164 / 244
六章 大寧寺ショック
相国寺の提案
しおりを挟む
津野 越前を筆頭とした土佐津野家家臣団に国境警備を担っていた兵五〇〇。それに加えて駿河今川家より人質としてやって来た足利御三家庶子の吉良 義安と三河の豪族奥平 貞友に土佐兵三〇〇の計八〇〇が京に逗留する警備兵の内訳となる。
当初の予定では国境警備の兵五〇〇だけのつもりだったが、三好 長慶との交渉で三〇〇を上乗せさせられる羽目となった。それに伴い今回物見遊山で連れて来ていた二人を追加人員とする。逗留する兵が増えた分、指揮をする将も増やさなければならないという考えであった。
この二人はまだ若いだけに、様々な経験を積むには良い機会である。それに土佐で変化の無い人質生活を送るよりも、憧れの京で過ごす方が喜ぶのではないかという建前だ。本音は同じ人質としてやって来た残り二人より勉学に身が入っていないので、現場で揉まれてこいという判断である。
京に逗留する土佐津野家には鬼軍曹公文 正信もいるのが尚更都合が良い。甘えた根性を少しは叩き直してくれると信じている。そうでなければ京の町で死ぬだけなのだから。
また引率役は、前回の山田 元氏の時と同様に山田 元義殿に依頼をした。こうした役割ではとても頼りとなる人材である。
さて、ここまでを決め終わった所で俺達が京を後にできるかと言えばそんな筈も無く、むしろここからが面倒な部分となる。
今回京に逗留する兵八〇〇という数は、万の兵を動かせる現在の当家からすれば一見すると大した数ではない。しかし戦とは違って、この逗留は一時的なものとは違う。継続的に宿泊ができる場所の選定や交渉に物資の集積場所、運搬方法を決めるといった裏方の仕事が待っていた。今回は義父の側近である今村 慶満殿がいないために、こちらで全て何とかしなければならない。
また、京で行う警備業務自体が曲者である。同僚が三好宗家という時点でいつ仲違いを起こすか分からない。最悪の場合は晴元派の侵入者そっちのけで互いが争いを起こす可能性すら考えられる。そうなれば、山田 元義殿一人だけでは事態に対処できないだろう。そうならないためにも、三好宗家の現場責任者との綿密な打ち合わせが必須となるのだが……すんなり話が進む未来が全く見えない。
あの時、場の雰囲気に流されて余計な真似をしなければ良かったと今は後悔をしている。
もう都心に一戸建てを買うのは諦めて、いっそ伝手のある埼玉にでも……もとい、洛中での宿泊を諦めて、世話になっている西岡の革島家に頼るしかないかと考えていた頃、思わぬ伏兵が協力者として名乗りを上げてくれた。
それは足利御三家の石橋 忠義様並びに相国寺の僧である。石橋 忠義様は俺が預けた支度金を使ってちゃっかりと洛中に居を構えていたために、当家の京入りや兵逗留の話を知っていたそうだ。噂好きの京雀の拡散力には脱帽する。
寝泊まりに使っている革島家を訪ねてきた二人は、当家の将兵達の宿泊場所に再建ままならない相国寺の一画を使ってくれて良いという提案をしてくれる。そればかりか生活全般の手助けや日々の警備業務にも人を出して協力をしてくれるという話だ。
全焼した相国寺は禅宗の中でも最高位の格を持つ五山 (京都五山)の一つである。そんじょそこらの末寺とは規模が違い、東京ドーム一〇一個分という桁違いの大きさだ。そうなれば例え荒廃していても、いや荒廃しているからこそ、兵が寝泊まりする場所など幾らでも建て放題という話である。事実、相国寺の僧も一部は散り散りとなっているものの、その多くがまだ寺領内で生活しているのだとか。
これだけでも十分にありがたい提案だが、更には三好宗家との仲介役まで買って出てくれるというのだから驚きだ。
要するに当家の将兵が警備業務だけに集中できるよう、煩わしい点は全面的に支援をしてくれるという話である。
──「全ては相国寺にお任せくだされ」 そう一言言って俺に微笑む相国寺の代表者は、まさに地獄で仏であった。
「それにな遠州殿、京の町衆や僧達は遠州細川家が食うに困っている散所民を土佐で受け入れておるのを知っておる。柳原は天台宗の寺領なれど、実はこの件だけは宗派の垣根を越えて裏では繋がっていてな。今では多くの者の最後の駆け込み寺のような存在になっておるのだ」
「石橋様、過大評価ですよ。単純に土佐では人手が足りないだけですから。それに誰でも受け入れている訳ではないですよ」
「そう言うでない。とにかく京の町衆や僧達は、遠州細川家に感謝している者が多いというのは覚えておいてくれ。黄巾賊の件も含めてな」
「ありがとうございます。皆が生活に困らないよう、何卒ご支援をお願い致します」
「うむ。任せておけ。決して悪いようにはせん」
「では、後日土佐に使いを寄越してください。相国寺の再建計画を含めて物資の運搬等、細かな点を話し合いましょう」
武家をしていると、利権を追い求める者ばかりと付き合う機会が多く殺伐とした世に見えてしまうものだが、そればかりではない。幾ら当家が相国寺の再建費用を出すからとは言え、そうそうここまで親身にはなってくれない。
一見伏魔殿のように見える京も、パンドラの箱宜しくいざ開けてみるとその奥底には希望が眠っていた。今回の一件はそんな所かもしれない。
それにしても「黄巾賊の件」というのは、一体何だったのだろうか?
