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七章 鞆の浦幕府の誕生
寄生虫専用コンクリート
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「国虎様、そろそろ」
「おっ、ようやく準備が整ったか」
皆が遠征に出て一月ほど経った三月の初旬、開発中の産物が完成一歩手前となる。それは国の近代化には必須とも言えるコンクリートであった。
日の本でのコンクリートの実用化は明治期からとなる。それ以前に使用されていたのは石積みであり、土木工事に限定されていた。日の本は地震の多い国であるため、建築物に使用できないという事情となる。
例えば比叡山延暦寺などはその典型だろう。基礎工事の部分や畦、井戸等にはふんだんに石積みが多用されているというのに、建物では使用されていない。他にも石積みが使用されている例としては、城や護岸の石垣がある。
また、コスト面から考えても実は石積みは思ったほど高くならない。規模にもよるが、現代でも石積みの方がコンクリートよりも安上がりとなる施工が多いという。ましてやこの時代なら材料調達の面から考えれば、圧倒的に石を揃える方が早いし格安であった。
更には耐久性を見ても、圧倒的に石積みの方に軍配が上がる。コンクリートは思ったほど頑丈ではない。
そのため、建物に使用しない前提とするなら、この時代であれば敢えてコンクリートを導入する必要はない。事実、土佐の手結港や新たな奈半利港は石積みを利用して整備を行った。仮に導入するとしても、石同士の間を埋めるモルタルとして利用するのが関の山と言えよう。
なら何故そんな不必要なコンクリートを開発する必要があったか? それは一言で言えば寄生虫対策である。
当家の勢力圏拡大は凄まじく、九州では南九州のみならず肥前国の大部分をその支配下に置いていた。平戸や五島列島に手を付けていないのはその特殊性による。この地域は日の本における倭寇やキリスト教の重要拠点とも言えるため、肥前国の統治が安定するまでは干渉しない方が良いだろうという判断だ。
結果として現在の肥前渋川家は島の部分以外を統治しているのだが、その中には鳥栖郷がある。その地域は、地方病として悪名高い「日本住血吸虫症」の流行地であった。
また、友好国である備後国や備中国もそうだ。この地も高屋川流域の一部が同じく日本住血吸虫症の流行地となる。
「日本住血吸虫症」は甲斐国が有名過ぎるために、他の地方では流行していないと錯覚しがちだ。俺も前世にこの病気を調べるまではその認識であった。だが調べてみると、甲斐国以外にも幾つかの地域で流行していたと知る。
例えば土佐の一部地域にも「土佐のほっぱん」と呼ばれる地方病がある。これは「ツツガムシ病」の一種なのだが、「ツツガムシ病」は北日本で知られた地方病のためか、土佐でも被害が出ているのは知られていない。
今回の「日本住血吸虫症」はそれと同じ構図であった。例え知られていなくとも、その地域に住む民にとっては頭を悩ませる問題なのは間違いない。
「日本住血吸虫症」はその名の通り、寄生虫を媒介として感染する病だ。致死率そのものは高くない。症状は肝硬変を主体とした内臓の慢性疾患であり、腹痛、下痢、血便を起こす。また、しばしば腹の内部に水が溜まった腹水の状態となるのも特徴だ。甲斐国の「日本住血吸虫症」は、この腹水で有名となっている。
ただ、病自体の致死率が低いからと言って放置する訳にはいかない。この時代は栄養失調が基本である。そこから考えれば、感染によって合併症を併発し、死に至るというのは十分に考えられるだろう。何より風邪を拗らせるだけで死の危険が迫る時代に、医学的な観点だけで判断をするのは無責任というもの。この病を放置すれば、これまで寄生虫対策を行ってきたのが嘘となってしまう。
だからこそ俺は「日本住血吸虫症」の完全撲滅は難しいとしても、自分の手の届く範囲で患者を減らす対策を行わなければならなかった。
この「日本住血吸虫症」の問題となる点は感染経路にある。寄生虫の感染は、食物の摂取や水を飲む事によって起こる経口感染が最も多い。俺が肥溜めを廃止したのもこの考えに基づいたものだ。
