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五章 三好長慶の決断
米泥棒と二〇年
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土佐一条家との最終決戦が刻一刻と近付いている。
最早和睦という選択肢は無いとは言え、こちらも皆殺しにしなければ納得しないという訳ではない。降伏してくれるなら振り上げた拳を戻すつもりだ。
しかし、ここで問題となるのがその条件である。
少しでも平和的な解決を求めるなら、温情あるものが必須と言えよう。厳しい条件を突きつければ、最悪の事態を招きかねない。
そんな思いで家臣達と喧々諤々の議論を繰り返す。
時には殴り合いの一歩手前になる事態すら起こるも、土佐一条家のため、ひいては幡多郡の民のためとなる条件がようやく纏まる。
そして清書を終えた谷 忠澄が、俺にサインとも言える花押を求めて書状を手渡してきた。
ただ、何故か忠澄は、この内容に納得していないようで渋面を作ったままで、表情を戻そうともしない。
「国虎様、この内容で本当によろしいのですか? これではどう考えても戦を望んでいないとは言えないと思いますが……」
「そうか? 俺としては随分と優しい内容だと思うぞ。首を一切望んでいない所がその辺の山猿とは違うとは思わないか? 忠澄なら評価してくれると思っただけに、少し残念だな」
「その点は素晴らしいと思うのですが、この『家臣団全員追放』は受け入れられないのではないでしょうか?」
「まあ、そうなるな」
「でしたら何ゆえですか? この書状を土佐一条家の者が見れば、まず従えないと思います」
「評定では土佐一条家に恨みのある中平 元忠を宥めるのに必死だったからな。その心情に配慮した決定に映ってしまったか」
土佐一条家は武家ではない。その辺を加味して鉢屋衆の報告だけでは土佐一条家を把握できないと、元津野家筆頭家老の中平 元忠に参加を呼び掛けた。津野家は土佐一条家の傘下であったという経験から、その内実まで知っているだろうとの判断である。だが、残念な事に今回はそれが裏目に出た形となる。
吐き出すのは土佐一条家への罵詈雑言ばかり。最後には根切りにしてくれとまで言い出す始末。お陰で普段血の気の多い家臣達が、逆に中平 元忠を諭す一幕まで起こっていた程だ。とても珍しい光景である。
今回の内容はそんな中で決まった内容であったからか、忠澄は不満を隠そうともしていない。
俺としては「土佐一条家及びその家臣も含めて関係者全員追放」の一点というのは、とても分かり易い上に温情ある措置だと思っている。とは言え忠澄には、そう感じられないのだとか。
「百歩譲って追放措置が温情ある条件だとしても、幡多郡の統治に人手が足りません。このまま占領すれば支障をきたすのではないでしょうか? それに、当家は土佐佐竹氏を既に俸禄払いにて召し抱えております。同じ土佐一条家の家臣を一方は召し抱えながら、残りは追放というのは不公平です。せめて召し抱える条件を付け加えるべきかと思われます」
「土佐佐竹氏、いや佐竹 義之の召し抱えは、中平 元忠が認めたという点が大きいな。直接戦った過去があるからか、信用できると判断したのだろう。特例に近いと思うぞ」
津野家、いや中平 元忠は約二〇年間土佐一条家と争っており、その中で佐竹 義之と最も多く槍を合わせたという。その戦いは立派なもので、福井 玄蕃とは比べ物にならないとの高評価であり、斬るには惜しいと言わしめた。それが召し抱えの決め手となる。
「ならば、中平殿の怨敵以外は召し抱えられるのではないでしょうか?」
「確かに十把一絡げで追放というのは良くない。忠澄の言い分は全て正しいな。ただ、今回ばかりは仕方ないと思って諦めてくれ。もう一人同席した下間 頼隆殿の話がその答えだ」
