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七章 鞆の浦幕府の誕生
九州探題にまつわるエトセトラ
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影響は更に広がる。
三好宗家も当家の侵攻に呼応するように軍を動かしていた。それは京の北西にある丹波国へという意味ではない。摂津国の西にある播磨国東部へと侵攻を開始した。
播磨国は当家が遠征を行った備前国の東隣の国となる。
つまり三好宗家の軍事行動は播磨国東部を緩衝地帯とするのが狙いだ。当家の播磨国侵攻を考慮して先手を打ち、防衛線を西へと伸ばした形となる。
それというのも、摂津国は三好宗家の靭帯と言って差し支えない国だからである。特に西部には三好 長慶が長年本拠地とした越水城や日明貿易の拠点として発展した兵庫津があるとなれば、何が何でも死守をしたいという気持ちがよく分かる。防衛線を摂津国境にするのを嫌ったというのが妥当な見方だ。
切っ掛けは東播磨の豪族同士の小競り合いという話である。この騒乱は三好宗家にとってまさに渡りに船に映ったであろう。阿波国から引き揚げた兵と物資のお陰で丹波国攻略との同時作戦が行えたという訳だ。
当然ながら、丹波国と東播磨の両戦線共に三好側が有利に進めているという。両地域を三好宗家が手にする日は近い。
もう一つの動きは政治的にとても重要な出来事となる。
何と豊後大友当主 大友 義鎮が幕府から肥前国の守護に任じられた。
この点だけを見れば長年献金を続けて幕府と良好な関係を築いている大友 義鎮が、一国の守護職に任命されただけとしか映らない。そこに重要さは欠片も見出せないとなるのが通常の受け取り方だ。強いて挙げるとすれば、領有もしていない九州の西に位置する肥前国の守護職を手にしたのだから、近い内に侵攻が予定されているという見方が大半だと思われる。守護職への就任は肥前国侵攻への大義名分という考えだ。
表面的に見ればそれは間違っていない。ただ今回の重要な点は、「肥前国」という国の場所に大きな意味がある。他国の守護に任じられたのなら、それは問題とならない。
結論から言うと、大友 義鎮は「九州探題」という足利一門しか就けない要職の前提を手にした。
室町幕府の特徴の一つに、各地域の統治のために幕府から出向した探題職という役職が存在する (但し関東は鎌倉府が担当し、畿内は管領が担当した。幕府設立当時中国地方、四国地方にも探題職はあったが後に有名無実化)。言わば地域における武家の統括者だ。ここで大事なのは、例え探題職が世襲化したとしても、形式上は中央から派遣された足利一門のみにしか就任は許されない。そこには地域の武家は絶対に成り上がれないという大きな壁が存在する。
もし探題職が足利一門以外でも就任できたのであれば、とうの昔に周防大内家がその役職に就いていただろう。それができないからこそ周防大内家は、九州探題 渋川氏を擁立して九州侵攻への大義名分としていた。
だが大友 義鎮は違う。自らが九州探題という権威になろうとしている。厳密に言えば九州探題と肥前国守護は切り離されたものだ。同一の役職ではない。だがこれまで渋川氏が九州探題を世襲していく中で、肥前国守護には渋川氏以外の他の人物が就任してはいない。慣例と言えるだろうが、九州探題と肥前国守護は同一人物が就くのが決まりとなっていた。
その慣例に則れば、大友 義鎮が肥前国守護にだけ就任するというのはあり得ない。多分だが、幕府が銭欲しさにこの二つを分割したと考える。例えば左馬頭に叙任されなければ征夷大将軍に就任できないように、九州探題に就任するにはまず肥前国守護に就任しなければならない。そこから更にもっと銭を積めば、目的も達成できようと吹き込んだ。そんな所だと思われる。
