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七章 鞆の浦幕府の誕生

一条 房通の遺言

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 弘治こうじ三年 (一五五七年)となった。

 昨年に俺が行った施策が様々な形で影響を及ぼすようになる。

 その中でもやはり顕著なのは、足利 義栄あしかが よしひで備後びんご国主就任であろう。公方である足利 義輝あしかが よしてるは未だに京に戻れず朽木谷に逼塞しているというのに、突如足利の名を冠する約一九万石の大名が誕生したのだ。これが話題とならない筈はない。

 しかも義理の父親が俺となれば尾ひれが付くというもの。そのお陰か早速様々な者達が接触を試みたという。

 中でも堺や博多の商家は、いの一番に面会を求めたという話だ。

 これはとても分かり易い。瀬戸内の海を縦断するかのように散らばる芸予叢島げいよそうとうは遠州細川家の勢力下にあるのだから、優遇の口利きを求めるのは自然な流れとも言える。堺の商家など俺と絶縁状態であるのもお構いなしだ。その厚顔無恥さは評価すべきとも言えるが、ダシにされる備後足利家は堪ったものではない。

 結果として商家達は、けんもほろろの対応をされてしまったという。

 また、西国の武家も同様である。

 豊後大友ぶんごおおとも家や出雲尼子いずもあまご家は当家との全面的な争いを避けたいからか、足利 義栄に仲介を依頼してきたそうだ。けれども足利 義栄の上洛には兵を出す確約はしようとはしない。出すのは端金はしたがねや贈り物のみだったという。

 このような態度では和睦の仲介などできる筈がない。筆頭家老の篠原 長房しのはらながふさが両家の使者を叱り飛ばしたという話だ。

 足利の名を持っていた所で世間の風は厳しい。そんな現実を足利 義栄は学んだだろう。現公方 足利 義輝あしかが よしてるの打倒はそう簡単なものではない。それは当たり前の事実ではあるものの、足利 義栄が考えていた以上に困難だというのが今回の一件で分かったのではないかと思われる。

 今はまだ、自身の足場をしっかり固める時期だと考えてくれたなら嬉しい。

 ただ、そうは言ってもギャンブルが好きな連中はごまんといる。敢えて足利 義栄という万馬券を買おうとする者がいるから世の中は面白い。しかもそれが朝廷ともなれば、備後足利家中も俄かに活気付いただろう。例えそれが朝廷お得意の二股外交であったとしても、現状の足利 義栄にとっては一筋の光に見えたに違いない。

 一つ問題があるとすれば、その朝廷の使者が曲者であった。何と京の一条いちじょう本家の当主が使者としてやって来たという話である。

 俺と足利 義栄は協力関係にあっても、両者の最終的な目標は異なっている。だとすれば、俺と因縁のある相手を備後足利家が受け入れたとしても、問題がある訳ではない。俺も俺で備後足利家の交流関係に口出しするのも野暮な話だ。

 とは言え、俺には一条家のなけなしの荘園を奪い一条本家の生活をどん底に突き落とした過去がある。追放した土佐一条家の家中一同は、今も尚豊後大友家の援助で細々と生きていると聞く。

 こうした背景がある以上、朝廷の取次を一条本家に任せると足利 義栄に不利になるのではないか? 具体的には俺の悪行をネタに強請が繰り返されるのではないかという懸念が付き纏う。可能なら別の公家に取次を変えてもらった方が良いのではないかと考えた。折角の朝廷との繋がりも、俺が足を引っ張ってしまえば元も子もないのだから。

