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七章 鞆の浦幕府の誕生

幕府ビジネス

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 ──弘治三年 (一五五七年)一一月、備後びんごともの地で足利 義栄あしかが よしひでが現幕府打倒を目的とした新たな幕府設立を宣言する。

 折しも九月には後奈良ごなら天皇がお隠れとなり、新たに正親町おおぎまち天皇が即位したばかり。そのドサクサに紛れて、新たな幕府の設立を宣言する意味が分からない。これでは認知さえされずに、誰もが知らないままに終わるのではなかろうか? そうなれば倒幕に賛同する勢力さえ出てこず、意味の無い存在へと成り下がってしまうだろう。

 当然ながら、この幕府設立に関して俺は事前に相談を受けていない。今回の出来事はまさに寝耳に水であった。

 今でこそ足利 義栄は備後国の国主になっているとは言え、まだ領主一年生のひよっ子である。色気を出すには早い時期だと言えよう。今は何より足元を固めるのが大事だ。焦った所で結果は付いてこない。

 もしかしたら、国主となった事で周囲が太鼓持ちばかりとなり、自らの力を過信しているのではないか? 今回の一件を見て、そんな嫌な空想が頭を過る。本願寺に銭をせびり、館を兵で囲まれても呑んだくれていた父親の足利 義維あしかが よしつなを反面教師としていると思っていたのだが、やはり蛙の子は蛙。その血は争えないのかと落胆をしている俺がいた。

 ……判断を早まったのかもしれない。

 ただそんな俺の思いとは裏腹に、当人にも当人なりの考えがあるのも世の常である。幕府設立の宣言から数日後、足利 義栄が正室であるしずくを伴って撫養城までやって来たかと思うと、開口一番に

「全て義父上が悪い!」

 と、そんな一言を浴びせるというよく分からない状況となっていた。

「ちょっと待て、久々に顔を見せたと思ったらいきなり何を……」

「俺は言いつけ通り、最低五年は備後国内の統治に専念するつもりだった。それなのに義父上ときたら、石見いわみ国、周防すおう国、長門ながと国の三国を制圧するわ、出雲尼子いずもあまご家を追い詰めるわで中国地方平定を目前としてしまう。お陰で予定が大幅に狂わされた」

「意味が分からん。出雲尼子家が力を失った方が備後国の統治に専念できるだろうに」

「それでは駄目だ。戦での勝利という実績が無ければ誰も付いてこない」

「何を言っている。今回の戦での篠原 長房しのはら ながふさ殿の采配は見事だったぞ。十分誇れる功績じゃないか」

「そう言ってくれるのは義父上だけというのが現実で、相も変わらず他国の反応は冷めている。但馬山名たじまやまな家ですら、誼を通じてこないのが実情だ。東国に至っては、こちらから送った書状に返信すらしない。改めて現公方の影響力の大きさと自分自身の小ささを痛感したよ」

「……続きを話してくれ」

「だから方針を変えざるを得なくなった。外向きの実績作りではなく、義父上やその周りで実績を作った方が結果的に現公方に対抗する求心力になると考えたのが今回の幕府設立になる。もう一度言う。遠州細川の拡大が速過ぎて、備後足利家が戦に強いと諸国に示す機会が無い。義父上、責任を取れ!」

 聞けば今回の戦での篠原 長房殿の采配は、かなりの苦肉の策であったらしい。無理矢理五〇〇〇の兵を掻き集めたは良いが、練度の低い弱兵であったため、実は小競り合い一つせずに逃げ回っていたという話であった。

 もしあの場で出雲尼子軍と直接の戦闘を行っていれば、間違いなく化けの皮が剥がれて大敗していたという見立てである。それが理由で足利 義栄が陣頭に立てなかった。これが先の戦での内幕だという。

 要するに、備後足利家は軍も含めて何もかもが発展途上である。そのため、当家の戦いに参加した所で手伝いが精一杯となり、存在感を示す機会が無い。なのに遠州細川家は、数年の内に西国を全て平らげそうな勢いで拡大している。

