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七章 鞆の浦幕府の誕生
洗脳と決断
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口では戦は好きでないと言いながら、戦に参加できないと何だか仲間外れにされたような気持ちになる。現場で皆と共に汗を流すのに居心地の良さを感じてしまう。この自己矛盾に呆れながらも、今の立場が俺には性に合わないのだと痛感していた。
ただそうは言っても、ここまで勢力が大きくなると大大名という肩書は簡単には投げ出せない。引退するには最低限遠州細川家の跡継ぎが必要となる。待望の嫡男は足利御三家の一つ石橋家への養子が決まっているという事情から、俺はまだまだお家の当主を続けなければならなかった。
全て分かっている。今回留守番となったのも、海部 友光殿の妹である椿殿の側室入りの話が出たのも、この跡継ぎ不在の不安定な状況が背景にあるのだろうと。
とは言えその側室の話も、正妻である和葉が認めなければ全ては水の泡となる。
この時代の武家の正妻の力は意外と強い。正妻が納得しなければ、側室を娶る事も正妻以外から生まれた子供の認知もできなくなる。隠れて外に妾を作り子を産ませれば、それは他人の子となってしまう。それ位厳しいものだ。この時代、武家の妻はほぼ歴史の表舞台には出ないが、ないがしろにされていた訳ではない。
だからこそ俺には、和葉に新たな側室を認めてもらうという最後の仕事が残っていた。和葉とは長年連れ添った仲だけに、きっと俺の意図を汲んだ良い回答を出してくれると期待している。
「悪い、和葉。どうしても断れなくて、海部殿の妹の側室入りを受けてしまった。断ってくれ」
「何が『断ってくれ』よ。側室は椿ちゃんでしょ。認めるに決まってるじゃない」
……おかしい。何故こうなってしまうのか。
俺は女性問題で痛い目を見ているため、もう懲り懲りである。アヤメの側室入りは、長く付き合いがあったからこそ受け入れられたというだけだ。変人の俺とも上手くやっていけるだろうと。
しかし俺は椿殿とは殆ど面識が無い。会ったのは約五年前に一度きりである。それも彼女が九歳の頃だ。会話も二言三言を交わした程度である。
加えて海部 友光殿が目の中に入れても痛くない程可愛がっているとなれば、蝶よ花よと育てられたのは確実だ。阿波海部家は裕福で知られているだけに、育ちの悪い俺とは価値観が何もかも違うと踏んでいる。
結論としては、断るのが互いのために良いと考えていた。そう思い最後の抵抗として、あの時「許可を得てから」という言葉を混ぜておいたのだが、それが和葉の手によって水の泡とされる。
「どうして? 俺がこれ以上側室は増やしたくないのは和葉も知っているだろうに。それに椿殿は姫だぞ。多分お互いが合わない」
「はあぁ。国虎、分かってる? 私は今年で年が三一になるんだけど」
「ん? 和葉は若くて綺麗だよ。それに三一なら、まだまだこれからだろうに」
「絶対分かってないでしょ。国虎、ちょっとそこに座りなさい」
ここで「もう座っている」と言えば火に油を注いでしまうために、何も言わず居住まいを正す。
「国虎、女はね、三〇歳を超えると子を産むのが危険になるのよ」
「何言ってんだよ。初産なら分かるが、まだまだ大丈夫だろ? 四〇歳でも子を産んでいる女の人は幾らでもいるぞ」
「それでも流産し易くなるし、難産になり易くなるのよ。折角できた子がいきなり死んでしまうのを覚悟しなければならないの。義母上はそれを知っているから、国虎に新しい側室を手配したのよ」
「そ、そうなのか。ままならないものだな」
