰って来いと伝えてはいたんだがな。ったく、命あっての物種というのが分からないのかよ」

「そうすると宇喜多様が何もしなくとも、遅かれ早かれ一揆は起きていたと」

「そうだな。宇喜多 直家の支援の影響は、俺から見ると大きくはない。何せ最初から一揆を起こさせる地だったからな。規模が大きくなって城を奪われた程度となる」

 こうした考え方ができるのが国虎様の他の者とは違う所だ。一揆や領内での乱を起こさせないようにするのではなく、起こしても良い場所を予め作っておく。そうすれば残党は自然とそこへ集まる。

 国虎様が言うには、不満分子は散り散りとなって潜伏される方が面倒なのだとか。いつ賊になるか分からぬ存在によって、民の生活が脅かされる方が我慢ならないらしい。

 それならば一度乱を起こさせてしまう。その後に始末した方が早い上、次の乱の抑止になる二つの効果があるそうだ。

 私には仮に小さな城を落とした所でその城を守り切れる筈がないのだから、兵糧や金目の物だけ奪って次の獲物を求めた方が良いと思う。しかしながら略奪目的の場合は、国虎様が言うにはどの道に罠に吸い寄せられるために結末はそう変わらないのだとか。

 だからこそ、旧出雲尼子領で神出鬼没に暴れ回った大新宮ダイシングーは、物資にはほぼ手を付けずに襲撃のみを繰り返していたという。

「変な事を聞くようですが、国虎様でしたらどうしておりましたか?」

「俺か? そうだな。最低限支援者と連携をする。一揆に成功すればその支援者の傘下に入り守ってもらうな」

 国虎様が言うには、一揆や謀反というのは成功した後の行動の方が難しいそうだ。そのため、単独では行わずに支援者を見つけてから行うか、より多くの仲間を巻き込んで行うかのどちらかが望ましいと。宇喜多様はその辺を考えているから、慎重を期しているのだろうと言われる。

 ……まるで見てきたかのような言い方をされる。

「だから今回の一揆は、どうにも中途半端に見えて残念だ。もっとこう、さすがは宇喜多 直家だと言いたかったよ」

「国虎様、不謹慎ですよ! 宇喜多様の謀反が誠になればどうされるのですか!」

「困ると言えば確かに困る。ただ宇喜多 直家には、元々三好との決戦を手伝ってもらおうとは考えていないというのがあってな。邪魔さえされなければそれで良いと思っている。それに裏切った場合に争うのは播磨はりま国だろうから、心配はしていないというのもある」

「それはどういった意味でしょうか?」

小豆島しょうどしま讃岐畑山さぬきはたやま家が押さえているのが大きい。この時点で宇喜多 直家は畿内との海路が閉ざされている。そうなると三好との連携を求めた場合は、播磨国に攻め込むしかないという訳だ。そこで播磨島津しまづ家がいる。島津 義久しまづ よしひさを播磨国に配置したのは、宇喜多 直家への対策と三好に対しての仕掛けだ」

「あの島津ですか……随分と買っておられるのですね」

「そうあからさまに嫌な顔をするな。島津は意外とやるぞ。気持ちは分からんでもないがな」

 小豆島か。確かにこの島の存在が宇喜多様の目の上のたんこぶなのは間違いない。この島が無ければ、備前国と淡路あわじ国は海路で繋がり連携を取れていただろう。

 とは言え下手に小豆島へ攻めようものなら、阿波あわ国に逗留する小早川こばやかわ水軍が救援に駆け付ける。淡路国に援軍を頼もうものなら、この小早川水軍が淡路国へ侵攻するという手も取れてしまう。

 なるほど。当家は防衛だけを考えれば良いのだから、備前国の水軍は完全に手詰まりになっているというのが分かる。加えて国虎様の方針によって瀬戸内の海賊は通行税が取れなくなった。これにより弱体化しているのも、安易に小豆島へ攻められぬ理由であろう。

 そのため宇喜多様が裏切るなら、陸で東を目指すより他ないという訳だ。相変わらず恐ろしい方である。

 気になるのは、何ゆえ国虎様は島津を評価しているかだ。いや、龍野赤松たつのあかまつ家を倒した手腕を認めてなのだろう。それ自体は私も評価すべきだとは思うが、あれを武家の戦い方とは呼びたくはない。

 だからこそ今の私があると言えばそうなのだが……。

「俺も龍野赤松家を倒したやり方を褒めるつもりはないぞ。ただな、確実に負ける戦をひっくり返して逆転した点、思いも掛けぬ策を実行に移したその大胆さと発想力を評価してやれ。定石通りの戦いを仕掛けて来ない怖さが今の島津にはある訳だ。これが宇喜多 直家との大きな違いと俺は考えている」

「……あっ」

「孝高も分かったようだな。行動を読める相手というのは意外と御しやすいものだ。本当に厄介なのは、何をするか分からない者だと覚えておけよ」

「それが島津への評価に繋がる訳ですか」

「俺達の真の敵は三好 長慶だというのを忘れるなよ。だから桂馬のような動きをする者というのは、敵が知恵者であればある程役に立つ。そう思ってくれ」

「なるほど。島津は敵の裏をかく駒だと」

「厳密には違うんだがな。今はその理解で良い。皆が優等生だと行動の幅が逆に狭まる。孝高なら、この言葉の意味がいずれ理解できるさ」

「肝に銘じておきまする」

 これだから国虎様との問答は楽しい。何ゆえ皆様はこの未知に触れる楽しさが分からぬのであろうか。いやそれよりも、私は国虎様から多くを吸収して、一日も早く皆様の役に立てるようにならねばならない。

 こうして国虎様の講義は終了する。

「まあなんだ孝高、色々と言ったがそう深刻に捉えるなよ」

「『この程度を謀とは言えない』ですね」

「そうなる。俺は誰もが思い付くような事しか言ってないからな」

 相変わらず国虎様は何かが間違っている。
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