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七章 鞆の浦幕府の誕生
不良宣教師
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土佐平野を手にしてから一〇年、土佐を統一してからは六年も経つと、土佐国の景色は大きく様変わりする。
こういう時、陸の孤島という悪条件は逆に働くのだと妙に納得してしまうものだ。土佐から一歩出た途端に戦時体制が続く日の本であっても、ここだけは別世界となっている。海上要塞淡路島は近くに無い。あるのは活気に満ちた声と、トンカツを食べるための行列くらいであろうか。
……この戦国時代に、食べ物を求めて行列ができるとは思わなかった。
今回の目的は土佐におけるキリスト教教会二号店の視察である。正しくは土佐の民に肉料理が受け入れられているかの確認であったのだが、この光景を見る限り心配は無用のようだ。
ようやくこれで不良宣教師 ペドロ・デ・アルカソヴァも面目を施すだろう。この行列客の何割かが信者という名の店の会員となってくれればしめたもの。土佐でのキリスト教布教も形を成す。
長く苦戦が続いただけに喜びもひとしおであろう。
教会が土佐の浦戸にできたのは、三年ほど前であろうか。廃寺を改修した粗末な建物であったとは言え、そこに突然青い眼をした異国人が住み着いたのだ。当時は大きな話題となったらしい。
ただ、その後がいけない。
鳴り物入りで開店した治療院兼教会も、初めは物珍しさから盛況であった。しかしながら、一月も経たない内に閑古鳥が鳴く寂しさとなる。
これには大きな理由があった。当然ながら、俺が仕掛けた禅宗の医療施設である延寿堂の存在は大きい。その施設に住む僧は、明での最新医療技術を身に付けているのだ。西洋医学すら学んでいない素人の宣教師で太刀打ちしようというのは、土台無理な話である。
そう、土佐での教会第一号店は治療院を併設しているというのに、医療に従事した経験者がいないという残念な状態であった。薬草の知識さえも無い。これでは勝負する前から結果が見えているのと同じだ。幾ら日の本は文明が遅れているとは言え、舐め過ぎである。
初手で間違いを犯してしまえば、その後にどんなにありがたい教えを説こうとも客足は戻らない。教えでは腹は膨れないのだから、当然とも言えよう。
また、布教場所が土佐というのも良くなかった。
キリスト教はその性格上、相互扶助が重んじられる。困った時は皆で助け合おうというものだ。もし土佐が戦の絶えない危険な場所であったなら、生命や財産を守るためにもこの精神が十分に発揮されて教えも浸透していたであろう。
だが悲しいかな現在の土佐は平和である上に、民が飢えるという事態は起こらない。そうなれば相互扶助の精神が発揮されるのは、味噌や塩の貸し借り程度となる。
これではキリスト教信者を増やそうにも、増える筈がなかった。
鳴り物入りで土佐の地を踏んだ宣教師 ペドロ・デ・アルカソヴァは、こうして初めての挫折を経験する。
こういう時、エリート程あっさりと挫折してしまうのは戦国時代でも変わらない。気付けば酒に溺れ、当家が手配した助手に手を出し、怠惰な日々を送るようになる。異国の地で飲んだ山ブドウで作られたワインに、懐かしい故郷を重ね合わせたとしても不思議ではない。聖職者と言えども所詮は人だというのがよく分かる。
転機が訪れたのはそれから約半年が過ぎてからとなる。
ついに浦戸の港にポルトガルの船が寄港したのだ。こうなれば布教のために日の本の言葉を覚えた不良宣教師の独壇場となる。青い眼を持つ屈強な男達と対等に渡り合う宣教師の姿は、土佐の民の目に頼もしく映ったのは言うまでもない。
そこからのペドロ・デ・アルカソヴァは思わぬ行動をする。