「それはどういった意味でしょうか?」
「よく考えろよ。正式な官位を持つ者や公家の家臣が、当家のような田舎武家で真面目に働くかどうかを。そうした者達が当家のやり方を一から学んで、見習いから始められるかどうかを」
「……それは、難しいと思います」
「そういう事だな。幡多郡は配置変更といつも通り僧侶や神官、名主辺りを掻き集めて何とかするさ。できれば商人も文官として召し抱えたい所だが、下間殿が言うには幡多郡には堺の商人が出入りしているらしいから、諦めるしかないと考えている」
今回下間 頼隆殿にも評定に参加してもらったのは、本願寺の交流の中に土佐一条家が含まれていたのが理由となる。事実、幡多郡には寺の建立とまでは行かないものの、それ未満となる道場は幾つかあるそうだ。新規開拓の地なのだという。
そんな下間殿の話を聞けば、俺も気付いていなかった点が次々と浮き彫りになる。中でも大事なのは、土佐一条家の家臣は公家の家臣だという点であった。
言葉だけを見ればこの事実は土佐一条家が公家である以上は至極当然であり、特筆すべき点は何ら見当たらない。
しかしこの事実が、いざ土佐一条家を降そうとした時点で大きな障害になるのが分かる。
そう、武家が公家の家臣を召し抱えるのだ。価値観も生活も組織も何もかもが違う、別人種とも言える者達を召し抱える。果たしてそれで何の問題も起きないと言えるだろうか。
まず無理だ。例えるなら、田舎の土建屋が都会のアパレル企業を買い取るようなものである。
まだ末端の従業員は生活があるから融通は利くだろう。しかし、幹部や管理職が土建屋の命令を素直に聞くだろうか? そして土建屋側が自分達のこれまで通りのやり方をアパレル側の幹部や管理職に順守させられるだろうか?
考えるだけ無駄と言える。そんな苦労をして人を教育するくらいなら、何色にも染まっていない新人に一から教える方が遥かに容易い。
しかもだ。土佐一条家は幡多郡を実効支配するために、その地に居た地域の豪族に官位をばら撒いて懐柔を行ったという。この点から、土佐一条家の家臣には正式な官位持ちがゴロゴロ居ると考えた方が良い。
遠州細川家の者は俺も含めて基本的に無冠である。自称はあるが正式なものはほぼ無い。例外として畿内から流れて来た者達が一部正式な官位を持つくらいである。
結果、家臣団全員追放は互いの幸せのためには最も有効な手段と言えるだろう。
こうした前提を無視して召し抱えてしまえば、俺達との間に確執が生じて問題を起こすのは時間の問題だと言える。その結果待っているのは互いの不幸だけである。
そういった意味で、今回の決定はとても温情あるものとなる。
とは言え、中には因縁や立場を水に流して遠州細川家で働きたいという者もいるのではないか。そうした者達のために、きちんと抜け道は用意している。
それは、そう難しい方法ではない。出家や帰農さえすれば全てが丸く収まる。当家が農家出身だろうと拘らずに人を雇っているのが抜け道となる理由だろう。一度立場を捨てた者でも、持っている技能を生かせる場所は当家なら幾らでもある。
結局の所、いつもの話だ。自らの保身に拘る人材は必要無いし、一から再出発をしても良いという人材は受け入れる。ただそれだけの話であった。
「木材の売り上げで中村の町が栄えていると言っても、土佐一条家の統治には構造的な欠陥があるからな。それを正すには大鉈を振るうしかないのが実情だ。どんな無茶をした所で、幡多郡の民もこれまで以上の生活ができるようになるなら文句も言わないさ」
「それを堂々と言える国虎様は変だと思います」
「そうか」
「そうですよ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
案の定土佐一条家は抗議の使者を送り込んでくる。
