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六章 大寧寺ショック
地雷百選
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年も明け、天文二一年 (一五五二年)となる。
この年は俄かには信じ難い出来事が起きた。それは三好 長慶の幕府御供衆への就任である。
つまり、三好宗家が公方の直臣へと認められた。
公方 足利 義藤にとって三好宗家は親の仇のような存在と言っても良い。だからこそ昨年は争い続けていた。にも関わらず、和睦を飛び越えて自身の直臣にまで任命するというのは通常なら考えられない。本来なら一時的な和睦が関の山だろう。
なら、何が原因でこの離れ業が起こったのだろうか?
杉谷家からの報告書によると、直接的には一月二日に近江六角家当主である六角 定頼が病死したのが大きな要因としている。確かに公方最大の庇護者とも言える管領代の死亡は、三好 長慶と公方との和睦の契機となるのは妥当と言える。
とは言え和睦交渉自体は、六角 定頼の仲介によって以前から行われていたようだ。昨年七月に起きた相国寺の戦いによって、細川 晴元が力を失ったのがその発端となる。例え公方自体が戦を望んでいても、細川 晴元の力が無ければ継続できないというのはさぞや無念であったろう。
しかしながら、この交渉は暗礁に乗り上げる。それはそうだ。例え細川 晴元が力を失ったとしても、まだ背後には六角 定頼がいる。近江六角家の力が温存されているならば、交渉で下手に出る必要は無いというもの。公方陣営がより有利な条件を得ようとするのが筋である。これでは交渉は簡単に纏まらない。
そんな中での六角 定頼の死去だ。状況は大いに変化しただろう。
後を継いだ六角 義賢が公方支持を表明したとしても、当主としての地盤固めもできていない内は家を挙げての全面協力はできない。六角 義賢はまず当主として近江六角家中での信任を得る必要があり、そのためにはある程度の実績を積む事が求められた。
その隙を三好宗家が逃す筈がない。
また昨年は、三好 長慶の弟である三好 実休が阿波国にいる足利 義維を公方にしようと動いていたという。細川 晴元が力を失ったのを良い機会と捉えたのだろう。それに六角 定頼の健康状態も把握していたに違いない。どんなに時間が掛かろうと足利 義維が公方になれば、周防大内家の脅威に怯える必要も無くなり、現公方との面倒な交渉も打ち切りにできる。奇しくも俺が三好 長慶に提案した策を現実にしようとした者がいた。
この動きは公方陣営を相当焦らせたに違いない。ただでさえ、細川 晴元と六角 定頼という大きな後ろ盾が無くなったのだ。これで公方の地位まで失ってしまえば、足利 義藤は一介の武士となる。それだけは止めなければならなかった。
三好 長慶の御供衆入りは、公方陣営が追い込まれたからこそ引き出された妥協の産物とも言える。これでは和睦が成立したのか、それとも公方が三好 長慶に負けたのか分からない結果だ。公方陣営が己の力の無さを嘆いたのは想像に難くない。
三好宗家の要求はこれで終わらない。細川京兆家の家督を細川 氏綱殿に譲り渡す約束も交わされた。元々の戦いの発端が細川京兆家の家督争いなのだから、この要求は当然とも言えよう。長かった細川 晴元との抗争も、ようやく一つの区切りが付く。