あろう事か教会の役割を語学学習の場へと改めたのだ。今後も土佐の港に訪れるポルトガル人との意思疎通のために、ポルトガル語の会話教室を開催するようになる。また望む者には、聖書をテキスト代わりとしてラテン語の講義も始めるようになった。
この時点で土佐におけるキリスト教信者はその意味を変えるようになる。教室の生徒がキリスト教信者という扱いとなった。
トンカツ屋の開店は、語学教室に続く第二弾と言って良い。というよりも、キリスト教が肉食を禁忌ではない点を利用して、俺がペドロ・デ・アルカソヴァと組んで肉食布教のために始めさせた。
ペドロ・デ・アルカソヴァがキリスト教の教えを愚直により多くの民に広めようとする真面目な男ではないからこそ、この役に適していたとも言える。
この時代のキリスト教宣教師は、「適応主義」と呼ばれる日の本の文化を尊重した活動を行っている。俺を訪ねてきたコスメ・デ・トーレス一行が直垂姿だったのがその典型であろう。当然ながらその「適応主義」は、日々の食事も日の本の民と同じ物を食べなければならない。
だが不良宣教師であるペドロ・デ・アルカソヴァは、そんな取り決めを守ろうとはしなかった。やれ「パンが食べたい」だの、「チーズが食べたい」だの、「ビールが飲みたい」だのを言い出す始末。まだ土佐での布教が上手く進んでいれば大人しかったのであろうが、夢破れて現実を知るとホームシックになったのだと思われる。
けれども俺にとってその我儘は追い風であった。遅々として進まないポルトガル船の入港を促す良い口実にする。具体的にはこちらが資金を出すからと、パンやチーズを作れる職人を呼び寄せる手配をさせた。そのついでにこちらの欲しい物も持ってきてもらう段取りも整えさせる。
こうして俺とペドロ・デ・アルカソヴァは、キリスト教の枠を超えたビジネスパートナーとして手を結んだ。
以後浦戸は少しずつ国際港へと歩みを始めていく。その成果の一つがトンカツ屋というのがとても面白い。
「おお、クニトラ、こんな所で何をしているでござるか?」
「ペドロか。久しぶりだな。いや何、新しい教会が繁盛しているか気になってな。その視察に来た」
「それはかたじけない。ですが御心配には及びません。行列の毎日でござるよ。トンカツを食べに来た礼拝者の内、何人かは信者になってくれるのです。このまま行けば、きっとこの土佐が神の国になるでござるよ」
「そ、そうか。良かったじゃないか」
信仰とは何なのか。神とは何なのか。土佐でのペドロ・デ・アルカソヴァの行動を見れば、そんな疑問がついつい沸いてしまうものだが、この時代の信仰は何より現世利益を重視する。そう考えれば、肉食いたさにキリスト教を信仰するというのはそう間違った行動ではない。むしろ身近であるからこそ、信仰とは敬虔なものではなく軽いノリで決めてしまえるのだろう。都合が悪くなったり飽きれば、他の宗派に乗り換えれば良い。その程度のものだと考える。
この時代の人々は、俺が思うよりも逞しく強かなのかもしれない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「クニトラ、お助け下され。今度平戸の本部から視察にやって来るとの書状が届いたでござるよ。拙僧はどうすれば良いでござるか?」
翌日、俺を訪ねてペドロ・デ・アルカソヴァが浦戸城までやって来る。数日はここに滞在するからと、何かあればいつでも訪ねてくるようにと言った矢先の出来事であった。
視察というからには何か不祥事でも起こしたのかと聞くと、むしろその逆で、トンカツ屋の開店以降信者の数がうなぎ登りであるのを多少誤魔化して報告したのを平戸の本部が好意的に捉えて視察を決定したという話であった。要はペドロ・デ・アルカソヴァの功績を称え、そのついでに土佐での活動の実態を把握したいらしい。
──トンカツ屋の会員を信者として偽っていたのをバレないようにするにはどうすれば良いか?