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
京から戻った俺達を待っていたのは平凡な日常……であったならどんなに幸せであったろうか。
今更ながら南九州遠征でのツケが回ってくる。それもかなり面倒な形で。
「話は理解できます。しかし土橋殿、私の知る限り雑賀は武家の支配を嫌う地です。当家が兵を出せば逆効果となりませんか?」
「国虎様の言葉は尤もです。ですが、そうも言ってられない状況となり申した。このまま何もせねば雑賀衆そのものが壊滅してしまいます。何卒兵を出してくだされ。騒動終結の暁には雑賀荘及び十ヶ郷は、遠州細川家の傘下に入ります」
「いや、私としてはこれまで通りで問題無いのですが……分かりました。当家の管理下に収まらないと、また内乱状態に戻ると言いたいのですね」
そのツケというのは、雑賀五絡の雑賀荘と十ヶ郷の全域を巻き込んだ内戦であった。南九州で壊滅的な被害を受けた雑賀衆の生き残りが紀伊国へと戻って何をしていたか? 素直に体を休めて傷を癒していたならどんなに幸せだったろうか。
しかし、そうはならない。人は時として責任転嫁をする。全体としては大勝利で幕を閉じたというのに、雑賀衆だけは面目丸潰れになったのだ。当然ながら当家の家臣や阿波海部家、根来衆が責めたてた訳ではない。遠征参戦の経緯が経緯だけに、戦利品を抱えて凱旋できなかったのを恥と感じたに違いない。
だからこそ犯人探しをする。
始まりは些細な口喧嘩であった。それが殴り合いの喧嘩へと発展し、次は得物を持ち出すようになる。ここまで来れば人死にが出るのは時間の問題であった。
そうなれば事態は拡大の一途となる。一人が倒されると五人が報復を行い、今度は二〇人がその仕返しをするという負の連鎖が始まった。
ここまでなら雑賀衆では良くある話らしい。元々雑賀衆は内部での争いが激しい集団のようで、紀伊土橋家が仕切る宇治の市場運営を巡る対立や宮郷との水利権を巡っての問題で人死にが出るのはままあるのだとか。それも地域間の対立ではなく、同じ地域内でも揉め事が起こるというのだから呆れる。
よくこれで傭兵家業ができるものだと素直に思う。俺なら同じ雑賀衆内による裏切りの心配をしてしまうために背中は預けたくはない。要はそれだけ銭に対する執着心が強い集団なのだろう。利害が一致すれば手を取り合える仲というべきか。一向門徒が多いというのも、そこに利があるからと見た方が良い。
さて問題はここからだ。普段ならこうした問題が発生しても、泥沼にならないようにと誰かが仲介して和睦となるのだが、遠征の被害によって有力者が多く死亡していためか事態の収拾に乗り出すのが遅れてしまう羽目となる。武家のような上位存在がいない弊害だろう。それで気付いた時にはあちこちに飛び火して、敵味方が入り乱れた混沌状態に陥っていたというのだ。結果、死傷者はうなぎ登りに増え続けている。内戦状態と言って良い。
その混乱を鎮めるために、当家の力を借りたいというのが土橋殿の話であった。悲しいかなこの雑賀荘と十ヶ郷の内戦では一向門徒同士でも争っているからか、本願寺教団は中立を決め込んで我関せずの立場を貫いているという。こういった時、宗教は無力だ。
「ありがとうございます。これで身内同士が争わなくて済みます」
「そう言えば根来寺と関係の深い中郷……は中立になるとして、宮郷の太田党と南郷の鈴木党に何故助けを求めなかったのですか?」
「それが此度の土佐訪問でして……」
「やられた」
つまり、太田 定久殿と鈴木 重意の二人が結託して俺を巻き込んだという意味だ。恐らくこの機に乗じて雑賀荘と十ヶ郷を当家の管理下に置かそうと画策したに違いない。それに何の意味があるのかとなると……雑賀衆の再統一だ。内実がバラバラであった雑賀衆を遠州細川家傘下という一つの大枠の中に入れて、意思統一をしようと考えたのだろう。二人なりに先の遠征での負けを悔いていたとすれば辻褄は合う。
それが証拠に土橋 守重殿の話によると、混乱が宮郷や南郷に及ばないようにと現状ただ守りを固めている二人が、当家が軍を率いてやって来るなら援軍を出して鎮静化に協力するという話だ。武家の支配を受け付けずに全てを自らで運営する惣村的な性格の雑賀衆が、こうも掌を返してしまうと呆れ返るしかない。