これまで散々に使者を無視した挙句に送り付けた書状が、あの降伏勧告だ。詫びの一言も書かない非礼さに怒り心頭となる気持ちは分かる。
ただそれは土佐一条側も似たようなものなので、お互い様であった。
遠州細川家は、義父のとばっちりを受けた形ではあるが、現時点で京の洛中への出入りが事実上禁止されている。そうした京の一条家との確執は無視して、ただ自らの既得権益を死守するために和睦をごり押ししてくる姿勢は厚顔無恥そのものと言えよう。
土佐一条家は責任転嫁をするのが得意なのか? まるで京の一条本家との因縁は、当事者間で解決しろとでも言いだけである。
そうであるなら話は早い。無関係な土佐一条家はこれで心置きなく壊滅させられる。今では当家の家臣として働いている津野家、特に中平 元忠の面目を取り戻すにはまたとない機会であろう。使者が武家を下に見る馬鹿な公家のお陰でこちらの方針が決まった。
俺が使者に対して改めて正式な宣戦布告を告げると、途端に顔を青ざめながら言い訳を繰り返すがもう遅い。賽は投げられたとばかりに速攻で追い返した。
こうなるのは初めから決まっていたとしか言いようがない結末である。
今にして思えば、俺も中平 元忠の言葉に気持ちが動いてしまったのかもしれない。それ位あの評定での内容は衝撃的であった。
津野家と土佐一条家の因縁、いや争いの切っ掛けというのは、この時代どこにでも転がっているような内容である。一種の小競り合いに近い。土佐七雄の一つとそれを上回る勢力との二〇年もの戦いの始まりには似合わない事件である。
──それは年貢米の横領、平たく言えば米泥棒であった。犯人は土佐一条家の者、被害者は津野家となる。
ただ、戦というものは生ものである。いつ予期せぬ事態に発展するか分からない。
その予期せぬ事態が津野家に降りかかった。
この時代において、土佐においては食料はとても大事である。ましてや奪われたのは年貢米だ。次に手に入るのは最悪一年後となる。奪われたまま泣き寝入りすれば面目に関わるのは勿論だが、津野家の実生活に悪影響が生じてしまいかねない。
そんな事態を放置してはならないと、当時の津野家当主である津野 元実が軍勢を率いて取り返そうとするのは自然な行動と言えよう。
しかし、ここで不幸な事件が起きる。年貢米を横領した土佐一条家の家臣が津野 元実を打ち破り敗死させた。
まだここで罪を認めて素直に謝り、盗んだ年貢米を返却したのであれば可愛げもあったろう。だが現実はそうならない。盗人猛々しくも居直り、あまつさえ逆撃して人まで殺す。更に罪を重ねた。
気を良くした土佐一条家の家臣は兵を率いて今度は津野領へ侵攻。当主不在の隙に荒らし回ろうと画策した。ここでまたもや罪を犯す。
この事態に怒らない方がどうかしている。中平 元忠はすぐさま兵を率いて反撃に転じ、侵攻してきた土佐一条軍を壊滅させたという。中平 元忠の行動は、何ら間違っていない。
問題があるとすれば、この後の行動だったのだろう。津野軍は土佐一条領に逆侵攻を行う。奪われ、殺され、荒らされたのだ。その貸しを返してもらおうと報復行動に出るのも何ら間違っていない。武士の面目に掛けて泣き寝入りができなかったのだろう。
ただ、津野軍の行動を素直に許す土佐一条家ではない。敵の侵攻に対処するべく軍を派遣する。こうして津野家と土佐一条家の二〇年にも渡る長い長い戦いが始まったのだという。
結果は津野家の降伏という形で幕を閉じる形となったが……。
ある程度の誇張があるとは言え、呆れ返る顛末である。
まだ中平 元忠の気持ちは分かる。犯罪者に主君を殺され、領内を荒らされたのだ。通さなければならない意地もあるだろう。簡単に膝を屈しれば、討ち死にした主君に申し訳が立たないと二〇年争い続けたのだと思う。
翻って土佐一条家の方はどうだ。犯罪を重ねた家臣の言い分を疑いもせず信用して、長年だらだらと戦を続ける。それ自体に何の疑問を持たなかったのか?