 これでは何もしないままに俺と三好 長慶みよし ながよしとの決着が付いてしまう。そんな危機感が今回の幕府設立に繋がったという話であった。

「あのなあ、俺は三好を倒せればそれで良いんだよ。義栄はその後の対足利 義輝あしかが よしてる戦に全力を出せば良いじゃないか。それにまだ東国が残っている。実績はそこで積めば問題無いだろうに。日の本は畿内だけじゃないぞ」

「……義父上、そうなった時、今の公方が東国に逃げ込んだらどうなる? 間違いなく東国で味方になってくる勢力は僅かしかない。それもあって義父上が三好と決戦する前には、俺にも公方の資格があると周りの国に認めさせる必要がある」

「一理ある……か。当家も三好との決戦でボロボロになるだろうからな。義栄の東国平定を手伝う余裕は無いのが見えている。なら、今回の幕府設立は何を目的としているか教えてくれ?」

 俺としては三好 長慶との決戦は急いでいない。必勝の構えで入念な準備をしてから行う予定だ。しかしながらそれは相手も同じ。そうなれば、結果として両陣営の争いは消耗戦となり、例え勝っても多くの犠牲を払う形となるだろう。立て直しには数年の時が必要となる。

 これが理由で俺は足利 義栄の公方就任にそれほど協力できない。

「分かった。義父上なら知っているよな? 官位の従五位下じゅごいげまでなら朝廷を通さなくても幕府の独断で任命しても良いのを」

「それは知っているが、義栄はまだ公方に就任していないのだから、勝手に任命したら駄目だろうに」

 本来、叙位任官は面倒な手続きを経て行われる。簡単に言えば幾つもの部署を書類が通過して叙任するというものだ。

 ただそれでは、手間が掛かると同時に手続きを行う朝廷側の大きな負担となる。そのため、時代が下るに従い簡略化されていった。その成れの果てが、従五位下までの叙任なら幕府の裁量で行っても良いという現在の形となる。悪い言い方をすれば丸投げとも言えるだろう。

 例えば周防大内すおうおおうち家当主である大内 義長おおうち よしながは、天文二二年 (一五五三年)に幕府から従五位下左京大夫さきょうのだいぶに叙任された。

 大寧寺の変以前の周防大内家は、朝廷の庇護者であるだけではなく後奈良天皇とも個人的な親交があったと言われている。

 だが、天文二〇年 (一五五一年)の大寧寺の変で多くの公家が殺され、変以降は朝廷への献金は行われなくなった。これでは周防大内家、ひいては大内 義長に良い感情を持つ筈がない。この一件で朝廷は周防大内家を見限っている。

 そうなれば、大内 義長が叙任できるというのはおかしな話であろう。けれども従五位下までの叙任を幕府の裁量で行って良いなら、朝廷の思惑関係無く実行できるという訳だ。

 公家の大量殺人を行うような家の当主が相手であっても、現幕府は銭のためなら官位をも授ける。見事な悪党っぷりである。

「本来はな。ただ正親町天皇は即位の礼を挙げていない。現状は帝を引き継いだだけだ。その上朝廷の資金難を嘆いており、各地に協力を求めている。義父上も官位を見返りとして資金援助を求められただろう?」

「ああ。俺自身は官位に興味無いにしても、即位の礼ができないのには同情する。だから今年は無理にしても、来年か再来年には援助をするつもり……まさか!」

「その通り。先の帝とは方針が変わった。以前の朝廷からの接触は、俺や義父上に限っての献金と叙位任官だったが、今は違う。その範囲は大きく広がった。そこで窓口を一本化して、叙位任官の斡旋を行う目的で設立したのが此度の幕府になる。主に西国だけになるけどな。という訳で義父上を含めた遠州細川家関係とその友好国には、鞆の浦幕府を通して官位を渡そうと考えている」

 つまり足利 義栄の言い分は、その簡略化された構造を逆利用するという意味だ。実際には朝廷との仲介役として叙位任官の手続きをする。しかし見かけ上は仮幕府が行ったようになる。これによって、幕府の存在価値を示すというのだろう。ある意味叙位任官の正しい姿と言えるものであった。

