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五章 三好長慶の決断

もう一つの対筆頭家老戦

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「さすがは左京進だ。よく生きて戻ってきてくれた! お手柄だぞ。これで敵側の攻めに精彩が無くなり対処が楽になる。まずは傷の手当てを終わらせてからゆっくりと休め。その後は牽制のためにもう一度伏兵に戻ってもらう。多分もう襲撃は必要無いと思うが念のためだ。頼むぞ」

「はっ。かしこまりました」

 その日の夕刻、報告のために戻ってきた安芸 左京進の隊一一八名は皆ボロボロの状態ではありながらも、晴れやかな表情を俺に見せてくれる。相手は違えど昨日の雪辱を果たせたのが嬉しかったのだろう。中には立っているのもやっとという者も見かけたが、それでも目は輝いていた。

 決死隊一五〇名の内、半数以上が怪我をおしての志願だと聞かされた時には「もしかして死ぬつもりなのか」と疑ったものだが、その狙いは俺の予想とは違っていた。全ては名誉挽回の機会として、左京進が積極的に志願を促したのだという。この計算高さが左京進らしい。

 そうなれば志願した兵達の士気も高くなるというもの。結果として三〇余名の犠牲だけで敵本陣が一時的に機能不全を起こす成果を上げる。

 勿論、全て想定通りに運んだ訳ではない。一時は敵に取り囲まれ、全滅一歩手前となる状況にまで追い込まれる。それでも無事帰ってこれたのは、仲間を逃がすために喜んで犠牲になった名も無き兵の存在があったからだ。それが三〇余名の犠牲の正体であり、彼らこそがこの戦での真の勝利の立役者と言えよう。

 華々しい活躍だけが戦ではない。その裏には数多くの散っていった命がある。家族への補償の際には、その勇気を称えて立派な最期だったと伝えるつもりだ。後の事は俺達に任せて、安らかに眠って欲しい。

 また対精鋭兵との戦いも、練習無しのぶっつけ本番にしてはまずまずの成果であった。やはり柳生勢の剣術は本物であり、相手は津野軍の虎の子であろうと容易く葬り去る。護衛を務めるだけに、襲撃者を一瞬で無力化するのはお手のものであった。

 ただ、その後が良くない。敵と見るや手当たり次第に太刀を振り回す姿は、味方でさえも近寄るのを躊躇わさせる。血を見て興奮をしたのか、それとも退くという言葉を知らないのかは分からないが、連携を無視した突出には予想通りの孤立が待っていた。

 戦は一対一の勝負ではない。強い相手には複数で攻め立てれば倒せる。柳生勢相手に敵の精鋭は半包囲を選択し、牽制を交えながら少しずつ距離を詰めていく。このまま行けば柳生勢全滅という場面、後は一斉攻撃を行うだけという局面でとんでもない出来事が起こった。

 突然柳生勢全員が地面に倒れ伏したという。

 原因は後方にいた松山 重治率いる隊の槍による殴打であった。幾ら柳生勢の身体能力が高くとも、背後からの攻撃には回避など不可能である。柳生勢は瞬く間に膝を折るしかなかった。

 だがそうなれば、重治の隊と津野軍精鋭との間を邪魔する者はなくなる。重治はここぞとばかりに兵を押し出し、敵へと一斉攻撃を仕掛ける。精鋭と言えどもこの変則的な兵の入れ替えに対処は不可能だ。後方へと下がる以外の道は無くなる。

 かくして柳生勢は命からがら何とか救出されたという話であった。

 本来なら同士討ちはあってはならない。しかし、言っても分からない者には体で分からせる以外に助けられる方法は無いと判断したのだろう。その甲斐あってか柳生勢は死者を出さずに済む。終わり良ければ全て良し。後には激怒した柳生勢の猛抗議があったというが、それは戦場での笑い話のようなものだ。