勿論、戦と言っても年中無休でしていた訳ではない。その間何度も停戦を繰り返したろう。規模も小競り合いに毛が生えた程度なのも想像がつく。
それを分かった上でも、こんな無駄な争いを二〇年の長きに渡って続けた土佐一条家首脳陣のやり方に不満を覚える。最終的に勝ったから良いものの、負けてしまった場合は滅亡一歩手前に追い込まれた可能性が高い。
結果として須崎港という重要拠点を手にしたのは分かる。だが、それを得るまでに垂れ流した戦費をどう回収するつもりか。戦をしている期間、民の負担はどれ程大きいものであったろうか? 何故途中で和睦できなかったのか? 同じ津野家を攻略するにしても、他にやりようは幾らでもある。
これがまだ当時の当主がボンクラであったとするなら話は別だ。しかし悲しいかな、津野家との争いの最中に土佐一条家は当主が二人交代している。ほぼ間違いなく土佐一条家には構造的な欠陥があるとしか言えない。
最前線の家臣が勝手な行いをして、家の方針さえも決めさせてしまう。途中修正さえできない。これのどこが直接統治か。表面上そう見えるだけで実態は違う。都合良く使われているのが実情と言わんばかりの事例である。
土佐一条家の連中は揃いも揃って馬鹿ばかりだ。
今回使者と会って確信した。今回の降伏条件は何ら間違っていないと。最初は温情の意味が込められていたが、今では単純に「こんな奴等要らない」という気持ちとなる。
これは一度中村の町を禊として燃やさなければならない。汚物は消毒するに限る。
俺はこれまで好き好んで戦をしていた訳ではなかったが、今回だけは言える。素直に土佐一条家を完膚なきまでに打ち倒したいと。使者よありがとう。お陰で久々にワクワクする日がやって来たと。
今は駿河今川家に送り出した杉谷 与藤次の連絡が待ち遠しい。ただそれだけであった。
最早和睦という選択肢は無いとは言え、こちらも皆殺しにしなければ納得しないという訳ではない。降伏してくれるなら振り上げた拳を戻すつもりだ。
しかし、ここで問題となるのがその条件である。
少しでも平和的な解決を求めるなら、温情あるものが必須と言えよう。厳しい条件を突きつければ、最悪の事態を招きかねない。
そんな思いで家臣達と喧々諤々の議論を繰り返す。
時には殴り合いの一歩手前になる事態すら起こるも、土佐一条家のため、ひいては幡多郡の民のためとなる条件がようやく纏まる。
そして清書を終えた谷 忠澄が、俺にサインとも言える花押を求めて書状を手渡してきた。
ただ、何故か忠澄は、この内容に納得していないようで渋面を作ったままで、表情を戻そうともしない。
「国虎様、この内容で本当によろしいのですか? これではどう考えても戦を望んでいないとは言えないと思いますが……」
「そうか? 俺としては随分と優しい内容だと思うぞ。首を一切望んでいない所がその辺の山猿とは違うとは思わないか? 忠澄なら評価してくれると思っただけに、少し残念だな」
「その点は素晴らしいと思うのですが、この『家臣団全員追放』は受け入れられないのではないでしょうか?」
「まあ、そうなるな」
「でしたら何ゆえですか? この書状を土佐一条家の者が見れば、まず従えないと思います」
「評定では土佐一条家に恨みのある中平 元忠を宥めるのに必死だったからな。その心情に配慮した決定に映ってしまったか」
土佐一条家は武家ではない。その辺を加味して鉢屋衆の報告だけでは土佐一条家を把握できないと、元津野家筆頭家老の中平 元忠に参加を呼び掛けた。津野家は土佐一条家の傘下であったという経験から、その内実まで知っているだろうとの判断である。だが、残念な事に今回はそれが裏目に出た形となる。