こうして公方 足利 義藤が京に戻り、新たな政治体制が築かれる形となる。ただ残念ながら、これで畿内から戦が無くなり平和が訪れるという訳ではない。所詮は無理矢理飲まされた和睦だ。何かの火種が起きれば、すぐに燃え広がる。また新たな戦は近い内に始まるだろう。あくまでも、チャンピオンベルトが一時的に三好 長慶に移ったに過ぎない。
蛇足であるが、この報告書を読んで三好宗家は細川 氏綱殿の家臣という立場を捨てたのではないか? それは裏切り行為じゃないのかと勝手に勘違いをする。
ただ、この回答は実に呆気ないものとなる。それは「両属」という言葉。つまり、三好宗家は細川京兆家の家臣であり、公方の家臣でもあるという意味だ。
相変わらず三好は両属がお好きなようで。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
天文二一年 (一五五二年)はもう一つの事件がある。それは、尾張国の織田弾正忠家当主 織田 信秀の死亡だ。織田 信長の父親が病死したというのが分かり易いだろう。三月三日だという。
これが何を意味するかと言うと、駿河今川家が尾張侵攻を画策するようになった。そこで手始めに行ったのが、三河国の支配強化である。
それが、何をどうすればこの発想に行き着くのか? まるで、駿河今川家の友好国である当家もその支配強化の一翼を担うのは当然とでも言いたげである。誰の差し金かは想像がつくが、よくもまあ駿河今川家当主もこれを許したものだとほとほと呆れ返っている。
目の前にいる僧侶はそんな俺の気持ちを察しながらも、笑顔を崩そうとしない。師が師なら、弟子もまた弟子。そんな所だろう。
「東谷宗杲殿、栄誉ある駿河今川家が人質という形で厄介払いをする家だとは思いませんでしたよ」
「これは異な事を。当家と遠州細川家は、今後とも手を取り合う仲でなければなりますまい。その友好の証として人質を出したまでですぞ。そこに何の他意もありませぬ」
「そうは言いましても……この面子を見て、純粋な友好だと信じる方が難しいですよ。まあ、それはそれとして、人質というからにはこちらで責任を持って預かりますし、重用も致します。当家は慢性人手不足ですので。ただ、教育はこちらの流儀となります。それで宜しいですか?」
「全ては細川様にお任せ致します。後、師である太原 崇孚からは、可能であれば遠州細川家からも人を出して頂ければと言伝を受けております。どなたか良い方はいらっしゃるでしょうか?」
「申し訳ないのですが、当家は一族が少ないのでご容赦願います。ただ……そうですね。代わりとして、当家の水軍に所属する者を出しましょう。捕鯨船の操船が分かる者です。これなら太原 崇孚様も喜ばれるでしょう」
「おおっ、確かに。それは妙案ですな」
三年前の太原 崇孚との会談以降、駿河今川家との交易は年に二、三度という頻度ながらも続いていた。だが、当初目的としていた改良型弓胎弓は回数を重ねる毎に取引が少なくなり、今では他の商品が取引の大部分を占めるようになる。中でも鉄素材はお気に入りらしく、銑鉄・軟鉄・鋼と全種類を毎回のように購入するようになる。
対して交換する駿河国の商品は、そう簡単に需要が増える筈がない。多くが未だに贅沢品の域である。辛うじて反物が伸びている位だろうか? 目玉商品とも言える臭水もそう大量に消費とはいかないために、今では数回に一度の仕入れに落ち込む。
なら駿河今川家は、どのような形で取引の対価を支払うようになったか?