 もう二度と味方から殴られたくないと懲りた柳生勢は、以後一撃離脱に専念するようになる。例え攻撃が浅く入ったとしても、追い打ちはしなくなったそうだ。

 無茶な方法ではあったが、あの土壇場でよくぞこの策を思いつき、躊躇無く実行できたものだと感心する。大金星の活躍と言えよう。

 こうして重治達が担当する左翼は、膠着状態を作り出して筆頭家老率いる部隊の足止めに成功する。その後は津野家本陣で立て続けに爆発が起き、弓兵隊がもう一つの敵部隊を追い返すという戦果を上げたために、中平 元忠の隊も大人しく引き下がった。

 どちらも一歩間違えれば失敗という綱渡りの戦いではあったが、終わってしまえば大成功である。この時点で俺達の負けがほぼ無くなった。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 戦場は七日目から様相が大きく変化する。

 変化と言ってもそれは津野軍側ではない。俺達遠州細川軍の側であった。全ての陣を引き払って城門を閉じ、蓮池城に引き籠る構えを見せる。

 前日の戦いの結果、中平 元忠がもう陣頭指揮をできなくなったと見たからこその策だ。こうなれば津野軍首脳陣は無理に力攻めを選択せずに、城を取り囲んでの持久戦に切り替えるだろうという読みである。兵数の多さを理由により敵を消極的にさせるのがその狙いだ。

 勿論、保険として安芸 左京進と松山 重治には伏兵を命じておく。兵数はどちらも一五〇と少ないが、筆頭家老が陣頭指揮に向かうようならば容赦なく本陣を突く構えを見せる。

 敵も当然夜襲や伏兵を警戒して捜索に当たるだろうが、それも狙いの一つだ。こちらは伏兵場所さえ発見されなければ良いだけであり、むしろ伏兵があると認識させるのは好都合と言えよう。中平 元忠は益々本陣から離れられなくなる。

 そうした仕掛けの上で、籠城組は士気の上がらない敵兵を射抜いていくだけの日々を過ごしていく。気を付けるのは城門を突破されないようにするのと、東の仁淀川を渡河させないくらいだ。既に兵糧攻めへと移行したのが見て取れる敵兵の動きはとても緩慢で、六日目までの一進一退の攻防が嘘であったかのような気の抜けた戦いへと変化した。

「国虎様、今日で戦を始めてから一二日目ですが、須崎港攻略組は一体何をしているのでしょうか? 未だ連絡を寄越さない所を見ると、上手く事が運んでいないのでしょうか?」

「一〇日は目安だからな。多少は遅れもするさ。それに俺達は今、敵に取り囲まれている。その中を掻い潜って連絡を寄越すのは至難の業だと思うぞ。無茶を言ってやるなよ。なあに水や食料、矢も焙烙玉も十分にある。津野軍も須崎港を落とされたと知れば、その内逃げ帰るさ。確か港から津野家本拠地の姫野々ひめのの城まで二里くらいだよな? 敵も本拠地まで落とされたくはないだろう」

 こうなると、こちらの兵の士気もどんどん下がるのは自然な流れだ。まだ敵と対峙している時はきちんと統率された動きを見せているものの、内側では皆が暇を持て余してだらけ切っている始末。毎日の楽しみが三度の食事くらいなのだから仕方ないとも言えるが、一日でも早く須崎港が落ちないかと待つ日々を過ごしていた。

 それもこれも籠城戦になった途端、俺が鎧を着るのを止めて城内の兵達と談笑ばかりしているのが一番の原因とも言えるので、誰も何も言えない。

「もしや別動隊は姫野々城まで攻めているから報せが来ないのではないでしょうか?」

「まさか。確かに禁止はしなかったが、津野家の本拠地だぞ? 幾ら馬路党でも火器無しではそう簡単には落とせないさ。無茶はしないだろうよ。大方須崎港近くの城が降らず、徹底抗戦しているから時間が掛かっているだけだと思うけどな」