「誠に妹の早瀬や婿の岡林殿から聞いていた通りの方ですな。他の武家なら喜んで介入しようとする所を、欲が無いと言うのか。この機に乗じて雑賀の利権全てを手にしたいとは考えぬのですかな?」
「繰り返しになりますが私自身は現状維持で良いと思っています。雑賀五絡は武家が支配をするには向いていない土地柄ですので。とは言え、そうも言ってられない事情というなら仕方ないですね。木沢 相政はいるか?」
「はっ。こちらに」
「相政悪いが、兵一五〇〇を率いて紀伊国入りをしてくれ。そこで土橋殿や太田殿、重意と協力して事態の鎮静化を頼む。無事内乱を鎮め終わったら、十ヶ郷をそのまま木沢家の領地にして良いぞ。以後は雑賀衆での軍事的な統率をする役割を果たしてくれ。土橋殿、当家の木沢 相政に十ヶ郷を領有させても良いでしょうか?」
「それは構いませんが、雑賀荘はどうされるのでしょうか?」
「雑賀荘は土橋殿に任せます。これまでの雑賀五絡の背景を考えると、当家の影響は少ない方が良いでしょう。それに土橋殿には相政を手助けして欲しいですし。相政もそれで良いよな。確か、領地は狭くても良いから畿内に近い場所が希望だったと記憶している」
「はっ。国虎様、誠にありがとうございます。これで亡き祖父や父上に顔向けができます」
「という訳で土橋殿、当家の相政を雑賀衆の盟主にするというのでどうでしょうか? 内戦にまで発展したというなら、これまでのようなあり方では限界に達していると思われます。それに当家に助力を依頼したのは、三好宗家からの干渉も考慮されてでしょう。これに付いては相政は当家きっての武闘派ですので、安心してください。以後当家の相政が雑賀衆の盟主になるのですから、全力で三好宗家の脅威から守りますし、相政の手に余る事態が起きた場合は当家が助力いたします」
「な、何から何まで。さすがは国虎様です。今後、紀伊土橋家は遠州細川家に忠節を尽くします」
「そこは紀伊木沢家にしてください。私はあくまで雑賀衆とは、これまで通りに良い取引相手として付き合えれば問題ありません。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
太田殿や重意、それに土橋殿が一番心配をしていたのは内乱の拡大ではなく、それに付け込んで三好宗家を始めとした畿内の武家が雑賀五絡へと干渉してくるのをどう防げば良いかの一点である。
もし他国からの侵攻が絶対に起こらないという前提があったなら、今回の内戦は雑賀衆内で解決をしていたに違いない。混乱しているのは雑賀荘と十ヶ郷だけであり、残りは正常を保っている。これで太田殿や重意が、まるで兵を温存するかのように守りに徹しているのは明らかに過剰な反応だ。内戦だけでは終わらないと考えたからこそ、表に立とうとせずに当家を巻き込むという選択をした。
きっと土橋殿も加えて、誰と組むのが一番利益になるかというのを話し合ったに違いない。
今回の件は素直に光栄と思った方が良いか。下手をすると三好宗家に宇治の市場を握られていたのだから、そうなれば大きく当家の収益が落ち込む所であった。
それにようやく相政に報いられたというのも大きい。相政は俺が土佐安芸家の当主になった直後から家の再興を目指して頑張っていたのだ。二年前に亡くなった祖父の木沢 浮泛に今日を見せられなかったのは残念ではあるが、それでもこれで相政の肩の荷も一つ降りたろう。
また、十ヶ郷は砂地ばかりで米作には向かないものの交易の盛んな地だ。しっかりと港を整備すれば、莫大な収益が見込める。作物の栽培はサツマイモを中心とした野菜や果樹で問題無い。領地経営もそう難しくはないだろう。
ただこの一件で問題があるとすると、領地を得るのが確定となった相政よりも他の家臣達の喜びが大きい点だ。理由は分かる。ついに分かり易い形での畿内進出の足掛かりが手に入ったという考えがそうさせているのだろう。
いずれやって来る三好宗家との決戦。それに向けて一歩ずつ距離が縮まっていく感覚を肌に感じた。
当初の予定では国境警備の兵五〇〇だけのつもりだったが、三好 長慶との交渉で三〇〇を上乗せさせられる羽目となった。それに伴い今回物見遊山で連れて来ていた二人を追加人員とする。逗留する兵が増えた分、指揮をする将も増やさなければならないという考えであった。
