国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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六章 大寧寺ショック

少年と菓子

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 予想以上の出費が嵩んだものの、三好 長慶みよしながよしとの話が有意義であったのは間違いない。ただ、知らなくてもよい内幕まで知ってしまった気分となる。何より細川 晴元ほそかわはるもとと公方 足利 義藤あしかがよしふじを繋いでいたのが、摂関家の近衛 稙家このえたねいえだったというのが始末に負えない。
 
 こういうのを君側の奸と言うのではないかとさえ思ってしまう。

 かつて葉室 光忠はむろみつただという公家がいた。この者は足利 義維あしかがよしつなの義父である足利 義稙あしかがよしたねが一度目の追放をされる前 (足利 義稙は二度公方に就任している)に最側近として重用され、取次を行う中で権力を増大させる。明応めいおうの政変 (公方 足利 義稙の追放事件)の元凶とも言われている者だ。

 そう、この時代の取次という役目は力を持ちやすい。当家の木沢 相政きざわすけまさの父親である勇者 木沢 長政きざわながまさも、細川 晴元の取次役目を務めたのが力の源泉とも言われている。

 なら取次を務めればどういった旨味があるのかと言えば、それは当然ながら賄賂だ。武家や商家、時には公家もいるだろう。その者達の要望を口利きしてもらうために袖の下が必要になるのはいつの時代も変わらない。ただ、木沢 長政は領地を得るまでは収入源が賄賂のみだったために多少の同情はある。賄賂によって家臣を養い家を維持し、軍勢までも賄わなければならなったのだからやりくりも大変だったろう。

 しかし、葉室 光忠は違っていた。私腹を肥やし、権力を増大させ、幕府内では我が物顔で振る舞っていたという。

 改めて近衛 稙家を考えてみる。

 まず妹が公方 足利 義藤の母親だ。この時点で影響力が大きいのが分かる。

 次に公方への取次の役目を果たしている。賄賂も受け取れるし、自身に都合良い話を公方へ伝えられるのは大きい。洗脳もし放題だろう。ましてや現公方が小さい頃から側にいたとなれば、人格形成に大いに影響したのは想像に難くない。

 最後が荘園の存在となる。近衛家の荘園は摂津せっつ国内のみではなく、山城やましろ国内や近江おうみ国内、美濃みの国内に点在している。現公方及び前公方が京を離れて近江国へと落ち延びた際にも付き従った近衛家が、荘園の収入を使って公方親子の生活を支えていたのは確実だ。全額とはいかずとも、一部は近衛家が負担していただろう。

 要するに現公方は近衛 稙家と一体と考えた方が良い。

 これで清廉潔白にただ公方の忠臣であり続けるなどという、夢物語が起こらないのを俺は知っている。つまりは近衛 稙家は葉室 光忠の再来と見た方が良いのではないか? 近衛 稙家こそが取り除かなければならない癌なのではないか? そんな考えが浮かんできた。

 とは言え、具体的に近衛 稙家を排除するにはどうすれば良いかという問題がある。下手に暗殺でもしようものなら、それこそ足利 義藤から仇と認定されてしまうのが見えていた。

「……時間は掛かるが、石橋いしばし様に幕府内での派閥工作を依頼するのが最も確実か。失脚は無理でもハト派を形成できれば御の字だな。何とか細川 藤賢ほそかわふじかた殿やその弟の細川 勝国ほそかわかつくに殿を味方に引き込みたい」

 近衛 稙家の専横がいつまで続くか分からないにしろ、現状では三好宗家という壁が無くなれば当家が標的にされるのは間違いない。当家が三好宗家を打倒しても、その後に待っているのが幕府との戦いだというなら泥沼に引きずり込まれてしまう。土佐に引き籠るには、今から少しずつでも準備をしておく必要がありそうだ。

