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七章 鞆の浦幕府の誕生

戦巧者

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 年も明け天文二四年 (一五五五年)となった。

 それまでの間に安芸あき国の毛利 元就もうりもとなり殿は、備後びんご宇賀島うかしまを根城にする陶 晴賢すえはるかた陣営の水軍衆を壊滅させる。それと同時に安芸国厳島いつくしまに上陸を行おうとした水軍衆を撃退し、安芸湾の制海権確保に成功していた。

 また芸予叢島げいよそうとう因島村上いんのしまむらかみ家は、既に安芸毛利家側に付いているという。この地域で残す所は、当家とも因縁の深い偽物の能島村上のしまむらかみ家のみだ。こちらは安芸毛利家からの人質が到着次第、速やかに当家が討伐をする約束となっている。

 そんな毛利 元就殿は現在矢野浦やのうら近くにある城を攻めながら、必死で府中ふちゅうからの攻撃を凌いでいる。この二つは共に安芸湾へと通じる河川が通っている地だ。安芸湾の制海権を維持するには、徹底的に叩き潰して無力化しなければならない存在である。

 昨年の一〇月末まで安芸国南西部にある中山なかやま城周辺地域を平定していたにも関わらず、休む間も無い。まさに時間との戦いと言った所だ。

 ここに一つの疑問がある。何故毛利 元就殿は、中山城を落とした後に進軍を止めて、安芸湾の制海権確保に躍起になっているかという点だ。

 勿論、四国からの補給を受け易くするための海路確保はあるとは思う。しかしそれだけが理由なら、ここまで徹底する必要は無い。既に要衝の厳島いつくしまは確保しているのだ。宇賀島の水軍衆と能島村上家を叩き潰せば、十分に安全は確保できる。

 なら毛利 元就殿の行動には別の意図があると見た方が良い。

 最も妥当なのは守りを固めたという考えだ。昨年会った際には中山城周辺の山里地域を決戦の地と定めていると話していたが、それがこの意味なのだろう。陶 晴賢の領地である周防すおう国から安芸国へと進軍するには、大軍の場合は二つしか道が無い。一つが岩国いわくにを通過しての山里地域を通る道。もう一つが海路となる。

 つまり安芸湾の制海権確保によって、陶軍の侵攻経路は一つに絞られる。これがまず一段階目だ。

 次に中山城を落とした後にそこで守りを固めたのは、守り易さを優先したためだ。それも陶軍には、山越えという疲労が蓄積されるオマケまで付く。敵を深くまで誘い込んで待ち構える。間違っても先に打って出て痛打を浴びせようとはしない。とても手堅い用兵と言えるだろう。

 こうした姿を見ると、俺の中での毛利 元就殿の印象はガラリと変わる。謀略家というよりは、むしろ戦巧者と呼ぶ方が正しい。もし謀略を好むなら、陶 晴賢軍の本隊が山里地域に到着していない今が仕掛け時である。敵方の最前線となる勝成山かつなりやま城の将兵に調略を行うのが定石と言えよう。

 目的は決戦時に背後で裏切らせるというものだ。例え陶 晴賢から決戦に参加するよう命を受けたとしても、城に残った守備兵が火を付け炎上させれば大きな動揺を誘う。こうなればどんなに兵を揃えようと、実力の半分も出せなくなるのは確実だ。どちらにせよ、安芸毛利家に勝利の女神がほほ笑むのは間違いない。

 しかし現実はどうだ。これでは勝ちに行くというよりは負けない戦いをしている。毛利 元就殿の描いた戦は見事なまでに基本に忠実であった。

 仕掛けるのは長期戦。毛利 元就殿と陶 晴賢との争いは、より多くの失態を犯した方が負けるという、派手さの欠片も無いものとなる。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 そんな安全確実な安芸毛利家だからこそ、こういった場面での動きは速い。制海権を確保した途端、人質を預けるという名目で当主の毛利 隆元もうりたかもと殿が支援物資の打診にやって来た。

 しかも、物資の受け取りと最前線まで運ぶ段取りは既に終わらせているというのだから、なお驚きである。

「……毛利 隆元殿、確かに人質は元服前の男子と言った。それに間違いはない。だがさすがに三人纏めてはやり過ぎだ。しかもその内の一人が毛利 隆元殿の嫡男とくる。一体何を考えているんだ?」

「はっ。父からは安芸毛利家の覚悟を見せるためだと聞いておりまする。付きましては、遠州細川家からの全面支援をお願い致す」

 こういう所に毛利 元就殿のしたたかさを感じる。裏切り防止を目的とした人質要求なのだから、子供は一人いれば役割を十分に果たす。だというのに三人もの人質を出す。しかもその一人が安芸毛利家当主の嫡男とくれば、こちらの心証も良くなるというもの。表面上、毛利 元就殿の言った「覚悟」という意味は、当家への忠義の厚さと映る。

 しかながら、その本質は安芸毛利家の存続を考えた生存戦略となる。極論すれば戦は水物だ。どれ程優位に進めた所で、万が一という事態が起きる可能性は絶対にゼロにはできない。

 だからこそ保険を掛ける。例え毛利 元就殿以下全員が討ち死にをしたとしても、跡継ぎさえ残っていれば家は滅ばない。更にはそうなったとしても一人にならないよう、毛利 元就殿は五歳と四歳になる自身の子供も人質とした。滅亡の回避だけではなく、再興までをも視野に入れた構成と言える。それ自体は武家らしい考え方なのだが、ここまで慎重だと逆に驚きさえ感じてしまう程だ。

 陶 晴賢との戦いも然り、どうにも一か八かの博打を打つのが嫌いな性格なのだろう。常に準備を怠らない。だからこそ最悪の事態を想定して俺にも平気で頭を下げる。最善を尽くすとはまさにこの事である。

「分かった。その覚悟に報いよう。差し当たって兵一〇〇〇〇人の一か月分の兵糧を都合する。これで良いか?」

「ご配慮感謝致しまする。ただ……心苦しいのですが、それでは足りないかと。某の見立てでは、期間を後一年を見て頂きとうございまする。でなければ、また商家に頼らなければなりませぬ。これ以上の借財となると、どこまで融通してくれるか分からぬ状態ですので……」

「安心しろ。あくまでも当面の分と理解して欲しい。今回は、船を使用して直接物資を運び込めるという訳ではないからな。まずは物資が滞りなく現地に到着するかどうかを確認する必要がある。問題無いのを確認次第、順次物資を送るつもりだ」

「……忝い」

「それにしても、そんなカツカツの状況でよく長期戦を選択したものだな。それが驚きだよ」

「これしか陶 晴賢殿に勝つ策が無かったというのが父の言葉です。元々此度の陶 晴賢殿との争いは某が強硬に主張したものでして……」

「ん? 毛利 隆元殿がか? ……もしかして、安芸国を素早く平定してしまえば和睦を勝ち取れるとでも考えていたのか?」

「最悪の場合は出雲尼子いずもあまご家と手を結べば、大丈夫だろうと……」

「なるほど。出雲尼子家を使う訳か。面白い事を考えるな。確かにそれは一理ある。安芸国や備後びんご国が出雲尼子方に変われば、状況は一変するからな。陶 晴賢殿からすれば、それだけは避けたいとなるのも分かる。……ただそれを聞くと、浦上 宗景うらがみむねかげ殿の件が完全な誤算になる訳か。最早周防大内すおうおおうち家の下の安芸毛利家ではなくなったからな。残念だったな」

「いえ、誤算は細川様の方です。浦上 宗景殿の事実上の臣従により、安芸毛利家は単独で出雲尼子家との対立へと舵を切らねばならなくなりました。それは間違いありませぬ。ですが、そもそも出雲尼子家の関心事は別にあります。そのため陶 晴賢殿との争いは、出雲尼子家が動くまで耐え忍べば何とかなるという考えでいました」

「別の所……ああ、そういう事か。安芸毛利家と陶 晴賢殿と争えば、石見いわみ銀山の防備が手薄となる。そこを出雲尼子家に攻めさせて、陶 晴賢殿に二正面作戦を強いるつもりだったのか。そうすれば、自ずと陶 晴賢殿から和睦をもぎ取れるな。陶 晴賢殿も安芸毛利家の討伐と石見銀山の死守とどちらが大事かと言われれば、間違いなく石見銀山を選ぶだろう。本当、よく考えている」

 ──周防大内家と出雲尼子家との争いのキャスティングボートとなる。

 無謀にも見える周防大内家からの独立にも、こうした意味があったなら全てに納得が行く。両家の争いで最も激しい箇所は、世界の銀の三分の一をも産出する石見銀山だ。この存在がある以上、両家には真の意味での同盟はあり得ない。一時的な和睦が精一杯となる。そうした前提に立てば、安芸毛利家が独立独歩を選んでも生き残る道があったという訳だ。

 それは例え安芸毛利家と出雲尼子家の関係性が壊れた所で変わらない。出雲尼子家にとっては安芸毛利家との争いよりも、石見銀山奪取が優先順位が上となる。そうである以上、銀山攻略支援を持ち掛ければ、関係性をいつでも修復できるという読みがあったという訳だ。

 こんな綱渡りのやり口を、よくぞ選んだものだと素直に感心してしまう。

「ですが、この絵図を全てご破算にしたのが細川様となります。我等には三家を同時に相手取る余裕はありませんでした」

「ん? ちょっと待て。当家が二家を両天秤に掛けるという構想をぶち壊しにしたというなら、陶 晴賢殿との争いの方針を改める必要があるんじゃないのか? どうして変えようとしない? 毛利 元就殿は何を狙っているんだ?」

「……陶 晴賢殿の首です。これまでは和睦を得るための戦いでしたが、陶軍を壊滅させる戦いへと変化させました。父は陶 晴賢殿の首を土産に細川様へと降伏し、その実績によって遠州細川家で重臣待遇を得ようと考えておりまする」

「良ければ、陶 晴賢殿を討ち取る具体的な方法を教えてくれるか?」

「具体的と言っても、そう難しいものではありませぬ。我等が山里地域で陶軍を存分に引きつけて疲弊させます。後は頃合いを見て、細川様には周防すおう国東部の要衝である岩国いわくにを落として頂き、そのまま北上して我等と共に陶軍を挟み撃ちにしてもらうというものです」