 しかしながら、この話には続きがある。意外な事に使者の一条本家当主は、俺との和睦を前提として足利 義栄への使者に名乗り出たという話であった。

 一体全体どういった風の吹き回しでこうになったのであろう。

「まずは単刀直入にお聞きしましょう。一条家当主 一条 内基いちじょう うちもと様は、何が目的で当家との和睦を希望しているのでしょうか?」

 書状を読み終えた俺は目の前の一条 内基主従に問い掛ける。この主従は足利 義栄への訪問後、数日の滞在を経て、その足で撫養むや城まで立ち寄るという念の入れようだ。俺を京まで呼びつけるような真似はせず、自分達から足を運ぶ事で和睦は嘘ではないと示したいのだろう。事前に先触れで一連の流れを理解していたとは言え、いざ対面となると、行き着くのは結局の所これであった。

「一条家ご当主はまだ幼少のため、諸大夫しょだいぶである難波 常久なんば つねひさがお答えさせて頂きます。細川様には何卒一条本家へのご支援を。以後一条家は、細川様並びに足利 義栄様のご意向を積極的に朝廷へと伝える役割をする所存です」

「なるほど。官位の仲介という意味ですか。それも積極的というのは、銭を求めてという意味ですね。良ければ何があってこの方針転換があったかをお聞かせ頂けないでしょうか。内容次第によっては一条本家との和睦を致しますし、支援もさせて頂きます」

 端的に言えば、銭が欲しいから和睦をしたいとなる。随分と世知辛い理由だ。

 理由は分かる。一条家は今や完全に没落した家だ。収入源となる荘園は最早残っていない。これでは食べるだけでも大変だろう。生活費を切り詰めるだけではなく、下手をすれば家臣となる諸大夫以下を養うために借財を繰り返していたかもしれない。

 なら何故当家への支援の依頼となるのか? 支援なら、属している九条くじょう派閥と連携をしている三好宗家みよしそうけを頼った方が早い。見た所、現一条家当主の一条 内基は一〇歳前後の幼さである。これほど幼いなら、三好 長慶みよし ながよしに縋り付けば嫌とは言わない筈だ。何か三好宗家を頼れない理由があるのだろうか?

 これには意外とも言える答えが待っていた。

「驚いた。まさか、前当主 一条 房通いちじょう ふさみち様の遺言だったとは」

「はい。昨年の一二月にお隠れになった先代様は、実は細川様を高く評価されていたのです。一条家の荘園であった幡多荘はたのしょうは先代様の生まれ故郷なのは御存じでしょうか? 一条本家には養子として入られました」

「そうなのですか。初めて聞きました」

「通常、荘園の経営状態など我等は気にしないものです。ですが、先代様は生まれた地というのもあってか、常々幡多荘や実家の土佐一条家を気に掛けておられました」

「なるほど。当時の土佐一条家の隆盛を知っていれば、あっさりと当家に併呑されるとは思わないですね」

「それだけではありません。細川様は中村なかむらの町を焼いたにも関わらず、それまで以上の繁栄を中村に齎しております。幡多荘の民は一条家ではなく、遠州細川家を称えるようになりました。以来先代様は、細川様の手腕を認めざるを得ないと思うようになったのです。敵対するよりも、両家は手を取り合うべきだと」

「……素晴らしいお考えです」

「ですが、先代様は細川様や義父である細川 国慶ほそかわ くによし様との因縁があるため、ご自身は和睦はできない。けれども内基様は違う。正直に一条本家の窮乏を伝えて助けてもらえと仰っておりました。細川様は理で動くお人だからこそ、こちらがそれを示せば全てを水に流すだろうと。そして願わくば、幡多荘に墓を建てて欲しいと口にしておりました」

 全ては最後の「墓を建てて欲しい」という言葉に集約されていると言って良い。それだけ故一条 房通は幡多荘への強い想いがあったという訳だ。

 勿論、まだ幼い息子に苦労をさせたくないという親心もあるのは分かる。だがそれらをひっくるめても、故郷の地を奪った当家と和睦をしようとは通常では考えられない。それも摂関家である一条本家がである。当家との家格の差を考えれば、和解の申し出は実質負けを認めたようなものだ。

