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五章 三好長慶の決断
三好長慶の憂鬱
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そっと目の前に緑色の液体が入った器が置かれる。その中身は言わずと知れたお茶だ。四畳半程度の広さの部屋に男が四人。中央にはぐつぐつと湯気を立てる茶釜がある。
俺の対面には目を閉じて口を噤んだままの三好 長慶がいる。その隣には敵意丸出しながらも黙々と茶を点てた人物がいた。名はかの有名な松永 久秀。茶人としても名の通った彼からの茶を飲めるというのは本来であれば滅多とない経験である。喜ぶべき事であろう。
この一即触発の雰囲気でなければ。
勿論この状況はこちら側も一役買っている。俺の隣で座っている馬路 長正は、言葉こそ発せずに大人しくしてはいるが、その目は三好 長慶に固定されており、何かあればすぐにでも飛びかからんとしている。
もし視線で人が殺せるなら、間違いなく血の雨が降っていた。
この殺伐とした空気に耐え切れず、俺は無作法に器を手にして一気に茶を喉の奥へと流し込む。
……苦い。
さすがにむせるような失態は犯さなかったものの、喉を通る液体をゆっくりと味わうような余裕は無い。作法も何も無い姿だったと思われる。まだこれが和やかな雰囲気であれば教えを請い、それを切っ掛けとして雑談に花を咲かせるという未来もあったろう。だが、それをする気は到底起きなかった。
この気持ちは馬路 長正もそう変わらないと思う。
今更ながら「すぐ終わるから少し話がしたい」という三好 長慶の言葉に乗せられた俺の馬鹿さ加減に後悔をする。細川 氏綱殿との謁見では三好宗家の家中でただ一人違った反応を見せていたためか、「もしかすると話が通じる相手なのでは」と期待したのがそもそもの間違いであった。
無言を貫く三好 長慶を今一度見る。その姿に変化は見られそうもない。
「それで三好殿、話というのは一体何でしょうか? 今の姿を見てもらえば分かる通り、私や隣の長正は田舎者なので作法の一つも身に着けておりません。茶を出すのが本題なら、帰らせてもらって良いでしょうか?」
結局の所、こうした喧嘩腰の対応を選択する俺自身の大人げなさに閉口をしてしまう。遠州細川家と三好宗家が対等であるなら、こちらが下手に出てすり寄るのは間違っている。ましてや今回は向こうから「話がある」と言ってきたのだ。こちらから話題を投げ掛けて場を盛り上げる必要はないという考えが根底にあった。
きっと必要以上に三好 長慶を警戒しているのだろう。自分の小ささを垣間見たような気がした。これでは嘲笑や罵倒を浴びせられても文句は言えまい。その時はその時で諦めよう、と思っていた矢先に事態は動く。
「ま、待たれよ、細川殿。此度細川殿と話をしたいと言ったのに嘘偽りはござらぬ。土佐では現在茶の栽培に力を入れていると聞き及んでおったゆえ、細川殿も茶の湯を愛す御仁だと儂が勝手に思っていただけだ。悪気があった訳ではない」
この臨機応変さに三好 長慶の真骨頂を見た気分となる。未だ流通量の少ない土佐茶の存在を知った上で平気で口実に使う。まるでこの場を茶の愛好者同士の交流の場として整えたかのような口ぶりであった。もしくは土佐茶の良さをこの場で語れとでも言いたいのだろうか? この対応なら多くの者が毒気を抜かれ、矛を収めそうである。
ただ俺から見れば、それは論点ずらしに過ぎない。
「……まずは私の質問に答えて頂けますでしょうか?」
「そ、そうであったな。三好宗家と遠州細川家が同盟を結べない誠の理由を教えてもらいたくて、この場を作ったのだ」
「申し訳ございません。三好殿の真意が掴みかねます。誠の理由? それよりも隣の方を見る限り、当家との同盟を望んでいるようには見えませんが」
「あくまでも儂一人の考えだ。両家は互いに協力できると考えておる。家臣達は納得せぬであろうがな」
驚いた。要は三好宗家と遠州細川家との同盟の下交渉としてこの場を作ったと言ってるのに等しい。例え家臣達の反対を押し切ってでも、三好 長慶本人だけは同盟に前向きのようだ。
確か細川 氏綱殿からは「背後を安全にしたい」という理由で話を振られたが、その時はあっさりと引き下げたのを覚えている。だというのに何故もう一度同盟の話をぶり返すのか? 順当に考えれば細川 晴元や近江六角家以上にもっと厄介な敵がいるため、何としてでも同盟をしたいとなるが、そんな厄介な敵がいるのだろうか?