「でも私だって諦めた訳じゃないわよ。せめてあと一人は子が欲しい。アヤメちゃんはまだ五人は欲しいと言っているけど……」
現代日本であれば、四〇歳を越えれば俗に高齢出産と言われる部類となる。母体にも生まれる子供にも悪影響が出易く敬遠されているものだ。
しかしながらこの時代はそういった認識が皆無なのか、はたまた基礎体力が違うのか分からないが、四〇歳を超えても平然と子供を産む女性が意外と多い。子供の成人率が低いからこそ、一人でも多くというのが背景にあるのだろう。
それが理由で俺はのんびりと構えていた。まだ一〇年、一五年と時間があれば、最低限子供の一人は授かるだろうと。
また、一〇年後には俺の子供達が成人を迎えている。そうすれば子孫を残す役割は子供達に託せば良い。こんな軽い気持ちで考えていた。
だがこの青写真が、和葉の言葉で間違いだったと気付かされる。四〇歳を超えても子供を産んでいるというのはあくまで結果であり、その背後には多くの流産や死産、母親の死亡があるというのだ。結果だけを見ていた俺が軽率だった。
「つまりこういう事か。側室を娶って子が産まれる確率を上げろと。何だか辛いな。死ぬかもしれないと思って子を作らないといけないのは」
「何言ってるの国虎。女にとって出産は戦なのよ。戦なら命を落とす時もある。でも私が産む子は連戦連勝を重ねる国虎の子でもあるのよ。もっと自分の力を信じなさい」
「強いな、和葉は。けどその通りだ。俺と和葉の子ならきっと大丈夫だな。元気に産まれるだろう。なら早速子作りをするか」
「……誤魔化されないからね。今は側室に椿ちゃんを迎えるかどうかでしょ? いい加減、観念なさい」
「チクショー。駄目か。ああもう、ここまで外堀を固められていたら椿殿を側室に迎えるしかないな。分かった。観念する。ただこれだけは覚えておいてくれ」
「聞きましょう」
「まず第一は椿殿の実家がどうであろうと、序列は三番目だ。一番は和葉しかいない。だから椿殿に変に遠慮するなよ」
「分かった」
「次は側室はもう二度と取らない。これが最後だ。俺からも母上に伝えておくが、和葉も俺の意思を尊重してくれ。今後母上が何か言ってきても、絶対に断ってくれよ」
「仕方ないわね。また喜玖様のような騒動を起こしたくないもの。私からも義母上に伝えておくわ」
「そう言ってくれると助かる」
今回の一件は和葉が言った「出産は戦」という言葉に尽きる。だからこそ勝利するためには形振り構っていられない。そんな母上の執念が実を結んだ結果なのだろう。
要するに俺は海部 友光殿から話を聞かされていた時点で詰んでいたという訳だ。これはどうにもならない。
とは言え、最後にせめてもの抵抗を示した。それが側室の打ち止め宣言である。
遠州細川家の領国が広がり過ぎたからか、実は俺への縁談の話は今も多い。跡継ぎ不在なのだから当然であろう。
それを全て断っているのは俺自身の問題だけではない。子が産まれた場合の外戚問題がある。平たく言えば、側室の実家が政に関与してきたり、利益の供与を求めるものだ。特に当家は外に出せない技術が多いだけに、簡単に側室は迎えられない。
まだ今回は長年付き合いのある阿波海部家で良かったと思う。これがもし公家の娘であったなら、思わずぞっとしそうだ。
いや……その場合は、俺なら全力でぶち壊しに掛かるか。
「国虎、また難しい顔をしてる。私といる時位、もう少し肩の力を抜いたら。それで今日、子作りはどうするの?」
「そりゃあするさ。もう一人と言わず二人は和葉との子が欲しいからな」
大大名なんてしていると厄介な話ばかりが持ち込まれてくるが、それに振り回されてばかりもいられない。和葉の言う通りだな。悩むのは後回しにするとしよう。