 それを遺言という形で誰もが断れない状況を作り出すのだから、見事と言うしかない。

 ……完全にしてやられたな。

 きっとこれも何かの縁なのだろう。そこまで言うなら、これまで温めていた案の協力者になってもらうとするか。

「ほ、細川殿、父との約束を果たすためにも、何卒一条家との和睦をしてくだされ。この通り、お頼み致す」

「ご当主様!!」

「……一条様、まずは頭をお上げください。摂関家のご当主が軽々しく頭を下げるものではありません」

「ではっ!」

「和睦は前向きに検討致します。ただ……ここからが問題なのですが、実は私は官位に興味が無くてですね。九条くじょう様ともそうした価値観の違いで揉めた経緯があるくらいです。ですので一条本家に一つ骨を折ってもらいたいのですが、それを承諾頂けるなら和睦も致しますし、援助もしましょう」

「細川様、それはどういった内容でしょうか?」

「難波殿、そう難しい話ではありませんよ。ああそうか。まずこの点を確認しないといけませんね。今後一条本家は、備後、土佐、京の内何処を拠点にするおつもりでしょうか?」

「それは勿論京となります。足利様や細川様のご意向を伺うのは、他の誰かが下向すれば良いだけですので。何より帝に直接働きかけて官位を得るには、ご当主様が京におられる方が何かと都合が良いかと思われます。あっ、細川様は官位には興味がありませんでしたか。大変失礼しました」

「なるほど。今後も京に滞在する訳ですね。それは確かに都合が良いと言えます。なら一つ頼まれてくれますでしょうか?」

「はっ。当家は何をすれば良いでしょうか?」

「そう構えないでください。お願いしたいのは、細川京兆けいちょう家当主細川 氏綱ほそかわ うじつな様拉致の手引きというだけですから」

『…………(絶句)』

 弘治三年一月某日。今日は犯罪への誘いをするのにとても良い日であった。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「コホン、国虎様。そのような言い方をされますと、一条本家の方々がどう答えて良いか分からないかと。もう少し分かるようにお話しください」

 相変わらずの俺を見かねた右筆の谷 忠澄たに ただすみの言葉を皮切りに、細川 氏綱殿拉致作戦の具体的な内容を明らかにしていく。

 とどのつまり俺が一条本家に依頼したいのは、あくまでも拉致の「手引き」のみであった。

 例え実態が伴わないとは言え、三好宗家にとって細川 氏綱殿は名目上の主君である。いや、京を統治する大義名分になる人物だ。万が一の事態を考えれば、俺や当家の家臣が簡単に会える存在でもない。ほいほいと外に出歩くなど以ての外だ。ある意味籠の中の鳥と言えよう。

 だが面会する相手が公家であれば、しかも摂関家の一条家当主ともなればどうだ。家格の問題、政治的な意図を考慮しても、武家相手よりも確実に面会できる。更には方便として「帝からご機嫌を伺うように仰せつかった」とでも言えば、誰も怪しくは感じないだろう。

 面会中に話す内容も茶飲み話や細川 氏綱殿の武勇伝を聞きたいとなれば、より警戒心も下がる。何より当主がまだ幼いというのが良い。これが何度も続けば細川 氏綱殿は、一条 内基様主従の訪問を心待ちにするようになるというもの。籠の中の鳥が外の世界や非日常に思いを馳せるというのは、古今東西の共通である。

 こうして信頼関係を築けば後は仕上げだ。訪問を心待ちにされるような間柄となれば、次は一条本家の邸宅に呼ぶなり、「良い酒と料理を出す店を見つけた」と言い、外に連れ出せる。三好宗家の連中も、摂関家の誘いに「危ないから外に出るな」とまでは強制はできない。護衛を付けるのが精一杯となる。

 そこを当家の家臣達が襲う。邸宅に直行の場合でも、途中で「少し疲れたから店で茶でも飲んで休みましょう」と言えば良いだけだ。目的の店の店主に予め銭を掴ませ、手練れの家臣達を潜ませておく。