 ……というよりも、現幕府が制度を悪用し過ぎているだけである。守護の安売りだけではなく、官位の安売りまで行っているのが実情だ。朝廷軽視も甚だしい。

「なるほど。そのついでに手数料で儲けるのか。随分と考えたな」

「阿漕な商いをするつもりはないから安心してくれ。ある程度の手数料は頂くが、多くは朝廷に銭を献上する。後は、鞆の浦幕府が独自に守護などの役職に任命するつもりだ。だから幕府は、そうした書類上のやり取りをするだけの小さな機能しか持っていない。場所も寺の一室を間借りしているだけだからな。手続き上幕府があった方が都合が良いから設立した。しかも、これは雫の発案だぞ」

「……えっ、雫が考えたのか? 手数料で稼ぐ商いをよく知っていたな」

「もう一人の義父上、一羽いちは義父上が遺してくれた覚書に書かれていた内容ですので」

「そうか、一羽か。一羽には俺が知っている限りの全てを教えたからな。懐かしい」

「一羽義父上の残してくれた覚書は私の宝です。これがあればきっと義栄様は公方様となり、足利の名を一〇〇年の長きに渡って残せると信じています」

 ようやく理解できた。今回の幕府設立は名ばかりで、その実態は手数料で稼ぐのを目的とした小さなものとなる。現代日本ならマンションの一室で行うような商売だ。例えるなら従業員が社長一人の株式会社のようなもので、個人経営のお店やフリーランスとそう変わらない。

 つまり俺は、「幕府」という名称に完全に踊らされたという訳だ。そうなると帝の交代に隠れるようにひっそりと始めたのも理解できる。幕府と言いながらも、その実できない事の方が多いとなれば、頼られても困るというのが実情なのであろう。
 
 しかもそれが、元奴隷であった雫が考えた案だというのだから驚きである。幾ら一羽の残したメモに手数料商売が書かれていたとしても、幕府の名を利用してそれを行おうとは簡単に思い付きはしない。権威はありがたがるものではなく利用するもの。但し悪用は厳禁。そういった価値観が俺から一羽、そして雫へと受け継がれたと見て良い。

 ある意味、雫が俺の正統後継者かもしれないな。そう考えると、これ以上口を挟むのは野暮である。俺の懸念など、とうの昔に解決済みであろう。

 二人共随分と頼もしくなったものだ。

「雫、話の腰を折って悪いな。今気付いた。どうして義栄が『鞆の浦幕府』という名を使ったのかが。そうか、まだ正式な幕府ではない。裏 (浦)の幕府という意味だな。洒落ているじゃないか」

「さすがに義父上は気付いたか。家臣からは不評だけどな。『浦』という言葉は使わず、正統な幕府だと主張すれば良いと文句を言われている」

「その辺は義栄が征夷大将軍に任命されてからで良いんじゃないか? 焦る必要はないだろう。俺は今回の一件を焦りによるものだと勘違いしていたが、そうではないというのが分かってほっとしているよ。雫、これからも義栄を支えてやれよ」

「はい。分かりました」

 そんな俺の一言で二人は顔を見合わせ、すぐ背ける。互いに顔を赤らめ下を向く。夫婦となって四年を超えようとしているのにこの初々しさは、俺と和葉には無かっただけに少々羨ましい。

 家族同然で過ごしてきた俺と和葉とは違い、二人は長く隠れて交際を続けてきた。それだけに、共に生活をするというそれ自体に未だ新鮮さを感じているのかもしれない。ともあれ、二人には幸せになってもらいたいものだ。それが討ち死にした一羽への供養になると考えている。

