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六章 大寧寺ショック

阿波国北部へ

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義久よしひさ、とても大事な話だから一度確認しておこう。戦に於いて何が最も重要か答えてみろ」

「何を今更。そのような事、童でも分かりましょう。武勇以外の何者でもありませぬ」

「残念ながら落第点だ。答えは移動となる。指定された場所へと正しく到着する。それができるだけで、戦というのは半分勝っている」

「ただ歩いて目的地につくだけではないですか。誰でもできまする。それが何ゆえ重要なのか真意をお聞かせくだされ」

「現実はそうではない。しっかりと鍛錬していなければ必ず脱落者が出るし、到着もバラバラとなる。義久と同じく島津家臣にはこれが理解できなかった。これが島津家臣を連れて行かない答えとなる」

 当家の軍が異質になると今度はある弊害が生じる。外部からやって来た者達には、これまでの常識が全く通用しないというものであった。

 土佐統一前に波川 清宗なみかわきよむねと激しくやり合ったのが随分と懐かしい。あの当時でさえ、少し武芸が秀でた程度ならいらないと言ったのを覚えている。

 それも今は昔。現在の当家はまた大きく飛躍を果たした。そうなれば戦は、国外へと出る遠征ばかりとなってしまう。詳細な地図もグー〇ルアースも無いこの時代に、一人の脱落者も出さずに目的地まで辿り着くというのはそれだけで困難を極めるというもの。結果として、将兵に求める役割が他家とは大きく異なる形となってしまうのだが、島津家臣にはそれを理解しようする者がいなかったという話である。

 事の起こりは出陣直前の評定を行っている最中の出来事だ。今回も複数の隊にそれぞれの役割が与えられる作戦となるため、綿密な確認作業を行っていた所である。

 そこへ転がり込むように土佐島津しまづ家 (宗家ではなくなったため便宜上の名称)当主の島津 義久が入って来て、同じく土佐へと移住した島津家臣を何故今回の阿波国北部への遠征に連れて行かないのかと直談判をしてきた。

 元々俺は島津関係者には全て文官として働いてもらい、当家の政を学んでもらうつもりでいた。当家へ降った際の島津 義久とのやり取りを見れば、統治に対する意識の低さが分かるというもの。それに史実でも豊臣政権時代には、統治が前時代的で石田 三成いしだみつなりから指導を受けなければならなかったという残念な話さえ残っている程だ。今後を考えれば、一人でも多くの意識を改革させなければならない。そう考えていた。

 しかし悲しいかな文官仕事に耐えられたのは当主の島津 義久を含めた一部のみであり、多くは軍へと転属を希望する。

 これが間違いの元であった。

 例え軍所属となろうとも、配属先は異質の遠州細川軍である。これまでのやり方とは何もかもが違う。当然ながら、新参者が声を上げようとも誰もが耳を傾けようとはしない。

 結果、自主練と称して島津家臣達は全体練習に参加しないようになっていた。とは言えそれを真面目に行っていたかというと、そんな筈は無い。思い出したかのように時折行うのが関の山である。多くは無為な時を費やすばかりであった。

 俺からすれば郷に入っては郷に従えの言葉通り、まずは島津側から歩み寄ってもらわなければどうしようもないのだが、無駄に自尊心が高いからか頭を下げたくないのだろう。そうした態度である以上、こちら側は放置するしかなかった。

 とは言えこれが島津家臣側から見れば、自分達は冷遇されていると勘違いをする。理不尽な扱いを受けたと憤る。良くある話だ。

 それなのに処罰をされたくないからか、騒ぎも起こせない。見知らぬ土佐の地では味方はいないため、確実に失敗をするのが見えている。

 たがらこそ島津 義久を生贄として意見を代弁させた。こうすれば睨まれるのは島津 義久だけだという考えなのだろう。案の定、俺へ直談判した瞬間、同席していた本山 梅慶もとやまばいけいに雷を落とされていた。