 これが拉致計画の全容であった。

 当然ながら一条本家の者達は、「自分達も被害者だ」という立場を貫く。こうすればバレはしないし、疑えない。もしも犯罪に加担したとして罪の意識を感じるなら、計画完了後に土佐や薩摩でゆっくりと静養すれば良い。時が全てを解決するだろう。

「……国虎様、貴方という人は普段何を考えて生きているのですか?」

「忠澄、良く聞け。今後訪れる当家と三好宗家との決戦に、細川 氏綱様の身柄がどちらにあるかで難度は大きく変わる。今のままで争いに突入すれば、当家は細川京兆家の家督を奪いにきた逆賊に認定されるからな。それだけは避けなければならない。だからこそ、一条家の力を借りてでも無茶をする必要がある」

 足利 義栄への周囲の態度で分かる通り、現実はそう簡単に事を成せない。相手は日の本全体の経済の五割を超える力を持っているのだ。慎重になるくらいで丁度良い。

 今回の計画では一条 内基様に結構危ない橋を渡らせるとは思うが、そこは戦国期の公家である。伊達に鎧を着て戦場に出はしない。腹の据わり方が違っていた。

「細川殿、その程度の協力で一条家が存続できるなら容易いものです。しからば多大なるご支援の程、期待しておりますよ」

「細川様、これだけはお約束ください。ご当主様を絶対に危険な目に合わさないようにと」

「難波殿、拉致の段取りは全てこちらで行わさせて頂きますのでご安心を。それに計画も二、三年の長期で考えてください。ですので訪問も、月に一度か二度辺りで良いでしょう。焦りは禁物です。もしかしたらその間に畿内の情勢が変わり、より簡単に事が運ぶかもしれませんので」

 ここから話はより具体的な内容へと進む。

 まず連絡要員として、家臣を出向させると取り決めた。名の売れている将では三好宗家を警戒させるため、まだ若い無名の文官肌の者を選ぶ。可能であれば難波 常久殿の養子として、そうでなくとも部屋住みの家臣として置いてもらうよう依頼した。支援はこの者を通して行う形とする。

 問題となるのは支援の方法である。支援は銀や証文では足が付きやすいために宋銭を支給するとして、その受け渡しをどうするかだ。

 ここで当家の家臣や馴染の商家、五山の僧を使者とすれば、当家と一条本家との関係性が疑われかねない。現代であればこういった時はペーパーカンバニーを使うものだが、この時代にはそんな都合良い存在が無いのがとても残念である。

 ……何か実体の無い形だけの組織はないものか。

 そんな時、難波 常久殿が思わぬ提案をする。

「良く分かりませんが、実体の無い集団であれば良いのであれば、『黄巾賊』を使うというのはどうでしょう?」

「……それは『三国志演義』に登場する反乱軍ではないですか? それをどう使うのでしょうか?」

「いえいえ、『黄巾賊』は一時期下京で暴れ回った武装集団です。丁度一二、三年前ですかね。確か京雀達が、安芸様……今は細川様のご家臣が作ったと噂しておりました。今はもう解散しているので騒ぎは起こしておりませんが、まだ残党はまだ残っているという話です。一度ご家臣に確認されては如何ですかな」

「それだけでは多分当家の家臣も分からないかと。何か他に特徴を御存じありませんか?」

「特徴と言えるかどうかは分かりませんが、下京に現れた『黄巾賊』は黄色の頭巾ではなく、右肩口に黄色い布を巻いていたという話です」

「右肩口ですか……」

 「右肩口」「黄色」これが分かれば、「黄巾賊」は誰の関係者か一目瞭然だ。一二、三年前の京と言えば、和葉が柳原の今村邸に厄介になっていた時期である。あいつ等は一体何をしでかしいたんだ。

 いやそれよりも、今はこの状況を利用すべきだろう。

 突然降って沸いた『黄巾賊』の話は、俺に思わぬ展開を予感させた。
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