どの道、なるようにしかならないのだから。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「驚いた。随分と見違えたな。本当に椿殿本人か? 別人かと思ったぞ」
「椿とお呼びください」
「それに綺麗になった。町に出れば、すれ違った男は皆振り返るだろう」
「……椿とお呼びください」
「悪かった。椿、あの時以来だな」
「…………はい」
五年の月日は少女を大人の女性へと成長させるに十分な時だと言って良い。但し、この時代の価値基準という注釈付きだ。年齢はまだ一四なので、俺から見ればあどけなさの残る少女という認識は拭えない。
とは言え、この年齢を感じさせない落ち着いた雰囲気を見ると、俺の感覚が間違っているのではないかと錯覚してしまいそうになる。
面白いのは、これだけしおらしいのに髪は短く整え、肌も日に焼けている点だ。本来は活動的な性格なのだろう。前に会った時には白い肌をしていただけに、別人かと思うほどの変わりようであった。
「今回来てもらったのは最終確認になる。望まない側室入りなら破談にしようと思ってな。椿ほどの美貌なら婚姻話は引く手数多だろう。それに阿波海部家はもうすぐ国持ちとなって周防仁木家となる。今後はより『椿を正妻に』と望む声は多くなり、相手の条件も良くなると思うぞ。それでも俺の側室で良いのか?」
俺の知る限り椿は、三好 長慶の嫡男 畠山 慶興の婚約者候補であったり長宗我部 弥三郎 との縁談が持ち上がった程だ。この事実だけ見ても縁談には事欠いていないと言って良い。
更には椿本人のこの美貌。切れ長の眉と整った顔立ちから溢れる清楚な雰囲気は、武家の正室として理想的であった。
だと言うのに、
「はい。私はずっと国虎様の妻となるのを夢見ていましたので。その願いが叶って嬉しく思います」
これだ。芯が強いのは美徳だとは思いつつも、ここまで来れば執着のようにも感じてしまう。
「そこだな。前会った時も気になってたんだが、俺に拘る理由がよく分からん。家の事情なら気にしなくても良いぞ。椿の兄上とは一〇年以上の仲だ。今後も両家は良い関係を続けたいと思っている」
「正直にお話しすると、お家の繁栄のためにという考えも少しはあります。私は武家の娘ですので。ですがそれ以上に、英傑である国虎様のお側にいたいのです」
ここで意外な事実が発覚する。結論から言えば、椿の俺への憧れは海部 友光殿が元凶であった。どうやら事あるごとに椿の前で俺の話をしていたらしく、気が付けば椿の中で存在が大きくなっていたのだとか。しかもその話は、三好 長慶や細川 晴元と比較する形が多かったという。
思えば、確かに俺は三好 長慶や細川 晴元と境遇が似ている。細川 晴元は七歳、三好 長慶は一一歳、俺は一四歳という元服前に親を亡くし当主を継いだ身だ。しかも継いだ当初は家の内情がボロボロであり、一歩間違えば滅んでいたという共通点がある。
ただ、俺は三人の中では当主就任が一番遅い。それに奈半利という基盤があった。そこから考えれば、比較するのが間違いではないかと考える。
しかし海部 友光殿はそうは考えなかったらしい。病弱な泰親兄上がいつ倒れても大丈夫なように、早くから基盤作りを始めていたと解釈した。そこが他の二人と違うと椿に話したという。貧乏から脱出するために始めた商いを、政権基盤と勘違いするのは何かが間違っている。
こういった形で俺の行動を万事良い解釈をして話す。気が付けば椿は、俺をこの時代屈指の英傑と勘違いするようになっていた。何となく、映画やドラマのヒーローに憧れているのと変わらないように感じてしまう。
「……英傑ねぇ。俺はそんな凄い人物じゃないんだがな。しょっちゅう和葉の膝の上で弱音を吐いたり愚痴ばかり言ってる俗物だぞ。それで大体は叱られる」