これがペドロ・デ・アルカソヴァの訪問目的であった。
「とりあえず、その司祭服は止めておけ。当日は直垂か小袖に着替えろよ」
「おおっ、それはその通りでござるな」
本部の「適応主義」の方針など何のその。土佐では司祭服を着て飲んだくれているペドロ・デ・アルカソヴァも、どうやら本部の視察は恐ろしいようだ。
個人的には不真面目な態度がバレればインドに戻されるのだから、願ったり叶ったりではないのではなかろうかと考える。ペドロ・デ・アルカソヴァは不良宣教師とは言え、本来はカトリック教会の司祭だ。そんなエリートから見れば、ここ日の本は未開の蛮族が住む地にしか映らないのだから。
だが意外な事に、当の本人は土佐を気に入っていると話す。
来た当初は何度も「すぐに帰ってやる」と考えていたそうだが、食べ物が充実しているのみならず、慕ってくれる民とは離れたくらしい。とどのつまり情が湧いたそうだ。
それに何より、
「ペドロ、お前子供ができたのか? ちょっと待て、イエズス会は妻帯を許可していたか?」
「そうでござる。イエズス会は妻帯を認めていないでござるよ。ですが拙僧は美千代を愛しています。それに産まれてくる子を不幸にしたくありません」
「……心掛けは立派ではあるか。分かった。今回ばかりは協力しよう」
不良宣教師らしく、手を出した助手が身籠ったので妻として迎えたいというのが土佐に残りたい理由の大きなものであった。当然ながら、それは本部には内緒にした上である。もうこうなれば、真面目なのか不真面目なのかが良く分からない。
助手に手を出すように段取りさせたのは、そもそもが俺の悪巧みである。だからこそここまで執着してくれたなら、ある意味成功とも言える結果だ。それだけに俺も最後まで面倒を見る必要がある。
こういうのを自業自得と言うのだろう。
こうして俺は、不良宣教師が土佐に残れるように協力する羽目となった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「クニトラ、今回のミサは大成功です。本部から来た方々も大満足しているでござるよ。このまま土佐で布教を続けて良いとの言葉ももらいました」
「おおっ、それは良かったな」
一月後、平戸の本部からお偉いさんが視察にやって来る。それに合わせて、俺とペドロ・デ・アルカソヴァはある仕掛けを行った。
それはミサと称したミニコンサートの開催である。空き地に作った野外ステージという名の急ごしらえの壇上で、簡単な儀式を行い演奏を披露する。これが土佐での布教活動の一つだと本部の者達に紹介した。
とは言え、この日の本にキリスト教のミサに適した楽器は無い。特徴とも言えるパイプオルガンなど以ての外だ。あるのは琵琶や横笛、笙といった和楽器のみである。
そこで今回は秘密兵器を用意した。それは石琴と呼ばれる打楽器である。要は叩けば音の出る石を楽器化した代物なのだが、四国の讃岐国五色台周辺で産出される「サヌカイト」という石をここで利用させてもらった。
実はこの「サヌカイト」は地元では古くから知られており、江戸時代には既に楽器として使用されている。その伝統は長く受け継がれ、ついには一九六四年に開催された東京オリンピックでも、サヌカイトの音色は選手村食堂で流れていたという話だ。それだけこのサヌカイトの音色は物珍しくて且つ心に響くものだと言えるだろう。
そんな面白い素材をここで使わずいつ使うかという話であった。
幾らこの時代が娯楽に飢えているとは言え、告知もそこそこの急ごしらえのミニコンサートに人が押し寄せる筈は無い。それでも集まった約一〇〇名ほどの物好きは、初めて聞くサヌカイトの清涼な音に酔いしれてやんやの歓声を上げる。この時代にはまだ拍手という文化は伝わっていないというのに、ここまでの反応が見れたのは意外だったと言えるだろう。
人というのは、本当に良い物があった時には素直にその気持ちを出す生物なのかもしれない。
それは視察にやって来た本部の連中も同じである。ミサの始まる前には集まった人数の少なさから、土佐支部の成果を疑問視していたのではないだろうか。
しかしながら、演奏が終わればその掌はひっくり返る。聞いた事の無い音色、感じた事の無い響き、そして最後に訪れる満足感。ペドロ・デ・アルカソヴァのこれまでを評価するには十分だったと思われる。それが土佐在留のビザ獲得に繋がったという所か。
「それにしても、よくぞこの一月で『サヌカイト』の石琴を完成させ、演奏も成功させたものだ。演奏者と職人には特別に褒美を出さないといけないな。ペドロも後で頑張ってくれた者達を労ってやれよ」