 特に今回の須崎港攻略は海部家と馬路党の合同作戦となる。普段から合同演習等を行っていたなら話は別だが、ぶっつけ本番で協力しろと言ってもそう上手くはいかないものだ。順当に考えれば、その不備を突かれて効率的な攻めができていないと考えるべきであろう。

「別動隊に負けはないから安心しろ。余計な心配はせず、俺達はもうひと踏ん張りするぞ。特に今は一二月だ。寒さ対策を忘れるなよ。酒を飲んでも良いから、絶対に誰一人として凍死させるな」

『応ぅ!』

 もしこの場に安芸 左京進や畑山 元明がいれば大目玉を喰らう所だが、やはり俺には現場が似合っている。どうにも踏ん反り返っているのは性に合わない。

 こんな日々を過ごしていた俺達であったが、一五日目にようやく事態が動く。ただそれは津野軍の撤退という形ではない。

 俺の聞き間違いでなければ、津野家は遠州細川家に全面降伏するという体で使者を寄越してきた。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「こうして直接お会いするのは初めてですな。津野家筆頭家老の中平 元忠と申す。細川様は若いながらもかなりのやり手と聞き及んでおりましたが、風聞は誠と言うしかありませぬ。此度は我らの敗北です。某の首を差し出しますので、津野家の存続だけは是非ともお願い致す」

「またこの人種か……」

 交渉にやってきた中平 元忠を見た瞬間、一気にげんなりしてしまう。津野家を支える最強の武人だと想像していたのだが、現実はまるで違っていたからだ。

 確かに外見は初老を超えて皺や白髪が目立ちながらも、肌は日に焼けて浅黒く体には力がみなぎっている。まだまだ働き盛りといった印象だ。老いていると舐めてかかれば痛い目に合うのが確実な武人らしさが漂う。まさに筆頭家老と呼ばれるに値する堂々とした姿であった。

 しかし、その実目が違う。潔さの欠片も無い。先程言った敗北の言葉が嘘にしか聞こえない鋭い目線が俺を射抜く。本山 梅慶との交渉を経験したからこそ分かるが、この交渉を一つの戦と見ている目だ。本質は策士寄りの人物なのだろう。

 正直な所、今の俺は新たに手にする須崎港の統治と土佐一条家への対策で手一杯で、面倒な交渉と事後処理に労力を割きたくはない。

 そうなればこちらの対応はただ一つ。

「中平殿、折角の申し出ではありますが、まだ降伏には早いでしょう。津野家も全力を出し切っていない以上、遠州細川家に負けたとは考えていない筈。次の機会にてその辺りの白黒をはっきりさせるというのはどうでしょうか? 今回は兵を退かれても追撃は致しません。是非ご検討ください」

 津野家の問題は後回しにするのが最も無難な選択であった。

 とは言え俺の目論見通り、相手はこの交渉で何かを得ようとしているのだろう。こちらの提案には「いやしかし……」と歯切れの悪い言葉でお茶を濁して引き下がろうとせず、無為な時間が過ぎていく。

 この辺が中平 元忠の限界なのかもしれない。餌を垂らせば食い付いてくると考え、拒否するとは想定していなかったと見える。これが梅慶なら「再戦してもどの道負けるから、降伏は早いか遅いかの違いでしかない」くらいは平気で言い放つのだが、それはできないようだ。

 ……最初は面倒だと思っていたが、意外と話が纏まりそうな気がするな。

 こういう場合は変に腹の探り合いなどせず、はっきりと要求を伝えた方が良いだろう。

「この際はっきり言っておきましょう。当家は津野家の降伏を喜んでおりません。中平殿が主家を思う気持ちは分かりますが、下手に条件を吊り上げようとするならこの交渉自体を手切れとさせて頂きます。その点を踏まえて条件の提示を行ってください」

「これまで城で籠っておったのに、何ゆえそこまで強気に出るのか某には分かりませぬな。今も津野軍が蓮池城を囲んでおるのですぞ。もう少し立場を理解された方が良いのではござらぬか?」