「なんて羨ましい。それは最高のご褒美です。是非私の前でも甘えてください」
「えっ?!」
「今何か言いましたでしょうか?」
「まあ、良いか。意思は固そうだしな。椿を側室として迎え入れよう。末永く宜しく頼む」
「……」
「どうした椿?」
「嬉しくて……つい涙が……申し訳ございません」
この時初めて椿の年相応な姿を見たような気がした。大人びているように見えてもまだ一四歳。実年齢は一三歳である。前世で言えば、中学生になったばかりだ。この若さでよくぞこの場を乗り切ったものである。
そう思うと、つい情が沸いてしまうのは何故なのか。側室を娶るのを嫌がっていた割りに、椿の健気な姿を見て愛らしさを感じてしまう。
理由もなく何となくこうした方が良いと思い、俺はすっと椿の後ろに回ると、背中側から手を回して抱きしめていた。
「えっ? ど、どうされたのですか?」
「よく頑張ったな、椿」
「……はい」
その直後、まるで堰を切ったかのように椿が大声を上げて泣きじゃくる。緊張の糸が途切れてしまったのだろう。ただ感情のままに涙する姿は、やはり一四歳の女の子であった。
涙声でこれまで自分がどれだけ頑張ったかを話す椿と相槌を打つ俺。時折頭を優しく撫でながら「よく頑張った」と耳元で囁く。何度も。嗚咽を交えながら「椿は、椿は……」と声を絞り出すそんな時がしばらく続いた。
そうかと思うと、何かに気付いたようにいきなり立ち上がった椿が、俺を突き飛ばして脱兎の如く部屋から出て行く。
突然の椿の行動に呆気にとられるも、俺は周りにいた家臣達に箝口令を敷いてこの場を収める。年頃の女の子が大勢の男のいる前で感情的な姿を晒したのだ。冷静になれば大恥を晒した感じてもおかしくはない。そう思った俺は椿の行動を咎めもせず、部屋を出て行った椿を追う事もせず、何事も無かったとした。
こうなると、側室の話は成り行きに任せるのが良いだろう。今日の出来事を恥だと感じ、破談とするならそれはそれで受け入れるつもりでいた。
案の定五日後、阿波海部家から理由も無く椿の側室入りを一年延ばして欲しいと書状が届く。本人の強い希望だそうだ。
ただそうは言っても、ここまで勢力が大きくなると大大名という肩書は簡単には投げ出せない。引退するには最低限遠州細川家の跡継ぎが必要となる。待望の嫡男は足利御三家の一つ石橋家への養子が決まっているという事情から、俺はまだまだお家の当主を続けなければならなかった。
全て分かっている。今回留守番となったのも、海部 友光殿の妹である椿殿の側室入りの話が出たのも、この跡継ぎ不在の不安定な状況が背景にあるのだろうと。
とは言えその側室の話も、正妻である和葉が認めなければ全ては水の泡となる。
この時代の武家の正妻の力は意外と強い。正妻が納得しなければ、側室を娶る事も正妻以外から生まれた子供の認知もできなくなる。隠れて外に妾を作り子を産ませれば、それは他人の子となってしまう。それ位厳しいものだ。この時代、武家の妻はほぼ歴史の表舞台には出ないが、ないがしろにされていた訳ではない。
だからこそ俺には、和葉に新たな側室を認めてもらうという最後の仕事が残っていた。和葉とは長年連れ添った仲だけに、きっと俺の意図を汲んだ良い回答を出してくれると期待している。
「悪い、和葉。どうしても断れなくて、海部殿の妹の側室入りを受けてしまった。断ってくれ」
「何が『断ってくれ』よ。側室は椿ちゃんでしょ。認めるに決まってるじゃない」
……おかしい。何故こうなってしまうのか。
俺は女性問題で痛い目を見ているため、もう懲り懲りである。アヤメの側室入りは、長く付き合いがあったからこそ受け入れられたというだけだ。変人の俺とも上手くやっていけるだろうと。