「それなんですがクニトラ、このミサを今回限りで終わらすには勿体のうござる。頑張ってくれた皆様に報いるためにも、今後も定期的に演奏会を続けたいと思いました」
「何だそんな事か。良いぞ。ただそれには、もっと演奏できる曲を増やさないとな。今日みたいな二曲だけでは少ないからな。じゃあ、それを三号店でするか」
ポルトガル語教室、トンカツ屋に続く、土佐での新たなキリスト教教会の出店がこの他愛もない会話で決まる。
本来は南蛮貿易に利用するために呼び込んだキリスト教が、まさかこのような形で根付くとは考えもしなかった。こういうのを瓢箪から駒と言うのだろう。
思えば俺は勘違いをしていたようだ。
現代基準で見れば悪名高い奴隷売買は、この時代基準で見れば商いの一つの形でしかない。その証拠に俺も買う専門とは言え、何度も手を出している。
そこから考えれば、宣教師が奴隷売買に手を貸していたのは、単なる小金稼ぎが目的だったのではないのだろうか? もっと言えば、他の稼ぎ方を知らなかったから手を貸していたのかもしれない。つまりはその目的が達成されるなら、手段は何でも良かったのだと思われる。
ここでふと思い出すのは、現代でも日本人がアジア各国で売春行為を繰り返して問題となった件だ。方向性は違えど、宣教師も日本人も国元から離れた地でやんちゃをしたというのに変わりはない。そうなると不良宣教師の行動というのは、特別なものではないのだろう。
まあ、ペドロ・デ・アルカソヴァの場合は、日の本の女性に入れ込んでイエズス会の規則さえ守ろうともしない逸脱っぷりではあるが。
……ハニートラップの威力はげに恐ろしきかな。
こういう時、陸の孤島という悪条件は逆に働くのだと妙に納得してしまうものだ。土佐から一歩出た途端に戦時体制が続く日の本であっても、ここだけは別世界となっている。海上要塞淡路島は近くに無い。あるのは活気に満ちた声と、トンカツを食べるための行列くらいであろうか。
……この戦国時代に、食べ物を求めて行列ができるとは思わなかった。
今回の目的は土佐におけるキリスト教教会二号店の視察である。正しくは土佐の民に肉料理が受け入れられているかの確認であったのだが、この光景を見る限り心配は無用のようだ。
ようやくこれで不良宣教師 ペドロ・デ・アルカソヴァも面目を施すだろう。この行列客の何割かが信者という名の店の会員となってくれればしめたもの。土佐でのキリスト教布教も形を成す。
長く苦戦が続いただけに喜びもひとしおであろう。
教会が土佐の浦戸にできたのは、三年ほど前であろうか。廃寺を改修した粗末な建物であったとは言え、そこに突然青い眼をした異国人が住み着いたのだ。当時は大きな話題となったらしい。
ただ、その後がいけない。
鳴り物入りで開店した治療院兼教会も、初めは物珍しさから盛況であった。しかしながら、一月も経たない内に閑古鳥が鳴く寂しさとなる。
これには大きな理由があった。当然ながら、俺が仕掛けた禅宗の医療施設である延寿堂の存在は大きい。その施設に住む僧は、明での最新医療技術を身に付けているのだ。西洋医学すら学んでいない素人の宣教師で太刀打ちしようというのは、土台無理な話である。
そう、土佐での教会第一号店は治療院を併設しているというのに、医療に従事した経験者がいないという残念な状態であった。薬草の知識さえも無い。これでは勝負する前から結果が見えているのと同じだ。幾ら日の本は文明が遅れているとは言え、舐め過ぎである。
初手で間違いを犯してしまえば、その後にどんなにありがたい教えを説こうとも客足は戻らない。教えでは腹は膨れないのだから、当然とも言えよう。
また、布教場所が土佐というのも良くなかった。
キリスト教はその性格上、相互扶助が重んじられる。困った時は皆で助け合おうというものだ。もし土佐が戦の絶えない危険な場所であったなら、生命や財産を守るためにもこの精神が十分に発揮されて教えも浸透していたであろう。
だが悲しいかな現在の土佐は平和である上に、民が飢えるという事態は起こらない。そうなれば相互扶助の精神が発揮されるのは、味噌や塩の貸し借り程度となる。
これではキリスト教信者を増やそうにも、増える筈がなかった。
鳴り物入りで土佐の地を踏んだ宣教師 ペドロ・デ・アルカソヴァは、こうして初めての挫折を経験する。