「それで国虎義父上には一つお願いしたい件がありまして……」

「分かった。可愛い雫の頼みだ。引き受けよう」

「ちょっと待った義父上。俺の扱いと雫の扱いが違うじゃないか。俺も同じ義理の子だぞ」

「雫は昔から俺に我儘一つ言わなかったからな。こういう時位、叶えるのが親の役割だ」

「あの……それでは、実は私は今年子を産みまして……」

「めでたいじゃないか。もっと早く教えてくれれば、祝いの品を送ったんだがな。それで産まれたのは男か? それとも女か?」

「女の子です。名は千代ちよにしました。それでその千代を……その……」

「雫、後は俺が言う。義父上、俺の娘と義父上の息子との婚姻を認めてくれ。頼む」

「ああ、却下だ」

「何でだよ! 今さっき雫には『引き受ける』と言ったじゃないか!」

「それこそ『何でだよ』はこっちの台詞だ。婚姻は相手をよく考えろ。足利の娘なら公家の正室にでもするのが本来だ。中央との人脈作りに使え」

 例え仮とは言え幕府を設立したのだ。今後の朝廷との付き合いを考えれば、橋渡し役が必要なのは明白である。その上この時代は賄賂が当たり前だとなると、融通を利かせてもらうためにも血の繋がりがあった方が何かと有利に事が運ぶ。

 また俺の嫡男は、敢えて婚姻をしなくとも足利 義栄にとっては義理の弟に当たる。既に親戚関係にあるのだから、今更深く繋がる必要性を感じさせない。
 
 この程度は分かっているとは思っていたのだが、どうして詰めを誤るのか。こういう所がまだまだ未熟なのだろう。

「義父上、俺はそれより先に信頼のできる一門を形成したい。今の家臣だけでは幕府が正式なものとなった時に確実に人手不足となる」

「それで息子の養子先である石橋いしばし家そのものを身内に取り込みたいのか。石橋 忠義いしばし ただよし様が聞けば喜びそうな提案だな。ただ、石橋家は家格だけで実体の無い家だぞ。よって人手不足の解消にはならない」

「分かっている。その家格が重要だ。実は俺の足利の名の問題で、釣り合う家格の武家が中々存在しない」

「それは……確かにその通りだ。見落としていたよ。悪かった。そうか。一門衆を形成しようにも、備後国の豪族をほいほいと引き上げるという訳にはいかないのか」

 こういった時、家格の高さは逆に足を引っ張る。

 聞けば、妹の嫁ぎ先でさえかなり困ったという話であった。弟は備後国の山名やまな氏 (新田にった一門)やみや氏 (幕府奉公衆の家系)に養子入りをさせはしたものの、そこで打ち止めとなる。

 そのため、妹は今後の期待も込めて、保護をしていた元阿波細川あわほそかわ家当主の細川 真之ほそかわ さねゆきへと嫁ぐ。

 この経験があったからこその今回の婚姻の話となる。まごまごしていれば嫁ぎ先を失うと思ったらしく、今日の訪問に繋がった。二人にとって幕府設立の説明は、物の序でという認識のようである。

「分かった。事情が事情だけに受けざるを得ないな。話は石橋 忠義様に通しておくよ」

「義父上、恩に着る」

 何だか上手く丸め込まれたような気をするが、この縁談自体は悪い話ではない。

 幕府を運営するようになれば寺社との協力は不可欠である。五山との繋がりを持つ石橋家の存在は大いに役立つに違いない。また、禅宗僧そのものも官僚として使える人材だ。今後の鞆の浦幕府運営にも弾みが付くだろう。

 何より五山は応仁の乱以降、京で没落しているのがまた良い。日蓮宗のような勢いのある宗派と手を結べば、後に厄介な存在となるかも知れないからだ。

 ──派閥に肩入れするなら最も弱小に手を貸せ。

 これが鉄則である。俺が没落した名家の復活に手を貸しているのも、これと同じ原理であった。

「義栄、それはそうと公家対策はどう考えているんだ?」

「抜かりない。畠山はたけやま殿を通した西園寺さいおんじ殿がいるからな。焦る必要はないと考えている」

「なるほど。流石は畠山 在氏はたけやま ありうじ殿だ。何だかんだ言いながら、左大臣 西園寺 公朝さんおんじ きんとも様との繋がりを確保している訳か」

 例え産声を上げたばかりのまだ小さなものだとしても、既に武家・公家・寺社の三者に影響力を持つ鞆の浦幕府。現幕府に対抗しうる力を持つのはそう遠くない未来だと予感させる。

 俺が考えていた以上に足利 義栄は、現実に即した考えを持っていたようだ。
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