しかし「日本住血吸虫症」は、ミヤイリガイという中間宿主が吸虫の幼生を水中に放出する所にその厄介さがある。放出された吸虫の幼生は自らで水中を泳いで人体に接触し、皮膚から内部に入り込むのだ。またミヤイリガイは、吸虫の幼生を増殖させる生産工場としての役割も果たしている。
つまり「日本住血吸虫症」は、ミヤイリガイの生息する場所に人が足を踏み入れた途端に感染する病と言えよう。
なら感染対策にはミヤイリガイの生息する場所から人を遠ざければ良いとなるが、そうは簡単な話ではない。何故ならミヤイリガイは水田地帯にある水路の泥底に生息しているからだ。食料不足が基本のこの時代に「感染するから水田に近寄るな」とは到底言えない。流行地は川の流域だけに肥沃な土地であるため、反発を喰らうのが確実であった。
そうなると、対策としてはミヤイリガイの殺傷が最も重要となる。しかしながら、このミヤイリガイは長さが一センチメートルもない小さな生物だ。それを一つ一つ発見して殺していくというのは気の遠くなる作業である。しかももれなく、その作業中に「日本住血吸虫症」に感染してしまうという危険まであるというのだから、尚の事無駄であった。
ならどうするか? こういった場合は下手な手は加えずに、実際に行った対策を踏襲する。その中で最有力とも言えるのが、ミヤイリガイが生息していると思しき水路へのコンクリート舗装だ。水路そのものをミヤイリガイが住めない環境にしてしまえという力業である。但しこれを行うと、同時に食用となる貝も生息できなくなるという難点を併せ持つ。
とは言え舗装自体はそう難しいものではない。今回の場合は、実質U字溝と呼ばれる断面がU字形をしたコンクリート成型品を水路に設置するだけだ。
この時点で石積みによる対策は向かないというのが分かる。U字溝の設置だけなら、その規格に合わせて水路を掘るなり狭めるなりの作業だ。もし幅の広い水路であったとしても、予めコンクリート製の平板を準備しておけば対処できる。数をこなす必要はあるが、作業自体は大掛かりとならないだろう。
だがそれを石積みで行うとなれば、規模もコストも大きく膨れ上がる。そのため、寄生虫対策はコンクリートで行うのが妥当な選択であった。
「さて問題は、新開発のU字溝の耐久性だな……」
ここからは最終確認となる。耐久性の試験で合格が出なければまた一からやり直しとなる緊迫した場面だ。
コンクリートはただ飾るだけのものではない。使ってナンボだ。そうなれば見かけ上固いだけでは意味が無く、十分な耐久性が必要となる。
その鍵となるのが石膏であった。
簡単に言えば石膏が添加されていないコンクリートは、すぐにひび割れをしてしまう。始めは目に見えない小ささから。そこから割れが拡大していくという寸法だ。一般的にひび割れ幅がコンマ三ミリ以上であれば成型品に影響を与え、そこから進行すると雨水が入り込むと言われている。
こうなれば内部の空洞化が進み、何かの切っ掛けがあれば破損してしまう。
その状態を簡単に起こさせないようにするのが石膏の役割であった。添加する量は少しであっても、これがあるかどうかで耐久性が大きく変わる偉大な素材と言えよう。
余談ではあるが、空洞化が進む前のひび割れの状態で中の素材が溶け出し傷を塞ぐのがローマン・コンクリートの機能だ。この機能により成型物が維持される。そのため、このカラクリを解明しなければ正しいローマン・コンクリートは完成しない。ただ素材を混ぜ合わせるだけでは偽物のローマン・コンクリートとなってしまい、謳い文句である二〇〇〇年の耐久性は実現できない。
「どうだ親方? 音に違和感は感じるか?」
目の前に約半年間水路として使用したU字溝が幾つか並ぶ。そのU字溝をハンマーで軽く叩き、音を確認している職人がいた。
「まあ、儂の見立てじゃあ大丈夫だと思うがな。空洞があるような音は感じなかったぞ。一〇年後、二〇年後はどうなるか分からんが、取り敢えず五年で良いんだよな。それなら合格を出せる」
「俺に遠慮はしなくて良いぞ。民の命に係わる事だから、厳しく判断してくれ。駄目な場合は作り直す」
「儂を見くびるな。一切妥協はしておらん。そこまで儂の言う事が信じられんか?」
「その一言が聞きたかった。親方の本気度を知りたくてな。これで安心して大量生産ができる」