……あったな。一つだけ。
「ああ、なるほど。周防大内家の動きを警戒しているのですね。上洛が実現すれば、三好宗家が最初の標的にされかねない。そうなった時のために味方が欲しい、そんな所でしょうか」
「…………」
「沈黙は肯定と捉えさせて頂きます。そうであるなら当家との同盟よりも、朝廷工作や公方様との和睦、それと細川 氏綱様を通じて出雲尼子家に周防大内家への牽制を働きかければ良いのではないでしょうか?」
「それは既に行っておる。それにな……昨年末より周防大内家と出雲尼子家の和睦交渉が始まっておるのだ。それも多くの公家が山口に下向する熱の入りようでな」
「朝廷が周防大内家の上洛を望んでいるという事ですか。出雲尼子家も朝廷の肝入りとなれば冷ややかな対応はできませんね」
確かにここまで大きな話となれば、周防大内家の上洛が単なる噂と切り捨てられないのが分かる。上洛が始まって行動するのでは遅い。万が一そうなっても良いように事前に準備を進めるというのは必要不可欠だ。それも協力と敵対の二種類を想定した上で、どちらに転んでも最悪の事態とならないようにする。リスクヘッジの考え方そのものである。
またこの周防大内家を取り巻く環境を見ると、遠州細川家が中央からの横槍無しで土佐統一できた理由が分かった。九条 稙通との交渉が物別れに終わってもその後に音沙汰もない。これにずっと違和感を感じていた。次は朝廷を動かしてくるのではないかと想定をしていた。
そんな展開にならなかったのは、もっと大事な案件が水面下で動いていたからだ。これに尽きる。ある意味俺達は幸運だったかもしれない。
翻って三好宗家の立場から見ればどうだ。折角京を押さえたとしても、今度は周防大内家の脅威に怯えながら細川 晴元と戦わなければならない。ここまで来れば細川 晴元との争いなど二の次である。現状最も必要なのは周防大内家への対策だ。そうであるなら、嫌な相手とでも手を結ばなければならない。そんな所だろう。
江口の戦いで大きな誤算があったとするなら、勝利後に三好宗家が京を押さえた点である。恐らく父三好 元長の役職を引き継ごうとして押さえたのだと思うが、それが原因で対周防大内家の矢面に立つ羽目となった。貧乏くじ以外の何者でもない。
三好 長慶の運の無さに笑ってしまいそうである。これは絶対に胃に大きな負担が掛かるだろう。
「そこまで分かるなら細川 氏綱様を助けるためだと思って、両家の同盟を真剣に考えてくれぬか」
「残念ながら答えは否です。周防大内家が細川 晴元と協力するという確証がありません。当家は氏綱派として動いているに過ぎないからです。要は周防大内家と敵対しなければ良いだけではないのですか? 公方様と和睦すれば状況は劇的に変わるでしょうし、それが駄目でも……いや、これは現実的でないか」
「細川殿、笑わぬから最後まで話してくれぬか?」
「分かりました。現実的な話ではないので、参考程度に考えて下さい。それは阿波国にいる足利 義維様の擁立です。 とは言え足利 義維様を新たな公方にするには、現公方様を完全に失脚させる必要があります。つまりは庇護者となっている近江六角家と全面対決して打ち破らなければなりません」
その上で新たな幕府組織も作る必要もある。もっと言えば、朝廷だけではなく全国の大名達に足利 義維政権を認めさせなければならない。前公方である足利 義晴は近江国に逃れている間も政務を続けて正統性をアピールし続けた。 この前例から、現状で足利 義維を新公方にしようと考えても、それは通らないというのが分かる。
いっそ現公方を殺してしまえば足利 義維を公方に据えるのはできるだろうが、そうなれば間違いなく周防大内家と三好宗家は敵対する。当然ながらこの案は却下だ。
「そ、それは確かに難しいな……」
「それ以前の話として、上洛は思い付きで実行できるものではありません。朝廷まで後押ししているとなれば、早い段階から前公方様もこの計画に噛んでいると見て間違いないでしょう。幾ら足利 義維様が周防大内家の娘と婚姻しているとは言え、素直に現公方様と和睦するのが周防大内家対策としては現実的ですね」