こういう時、エリート程あっさりと挫折してしまうのは戦国時代でも変わらない。気付けば酒に溺れ、当家が手配した助手に手を出し、怠惰な日々を送るようになる。異国の地で飲んだ山ブドウで作られたワインに、懐かしい故郷を重ね合わせたとしても不思議ではない。聖職者と言えども所詮は人だというのがよく分かる。
転機が訪れたのはそれから約半年が過ぎてからとなる。
ついに浦戸の港にポルトガルの船が寄港したのだ。こうなれば布教のために日の本の言葉を覚えた不良宣教師の独壇場となる。青い眼を持つ屈強な男達と対等に渡り合う宣教師の姿は、土佐の民の目に頼もしく映ったのは言うまでもない。
そこからのペドロ・デ・アルカソヴァは思わぬ行動をする。
あろう事か教会の役割を語学学習の場へと改めたのだ。今後も土佐の港に訪れるポルトガル人との意思疎通のために、ポルトガル語の会話教室を開催するようになる。また望む者には、聖書をテキスト代わりとしてラテン語の講義も始めるようになった。
この時点で土佐におけるキリスト教信者はその意味を変えるようになる。教室の生徒がキリスト教信者という扱いとなった。
トンカツ屋の開店は、語学教室に続く第二弾と言って良い。というよりも、キリスト教が肉食を禁忌ではない点を利用して、俺がペドロ・デ・アルカソヴァと組んで肉食布教のために始めさせた。
ペドロ・デ・アルカソヴァがキリスト教の教えを愚直により多くの民に広めようとする真面目な男ではないからこそ、この役に適していたとも言える。
この時代のキリスト教宣教師は、「適応主義」と呼ばれる日の本の文化を尊重した活動を行っている。俺を訪ねてきたコスメ・デ・トーレス一行が直垂姿だったのがその典型であろう。当然ながらその「適応主義」は、日々の食事も日の本の民と同じ物を食べなければならない。
だが不良宣教師であるペドロ・デ・アルカソヴァは、そんな取り決めを守ろうとはしなかった。やれ「パンが食べたい」だの、「チーズが食べたい」だの、「ビールが飲みたい」だのを言い出す始末。まだ土佐での布教が上手く進んでいれば大人しかったのであろうが、夢破れて現実を知るとホームシックになったのだと思われる。
けれども俺にとってその我儘は追い風であった。遅々として進まないポルトガル船の入港を促す良い口実にする。具体的にはこちらが資金を出すからと、パンやチーズを作れる職人を呼び寄せる手配をさせた。そのついでにこちらの欲しい物も持ってきてもらう段取りも整えさせる。
こうして俺とペドロ・デ・アルカソヴァは、キリスト教の枠を超えたビジネスパートナーとして手を結んだ。
以後浦戸は少しずつ国際港へと歩みを始めていく。その成果の一つがトンカツ屋というのがとても面白い。
「おお、クニトラ、こんな所で何をしているでござるか?」
「ペドロか。久しぶりだな。いや何、新しい教会が繁盛しているか気になってな。その視察に来た」
「それはかたじけない。ですが御心配には及びません。行列の毎日でござるよ。トンカツを食べに来た礼拝者の内、何人かは信者になってくれるのです。このまま行けば、きっとこの土佐が神の国になるでござるよ」
「そ、そうか。良かったじゃないか」
信仰とは何なのか。神とは何なのか。土佐でのペドロ・デ・アルカソヴァの行動を見れば、そんな疑問がついつい沸いてしまうものだが、この時代の信仰は何より現世利益を重視する。そう考えれば、肉食いたさにキリスト教を信仰するというのはそう間違った行動ではない。むしろ身近であるからこそ、信仰とは敬虔なものではなく軽いノリで決めてしまえるのだろう。都合が悪くなったり飽きれば、他の宗派に乗り換えれば良い。その程度のものだと考える。
この時代の人々は、俺が思うよりも逞しく強かなのかもしれない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「クニトラ、お助け下され。今度平戸の本部から視察にやって来るとの書状が届いたでござるよ。拙僧はどうすれば良いでござるか?」
翌日、俺を訪ねてペドロ・デ・アルカソヴァが浦戸城までやって来る。数日はここに滞在するからと、何かあればいつでも訪ねてくるようにと言った矢先の出来事であった。
視察というからには何か不祥事でも起こしたのかと聞くと、むしろその逆で、トンカツ屋の開店以降信者の数がうなぎ登りであるのを多少誤魔化して報告したのを平戸の本部が好意的に捉えて視察を決定したという話であった。要はペドロ・デ・アルカソヴァの功績を称え、そのついでに土佐での活動の実態を把握したいらしい。
──トンカツ屋の会員を信者として偽っていたのをバレないようにするにはどうすれば良いか?