吐き出すのは土佐一条家への罵詈雑言ばかり。最後には根切りにしてくれとまで言い出す始末。お陰で普段血の気の多い家臣達が、逆に中平 元忠を諭す一幕まで起こっていた程だ。とても珍しい光景である。
今回の内容はそんな中で決まった内容であったからか、忠澄は不満を隠そうともしていない。
俺としては「土佐一条家及びその家臣も含めて関係者全員追放」の一点というのは、とても分かり易い上に温情ある措置だと思っている。とは言え忠澄には、そう感じられないのだとか。
「百歩譲って追放措置が温情ある条件だとしても、幡多郡の統治に人手が足りません。このまま占領すれば支障をきたすのではないでしょうか? それに、当家は土佐佐竹氏を既に俸禄払いにて召し抱えております。同じ土佐一条家の家臣を一方は召し抱えながら、残りは追放というのは不公平です。せめて召し抱える条件を付け加えるべきかと思われます」
「土佐佐竹氏、いや佐竹 義之の召し抱えは、中平 元忠が認めたという点が大きいな。直接戦った過去があるからか、信用できると判断したのだろう。特例に近いと思うぞ」
津野家、いや中平 元忠は約二〇年間土佐一条家と争っており、その中で佐竹 義之と最も多く槍を合わせたという。その戦いは立派なもので、福井 玄蕃とは比べ物にならないとの高評価であり、斬るには惜しいと言わしめた。それが召し抱えの決め手となる。
「ならば、中平殿の怨敵以外は召し抱えられるのではないでしょうか?」
「確かに十把一絡げで追放というのは良くない。忠澄の言い分は全て正しいな。ただ、今回ばかりは仕方ないと思って諦めてくれ。もう一人同席した下間 頼隆殿の話がその答えだ」
「それはどういった意味でしょうか?」
「よく考えろよ。正式な官位を持つ者や公家の家臣が、当家のような田舎武家で真面目に働くかどうかを。そうした者達が当家のやり方を一から学んで、見習いから始められるかどうかを」
「……それは、難しいと思います」
「そういう事だな。幡多郡は配置変更といつも通り僧侶や神官、名主辺りを掻き集めて何とかするさ。できれば商人も文官として召し抱えたい所だが、下間殿が言うには幡多郡には堺の商人が出入りしているらしいから、諦めるしかないと考えている」
今回下間 頼隆殿にも評定に参加してもらったのは、本願寺の交流の中に土佐一条家が含まれていたのが理由となる。事実、幡多郡には寺の建立とまでは行かないものの、それ未満となる道場は幾つかあるそうだ。新規開拓の地なのだという。
そんな下間殿の話を聞けば、俺も気付いていなかった点が次々と浮き彫りになる。中でも大事なのは、土佐一条家の家臣は公家の家臣だという点であった。
言葉だけを見ればこの事実は土佐一条家が公家である以上は至極当然であり、特筆すべき点は何ら見当たらない。
しかしこの事実が、いざ土佐一条家を降そうとした時点で大きな障害になるのが分かる。
そう、武家が公家の家臣を召し抱えるのだ。価値観も生活も組織も何もかもが違う、別人種とも言える者達を召し抱える。果たしてそれで何の問題も起きないと言えるだろうか。
まず無理だ。例えるなら、田舎の土建屋が都会のアパレル企業を買い取るようなものである。
まだ末端の従業員は生活があるから融通は利くだろう。しかし、幹部や管理職が土建屋の命令を素直に聞くだろうか? そして土建屋側が自分達のこれまで通りのやり方をアパレル側の幹部や管理職に順守させられるだろうか?
