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五章 三好長慶の決断

黄色いマフラー

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 秋が過ぎ、ようやくやって来た戦の季節。この時をずっと待っていた。

 最早土佐一条家は単独の力では遠州細川家に敵わない。だと言うのに使者が強気だったのは、負けないという十分な根拠があったからだ。

 例えば周防大内家。七カ国を支配する西日本最大の勢力とも言われ、現時点では天下取りに最も近い大大名である。第一次月山富田城の戦いでは敗北し、土佐一条家から養子入りした大内 晴持おおうちはるもちが討ち死にしたという不幸がありながらも、両家は今も交流が続いている。

 例えば九州は豊後大友家。鎌倉時代より続く名家であり、三カ国を支配するこれもまた大大名である。その力は周防大内家に引けを取らない。土佐一条家現当主である一条 房基いちじょうふさもとは豊後大友家と婚姻を結んでいる。

 もう一つは南予西園寺なんよさいおんじ家。土佐一条家とは争っている間柄ではあっても、実は南予西園寺家の家臣の何名かは土佐一条家の家臣の息子を養子に迎えている。また、法華津ほっけつ氏は南予西園寺家に従いながらも、土佐一条家からも領地をもらっていた。

 この事実から分かる通り、土佐一条家には土佐より外に心強い味方がいる。いざ鎌倉となれば援軍を呼ぶのも可能だ。これが使者の強気に繋がっていた。

 ──ただ残念ながら、それも今は昔となる。

 周防大内家は以前より上洛の噂が囁かれている。その前準備として、天文一八年 (一五四九年)である今年には備後びんご国をほぼ制圧し、もうすぐ石見いわみ国へも完全掌握を目指して侵攻するとの話だ。

 また、豊後大友家はお家騒動で家中が真っ二つに割れている。現当主とその嫡男との争いだ。どちらが勝つにしろ、悲劇的な末路が待っているのはほぼ間違いない。

 つまり、土佐一条家が頼りとする三家の内二家は、援軍を派遣するような余裕が無いのが実情だ。現時点では辛うじて南予西園寺家の一部が援軍に加わるのみであろう。

 この状況を戦の季節と言わず、何と言い表せば良いか。これ以上ない機が巡ってきたと言えよう。

 さて、頼みの綱の当てが外れた土佐一条家がどう藻掻くか? 

 須崎港に当家の水軍が集結するまで後三日。あれだけ強気な態度を見せたのだ。どんな切り札が待っているか今から楽しみである。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「へぇ、随分と揃えたもんだな。小早ばかりだが、こう数が多いと厄介かもしれないか。……って、ちょっと待て! 掲げられている旗のあの分かり易い『上』の字の家紋はもしかして……」

「申し上げます。敵船は小早を中心としたおよそ四〇〇。総大将は能島村上家の模様!」

「……やっぱり。あの家紋を見間違える筈がないよな。あっ、報告ご苦労様。何かあればまた伝えてくれ」

「はっ!」

 天文一八年 (一五四九年)一一月中旬、俺は船上の人となっていた。目的は土佐一条家の本拠地である中村御所への攻撃である。

 その足掛かりとして、土佐一条家の外港の一つである下田しもだ港を接収する。この下田港から中村御所まで一〇キロメートルも離れていない。そうなれば俺達の勝ちは同然と言えよう。敵が地の利を生かそうと市街地での決戦を望んだとしても、こちらにはその気がない。都市制圧を目的としていないのだから、やりたい放題である。

 その形を作り出そうと、もう一つの仕掛けとして窪川城からは安芸 左京進を総大将とした別動隊を進軍させて背後から突く形とした。敵が部隊を分けて各個撃破される愚を犯さないようにとの配慮である。俺達はとても優しい。