こういう勿体ぶったやり口は公家の得意技の一つだ。ほぼ間違いなくこの件には、摂関家筆頭の近衛 稙家が絡んでいるのだろう。相変わらず足利の権威を何とも思っていない。阿波国で怖い目を見せたというのに、喉元過ぎれば何とやら。全く懲りてないというのが良く分かった。
こう考えれば、何故豊後大友家が大寧寺の変に協力的だったのかが良く分かる。例え領内事情が不安定だったとしても、混乱に乗じて周防大内家家の領土を切り取る事もできた筈だ。それをしなかったのは、周防大内家、いや陶 晴賢に対して望みがあったのだろう。例えば保護している渋川氏を殺害もしくは追放させたかったと……。
「渋川氏を周防大内家で保護しなくなったからこそ、大友 義鎮が守護就任できたんだろうな。現時点では名簿から除外されたと見るのが妥当か。幾らなんでも殺害は外聞が悪過ぎるから行わないだろう。……と、すると……マズい。このままでは渋川氏の件を恩に感じて、陶 晴賢との戦いに豊後大友家が援軍を出してくる可能性がある。……忠澄、忠澄はいるか?」
「はっ。国虎様、何か御用でしょうか?」
「忙しい所悪いな。手配を頼む。一点目は伊予国の安芸 左京進に佐田岬半島の西端、三崎浦への偽装侵攻の依頼だ。来年になったら、二間津の港まで軍を進めるよう伝えてくれ。豊後大友家との軍事的な緊張状態を作って欲しいと。最悪、三崎家と小競り合いが起きても良いし、何なら壊滅させても構わない。但し、その場合は絶対に自分達から先に手を出さないようにと念を押しておいてくれ」
「そのような伝え方をして大丈夫ですか?」
「豊後大友家に兵を動員させないといけないからな。そのために三崎浦の占拠が必要だと感じれば、左京進ならやってくれるだろう」
「もし豊後大友家との全面的な争いになればどうされるのですか?」
「それは無い。断言できる。何故なら今は当主 大友 義鎮の政敵である叔父の菊池 義武親子の処罰が終わったばかりだからだ。残党狩りを含めた後始末が待っているからな。軍の一部は動かせるだろうが、全動員は無理だ」
もし、大友 義鎮が本来の形で豊後大友家を継いだというなら、菊池 義武やその嫡男に対しての死に拘っていなかったと思われる。だが現実には大友 義鎮は、二階崩れの変という暗殺に近い形で家督を手にした。つまり正当な手段で当主になった訳ではない。
そうなれば叔父である菊池 義武にとって、大友 義鎮を簒奪者とする大義名分ができてしまう。元々は肥後菊池家に養子に出された事に不満を持って豊後大友家に反旗を翻していたのが、一転今度は自身が豊後大友家の正当な後継者の資格を得る。これ程の逆転現象は滅多に起こりはしない。
だからこそ、大友 義鎮は菊池 義武親子の痕跡を塵一つなく根絶する必要がある。それでなければ、今度は自身の立場が危うくなるからだ。そのためには当人達の殺害だけでは終わらない。菊池 義武親子の関係者を根こそぎ狩り尽くす、もしくは豊後大友家の家督問題に今後一切口を出さないようにとの確約を周囲から得る必要があった。
豊後大友家においての重要度を考えれば、この件は後回しにはできない。だからこそ現状当家との全面戦争は起きないと断言できる。そうした事情を踏まえたのが今回の安芸 左京進への指示であった。
「かしこまりました。なら次をお知らせください」
「次は横山 紀伊と杉谷 与藤次を含めた杉谷党の数名で北九州に向かうように伝えてくれ。目的は人探しだ。九州探題 渋川 義基様を保護して欲しい。追放処分になったとしても、いきなり身一つで放り出される訳ではない。片付けを行ったり、頼る宛に向かうための準備が必要だ。今ならギリギリ所領に残っている可能性がある。えっーと、肥前守護だから、渋川家の所領は肥前国内になるのか?」
「いえ。九州探題 渋川家の所領は筑前国早良郡です。博多や大宰府のほぼ西隣と言って良い場所となります」
「ありがとう。流石だな。その早良郡に向かうように伝えてくれ。こっちは急ぎだ。遅くなると消息が掴めなくなるからな。俺も急いで書状を書く」
「また良からぬ事を考えているのですか?」
