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六章 大寧寺ショック

元安芸武田家当主の役割

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「……何やっているんだ。あいつ等は」

 新たに接収した地蔵ヶ嶽城で中予事情に異変が起きたとの報告を受ける。書状の中身はとんでもないものであった。

 簡潔に言うなら、一つ目が河野本宗家重臣である平岡 房実を捕縛。二つ目が和田 通興の籠る岩伽羅城の攻略である。どちらも馬路党単独で成し得ていた。

 今回の功績は大きい。それは認めよう。ただ、今の状況でそれを行っても後には続かない。馬路党のみによる岩伽羅城の占拠では、河野本宗家が奪還にやって来れば支え切れないからである。兵の数が圧倒的に足りない。せめて、安芸 左京進の東予方面の部隊が後詰に向かうというなら今回の行動も分かるが、未だ東予の完全制圧が終わっていない現状ではまず無理であろう。

 事実馬路党は、何の未練もなくそのまま東予に引いたという。この行動を見る限り、今回は命令違反や抜け駆けとは違うと感じた。予想されるのは、河野本宗家の内乱を長引かせる後方攪乱が任務だったのではなかろうか? 恐らく、東予にいる河野本宗家家臣への援軍派遣を遅らせるのが目的であろう。

 ただ、馬路党にその任務を任せたのが間違いだった。あいつ等は目を離せばすぐにやり過ぎる。頭の痛い連中とは言え、今回は任務を完遂したのだ。素直に誉めてやろう。重臣の捕縛という予想外の収穫があったのも大きい。

 相変わらず当家の特殊部隊は、一般的な特殊部隊の意味から逸れる。

「国虎様、これは河野本宗家を追い詰めるまたとない機会です。今すぐ軍を北上させ、中予に攻め入りましょう」

 とは言え馬路党の功績を、俺と同じ考え方で見る者ばかりではない。中にはそれを値千金と評価して、河野本宗家を壊滅させる機が訪れたと判断した者もいた。それは右筆の大野 直之である。興奮冷めやらぬ顔で俺に詰め寄る姿は、少々暑苦しい。

 こうした反応をするのも、直之がまだ当家にやって来て間もないからなのだろう。馬路党のやらかしを見込んで戦を行っていれば、戦略などあったものではないと知ってもらわなければならない。そうでなくとも当家は既に河野本宗家を追い詰めていると理解してもらうためにも、解説交じりに雑談を行う事にした。

「あー、直之。気持ちは分かるが、今はその時ではない。焦ると良い結果を生まないぞ。今するのは周辺の鎮圧だ。特に八幡浜やわたはま方面は未だ当家に敵対しているからな。河野本宗家との決戦は後顧の憂いを無くしてからで良い」

「しかし……」

「言いたい事は分かる。時間が経てば経つ程、河野本宗家が当家との決戦準備を整えてしまう、もしくは援軍がやって来るといった辺りだろう。八幡浜方面は抑えの兵だけ残しておけば何とかなる。岩伽羅城が落とされて、動揺している今なら河野本宗家に楽に勝てる、そんな所じゃないのか?」

「分かっているのでしたら、何ゆえ軍を北上させないのですか?」

「大きな理由は援軍がほぼ間違いなく来ないからだな。それに中予への侵攻は、東予方面の部隊と同時に行うのを考えている。それには東予の完全制圧を待つ必要がある。答えはこれで良いか?」

「国虎様、河野本宗家には援軍が無いと何ゆえ断言できるのですか?」

「今回東予方面で元安芸武田家当主の武田 信実を使っている。だから援軍を送れない」

 これがあるから、俺は馬路党の行動を疑問視した。勿論、中予侵攻までに河野本宗家は万全の迎撃態勢を整えるだろう。しかし、所詮はそれまでだ。一致団結の出来ない河野本宗家では万全と言えどたかが知れている。それよりも援軍が無いのであれば、中予への侵攻は東予と南予からの二方面から行うのが最も確実となる。