「……」
他の対策としては、豊後大友家に牽制役を依頼するというのはどうか? そう考えていたが、豊後大友家は一月前の二月に二階崩れの変を起こし、前当主の大友 義鑑が大友家重臣達に暗殺されたと思い出す。
現当主である嫡男の大友 義鎮がこの暗殺劇の立役者かどうかは不明であるにしろ、円満とは言えない政権交代は領内に大きな不協和音を起こしているだろう。家臣の掌握ですら大変な状況だ。これでは外征など以ての外である。
改めて思うが、周防大内家の上洛への環境が整い過ぎている。西国事情に通じているなら、ここ二、三年の内には現実化すると考えても否定はできない。
「現時点では不確定要素が多過ぎて判断ができません。今この場で私が言えるのは、どのような状況であろうと氏綱派として動く。それだけですね。仮に周防大内家が上洛して細川 晴元と結託する事態が起こった際は、背後から襲撃すると約束をしましょう。それ以上は無理です」
「い、いや、それだけでも約束してくれるなら心強い。さすがは細川殿だ。恩に着る」
「何か勘違いしているようですのでもう一度釘を刺しておきましょう。例え対周防大内家では約束を交わしても、それ以外で余計な真似をすればこちらは黙っていません。それだけはお忘れなきように」
「き、貴様、黙っておれば調子に乗りおって! 当家の力があれば、五度遠州細川家を滅ぼす事もできるというのを忘れるな!」
「久秀止めよ」
「それはとても楽しみです。こちらは万全のお持て成しで三好宗家を迎えたいと思います」
こうして三好 長慶との会談は終わりを告げる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「では婿殿、途中まで一緒に帰るか」
「義父上、待っていてくれたのですか。ありがとうございます。是非御一緒させて頂きます」
結局俺達はほぼ逃げるような形で中島城を出た。
売り言葉に買い言葉、お互いが挑発し合い収拾が付かなくなったのだから、こうなるのも当然である。三好 長慶が何とか松永 久秀を宥めて落ち着かせようとしてくれたが、俺の言葉が気に障ったのか暴言が止まらなくなる事態へ発展したのはお約束と言えるだろう。
そうなれば黙っていられないのが馬路 長正だ。諸肌を脱いで一言「表へ出ろ」と言う。その瞬間、我に返った俺が急いで口を塞ぎ、長正を抱えるようにして部屋から出た。
待機していた皆と合流したのはその後すぐ。俺が放った「撤収」という言葉に何かを感じ取ったのか、迅速な動きで支度を整える。
城を飛び出し全力疾走した先に出くわしたのが、義父という流れであった。
完全武装の兵を周りにしっかりと配置しながらも、涼しい顔で気安く声を掛けてくる所が何とも言えない。始めからこうなるとでも分かっていたかのような行動である。
釈然とはしないが、今は義父の好意を素直に受け取っておこう。ようやく一息つける。
「……どうであった?」
「どうしたんですか突然? ああっ、印象ですね。お会いするまでは血筋だけの方だと思ってましたが、なかなかどうして、度胸があるのには驚かされました」
「氏綱様の方ではない。三好殿の方だ。婿殿から見て信用できそうか?」
「そうですね。正直な所を言うと分かりません。ただ、本人の意思とは関わりなく、しばらくは氏綱派を続けざるを得ないでしょう」
「理由を聞いても良いか?」
「前公方様が中尾城を築いてしまいましたからね。明らかな対立姿勢です。これが続く間は鞍替えしようにも受け入れ先が無いと思われます」
「なるほどな。しばらくは京が主戦場となりそうか。三好殿のお手並み拝見するとしよう」
こういうのを自業自得と言うのかもしれない。同族の政敵を討ち果たした結果、そのツケを払わされる羽目となる。それがまだ旧主である細川 晴元だけなら良かったろう。しかし現実は公方も敵に回し、近江六角家も敵に回し、果ては周防大内家と強大な相手までいる。