「婿殿?」

「あっ、申し訳ありません義父上」

「随分と上の空であったが、先程の三好殿との話で何かあったのか?」

「まだ確証を持って言える話ではないのですが……」

「構わぬ。何があったか教えてくれ。内藤ないとう殿も婿殿と話をするのを楽しみにしていたのだ。互いに意見を出し合おう」

 三好 長慶への挨拶を終えた後、俺は丹波たんば守護代である内藤 国貞ないとうくにさだ殿の席にやって来ていた。三好 長慶との話し合いでは当家の兵は洛中での警備が主となるものの、いつ晴元派である丹波波多野はたの家攻めに使われるか分からない。勿論、俺の承諾も無しにだ。現代でも求人の内容と実際の仕事が違うというのは良くある。それと同じようなものだ。

 要するに当家の将兵が丹波国攻めに使用される場合には、死地に放り込まれないよう内藤 国貞殿を頼ろうという根回しである。丹波攻めの際に守護代の内藤 国貞殿を差し置くような真似はできないのだから、先回りしておけば三好宗家も無理難題は吹っ掛けられないという思惑であった。

 ただ、内藤 国貞殿は義父の細川 国慶ほそかわくによし殿の盟友でもある。そのため、俺が席に到着した時には既に二人で盛り上がっている最中であった。久々の再会に話が弾むのだろう。簡単な挨拶をした後は、俺そっちのけで二人で酒を酌み交わす。だからといって席を外すのも失礼にあたるので、出番までは大人しくしていようと考えに耽っていた所で義父が唐突に話を振ってきたらしい。

 けれどもそんな俺の態度にも内藤 国貞殿は何でもなかったように受け流す。細川 氏綱ほそかわうじつな殿の最重鎮にも関わらず、それを鼻に掛けないこの器の大きさが魅力と言えよう。これまで晴元派に負け続けであったというのに、家臣が見限らずに付いてきた理由は内藤 国貞殿のこの性格の良さに違いない。そうでなければ、とっくの昔に裏切られて討ち死にしていただろう。苦労人ならではの少しの事では動じない安心感がある。

 そんな内藤 国貞殿と義父に先程の三好 長慶との雑談を話していく。

「ううむ。某には遠州殿の話は考え過ぎのような気がするがの。既に細川京兆家の家督は細川 氏綱様に移っているのだ。細川 晴元殿さえ没落してしまえば、公方様も大人しくなるであろう。如何に近江六角おうみろっかく家が強大であろうとも、三好殿と遠州殿の力の前では手も足も出まい」

「儂も内藤殿と考えと同じだ。昨年、京極 高延きょうごくたかのぶ様が北近江で浅井あざい家と組んで近江六角家に反旗を翻したのだが、それを支援しているのが三好宗家だというのを婿殿は聞いておるか? 三好宗家もなかなかどうして、ただ手をこまねいているばかりではない。近衛様が危険な存在であろうと、そう思い通りにはならぬよ」

 さすがは三好宗家だ。近江六角家の代替わりの隙を突いて、近江国内で反乱を起こさせる。これでは晴元派の足並みも揃わない。晴元派の力が結集できなければ京の奪還は遠退くばかりだ。そうなれば近衛 稙家の力もいずれは落ちると言いたいのだろう。

 組織は一枚岩ではない。悪い時ほど足の引っ張り合いして自己崩壊を起こす。そうなれば、組織内で力を持つ者ほど戦犯と見做され失脚させられる。つまり近衛 稙家にもその道を辿らさせれば良いという意味だ。

「お二人の意見を聞いて安心しました。ありがとうございます。なら三好宗家の狙いは各個撃破となりますか。近江六角家は現状京に攻め込む余裕が無い。この絶好の機会なら、丹波国攻めを行う可能性が高そうです。もし丹波国攻めに当家の兵が駆り出されるようであれば、その時は内藤様に指揮を預けますので宜しくお願い致します」