それはやはり人であった。とは言え、当家が望む職人をほいほいと出す訳にはいかない。基本的に土佐にやって来る職人は、見習い程度の若者か現役を引退した老人が主となる。これだけでは当然対価としては足りない。
そこで目を向けたのが、同じ人でも奴隷である。
例え駿河今川家の領地が裕福だとしても、末端の民が全員恩恵を受ける訳ではない。債務超過に陥る者は何処にだっている。それに、繁栄している都市ほど河原者のような住居を持たない者が数多くいるのが世の常だ。そうした者を奴隷として友野屋が取り纏め、商品として土佐へと連れて来ていた。
土佐や阿波国は人口が少ない。現代でもその伝統は続き、必ず人口ワーストに入る程だ。京や本願寺から移民は続いているというのに、未だに人手不足が解消される気配が感じられないのも、そもそもの人口の少なさが原因である。友野屋はそこに目を付けたのだろう。機を見るに敏とはまそにこの事だ。
ただ奴隷と一口に言っても、この時代は年季奉公に近い。労働によって借金を返済する。中には自身を商品として売り込む者もいるという。契約が終われば後は自由の身。故郷に戻ろうと思えばいつでも戻れる。
だからこそ俺は奴隷を移住者と割り切り、仕事だけではなく人並みの衣食住も提供する。奴隷としてやって来た者に土佐を好きになってもらい、年季が明けてもそのまま土佐で暮らしてもらえればと願っての措置だ。中にはどうしても故郷に戻りたいと訴える者がいるとは思うが、その場合は諦めるしかない。
それの延長という訳ではないだろうが、今度は人質となる。しかもその数は四人であり、お付きの者を含めれば一〇人の大台に乗った。
そして、ここからが本題となる。やって来た四人の人質の経歴があり得ないものばかりであった。
まず一人目が駿河今川家当主 今川 義元殿の三男となる。まだ年端も行かない幼さだというのに既に仏門に入っているらしく、名を長得と言う。側室の子だという理由で今川一門にもなれず、生まれてすぐに寺に預けられたそうだ。そのような事情のために、今回当家への人質として抜擢された形となる。
例え側室の子供でも有力家臣の家に養子に入る道もあったろうに、何故こうなったのかが分からない。
しかし、この辺りは家それぞれの事情だ。他人がとやかく言う筋合いのものではない。だからこそ、長得の人質はまだ分かる。
理解不能なのは残りの三名だ。
二人目が奥平 貞友。三河国の豪族だという。
これがまた凄い。五年前に今川 義元殿の東三河侵出に協力して領地を得たかと思うと、その翌年には反今川の行動を起こして領地を没収された。何がしたいのか分からない。
まだ一〇代の若さだ。きっと怖いもの知らずなのだろう。人質でやって来たというのに一切しおらしい素振りなど見せない。それ所か平気で俺を睨んでくる。この反抗的な態度が土佐行きの原因だと思われる。
三人目は……土佐にやって来てはいけない者だ。名を吉良 義安だと引率の東谷宗杲殿より教えられた瞬間にそう感じた。
駿河今川家の領国にいる吉良氏と言えば一つしかない。それは三河吉良氏だ。足利御三家とも言われる足利一門の中でも、最も家格が上の存在である。細川京兆家を含む三管領家よりも、駿河今川家よりも上なのは言わずもがなだ。
そんな貴種中の貴種がここ土佐までやって来た理由は、そう複雑な事情ではない。ただでさえ扱いづらいというのに、駿河今川家の統治に対して反抗的な態度を取る。だからと言って命を取ってしまえば、今度は駿河今川家の評判に関わる。出家の強要や幽閉は以ての外となれば、遊学を名目として領外に放り出すのが最適解というもの。
また都合の良い事に、吉良 義安は庶子でもある。そういった意味でも土佐行きの片道切符を渡すには良い条件であった。
最後の四人目はこれまた出家した子供で、名を恵新という。年の頃は一〇歳程度といった所か。三年前に亡くなった松平 広忠の息子であった。
松平 広忠と言えば、戦国三大英雄の一人である徳川 家康の父親だ。つまり、恵新は徳川 家康の兄弟となる。
そこで東谷宗杲殿より衝撃の事実が聞かされる。恵新は竹千代 (徳川 家康の幼名)の異母兄弟だと言うのだ。それも同年同月同日に産まれたと。
……そんな都合の良い異母兄弟はいない。東谷宗杲殿はそれ以上何も言わないが、間違いなく恵新と徳川 家康は双子の兄弟である。その事実が発覚するのを恐れて、この土佐に人質として出されたのだろう。駿河今川家幹部候補生の竹千代は忌み子であった。