 伊予侵攻はこれまで順調に進んでいるんだ。最後の最後で詰めを誤る訳にはいかない。

「国虎様、大野殿は右筆となってまだ日が浅いのです。その言葉だけでは理解できないでしょう」

 ただ俺のいつもの悪い癖が出て、説明不足だったらしい。いつものように谷 忠澄が上手い合いの手を入れてくれる。こういう時の忠澄の存在はとてもありがたい。

「なら先輩である忠澄が教えてやってくれ。よし、任せた」

「無茶を言わないでください。私も此度東予方面で武田殿を使うからには、国虎様が安芸国で何か良からぬ事をしているのだろうくらいしか分かりません。策の全ては国虎様の口からお話しください」

「……特に何もしてないぞ。それこそ買い被りだ。俺がこれまで謀を仕掛けた事があったか? いや悪い。この間変な書状を送ったばかりだな。分かった、分かった。援軍が送れない理由を話す」

「素直にそう言えば良いのです」

 これも俺の悪い癖になるが、自分から話題を振っておいて、いざ説明しろとなれば面倒になる。今回は解説役を忠澄に任せようとするも、最大限の非難の視線がこちらに向けられたために渋々話し始める羽目となった。

「まず河野本宗家は周防大内家の影響下にある。能島村上家の家督問題も見てもそれは明らかだ。そうでもなければ、庶流が家督を継げるように支援するというのはそうそう起きないだろう。よって、豊後大友家や出雲尼子家とは大きな伝手が無く援軍要請ができない。まあ、河野本宗家が一度両家と手を結んで余計な真似をしたら、周防大内家に成敗されたらしいしな。自業自得だろう。ここまでは良いな」

「はっ。大丈夫です」

「それで今年の八月末、周防大内家では謀反が起きた。そのため、外征する余裕は無い。現状は豊後国にいる新当主を周防国に迎え入れる準備をしている所だ。最低限新当主が周防入りするまでは、謀反の首謀者である陶 隆房に反発した動きが起きないように睨みを利かさなければならない。ここまでも良いな」

「はっ」

「この状況で仮に河野本宗家に援軍を送るとすれば、安芸国の毛利家に依頼する形となる。今回の謀反への協力者でもあるしな。そこで問題となるのが、安芸毛利家が動かせる水軍はどの部隊になるかだ」

「どの部隊になるのですか?」

「まず安芸毛利家には小早川こばやかわ水軍がある。だが、この小早川家は本家と分家に分かれていてな、それを統一したのが今年だ。しかも、統一の際に反対派を粛清した。もう分かると思うが、これでは小早川水軍は動かせない。再編成の途中だろう」

「ま、誠ですか」

 ここら辺の事情は鉢屋衆を通じて把握していた。鉢屋衆は出雲尼子家の忍びでありながら、出雲国だけではなく安芸国や他の国にも散らばっているのを知った俺が、現状中国地方の諜報機関としても利用している。

 そのお陰か、相変わらず当家の忍びは万年人手不足のままだ。杉谷家が孤児や奴隷を連れてきて教育を行ってくれているにも関わらず、領土の広がりが早いという理由で領内の仕事から手が離せない状況が続いている。今や領内の視察を兼ねた行商が、杉谷家の主な仕事となっていた。薬草採取も賊の発見に大きく寄与している。軍による巡回警備は賊討伐の色が濃いために、遠州細川家の平和は杉谷家によって守られていると言っても過言ではないだろう。

「そうなると残りは安芸毛利家直属の水軍になるんだがな……基本的に元安芸武田家の者達で構成されている。さすがに率いる将は別だと思うぞ。安芸毛利家は内陸の勢力というのもあって、そもそも水軍を必要としなかったからな。勢力を拡大して水軍を持つようになったのは良いが、一から水軍を作るのは難しい。結果として元安芸武田家の水軍の力に頼るしかなかったというのが実情だ」