正直な話、ただ硬化させるだけなら、粘土質の土に石灰を混ぜれば要件は満たせる。しかし水路に使うとなれば、一年中水に晒される過酷な環境に耐えられなければならない。その上で温度や湿度の影響も受ける。中途半端な品質なら、ミヤイリガイの駆除は絶対に叶わないだろう。
だからこそ、俺はコンクリートの製造には手を抜かなかった。具体的には先の二つに珪石・スラグを混ぜて異なる温度で二度焼きしたクリンカーを作り、粉砕して石膏を加えてセメントとする。そのセメントからコンクリートにする上で、骨材をシラス土とする徹底ぶりだ。
その工程の中で一番の問題は石膏の入手である。石膏は日の本では一部の地域でしか採掘ができない。しかもこの戦国時代では石膏の採掘がされていないとなれば、本来入手は不可能となる筈であった。
だがここで一つの抜け道が見つかる。実は石膏は漢方薬素材の一つだと知った時は、思わず腕を突き上げ「よっしゃーー!」と大声で叫んだ程だ。
これも全ては土佐に招へいした延寿堂のお陰と言えよう。専門家でもない俺には、桔梗石膏という薬の存在さえ知らなかった (現代日本でも処方される機会が稀な漢方薬。知らない医師も多い)。流石は明で漢方を学んだ禅僧は違うと、その知識に感嘆する。
そうなれば後は早かった。
ニイタカヤマノボレ……もとい、漢方薬の素材である石膏を入手しろと、マカオを拠点に密貿易を行っている大野 直之またの名を陳東へと指令を出す。
元々大野 直之は倭寇の徐海の下で交易を学んでいたのだが、血の気の多い性格の徐海は案の定明軍と争い命を落とした。そんな中、大野 直之はちゃっかりと逃げ出し、現在は独り立ちをしている。しかもジェロニモという洗礼名を得て、キリスト教を隠れ蓑として利用する強かさであった。
お陰で今では南九州ルートの密貿易で、一、二を争う業者へと成長している。大野 利直の息子は長男・次男共に当家の水軍で幹部をしているためか、その弟である大野 直之も海への適性があったのだろう。見事な成り上がりを見せていた。
明国には大規模な石膏鉱床がある。これも今回の石膏入手に一役買った筈だ。希少な資源であれば手に入らなかっただろう。
こうして俺は持てる力を最大限に発揮して、従来のコンクリートの上位互換とも言えるシラスコンクリートを完成させていた。
その試作品も今日でついに耐久試験が終わる。長年左官仕事をしている親方からもお墨付きを得た。後は土佐で製作したシラスコンクリート製のU字溝や平板を肥前国、備後国、備中国に強制的に売りつけるだけである。
「やれやれ、これで寄生虫対策も何とかなりそうだな」
「お疲れ様でした、国虎様。最初は気でも狂ったのかと思いましたが、そこまでしなければ根絶できない病がこの日の本にあると知った時、改めて国虎様の民を思う気持ちに感服した程です」
「忠澄、『気でも狂ったかと思った』は余計だぞ。それはさて置き、作ったは良いが、今後コンクリートをどう使っていくかが思案所だな。ここまで高価になるとは思わなかったからな」
日の本でコンクリートが使用されるようになったのは、明治に入ってからである。しかも当初はセメントを輸入に頼っていたため、とても高価であった。そのため、初期は使用量が少なかったという。
この輸入に頼っているという状況は当家も変わらない。しかも石膏は入手を優先したため、名目が漢方薬の素材となっている。これでは通常よりも大きく上乗せされた価格にされている可能性が高いのではないか。今回の対策分を作り終えれば、取引を打ち切らざるを得ないだろう。
コンクリートは使い勝手が良いものの、現時点では寄生虫対策以外に使い道がないというのがその理由だ。これではミヤイリガイ専用コンクリートと言うしかない。画期的な技術も、採算が合わなければ宝の持ち腐れになるという良い見本であろう。
今後使用を拡大するためには、まずは価格を抑える所から始めなければならないようだ。差し当たって日の本内での石膏鉱山の発見が必須となる。
いやそれよりも、何より生産するU字溝や平板をきっちり売り捌くのが先決だ。津田 算長や足利 義栄がどんなに文句を言ってきても、絶対に買取拒否は認めない。そうでなければ俺が大損となってしまう。コンクリート事業を継続するには、ここが一番の分水嶺だ。
……積み上がった不良在庫の山だけは見たくない。
「おっ、ようやく準備が整ったか」
皆が遠征に出て一月ほど経った三月の初旬、開発中の産物が完成一歩手前となる。それは国の近代化には必須とも言えるコンクリートであった。