これが東谷宗杲殿に文句を言った理由となる。人質として土佐にやって来たのは良いものの、その四人には全て曰くがある。地雷という表現がとても似合っていた。
まだ長得は今後僧として一生生きるよりも、武家として身を立てられる可能性を残したいという親心を感じる。俺も本人が望むなら、当家で働いて欲しいと願う程だ。
けれども残りの三人は、完全に駿河今川家の統治上の問題で危険人物を押し付けてきただけである。
その上で土佐に来てしまえば、三名の実家の影響は無くなり、ただの人になってしまうというのだから更に性質が悪い。三河吉良家に対しては多少気後れするかもしれないが、庶子で家を継げなかったという噂さえバラ撒いておけば、真実はどうあれその権威は地に落ちる。
それに当家には一つ奥の手がある。
「足利御三家の筆頭である三河吉良家の儂がこの辺鄙な土佐まで来たのだ。日々最上の持て成しを用意せよ。遠州細川は三河吉良家より格下の三管領の分家であるぞ。身を弁えるように」
「それを言うなら、まずは当家で保護している堺公方の御嫡男に対してしっかりと臣下の礼を尽くしてからですよ。亀王様は足利の出であるにも関わらず、それをおくびにも出しません。年の近い者と机を並べて日々勉学に勤しんでおります。その姿を見習ってください」
「なっ……それは誠か? ……あい分かった。ここではそうするしかなさそうだな……」
それは阿波国からやって来た足利 義維の家族御一行の存在だ。足利という権威を笠に着るなら、これ以上の存在はまずいない。いるとすれば、現公方である足利 義藤のみだろう。
領地を餌にしているとは言え、亀王様はこの土佐で想像以上に真面目に過ごしている。幕府打倒という壮大な野心が良い方向に出ているのだろう。酒や博打、それに女に溺れるような行動は一切無いと報告を受けている。遊びと言っても、年の近い者同士で川遊びや相撲を取ったりするのが関の山らしい。何とも微笑ましいものだ。貴公子然とした立ち居振る舞いから異性からの憧れの的とも聞いているが、何故か浮いた話一つないとも聞いている。
そんな者がこの土佐にいれば、どんなに家格の高い御曹司がやって来ようが膝を折るしかない。これが理由で権威が一切通じないというのはお笑い種である。もしかしたら、太原 崇孚はここまで読み切ってこの四人を人質に出してきたのだろうか? そうだとしたら、相変わらず恐ろしいとしか言いようがない。
何にせよ、新たな人材がやって来たのだ。今後は当家で頑張ってもらおう。義父上からは、思い出したかのような間隔で大和国や伊賀国から弱小豪族の二男や三男を寄越してくれているものの、文官が足りないという状況は一切変わっていないのが実情だ。お付きの者も含めて教育期間を設ければ、その穴も少しは埋まるだろう。
こうなると、太原 崇孚のしたり顔が目に浮かぶようで何とも癪に障る。いや、それよりも太原 崇孚のとぼけた顔が見たかったな。
「東谷宗杲殿、次回は是非師匠である太原 崇孚殿と共にお出でください。前回はお忙しいようで一緒に食事をする余裕もありませんでした。今度は皆で楽しく食事をしたい所です。まあそれはそれとして、準備もできたようですし食事にしましょうか? 東谷宗杲殿は酒……いや、薬ですね。それは嗜まれますか? 土佐の薬は珍しい物が多いですよ」
「それは嬉しいお話です。実は拙僧、遠州細川家行きを師より伝えられた時より、ずっと楽しみにしておりました。特に薬は大好物でしてな」
「是非遠慮なく飲み食いしてください。友野屋殿もご一緒に。駿河での楽しい話を聞かせてください」
あと一つ。天文二一年 (一五五二年)と言えば、今川 義元殿の娘が武田 信玄の嫡男と婚姻する年でもある。それは甲相駿三国同盟の二年前の出来事。この同盟の締結が太原 崇孚最期の大仕事になると言われている。
それまでに一度くらいは食事を共にしたいものである。
この年は俄かには信じ難い出来事が起きた。それは三好 長慶の幕府御供衆への就任である。
つまり、三好宗家が公方の直臣へと認められた。
公方 足利 義藤にとって三好宗家は親の仇のような存在と言っても良い。だからこそ昨年は争い続けていた。にも関わらず、和睦を飛び越えて自身の直臣にまで任命するというのは通常なら考えられない。本来なら一時的な和睦が関の山だろう。
なら、何が原因でこの離れ業が起こったのだろうか?