「それは誤解だ。足利一門だぞ。それも渋川家は足利御三家の一つとなる。細川の分家である当家が渋川家を救わないでどうする」
「仰る意味は分かりますが……」
「まだ渋川様は九州探題を罷免されてもいないし、新たな九州探題が任命された訳ではないからな。豊後大友家への嫌がらせとだけ言っておこう」
「そんな所だろうと思ってましたよ」
こちらに付いては本気で嫌がらせとなる。大友 義鎮が肥前守護職を得た時点で、既に幕府内では九州探題への就任も決まっていると見た方が良い。献金が幕府側からの要求額まで到達するまで保留にしているのだろう。本来足利一門しか就任できない九州探題の役職を田舎侍に譲るのだ。ここぞとばかりに値を吊り上げ、搾り取ってやろうと画策しているのが見え見えである。
当家による渋川氏の保護は、そんな幕府に対しての支援のようものだ。言い換えれば、豊後大友家の献金額を増やさせる行為となる。
つまり当家の保護により、形式上渋川 義基様の持つ九州探題職を一度罷免しなければ大友 義鎮はそれを手に入れられないという意味だ。実際にはそうした手続きを踏まないにしても、一つの役職に二人同時には就任できない以上は形の上だけでも必要になる。そうなれば大友 義鎮は、賄賂という名の献金をもう一段階積まなければならない。
これによって、豊後大友家の遠征費用を捻出できないようにしてしまおうというかなりセコイ策であった。
とは言え渋川 義基様の保護は、それだけでも十分に意味がある。名家の名は伊達ではない。それが足利御三家の一つともなれば、様々な使い道があるというもの。
差し当たって当家の規模と渋川 義基様の名があれば、有力寺社から借金できるのは間違いない。それも低利で。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
ここからは余談となる。今回の遠征によって、備前国では宇喜多 直家が、備中国では細川 通董殿が一大勢力となったのが影響した形だ。
これにより、奪われた領地を取り戻したいと没落した武家がわんさか湧き出る。当然ながらその方法は当家の兵を無償で貸し出せというものだ。備前国や備中国でできたのだから、他の地域でも同じ事ができるだろうという自分勝手な打診である。美作三浦家を筆頭に数多くの書状が届いたが、大体が途中まで読んで捨てた。
扱いに悩んだのは、やはり肥後の菊池 義武となる。最初は豊後大友家との和睦の斡旋から始まり、続いては兵の貸し出し、最後は亡命の受け入れとこの一年で坂を転がるように立場を悪くしていた。その頃の当家は豊後大友家との関係を崩したくなったというのもあり、全て拒否するよう現地の山田 元氏に指示を出す。
この判断自体は今も間違っているとは考えていない。ただ豊後大友家の裏の活動を知った今となっては、妥協して菊池 義武の嫡男だけでも受け入れていても良かったのではないか。その後は名を変えさせるなり出家させるなりして、四国の奥地に押し込んでおけば問題は無い。手札の一つとして持つ程度なら、しても良かったのではないかとの後悔がある。
しかしながら、当家の対応が一つの出来事に繋がったのは間違いないだろう。天文二三年 (一五五四年)も終わりに近付いた一二月、とある親子が亡命を求めたきた。名は大内 輝弘 (便宜上この名を使用)・武弘という周防大内家の庶流に当たる者達となる。
「よく豊後大友家が二人の亡命を許したものだな。お飾りとは言え、当主 大友 義鎮の弟が周防大内家の当主となったから用済みとなったのか?」
「それは我等親子にも分かり兼ねます。一つ言えるのは、我等はずっと貧しき暮らしをしており、豊後大友家のお荷物でした。と言うよりは、豊後大友家からは存在しない者として扱われておりました」
大内 輝弘親子が豊後大友家で養われていたのは、そう特別な事情があった訳ではない。元々は大内 輝弘の父親である大内 高弘が周防大内家内で重臣と共に謀反を起こそうとして失敗。豊後大友家に逃げてきたというものだ。