「承った。できれば京の守りは疎かにしたくないので、遠州殿の兵を丹波攻めに回してほしくはないのだがな。そうなった際には某が面倒を見よう」

「ただ婿殿、油断をしてはならぬぞ。大和やまと国の事実上の守護である興福寺こうふくじには公方様の弟である覚慶かくけい様がおる。しかもこの覚慶様は近衛様の猶子でな。元より近衛家と興福寺一乗院との関係は深い。興福寺そのものは動かせなくとも一乗院の衆徒ならば動かせよう。筆頭の筒井つつい党が今度は晴元派に転向するやもしれん」

「義父上、氏綱派として活動していた筒井党を転向させる力が近衛様にはあるのですか?」

「そう考えておいた方が良かろう」

玄蕃げんば殿、そういう事なら某から細川 氏綱様に懸念を伝えておこう。幕府に出仕している弟御の細川 藤賢殿なら、近衛様の暴走を牽制できるやもしれん」

「内藤様、ありがとうございます」

 こうして話をすると、二人の長年晴元派と戦ってきた経歴は伊達ではなかったというのが良く分かる。三好 長慶も含めて、俺が余計な気を回す必要は無かったかもしれない。

 それにしても、三好宗家が既に北近江に調略を仕掛けていたかとは思いもしなかった。先程の話し合いではそんな素振りさえ見せなかったのだから、とんだ食わせ物である。大方それを伝えると、俺が警備の兵を出し渋るとでも考えたのだろう。その通りだけに三好 長慶の見立ては正しい。

 その後は俺の伊予や南九州での戦の話を肴に、義父上と内藤 国貞殿は盛り上がりを見せる。面白かったのは内藤 国貞殿は現場の話を好み、義父上はそこに至る過程を好んだ所だ。長年背中を預けて戦った二人だというのに、一方は生粋の武人で、もう一方は戦争屋と言えば良いのだろうか。意外と凸凹コンビだったのだと分かった所が何だか可笑しかった。そんな二人だからこそ気が合うのかもしれない。

 だからこそなのだろう。内藤 国貞殿は俺をこう評した。「まこと遠州殿は玄蕃殿の婿に相応しい御仁だ」と。これまで武家よりも商家の方が似合っていると言われてきただけに、こういう評価のされ方はとても新鮮である。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「ささ、まずは一献。こちらは金剛こんごう寺の天野酒あまのしゅとなります」

「あ、いや、酒は苦手なのでこの一杯で許してくれないだろうか。折角の天野酒だというのに申し訳ない」

「知らぬ事とは言え大変失礼しました。土佐の面白き酒は畿内にも入ってきておりますので、細川様もきっと酒好きなのだろうと思っておりましたゆえ……」

「気にしないで欲しい。それよりも……三好殿とお呼びすれば良いのだろうか?」

「気安く慶興よしおきとお呼びくだされ」

「いや、それは……分かった。そんな顔をしないでくれ。なら俺の事も国虎で良い。それと言葉遣いも普段通りで良い」

 非常に面倒な相手に掴まってしまった。挨拶周りを終えてようやく自分の席に戻って一息ついた所を、狙いすましたかのように俺の対面へと座る少年がいる。そう、明らかに少年だ。まだ一〇代前半である。それも一人で。保護者はいない。

 まだこの宴が一族のこじんまりとしたものであれば、場違いとも言える少年がいるのも分かる。しかし本日は細川 氏綱殿の京兆家家督相続の祝いの席だ。遊びではない。

 なら、そんな所に少年がいるとなれば理由は一つ。元服したばかりの重要人物のお披露目となる。少年は三好 慶興と名乗った。

 そう、三好 慶興は三好 長慶の嫡男の名前である。これが面倒な相手と言わず、何と言うか。まだ俺を敵視して宣戦布告でもするかのようにやって来たなら可愛げもあったろう。こちらも売り言葉に買い言葉で喧嘩別れになれば良いだけである。顔見せ、いや敵の顔を覚えるために一杯飲んで席を立つというならどんなに楽であったか。