考えるだけ無駄と言える。そんな苦労をして人を教育するくらいなら、何色にも染まっていない新人に一から教える方が遥かに容易い。
しかもだ。土佐一条家は幡多郡を実効支配するために、その地に居た地域の豪族に官位をばら撒いて懐柔を行ったという。この点から、土佐一条家の家臣には正式な官位持ちがゴロゴロ居ると考えた方が良い。
遠州細川家の者は俺も含めて基本的に無冠である。自称はあるが正式なものはほぼ無い。例外として畿内から流れて来た者達が一部正式な官位を持つくらいである。
結果、家臣団全員追放は互いの幸せのためには最も有効な手段と言えるだろう。
こうした前提を無視して召し抱えてしまえば、俺達との間に確執が生じて問題を起こすのは時間の問題だと言える。その結果待っているのは互いの不幸だけである。
そういった意味で、今回の決定はとても温情あるものとなる。
とは言え、中には因縁や立場を水に流して遠州細川家で働きたいという者もいるのではないか。そうした者達のために、きちんと抜け道は用意している。
それは、そう難しい方法ではない。出家や帰農さえすれば全てが丸く収まる。当家が農家出身だろうと拘らずに人を雇っているのが抜け道となる理由だろう。一度立場を捨てた者でも、持っている技能を生かせる場所は当家なら幾らでもある。
結局の所、いつもの話だ。自らの保身に拘る人材は必要無いし、一から再出発をしても良いという人材は受け入れる。ただそれだけの話であった。
「木材の売り上げで中村の町が栄えていると言っても、土佐一条家の統治には構造的な欠陥があるからな。それを正すには大鉈を振るうしかないのが実情だ。どんな無茶をした所で、幡多郡の民もこれまで以上の生活ができるようになるなら文句も言わないさ」
「それを堂々と言える国虎様は変だと思います」
「そうか」
「そうですよ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
案の定土佐一条家は抗議の使者を送り込んでくる。
これまで散々に使者を無視した挙句に送り付けた書状が、あの降伏勧告だ。詫びの一言も書かない非礼さに怒り心頭となる気持ちは分かる。
ただそれは土佐一条側も似たようなものなので、お互い様であった。
遠州細川家は、義父のとばっちりを受けた形ではあるが、現時点で京の洛中への出入りが事実上禁止されている。そうした京の一条家との確執は無視して、ただ自らの既得権益を死守するために和睦をごり押ししてくる姿勢は厚顔無恥そのものと言えよう。
土佐一条家は責任転嫁をするのが得意なのか? まるで京の一条本家との因縁は、当事者間で解決しろとでも言いだけである。
そうであるなら話は早い。無関係な土佐一条家はこれで心置きなく壊滅させられる。今では当家の家臣として働いている津野家、特に中平 元忠の面目を取り戻すにはまたとない機会であろう。使者が武家を下に見る馬鹿な公家のお陰でこちらの方針が決まった。
俺が使者に対して改めて正式な宣戦布告を告げると、途端に顔を青ざめながら言い訳を繰り返すがもう遅い。賽は投げられたとばかりに速攻で追い返した。
こうなるのは初めから決まっていたとしか言いようがない結末である。
今にして思えば、俺も中平 元忠の言葉に気持ちが動いてしまったのかもしれない。それ位あの評定での内容は衝撃的であった。
津野家と土佐一条家の因縁、いや争いの切っ掛けというのは、この時代どこにでも転がっているような内容である。一種の小競り合いに近い。土佐七雄の一つとそれを上回る勢力との二〇年もの戦いの始まりには似合わない事件である。
──それは年貢米の横領、平たく言えば米泥棒であった。犯人は土佐一条家の者、被害者は津野家となる。
ただ、戦というものは生ものである。いつ予期せぬ事態に発展するか分からない。
その予期せぬ事態が津野家に降りかかった。
この時代において、土佐においては食料はとても大事である。ましてや奪われたのは年貢米だ。次に手に入るのは最悪一年後となる。奪われたまま泣き寝入りすれば面目に関わるのは勿論だが、津野家の実生活に悪影響が生じてしまいかねない。