「……」

「一応、厳島の水軍も一部は動かせるらしいが、数としては少ない。これは勘定に入れなくて良いと思うぞ」

「では、此度武田殿を東予方面に起用したのは、安芸毛利家が援軍を送れないようにする策だったと」

「本来は別の意図があるんだがな。援軍派遣の抑止にも利用させてもらった。元安芸武田家の者も元当主とは争いたくはないだろう。それが勝つ見込みが少ないとなれば、尚更になる。小早川水軍も無理をすれば派遣できるとは思うが、得られる物が無い。粛清までして統一した小早川家が初戦で負けたとなれば、新たなお家騒動の種になるのは間違いないな」

「……」

 これは、ほぼ水軍を一から作った俺だから分かる内幕と言える。水軍というのはある種の技能職的な側面があるため、一朝一夕には組織できない。陸とは違い桁外れに時間が掛かる。まだ当家には海賊大将である惟宗 国長の存在や海部家との伝手があったために、何とかなったというのが実情だ。

 しかし安芸毛利家はどうだ。水軍を必要としなかったという理由から担い手がいない。なら、元々あった水軍を接収して自分の物にすれば良いと考える。滅ぼした安芸武田家に水軍衆がいるとなれば、都合が良いと飛びつくのが道理だ。膨大な時間と金を費やしてまで新設の水軍を作ろうと考えはしないだろう。

 それに、そもそもが当家の伊予攻めで、敗軍の将である武田 信実の存在を前面に出すという策を安芸毛利家が読める筈が無いし、読めた所で時間は巻き戻せないという結論となる。 

 家を失い身一つとなった完全な負け組が奇跡の復活を遂げたのだ。今頃安芸毛利家は狼狽えているに違いない。特に旧安芸武田家家臣はどう考えているか? 家を守るためには安芸毛利家に降らなければならない事情があったとは言え、旧主と敵対はしたくない。まだ勝てる戦いならいざ知らず、不利な戦に援軍として出ようものなら、自分達の選択が間違ったのだと認めてしまう形となる。面目丸潰れとなるだろう。俺が旧安芸武田家家臣の立場なら、伊予での戦が終わるまでは仮病を使って引き凝るに違いない。

「これで分かったろう。河野本宗家に援軍が来ない理由が。それに馬路党がやらかしたからな。河野本宗家には降伏の道も無くなった。なら後はじっくりと追い詰めるだ……いや、伊予大野家がこの機に乗じて動く可能性があったか。仕方無い。好きに暴れさせておこう。反撃を喰らったら素直に逃げるようにとだけは伝えておくべきか」

「念のために確認しておきますが、安芸毛利家直属の水軍が戦には参加せず、兵を運ぶ役割に徹する可能性もあるのではないでしょうか?」

「そうだな。その可能性は十分にある。但し、帰りはどうなるか分からないぞ」

「河野本宗家が負ければ、追撃を恐れて水軍だけ先に逃げてしまう。見捨てられる可能性を考えれば、援軍は送れませんか。それなら小早川水軍を使っても同じですね」

「そんな所だな。河野本宗家の最後の希望は幕府くらいだろう。ただ、和睦の仲介依頼をしようにも現公方は京にいないがな。しかも、細川 晴元と一緒にいる……多分。そうなれば、細川 晴元に氏綱派との和睦の仲介をしろと言っているようなものだ。念のために言っておくが、幕府を飛び越えて直接朝廷に依頼するのは無いぞ。それをすると今度は幕府を怒らせる」

「まず無理ですね。まだ細川 氏綱様に和睦の斡旋を依頼する方が……そうですね。逆に降伏を迫られるのが見えていますから、これもあり得ませんか」

「名目上今の俺達は周防大内家の上洛を牽制するために動いているからな。細川 氏綱殿へ依頼すれば、氏綱派への鞍替えを要求され、対周防大内家への最前線を担わされる。それは周防大内家への裏切り行為だ。そうなれば、当家への庇護を求める以外手は無くなるな。当然、当家はその要求に素直に応じる必要は無い。どの道詰みだ」