 だが実際には、人懐っこい笑みを浮かべて俺の元にやって来る。俺が酒は苦手だと伝えれば、雨に濡れた子犬のようにしゅんとする。およそ三好宗家の次代当主とは思えない行動であった。

 まるで俺と酒を飲めるのをずっと楽しみにしていたような仕草である。三好 長慶の差し金の可能性を考えたりもしたが、付き人の一人もいない所を見ると三好 慶興個人の意思なのだろう。三好宗家は家格が細川京兆家に肩を並べるまで急上昇しているというのに、そんなものは関係無いと言わんばかりのこの行動と態度。敬称さえもいらないというのだから、本当にやり辛い。

「とりあえずだ。俺が酒が苦手だというのもあるが、飲むのは麦茶にしないか? 普段から持ち歩いている水筒に麦茶が入っている。慶興はまだ若いのだから酒は嗜む程度にしておけよ。酒毒という言葉を聞いた事があるだろう。成長期の体には良くないぞ」

「……三好宗家の次期当主なれば、酒の一つも飲めなければ恥を掻くと教わっておりました。細……国虎様のような助言は初めてで新鮮です」

「固いぞ。まあ、良いか。それと様はやめてくれ。背中がむず痒い。というか、考え方が逆なんだよ。次期当主なんだから、面子よりも体の方を大事にしろ。きちんと栄養を取っているか? 病に侵されない体を作るのが最優先だぞ」

「えいよう……とは、何でしょうか?」

「悪い。土佐の言葉だ。薬食いで通用するか? 肉だけでなく野菜も食えよ……と言っても分からないか。ほらっ、これをやる。俺も毎日食べているシコクビエと麻の実を練り込んだ焼き菓子と干し芋だ。土佐では武家も含めて領民全員に毎日食べるよう推奨している薬に近い食べ物だ。この二つを欠かさず食べていれば、病知らずの強い体となる」

「そ、そんな物があるとは初耳です。食べても良いでしょうか?」

「慶興には合わないと思うが、鍛錬の一つとでも思ってくれ。一度で効果が出るものではない。続けて意味がある」

 どちらも三好 慶興にとっては初めての食べ物だ。それを毒見役も介さず、いきなり食べようとするこの豪胆さには恐れ入る。大物なのか軽率なのか判断が付き難い。

 とは言え郷に入りては郷に従えというもので、その向こう見ずな行動が良い結果を生む場合があるのもまた事実である。

「国虎殿、美味しいです! この焼き菓子というのはぼろぼろ零れて食べるのに難儀しますが、この仄かな甘みが何とも言えません。塩が入っているからでしょうか。一層甘みが引き立ちます。しかもこれが鍛錬というのは、何かの間違いではないのですか? これなら毎日でも全く苦になりませぬ!」

「分かったから、取り敢えず麦茶を飲んでおけ。口の中が乾いているだろう。どちらもたまに食べる分には良いんだが、毎日は飽きるぞ」

「この干し芋もなかなか。土佐は裕福な地に生まれ変わったと聞いておりましたが、今その裕福さが分かりました。また、この食事が土佐の強兵を支えているのかと思うと、遠州細川家の快進撃も納得できます」

「大袈裟な。単に運が良かっただけだ。畿内に名が轟く三好宗家とでは何もかもが比べ物にはならない」

「それはそうかもしれませんが……それでもたった二年で領国を急拡大した国虎殿の手腕は見事なものです。是非向学のために戦の話をお聞かせ願いませんでしょうか? 父から本日の話を聞いた時から、ずっと国虎殿からお話を聞けるのを楽しみにしていたのです」

「そうですな。戦上手と言われる細川様のお話は、書を読むよりも貴重な内容です。是非手前も聞きとうございます」

「……誰?」

「これは失礼しました。堺にて天王寺屋を営んでおります津田 宗達つだそうたつと申します。手前も本日こうしてお会いできるをずっと心待ちにしておりました。以後お見知りおきの程を」
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