何故三好 政長と和睦できなかったのかと今でも思う。そうすれば、こうして八方塞がりになる事も無かった筈だ。
とは言え三好 長慶は、史実通りであれば、これを何とかしてしまうのだから恐れ入る。
下手にちょっかいを出して関わるのはやぶ蛇だ。義父上の言う通り、俺達は外野席からの高みの見物が丁度良い。
「その通りですね。私は土佐で英気を養ってますよ。しばらくは統治に専念です」
「おっと忘れておった。婿殿は相変わらず人手不足であろう。今度人を送るゆえ、使ってやってくれぬか?」
「ありがとうございます。どんな者が来るか楽しみにしております」
だからと言って自分達が安泰だとは考えてもいない。むしろこの時代はここからが本番だ。世の中はより混沌へと向かっていく。舵取りは更に難しくなるだろう。そんな中で生き残らなければならない。
それでも俺達は事業を成し遂げた。一つは土佐の統一。そしてもう一つは細川 晴元政権の崩壊である。
亡くなった父上や兄上はどんな気持ちだろうか。よくやったと褒めてくれるだろうか。きっとお爺様なら諸手を挙げて喜びそうである。
反面一羽なら「ここからが大事だ」と、こんな時ほど調子に乗らないように釘を刺すだろう。一羽との約束は忘れてはいない。それを達成するまで手を緩めないと今一度固く誓う。
ああそうだ。これまで戦後の後始末の忙しさで、ずっと父上達には報告できていなかったと思い出す。土佐に戻ったら、まずは墓参りをしよう。きっと皆、俺が来るのを心待ちにしているに違いない。
何となくではあるが、墓前での報告を終えて、本当の意味での土佐統一になるような気がした。
俺の対面には目を閉じて口を噤んだままの三好 長慶がいる。その隣には敵意丸出しながらも黙々と茶を点てた人物がいた。名はかの有名な松永 久秀。茶人としても名の通った彼からの茶を飲めるというのは本来であれば滅多とない経験である。喜ぶべき事であろう。
この一即触発の雰囲気でなければ。
勿論この状況はこちら側も一役買っている。俺の隣で座っている馬路 長正は、言葉こそ発せずに大人しくしてはいるが、その目は三好 長慶に固定されており、何かあればすぐにでも飛びかからんとしている。
もし視線で人が殺せるなら、間違いなく血の雨が降っていた。
この殺伐とした空気に耐え切れず、俺は無作法に器を手にして一気に茶を喉の奥へと流し込む。
……苦い。
さすがにむせるような失態は犯さなかったものの、喉を通る液体をゆっくりと味わうような余裕は無い。作法も何も無い姿だったと思われる。まだこれが和やかな雰囲気であれば教えを請い、それを切っ掛けとして雑談に花を咲かせるという未来もあったろう。だが、それをする気は到底起きなかった。
この気持ちは馬路 長正もそう変わらないと思う。
今更ながら「すぐ終わるから少し話がしたい」という三好 長慶の言葉に乗せられた俺の馬鹿さ加減に後悔をする。細川 氏綱殿との謁見では三好宗家の家中でただ一人違った反応を見せていたためか、「もしかすると話が通じる相手なのでは」と期待したのがそもそもの間違いであった。
無言を貫く三好 長慶を今一度見る。その姿に変化は見られそうもない。
「それで三好殿、話というのは一体何でしょうか? 今の姿を見てもらえば分かる通り、私や隣の長正は田舎者なので作法の一つも身に着けておりません。茶を出すのが本題なら、帰らせてもらって良いでしょうか?」
結局の所、こうした喧嘩腰の対応を選択する俺自身の大人げなさに閉口をしてしまう。遠州細川家と三好宗家が対等であるなら、こちらが下手に出てすり寄るのは間違っている。ましてや今回は向こうから「話がある」と言ってきたのだ。こちらから話題を投げ掛けて場を盛り上げる必要はないという考えが根底にあった。
きっと必要以上に三好 長慶を警戒しているのだろう。自分の小ささを垣間見たような気がした。これでは嘲笑や罵倒を浴びせられても文句は言えまい。その時はその時で諦めよう、と思っていた矢先に事態は動く。
