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六章 大寧寺ショック

桶狭間への誘い

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 安芸 左京進から、今治港のある越智おち郡を除いた東予地方の制圧が終わったとの連絡が入った。

 俺達本隊が大洲を押さえ、左京進による東予方面軍が伊予黒川家を降した結果、久万地方を経由した比較的安全な連絡網がようやく完成する。これまでの左京進との書状のやり取りは、一度土佐を経由するか僧や商人に扮して河野本宗家領内の強行突破を行っていただけに、大きな進捗だ。もう連絡を控える必要は無い。

 これにより、ついに東予・南予との連携が可能となる。

 そうなれば脳筋揃いの当家家臣達の願いはただ一つ。

「真っ先に本拠地湯築城への同時侵攻かよ。何となくそうなるような気がしていただけに、今更驚きは無いな」

 俺としては左京進が越智郡を制圧した上での中予侵攻で良いと考えていたのだが、越智郡に隣接する芸予叢島げいよそうとう (芸予諸島の旧名)が周防大内家の勢力圏下であるため、扱いを慎重に考えているようだ。

 また、越智郡は来島村上家の所領でもある。ここから考えるに、河野本宗家を壊滅させた後に交渉で来島村上家の取り込みを視野に入れているのではないか。もしくは越智郡を緩衝地帯として、周防大内家との隣接を避けようとしているのかもしれない。何らかの思惑があるのだろう。

 何にせよ、東予の仕置きは全て左京進に任せている。俺の考えを押し付けるつもりはないので、やりたいようにやらせてやろう。

 それに、

「ついに決戦か。腕が鳴るな」

「これまでは歯ごたえの無い相手ばかりだったゆえ、ようやく本気になれますな」

「お二人には負けませぬぞ。若い者に後れを取るほど儂はまだ老いてはいないのでな」

 松山 重治、畑山 元明、本山 梅慶の三名が左京進からの書状が来たと聞いた時から、明日にも中予侵攻を行うものだと決め付けて会話を弾ませている。ここでこれ以上の侵攻延期を伝えれば、暴れ出す可能性も十分に考えられた。

 なお、木沢 相政や梅慶の嫡男である吉良 茂辰は、ここの所南予の巡回の日々を送っている。二人ともじっとしていられない性分であった。

「ああもう、分かったよ。これ以上待てないんだな。早速中予侵攻の準備に取り掛かれ。終わり次第、出発するぞ」

「国虎様、安芸様と日を合わせて侵攻をしなくとも良いのですか?」

「忠澄、良い質問だ。本来はその通りだが、今回はそこまでの綿密さは必要ない。それに俺達の本隊に河野本宗家の目が向けば、東予からの侵攻が楽になる」 

「確かにその通りです」

「そうそう、畠山 晴満と在氏の二人は居残りな。南予の代官に任命する。大洲盆地を流れる肱川ひじかわがちょっとした大雨で氾濫するらしい。一向衆の技術者を呼んで治水の計画を今から立てておいてくれ。頼むぞ」

「はっ。かしこまりました」

 重治と元明が俺の言葉を聞くと喜々として部屋を出て行く。二人は南予西園寺家との戦いに参加できなかったからか、かなりのうっ憤が溜まっていたのだろう。こうも士気が高い姿を見ると、次の戦いも安心して任せられると確信した。

 逆に言えば、敵対する河野本宗家には御愁傷様としか言うしかない。もし満足な抵抗もせずにあっさりと降ろうものなら、ブチ切れてしまいそうにも感じた。

 改めて思う。これまで何度も打診されてきた敵側の寝返りを受け付けないで良かったと。常に有利な立場で戦を進められるように布石を打ち続けるのは大将として必要な配慮だとは思うが、それも時と場合によるのだろう。ならば、お望み通りの舞台を作るというのも悪くない。仕掛けをするには良い機会かもしれないと感じた。

 これが上手く行けば、安芸 左京進の活躍を羨まなくて済む。二人にはもう少し落ち着いて欲しいと思いつつも、これも当家の特徴だと割り切ろう。

「最後に海部殿、お待たせしました。河野本宗家の目が北上する本隊に向いている隙に、別動隊として中予の港を落としてください。与力に波川 清宗と片岡 光綱かたおかみつつなを付けます。港は無理に占拠しなくとも構いません。やり方はお任せします」

 その仕掛けが海部 友光殿率いる水軍衆による別動隊だ。これに当家の水軍衆や一部の部隊を加えて、海路にて中予入りをさせる。兵数としては別動隊の方に多く配分をする。そのため、陸路を北上して中予入りする本隊の兵は一五〇〇程度となる予定だ。