杉谷家からの報告書によると、直接的には一月二日に近江六角家当主である六角 定頼が病死したのが大きな要因としている。確かに公方最大の庇護者とも言える管領代の死亡は、三好 長慶と公方との和睦の契機となるのは妥当と言える。
とは言え和睦交渉自体は、六角 定頼の仲介によって以前から行われていたようだ。昨年七月に起きた相国寺の戦いによって、細川 晴元が力を失ったのがその発端となる。例え公方自体が戦を望んでいても、細川 晴元の力が無ければ継続できないというのはさぞや無念であったろう。
しかしながら、この交渉は暗礁に乗り上げる。それはそうだ。例え細川 晴元が力を失ったとしても、まだ背後には六角 定頼がいる。近江六角家の力が温存されているならば、交渉で下手に出る必要は無いというもの。公方陣営がより有利な条件を得ようとするのが筋である。これでは交渉は簡単に纏まらない。
そんな中での六角 定頼の死去だ。状況は大いに変化しただろう。
後を継いだ六角 義賢が公方支持を表明したとしても、当主としての地盤固めもできていない内は家を挙げての全面協力はできない。六角 義賢はまず当主として近江六角家中での信任を得る必要があり、そのためにはある程度の実績を積む事が求められた。
その隙を三好宗家が逃す筈がない。
また昨年は、三好 長慶の弟である三好 実休が阿波国にいる足利 義維を公方にしようと動いていたという。細川 晴元が力を失ったのを良い機会と捉えたのだろう。それに六角 定頼の健康状態も把握していたに違いない。どんなに時間が掛かろうと足利 義維が公方になれば、周防大内家の脅威に怯える必要も無くなり、現公方との面倒な交渉も打ち切りにできる。奇しくも俺が三好 長慶に提案した策を現実にしようとした者がいた。
この動きは公方陣営を相当焦らせたに違いない。ただでさえ、細川 晴元と六角 定頼という大きな後ろ盾が無くなったのだ。これで公方の地位まで失ってしまえば、足利 義藤は一介の武士となる。それだけは止めなければならなかった。
三好 長慶の御供衆入りは、公方陣営が追い込まれたからこそ引き出された妥協の産物とも言える。これでは和睦が成立したのか、それとも公方が三好 長慶に負けたのか分からない結果だ。公方陣営が己の力の無さを嘆いたのは想像に難くない。
三好宗家の要求はこれで終わらない。細川京兆家の家督を細川 氏綱殿に譲り渡す約束も交わされた。元々の戦いの発端が細川京兆家の家督争いなのだから、この要求は当然とも言えよう。長かった細川 晴元との抗争も、ようやく一つの区切りが付く。
こうして公方 足利 義藤が京に戻り、新たな政治体制が築かれる形となる。ただ残念ながら、これで畿内から戦が無くなり平和が訪れるという訳ではない。所詮は無理矢理飲まされた和睦だ。何かの火種が起きれば、すぐに燃え広がる。また新たな戦は近い内に始まるだろう。あくまでも、チャンピオンベルトが一時的に三好 長慶に移ったに過ぎない。
