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六章 大寧寺ショック

秩序の破壊者

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 やはり島津宗家は馬鹿ではなかった。

 こちらの動きを見て、決戦を行うべく大隅国桑原くらばら郡に兵を集めてくれるのではないかと期待をしたが、それは見事に空振りをする。何の躊躇も無く本拠地へと兵を戻してしまった。

 桜島にある長門城を無力化したのが良くなかったのか、それとも庄内の北郷家に攻め込んだのが良くなかったのかは分からない。何にせよ、こちらの分断策や本拠地強襲策のどちらもが泡となって消えてしまった。

 ただ、この時代の常識で考えれば、そのような真似は従えていた豪族その他に「島津宗家頼り無し」という感情を起こさせ、オセロのように敵陣営へと鞍替えさせる裏切り行為を加速させる。

 昨日まで味方だった者達が今日からは敵へと変わるのだ。これでどうやって敵に勝つつもりなのか? 島津宗家は自殺志願者なのか? そう思わざるを得ない。

 しかし、しかしだ。当家にとってはそういった地域の既得権益者は、統治の足を引っ張るだけの邪魔な存在でしかない。

 つまり島津宗家は、兵を退くと見せかけて当家への嫌がらせを行ってきた。俺が直接統治を好んでいるというのを知った上で、撤退を選んだ可能性が高い。当家に桑原郡の豪族達を平定させるつもりなのだろう。目的は時間稼ぎではなかろうか。

 もし島津宗家が桑原郡に残っていたなら、その地を守るためにも当家との決戦を行わなければならない。地域の戦力を結集する形となるのだ。それが勝利もしくは引き分けなら何の問題も無い。しかし負けた場合はどうだ。当然ながら桑原郡は一気に当家の占領下となる。敗残兵が城に立て籠もった所で焼け石に水だ。当家の肝属郡や大隅郡平定を見れば、一度瓦解した勢力の脆さが分かるというもの。

 だからこそ当家にもぐら叩きをさせる。各個撃破と言えば楽に聞こえそうだが、実際には自意識過剰で面倒な領主を一つ一つ丁寧に叩き潰す作業だ。この地は土佐以上に土地に対する執着が酷いというのを嫌という程体験しているだけに、まさに嫌がらせという言葉がとても似合う。

 それも島津宗家は自分達の戦力は温存した上でというのだから、余計に始末に負えない。

 事実、島津宗家という重しが無くなった途端、桑原郡の豪族達は誰かが中心となって対抗するどころか足並みが全く揃わず、寝返りの打診を個別で行ってくる。生き残りに必死と言えばその通りだが、書状を読んでみれば都合の良い言い分ばかり。二通目までは目を通したものの、三通目からは面倒になってすぐにゴミ箱行きとなった。この時代に紙を粗末にするのは良くない行為だと分かってはいても、見なかった事にするのが精神衛生上最も良いだろうという判断をする。

 ここで可哀想なのが大隅正八幡宮だ。島津宗家に守ってもらおうとしていた所で梯子を外される。更にこういった時ほど悪い事態は重なる。

 島津宗家が桑原郡から手を引いたのを良い機会だと捉えた豪族の一部が、ここぞとばかりに大隅正八幡宮に攻め込んだそうだ。倭寇の短期派遣で儲けているとでも思われたか。当家に鳩脇八幡崎を燃やされ、ご近所には攻められ。まさに泣きっ面に蜂である。

 とどめは自分達の身の安全を求めて、港を燃やし脅しを行った当家に保護を依頼するという屈辱的な事態へ陥ってしまった。

 大隅正八幡宮から使者としてやって来た若い男が、俺の目の前で恥も外聞もかなぐり捨てて土下座をする。見る限り全面降伏と言って良い。一見、大隅国に攻め込んでからずっと頭を悩ましてきた倭寇問題が、ようやく片付いたように感じるだろう。

 けれども実態は、何かが変わった訳ではない。

「どうして当家が大隅正八幡宮を保護しなければならないんだ。島津に言え!」

「何卒お願い致します。どのような要望も聞きますので、我等を守ってください」

「この期に及んでもそういう嘘を言うのなら、素直に滅んだ方が良いんじゃないか。せめて全権委譲を約束する書状がないと信用できない。それと、こちらから出す宮司を受け入れるくらいはしてもらわないとな」

 そう。使者としてやって来た者は、大隅正八幡宮の決定を伝えるのみの役割であった。使者が若い男だという段階で、何の権限も持たされていないのが分かる。

 要は交渉をする気が無いのだ。金品を掴ませ、とりあえず頭を下げておけば俺の溜飲が下がるとでも考えたのだろう。本質を何も理解していない。

「そ、それは……」

「持ち帰って相談しないと結論が出せないんだろ? 分かっている。それで条件付きで認めるんだよな。けれども条件は厳しくて、こちらの言い分はまず通らない。要望も聞きはするが、実行はしない。もしくは実行しようとはしたができなかったと嘘の申告をする。話すだけ無駄だから、もう帰ってくれ。そうそう。贈り物は受け取らないから、持って帰れよ」