「岩国か……確かにそれなら実現できそうだ。当家は海から拠点を強襲するのを得意としているからな。岩国を落としてしまえば、安芸国の山中深くまで進軍した陶軍は逃げ場を失う。敵を深くまで誘い込んで後方を遮断するのは、基本中の基本だな。近くの城に逃げ込んだとしても、大軍を賄う兵糧など無い。岩国を落とした時点で勝ちが確定するな。毛利 隆元殿、話してくれて感謝する。家臣達もこの話を聞けば、大喜びしそうだ」

「では、細川様も父の策に乗って頂けると理解して良いでしょうか?」

「ああ、乗ろう。但し、重臣待遇の話はまた別になると考えてくれ。現時点では活躍次第としておく。とは言え、毛利 元就殿ならやりそうではあるな。まあ降伏後は、安芸毛利家関係者全員が生活に困らない俸禄を出すと約束するから安心して欲しい」

 やはり毛利 元就殿は一筋縄ではいかない。降伏と言っても、全てを取り上げて一から出直しになるというのは現実的にあり得ないというのを良く分かっていた。

 降伏を受けてもそれで全てが終わる訳ではない。当家の周囲にはまだまだ敵がごまんといる。そうなれば、敵に備えるために実力がある者には重要な役割が回ってくるのが必然である。

 勿論当家が初めから巨大勢力で、譜代の家臣も数多くいるなら話も変わってくるだろう。しかしながら俺自身が地方豪族の出であり、遠州細川家に至っては死に体の勢力であった。これで強力な家臣団が形成されているというのがまずおかしい。

 だからこそ、そんな脆弱な家臣団の中に入れば実績が物が言う。当家の支援という下駄を履いてでも、分かり易さが求められる。当然ながら、支援も無く独力で全てを成し得た方がより大きな実績となるのは間違いない。だがそれではいざ遠州細川家所属となった際に、今度は同僚からのやっかみを受ける可能性が考えられる。出る杭は打たれるというアレだ。

 そうならないよう、周囲への気配りも忘れない。今回の場合は、当家の力を借りて参加する者に手柄を立てさせようとする。

 岩国攻略の話は、多分無理をすれば安芸毛利家単独でも可能な筈だ。けれどもそれをしてしまえば、不測の事態が起きた時に対応できなくなる。一か八かの博打を打つのが嫌いな性格の毛利 元就殿は無理をしない。それが結果的に次の職場での人間関係を円滑にさせるのだから、尚の事である。

 何となくではあるが、「〇〇殿のお力添えがあったからこそ、儂は陶 晴賢殿を打ち倒せました」といった言葉で、当家でも上手く立ち回るような気がする。亡くなった大内 義隆おおうちよしたか殿にも頼りとされ、安芸国内でも盟主となれたのにはそれ相応の理由があった。そう感じざるを得ない。

 ……厄介な人物と関わってしまった。

 その代わりと言っては何だが、今回訪ねてきた嫡男の毛利 隆元殿の方が俺は気楽に話ができる。初対面では頭の固いと人物だと感じていたものの、これも真面目さの裏返しなのだろう。言葉に裏表が無いため、話していて疲れないのが嬉しい。

 また、毛利 隆元殿には何より得難い資質がある。

「そのお言葉だけで充分です。忝い。もう商家の顔色を窺わなくて済むと思うと、それが救いです」

「……大変そうだな。ただ、当家も似たようなものだぞ」

「まさか! 富裕として知られる遠州細川家がそれはあり得ませぬ。何かの間違いではないのですか?」

「本当の話だ。当家は莫大な額の借財を抱えている。毎年のように遠征していればそうなるさ。その代わり当家は、収益が大きいから問題にならないだけだぞ」

「納得致しました」

 今回の話し合いで確信をした。久々に金勘定の分かる者である。しかも言葉の端々から、これまでやり繰りで苦労をしているのを滲ませているのが尚良い。

 気になる点があるとすれば、顔付にやや自信の無さが表れている点だろうか。気持ちは分かる。父親の毛利 元就殿が偉大である分、自らの力の無さを感じているといった具合か。

 安芸毛利家は長く各地で戦をしていたにも関わらず、大内 義隆おおうちよしたか殿という大口の支援者がいた。これでは金勘定の重要さが認識されない土壌となっていてもおかしくはない。井上いのうえ一族が粛清されたのも、安芸毛利家中で財務が重要だと認識されなかったからこそ起きた悲劇だと思われる。

 だが、それも今は昔。当家の中に入れば、銭が無ければ戦はできないというのが嫌でも分かる。毛利 隆元殿には存分に財務を学んでもらい、金勘定の大事さを知ってもらうつもりだ。俺としては、毛利 元就殿より嫡男の毛利 隆元殿こそ当家の重臣に相応しいと考えている。
 
 そのためにも、まずは陶 晴賢をしっかりと討ち取ってからだ。毛利 元就殿の手腕をとくと見せてもらおう。
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