 とは言え、その優しさが相手には伝わっていなかったようで……いや、そうそう目論見通りとはならないというだけであろう。楽に下田港を接収とはならず、とても残念である。

 もしかしたら、近海を荒らして土佐一条の水軍である加久見家には大きな損害を与えたのが逆に仇となったかもしれない。

「それにしても周防大内家にまだこれだけの余力があったとはな。さすがは西国一の大大名と言った所か」

「いえ国虎様、村上水軍の帰属先は河野本宗家です。自らの腹を痛めないで済むからこその援軍かと思われます」

「あくまでも周防大内家は動かずか。……っと、それはそうと海部殿、こちらの船にいて大丈夫なのですか?」

「問題無いでしょう。むしろ私が旗艦であるこの君沢型に乗船している方が何かと都合が良い筈です。指揮は惟宗殿に任せて我等はゆるりとしましょう」

「確かに。海賊の相手は大海賊に任せるのが吉か。楽しく見物させてもらうとするか」

 前回の戦に続き、今回も海部家との合同作戦となった。違っているのは、海部 友光殿は今回指揮権を惟宗 国長に完全に預けて物見遊山のようになっている点であろう。海部殿としては前回の安易な合同作戦には懲りたようで、静観に徹するのだとか。自身は乱戦に発展するまで出番は無いと言い切っている。「船頭多くして船山に登る」の格言にならないようにとの配慮であった。

 長く佐賀港近海や下田港近海を二人で荒らしていた背景には、いずれ訪れる合同作戦を見越しての共同演習の側面もあったらしい。その成果が戦真っただ中での酒盛りというのだから恐れ入る。

「それにしても幾ら最小の大きさである小早とは言え、こう数が揃うと厄介ですね。数で言えば遠州細川方はその半分以下ですから。その分こちらはより大きな関船や君沢型が多くあるのをどう生かすか。そんな所でしょう」

「へぇ。海部殿、見てくれ。敵は三角形の形、恐らく魚鱗の備えのようだ。小早の機動力を最大限に生かすつもりだな。一気に押し込むらしい」

「対するこちらは……横陣ですかね。まあ、船の種類も大きさもまちまちですし、両家の連携もまだそれほど練度が高くないのですから、妥当な所でしょう」

「その通りだな。こうなると取り付かれたら負けが確定するかもな。それをどう回避するかが国長の腕の見せ所か。うん、分かり易くて良い」

 保護している村上 義益から聞いた話では、村上水軍は海の上だというのに平気で陸上戦と同じ感覚での陣形を組めるらしい。それが今回の魚鱗の備えとなる。しかも能島村上単独ではなく、因島いんのしま村上や来島くるしま村上、法華津を含む他家との合同であっても、平然とそれを行うのが恐ろしい。

 片やこちらは精々縦列陣や横陣が関の山である。海部家との合同というのも理由ではあるが、海の上では陸上よりも統率するのが難しいというのが最も大きな理由となる。そうなれば陣は自然と単純化したものになるというもの。複雑な陣形を組んだ所で維持できないのなら何の意味も無いからだ。下手をすると船同士をぶつけてしまい、自壊の恐れすらある。

 この点だけを採っても村上水軍の強さを垣間見たような気がした。

 加えて村上水軍は火器も使用する。分かり易いのは船首に取り付けた砲であろう。木砲や竹砲が多いと聞くが、快速の小早に取り付けられたそれが一斉発射された際の脅威に、初見で対処するのはかなり難しい。当たる当たらないを抜きにして、後に続く弓での波状攻撃には素直に逃げて態勢を整えるのが正しい選択と言えるほどだ。

 そう、真面目に考えれば数、質共に明らかに不利であるために、今の俺達が村上水軍と渡り合うのは不可能に近い。

 それにも関わらず、惟宗 国長は至極当たり前に横陣での迎撃を選んだ。

「国虎様、何呑気な事言ってるんですか。せめて杉谷隊の指揮はしてくださいよ! この戦は初撃が要です。外したら元も子も無い事くらい分かるでしょう」

「いんや。餅は餅屋だ。海戦は全て国長に任せる。好きな時にぶっ放して良いぞ。ケツは俺が全て持ってやる。俺と海部殿の出番は乱戦までお預けだ。それまではゆっくりさせろ」