 こういった手合いの考え方を俺はよく知っている。全てはこの場をやり過ごすための方便だ。時が経てばほとぼりが冷めたと思い、これまでと同じ活動を再開する。それまでに相手が内部に干渉しようものなら、のらりくらりとかわして時間稼ぎをする。

 どうやら、相手が悪かったようだな。
 
 こうして大隅正八幡宮との話し合いはあっさりと物別れになる。こちらが脅しと降伏勧告をした際に、素直に交渉に応じておけばまた話は変わっていたろうに。自分達の立場が悪くなった途端に擦り寄ってきた所で、相手にされないというのが分からないのだろう。その上で保護を求めているのに自らの既得権益は手放さないというのは、様式美とも言えるだろう。ならば当家が保護しなくとも、独力で何とかしろとしか言いようがない。金銭や贈り物で転ぶと思われているのがそもそも舐められている。

 大隅正八幡宮への対応は、まだしばらく熟成期間が必要なのだと思わされる。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 これまで島津宗家が当家にちょっかいを出してこなかった理由がついに判明する。暴力で対抗するのは分が悪いと早い段階で決断していたのだろう。そうでなければ、こうも早く幕府からの使者が面会を求めてやって来るとは思わない。

 戦いというのは常に武力だけではない。交渉も含めてが戦いとなる。世の中というのは面白いもので、例え直接攻撃で領土を奪い取ったとしても、その後の交渉で領土を割譲しなければならなくなったという話は山ほどある。島津宗家もそれに倣った形だと言えた。

 ましてや当家は、大枠で見れば氏綱派に属している。京を押さえ、公方や幕府を押さえる三好宗家と同じ陣営だ。当事者の意識はさて置き、今回の南九州侵攻は幕府の管理不行き届きと見做されてもおかしくはない。

 そこを島津宗家は突いてきた。

 しかも使者とやって来たのは細川 藤賢ほそかわふじかた殿である。言わずと知れた細川 氏綱殿の実の弟だ。氏綱派として長年兄を支え、現在では氏綱派との橋渡しとして現公方 足利 義藤に仕えている。分家である細川典厩家の当主でもある。

 何の面識も無い者が使者であれば門前払いできたというのに、これでは会うのを断れない。断れば、細川 氏綱殿の面目を潰してしまうからだ。面倒な会談だと思いつつも、渋々ながらも応じる羽目となる。

「予想はしていましたが、大隅国や今攻めている日向国から手を引けという話ですか。申し訳ないですがそれは無理です。後、薩摩国も当家が喰らいます」

「遠州殿は既に土佐・伊予だけではなく、南阿波や紀伊にも領地があるですよ。もう十分ではありませんか? それに今島津宗家まで潰してしまえば、これまで以上に幕府からの心証を悪くされますぞ。最悪幕府から『御敵』に付されてしまわれます。悪い事は言いませぬ。此度は手をお引きくだされ」

 こういう時、頭ごなしに命令をしてこない相手というのは本当に対応が難しい。それも、こちらの立場に寄り添ったような説得をされるのが何とも面映ゆくなる。田舎者だと馬鹿にされ、不遜な態度で一方的に命令口調で言ってくれればどんなに良かったか。これでは細川 藤賢殿を通して、細川 氏綱殿に心労を掛けているような罪悪感を感じてしまう。いや、実質今回の細川 藤賢殿の派遣は、細川 氏綱殿の名代として見た方が良いだろう。非常にやり辛い。

 しかし、しかしではある。今回の使者が細川 氏綱殿の名代であるなら、そこが逆に狙い目だ。逆転の糸口が一つある。さてそれが、どこまで通じるか。

「今回の島津攻めは、その幕府に対する意趣返しの意味もあります。お忘れかもしれませんが、当家は細川 通薫殿を保護しているのですよ。この意味がお分かりありませんか?」

「……」

「もう一つ。今回は幕府の暴走の後始末を担っているとお考えください。幾ら銭が無いとは言え、銭さえ出せば横紙破りした者を認めるというのはおかしな話です。既に大隅・薩摩等の守護になっている者から、一方的にそれを取り上げるというのは、幕府のあり形として間違っています。当人に何の落ち度も無いのにですよ。これが分からない細川 藤賢殿ではないでしょう」

 まず一点。出雲尼子家当主 尼子 晴久の八カ国守護就任によって、細川 通薫殿が持つ「備中守護家」という看板が見事に崩れ去った。実態はどうあれ、現公方 足利 義藤は氏綱派の庇護下にある。ならば、氏綱派に属する細川 通薫殿への配慮は必要である。事前通告や根回しも無く、尼子 晴久へ備中守護を与えるのは本来あってはならない筈だ。

 次に島津宗家となった島津 貴久の問題である。発端は島津 勝久にあったとは言え、ゴタゴタの末、一度は薩州家の島津 実久が島津宗家の当主と守護職を継いでいる。島津 貴久はそれを認めず後から割って入り、中央の幕府を利用して島津 実久の地位を奪ったに過ぎない。