しかし俺は椿殿とは殆ど面識が無い。会ったのは約五年前に一度きりである。それも彼女が九歳の頃だ。会話も二言三言を交わした程度である。
加えて海部 友光殿が目の中に入れても痛くない程可愛がっているとなれば、蝶よ花よと育てられたのは確実だ。阿波海部家は裕福で知られているだけに、育ちの悪い俺とは価値観が何もかも違うと踏んでいる。
結論としては、断るのが互いのために良いと考えていた。そう思い最後の抵抗として、あの時「許可を得てから」という言葉を混ぜておいたのだが、それが和葉の手によって水の泡とされる。
「どうして? 俺がこれ以上側室は増やしたくないのは和葉も知っているだろうに。それに椿殿は姫だぞ。多分お互いが合わない」
「はあぁ。国虎、分かってる? 私は今年で年が三一になるんだけど」
「ん? 和葉は若くて綺麗だよ。それに三一なら、まだまだこれからだろうに」
「絶対分かってないでしょ。国虎、ちょっとそこに座りなさい」
ここで「もう座っている」と言えば火に油を注いでしまうために、何も言わず居住まいを正す。
「国虎、女はね、三〇歳を超えると子を産むのが危険になるのよ」
「何言ってんだよ。初産なら分かるが、まだまだ大丈夫だろ? 四〇歳でも子を産んでいる女の人は幾らでもいるぞ」
「それでも流産し易くなるし、難産になり易くなるのよ。折角できた子がいきなり死んでしまうのを覚悟しなければならないの。義母上はそれを知っているから、国虎に新しい側室を手配したのよ」
「そ、そうなのか。ままならないものだな」
「でも私だって諦めた訳じゃないわよ。せめてあと一人は子が欲しい。アヤメちゃんはまだ五人は欲しいと言っているけど……」
現代日本であれば、四〇歳を越えれば俗に高齢出産と言われる部類となる。母体にも生まれる子供にも悪影響が出易く敬遠されているものだ。
しかしながらこの時代はそういった認識が皆無なのか、はたまた基礎体力が違うのか分からないが、四〇歳を超えても平然と子供を産む女性が意外と多い。子供の成人率が低いからこそ、一人でも多くというのが背景にあるのだろう。
それが理由で俺はのんびりと構えていた。まだ一〇年、一五年と時間があれば、最低限子供の一人は授かるだろうと。
また、一〇年後には俺の子供達が成人を迎えている。そうすれば子孫を残す役割は子供達に託せば良い。こんな軽い気持ちで考えていた。
だがこの青写真が、和葉の言葉で間違いだったと気付かされる。四〇歳を超えても子供を産んでいるというのはあくまで結果であり、その背後には多くの流産や死産、母親の死亡があるというのだ。結果だけを見ていた俺が軽率だった。
「つまりこういう事か。側室を娶って子が産まれる確率を上げろと。何だか辛いな。死ぬかもしれないと思って子を作らないといけないのは」
「何言ってるの国虎。女にとって出産は戦なのよ。戦なら命を落とす時もある。でも私が産む子は連戦連勝を重ねる国虎の子でもあるのよ。もっと自分の力を信じなさい」
「強いな、和葉は。けどその通りだ。俺と和葉の子ならきっと大丈夫だな。元気に産まれるだろう。なら早速子作りをするか」
「……誤魔化されないからね。今は側室に椿ちゃんを迎えるかどうかでしょ? いい加減、観念なさい」
「チクショー。駄目か。ああもう、ここまで外堀を固められていたら椿殿を側室に迎えるしかないな。分かった。観念する。ただこれだけは覚えておいてくれ」
「聞きましょう」
「まず第一は椿殿の実家がどうであろうと、序列は三番目だ。一番は和葉しかいない。だから椿殿に変に遠慮するなよ」
「分かった」
「次は側室はもう二度と取らない。これが最後だ。俺からも母上に伝えておくが、和葉も俺の意思を尊重してくれ。今後母上が何か言ってきても、絶対に断ってくれよ」
「仕方ないわね。また喜玖様のような騒動を起こしたくないもの。私からも義母上に伝えておくわ」
