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七章 鞆の浦幕府の誕生

和睦交渉開始

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 ──永禄えいろく元年 (一五五八年)四月、ついに公方 足利 義輝あしかが よしてる三好 長慶みよし ながよしとの和睦交渉が始まる。仲介役は前回の和睦時と同じく、近江六角家おうみろっかく家が担っている。

 最早追い込まれた幕府の残す手はこれしかなかったと言うべきか。弘治こうじから永禄への改元の事情を知ると、尚の事そう感じてしまう。

 本来改元は幕府との協議を経て朝廷が実施するものだ。だというのに今回に限っては、朝廷は三好 長慶にのみ相談をしたという話である。

 理由は室町幕府が近江おうみ国に逃れているという点、更には銭を持っていない点となる。要するに口を出すしかできない幕府など何の役にも立たない。これまでの朝廷軽視の意趣返しをした。そんな所だと思われる。

 当然ながら朝廷に袖にされてしまった足利 義輝は大激怒した。だが悲しいかな、今の室町幕府に武力で京を取り戻す力は残っていない。何より現状の三好宗家には、河内かわち国を領する尾州畠山びしゅうはけたやま家という強力な一族がいる点が大きく、無謀な挙兵を行えば確実に負ける程戦力差が開いている。近江六角家家が援軍を出した所でこの状況は何ら変わりなかった。

 それだけではない。室町幕府は逆に挟み撃ちされかねない状況にも陥っていた。永禄へと元号が変わる直前の二月末、三好 長慶の斡旋によって美濃みの国守護代 斎藤 高政さいとう たかまさ正五位下しようごいげ 治部大輔じぶたいふに任官されたのは、その予兆とも言える。

 この任官が従来通り室町幕府を通したものであれば、美濃斎藤家は足利 義輝の味方となっていた。だが現実は違う。そうなれば、対価は室町幕府に味方しないという条件になる。そこから一歩進めば、今度は三好宗家の味方だ。これでは室町幕府は挙兵などと悠長な事は言ってられない。逆に滅亡を心配をする状況が間近に迫っていると考えるのが妥当だ。

 加えてまごまごしていれば、三好宗家がともの浦幕府と誼を通じてしまう危険性さえある。例え当家と三好宗家は良い関係でなくとも、対晴元はるもと派陣営として足の引っ張り合いをしない冷静さがあるのだ。ならば、同じく対室町幕府として共同戦線をいつ張るか分からない。直接対決は邪魔者を全て排除してから行う。こうした決断をされないために先手を打ったものと思われる。

 ともあれ、鞆の浦幕府という対抗馬の出現により、室町幕府は現実を見なければならなくなった。朝廷からも見放され、立場さえも失っている事実に気付いたという訳である。

 後は室町幕府がどこまで妥協できるか。そして三好 長慶がどこまで幕府を骨抜きにするか。そんな鍔迫り合いが予想される難しい交渉となるだろう。

「三好宗家の思い通りにはさせない。俺達は今年中に出雲尼子いずもあまご家の本拠地を落とすぞ!」

『応ぅ!!』

 この動きを受けて五月に入ると、当家は出雲尼子家の無力化を目的に備中びっちゅう国入りをする。今回の遠征では毛利 元就もうり もとなりがいないため、俺が現地入りして全軍の指揮を行う。仲間外れにならなくて良かった。

 足利 義輝と三好 長慶の和睦交渉は、俺個人としては成立しないのではないかと考えている。理由は三好宗家側に室町幕府と和睦する利が無いからだ。室町幕府という獅子身中の虫を内に抱え込むよりも、足利 義維あしかが よしつなを次の公方に推した方が遥かに使い勝手が良い。それに今の三好宗家なら、足利 義維を次の公方にするだけの力がある。

 そのため、俺が三好 長慶の立場なら交渉を決裂させる道を選ぶ。

 だが京の都は今も伏魔殿だ。多種多様な思惑や利権が渦巻く中で上手く立ち回るには、室町幕府を手札として活用する考えに至るかも知れない。例えば測定不能の数値を叩き出す近衛このえ家という存在。この激薬を制御できると考えるなら、堺幕府の悪夢再びとなる恐れすらある。

 そうなった時、当家と三好宗家との軍事的緊張は一気に跳ね上がるのが確実であった。

 勿論それだけで終わる筈がない。三好宗家と室町幕府が和睦をすれば、若狭わかさ国にある小浜おばまの港と出雲いずも国の美保関みほぜきとの繋がりを活用して、出雲尼子いずもあまご家を支援する一手を打ってくるだろう。

 待っているのは九州の豊後大友ぶんごおおとも家も加えた包囲網だ。結果、当家の兵力は分散を余儀なくされる。これでは三好と決戦をしたくとも、背後が気になって仕方ない。間違いなくこちらの態勢が不十分な隙を突いて先手を取ってくる筈だ。

 だからこそ事前にこの目論見を潰して、中国地方をがっちりと固めておくのが今回の出兵理由である。

 残るのが豊後大友家だけなら、距離もあり両家は連携を取れない。西国の制海権もこちらにあれば、三好宗家は支援を諦めざるを得なくなるという寸法だ。

「中でも重要なのが、伯耆ほうき国の米子よなごだ。最低でもここを制圧して、本拠地月山富田がっさんとだ城と美保関との分断をする」

「大将、今からでも遅くない。備後びんご国に向かえば、神西じんざい城を攻めている尼子軍の背後に出て挟撃できるぞ」 

「却下だ。安芸 左京進あき さきょうしん吉良 茂辰きら しげたつには抜け駆けの罰を受けさせなければならない。俺達が米子を落とすまでは耐えてもらう。それに出雲国西部では大新宮だいしんぐうが活躍していると報告が入っているからな。邪魔するのは野暮だと思うぞ。まあ、神西城の後詰は義栄よしひでに依頼しておいたから、篠原しのはら殿が何とかするさ。重治しげはる、味方の力を信じろ」

 今回備中国からの侵攻を選んだのは、米子の地を重要視したからに他ならない。

 出雲尼子家の本拠地月山富田城は難攻不落であるものの、山城であるため内陸に位置している。これが弱点の一つであった。

 つまりは海に面していない。港とは距離が離れている。結果して港と本拠地との中間地点を封鎖してしまえば、他家からの支援が得られない立地であった。
 
 そのため、三好宗家との連携を断つという意味でなら、米子の地を制圧した時点で目的は達成できる。それも備中国新見にいみの地から出雲街道へ合流すれば、そう遠くない距離なのが大きい。船を使って大回りするよりも、山越えによる近道ができるのが、米子を目標に選んだ理由でもあった。

 ならばダラダラとは進軍したくはない。街道近くの城は火器ですかさず無力化して、短時間で目的地への到達・制圧を目指す。

 そうするには、出雲尼子家の主力を引き付ける囮が必要不可欠と言えよう。

 なあに、神西城は「尼子十旗あまごじっき」の一つに数えられる重要拠点である。そう簡単に落とされる城ではない。加えて城には抜け駆け二人組だけではなく、出雲尼子家をよく知る毛利 元就までいる。この鉄壁の布陣なら、逆に痛撃を与えられる事さえできるのではないかと考えている。

 さあ、俺達のためにキリキリ働け。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽

 
 備中国は大半が標高の高い山地で占めているというのに、道がしっかりしているのには訳がある。備中松山まつやま城のある地域には古くから銅山があり、新見地区には鉄という産物があるからだ。これらの流通を目的として区間は発展し、江戸時代には松山往来と呼ばれるようになる。そのお陰か港から新見地区への行軍は案外楽なものであった。

 こんな時、土佐が陸の孤島と呼ばれる訳が良く分かる。

 新見地区を北上すればそこからは美作国で敵地となる。それまではのんびりと雑談や作戦の確認しながら進ませてもらおう。幾ら行軍を急ぐとは言え、ずっと緊張状態を続けていては本番の戦で実力を出し切れない。

「大将、そうすると後は米子での戦の時に、但馬山名たじまやまな家がどの程度援軍を出してくるかだな」

「これは俺も読めん。周防仁木すおうにっき家の奮戦に期待すると言うしかないな」

 遠征軍の兵力は、いつもながらの主力五〇〇〇に加えて雑賀さいか衆の木沢 相政きざわ すけまさ讃岐さぬき国の畑山 長秀はたやま ながひでから三〇〇〇ずつで計一万一〇〇〇となっている。後は備中国の細川 通董ほそかわみちただ殿が、美作みまさか国の尼子軍を牽制する役割を買って出てくれた。

 こうなると、伯耆国の東に領地を持つ但馬山名家が出す援軍の数で攻略の難度が大きく変わる。出雲尼子家も馬鹿ではないのだから、何の対策もせずに神西城を取り返しに向かう筈はない。米子への備えと但馬山名家に援軍依頼をするくらいはしてくるだろう。例え出雲尼子家と但馬山名家が犬猿の仲と言えども、この期に及んで面子に拘るのは考えられない。

 だからこそこんな時は周防仁木すおうにっき家が生きてくる。そう、水軍による日本海の北上だ。

 但馬山名家にとって今回は手伝い戦である。勿論当家との緩衝地帯として出雲尼子家を使いたいという意図はあろう。だがそれも水軍による領国への強行上陸の可能性を示されれば、自領を危険に晒してまで出雲尼子家に肩入れするとは思えない。戦から手を引くのが合理的な判断となる。