 せめて島津 貴久が実力で島津 実久の薩州家を葬り去ったというなら、現状の追認という意味で与えたというのも理解できる。だが島津 実久の薩州家は、今もなお薩摩国北西部の出水に勢力を維持したままだ。島津 実久から見れば、理不尽に全てを奪われたようにしか見えないだろう。当然幕府は守護剥奪において根回し等を一切行っていない。

 どちらにおいても幕府は秩序を維持する存在ではなく、むしろこれまでの秩序に対しての破壊者であった。

 そうであるなら、俺達の行動は幕府から責められる筋合いではない。

「それは『御敵』 (幕府の敵)に付されてまでする事なのでしょうか?」

「それはどうでしょうね。ただ一つ言えるのは、今の幕府は自らで自身の首を絞めています。下克上を果たした家に守護を渡すというのは、力と銭さえあれば何をしても良い。足利の秩序など守らなくても良いという意味に等しいのです。つまり、現島津宗家と当家は何も変わらない。そうは思いませんか?」

「そ、それは詭弁にしか聞こえませんが……」

「はい。勿論詭弁です。ですが、詭弁を弄して守護の地位を得た二家があるのも事実です。細川 藤賢様、何もしなくても今の足利は勝手に失墜しますよ。先代とは大きい違いです。ですので、最低限当家はそんな泥船には乗りたくありません。『御敵』に付されるのを怖がってはいられないのですよ」

「遠州殿の考えはよく分かりました。その考えの是非は問いません。ただ、一つ知って欲しい話があります。実は此度の幕府からの派遣は、摂関家の近衛家が絡んでいます。現島津宗家が守護職を得る際にも近衛家の後押しがかなりありました。近衛家は公方様の母の出身家だというのをお忘れなく」

「ご忠告ありがとうございます。それにしても近衛家ときましたか。これではまるで、今の幕府は近衛家の私物だと言っているのと同じではないですか。それこそ幕府の在り方としておかしいでしょう」

「遠州殿は近衛家が怖くはないのですか?」

「自慢できる話ではありませんが、摂関家が怖くて一条家や九条家とは対立できません。そこに近衛家が加わった所でそう変わりはないですね。……いや、待てよ。三好宗家の庇護下にある公方様にどうして近衛家の名が出てくるんだ? ああっ、そういう事か。九条派と近衛派は今でも主導権の取り合いをしているんですね。なら当家の行動は、九条派にとって喜ばしいかもしれませんよ。近衛家の力を削ぎに行っている訳ですから」

 何となく見えてきた。三好宗家と公方陣営が和睦をしたと言ってもそれは表面上だけ。実際には今も対立は続いているのだろう。だからこそ近衛家の名だけが出てくる。

 もしここで両者が本当の意味で和睦しているなら、ここで上がる名は近衛家と九条家の両方でなければおかしい。

 結局の所、以前から続く摂関家の対立軸も何も変わっていないという意味だ。つまり今回の幕府の使者は、近衛家の力が奪われないようにと横槍を入れてきた側面もあると考えた方が良い。

 なるほど。島津宗家は摂関家の権威を背景に下克上を認めさせたという訳だ。薩摩にいながら中央に強力な伝手を持つのは、恐ろしい政治力と言わざるを得ない。

 土佐では一条、南九州では近衛と、つくづく俺は摂関家と対立するのが好きらしい。

「……お強い。兄上が一目置くだけの事があります」

「よしてください。田舎者なので、畿内を理解していないだけですよ。阿呆なので分からない。そうお考えください」

「分かりました。……まあ、此度は仕方ありませぬな。儂は大隅到着前に病を患ったていにしておきます。一度だけですぞ」

「良いのですか?」

「遠州殿の言われる話は、同じく思う所がありますので。特に出雲尼子家の件に関しましては、相当な反対があった中、公方様が無理に強行されました」

「……やはり」

 その後に「ここだけの話ですよ」と続くのは、お約束である。

 話を総合すると、細川 藤賢殿自身も幕府の決定には不満を覚えつつも、仕事だから仕方なくこの大隅国までやって来たというものであった。

 ここまで腹を割って話してくれたのも、細川 氏綱殿の配慮があったからだろう。当家がこれ以上幕府や公方と対立しないようにと、言い含めてくれたのではないかと予想する。

 これは感謝しなければならないな。この遠征が終わったら、細川京兆家の当主就任祝いを盛大に贈っておこう。

 名残惜しいが、細川 藤賢殿との会談はこれにて終了となる。アリバイ作りのために九州北部の港でしばらく静養するのだとか。俺からは色を付けた路銀や手土産を渡しておいた。これなら現地で困る事は無いだろうと。

 幕府の中にも話の分かる者はいる。それが細川 氏綱殿の弟だからというのもあるが、その事実が分かっただけでも十分嬉しいものだ。
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