「そう言ってくれると助かる」
今回の一件は和葉が言った「出産は戦」という言葉に尽きる。だからこそ勝利するためには形振り構っていられない。そんな母上の執念が実を結んだ結果なのだろう。
要するに俺は海部 友光殿から話を聞かされていた時点で詰んでいたという訳だ。これはどうにもならない。
とは言え、最後にせめてもの抵抗を示した。それが側室の打ち止め宣言である。
遠州細川家の領国が広がり過ぎたからか、実は俺への縁談の話は今も多い。跡継ぎ不在なのだから当然であろう。
それを全て断っているのは俺自身の問題だけではない。子が産まれた場合の外戚問題がある。平たく言えば、側室の実家が政に関与してきたり、利益の供与を求めるものだ。特に当家は外に出せない技術が多いだけに、簡単に側室は迎えられない。
まだ今回は長年付き合いのある阿波海部家で良かったと思う。これがもし公家の娘であったなら、思わずぞっとしそうだ。
いや……その場合は、俺なら全力でぶち壊しに掛かるか。
「国虎、また難しい顔をしてる。私といる時位、もう少し肩の力を抜いたら。それで今日、子作りはどうするの?」
「そりゃあするさ。もう一人と言わず二人は和葉との子が欲しいからな」
大大名なんてしていると厄介な話ばかりが持ち込まれてくるが、それに振り回されてばかりもいられない。和葉の言う通りだな。悩むのは後回しにするとしよう。
どの道、なるようにしかならないのだから。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「驚いた。随分と見違えたな。本当に椿殿本人か? 別人かと思ったぞ」
「椿とお呼びください」
「それに綺麗になった。町に出れば、すれ違った男は皆振り返るだろう」
「……椿とお呼びください」
「悪かった。椿、あの時以来だな」
「…………はい」
五年の月日は少女を大人の女性へと成長させるに十分な時だと言って良い。但し、この時代の価値基準という注釈付きだ。年齢はまだ一四なので、俺から見ればあどけなさの残る少女という認識は拭えない。
とは言え、この年齢を感じさせない落ち着いた雰囲気を見ると、俺の感覚が間違っているのではないかと錯覚してしまいそうになる。
面白いのは、これだけしおらしいのに髪は短く整え、肌も日に焼けている点だ。本来は活動的な性格なのだろう。前に会った時には白い肌をしていただけに、別人かと思うほどの変わりようであった。
「今回来てもらったのは最終確認になる。望まない側室入りなら破談にしようと思ってな。椿ほどの美貌なら婚姻話は引く手数多だろう。それに阿波海部家はもうすぐ国持ちとなって周防仁木家となる。今後はより『椿を正妻に』と望む声は多くなり、相手の条件も良くなると思うぞ。それでも俺の側室で良いのか?」
俺の知る限り椿は、三好 長慶の嫡男 畠山 慶興の婚約者候補であったり長宗我部 弥三郎 との縁談が持ち上がった程だ。この事実だけ見ても縁談には事欠いていないと言って良い。
更には椿本人のこの美貌。切れ長の眉と整った顔立ちから溢れる清楚な雰囲気は、武家の正室として理想的であった。
だと言うのに、
「はい。私はずっと国虎様の妻となるのを夢見ていましたので。その願いが叶って嬉しく思います」
これだ。芯が強いのは美徳だとは思いつつも、ここまで来れば執着のようにも感じてしまう。
「そこだな。前会った時も気になってたんだが、俺に拘る理由がよく分からん。家の事情なら気にしなくても良いぞ。椿の兄上とは一〇年以上の仲だ。今後も両家は良い関係を続けたいと思っている」
「正直にお話しすると、お家の繁栄のためにという考えも少しはあります。私は武家の娘ですので。ですがそれ以上に、英傑である国虎様のお側にいたいのです」