当時の豊後大友家は周防大内家と熾烈な争いを行っている。搦め手の手札となる大内 高弘の亡命はさぞや歓迎されただろう。
けれども、その後に起こる流れ公方 足利 義稙の周防下向、両家の和睦、豊後大友家の方針転換により、大内 高弘は忘れ去られた存在へとなり下がった。
大内 輝弘はこうして父親が没落した中で生まれる。同じくその子供の武弘が生まれた時もその環境に変わりはなかった。
加えて近年は土佐一条家の面々が豊後大友家を頼ってきたという事情もあり、更に落ちぶれ、爪に火を点すような貧しい暮らしを送っていたという。
更には大寧寺の変が起きても、大内 輝弘の状況は何も変わらなかった。本来であれば、今頃は自身が周防大内家の新たな当主となっていなければならない。だが 大内 義隆亡き後にその後継の座を射止めたのは、母親が周防大内家の出となる大友 義鎮の弟であった。
例えそこに政治的な目論見があったとしても、視界にも入れてももらえない不甲斐なさに大内 輝弘はどれ程悔しがったろうか。だというのに、現状では何もできない。その事実が大内 輝弘の心を深く抉ったように感じる。
そんな大内 輝弘がついに決断をする。居場所のない豊後大友家でこのまま惨めに生きるのはもう御免だ。もっと自分を評価してもらえる場所に身を置きたい。細川野洲家当主 細川 通董殿を備中国に復帰できるよう兵まで出した遠州細川家なら、きっと二度と惨めな思いをしなくても済む。そう考えて海を渡り、四国までやって来たという話であった。
「……多分、領外への脱出を見逃してくれたんだろうな。俺ならまだ利用価値はあると思うから、出る前に拘束する。もしくは遠州細川家と豊後大友家を繋ぐ役割として期待されたか。何にせよ当家でするのは衣食住の面倒までだ。それだけは保証するから安心して欲しい。ただ、当家に仕官して働きたいという話でないのなら、多くは期待しないで欲しい」
「そ、それは……いえ、分かり申した。ご配慮感謝致す」
「誤解があるようなので言っておく。細川 通董殿の件は、本家当主 細川 氏綱様からの依頼だ。ああいった事は誰も彼もする訳ではない。それを覚えておいてくれよ。勿論、大内 輝弘が当家の利になる行動をしてくれるなら、それにはきちんと報いる。まずは親子共々旅の疲れを癒してくれ」
本人達は気付いていないようだが、当初はこの親子を家中の皆が豊後大友家からの間者ではないかと疑っていた。しかし俺が言ったように、豊後大友家側が当家との距離を詰めようした可能性も考えられる。こうした意図の読めなさから、一先ず受け入れて様子を見ようと結論へと至った。
そのため、しばらくは保護という名の監視となる。同じく行き場を無くして当家に保護を求めてきた京極 高延親子や山名 氏豊達と共に過ごしてもらう。その中で人間性を見極める予定だ。何も無ければそれに越した事はない。
一つ気になるのは、今の豊後大友家で居場所が無かったというのが本当だろうかという点だ。大友 義鎮は非合法な手段で当主となった関係上、信頼できる者は限られている。未だ足元が安定しておらず、昨年にも家臣が謀反を起こしていた。
ならここで大内 輝弘が大友 義鎮の味方だとしっかりと立場表明をして、謀反の鎮圧であったり家中の取り纏めに奔走をすれば、信頼を勝ち得たのではないかと思われる。誰からも相手にされないのは、どこの派閥にも属していないという意味だ。しがらみの希薄さは現状の豊後大友家では大きな強みとなる。上の立場から見ればこれほど使い勝手の良い存在はいない。少し功績をあげれば、家中の重要な役職に抜擢された可能性すらあったろう。
だというのに客将という立場に胡坐をかいて、何もしなかったからこその落ちぶれたというのが正しい表現ではないだろうか? 俺が大友 義鎮の立場なら、大事な時期に協力の一つもしてくれなかったとなれば冷遇もしたくなる。大内 輝弘の環境は自業自得であるようにも感じた。
──もしかしたら受け入れは失敗だったのではないだろうか?