蛇足であるが、この報告書を読んで三好宗家は細川 氏綱殿の家臣という立場を捨てたのではないか? それは裏切り行為じゃないのかと勝手に勘違いをする。
ただ、この回答は実に呆気ないものとなる。それは「両属」という言葉。つまり、三好宗家は細川京兆家の家臣であり、公方の家臣でもあるという意味だ。
相変わらず三好は両属がお好きなようで。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
天文二一年 (一五五二年)はもう一つの事件がある。それは、尾張国の織田弾正忠家当主 織田 信秀の死亡だ。織田 信長の父親が病死したというのが分かり易いだろう。三月三日だという。
これが何を意味するかと言うと、駿河今川家が尾張侵攻を画策するようになった。そこで手始めに行ったのが、三河国の支配強化である。
それが、何をどうすればこの発想に行き着くのか? まるで、駿河今川家の友好国である当家もその支配強化の一翼を担うのは当然とでも言いたげである。誰の差し金かは想像がつくが、よくもまあ駿河今川家当主もこれを許したものだとほとほと呆れ返っている。
目の前にいる僧侶はそんな俺の気持ちを察しながらも、笑顔を崩そうとしない。師が師なら、弟子もまた弟子。そんな所だろう。
「東谷宗杲殿、栄誉ある駿河今川家が人質という形で厄介払いをする家だとは思いませんでしたよ」
「これは異な事を。当家と遠州細川家は、今後とも手を取り合う仲でなければなりますまい。その友好の証として人質を出したまでですぞ。そこに何の他意もありませぬ」
「そうは言いましても……この面子を見て、純粋な友好だと信じる方が難しいですよ。まあ、それはそれとして、人質というからにはこちらで責任を持って預かりますし、重用も致します。当家は慢性人手不足ですので。ただ、教育はこちらの流儀となります。それで宜しいですか?」
「全ては細川様にお任せ致します。後、師である太原 崇孚からは、可能であれば遠州細川家からも人を出して頂ければと言伝を受けております。どなたか良い方はいらっしゃるでしょうか?」
「申し訳ないのですが、当家は一族が少ないのでご容赦願います。ただ……そうですね。代わりとして、当家の水軍に所属する者を出しましょう。捕鯨船の操船が分かる者です。これなら太原 崇孚様も喜ばれるでしょう」
「おおっ、確かに。それは妙案ですな」
三年前の太原 崇孚との会談以降、駿河今川家との交易は年に二、三度という頻度ながらも続いていた。だが、当初目的としていた改良型弓胎弓は回数を重ねる毎に取引が少なくなり、今では他の商品が取引の大部分を占めるようになる。中でも鉄素材はお気に入りらしく、銑鉄・軟鉄・鋼と全種類を毎回のように購入するようになる。
対して交換する駿河国の商品は、そう簡単に需要が増える筈がない。多くが未だに贅沢品の域である。辛うじて反物が伸びている位だろうか? 目玉商品とも言える臭水もそう大量に消費とはいかないために、今では数回に一度の仕入れに落ち込む。
なら駿河今川家は、どのような形で取引の対価を支払うようになったか?