 それでも島津 義久はたじろがずに俺へと食い下がる辺り、家臣思いなのだというのが分かる。騙されているとも知らずに。少し可哀想になったので、今回はその根性に免じて当家における軍事の要点を教える事とした。それが移動云々の話となる。

「もう一つ聞こう。他にも戦で重要な点があるのだが、義久、答えられるか?」

「今度こそ……いえ、何でもありません。未熟者の某にご教授頂けないでしょうか」

「その柔軟さが島津の家臣にもあれば、今回の件は起こらなかったと思うぞ。ああっ、答えだな。それは待機だ。目の前で味方が傷ついても倒れても、命令が出るまでは何もしない。これができる軍は強い」

「……」

「戦というのは面白いもので、規模が大きくなれば逆に直接交戦する時間が少なくなる傾向がある。全軍入り混じって戦えば消耗戦になるからな。勝っても負けても被害が大きくなる。そうならないように、攻勢に出る機が熟すのを待たなければならない訳だ。だから待機が重要になる。言っている意味は分かるか?」

「……分かりまする」

「移動にしたってそうだ。味方が有利になる布陣ができるだけで、戦い易さが大きく違う。敵も馬鹿じゃないからな。自分達が不利になるような布陣はしてくれないし、こちらの都合には合わせてくれない。なら、もう分かるだろう。敵よりも早く有利な場所を確保するというのが、勝ちを手繰り寄せる一番手堅い方法だと。武勇が必要になるのは最後の最後だ。優先順位を間違えるな」

「国虎様、なら馬路党はどうなるのですか? 隊員は皆武勇を誇りにしておりますが」

「ああ、あそこまで突き抜ければ話は変わる。ただ、馬路党は個人の集団だぞ。兵を率いるという考えは一切無い。ん? もしかして、島津の連中は馬路党に入りたいのか? 馬路党は庶流も嫡流も関係無い。元僧侶や元農民だっている。武家の常識自体が通用しなくても良いのか?」

「なれど、馬路党では武勇が優れていれば活躍できるのではないのですか?」

「その分、物凄く厳しい鍛錬をさせられるぞ。それに口答えすれば、すぐにボコボコにされる。悔しければ強くなれという場所だ。務まると思うか?」

「分かりませぬ。ですが、現状の島津が遠州細川家で認められるにはそこしかないのではないでしょうか? 今国虎様の話を聞いて、それを皆に理解させるのは難しいと感じました」

「背水の陣という訳か。それはそれで面白いな。俺としては我慢してでも文官になって欲しかったんだが、叶わないならそれしか方法は無いかもな。耐えられない者は土佐を去るか、武家を止めるかのどちらかになるぞ。良いな」

「はっ。皆に言って聞かせます」

「一応言っておくが、同じ時期に家臣になった肝付 兼続きもつきかねつぐは遠州細川軍の考えをすんなり理解してくれた。当家で島津の評価が低いのはそれが関係しているんだろうな」

「……やはりそうでしたか」

 島津にとって、当家への降伏はある意味で不幸であった。自分達は国内の統一さえままならぬ状態の寄せ集め集団であったというのに、当家の軍は既に意識の統一された集団であったという点だ。更に言えば、これまで戦を率いていた当主は死去しており、現在は何の実績も無い若い当主である。これでは新当主に忠義を立てて、島津の名に恥じない行動を取れというのが難しい。

 それでもまだ後見人のような者がいたなら、多少は大人しくはなっていたであろうと思う。しかし残念ながら、後見人に適任とも言える島津 義久の祖父である 島津 忠良しまづただよしは逃亡をしていた。

 本来であれば、もう島津は要らないと言いたい所であるが、俺も家督継承をした際に主要家臣にはそっぽを向かれた経験がある。まだ二一歳と若い島津 義久だからこそ目の前の仕事に精一杯となり、家臣達への気配りができなかったのが今回の要因の一つではなかろうか。俺も就任直前までは奈半利派閥だけを優遇して、本家家臣への根回しを怠っていた過去が思い出される。それもあり、島津はもう少し長い目で見るつもりだ。