そんな後悔が頭を過る。とは言え、この親子に当家の領内で何かをできる力も無ければ度胸も無い。せいぜいが酒に酔って悪態をつくのが関の山だ。その程度なら可愛らしいものである。
何となく、この親子はこの地でも変わらない生活を送るような気がした。
三好宗家も当家の侵攻に呼応するように軍を動かしていた。それは京の北西にある丹波国へという意味ではない。摂津国の西にある播磨国東部へと侵攻を開始した。
播磨国は当家が遠征を行った備前国の東隣の国となる。
つまり三好宗家の軍事行動は播磨国東部を緩衝地帯とするのが狙いだ。当家の播磨国侵攻を考慮して先手を打ち、防衛線を西へと伸ばした形となる。
それというのも、摂津国は三好宗家の靭帯と言って差し支えない国だからである。特に西部には三好 長慶が長年本拠地とした越水城や日明貿易の拠点として発展した兵庫津があるとなれば、何が何でも死守をしたいという気持ちがよく分かる。防衛線を摂津国境にするのを嫌ったというのが妥当な見方だ。
切っ掛けは東播磨の豪族同士の小競り合いという話である。この騒乱は三好宗家にとってまさに渡りに船に映ったであろう。阿波国から引き揚げた兵と物資のお陰で丹波国攻略との同時作戦が行えたという訳だ。
当然ながら、丹波国と東播磨の両戦線共に三好側が有利に進めているという。両地域を三好宗家が手にする日は近い。
もう一つの動きは政治的にとても重要な出来事となる。
何と豊後大友当主 大友 義鎮が幕府から肥前国の守護に任じられた。
この点だけを見れば長年献金を続けて幕府と良好な関係を築いている大友 義鎮が、一国の守護職に任命されただけとしか映らない。そこに重要さは欠片も見出せないとなるのが通常の受け取り方だ。強いて挙げるとすれば、領有もしていない九州の西に位置する肥前国の守護職を手にしたのだから、近い内に侵攻が予定されているという見方が大半だと思われる。守護職への就任は肥前国侵攻への大義名分という考えだ。
表面的に見ればそれは間違っていない。ただ今回の重要な点は、「肥前国」という国の場所に大きな意味がある。他国の守護に任じられたのなら、それは問題とならない。
結論から言うと、大友 義鎮は「九州探題」という足利一門しか就けない要職の前提を手にした。
室町幕府の特徴の一つに、各地域の統治のために幕府から出向した探題職という役職が存在する (但し関東は鎌倉府が担当し、畿内は管領が担当した。幕府設立当時中国地方、四国地方にも探題職はあったが後に有名無実化)。言わば地域における武家の統括者だ。ここで大事なのは、例え探題職が世襲化したとしても、形式上は中央から派遣された足利一門のみにしか就任は許されない。そこには地域の武家は絶対に成り上がれないという大きな壁が存在する。
もし探題職が足利一門以外でも就任できたのであれば、とうの昔に周防大内家がその役職に就いていただろう。それができないからこそ周防大内家は、九州探題 渋川氏を擁立して九州侵攻への大義名分としていた。
だが大友 義鎮は違う。自らが九州探題という権威になろうとしている。厳密に言えば九州探題と肥前国守護は切り離されたものだ。同一の役職ではない。だがこれまで渋川氏が九州探題を世襲していく中で、肥前国守護には渋川氏以外の他の人物が就任してはいない。慣例と言えるだろうが、九州探題と肥前国守護は同一人物が就くのが決まりとなっていた。
その慣例に則れば、大友 義鎮が肥前国守護にだけ就任するというのはあり得ない。多分だが、幕府が銭欲しさにこの二つを分割したと考える。例えば左馬頭に叙任されなければ征夷大将軍に就任できないように、九州探題に就任するにはまず肥前国守護に就任しなければならない。そこから更にもっと銭を積めば、目的も達成できようと吹き込んだ。そんな所だと思われる。
こういう勿体ぶったやり口は公家の得意技の一つだ。ほぼ間違いなくこの件には、摂関家筆頭の近衛 稙家が絡んでいるのだろう。相変わらず足利の権威を何とも思っていない。阿波国で怖い目を見せたというのに、喉元過ぎれば何とやら。全く懲りてないというのが良く分かった。
