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七章 鞆の浦幕府の誕生

厳島の戦いの裏で

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 九月二一日、陶 晴賢の軍は厳島へと上陸する。目的は宮之みやの城の奪取。これにより、安芸毛利あきもうり家との戦いを一気に有利な状況へと持っていける。陶 晴賢からすれば、一発逆転の鬼手であった。

 しかしながら陶 晴賢の目論見は、飛んで火に入る夏の虫でしかない。

 そもそも陶軍は安芸湾の制海権を持っていない上、水軍力は既に安芸毛利家に負けている。そんな状態で厳島に上陸したのなら、水軍を壊滅させられてしまい詰む。上陸段階で勝敗は決していた。

 それでも安芸毛利家が厳島に上陸をする理由は、宮之城を守っている味方の将兵を救いにいくため。もしくは、陶 晴賢の首を取るという分かり易い勝利を得るためである。最早逃げ場は無いのだから、陶 晴賢の討ち死にはほぼ確定事項というしかない。

 よって本来的には、厳島での決戦は安芸毛利家だけで何とかなる。

 しかしながら、ここが毛利 元就もうり もとなりの心配性な部分なのだろう。万が一にも陶 晴賢を取り逃したくないとして、当家に水軍の派遣が要請されていた。山里地域での戦いが始まる前、「陶 晴賢との決戦は厳島になる。主戦場の山里地域の戦いには、当家の援軍が駆け付ける。その分の余力を決戦に回せ」と伝えた段階での話である。

 この援軍要請を受けるのも、俺の予想通りであった。安芸毛利家が周防大内すおうおおうち家から独立をした際に採用した戦略が、「長期戦を仕掛けて和睦交渉を勝ち取る」という堅実さである。間違っても、周防国へ電撃的に侵攻して勝利をもぎ取るというような無謀な選択はしない。そこから考えれば、こうなるのは自然な流れだ。

 当然ながら援軍要請は快諾する。そこからは一歩踏み込んでこちら側の思惑も伝えた。

 芸予叢島げいよそうとうを根城とする因島村上いんのしまむらかみ家は安芸毛利家の友好勢力となる。その勢力を陶 晴賢との戦いのドサクサに紛れて殲滅するという俺の考えは、当初毛利 元就には受け入れ難いものであった。

 理由は分かる。陶 晴賢との戦いに勝利した後ならまだしも、開戦前に友好勢力を見殺しにはしたくないのが人情だ。戦いに絶対は無い。万が一を考えて、手札を多く残しておくのが戦の基本である。俺の思惑はそうした基本に反するものであった。

 だからこそ俺は毛利 元就に対して、芸予叢島の制圧及び厳島での決戦には当家が全て責任を負うとした。万が一予定通りに事が運ばなくとも、当家の全面的な支援の元で絶対に陶 晴賢には勝たせてやると明言をする。ここまでして毛利 元就はようやく首を縦に振った。

 ここで気付くだろう。陶 晴賢との戦い自体は安芸毛利家の主導であったとしても、厳島での戦いに関してのみは当家が主導権を得る立場となった。その代わりと言っては何だが、必ず陶 晴賢を討たなければならないという勝利条件が加わる形となる。

 何が言いたいかというと、九月二一日を境に芸予叢島攻めを行っていた当家の主力と阿波海部あわかいふ家が、攻撃を中断して厳島の包囲へと動き出す。芸予叢島攻めは伊予安芸家へと引き継ぐ形となった。

 後は安芸毛利家の到着を待ち、上陸して包囲殲滅するのみとなる。

「さあ、勝利の前祝だ。今日は好きなだけ飲み食いしろよ。よくぞ今日までボロボロになりながらも頑張ってくれた。皆には感謝している」

 九月二三日、厳島の包囲が完了したという報せを受けた俺達は、勝利の前祝とばかりに酒盛りを始める。勿論場所は、最前線である山里地域でだ。これまでの頑張りがようやく報われたのだから、土佐に戻るまで待っていられなかった。

 お陰で食事は普段と同じ雑炊である。違う点と言えば、祝いだからと多めに肉を入れた程度だ。酒も寝酒に出している粟酒や稗酒という粗末さである。これで勝利の前祝というのだから、苦笑するしかない。

 それでもこういった場での盛り上がりは、食事や酒の質によるものではない。皆で苦難を乗り越え事を成し遂げた。その達成感が最高の肴となる。人というのは不思議なもので、一人でコーラやポテチを飲み食いするよりも、仲間と共に飲み食いした時の方が何倍も美味しく感じるものだ。

 遠くで兵士達が馬鹿笑いしているのが分かる。そうかと思えば、笛の音も聞こえてきた。皆思い思いに楽しんでいるのだろう。生き残った喜びを噛み締め、明日への活力とする。次の戦場でも共に生き残ろうと誓う。戦の嫌いな俺ではあるが、この時だけは何度見ても飽きる事はない。