この二人はまだ若いだけに、様々な経験を積むには良い機会である。それに土佐で変化の無い人質生活を送るよりも、憧れの京で過ごす方が喜ぶのではないかという建前だ。本音は同じ人質としてやって来た残り二人より勉学に身が入っていないので、現場で揉まれてこいという判断である。
京に逗留する土佐津野家には鬼軍曹公文 正信もいるのが尚更都合が良い。甘えた根性を少しは叩き直してくれると信じている。そうでなければ京の町で死ぬだけなのだから。
また引率役は、前回の山田 元氏の時と同様に山田 元義殿に依頼をした。こうした役割ではとても頼りとなる人材である。
さて、ここまでを決め終わった所で俺達が京を後にできるかと言えばそんな筈も無く、むしろここからが面倒な部分となる。
今回京に逗留する兵八〇〇という数は、万の兵を動かせる現在の当家からすれば一見すると大した数ではない。しかし戦とは違って、この逗留は一時的なものとは違う。継続的に宿泊ができる場所の選定や交渉に物資の集積場所、運搬方法を決めるといった裏方の仕事が待っていた。今回は義父の側近である今村 慶満殿がいないために、こちらで全て何とかしなければならない。
また、京で行う警備業務自体が曲者である。同僚が三好宗家という時点でいつ仲違いを起こすか分からない。最悪の場合は晴元派の侵入者そっちのけで互いが争いを起こす可能性すら考えられる。そうなれば、山田 元義殿一人だけでは事態に対処できないだろう。そうならないためにも、三好宗家の現場責任者との綿密な打ち合わせが必須となるのだが……すんなり話が進む未来が全く見えない。
あの時、場の雰囲気に流されて余計な真似をしなければ良かったと今は後悔をしている。
もう都心に一戸建てを買うのは諦めて、いっそ伝手のある埼玉にでも……もとい、洛中での宿泊を諦めて、世話になっている西岡の革島家に頼るしかないかと考えていた頃、思わぬ伏兵が協力者として名乗りを上げてくれた。
それは足利御三家の石橋 忠義様並びに相国寺の僧である。石橋 忠義様は俺が預けた支度金を使ってちゃっかりと洛中に居を構えていたために、当家の京入りや兵逗留の話を知っていたそうだ。噂好きの京雀の拡散力には脱帽する。
寝泊まりに使っている革島家を訪ねてきた二人は、当家の将兵達の宿泊場所に再建ままならない相国寺の一画を使ってくれて良いという提案をしてくれる。そればかりか生活全般の手助けや日々の警備業務にも人を出して協力をしてくれるという話だ。
全焼した相国寺は禅宗の中でも最高位の格を持つ五山 (京都五山)の一つである。そんじょそこらの末寺とは規模が違い、東京ドーム一〇一個分という桁違いの大きさだ。そうなれば例え荒廃していても、いや荒廃しているからこそ、兵が寝泊まりする場所など幾らでも建て放題という話である。事実、相国寺の僧も一部は散り散りとなっているものの、その多くがまだ寺領内で生活しているのだとか。
これだけでも十分にありがたい提案だが、更には三好宗家との仲介役まで買って出てくれるというのだから驚きだ。
要するに当家の将兵が警備業務だけに集中できるよう、煩わしい点は全面的に支援をしてくれるという話である。
──「全ては相国寺にお任せくだされ」 そう一言言って俺に微笑む相国寺の代表者は、まさに地獄で仏であった。
「それにな遠州殿、京の町衆や僧達は遠州細川家が食うに困っている散所民を土佐で受け入れておるのを知っておる。柳原は天台宗の寺領なれど、実はこの件だけは宗派の垣根を越えて裏では繋がっていてな。今では多くの者の最後の駆け込み寺のような存在になっておるのだ」
「石橋様、過大評価ですよ。単純に土佐では人手が足りないだけですから。それに誰でも受け入れている訳ではないですよ」
「そう言うでない。とにかく京の町衆や僧達は、遠州細川家に感謝している者が多いというのは覚えておいてくれ。黄巾賊の件も含めてな」
「ありがとうございます。皆が生活に困らないよう、何卒ご支援をお願い致します」
「うむ。任せておけ。決して悪いようにはせん」
「では、後日土佐に使いを寄越してください。相国寺の再建計画を含めて物資の運搬等、細かな点を話し合いましょう」
武家をしていると、利権を追い求める者ばかりと付き合う機会が多く殺伐とした世に見えてしまうものだが、そればかりではない。幾ら当家が相国寺の再建費用を出すからとは言え、そうそうここまで親身にはなってくれない。