こう考えれば、何故豊後大友家が大寧寺の変に協力的だったのかが良く分かる。例え領内事情が不安定だったとしても、混乱に乗じて周防大内家家の領土を切り取る事もできた筈だ。それをしなかったのは、周防大内家、いや陶 晴賢に対して望みがあったのだろう。例えば保護している渋川氏を殺害もしくは追放させたかったと……。
「渋川氏を周防大内家で保護しなくなったからこそ、大友 義鎮が守護就任できたんだろうな。現時点では名簿から除外されたと見るのが妥当か。幾らなんでも殺害は外聞が悪過ぎるから行わないだろう。……と、すると……マズい。このままでは渋川氏の件を恩に感じて、陶 晴賢との戦いに豊後大友家が援軍を出してくる可能性がある。……忠澄、忠澄はいるか?」
「はっ。国虎様、何か御用でしょうか?」
「忙しい所悪いな。手配を頼む。一点目は伊予国の安芸 左京進に佐田岬半島の西端、三崎浦への偽装侵攻の依頼だ。来年になったら、二間津の港まで軍を進めるよう伝えてくれ。豊後大友家との軍事的な緊張状態を作って欲しいと。最悪、三崎家と小競り合いが起きても良いし、何なら壊滅させても構わない。但し、その場合は絶対に自分達から先に手を出さないようにと念を押しておいてくれ」
「そのような伝え方をして大丈夫ですか?」
「豊後大友家に兵を動員させないといけないからな。そのために三崎浦の占拠が必要だと感じれば、左京進ならやってくれるだろう」
「もし豊後大友家との全面的な争いになればどうされるのですか?」
「それは無い。断言できる。何故なら今は当主 大友 義鎮の政敵である叔父の菊池 義武親子の処罰が終わったばかりだからだ。残党狩りを含めた後始末が待っているからな。軍の一部は動かせるだろうが、全動員は無理だ」
もし、大友 義鎮が本来の形で豊後大友家を継いだというなら、菊池 義武やその嫡男に対しての死に拘っていなかったと思われる。だが現実には大友 義鎮は、二階崩れの変という暗殺に近い形で家督を手にした。つまり正当な手段で当主になった訳ではない。
そうなれば叔父である菊池 義武にとって、大友 義鎮を簒奪者とする大義名分ができてしまう。元々は肥後菊池家に養子に出された事に不満を持って豊後大友家に反旗を翻していたのが、一転今度は自身が豊後大友家の正当な後継者の資格を得る。これ程の逆転現象は滅多に起こりはしない。
だからこそ、大友 義鎮は菊池 義武親子の痕跡を塵一つなく根絶する必要がある。それでなければ、今度は自身の立場が危うくなるからだ。そのためには当人達の殺害だけでは終わらない。菊池 義武親子の関係者を根こそぎ狩り尽くす、もしくは豊後大友家の家督問題に今後一切口を出さないようにとの確約を周囲から得る必要があった。
豊後大友家においての重要度を考えれば、この件は後回しにはできない。だからこそ現状当家との全面戦争は起きないと断言できる。そうした事情を踏まえたのが今回の安芸 左京進への指示であった。
「かしこまりました。なら次をお知らせください」
「次は横山 紀伊と杉谷 与藤次を含めた杉谷党の数名で北九州に向かうように伝えてくれ。目的は人探しだ。九州探題 渋川 義基様を保護して欲しい。追放処分になったとしても、いきなり身一つで放り出される訳ではない。片付けを行ったり、頼る宛に向かうための準備が必要だ。今ならギリギリ所領に残っている可能性がある。えっーと、肥前守護だから、渋川家の所領は肥前国内になるのか?」
「いえ。九州探題 渋川家の所領は筑前国早良郡です。博多や大宰府のほぼ西隣と言って良い場所となります」
「ありがとう。流石だな。その早良郡に向かうように伝えてくれ。こっちは急ぎだ。遅くなると消息が掴めなくなるからな。俺も急いで書状を書く」
「また良からぬ事を考えているのですか?」
「それは誤解だ。足利一門だぞ。それも渋川家は足利御三家の一つとなる。細川の分家である当家が渋川家を救わないでどうする」
「仰る意味は分かりますが……」
「まだ渋川様は九州探題を罷免されてもいないし、新たな九州探題が任命された訳ではないからな。豊後大友家への嫌がらせとだけ言っておこう」