それはやはり人であった。とは言え、当家が望む職人をほいほいと出す訳にはいかない。基本的に土佐にやって来る職人は、見習い程度の若者か現役を引退した老人が主となる。これだけでは当然対価としては足りない。
そこで目を向けたのが、同じ人でも奴隷である。
例え駿河今川家の領地が裕福だとしても、末端の民が全員恩恵を受ける訳ではない。債務超過に陥る者は何処にだっている。それに、繁栄している都市ほど河原者のような住居を持たない者が数多くいるのが世の常だ。そうした者を奴隷として友野屋が取り纏め、商品として土佐へと連れて来ていた。
土佐や阿波国は人口が少ない。現代でもその伝統は続き、必ず人口ワーストに入る程だ。京や本願寺から移民は続いているというのに、未だに人手不足が解消される気配が感じられないのも、そもそもの人口の少なさが原因である。友野屋はそこに目を付けたのだろう。機を見るに敏とはまそにこの事だ。
ただ奴隷と一口に言っても、この時代は年季奉公に近い。労働によって借金を返済する。中には自身を商品として売り込む者もいるという。契約が終われば後は自由の身。故郷に戻ろうと思えばいつでも戻れる。
だからこそ俺は奴隷を移住者と割り切り、仕事だけではなく人並みの衣食住も提供する。奴隷としてやって来た者に土佐を好きになってもらい、年季が明けてもそのまま土佐で暮らしてもらえればと願っての措置だ。中にはどうしても故郷に戻りたいと訴える者がいるとは思うが、その場合は諦めるしかない。
それの延長という訳ではないだろうが、今度は人質となる。しかもその数は四人であり、お付きの者を含めれば一〇人の大台に乗った。
そして、ここからが本題となる。やって来た四人の人質の経歴があり得ないものばかりであった。
まず一人目が駿河今川家当主 今川 義元殿の三男となる。まだ年端も行かない幼さだというのに既に仏門に入っているらしく、名を長得と言う。側室の子だという理由で今川一門にもなれず、生まれてすぐに寺に預けられたそうだ。そのような事情のために、今回当家への人質として抜擢された形となる。
例え側室の子供でも有力家臣の家に養子に入る道もあったろうに、何故こうなったのかが分からない。
しかし、この辺りは家それぞれの事情だ。他人がとやかく言う筋合いのものではない。だからこそ、長得の人質はまだ分かる。
理解不能なのは残りの三名だ。
二人目が奥平 貞友。三河国の豪族だという。
これがまた凄い。五年前に今川 義元殿の東三河侵出に協力して領地を得たかと思うと、その翌年には反今川の行動を起こして領地を没収された。何がしたいのか分からない。
まだ一〇代の若さだ。きっと怖いもの知らずなのだろう。人質でやって来たというのに一切しおらしい素振りなど見せない。それ所か平気で俺を睨んでくる。この反抗的な態度が土佐行きの原因だと思われる。
三人目は……土佐にやって来てはいけない者だ。名を吉良 義安だと引率の東谷宗杲殿より教えられた瞬間にそう感じた。
駿河今川家の領国にいる吉良氏と言えば一つしかない。それは三河吉良氏だ。足利御三家とも言われる足利一門の中でも、最も家格が上の存在である。細川京兆家を含む三管領家よりも、駿河今川家よりも上なのは言わずもがなだ。
そんな貴種中の貴種がここ土佐までやって来た理由は、そう複雑な事情ではない。ただでさえ扱いづらいというのに、駿河今川家の統治に対して反抗的な態度を取る。だからと言って命を取ってしまえば、今度は駿河今川家の評判に関わる。出家の強要や幽閉は以ての外となれば、遊学を名目として領外に放り出すのが最適解というもの。
また都合の良い事に、吉良 義安は庶子でもある。そういった意味でも土佐行きの片道切符を渡すには良い条件であった。
最後の四人目はこれまた出家した子供で、名を恵新という。年の頃は一〇歳程度といった所か。三年前に亡くなった松平 広忠の息子であった。
松平 広忠と言えば、戦国三大英雄の一人である徳川 家康の父親だ。つまり、恵新は徳川 家康の兄弟となる。
そこで東谷宗杲殿より衝撃の事実が聞かされる。恵新は竹千代 (徳川 家康の幼名)の異母兄弟だと言うのだ。それも同年同月同日に産まれたと。
……そんな都合の良い異母兄弟はいない。東谷宗杲殿はそれ以上何も言わないが、間違いなく恵新と徳川 家康は双子の兄弟である。その事実が発覚するのを恐れて、この土佐に人質として出されたのだろう。駿河今川家幹部候補生の竹千代は忌み子であった。
これが東谷宗杲殿に文句を言った理由となる。人質として土佐にやって来たのは良いものの、その四人には全て曰くがある。地雷という表現がとても似合っていた。
まだ長得は今後僧として一生生きるよりも、武家として身を立てられる可能性を残したいという親心を感じる。俺も本人が望むなら、当家で働いて欲しいと願う程だ。
けれども残りの三人は、完全に駿河今川家の統治上の問題で危険人物を押し付けてきただけである。