一見伏魔殿のように見える京も、パンドラの箱宜しくいざ開けてみるとその奥底には希望が眠っていた。今回の一件はそんな所かもしれない。
それにしても「黄巾賊の件」というのは、一体何だったのだろうか?
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
京から戻った俺達を待っていたのは平凡な日常……であったならどんなに幸せであったろうか。
今更ながら南九州遠征でのツケが回ってくる。それもかなり面倒な形で。
「話は理解できます。しかし土橋殿、私の知る限り雑賀は武家の支配を嫌う地です。当家が兵を出せば逆効果となりませんか?」
「国虎様の言葉は尤もです。ですが、そうも言ってられない状況となり申した。このまま何もせねば雑賀衆そのものが壊滅してしまいます。何卒兵を出してくだされ。騒動終結の暁には雑賀荘及び十ヶ郷は、遠州細川家の傘下に入ります」
「いや、私としてはこれまで通りで問題無いのですが……分かりました。当家の管理下に収まらないと、また内乱状態に戻ると言いたいのですね」
そのツケというのは、雑賀五絡の雑賀荘と十ヶ郷の全域を巻き込んだ内戦であった。南九州で壊滅的な被害を受けた雑賀衆の生き残りが紀伊国へと戻って何をしていたか? 素直に体を休めて傷を癒していたならどんなに幸せだったろうか。
しかし、そうはならない。人は時として責任転嫁をする。全体としては大勝利で幕を閉じたというのに、雑賀衆だけは面目丸潰れになったのだ。当然ながら当家の家臣や阿波海部家、根来衆が責めたてた訳ではない。遠征参戦の経緯が経緯だけに、戦利品を抱えて凱旋できなかったのを恥と感じたに違いない。
だからこそ犯人探しをする。
始まりは些細な口喧嘩であった。それが殴り合いの喧嘩へと発展し、次は得物を持ち出すようになる。ここまで来れば人死にが出るのは時間の問題であった。
そうなれば事態は拡大の一途となる。一人が倒されると五人が報復を行い、今度は二〇人がその仕返しをするという負の連鎖が始まった。
ここまでなら雑賀衆では良くある話らしい。元々雑賀衆は内部での争いが激しい集団のようで、紀伊土橋家が仕切る宇治の市場運営を巡る対立や宮郷との水利権を巡っての問題で人死にが出るのはままあるのだとか。それも地域間の対立ではなく、同じ地域内でも揉め事が起こるというのだから呆れる。
よくこれで傭兵家業ができるものだと素直に思う。俺なら同じ雑賀衆内による裏切りの心配をしてしまうために背中は預けたくはない。要はそれだけ銭に対する執着心が強い集団なのだろう。利害が一致すれば手を取り合える仲というべきか。一向門徒が多いというのも、そこに利があるからと見た方が良い。
さて問題はここからだ。普段ならこうした問題が発生しても、泥沼にならないようにと誰かが仲介して和睦となるのだが、遠征の被害によって有力者が多く死亡していためか事態の収拾に乗り出すのが遅れてしまう羽目となる。武家のような上位存在がいない弊害だろう。それで気付いた時にはあちこちに飛び火して、敵味方が入り乱れた混沌状態に陥っていたというのだ。結果、死傷者はうなぎ登りに増え続けている。内戦状態と言って良い。
その混乱を鎮めるために、当家の力を借りたいというのが土橋殿の話であった。悲しいかなこの雑賀荘と十ヶ郷の内戦では一向門徒同士でも争っているからか、本願寺教団は中立を決め込んで我関せずの立場を貫いているという。こういった時、宗教は無力だ。
「ありがとうございます。これで身内同士が争わなくて済みます」
「そう言えば根来寺と関係の深い中郷……は中立になるとして、宮郷の太田党と南郷の鈴木党に何故助けを求めなかったのですか?」
「それが此度の土佐訪問でして……」
「やられた」
つまり、太田 定久殿と鈴木 重意の二人が結託して俺を巻き込んだという意味だ。恐らくこの機に乗じて雑賀荘と十ヶ郷を当家の管理下に置かそうと画策したに違いない。それに何の意味があるのかとなると……雑賀衆の再統一だ。内実がバラバラであった雑賀衆を遠州細川家傘下という一つの大枠の中に入れて、意思統一をしようと考えたのだろう。二人なりに先の遠征での負けを悔いていたとすれば辻褄は合う。
それが証拠に土橋 守重殿の話によると、混乱が宮郷や南郷に及ばないようにと現状ただ守りを固めている二人が、当家が軍を率いてやって来るなら援軍を出して鎮静化に協力するという話だ。武家の支配を受け付けずに全てを自らで運営する惣村的な性格の雑賀衆が、こうも掌を返してしまうと呆れ返るしかない。