これがペドロ・デ・アルカソヴァの訪問目的であった。
「とりあえず、その司祭服は止めておけ。当日は直垂か小袖に着替えろよ」
「おおっ、それはその通りでござるな」
本部の「適応主義」の方針など何のその。土佐では司祭服を着て飲んだくれているペドロ・デ・アルカソヴァも、どうやら本部の視察は恐ろしいようだ。
個人的には不真面目な態度がバレればインドに戻されるのだから、願ったり叶ったりではないのではなかろうかと考える。ペドロ・デ・アルカソヴァは不良宣教師とは言え、本来はカトリック教会の司祭だ。そんなエリートから見れば、ここ日の本は未開の蛮族が住む地にしか映らないのだから。
だが意外な事に、当の本人は土佐を気に入っていると話す。
来た当初は何度も「すぐに帰ってやる」と考えていたそうだが、食べ物が充実しているのみならず、慕ってくれる民とは離れたくらしい。とどのつまり情が湧いたそうだ。
それに何より、
「ペドロ、お前子供ができたのか? ちょっと待て、イエズス会は妻帯を許可していたか?」
「そうでござる。イエズス会は妻帯を認めていないでござるよ。ですが拙僧は美千代を愛しています。それに産まれてくる子を不幸にしたくありません」
「……心掛けは立派ではあるか。分かった。今回ばかりは協力しよう」
不良宣教師らしく、手を出した助手が身籠ったので妻として迎えたいというのが土佐に残りたい理由の大きなものであった。当然ながら、それは本部には内緒にした上である。もうこうなれば、真面目なのか不真面目なのかが良く分からない。
助手に手を出すように段取りさせたのは、そもそもが俺の悪巧みである。だからこそここまで執着してくれたなら、ある意味成功とも言える結果だ。それだけに俺も最後まで面倒を見る必要がある。
こういうのを自業自得と言うのだろう。
こうして俺は、不良宣教師が土佐に残れるように協力する羽目となった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「クニトラ、今回のミサは大成功です。本部から来た方々も大満足しているでござるよ。このまま土佐で布教を続けて良いとの言葉ももらいました」
「おおっ、それは良かったな」
一月後、平戸の本部からお偉いさんが視察にやって来る。それに合わせて、俺とペドロ・デ・アルカソヴァはある仕掛けを行った。
それはミサと称したミニコンサートの開催である。空き地に作った野外ステージという名の急ごしらえの壇上で、簡単な儀式を行い演奏を披露する。これが土佐での布教活動の一つだと本部の者達に紹介した。
とは言え、この日の本にキリスト教のミサに適した楽器は無い。特徴とも言えるパイプオルガンなど以ての外だ。あるのは琵琶や横笛、笙といった和楽器のみである。
そこで今回は秘密兵器を用意した。それは石琴と呼ばれる打楽器である。要は叩けば音の出る石を楽器化した代物なのだが、四国の讃岐国五色台周辺で産出される「サヌカイト」という石をここで利用させてもらった。
実はこの「サヌカイト」は地元では古くから知られており、江戸時代には既に楽器として使用されている。その伝統は長く受け継がれ、ついには一九六四年に開催された東京オリンピックでも、サヌカイトの音色は選手村食堂で流れていたという話だ。それだけこのサヌカイトの音色は物珍しくて且つ心に響くものだと言えるだろう。
そんな面白い素材をここで使わずいつ使うかという話であった。
幾らこの時代が娯楽に飢えているとは言え、告知もそこそこの急ごしらえのミニコンサートに人が押し寄せる筈は無い。それでも集まった約一〇〇名ほどの物好きは、初めて聞くサヌカイトの清涼な音に酔いしれてやんやの歓声を上げる。この時代にはまだ拍手という文化は伝わっていないというのに、ここまでの反応が見れたのは意外だったと言えるだろう。