「……どうなっても知りませんよ」

「どうなるって、大海賊惟宗 国長様の率いる水軍だ。勝利以外の結果は考えられないだろう。そうじゃないのか?」 

 いつも通りとは言え、この土壇場においても出てくる軽口に閉口する。本当なら激励の一言でも掛けるのが正解だと分かってはいても、今の俺達にはこちらの方が似合っている。だからこそ、その流儀に合わせただけとも言えた。

 当家の誰もが知っている。自分達はもっと絶望的な状況でも勝ちを拾ってきた事を。それに比べれば今回の戦はとても可愛らしい。

 それが例え経験の殆ど無い水軍の海戦だとしても。それが例え天下の村上水軍相手だとしても。そして、指揮を行うのが総大将である俺ではないとしても。

 既に勝ちの方程式は解を導き出していた。

 不幸なのはそれを知らない敵のみである。自らの獰猛な牙で首を掻き切ろうとしている。

 きっと今の俺達ができるのは、正面から当たらないように少しでも角度をずらして側面を取ろうとする、回避行動が唯一だと考えているだろう。二倍以上の数の船は、まず正面から受け止め切れない。

 なら、まだるこっしい動きは選択しなくても良い。俺達の側面を一度通過して、背後を取るという堅実な艦隊行動などしなくとも勝てる。怯んだ相手には勢いで押し潰すのが最も効果が高いと言わんばかりに、俺達の行動に合わせるように軌道修正をして、最短距離でこちらに突撃を敢行しようとしていた。

 この判断が勝敗を決定付ける形となる。

 後少しで弓の距離という場面で先に遠州細川軍が動き出す。毎度お馴染み北川村弓兵部隊の一斉射撃が始まった。

 村上水軍から見れば射程外の長距離射撃である。こんな所まで届かないと馬鹿にするだろう。ましてや船の上からの攻撃だ。例え届いたとしても当たるとは考えていない筈。

 だが、こちらの弓は新土佐弓という新兵器だ。これまでの弓とは性能が段違いである。距離が一〇〇メートルを超えて離れている現状でも、難なく目標へと到達させていた。

 もう一つある。当家は先の戦いで遠州細川家は尾川城を陥落させた。この尾川城は土佐国内での弓の大家とも言われる近沢ちかざわ家の居城である。そんな彼らを降伏させ、現在は手中に収めている。

 とは言え、初対面がこれでは近沢家と友好的な関係が簡単に築ける訳がない。拳で殴っていう事を聞かせたのだ。信頼を得るには通常なら長い時間を必要とするだろう。

 しかし世の中というのは不思議なもので、例え殴り合いから始まった関係と言えども意外な出来事であっさりと和解する。その切っ掛けとなったのが新土佐弓であった。その性能の高さに一目惚れした近沢氏は、自分達もこれを使って武功を上げたいと頼み込んでくる。大逆転が起きてしまった。

 何が言いたいかというと、今の北川村弓兵部隊は、近沢家の加入によってこれまでより一段上の精鋭部隊へと進化する。そんな部隊の一斉斉射だ。例え足場の悪い船の上からだろうと、精度が大きく低下するという愚が起こる筈は無い。

 それを証明するかのように、猛烈な勢いで迫っていた村上水軍の動きが途端に停滞した。

 これで気を良くする国長ではない。手にした好機を逃さないと追撃を加える。

 出番がやって来たのは杉谷 善住坊の新居猛太部隊。村上水軍のお家芸を奪う勢いで、これもまた一斉発射を繰り返す。

 手にするのはアメリカ軍に制式採用されたM79 グレネードランチャーを模した「新居猛太改」。いつも通り種子島銃の魔改造砲である。発射するのはこれまでの疑似榴弾ではなく、遠江国相良油田の場所より手に入れた軽質油に増粘剤である石鹸を加えた「低性能ナパーム弾」。それが山なりの弾道を描いて放出され、船に激突して、空中で、はたまた海水の表面で派手に爆発する。