「そんな所だろうと思ってましたよ」
こちらに付いては本気で嫌がらせとなる。大友 義鎮が肥前守護職を得た時点で、既に幕府内では九州探題への就任も決まっていると見た方が良い。献金が幕府側からの要求額まで到達するまで保留にしているのだろう。本来足利一門しか就任できない九州探題の役職を田舎侍に譲るのだ。ここぞとばかりに値を吊り上げ、搾り取ってやろうと画策しているのが見え見えである。
当家による渋川氏の保護は、そんな幕府に対しての支援のようものだ。言い換えれば、豊後大友家の献金額を増やさせる行為となる。
つまり当家の保護により、形式上渋川 義基様の持つ九州探題職を一度罷免しなければ大友 義鎮はそれを手に入れられないという意味だ。実際にはそうした手続きを踏まないにしても、一つの役職に二人同時には就任できない以上は形の上だけでも必要になる。そうなれば大友 義鎮は、賄賂という名の献金をもう一段階積まなければならない。
これによって、豊後大友家の遠征費用を捻出できないようにしてしまおうというかなりセコイ策であった。
とは言え渋川 義基様の保護は、それだけでも十分に意味がある。名家の名は伊達ではない。それが足利御三家の一つともなれば、様々な使い道があるというもの。
差し当たって当家の規模と渋川 義基様の名があれば、有力寺社から借金できるのは間違いない。それも低利で。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
ここからは余談となる。今回の遠征によって、備前国では宇喜多 直家が、備中国では細川 通董殿が一大勢力となったのが影響した形だ。
これにより、奪われた領地を取り戻したいと没落した武家がわんさか湧き出る。当然ながらその方法は当家の兵を無償で貸し出せというものだ。備前国や備中国でできたのだから、他の地域でも同じ事ができるだろうという自分勝手な打診である。美作三浦家を筆頭に数多くの書状が届いたが、大体が途中まで読んで捨てた。
扱いに悩んだのは、やはり肥後の菊池 義武となる。最初は豊後大友家との和睦の斡旋から始まり、続いては兵の貸し出し、最後は亡命の受け入れとこの一年で坂を転がるように立場を悪くしていた。その頃の当家は豊後大友家との関係を崩したくなったというのもあり、全て拒否するよう現地の山田 元氏に指示を出す。
この判断自体は今も間違っているとは考えていない。ただ豊後大友家の裏の活動を知った今となっては、妥協して菊池 義武の嫡男だけでも受け入れていても良かったのではないか。その後は名を変えさせるなり出家させるなりして、四国の奥地に押し込んでおけば問題は無い。手札の一つとして持つ程度なら、しても良かったのではないかとの後悔がある。
しかしながら、当家の対応が一つの出来事に繋がったのは間違いないだろう。天文二三年 (一五五四年)も終わりに近付いた一二月、とある親子が亡命を求めたきた。名は大内 輝弘 (便宜上この名を使用)・武弘という周防大内家の庶流に当たる者達となる。
「よく豊後大友家が二人の亡命を許したものだな。お飾りとは言え、当主 大友 義鎮の弟が周防大内家の当主となったから用済みとなったのか?」
「それは我等親子にも分かり兼ねます。一つ言えるのは、我等はずっと貧しき暮らしをしており、豊後大友家のお荷物でした。と言うよりは、豊後大友家からは存在しない者として扱われておりました」
大内 輝弘親子が豊後大友家で養われていたのは、そう特別な事情があった訳ではない。元々は大内 輝弘の父親である大内 高弘が周防大内家内で重臣と共に謀反を起こそうとして失敗。豊後大友家に逃げてきたというものだ。
当時の豊後大友家は周防大内家と熾烈な争いを行っている。搦め手の手札となる大内 高弘の亡命はさぞや歓迎されただろう。
けれども、その後に起こる流れ公方 足利 義稙の周防下向、両家の和睦、豊後大友家の方針転換により、大内 高弘は忘れ去られた存在へとなり下がった。