日の本でのコンクリートの実用化は明治期からとなる。それ以前に使用されていたのは石積みであり、土木工事に限定されていた。日の本は地震の多い国であるため、建築物に使用できないという事情となる。
例えば比叡山延暦寺などはその典型だろう。基礎工事の部分や畦、井戸等にはふんだんに石積みが多用されているというのに、建物では使用されていない。他にも石積みが使用されている例としては、城や護岸の石垣がある。
また、コスト面から考えても実は石積みは思ったほど高くならない。規模にもよるが、現代でも石積みの方がコンクリートよりも安上がりとなる施工が多いという。ましてやこの時代なら材料調達の面から考えれば、圧倒的に石を揃える方が早いし格安であった。
更には耐久性を見ても、圧倒的に石積みの方に軍配が上がる。コンクリートは思ったほど頑丈ではない。
そのため、建物に使用しない前提とするなら、この時代であれば敢えてコンクリートを導入する必要はない。事実、土佐の手結港や新たな奈半利港は石積みを利用して整備を行った。仮に導入するとしても、石同士の間を埋めるモルタルとして利用するのが関の山と言えよう。
なら何故そんな不必要なコンクリートを開発する必要があったか? それは一言で言えば寄生虫対策である。
当家の勢力圏拡大は凄まじく、九州では南九州のみならず肥前国の大部分をその支配下に置いていた。平戸や五島列島に手を付けていないのはその特殊性による。この地域は日の本における倭寇やキリスト教の重要拠点とも言えるため、肥前国の統治が安定するまでは干渉しない方が良いだろうという判断だ。
結果として現在の肥前渋川家は島の部分以外を統治しているのだが、その中には鳥栖郷がある。その地域は、地方病として悪名高い「日本住血吸虫症」の流行地であった。
また、友好国である備後国や備中国もそうだ。この地も高屋川流域の一部が同じく日本住血吸虫症の流行地となる。
「日本住血吸虫症」は甲斐国が有名過ぎるために、他の地方では流行していないと錯覚しがちだ。俺も前世にこの病気を調べるまではその認識であった。だが調べてみると、甲斐国以外にも幾つかの地域で流行していたと知る。
例えば土佐の一部地域にも「土佐のほっぱん」と呼ばれる地方病がある。これは「ツツガムシ病」の一種なのだが、「ツツガムシ病」は北日本で知られた地方病のためか、土佐でも被害が出ているのは知られていない。
今回の「日本住血吸虫症」はそれと同じ構図であった。例え知られていなくとも、その地域に住む民にとっては頭を悩ませる問題なのは間違いない。
「日本住血吸虫症」はその名の通り、寄生虫を媒介として感染する病だ。致死率そのものは高くない。症状は肝硬変を主体とした内臓の慢性疾患であり、腹痛、下痢、血便を起こす。また、しばしば腹の内部に水が溜まった腹水の状態となるのも特徴だ。甲斐国の「日本住血吸虫症」は、この腹水で有名となっている。
ただ、病自体の致死率が低いからと言って放置する訳にはいかない。この時代は栄養失調が基本である。そこから考えれば、感染によって合併症を併発し、死に至るというのは十分に考えられるだろう。何より風邪を拗らせるだけで死の危険が迫る時代に、医学的な観点だけで判断をするのは無責任というもの。この病を放置すれば、これまで寄生虫対策を行ってきたのが嘘となってしまう。
だからこそ俺は「日本住血吸虫症」の完全撲滅は難しいとしても、自分の手の届く範囲で患者を減らす対策を行わなければならなかった。
この「日本住血吸虫症」の問題となる点は感染経路にある。寄生虫の感染は、食物の摂取や水を飲む事によって起こる経口感染が最も多い。俺が肥溜めを廃止したのもこの考えに基づいたものだ。
しかし「日本住血吸虫症」は、ミヤイリガイという中間宿主が吸虫の幼生を水中に放出する所にその厄介さがある。放出された吸虫の幼生は自らで水中を泳いで人体に接触し、皮膚から内部に入り込むのだ。またミヤイリガイは、吸虫の幼生を増殖させる生産工場としての役割も果たしている。
つまり「日本住血吸虫症」は、ミヤイリガイの生息する場所に人が足を踏み入れた途端に感染する病と言えよう。