「ま、待たれよ、細川殿。此度細川殿と話をしたいと言ったのに嘘偽りはござらぬ。土佐では現在茶の栽培に力を入れていると聞き及んでおったゆえ、細川殿も茶の湯を愛す御仁だと儂が勝手に思っていただけだ。悪気があった訳ではない」
この臨機応変さに三好 長慶の真骨頂を見た気分となる。未だ流通量の少ない土佐茶の存在を知った上で平気で口実に使う。まるでこの場を茶の愛好者同士の交流の場として整えたかのような口ぶりであった。もしくは土佐茶の良さをこの場で語れとでも言いたいのだろうか? この対応なら多くの者が毒気を抜かれ、矛を収めそうである。
ただ俺から見れば、それは論点ずらしに過ぎない。
「……まずは私の質問に答えて頂けますでしょうか?」
「そ、そうであったな。三好宗家と遠州細川家が同盟を結べない誠の理由を教えてもらいたくて、この場を作ったのだ」
「申し訳ございません。三好殿の真意が掴みかねます。誠の理由? それよりも隣の方を見る限り、当家との同盟を望んでいるようには見えませんが」
「あくまでも儂一人の考えだ。両家は互いに協力できると考えておる。家臣達は納得せぬであろうがな」
驚いた。要は三好宗家と遠州細川家との同盟の下交渉としてこの場を作ったと言ってるのに等しい。例え家臣達の反対を押し切ってでも、三好 長慶本人だけは同盟に前向きのようだ。
確か細川 氏綱殿からは「背後を安全にしたい」という理由で話を振られたが、その時はあっさりと引き下げたのを覚えている。だというのに何故もう一度同盟の話をぶり返すのか? 順当に考えれば細川 晴元や近江六角家以上にもっと厄介な敵がいるため、何としてでも同盟をしたいとなるが、そんな厄介な敵がいるのだろうか?
……あったな。一つだけ。
「ああ、なるほど。周防大内家の動きを警戒しているのですね。上洛が実現すれば、三好宗家が最初の標的にされかねない。そうなった時のために味方が欲しい、そんな所でしょうか」
「…………」
「沈黙は肯定と捉えさせて頂きます。そうであるなら当家との同盟よりも、朝廷工作や公方様との和睦、それと細川 氏綱様を通じて出雲尼子家に周防大内家への牽制を働きかければ良いのではないでしょうか?」
「それは既に行っておる。それにな……昨年末より周防大内家と出雲尼子家の和睦交渉が始まっておるのだ。それも多くの公家が山口に下向する熱の入りようでな」
「朝廷が周防大内家の上洛を望んでいるという事ですか。出雲尼子家も朝廷の肝入りとなれば冷ややかな対応はできませんね」
確かにここまで大きな話となれば、周防大内家の上洛が単なる噂と切り捨てられないのが分かる。上洛が始まって行動するのでは遅い。万が一そうなっても良いように事前に準備を進めるというのは必要不可欠だ。それも協力と敵対の二種類を想定した上で、どちらに転んでも最悪の事態とならないようにする。リスクヘッジの考え方そのものである。
またこの周防大内家を取り巻く環境を見ると、遠州細川家が中央からの横槍無しで土佐統一できた理由が分かった。九条 稙通との交渉が物別れに終わってもその後に音沙汰もない。これにずっと違和感を感じていた。次は朝廷を動かしてくるのではないかと想定をしていた。
そんな展開にならなかったのは、もっと大事な案件が水面下で動いていたからだ。これに尽きる。ある意味俺達は幸運だったかもしれない。
翻って三好宗家の立場から見ればどうだ。折角京を押さえたとしても、今度は周防大内家の脅威に怯えながら細川 晴元と戦わなければならない。ここまで来れば細川 晴元との争いなど二の次である。現状最も必要なのは周防大内家への対策だ。そうであるなら、嫌な相手とでも手を結ばなければならない。そんな所だろう。
江口の戦いで大きな誤算があったとするなら、勝利後に三好宗家が京を押さえた点である。恐らく父三好 元長の役職を引き継ごうとして押さえたのだと思うが、それが原因で対周防大内家の矢面に立つ羽目となった。貧乏くじ以外の何者でもない。