 具体的な周防仁木家の使い道は、島根半島の北に位置する隠岐おき国の制圧だ。隠岐国と言えば島流しの地として知られているものの、その実日本海西部に縄張りを持つ隠岐水軍の本拠地でもある。

 要するにこの地を制圧すれば、隠岐水軍の力が低下する。それは但馬山名家に対して、「いつでも沿岸部を荒らしに行けるぞ」という脅しをしているに等しい。

 それ程重要な地ならさぞや大規模な水軍があるかと思いきや、そうでもないというのが実情だ。島だけに総人口も限られている。一万人を下回るのは確実と言えよう。それだけに戦闘要員となる水軍の規模は大きくない。事実、天文一二年 (一五四二年)に起きた月山富田城の戦いでは、出雲尼子家の水軍と共に鎧袖一触で蹴散らされている。

 実際は、旧周防大内すおうおおうち家の水軍が強過ぎるというだけなのだが。

 安芸あき国から周防国を経由して出雲国に辿り着くという、五〇〇キロ近い海の移動を船団で行った上で敵水軍を容易く打ち破る離れ業をこなすのが旧大内水軍の実力となる。

 そんな旧大内水軍を引き継いだのが周防仁木家だ。それだけに但馬山名家対策は任せておいて問題は無いだろう。当然ながら留守を狙って内乱を起こされても問題無いよう、雑賀衆と讃岐国の水軍を後詰で入れさせて警戒に当たるよう手配しておいた。

「それで、実際仁木水軍は使い物になるのか?」

「これが驚く事に、旧大内家臣は一部を除きかなり従順らしい。そりゃ非公式とは言え、守護職に中国探題職だからな。それに何より今後は朝廷との関係改善が見込めるようになったのが大きい。鞆の浦幕府様々だろうよ」

 旧家臣の誰もが語りたくはないようだが、やはり大寧寺たいねいじの変を汚点と感じている者が多いと思われる。主君の弑逆のみならず、二条 尹房にじょう ただふさ様や三条 公頼さんじょう きんより様、大宮 伊治おおみや これはる様といった数多くの公家を殺したのが大きい。

 それによる朝廷との決裂は、周防大内家臣の誇りを大きく傷つける。

 周防大内家は長く特殊な位置付けにいた。武家でありながら、幕府の枠から外れた存在である。その根拠は朝廷や帝との直接的な結び付きであり、例えば大内 義隆おおうち よしたか殿が後奈良ごなら天皇との個人的な親交があったのは有名な話である。

 また、周防大内家当主が四代続けて従三位以上に任官していたのも見逃せない。それに伴い、旧大内家臣も任官の恩恵を受けていた。

 この図式が大きく崩れたのだ。大寧寺の変以降、周防大内家は武家公卿が単なる武家に転落する。今後従五位下じゅごいのげ以上の任官はまず望めない。

 「こんな筈ではなかった」と多くの者が落胆しただろう。

 だからこそ国主が変わったのは、旧大内家臣にとって罪を清算したような気持ちにさせたのではないかと考える。全ての罪は陶 晴賢すえ はるかたへ。自分達は新たな国主の元でやり直すという心境だ。無責任とも捉えられるが、人の心はそう強いものではない。犯した罪に対して免罪符を求めるのは自然な成り行きである。

 そしてここからが仁木  友光にっき ともみつ殿の強かさであろう。亡くなった大内 義隆殿の母親を保護するだけではなく、自身の嫡男の嫁には大内 義長おおうち よしながの娘にすると公言している。但し現状大内 義長には娘がいないため、仁木  友光殿の嫡男が適齢期になっても娘が生まれない場合は、公家の娘を大内 義長の養女にして婚姻させるそうだ。この配慮で旧大内家臣の心をがっちりと掴む。

 これを聞くだけで、俺は周防国と長門ながと国の統治に盤石さを感じさせた。

「そりゃすげぇな。なら俺達は尼子との戦だけに集中できるという訳か。腕が鳴るぜ」

「俺としては、旧大内家臣が張り切り過ぎないか心配しているがな」
 
「確かにそれは言えてる」

 鞆の浦幕府という新たな旗頭、未来への展望と今の周防仁木家には家臣団が一致団結する要素が揃っている。例え内部に様々な問題を抱えていようと、こういった高い目的意識を持つ組織は強い。それを今回の戦で目の当たりにできるのが楽しみだ。

「国虎様! もうすぐ出雲街道との合流地点の新庄しんじょう村です!」

「聞いたかお前等! 他の奴等ばかりに手柄をあげさせるな! 土佐で一番強いのは俺達だというのを、今回の戦いで日の本中に轟かせるぞ!」

『応ぅ!!』
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