なら感染対策にはミヤイリガイの生息する場所から人を遠ざければ良いとなるが、そうは簡単な話ではない。何故ならミヤイリガイは水田地帯にある水路の泥底に生息しているからだ。食料不足が基本のこの時代に「感染するから水田に近寄るな」とは到底言えない。流行地は川の流域だけに肥沃な土地であるため、反発を喰らうのが確実であった。
そうなると、対策としてはミヤイリガイの殺傷が最も重要となる。しかしながら、このミヤイリガイは長さが一センチメートルもない小さな生物だ。それを一つ一つ発見して殺していくというのは気の遠くなる作業である。しかももれなく、その作業中に「日本住血吸虫症」に感染してしまうという危険まであるというのだから、尚の事無駄であった。
ならどうするか? こういった場合は下手な手は加えずに、実際に行った対策を踏襲する。その中で最有力とも言えるのが、ミヤイリガイが生息していると思しき水路へのコンクリート舗装だ。水路そのものをミヤイリガイが住めない環境にしてしまえという力業である。但しこれを行うと、同時に食用となる貝も生息できなくなるという難点を併せ持つ。
とは言え舗装自体はそう難しいものではない。今回の場合は、実質U字溝と呼ばれる断面がU字形をしたコンクリート成型品を水路に設置するだけだ。
この時点で石積みによる対策は向かないというのが分かる。U字溝の設置だけなら、その規格に合わせて水路を掘るなり狭めるなりの作業だ。もし幅の広い水路であったとしても、予めコンクリート製の平板を準備しておけば対処できる。数をこなす必要はあるが、作業自体は大掛かりとならないだろう。
だがそれを石積みで行うとなれば、規模もコストも大きく膨れ上がる。そのため、寄生虫対策はコンクリートで行うのが妥当な選択であった。
「さて問題は、新開発のU字溝の耐久性だな……」
ここからは最終確認となる。耐久性の試験で合格が出なければまた一からやり直しとなる緊迫した場面だ。
コンクリートはただ飾るだけのものではない。使ってナンボだ。そうなれば見かけ上固いだけでは意味が無く、十分な耐久性が必要となる。
その鍵となるのが石膏であった。
簡単に言えば石膏が添加されていないコンクリートは、すぐにひび割れをしてしまう。始めは目に見えない小ささから。そこから割れが拡大していくという寸法だ。一般的にひび割れ幅がコンマ三ミリ以上であれば成型品に影響を与え、そこから進行すると雨水が入り込むと言われている。
こうなれば内部の空洞化が進み、何かの切っ掛けがあれば破損してしまう。
その状態を簡単に起こさせないようにするのが石膏の役割であった。添加する量は少しであっても、これがあるかどうかで耐久性が大きく変わる偉大な素材と言えよう。
余談ではあるが、空洞化が進む前のひび割れの状態で中の素材が溶け出し傷を塞ぐのがローマン・コンクリートの機能だ。この機能により成型物が維持される。そのため、このカラクリを解明しなければ正しいローマン・コンクリートは完成しない。ただ素材を混ぜ合わせるだけでは偽物のローマン・コンクリートとなってしまい、謳い文句である二〇〇〇年の耐久性は実現できない。
「どうだ親方? 音に違和感は感じるか?」
目の前に約半年間水路として使用したU字溝が幾つか並ぶ。そのU字溝をハンマーで軽く叩き、音を確認している職人がいた。
「まあ、儂の見立てじゃあ大丈夫だと思うがな。空洞があるような音は感じなかったぞ。一〇年後、二〇年後はどうなるか分からんが、取り敢えず五年で良いんだよな。それなら合格を出せる」
「俺に遠慮はしなくて良いぞ。民の命に係わる事だから、厳しく判断してくれ。駄目な場合は作り直す」
「儂を見くびるな。一切妥協はしておらん。そこまで儂の言う事が信じられんか?」
「その一言が聞きたかった。親方の本気度を知りたくてな。これで安心して大量生産ができる」
正直な話、ただ硬化させるだけなら、粘土質の土に石灰を混ぜれば要件は満たせる。しかし水路に使うとなれば、一年中水に晒される過酷な環境に耐えられなければならない。その上で温度や湿度の影響も受ける。中途半端な品質なら、ミヤイリガイの駆除は絶対に叶わないだろう。
だからこそ、俺はコンクリートの製造には手を抜かなかった。具体的には先の二つに珪石・スラグを混ぜて異なる温度で二度焼きしたクリンカーを作り、粉砕して石膏を加えてセメントとする。そのセメントからコンクリートにする上で、骨材をシラス土とする徹底ぶりだ。