その上で土佐に来てしまえば、三名の実家の影響は無くなり、ただの人になってしまうというのだから更に性質が悪い。三河吉良家に対しては多少気後れするかもしれないが、庶子で家を継げなかったという噂さえバラ撒いておけば、真実はどうあれその権威は地に落ちる。
それに当家には一つ奥の手がある。
「足利御三家の筆頭である三河吉良家の儂がこの辺鄙な土佐まで来たのだ。日々最上の持て成しを用意せよ。遠州細川は三河吉良家より格下の三管領の分家であるぞ。身を弁えるように」
「それを言うなら、まずは当家で保護している堺公方の御嫡男に対してしっかりと臣下の礼を尽くしてからですよ。亀王様は足利の出であるにも関わらず、それをおくびにも出しません。年の近い者と机を並べて日々勉学に勤しんでおります。その姿を見習ってください」
「なっ……それは誠か? ……あい分かった。ここではそうするしかなさそうだな……」
それは阿波国からやって来た足利 義維の家族御一行の存在だ。足利という権威を笠に着るなら、これ以上の存在はまずいない。いるとすれば、現公方である足利 義藤のみだろう。
領地を餌にしているとは言え、亀王様はこの土佐で想像以上に真面目に過ごしている。幕府打倒という壮大な野心が良い方向に出ているのだろう。酒や博打、それに女に溺れるような行動は一切無いと報告を受けている。遊びと言っても、年の近い者同士で川遊びや相撲を取ったりするのが関の山らしい。何とも微笑ましいものだ。貴公子然とした立ち居振る舞いから異性からの憧れの的とも聞いているが、何故か浮いた話一つないとも聞いている。
そんな者がこの土佐にいれば、どんなに家格の高い御曹司がやって来ようが膝を折るしかない。これが理由で権威が一切通じないというのはお笑い種である。もしかしたら、太原 崇孚はここまで読み切ってこの四人を人質に出してきたのだろうか? そうだとしたら、相変わらず恐ろしいとしか言いようがない。
何にせよ、新たな人材がやって来たのだ。今後は当家で頑張ってもらおう。義父上からは、思い出したかのような間隔で大和国や伊賀国から弱小豪族の二男や三男を寄越してくれているものの、文官が足りないという状況は一切変わっていないのが実情だ。お付きの者も含めて教育期間を設ければ、その穴も少しは埋まるだろう。
こうなると、太原 崇孚のしたり顔が目に浮かぶようで何とも癪に障る。いや、それよりも太原 崇孚のとぼけた顔が見たかったな。
「東谷宗杲殿、次回は是非師匠である太原 崇孚殿と共にお出でください。前回はお忙しいようで一緒に食事をする余裕もありませんでした。今度は皆で楽しく食事をしたい所です。まあそれはそれとして、準備もできたようですし食事にしましょうか? 東谷宗杲殿は酒……いや、薬ですね。それは嗜まれますか? 土佐の薬は珍しい物が多いですよ」
「それは嬉しいお話です。実は拙僧、遠州細川家行きを師より伝えられた時より、ずっと楽しみにしておりました。特に薬は大好物でしてな」
「是非遠慮なく飲み食いしてください。友野屋殿もご一緒に。駿河での楽しい話を聞かせてください」
あと一つ。天文二一年 (一五五二年)と言えば、今川 義元殿の娘が武田 信玄の嫡男と婚姻する年でもある。それは甲相駿三国同盟の二年前の出来事。この同盟の締結が太原 崇孚最期の大仕事になると言われている。
それまでに一度くらいは食事を共にしたいものである。
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2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
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「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
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俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
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朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
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スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
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そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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