ここで意外な事実が発覚する。結論から言えば、椿の俺への憧れは海部 友光殿が元凶であった。どうやら事あるごとに椿の前で俺の話をしていたらしく、気が付けば椿の中で存在が大きくなっていたのだとか。しかもその話は、三好 長慶や細川 晴元と比較する形が多かったという。
思えば、確かに俺は三好 長慶や細川 晴元と境遇が似ている。細川 晴元は七歳、三好 長慶は一一歳、俺は一四歳という元服前に親を亡くし当主を継いだ身だ。しかも継いだ当初は家の内情がボロボロであり、一歩間違えば滅んでいたという共通点がある。
ただ、俺は三人の中では当主就任が一番遅い。それに奈半利という基盤があった。そこから考えれば、比較するのが間違いではないかと考える。
しかし海部 友光殿はそうは考えなかったらしい。病弱な泰親兄上がいつ倒れても大丈夫なように、早くから基盤作りを始めていたと解釈した。そこが他の二人と違うと椿に話したという。貧乏から脱出するために始めた商いを、政権基盤と勘違いするのは何かが間違っている。
こういった形で俺の行動を万事良い解釈をして話す。気が付けば椿は、俺をこの時代屈指の英傑と勘違いするようになっていた。何となく、映画やドラマのヒーローに憧れているのと変わらないように感じてしまう。
「……英傑ねぇ。俺はそんな凄い人物じゃないんだがな。しょっちゅう和葉の膝の上で弱音を吐いたり愚痴ばかり言ってる俗物だぞ。それで大体は叱られる」
「なんて羨ましい。それは最高のご褒美です。是非私の前でも甘えてください」
「えっ?!」
「今何か言いましたでしょうか?」
「まあ、良いか。意思は固そうだしな。椿を側室として迎え入れよう。末永く宜しく頼む」
「……」
「どうした椿?」
「嬉しくて……つい涙が……申し訳ございません」
この時初めて椿の年相応な姿を見たような気がした。大人びているように見えてもまだ一四歳。実年齢は一三歳である。前世で言えば、中学生になったばかりだ。この若さでよくぞこの場を乗り切ったものである。
そう思うと、つい情が沸いてしまうのは何故なのか。側室を娶るのを嫌がっていた割りに、椿の健気な姿を見て愛らしさを感じてしまう。
理由もなく何となくこうした方が良いと思い、俺はすっと椿の後ろに回ると、背中側から手を回して抱きしめていた。
「えっ? ど、どうされたのですか?」
「よく頑張ったな、椿」
「……はい」
その直後、まるで堰を切ったかのように椿が大声を上げて泣きじゃくる。緊張の糸が途切れてしまったのだろう。ただ感情のままに涙する姿は、やはり一四歳の女の子であった。
涙声でこれまで自分がどれだけ頑張ったかを話す椿と相槌を打つ俺。時折頭を優しく撫でながら「よく頑張った」と耳元で囁く。何度も。嗚咽を交えながら「椿は、椿は……」と声を絞り出すそんな時がしばらく続いた。
そうかと思うと、何かに気付いたようにいきなり立ち上がった椿が、俺を突き飛ばして脱兎の如く部屋から出て行く。
突然の椿の行動に呆気にとられるも、俺は周りにいた家臣達に箝口令を敷いてこの場を収める。年頃の女の子が大勢の男のいる前で感情的な姿を晒したのだ。冷静になれば大恥を晒した感じてもおかしくはない。そう思った俺は椿の行動を咎めもせず、部屋を出て行った椿を追う事もせず、何事も無かったとした。
こうなると、側室の話は成り行きに任せるのが良いだろう。今日の出来事を恥だと感じ、破談とするならそれはそれで受け入れるつもりでいた。
案の定五日後、阿波海部家から理由も無く椿の側室入りを一年延ばして欲しいと書状が届く。本人の強い希望だそうだ。
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