 そりにしても意外だったのは、肝付 兼続の理解の早さである。若い頃から戦いに明け暮れていただけに、武勇が優れているだけでは戦には勝てないのが肌に染みて分かっていたのだと思われる。本山 梅慶もそうであったように、傑物と呼ばれる者は戦闘行為だけが戦ではないと知っていた。そんな所だろう。

「義久を文官に留め置き、家臣達と部署が分かれたのが今回の事態に繋がったかもしれないな。次は同じ轍を踏まないよう、義久も馬路党入りをするか? もしくは義久の腹心を馬路党入りさせるかだな。そうすれば家臣達の面倒も見れるだろうから、連中も少しは真面目に頑張るんじゃないのか」

「それでしたら弟の義弘よしひろ歳久としひさを馬路党入りさせまする。さすれば島津の名に泥を塗らぬようにと家臣達も励みましょう。某はこのまま文官として遠州細川の政を学びたいと考えておりまする」

「良いのか。確か弟三人はまだ勉学の最中だろう」
 
「まだ小さな四男は別として、二人はもう元服しておりますれば。勉学は故郷の薩摩で終えておりますので心配には及びません」

「そうか。なら手続きと説得を頼むぞ。今度こそ島津の本気を見せてくれ」

「はっ。必ずや」

 こうして全てを納得した島津 義久は部屋から出て行く。皆からは対応が甘いと苦言を呈しつつも、俺の戦に対する考え方を聞けたのが貴重だったらしく、「此度のお言葉を若い家臣達にもお話くだされ」と何故か懇願される羽目になる。

 それというのも、やはり若い家臣達は武芸の方ばかりに目が行きがちで、戦全体の流れがまだ理解できていない場合が多いらしい。

 事実、今回の評定で隣に座っていた足利 義栄あしかがよしひでは、俺と島津 義久との会話を驚きの表情で眺めていた。話が終わると「さすがは義父上。これが遠州細川の強さの秘密か」と妙に納得をする。

 俺は俺で「いや武芸を軽視している訳ではないぞ。それよりももっと重要な要素があるだけだ」と言い訳をするも、それを聞くそぶりは見せようとしない。余計な事を話さなければ良かったと後悔をしてしまう。

 その後は行軍の大事さや大変さ、待機の重要性を皆で話し合う、軍学の勉強会が始まるという良く分からない流れとなってしまった。阿波国北部へ攻め込む話は、さも当然のように強制終了してしまう。

 俺は皆のこの態度に抗議をするも、本山 梅慶が「仁木 高将にっきたかまさ殿なら一日程度持たせるのは造作もないでしょう」といけしゃあしゃあと言い放つ始末。無責任にも程がある。

 戦を前にしてこの緊張感の無さ。これが当家の良い所でもあり、悪い所であるとつくづく思う。

 ──今日の話は絶対に仁木殿にはできそうにない。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 天文二二年 (一五五三年)一一月末に土佐から阿波あわ国南部に駆け付けた俺達二〇〇〇の兵は、守備任務に就いている松山 重治まつやましげはると合流して、兵を四〇〇〇に増やして阿波細川家との境界線である園瀬川そのせがわを超えて一気に敵領へと雪崩れ込んだ。

 事前に探らせておいた鉢屋衆はちやしゅうからの報告では、蜂起した反三好 実休みよしじっきゅう派は芝原城しばはらじょう近くの黒田鑓場くろだやりばに陣を構え、吉野川を挟んで阿波三好軍と対峙しているという。

 しかしながら、久米 義広くめよしひろを筆頭とした反三好 実休派の兵は残り五〇〇を切り、芝原城へ撤退間近の危険な状態のようだ。敵である阿波三好軍の兵は約五〇〇〇。両陣営の兵数の違いから、明らかに反三好 実休派に勝ち目が無いのは分かる。それでも攻め手となる阿波三好軍は吉野川を渡っての戦いとなるため、水際作戦が功を奏してここまで粘れたという所だろう。