「結局、河野本宗家は当家と直接争って勝つ以外に道は残っていないのですね」

「そういう事だ。一応河野本宗家の家臣から寝返りの打診がぽつぽつと来ているが、全て無視している。対土佐一条戦で歯向かったのを忘れて平気で領地安堵とか言ってきてるからな。纏めて処分するつもりだ」

「国虎様の言う『既得権益』ですか。私にはどちらの言い分も分かるので、どちらが正しいとは言えませんが」

「良いんじゃないかそれで。俺も自分がしている事を正しいとは思っていないからな。話は長くなったが、直之もこれで急がない理由が分かっただろう」

「はっ。国虎様のお考え、しかと理解致しました」

「なら残りの伊予攻めは、直之に任せようか?」

「あっ……いえ……それは」

「国虎様! 大洲を手に入れたからと言って、途端にやる気を無くされるのは困ります! 最後までしっかりと務めを果たしてください」

「ちぇ、分かったよ。本当、忠澄は真面目だよな」

「これが普通です!」

 物凄く遠回りしたような気がするが、これが河野本宗家の現状であり、残された道となる。逆を言えば、こちらは既に勝ち筋は見えているため、如何に確実に勝つかだけを考えれば良い形であった。

 まだせめて重臣の平岡 房実がいるなら、逆転の策として一か八かの野戦決戦を行う可能性もあっただろう。だが、平岡 房実は既に捕縛の身だ。残っている家臣で有力なのは、先代当主  河野 通直かわのみちなおのお気に入りである村上 通康むらかみみちやすくらいだろう。とは言え村上 通康は、来島くるしま村上家の当主というのもあって本業は海賊衆である。これでは当家に野戦を仕掛けて起死回生の勝ちをもぎ取ろうにも不向きだ。

 更に野戦を否定させる要素として、河野本宗家当主の親子間の対立による家臣への求心力の低さが挙げられる。

 今から九年前である天文一一年 (一五四二年)に河野本宗家ではお家騒動が起きていた。構図としては、河野 通直・村上 通康対河野 通直の嫡子である河野 晴通かわのはるみち・村上 通康以外の重臣となる。結果は河野 通直の惨敗。本拠地である湯築城を追われるという失態まで犯した。

 だというのに、今もなお先代当主として現当主の後見を務めているのは、その翌年である天文一二年 (一五四三年)に河野 晴通が急死したからに他ならない。現状はその弟である河野 通宣かわのみちのぶが当主を継いでいるものの、親子間の仲は悪い。その仲の悪さは、公方から仲直りするようにと書状が届く程だ。

 もしかしたら、「外敵の駆除のためには」と親子で一致団結をして戦う可能性も考えられるが、こんな時ほど足の引っ張り合いになるというのが世の常である。

 妥当な所では現当主河野 通宣が湯築城に籠り、先代の河野 通直は逃げて、村上 通康の居城である来島城に籠るのではないかと踏んでいる。完全に各個撃破の良い的だ。侵攻までの間に、更なる親子間の対立を煽る必要は無いだろうと考えている。

「中予への侵攻は、まず足元を固めてからだ。そのために西宇和にしうわ郡の平定を行う。大洲の産業は遠州細川家が飛躍する重要なものだ。きっちりと調査しておけよ。報告書を楽しみにしている」

「調査は我等に任せて、国虎様は何をする気ですか?」

「ん? 俺か? 当主としての務めを果たしに兵を率いて西宇和郡に向かうだけだぞ」

「……」

「忠澄に言われたからな。たまには真面目に戦場に赴く。留守を預かるばかりでは武家として失格だからな。褒めてくれて良いぞ」

「あれはそういう意味で言っていない事くらい分かるでしょうに」

「『口は禍の元』という言葉があってだな……俺も今回は書類仕事から逃げるつもりだ。じゃあな」

「く、国虎様ーーー!!」

 忠澄には伝えなかったが、今回は西宇和郡の果てにある佐田岬さだみさき半島の視察を兼ねたものだ。この佐田岬半島の領有は豊後大友家との隣接を意味する。下手に豊後大友家を刺激をしないよう、速やかに平定を終わらせよう。
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