三好 長慶の運の無さに笑ってしまいそうである。これは絶対に胃に大きな負担が掛かるだろう。
「そこまで分かるなら細川 氏綱様を助けるためだと思って、両家の同盟を真剣に考えてくれぬか」
「残念ながら答えは否です。周防大内家が細川 晴元と協力するという確証がありません。当家は氏綱派として動いているに過ぎないからです。要は周防大内家と敵対しなければ良いだけではないのですか? 公方様と和睦すれば状況は劇的に変わるでしょうし、それが駄目でも……いや、これは現実的でないか」
「細川殿、笑わぬから最後まで話してくれぬか?」
「分かりました。現実的な話ではないので、参考程度に考えて下さい。それは阿波国にいる足利 義維様の擁立です。 とは言え足利 義維様を新たな公方にするには、現公方様を完全に失脚させる必要があります。つまりは庇護者となっている近江六角家と全面対決して打ち破らなければなりません」
その上で新たな幕府組織も作る必要もある。もっと言えば、朝廷だけではなく全国の大名達に足利 義維政権を認めさせなければならない。前公方である足利 義晴は近江国に逃れている間も政務を続けて正統性をアピールし続けた。 この前例から、現状で足利 義維を新公方にしようと考えても、それは通らないというのが分かる。
いっそ現公方を殺してしまえば足利 義維を公方に据えるのはできるだろうが、そうなれば間違いなく周防大内家と三好宗家は敵対する。当然ながらこの案は却下だ。
「そ、それは確かに難しいな……」
「それ以前の話として、上洛は思い付きで実行できるものではありません。朝廷まで後押ししているとなれば、早い段階から前公方様もこの計画に噛んでいると見て間違いないでしょう。幾ら足利 義維様が周防大内家の娘と婚姻しているとは言え、素直に現公方様と和睦するのが周防大内家対策としては現実的ですね」
「……」
他の対策としては、豊後大友家に牽制役を依頼するというのはどうか? そう考えていたが、豊後大友家は一月前の二月に二階崩れの変を起こし、前当主の大友 義鑑が大友家重臣達に暗殺されたと思い出す。
現当主である嫡男の大友 義鎮がこの暗殺劇の立役者かどうかは不明であるにしろ、円満とは言えない政権交代は領内に大きな不協和音を起こしているだろう。家臣の掌握ですら大変な状況だ。これでは外征など以ての外である。
改めて思うが、周防大内家の上洛への環境が整い過ぎている。西国事情に通じているなら、ここ二、三年の内には現実化すると考えても否定はできない。
「現時点では不確定要素が多過ぎて判断ができません。今この場で私が言えるのは、どのような状況であろうと氏綱派として動く。それだけですね。仮に周防大内家が上洛して細川 晴元と結託する事態が起こった際は、背後から襲撃すると約束をしましょう。それ以上は無理です」
「い、いや、それだけでも約束してくれるなら心強い。さすがは細川殿だ。恩に着る」
「何か勘違いしているようですのでもう一度釘を刺しておきましょう。例え対周防大内家では約束を交わしても、それ以外で余計な真似をすればこちらは黙っていません。それだけはお忘れなきように」
「き、貴様、黙っておれば調子に乗りおって! 当家の力があれば、五度遠州細川家を滅ぼす事もできるというのを忘れるな!」
「久秀止めよ」
「それはとても楽しみです。こちらは万全のお持て成しで三好宗家を迎えたいと思います」
こうして三好 長慶との会談は終わりを告げる。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「では婿殿、途中まで一緒に帰るか」
「義父上、待っていてくれたのですか。ありがとうございます。是非御一緒させて頂きます」
結局俺達はほぼ逃げるような形で中島城を出た。
売り言葉に買い言葉、お互いが挑発し合い収拾が付かなくなったのだから、こうなるのも当然である。三好 長慶が何とか松永 久秀を宥めて落ち着かせようとしてくれたが、俺の言葉が気に障ったのか暴言が止まらなくなる事態へ発展したのはお約束と言えるだろう。