「国虎様、どうぞお一つ」

「おっ、忠澄ただすみ、ありがとうな。今回は本当助かったよ。お手柄だな」

「普段とは違い、此度の戦は物資を切らさぬようにしなければならないのが大変でした。ですが良い経験になったと思います」

 いつも通り俺が飲むのは麦茶だ。酔って大騒ぎしている皆の中に入っていくのは気後れしてしまいがちになる。そんな時は大体一人手酌で麦茶を飲むのだが、今日は同じく素面の谷 忠澄たに ただすみが俺に付き合ってくれるらしい。

「今日は宴会をしても小言は言わないんだな」

「さすがに此度は、戦に不慣れな私でも分かりますよ。もう陶軍に攻めてくるだけの余力は残っていないというのが」

「それでも普段なら、敵の目の前で宴会をすれば怒るだろうに」

「私は逃亡兵から陶軍の実情を聞きましたからね」

 軍を二つに割った九月中旬から、山里地域に陣を張る陶軍から逃亡兵が出始めていた。この時点で陶 晴賢はこちらの戦線にはいないという点と、軍全体に今回の戦は負けたという認識が蔓延しているのが分かる。勝利を確信しているのは、陶 晴賢本人とその周辺だけなのだろう。他の将兵は既に見切りを付けていると考えられる。

 逃亡兵は直接故郷へ帰る者ばかりではない。中には敵に対して自軍の実情を報せに来る者や、盗んだ物資を持ち込んでくる者まで様々だ。ただ村に帰るだけでは割に合わない。少しくらい小遣い稼ぎをして帰ろうという強かさがそこにはある。

 そんな逃亡兵の面談を行っていたのが谷 忠澄であった。こういった場合、逃亡兵は嘘をつく場合が多々ある。お役所仕事では到底務まらないため、切れ者である谷 忠澄に任せる。これにより勝成山かつなりやま城周辺に残っている陶軍は、いつ撤退をしてもおかしくない状態だという実態が判明した。

 敵の目の前で酒盛りをするには、それなりの理由があるという訳だ。

 ただ、そうは言っても全員が同じ認識とは限らない。同じ山里地域で防衛に当たる安芸毛利家関係者には、俺達の行動は不謹慎極まりないと映ってしまう可能性がある。

 特に大将である毛利 元就殿次男の吉川 元春きっかわ もとはる殿は、士気の維持のため、風紀の維持のためにもこの乱痴気騒ぎは見過ごせない。

 だからなのだろう。場も暖まり、相撲やら喧嘩まで始まるようになると、

「細川殿、これは一体何の騒ぎですか!? 酒を飲むなとは言いませんが、今は戦の真っただ中。このような騒ぎを起こさないで頂きたい!!」

 まるで学級委員長かのように現れて、俺は注意を受ける羽目となった。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「まま、吉川殿。そう固い事を言わずにまずは一献」

「これはこれは。細川殿自ら酒を注いで頂けるとは。誠に光栄の至り……とでも儂が言うと思うてか!」

 もう少しで騙せるかと思ったが、そこは名将の器とでも言うべきか。その目論見はあっさりと看破される。とは言え俺が注いだ酒は、きちんと飲み干している所がちゃっかりしている。嫡男の毛利 隆元もうり たかもと殿なら、こうはならなかった筈だ。

 この瞬間、俺は思う。押せば何とかなるだろうと。戦場というのは兎に角娯楽に乏しく、ストレスの解消の術が殆ど無い。暇な時間は無駄にあるというのにだ。そのためできるのは原始的な賭け事であったり、抜け出して近くの村で春を買うという程度となる。大規模な軍ともなれば、遊女のお姉さん方が後ろにくっついてくる場合もあったりするものの、大体は危険手当込みの戦場価格になるというぼったくり仕様だ。安く済ませるなら、近くの村が断然お得である。

 話が逸れた。要はストレス解消の術が殆ど無い戦場では、ちょっとした切っ掛けで喧嘩が起こる。軍を率いる立場にある者にとっては、とても頭の痛い問題と言えよう。放棄すれば風紀の乱れに繋がり、無理矢理止めれば遺恨が残る。どちらに転んでも厄介な問題としか言いようがない。

 一つ残念な点があるとすれば、土佐が荒っぽいお国柄であるというのを吉川 元春殿が知らないに尽きる。互いが刃物でも出したなら話は別だが、俺からすればこの程度の喧嘩は日常茶飯事だ。単に力が有り余っているだけであり、その内疲れて収まるとしか見えない。仲裁をするのが馬鹿らしいの一言であった。

「そういう訳でしてね。土佐の流儀ではこういった場合、どちらが勝つかを賭けるのが粋なんですよ。どうですか? 吉川殿も一口乗りませんか?」

「儂はそのような事でここまで来ていない! 酒を飲むのは止めないにしろ、此度は明らかにやり過ぎだ! 細川殿、貴殿のすぐ近くにはまだ陶軍がいるというのを忘れてはおらぬか?」

「なるほど。皆が飲んでいる酒を分けて欲しいという要望ですね。安酒ではありますが、まだまだ蓄えはありますのでご安心ください。忠澄、安芸毛利家の皆様にも振る舞って差し上げろ! それと誰か、安芸毛利家の兵達と酒を飲みたい奴は、酒を運ぶのを手伝ってくれ。吉川殿、これで万事解決ですよ」