 何とか全滅前に当家が間に合って本当に良かった。

 それにしても、反三好 実休派が起こしたこの戦は無茶苦茶である。俺は仁木 高将にっきたかまさ殿の書状から、今回の戦は敵本拠地の勝瑞しょうずい城へ電撃的に攻め込むか、もしくは険しい山中の城へと立て籠もって長期戦に持ち込むかのどちらかと思っていた。

 手堅いのは後者の長期戦であろう。

 反三好 実休派が集められた兵は八〇〇から九〇〇という話だ。その数は少ない。ならば大軍が機能できない場所に引き摺り込むのが賢いというもの。そこでゲリラ戦を展開しながら日和見をしている他の阿波国の諸将に味方になるよう呼び掛ける。上手くすれば各地で反乱が起こり、阿波三好軍はそれに対応しなければならない。そうなれば、万に一つの勝ちも呼び込める。
 
 だが実際はどうだ。反三好 実休派の動きは筒抜けで、兵が集まった時には既に勝瑞城では防衛態勢が敷かれていたという。そこで取った行動は、南下して小笠原 成助おがさわらなりすけの居城である一宮いちのみや城を夜襲して攻め落とすというものであった。

 ここまでは分かる。勝つ見込みのない勝瑞城への突撃をするよりも、阿波国最大規模の山城を手に入れれば長期戦が展開できる。この臨機応変な動きはとても理に叶っていた。

 しかしここからが良くない。

 何と一宮城の攻略は、三好 実休の妹婿である小笠原 成助を人質とするものであった。その策は失敗して、小笠原 成助は取り逃がす。人質にできたのは三好 実休の妹と姪だけであった。

 要するに黒田鑓場での戦いは、足りない兵力を三好 実休の妹と姪を人質にする事で補おうとしたものである。追い込まれた集団に卑怯もくそも無いというのは分かるが、このような破滅的な思考では壊滅して当たり前だ。どうして人質など無意味と踏み止まり、更に山中に逃れようとしなかったのか? こいつ等本当に馬鹿である。
 
 もう少しで「全滅しても自業自得だろ」という言葉が出そうになりつつも、既に乗りかかった船だ。後戻りはできない。

 当家の動きは阿波国の兵を加えた本隊四〇〇〇が一目散に黒田鑓場を目指し、松山 重治の隊が近くの財田ざいた城等を牽制して追手を出させないようにする。惟宗 国長これむねくになが海部 友光かいふともみつ殿が率いる水軍衆が小松嶋小松島港に逗留して、土佐泊とさどまり淡路あわじ国の水軍衆への強襲に備える。最後は土佐と阿波の国境にある粟井あわい城から、尼子 経貞あまごつねさだ伊予いよ国から出向してきている金子 元成かねこもとなりが攻め入る算段だ。

 伊予国の安芸 左京進あきさきょうしん川之江かわのえから尼子 経貞と金子 元成の後詰として入る。津田 算長つだかずなが率いる根来衆の阿波国到着は遅れるものの、松山 重治の隊と合流した後は順次城を落としていく。今回は三方向からの侵攻であった。

 まずは黒田鑓場で阿波三好軍を蹴散らして勝瑞城へと追い落とす。その勢いに乗って阿波国の完全掌握を行うつもりだ。

 将兵全員の士気は高い。分家とは言え、ついに宿敵とも言える三好との戦いがやって来たのだ。行軍の速度も普段より速く、今すぐにでも突撃しそうな勢いで現場の黒田鑓場へと到着する。

 そこで待っていたのは、

「えっ……和睦?」

 阿波三好軍総大将を任せられた三好 長慶みよしながよしの弟、通称「鬼十河おにそごう」こと十河 一存そごうかずまさからの和睦の使者であった。

 小競り合い一つせずにこの仕打ち。振り上げた拳を下ろす先が突然無くなってしまった。
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