「たーまやー。……ってあれ、思ったよりしょぼいな。まあ仕方ない。鉱物石鹸使った訳でもなく、四〇ミリだしな。黒色火薬ではそもそも燃焼効率が悪いか。下瀬火薬辺りを使わなければ派手な爆発は無理そうだな。残念」

「……国虎様……今のは?」

「面白いだろう。今回のビックリドッキリメカだ。本当は中村の町を焼くのに披露する予定だったんだが、それが前倒しになった。白煙が多くて効果は分かり辛いが、ほらっ、良く見てくれ。火が消えてない。水では消えない火だから、ここからがお楽しみになる」

「…………敵対した村上水軍に同情します」

 広範囲に白煙が広がったかと思うと、遅れて赤い炎が巻き上がる。所により水しぶきが上がる。だが、本当に重要なのはそれ以外の部分だ。爆発し、四散した破片と燃え盛る火種を敵船団へと運んだ。火種がまだ粒子化した飛沫であったなら被害も軽微にはなるであろう。ここで増粘剤が活躍する。飛沫を塊へと変え、簡単には消せない火へと変えてしまう。

 これにより爆発点から逃れた周囲にも、大量の火矢が突き刺さったかのような二次被害が発生していた。

 それも、湧き上がる黒煙を敵船員がやり過ごそうとしていた中での出来事である。

 勿論、これまで通り爆発と飛び散った破片だけでも十分に厄介だ。さぞや爆発の中心点では悲鳴が起こっているだろう。それで気を引き本命は後からやって来る。大火災の時間まであと少し。

 ここで手を緩める国長ではない。火災に目を向けさせないために、弓部隊が更なる追撃射撃を加える。そうかと思うと、杉谷隊による「低性能ナパーム弾」も続けとばかりに災害を撒き散らす。容赦の無い攻撃が続いた。

「あっ……敵の一部が爆発した。火薬に引火したか。これも火器を使用する宿命だな。ああはなりたくないものだ」

「く、国虎様! この炎の中に突撃を仕掛けるこちらの船団がいるのですが……えっ、村上水軍? 誠ですか?」 

「海部殿、真の村上水軍は既に当家の手の中にある。実はあの村上水軍は偽物でな。よく見れば敵は黄色いマフラーをしているのが分かるだろう? それが偽物の証拠だな」

「……『まふらー』とは一体何でしょうか?」

「いや……何でもない」 

 勝負を決めに掛かったのは分かるが、まさかとしか言いようがない。命令を出す方も出す方だが、受ける方も受ける方だ。敵が混乱状態になっているこの機に乗じて、炎の中に喜んで突っ込む馬鹿がいた。

 ……しかも速い。

 ガレー船である小早は小さい分船速度が出るとしても、これだけの速度はそう出ない。ざっと見て、通常の二倍近く出ているのではないか? 元柳生 宗直が当主となった新生村上水軍ならではの特徴と言えるだろう。特化型に仕上げた。圧倒的な速度で近寄り強襲を仕掛ける。ただそれだけ。しかしこの単純さ、いや無鉄砲さが敵を壊滅へと追い込む最後の一手になるのは違いない。

 願わくば村上 宗直が敵大将の首を取らん事を。そして新生村上水軍の名が周辺に鳴り響かん事を。

 気が付けば今日のこの日は新生村上水軍の鮮烈なデビュー戦へと様変わりしていた。これまでの全てがそのお膳立てと変化する。とは言え、このままなら遠州細川家の圧倒的な勝利となるのは確実だ。ならば変に水を差すよりも、素直に皆で喜んだ方が良いというもの。

 さすがは大海賊様だ。随分と粋な真似をする。
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