その工程の中で一番の問題は石膏の入手である。石膏は日の本では一部の地域でしか採掘ができない。しかもこの戦国時代では石膏の採掘がされていないとなれば、本来入手は不可能となる筈であった。
だがここで一つの抜け道が見つかる。実は石膏は漢方薬素材の一つだと知った時は、思わず腕を突き上げ「よっしゃーー!」と大声で叫んだ程だ。
これも全ては土佐に招へいした延寿堂のお陰と言えよう。専門家でもない俺には、桔梗石膏という薬の存在さえ知らなかった (現代日本でも処方される機会が稀な漢方薬。知らない医師も多い)。流石は明で漢方を学んだ禅僧は違うと、その知識に感嘆する。
そうなれば後は早かった。
ニイタカヤマノボレ……もとい、漢方薬の素材である石膏を入手しろと、マカオを拠点に密貿易を行っている大野 直之またの名を陳東へと指令を出す。
元々大野 直之は倭寇の徐海の下で交易を学んでいたのだが、血の気の多い性格の徐海は案の定明軍と争い命を落とした。そんな中、大野 直之はちゃっかりと逃げ出し、現在は独り立ちをしている。しかもジェロニモという洗礼名を得て、キリスト教を隠れ蓑として利用する強かさであった。
お陰で今では南九州ルートの密貿易で、一、二を争う業者へと成長している。大野 利直の息子は長男・次男共に当家の水軍で幹部をしているためか、その弟である大野 直之も海への適性があったのだろう。見事な成り上がりを見せていた。
明国には大規模な石膏鉱床がある。これも今回の石膏入手に一役買った筈だ。希少な資源であれば手に入らなかっただろう。
こうして俺は持てる力を最大限に発揮して、従来のコンクリートの上位互換とも言えるシラスコンクリートを完成させていた。
その試作品も今日でついに耐久試験が終わる。長年左官仕事をしている親方からもお墨付きを得た。後は土佐で製作したシラスコンクリート製のU字溝や平板を肥前国、備後国、備中国に強制的に売りつけるだけである。
「やれやれ、これで寄生虫対策も何とかなりそうだな」
「お疲れ様でした、国虎様。最初は気でも狂ったのかと思いましたが、そこまでしなければ根絶できない病がこの日の本にあると知った時、改めて国虎様の民を思う気持ちに感服した程です」
「忠澄、『気でも狂ったかと思った』は余計だぞ。それはさて置き、作ったは良いが、今後コンクリートをどう使っていくかが思案所だな。ここまで高価になるとは思わなかったからな」
日の本でコンクリートが使用されるようになったのは、明治に入ってからである。しかも当初はセメントを輸入に頼っていたため、とても高価であった。そのため、初期は使用量が少なかったという。
この輸入に頼っているという状況は当家も変わらない。しかも石膏は入手を優先したため、名目が漢方薬の素材となっている。これでは通常よりも大きく上乗せされた価格にされている可能性が高いのではないか。今回の対策分を作り終えれば、取引を打ち切らざるを得ないだろう。
コンクリートは使い勝手が良いものの、現時点では寄生虫対策以外に使い道がないというのがその理由だ。これではミヤイリガイ専用コンクリートと言うしかない。画期的な技術も、採算が合わなければ宝の持ち腐れになるという良い見本であろう。
今後使用を拡大するためには、まずは価格を抑える所から始めなければならないようだ。差し当たって日の本内での石膏鉱山の発見が必須となる。
いやそれよりも、何より生産するU字溝や平板をきっちり売り捌くのが先決だ。津田 算長や足利 義栄がどんなに文句を言ってきても、絶対に買取拒否は認めない。そうでなければ俺が大損となってしまう。コンクリート事業を継続するには、ここが一番の分水嶺だ。
……積み上がった不良在庫の山だけは見たくない。
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いざ行かん、正義の旅へ!
え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。
でも……美味しいは正義、ですよね?
2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
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