大内 輝弘はこうして父親が没落した中で生まれる。同じくその子供の武弘が生まれた時もその環境に変わりはなかった。
加えて近年は土佐一条家の面々が豊後大友家を頼ってきたという事情もあり、更に落ちぶれ、爪に火を点すような貧しい暮らしを送っていたという。
更には大寧寺の変が起きても、大内 輝弘の状況は何も変わらなかった。本来であれば、今頃は自身が周防大内家の新たな当主となっていなければならない。だが 大内 義隆亡き後にその後継の座を射止めたのは、母親が周防大内家の出となる大友 義鎮の弟であった。
例えそこに政治的な目論見があったとしても、視界にも入れてももらえない不甲斐なさに大内 輝弘はどれ程悔しがったろうか。だというのに、現状では何もできない。その事実が大内 輝弘の心を深く抉ったように感じる。
そんな大内 輝弘がついに決断をする。居場所のない豊後大友家でこのまま惨めに生きるのはもう御免だ。もっと自分を評価してもらえる場所に身を置きたい。細川野洲家当主 細川 通董殿を備中国に復帰できるよう兵まで出した遠州細川家なら、きっと二度と惨めな思いをしなくても済む。そう考えて海を渡り、四国までやって来たという話であった。
「……多分、領外への脱出を見逃してくれたんだろうな。俺ならまだ利用価値はあると思うから、出る前に拘束する。もしくは遠州細川家と豊後大友家を繋ぐ役割として期待されたか。何にせよ当家でするのは衣食住の面倒までだ。それだけは保証するから安心して欲しい。ただ、当家に仕官して働きたいという話でないのなら、多くは期待しないで欲しい」
「そ、それは……いえ、分かり申した。ご配慮感謝致す」
「誤解があるようなので言っておく。細川 通董殿の件は、本家当主 細川 氏綱様からの依頼だ。ああいった事は誰も彼もする訳ではない。それを覚えておいてくれよ。勿論、大内 輝弘が当家の利になる行動をしてくれるなら、それにはきちんと報いる。まずは親子共々旅の疲れを癒してくれ」
本人達は気付いていないようだが、当初はこの親子を家中の皆が豊後大友家からの間者ではないかと疑っていた。しかし俺が言ったように、豊後大友家側が当家との距離を詰めようした可能性も考えられる。こうした意図の読めなさから、一先ず受け入れて様子を見ようと結論へと至った。
そのため、しばらくは保護という名の監視となる。同じく行き場を無くして当家に保護を求めてきた京極 高延親子や山名 氏豊達と共に過ごしてもらう。その中で人間性を見極める予定だ。何も無ければそれに越した事はない。
一つ気になるのは、今の豊後大友家で居場所が無かったというのが本当だろうかという点だ。大友 義鎮は非合法な手段で当主となった関係上、信頼できる者は限られている。未だ足元が安定しておらず、昨年にも家臣が謀反を起こしていた。
ならここで大内 輝弘が大友 義鎮の味方だとしっかりと立場表明をして、謀反の鎮圧であったり家中の取り纏めに奔走をすれば、信頼を勝ち得たのではないかと思われる。誰からも相手にされないのは、どこの派閥にも属していないという意味だ。しがらみの希薄さは現状の豊後大友家では大きな強みとなる。上の立場から見ればこれほど使い勝手の良い存在はいない。少し功績をあげれば、家中の重要な役職に抜擢された可能性すらあったろう。
だというのに客将という立場に胡坐をかいて、何もしなかったからこその落ちぶれたというのが正しい表現ではないだろうか? 俺が大友 義鎮の立場なら、大事な時期に協力の一つもしてくれなかったとなれば冷遇もしたくなる。大内 輝弘の環境は自業自得であるようにも感じた。
──もしかしたら受け入れは失敗だったのではないだろうか?
そんな後悔が頭を過る。とは言え、この親子に当家の領内で何かをできる力も無ければ度胸も無い。せいぜいが酒に酔って悪態をつくのが関の山だ。その程度なら可愛らしいものである。
何となく、この親子はこの地でも変わらない生活を送るような気がした。
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