「誠に妹の早瀬や婿の岡林殿から聞いていた通りの方ですな。他の武家なら喜んで介入しようとする所を、欲が無いと言うのか。この機に乗じて雑賀の利権全てを手にしたいとは考えぬのですかな?」
「繰り返しになりますが私自身は現状維持で良いと思っています。雑賀五絡は武家が支配をするには向いていない土地柄ですので。とは言え、そうも言ってられない事情というなら仕方ないですね。木沢 相政はいるか?」
「はっ。こちらに」
「相政悪いが、兵一五〇〇を率いて紀伊国入りをしてくれ。そこで土橋殿や太田殿、重意と協力して事態の鎮静化を頼む。無事内乱を鎮め終わったら、十ヶ郷をそのまま木沢家の領地にして良いぞ。以後は雑賀衆での軍事的な統率をする役割を果たしてくれ。土橋殿、当家の木沢 相政に十ヶ郷を領有させても良いでしょうか?」
「それは構いませんが、雑賀荘はどうされるのでしょうか?」
「雑賀荘は土橋殿に任せます。これまでの雑賀五絡の背景を考えると、当家の影響は少ない方が良いでしょう。それに土橋殿には相政を手助けして欲しいですし。相政もそれで良いよな。確か、領地は狭くても良いから畿内に近い場所が希望だったと記憶している」
「はっ。国虎様、誠にありがとうございます。これで亡き祖父や父上に顔向けができます」
「という訳で土橋殿、当家の相政を雑賀衆の盟主にするというのでどうでしょうか? 内戦にまで発展したというなら、これまでのようなあり方では限界に達していると思われます。それに当家に助力を依頼したのは、三好宗家からの干渉も考慮されてでしょう。これに付いては相政は当家きっての武闘派ですので、安心してください。以後当家の相政が雑賀衆の盟主になるのですから、全力で三好宗家の脅威から守りますし、相政の手に余る事態が起きた場合は当家が助力いたします」
「な、何から何まで。さすがは国虎様です。今後、紀伊土橋家は遠州細川家に忠節を尽くします」
「そこは紀伊木沢家にしてください。私はあくまで雑賀衆とは、これまで通りに良い取引相手として付き合えれば問題ありません。こちらこそ今後ともよろしくお願いします」
太田殿や重意、それに土橋殿が一番心配をしていたのは内乱の拡大ではなく、それに付け込んで三好宗家を始めとした畿内の武家が雑賀五絡へと干渉してくるのをどう防げば良いかの一点である。
もし他国からの侵攻が絶対に起こらないという前提があったなら、今回の内戦は雑賀衆内で解決をしていたに違いない。混乱しているのは雑賀荘と十ヶ郷だけであり、残りは正常を保っている。これで太田殿や重意が、まるで兵を温存するかのように守りに徹しているのは明らかに過剰な反応だ。内戦だけでは終わらないと考えたからこそ、表に立とうとせずに当家を巻き込むという選択をした。
きっと土橋殿も加えて、誰と組むのが一番利益になるかというのを話し合ったに違いない。
今回の件は素直に光栄と思った方が良いか。下手をすると三好宗家に宇治の市場を握られていたのだから、そうなれば大きく当家の収益が落ち込む所であった。
それにようやく相政に報いられたというのも大きい。相政は俺が土佐安芸家の当主になった直後から家の再興を目指して頑張っていたのだ。二年前に亡くなった祖父の木沢 浮泛に今日を見せられなかったのは残念ではあるが、それでもこれで相政の肩の荷も一つ降りたろう。
また、十ヶ郷は砂地ばかりで米作には向かないものの交易の盛んな地だ。しっかりと港を整備すれば、莫大な収益が見込める。作物の栽培はサツマイモを中心とした野菜や果樹で問題無い。領地経営もそう難しくはないだろう。
ただこの一件で問題があるとすると、領地を得るのが確定となった相政よりも他の家臣達の喜びが大きい点だ。理由は分かる。ついに分かり易い形での畿内進出の足掛かりが手に入ったという考えがそうさせているのだろう。
いずれやって来る三好宗家との決戦。それに向けて一歩ずつ距離が縮まっていく感覚を肌に感じた。
12
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました
杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」