 ただ、このような指示を出せば一つの疑問が出るだろう。それは、

「国虎様、決戦を前に兵を分散させる愚を犯して良いのですか? これでは当初言っておりました、敵を籠城させての各個撃破が叶わぬのではないかと考えまする。むしろこの好機に敵が打って出てくるのではないでしょうか?」

 というものだ。

 幾ら東予からの同時侵攻とは言え、本隊を手薄にすれば敵は籠城をせずにそこを狙ってくる。河野本宗家も馬鹿ではない。遠州細川家の進軍には目を光らせて、逆転の目が無いか探り続けているであろうと。

 大洲や八幡浜の港に部隊を残すのはそう間違ってはいない。補給線の確保という重要な役割がある。しかし、本隊の数を大幅に減らしてまで中予の港を落とそうとするのは明らかにやり過ぎだ。海部殿の言い分は理に叶った正論であった。

「少し状況が変わったというのが正直な所です。当初の想定では安芸 左京進の越智郡制圧後の中予侵攻を考えておりましたので、大軍を率いて一つずつ削り取るつもりでした。追い詰められた状況では、敵の士気も上がらず抵抗も弱いだろうと」

「それが最も確実だと思いまするが……」

「それを取り止めた理由は、やはり芸予叢島の存在が大きいです。あの一帯は偽能島村上家の残党や因島いんのしま村上家の所領になるのですが、周防大内家の勢力下というのもあって今回は手が出せません。後は佐多岬半島の三崎家の存在もあります」

「それが大軍を率いるのを取り止めるのとどう関係するのでしょうか?」

「要するに今回の遠征では伊予国の完全制圧を見送らねばならなくなったのです。伊予国の一部に周防大内家と豊後大友家の勢力が残る形、もっと言えば伊予国は当家を含めた三家の分割統治になります」

「あっ……」

「もうお気付きでしょう。伊予国の大部分が当家の勢力下になるとは言え、大国の監視下となります。まだ三崎浦だけならそこまで重要視しませんでした。ですが芸予叢島にも手を出せないとなれば、今度は逆に周防大内家と豊後大友家が結託して伊予国に手出しをする可能性が出てきます。手出しさせないためにはどうするか? 一番簡単なのは当家を強いと思わせる、具体的には対河野本宗家との戦いで大きな戦果を上げるのが最も確実でしょう」

 結局は今後の伊予国統治を少しでも楽にするには、勝ち方にも拘る必要があるという話だった。隣接する周防大内家と豊後大友家に舐められないようにする措置とも言える。

 幾ら当家が土佐一国を手にしているとは言え、それでは国力で両家には並べない。当家とはまだ大きな開きがある。だからこそ代わりとしてハッタリが必要だと考えた。

「それでは此度の兵の分散はもしかして……」

「はい。河野本宗家を釣り出す策です。ここ大洲から中予へと進むために使用する大洲街道には、犬寄いぬよせ峠という難所があります。道幅も狭く標高も高い。これなら少数の兵でも迎撃可能です。こちらが大軍で時間を掛けて進むのではあれば、足止め程度にしかならないでしょう。ですが兵を分けて数も減り、尚且つ総大将がその道を通るとならば……」

「一縷の望みを賭けて奇襲を行おうとするでしょうね。いや、待ってくだされ! それでは国虎様を危険に晒すのでは?」

「元より承知の上です。敵が大きな博打を打つのですから、それには応えないと……と言うか、餌が無ければ敵をおびき寄せないでしょう」

「か、勝つ見込みはあるのですか? もし万が一負けるような事があらば、遠州細川家が一大事となりますぞ」

「さてそれはどうでしょう? やるからには勝つつもりでいますが、勝敗は水物ですから。一応こちらも対応策は準備しております」

「その顔を見て安心しました。国虎様ならやってくれるでしょう。妹のためにも此度の戦には是非勝利してくだされ。では、海部家は先回りして中予を攻略致しまする」

 例えば有名な「桶狭間の戦い」がある。真実はどうあれ、この戦いは油断した駿河今川家を奇襲し勝利した戦いとして現代では知られている。

 今回はそれと同じ轍を踏むつもりだ。

 大軍の移動が困難な道がある。敵である遠州細川家は油断して兵を分散させている。少数の兵でも総大将の首を取れる地点がある。援軍の来ない籠城では負けが確定となる。

 これだけの条件が揃えば、一発逆転を狙った行動を取っても何らおかしくはない。

 それを食い破るというのが今回の策である。政治的な理由でしなくとも良い戦をするというのは何ともやるせない。だが、今回ばかりは仕方ないだろう。ただ領地を手にするだけなら、後に両大国の圧力に苦しむという未来が待っているのだから。

「さあて、河野本宗家を叩き潰してこの戦いを終わらせるぞ! 一番活躍した者には報奨金を出すからな。頼むぞ」

『『応!!』
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