「ほ、細川殿!!」

 明らかにズレた俺の受け答えに、吉川 元春殿が目を何度も瞬かせて困惑をする。ここで「酒など要らない」と言えればこの流れも止められただろうに、頑張って戦ってくれた兵達に酒の一つでも飲ませてやりたいという思いが頭を過ったのではなかろうか。

 気付けば荷物を運び始めている当家の兵達をただ見送りながら、俺に対して抗議の声を上げるのが精一杯となる。

 ただ、その後に言葉が続かない所を見ると、吉川 元春殿自身が混乱して何を言えば良いか分からないのだろう。上手く煙に巻けた。

 そこで俺はすかさず吉川 元春殿の隣へと並び、大袈裟に肩を組んで話を始める。

「まあまあ吉川殿、少し真面目な話をしましょう。既に報告書として上げておりますように、陶軍にこちらを攻めるような余力は残っておりません。それは逃亡兵の証言からでも明らかです」

「なれど、まだ大軍がいる以上、何が起こるか分からぬ筈。陶軍がどのような動きをしても、すぐに対応できるようにしておくのが我等の務めではないか」

「何が起こるか……それは一つだけです。撤退の二文字となります」

「まさか!」

「山里地域に残っている敵将達は、別動隊が厳島に上陸した段階で負けを覚悟しています。……と言うより、最早陶 晴賢殿に勝つ道筋はありません。それが分かっていながら、いたずらに兵を消耗すると考えますか?」

「いや……確かに無いな」

「なら行動は予測できます。動くのは、陶 晴賢殿が討ち死にした時。撤退に合わせて偽装の攻勢を仕掛けるでしょう。味方をより多く逃がすために」

「……」

「なら、その時にどうするか? 殿を倒せば、後は手柄が立て放題なのです。万全な態勢で追撃するためにも、これまでの防衛戦で疲弊した体を休める必要があります」

「つまり細川殿は、この乱痴気騒ぎは陶軍追撃のための策だと申されるのか?」

「策は言い過ぎですね。本番のための士気高揚という程度です。短期間で万全の態勢は整えられませんからね。現時点ではこれが最善です。ここで皆に最後のひと踏ん張りをしてもらうためには、酒盛り程度安いものかと。ああ、安心ください。私を含め、酒を口にしていない将兵もきちんといます。万が一の際は、その者達が対処する段取りにしておりますので」

 この瞬間、吉川 元春殿の力がすっと抜けたのを感じる。やはり吉川 元春殿も分かっていたのだ。もう陶 晴賢の負けが決定したというのを。

 しかしながら、敵が兵を退かない以上は何が起こるか分からない。それがあって、警戒を緩める訳にはいかなかっただけである。

 それも俺との答え合わせが終われば、過剰だったと理解したのだろう。

 そもそもが陶軍、特に末端の兵士は、陶 晴賢に絶対の忠誠を誓ってる訳ではない。大事なのは自らの命だ。この前提に立てば、負け戦で死力を尽くすなど馬鹿らしいというもの。今すぐにでも逃げ出したい所を踏ん張っているのは、まだ勝敗がはっきりと確定しないからに他ならない。

 また逃亡一つ取っても、無秩序に行えば逆に死者の数が増える。兵を無駄死にさせない撤退には段取りが必要だというのも、この地に残っている理由の一つなのだろう。そんな状態で組織的な攻勢が行われる可能性は著しく低くなるのが現実だ。

 それなら敵に撤退に合わせてしっかりと追い討ちをかけられるよう、こちら側も準備が必要になる。この酒盛りにはそんな意図が込められていた。

「はは……敵わぬな。さすがは父上が手放しで褒める方だ。儂はこれまで父上と対等に渡り合える者を知らなんだが、細川殿がきっとその初めての者になろうて」

「悪い気はしませんが、そもそも褒められる要素がどこにあるか私には分からないです」

 ともあれ無事誤解も解け、吉川隊全体での大宴会が始まる。これまで交流の無かった他の隊とも親睦が深まり、夜半となっても皆が楽しく騒ぐ。これまでが緊張の連続だったのだ。解放感に浸るためにも、羽目を外すくらいで丁度良い。

 結果として吉川隊全体が死屍累々となったのは御愛嬌だ。酔い潰れて倒れる者や飲み過ぎて吐く者、調子に乗って相撲を取り怪我をする者、果ては口論の末に喧嘩となって血を流す者が大量に出ていた。

 当然ながら俺達の部隊だけは翌朝もピンピンしている。どうやら安芸毛利家は鍛え方が足りないらしい。

 青ざめた表情で茫然自失となっている吉川 元春殿が、妙に印象的であった。

 そんな微笑ましい出来事から数日後の九月二八日、待ちに待った陶 晴賢討ち死にの報せが届く。

 酒を飲んだ後に食べる物は、味が濃いほど美味しく感じるものだ。最後の締めは濃厚な手柄を美味しく頂くとしよう。
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