そうなれば黙っていられないのが馬路 長正だ。諸肌を脱いで一言「表へ出ろ」と言う。その瞬間、我に返った俺が急いで口を塞ぎ、長正を抱えるようにして部屋から出た。
待機していた皆と合流したのはその後すぐ。俺が放った「撤収」という言葉に何かを感じ取ったのか、迅速な動きで支度を整える。
城を飛び出し全力疾走した先に出くわしたのが、義父という流れであった。
完全武装の兵を周りにしっかりと配置しながらも、涼しい顔で気安く声を掛けてくる所が何とも言えない。始めからこうなるとでも分かっていたかのような行動である。
釈然とはしないが、今は義父の好意を素直に受け取っておこう。ようやく一息つける。
「……どうであった?」
「どうしたんですか突然? ああっ、印象ですね。お会いするまでは血筋だけの方だと思ってましたが、なかなかどうして、度胸があるのには驚かされました」
「氏綱様の方ではない。三好殿の方だ。婿殿から見て信用できそうか?」
「そうですね。正直な所を言うと分かりません。ただ、本人の意思とは関わりなく、しばらくは氏綱派を続けざるを得ないでしょう」
「理由を聞いても良いか?」
「前公方様が中尾城を築いてしまいましたからね。明らかな対立姿勢です。これが続く間は鞍替えしようにも受け入れ先が無いと思われます」
「なるほどな。しばらくは京が主戦場となりそうか。三好殿のお手並み拝見するとしよう」
こういうのを自業自得と言うのかもしれない。同族の政敵を討ち果たした結果、そのツケを払わされる羽目となる。それがまだ旧主である細川 晴元だけなら良かったろう。しかし現実は公方も敵に回し、近江六角家も敵に回し、果ては周防大内家と強大な相手までいる。
何故三好 政長と和睦できなかったのかと今でも思う。そうすれば、こうして八方塞がりになる事も無かった筈だ。
とは言え三好 長慶は、史実通りであれば、これを何とかしてしまうのだから恐れ入る。
下手にちょっかいを出して関わるのはやぶ蛇だ。義父上の言う通り、俺達は外野席からの高みの見物が丁度良い。
「その通りですね。私は土佐で英気を養ってますよ。しばらくは統治に専念です」
「おっと忘れておった。婿殿は相変わらず人手不足であろう。今度人を送るゆえ、使ってやってくれぬか?」
「ありがとうございます。どんな者が来るか楽しみにしております」
だからと言って自分達が安泰だとは考えてもいない。むしろこの時代はここからが本番だ。世の中はより混沌へと向かっていく。舵取りは更に難しくなるだろう。そんな中で生き残らなければならない。
それでも俺達は事業を成し遂げた。一つは土佐の統一。そしてもう一つは細川 晴元政権の崩壊である。
亡くなった父上や兄上はどんな気持ちだろうか。よくやったと褒めてくれるだろうか。きっとお爺様なら諸手を挙げて喜びそうである。
反面一羽なら「ここからが大事だ」と、こんな時ほど調子に乗らないように釘を刺すだろう。一羽との約束は忘れてはいない。それを達成するまで手を緩めないと今一度固く誓う。
ああそうだ。これまで戦後の後始末の忙しさで、ずっと父上達には報告できていなかったと思い出す。土佐に戻ったら、まずは墓参りをしよう。きっと皆、俺が来るのを心待ちにしているに違いない。
何となくではあるが、墓前での報告を終えて、本当の意味での土佐統一になるような気がした。
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別の連載ものを書いてる最中にふと思いついて書いた1時間クオリティ。
長編予定にしていたけど、プロローグ的な部分を書いているつもりで、これだけでも短編として成り立つかなと、一先ずショートショートで投稿。長編化するなら、後半の国王・王妃とのあれこれは無くなる予定。
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