そんな事態を放置してはならないと、当時の津野家当主である津野 元実が軍勢を率いて取り返そうとするのは自然な行動と言えよう。
しかし、ここで不幸な事件が起きる。年貢米を横領した土佐一条家の家臣が津野 元実を打ち破り敗死させた。
まだここで罪を認めて素直に謝り、盗んだ年貢米を返却したのであれば可愛げもあったろう。だが現実はそうならない。盗人猛々しくも居直り、あまつさえ逆撃して人まで殺す。更に罪を重ねた。
気を良くした土佐一条家の家臣は兵を率いて今度は津野領へ侵攻。当主不在の隙に荒らし回ろうと画策した。ここでまたもや罪を犯す。
この事態に怒らない方がどうかしている。中平 元忠はすぐさま兵を率いて反撃に転じ、侵攻してきた土佐一条軍を壊滅させたという。中平 元忠の行動は、何ら間違っていない。
問題があるとすれば、この後の行動だったのだろう。津野軍は土佐一条領に逆侵攻を行う。奪われ、殺され、荒らされたのだ。その貸しを返してもらおうと報復行動に出るのも何ら間違っていない。武士の面目に掛けて泣き寝入りができなかったのだろう。
ただ、津野軍の行動を素直に許す土佐一条家ではない。敵の侵攻に対処するべく軍を派遣する。こうして津野家と土佐一条家の二〇年にも渡る長い長い戦いが始まったのだという。
結果は津野家の降伏という形で幕を閉じる形となったが……。
ある程度の誇張があるとは言え、呆れ返る顛末である。
まだ中平 元忠の気持ちは分かる。犯罪者に主君を殺され、領内を荒らされたのだ。通さなければならない意地もあるだろう。簡単に膝を屈しれば、討ち死にした主君に申し訳が立たないと二〇年争い続けたのだと思う。
翻って土佐一条家の方はどうだ。犯罪を重ねた家臣の言い分を疑いもせず信用して、長年だらだらと戦を続ける。それ自体に何の疑問を持たなかったのか?
勿論、戦と言っても年中無休でしていた訳ではない。その間何度も停戦を繰り返したろう。規模も小競り合いに毛が生えた程度なのも想像がつく。
それを分かった上でも、こんな無駄な争いを二〇年の長きに渡って続けた土佐一条家首脳陣のやり方に不満を覚える。最終的に勝ったから良いものの、負けてしまった場合は滅亡一歩手前に追い込まれた可能性が高い。
結果として須崎港という重要拠点を手にしたのは分かる。だが、それを得るまでに垂れ流した戦費をどう回収するつもりか。戦をしている期間、民の負担はどれ程大きいものであったろうか? 何故途中で和睦できなかったのか? 同じ津野家を攻略するにしても、他にやりようは幾らでもある。
これがまだ当時の当主がボンクラであったとするなら話は別だ。しかし悲しいかな、津野家との争いの最中に土佐一条家は当主が二人交代している。ほぼ間違いなく土佐一条家には構造的な欠陥があるとしか言えない。
最前線の家臣が勝手な行いをして、家の方針さえも決めさせてしまう。途中修正さえできない。これのどこが直接統治か。表面上そう見えるだけで実態は違う。都合良く使われているのが実情と言わんばかりの事例である。
土佐一条家の連中は揃いも揃って馬鹿ばかりだ。
今回使者と会って確信した。今回の降伏条件は何ら間違っていないと。最初は温情の意味が込められていたが、今では単純に「こんな奴等要らない」という気持ちとなる。
これは一度中村の町を禊として燃やさなければならない。汚物は消毒するに限る。
俺はこれまで好き好んで戦をしていた訳ではなかったが、今回だけは言える。素直に土佐一条家を完膚なきまでに打ち倒したいと。使者よありがとう。お陰で久々にワクワクする日がやって来たと。
今は駿河今川家に送り出した杉谷 与藤次の連絡が待ち遠しい。ただそれだけであった。
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青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
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