王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。
第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。
確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。
唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。
もう味方はいない。
誰への義理もない。
ならば、もうどうにでもなればいい。
アレクシアはスッと背筋を伸ばした。
そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺!
◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。
◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。
◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。
◆全8話、最終話だけ少し長めです。
恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。
◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。
◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。
◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03)
◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます!
9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。
彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。
父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。
わー、凄いテンプレ展開ですね!
ふふふ、私はこの時を待っていた!
いざ行かん、正義の旅へ!
え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。
でも……美味しいは正義、ですよね?
2021/02/19 第一部完結
2021/02/21 第二部連載開始
2021/05/05 第二部完結
【完結】婚約破棄されて修道院へ送られたので、今後は自分のために頑張ります!
猫石
ファンタジー
「ミズリーシャ・ザナスリー。 公爵の家門を盾に他者を蹂躙し、悪逆非道を尽くしたお前の所業! 決して許してはおけない! よって我がの名の元にお前にはここで婚約破棄を言い渡す! 今後は修道女としてその身を神を捧げ、生涯後悔しながら生きていくがいい!」
無実の罪を着せられた私は、その瞬間に前世の記憶を取り戻した。
色々と足りない王太子殿下と婚約破棄でき、その後の自由も確約されると踏んだ私は、意気揚々と王都のはずれにある小さな修道院へ向かったのだった。
注意⚠️このお話には、妊娠出産、新生児育児のお話がバリバリ出てきます。(訳ありもあります)お嫌いな方は自衛をお願いします!
2023/10/12 作者の気持ち的に、断罪部分を最後の番外にしました。
2023/10/31第16回ファンタジー小説大賞奨励賞頂きました。応援・投票ありがとうございました!
☆このお話は完全フィクションです、創作です、妄想の作り話です。現実世界と混同せず、あぁ、ファンタジーだもんな、と、念頭に置いてお読みください。
☆作者の趣味嗜好作品です。イラッとしたり、ムカッとしたりした時には、そっと別の素敵な作家さんの作品を検索してお読みください。(自己防衛大事!)
☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。
★小説家になろう様でも公開しています。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる