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六章 大寧寺ショック
銭の供養
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「それで江春瑞超殿、ここに書かれている必要な物資の量が、当家の試算した数よりかなり多めになっているのはどういった理由でしょうか?」
「そ、それに関しましては相国寺にて遠州細川家の方々をお世話させて頂きますので、色々と物入りになると言いましょうか……」
「なるほど。土地の利用料や手間賃として相国寺への寄付が含まれているというのですね。なら相国寺側は、設備なども含めて十分な態勢が整った上で当家の将兵を受け入れてくださるという認識で良いのでしょうか?」
「……面目ない」
前言撤回。やはり京は伏魔殿だった。相国寺から派遣された僧の江春瑞超殿と今後に付いて話し合っていたのだが、持参した書状を俺の右筆や財務担当の文官が精査しているとおかしな箇所を見つける。平たく言えば水増し請求であった。現在の相国寺に快適に寝泊まりできる施設や水場の整備等、過不足ない設備が整っているなら話は別だが、実際に当家の兵が寝起きするのは荒廃して復旧途上の敷地内である。兵達は日々の役目をこなしながら、並行して自らで生活環境を整えなければならない。
そんな状況だからこそ、相国寺側には大工を貸し出してもらう予定でいた。勿論、その分の報酬は上乗せするつもりであったのだが……この数字は過剰にも程がある。
それにしても、さすがは黒衣の宰相安国寺 恵瓊だ。まだ若い新人をいきなり財務に回す当家のブラックさに呆れつつも、その期待に応えるかのように書状内の数字に違和感があると気付く。それも真っ先にだ。
こういった不正を見破る目は、長く仕事に従事しているからといっても必ず養われるものではない。ましてや第一回目の請求から数字を操作されてしまえば「そんなものだ」と思ってしまう。よくぞ気付いたものだ。
ただ当の本人は「京入りする際に手配した物資の量を覚えておりましたので」と、何でもなかったかのように言う始末。そこから約半数の兵の物資一月分を超えているという答えを暗算で導き出せるのが恐ろしい。改めてこの時代に生きる人を舐めていると痛い目に合うと思い知らされた。
それてはさて置き、
「江春瑞超殿、まずは弁明を聞きましょうか。この物資の過剰請求は横領目的ですか? それならば、当家は今後相国寺への再建費用を出せなくなります。ですが別の理由があるなら話は別です。内容によってはこのまま通しましょう。どう致しますか?」
「弁明の機会を頂きありがとうございます。事情を正直に話させて頂きます。話は長くなりますので心してお聞きくだされ」
開き直ると言うよりは嘘がつけない性格なのだろう。俺の最初の一言で目が泳ぎ、返す言葉が早口となる。そうかと思うと、今度はあっさりと罪を認める。
逆上したりその場を取り繕うような悪手を打たないだけマシと言えるが、これでは交渉事には向いていない。何故相国寺はこういった者を寄越してきたのだろうか? 当家の将兵が世話になっていなければ、話も聞かずにお帰り頂いている所である。
事情が事情のため仕方がない。まずは相手の言い分を聞いてから判断しよう。話はそれからだ。
こうして始まった江春瑞超殿の話は、禅宗内部の実態であった。相国寺というか禅宗は組織内が真っ二つに分かれる。片や教学の専門家で最終的には寺の最高位への道が用意されている西班衆と、もう一つはトップには立てないながらも経理や荘園経営を担当する東班衆という図式だ。今回派遣された江春瑞超殿は西班衆に属する。
一見すると最高位である住持への道が開けているために西班衆の方が格上のように感じるものの、東西両班の地位は同列なのだとか。財務省しかり、いつの世も銭を握る者の地位は高い。
さて問題はここからとなる。そんな優秀な東班衆は室町幕府と癒着する。主に幕府が相国寺を含む五山を財布代わりにしたというのが正しい表現かもしれない。ただ東班衆もそれに唯々諾々と従うような連中ではなく、逆に幕府をも利用する。不正蓄財は序の口、中には高利貸しにまで手を出す者もいる東班衆なら、その程度は朝飯前だろう。
そんな両者が行ったのは住持職の売買であった。詳しくは五山の寺持ち (敷地内の寺も含めて五山の管轄する寺は京に数多くある)になるには幕府から書状が発行される必要があり、その交付の見返りに一定額の謝礼が支払われるというものだ。当然ながら謝礼は新住持から東班衆へと渡り、そこから中抜きして幕府へと支払われる。
後には行為がエスカレートして住持職の任期期間を短くしたり、極端な場合は「座公文」という実際に赴任しない、形だけの住持職の資格だけを与えるようにまでなる。ここまで来ればどこかの免罪符とそう変わりはしない。名誉欲に駆られた坊主達が、こぞって東班衆の懐を温かくしていた。
結果として五山の東班衆は、我が世の春を謳歌する。
だがここで全てがご破算となる事件が起きる。そう、応仁の乱だ。戦乱によって数多くの寺が焼け落ち、東班衆は生活を追われる。それにより空白地帯が発生して、武家がここぞとばかりに寺領を横領。かくして戦国時代の下地が作られた。
余談ではあるが、地方はここまで露骨ではない。物理的に幕府の力が届かないからである。だからこそ地方では武家や民達と結びつき、禅宗が広く浸透した。中にはどうしようもない者もいたとは思うが、生存戦略として考えれば地域に恨まれるよりも共に生きた方が賢い。
「なるほど。要は応仁の乱で力を失い、更には天文二〇年に起きた相国寺の戦いでボロボロとなった東班衆に復権の余地を与えたくない。もしくは西班衆の息の掛かった人物を新たに東班衆に送り込む。そのための活動費が必要という意味ですね」
「ま、まさに。さすがは噂に違わぬ細川様。慧眼ですな」
「相国寺の復興に合わせて組織も再編する必要があるのは分かります。そんな時こそ、これまで行き過ぎた行為をしていた東班衆を改革したいという気持ちも分かります。相国寺を生まれ変わらせて原点に戻ろうという考え。素晴らしいの一言です」
「ならば細川様、何卒!」
要するに建物の復旧だけではなく、組織再編する資金も手伝えという話だ。江春瑞超殿を始めとする西班衆の気持ちは分からんでもない。自分達は真面目に学んでいたというのに、東班衆が相国寺の品位を落とすような真似をし続けた。それを苦々しく思っていたのだろう。組織は一枚岩ではなく、銭に汚い者もいれば原理主義もいるというのが如実に分かる。組織を正しい方向に戻したいというその純粋な気持ちは、聞いていて気分が良い。
しかし、それで当家を巻き込むのはお門違いである。復旧費用を出すからといって少し図々しいのではないか。やるのなら自分達の力だけでやり抜く。もしくは当家の力を借りるなら、何らかの見返りを出す必要がある。
……そういう事か。当家の将兵の受け入れがその見返りと言いたいのだな。禅宗の最高権威とも言われた五山が随分と世知辛いものだ。
なら、腹を括るか。相手が俺達を利用する気なら、こちらも利用させてもらう。ここからは商いの話へと移行させてもらうとしよう。
「残念ですが、やり方が良くないですね。復興費用から活動費を中抜きすれば、作業自体が遅れていずれは発覚する。なら当家の兵を相国寺でに受けて入れて物資の請求の水増しすれば、京は土佐と違って様々に物入りになると言い訳が立つと考えたのは着想点としては褒めましょう。余った物資は売れば銭に変わりますからね」
「……」
「身内の恥を晒したくない気持ちは分かりますが、素直に私に相談すればこんな事にならなかったでしょう。ただ、先程も言いました通り、相国寺を思う気持ちには賛同致します。ですので、当家の商いに協力してください。活動資金はこれで捻出できる筈です」
「細川様、我等は学問ばかりしてきた身ですので商いには向いておりませんが……」
「なあに、そう難しいお願いはしませんよ。まずは相国寺や関連寺院に残っている打平などの決済を嫌がられる悪銭を回収してください。比率は高くはでませんが、相当量の金や銀、絹などの物資と交換致します。可能なら他の五山に残っている悪銭もお願い致します。名目は銭の供養ですね。これを行うだけでも京での相国寺の名声は挽回できるでしょう」
「か、確約はできませんが、戻り次第探してみます」
「あっ、そうそう。交換は証文でも良いですよ。私の名の入った証文なら貝塚に持っていけば、確実に銭の代わりになりますしね」
「細川様、可能なら宋銭 (もしくは精銭:宋時代に作られた銅銭)と交換したいのですが……」
「そうか。ご存じ無いのですね。四国は畿内から多くの悪銭が流れ込んでいる地です。それも、かなり質の悪い物ばかりでして。そうなると、当家は私鋳銭に頼らざるを得なくなったのです。忠澄、見本を江春瑞超殿にお見せしてくれ」
「はっ」
「細川様、これが私鋳銭なのでしょうか? 拙僧には状態の良い永楽通宝 (明銭)にしか見えないのですが」
「だとしても宋銭ではないので、京ならどの道悪銭扱いです。この私鋳銭は領内専用となります」
当家は南九州の領有化に続き、雑賀衆の完全子会社化とここ一年の間に勢力圏が大きく拡大した。それに伴って銭そのものの需要が増えるのは火を見るより明らかである。そうなれば、これまで以上に銭の仕入れ先を増やすのが急務となる。
そこで思い付いたのが、悪銭の供給源である京から直接それを手に入れるというものであった。
伊予国に溢れていた悪銭も元を辿れば、京から流れてきた物である。地方領主で海外から銭を直接入手出来ていたのは極一部だ。多くは一度幕府や畿内の有力寺社の元に集まり、そこから地方へと広がる。その過程で地域格差が起こらない筈がない。畿内では質の良い銭で決済し、四国には決済を嫌がられる質の悪い銭が流れ込んでくる。この図式が成り立っていた。
だからこそ大元の京の悪銭を減らせば、今後領内に流れ込んでくる悪銭も減り、回収コストも減らせるという考えである。
また天文一一年 (一五四二年)に興福寺は、永楽通宝の価値を宋銭と対等だと評価する。これは永楽通宝を決済で使用すると嫌がられる実態を何とかしようとしたものだ。意訳すれば「贅沢言うな。周防大内家が宋銭を掻き集めて少なくなったんだから、だぶついている永楽通宝を決済で受け入れろ」という悲痛な叫びである。それ位西国では永楽通宝の価値は低い。
その実情から当家が私鋳銭を作るに当たり、敢えて人気の無い永楽通宝の完全模倣をした。これによって領外に流出する私鋳銭は歯止めが掛かるだろうという思惑を込めてである。
ただ、一つ面白い点がある。銭の地域格差はある場所では逆転現象を生み出していた。そう、有名な織田 信長の旗印に使用された永楽通宝は、東国では価値を認められて西国で一般的な宋銭よりも価値が高くなる。
つまり精巧な永楽通宝の私鋳銭ならば、作り過ぎて領内でだぶついても東国へと販売できる。事実、東国では精巧な永楽通宝の私鋳銭が出回っていたらしく、この存在が東国の貨幣経済を支えていたと言っても過言ではない。なら、当家がそれに一枚噛んだ所で大勢には影響しないだろう。
……というよりも南九州を領有化して以降、駿河今川家から金と交換で永楽通宝が欲しいと何度か催促されている。弓胎弓の販売から始まった両家の交易は、今や全くの別物へと変化しているのだから笑うしかない。
もう一点。プレス技術を進化させたいという思いがある。これは俺の我儘だ。早くザ・プレスとも言えるクランク式に進みたい。そのためには設備投資分を回収できるこれまで以上の悪銭が必要となる。とは言えクランクプレス完成の暁には、どこかの餃子外食チェーン店に匹敵する量の私鋳銭が作れるようになるのだから、大儲けが確実である。
……いや、これは言い過ぎか。
このような様々な事情によって、当家はこれまで以上の悪銭回収事業に力を入れなければならなかった。ならば、相国寺にはその事業に協力してもらうというのが今回の提案となる。
「そうそう。交換するなら絹や生糸がお勧めですよ。当家は新南海道と言うべき航路を押さえておりますので、遠州細川関係の船なら通行料を支払わなくても大丈夫なのです。それによって明の絹や生糸が相場よりもお安くなっております。これを売れば十分な利益となるでしょう。良い話だと思いませんか?」
「良いのですか? 明の絹なら引く手数多の筈ですが」
「それだけ江春瑞超殿の働きに期待しているという事にしておきましょう。これで銭の問題は全て解決なのでは?」
「た、確かに」
これは堺に対する牽制の一つだ。南九州を当家が押さえている関係上、王直に頼らなくとも絹や生糸は倭寇が持ち込んでくる。それの有効利用だ。これによって京での市場を奪い取り、当然ながら貝塚や紀伊国でも同様に相場より安い価格で販売する。同じ品質で価格はこちらが安いのだから、堺の利益は大きく目減りするのが確実となる。津田 宗達には吠え面をかいてもらおう。
「後は出入りの商家と協力すれば何とかなるでしょう。随分と回り道をしましたね」
「面目次第もござらぬ」
「最後に一つ聞いても良いですか? 見た所、江春瑞超殿は相国寺内でもかなり上位の方でしょう。態々土佐まで足をお運び頂いた理由は何だったのでしょうか?」
「これも身内の恥を晒すようですが、今や相国寺は荒廃しているというのにまだまだ気位の高い僧が多いのです。師である仁如集堯様や仲間達と共に新しき相国寺を模索している最中とでも言えば聞こえは良いですが……」
「まだまだ道半ばだと。なるほど。任せられる僧がいなかったのですね。今回の水増しの仕込みが良い例だと。多分ですが、お布施分を追加したと言えばこちらも納得すると言い含められた。そんな所でしょう」
「書状を作成をした者には、二度とこのような行いをしないようにときつく叱っておきますので、此度はご容赦くだされ」
「まあ、程々にしておいてください。私だけなら発見できませんでしたし、その僧はかなりのやり手ですよ。江春瑞超殿が正しき道に導いてくださるのがその者のためになるでしょう」
「寛大なお言葉ありがとうございます」
仏に仕える僧であろうと所詮は人だ。悪い奴もいれば良い者もいる。そして組織も一枚岩ではない。ただそれだけの事。寺社に対して善性のみを求めるというのがそもそも間違っている。
だからこそ商いを通して良い関係を築く。互いに利益があるなら、どちらか一方が下に見られるというのは今後起きないだろう。雨降って地固まる。今回はこの言葉が良く似合う。
それにしても東班衆か。いや、幕府も同罪だな。先の近衛 稙家の問題にしてもそうだ。こういうのが京にはゴロゴロいるのかと思うと、気が滅入る。
京との付き合いは、程々の距離感であり続けたいものだ。
「そ、それに関しましては相国寺にて遠州細川家の方々をお世話させて頂きますので、色々と物入りになると言いましょうか……」
「なるほど。土地の利用料や手間賃として相国寺への寄付が含まれているというのですね。なら相国寺側は、設備なども含めて十分な態勢が整った上で当家の将兵を受け入れてくださるという認識で良いのでしょうか?」
「……面目ない」
前言撤回。やはり京は伏魔殿だった。相国寺から派遣された僧の江春瑞超殿と今後に付いて話し合っていたのだが、持参した書状を俺の右筆や財務担当の文官が精査しているとおかしな箇所を見つける。平たく言えば水増し請求であった。現在の相国寺に快適に寝泊まりできる施設や水場の整備等、過不足ない設備が整っているなら話は別だが、実際に当家の兵が寝起きするのは荒廃して復旧途上の敷地内である。兵達は日々の役目をこなしながら、並行して自らで生活環境を整えなければならない。
そんな状況だからこそ、相国寺側には大工を貸し出してもらう予定でいた。勿論、その分の報酬は上乗せするつもりであったのだが……この数字は過剰にも程がある。
それにしても、さすがは黒衣の宰相安国寺 恵瓊だ。まだ若い新人をいきなり財務に回す当家のブラックさに呆れつつも、その期待に応えるかのように書状内の数字に違和感があると気付く。それも真っ先にだ。
こういった不正を見破る目は、長く仕事に従事しているからといっても必ず養われるものではない。ましてや第一回目の請求から数字を操作されてしまえば「そんなものだ」と思ってしまう。よくぞ気付いたものだ。
ただ当の本人は「京入りする際に手配した物資の量を覚えておりましたので」と、何でもなかったかのように言う始末。そこから約半数の兵の物資一月分を超えているという答えを暗算で導き出せるのが恐ろしい。改めてこの時代に生きる人を舐めていると痛い目に合うと思い知らされた。
それてはさて置き、
「江春瑞超殿、まずは弁明を聞きましょうか。この物資の過剰請求は横領目的ですか? それならば、当家は今後相国寺への再建費用を出せなくなります。ですが別の理由があるなら話は別です。内容によってはこのまま通しましょう。どう致しますか?」
「弁明の機会を頂きありがとうございます。事情を正直に話させて頂きます。話は長くなりますので心してお聞きくだされ」
開き直ると言うよりは嘘がつけない性格なのだろう。俺の最初の一言で目が泳ぎ、返す言葉が早口となる。そうかと思うと、今度はあっさりと罪を認める。
逆上したりその場を取り繕うような悪手を打たないだけマシと言えるが、これでは交渉事には向いていない。何故相国寺はこういった者を寄越してきたのだろうか? 当家の将兵が世話になっていなければ、話も聞かずにお帰り頂いている所である。
事情が事情のため仕方がない。まずは相手の言い分を聞いてから判断しよう。話はそれからだ。
こうして始まった江春瑞超殿の話は、禅宗内部の実態であった。相国寺というか禅宗は組織内が真っ二つに分かれる。片や教学の専門家で最終的には寺の最高位への道が用意されている西班衆と、もう一つはトップには立てないながらも経理や荘園経営を担当する東班衆という図式だ。今回派遣された江春瑞超殿は西班衆に属する。
一見すると最高位である住持への道が開けているために西班衆の方が格上のように感じるものの、東西両班の地位は同列なのだとか。財務省しかり、いつの世も銭を握る者の地位は高い。
さて問題はここからとなる。そんな優秀な東班衆は室町幕府と癒着する。主に幕府が相国寺を含む五山を財布代わりにしたというのが正しい表現かもしれない。ただ東班衆もそれに唯々諾々と従うような連中ではなく、逆に幕府をも利用する。不正蓄財は序の口、中には高利貸しにまで手を出す者もいる東班衆なら、その程度は朝飯前だろう。
そんな両者が行ったのは住持職の売買であった。詳しくは五山の寺持ち (敷地内の寺も含めて五山の管轄する寺は京に数多くある)になるには幕府から書状が発行される必要があり、その交付の見返りに一定額の謝礼が支払われるというものだ。当然ながら謝礼は新住持から東班衆へと渡り、そこから中抜きして幕府へと支払われる。
後には行為がエスカレートして住持職の任期期間を短くしたり、極端な場合は「座公文」という実際に赴任しない、形だけの住持職の資格だけを与えるようにまでなる。ここまで来ればどこかの免罪符とそう変わりはしない。名誉欲に駆られた坊主達が、こぞって東班衆の懐を温かくしていた。
結果として五山の東班衆は、我が世の春を謳歌する。
だがここで全てがご破算となる事件が起きる。そう、応仁の乱だ。戦乱によって数多くの寺が焼け落ち、東班衆は生活を追われる。それにより空白地帯が発生して、武家がここぞとばかりに寺領を横領。かくして戦国時代の下地が作られた。
余談ではあるが、地方はここまで露骨ではない。物理的に幕府の力が届かないからである。だからこそ地方では武家や民達と結びつき、禅宗が広く浸透した。中にはどうしようもない者もいたとは思うが、生存戦略として考えれば地域に恨まれるよりも共に生きた方が賢い。
「なるほど。要は応仁の乱で力を失い、更には天文二〇年に起きた相国寺の戦いでボロボロとなった東班衆に復権の余地を与えたくない。もしくは西班衆の息の掛かった人物を新たに東班衆に送り込む。そのための活動費が必要という意味ですね」
「ま、まさに。さすがは噂に違わぬ細川様。慧眼ですな」
「相国寺の復興に合わせて組織も再編する必要があるのは分かります。そんな時こそ、これまで行き過ぎた行為をしていた東班衆を改革したいという気持ちも分かります。相国寺を生まれ変わらせて原点に戻ろうという考え。素晴らしいの一言です」
「ならば細川様、何卒!」
要するに建物の復旧だけではなく、組織再編する資金も手伝えという話だ。江春瑞超殿を始めとする西班衆の気持ちは分からんでもない。自分達は真面目に学んでいたというのに、東班衆が相国寺の品位を落とすような真似をし続けた。それを苦々しく思っていたのだろう。組織は一枚岩ではなく、銭に汚い者もいれば原理主義もいるというのが如実に分かる。組織を正しい方向に戻したいというその純粋な気持ちは、聞いていて気分が良い。
しかし、それで当家を巻き込むのはお門違いである。復旧費用を出すからといって少し図々しいのではないか。やるのなら自分達の力だけでやり抜く。もしくは当家の力を借りるなら、何らかの見返りを出す必要がある。
……そういう事か。当家の将兵の受け入れがその見返りと言いたいのだな。禅宗の最高権威とも言われた五山が随分と世知辛いものだ。
なら、腹を括るか。相手が俺達を利用する気なら、こちらも利用させてもらう。ここからは商いの話へと移行させてもらうとしよう。
「残念ですが、やり方が良くないですね。復興費用から活動費を中抜きすれば、作業自体が遅れていずれは発覚する。なら当家の兵を相国寺でに受けて入れて物資の請求の水増しすれば、京は土佐と違って様々に物入りになると言い訳が立つと考えたのは着想点としては褒めましょう。余った物資は売れば銭に変わりますからね」
「……」
「身内の恥を晒したくない気持ちは分かりますが、素直に私に相談すればこんな事にならなかったでしょう。ただ、先程も言いました通り、相国寺を思う気持ちには賛同致します。ですので、当家の商いに協力してください。活動資金はこれで捻出できる筈です」
「細川様、我等は学問ばかりしてきた身ですので商いには向いておりませんが……」
「なあに、そう難しいお願いはしませんよ。まずは相国寺や関連寺院に残っている打平などの決済を嫌がられる悪銭を回収してください。比率は高くはでませんが、相当量の金や銀、絹などの物資と交換致します。可能なら他の五山に残っている悪銭もお願い致します。名目は銭の供養ですね。これを行うだけでも京での相国寺の名声は挽回できるでしょう」
「か、確約はできませんが、戻り次第探してみます」
「あっ、そうそう。交換は証文でも良いですよ。私の名の入った証文なら貝塚に持っていけば、確実に銭の代わりになりますしね」
「細川様、可能なら宋銭 (もしくは精銭:宋時代に作られた銅銭)と交換したいのですが……」
「そうか。ご存じ無いのですね。四国は畿内から多くの悪銭が流れ込んでいる地です。それも、かなり質の悪い物ばかりでして。そうなると、当家は私鋳銭に頼らざるを得なくなったのです。忠澄、見本を江春瑞超殿にお見せしてくれ」
「はっ」
「細川様、これが私鋳銭なのでしょうか? 拙僧には状態の良い永楽通宝 (明銭)にしか見えないのですが」
「だとしても宋銭ではないので、京ならどの道悪銭扱いです。この私鋳銭は領内専用となります」
当家は南九州の領有化に続き、雑賀衆の完全子会社化とここ一年の間に勢力圏が大きく拡大した。それに伴って銭そのものの需要が増えるのは火を見るより明らかである。そうなれば、これまで以上に銭の仕入れ先を増やすのが急務となる。
そこで思い付いたのが、悪銭の供給源である京から直接それを手に入れるというものであった。
伊予国に溢れていた悪銭も元を辿れば、京から流れてきた物である。地方領主で海外から銭を直接入手出来ていたのは極一部だ。多くは一度幕府や畿内の有力寺社の元に集まり、そこから地方へと広がる。その過程で地域格差が起こらない筈がない。畿内では質の良い銭で決済し、四国には決済を嫌がられる質の悪い銭が流れ込んでくる。この図式が成り立っていた。
だからこそ大元の京の悪銭を減らせば、今後領内に流れ込んでくる悪銭も減り、回収コストも減らせるという考えである。
また天文一一年 (一五四二年)に興福寺は、永楽通宝の価値を宋銭と対等だと評価する。これは永楽通宝を決済で使用すると嫌がられる実態を何とかしようとしたものだ。意訳すれば「贅沢言うな。周防大内家が宋銭を掻き集めて少なくなったんだから、だぶついている永楽通宝を決済で受け入れろ」という悲痛な叫びである。それ位西国では永楽通宝の価値は低い。
その実情から当家が私鋳銭を作るに当たり、敢えて人気の無い永楽通宝の完全模倣をした。これによって領外に流出する私鋳銭は歯止めが掛かるだろうという思惑を込めてである。
ただ、一つ面白い点がある。銭の地域格差はある場所では逆転現象を生み出していた。そう、有名な織田 信長の旗印に使用された永楽通宝は、東国では価値を認められて西国で一般的な宋銭よりも価値が高くなる。
つまり精巧な永楽通宝の私鋳銭ならば、作り過ぎて領内でだぶついても東国へと販売できる。事実、東国では精巧な永楽通宝の私鋳銭が出回っていたらしく、この存在が東国の貨幣経済を支えていたと言っても過言ではない。なら、当家がそれに一枚噛んだ所で大勢には影響しないだろう。
……というよりも南九州を領有化して以降、駿河今川家から金と交換で永楽通宝が欲しいと何度か催促されている。弓胎弓の販売から始まった両家の交易は、今や全くの別物へと変化しているのだから笑うしかない。
もう一点。プレス技術を進化させたいという思いがある。これは俺の我儘だ。早くザ・プレスとも言えるクランク式に進みたい。そのためには設備投資分を回収できるこれまで以上の悪銭が必要となる。とは言えクランクプレス完成の暁には、どこかの餃子外食チェーン店に匹敵する量の私鋳銭が作れるようになるのだから、大儲けが確実である。
……いや、これは言い過ぎか。
このような様々な事情によって、当家はこれまで以上の悪銭回収事業に力を入れなければならなかった。ならば、相国寺にはその事業に協力してもらうというのが今回の提案となる。
「そうそう。交換するなら絹や生糸がお勧めですよ。当家は新南海道と言うべき航路を押さえておりますので、遠州細川関係の船なら通行料を支払わなくても大丈夫なのです。それによって明の絹や生糸が相場よりもお安くなっております。これを売れば十分な利益となるでしょう。良い話だと思いませんか?」
「良いのですか? 明の絹なら引く手数多の筈ですが」
「それだけ江春瑞超殿の働きに期待しているという事にしておきましょう。これで銭の問題は全て解決なのでは?」
「た、確かに」
これは堺に対する牽制の一つだ。南九州を当家が押さえている関係上、王直に頼らなくとも絹や生糸は倭寇が持ち込んでくる。それの有効利用だ。これによって京での市場を奪い取り、当然ながら貝塚や紀伊国でも同様に相場より安い価格で販売する。同じ品質で価格はこちらが安いのだから、堺の利益は大きく目減りするのが確実となる。津田 宗達には吠え面をかいてもらおう。
「後は出入りの商家と協力すれば何とかなるでしょう。随分と回り道をしましたね」
「面目次第もござらぬ」
「最後に一つ聞いても良いですか? 見た所、江春瑞超殿は相国寺内でもかなり上位の方でしょう。態々土佐まで足をお運び頂いた理由は何だったのでしょうか?」
「これも身内の恥を晒すようですが、今や相国寺は荒廃しているというのにまだまだ気位の高い僧が多いのです。師である仁如集堯様や仲間達と共に新しき相国寺を模索している最中とでも言えば聞こえは良いですが……」
「まだまだ道半ばだと。なるほど。任せられる僧がいなかったのですね。今回の水増しの仕込みが良い例だと。多分ですが、お布施分を追加したと言えばこちらも納得すると言い含められた。そんな所でしょう」
「書状を作成をした者には、二度とこのような行いをしないようにときつく叱っておきますので、此度はご容赦くだされ」
「まあ、程々にしておいてください。私だけなら発見できませんでしたし、その僧はかなりのやり手ですよ。江春瑞超殿が正しき道に導いてくださるのがその者のためになるでしょう」
「寛大なお言葉ありがとうございます」
仏に仕える僧であろうと所詮は人だ。悪い奴もいれば良い者もいる。そして組織も一枚岩ではない。ただそれだけの事。寺社に対して善性のみを求めるというのがそもそも間違っている。
だからこそ商いを通して良い関係を築く。互いに利益があるなら、どちらか一方が下に見られるというのは今後起きないだろう。雨降って地固まる。今回はこの言葉が良く似合う。
それにしても東班衆か。いや、幕府も同罪だな。先の近衛 稙家の問題にしてもそうだ。こういうのが京にはゴロゴロいるのかと思うと、気が滅入る。
京との付き合いは、程々の距離感であり続けたいものだ。
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アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
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