人というのは、本当に良い物があった時には素直にその気持ちを出す生物なのかもしれない。
それは視察にやって来た本部の連中も同じである。ミサの始まる前には集まった人数の少なさから、土佐支部の成果を疑問視していたのではないだろうか。
しかしながら、演奏が終わればその掌はひっくり返る。聞いた事の無い音色、感じた事の無い響き、そして最後に訪れる満足感。ペドロ・デ・アルカソヴァのこれまでを評価するには十分だったと思われる。それが土佐在留のビザ獲得に繋がったという所か。
「それにしても、よくぞこの一月で『サヌカイト』の石琴を完成させ、演奏も成功させたものだ。演奏者と職人には特別に褒美を出さないといけないな。ペドロも後で頑張ってくれた者達を労ってやれよ」
「それなんですがクニトラ、このミサを今回限りで終わらすには勿体のうござる。頑張ってくれた皆様に報いるためにも、今後も定期的に演奏会を続けたいと思いました」
「何だそんな事か。良いぞ。ただそれには、もっと演奏できる曲を増やさないとな。今日みたいな二曲だけでは少ないからな。じゃあ、それを三号店でするか」
ポルトガル語教室、トンカツ屋に続く、土佐での新たなキリスト教教会の出店がこの他愛もない会話で決まる。
本来は南蛮貿易に利用するために呼び込んだキリスト教が、まさかこのような形で根付くとは考えもしなかった。こういうのを瓢箪から駒と言うのだろう。
思えば俺は勘違いをしていたようだ。
現代基準で見れば悪名高い奴隷売買は、この時代基準で見れば商いの一つの形でしかない。その証拠に俺も買う専門とは言え、何度も手を出している。
そこから考えれば、宣教師が奴隷売買に手を貸していたのは、単なる小金稼ぎが目的だったのではないのだろうか? もっと言えば、他の稼ぎ方を知らなかったから手を貸していたのかもしれない。つまりはその目的が達成されるなら、手段は何でも良かったのだと思われる。
ここでふと思い出すのは、現代でも日本人がアジア各国で売春行為を繰り返して問題となった件だ。方向性は違えど、宣教師も日本人も国元から離れた地でやんちゃをしたというのに変わりはない。そうなると不良宣教師の行動というのは、特別なものではないのだろう。
まあ、ペドロ・デ・アルカソヴァの場合は、日の本の女性に入れ込んでイエズス会の規則さえ守ろうともしない逸脱っぷりではあるが。
……ハニートラップの威力はげに恐ろしきかな。
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章槻雅希
ファンタジー
冤罪によって処刑されたログス公爵令嬢シャンセ。母の命と引き換えに生まれた彼女は冷遇され、その膨大な魔力を国のために有効に利用する目的で王太子の婚約者として王家に縛られていた。家族に冷遇され王家に酷使された彼女は言われるままに動くマリオネットと化していた。
そんな彼女を疎んだ王太子による冤罪で彼女は処刑されたのだが、気づけば時を遡っていた。
そう、胎児にまで。
別の連載ものを書いてる最中にふと思いついて書いた1時間クオリティ。
長編予定にしていたけど、プロローグ的な部分を書いているつもりで、これだけでも短編として成り立つかなと、一先ずショートショートで投稿。長編化するなら、後半の国王・王妃とのあれこれは無くなる予定。
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