「あっー、ハッタリは今更ですね。蓮池城を総攻撃したいと言うならどうぞ。こちらは後数日粘れば、須崎港を落とした援軍が駆けつける算段です。どちらが先に全滅するか試してみますか?」

「ま、待った。いえ、お待ちくだされ。某の失言でした。何卒ご容赦を。分かり申した。全て細川様の要求に従います。ですので、津野家の存続だけは何卒お願い致します」

 さすがは筆頭家老と言うべきか。しっかりと退く時は退く。ここでゴネると一層不利な立場に置かれると判断したのが分かる。

 きっと今回の使者は須崎港陥落の報せを受けての決断だ。最早津野軍に勝ちは無いと見切りを付けたと見るべきである。見かけ上は俺達が包囲されているが、もう既に形勢は逆転している。

「そこまで言うなら降伏を受け入れましょう。但し津野家の領地は全て没収します。当家では俸禄にて召し抱える形となります。津野家当主がこれを受け入れるなら、家臣として迎え入れたいと思います」

「か、かたじけない。では、最後に一つだけお願いがございまする」

「過剰な要求なら却下しますが、まずはお話しください。それから判断しましょう」

「いえ、決して細川様の想像されておるような条件ではございませんのでご安心くだされ。お願いというのは、津野家の当主を細川様の一門もしくはそれに準じた人物に務めて頂きたく……」

「なるほど。津野家が遠州細川家内で冷遇されないようにして欲しい、そういう意味ですね」

「はっ。例え津野家の存続が許されても、捨扶持のみ与えられて何もできないなら、それは事実上の断絶と変わりませぬ。そうならないよう、細川家中でも役目を頂きとうございます。なればその保険も必要というもの。幸いと言えるかどうか分かりませぬが、此度の降伏に際して津野家当主である津野 定勝つのさだかつ様を追放した所です」

 始めは何かの聞き間違いかと思ったが、嘘ではないと念押しされる。本気でこの戦の最中に津野家現当主である津野 定勝を縁のある伊予河野いよかわの家に追放したようだ。

 どうやら津野 定勝は、須崎港が落とされた現状でも、遠州細川家への降伏を頑として聞き入れなかったらしい。その点で家臣達と意見が衝突したのだという。

 個人的には降伏を選ばず本拠地に逃げ帰れば良いと思うのだが、須崎港が落ちた時点で土佐一条家自体が遠州細川家に対して勝ち目は無いと判断したという所か。落日の土佐一条家に付き合って滅亡したくないのだろう。同じ降るなら早い方が良いというのは納得だ。

 だが津野 定勝が降伏を拒否した理由は、そうした形勢判断とは別のものであった。それは自身の妻が土佐一条家の娘という縁故である。つまりは土佐一条家の一門であるという自負が判断を鈍らせた形となる。

 津野 定勝の考えは何も間違っていないが、家臣達はそんな事で命を無くしたくはない。ましてや家臣達の感情は土佐一条家は二〇年間争った敵という認識がまだ根付いている。

 なら、こういう場合はどうすれば良いか? 当主を追放するしかない。この時代ではよくある話と言えばそうだが、まさかそれが戦の真っただ中で起きるとは夢にも思わなかった。津野 定勝がもう少し家臣達の気持ちを汲んでいたなら、このような事態は起こらなかっだろう。

 とは言え、一見非道なようだが今回の場合はまだ温情がある方である。家臣達が本気で形振り構わなくなっていたなら、津野 定勝は捕らえられるか首を刎ねられていた。命があっただけでも良しとしなければならない。

「事情は分かりましたが、現状の津野家の体質では遠州細川でやっていくのは難しいかと思います。体質改善のために大鉈を振るいますがそれでも良いのですか?」

「はっ。覚悟しております」

「ならこうしましょう。中平家は遠州細川の直臣になってください。津野家の家臣 (陪臣)から転向ですね。中平殿の切腹は認めません。今後は遠州細川のために働いてもらいます。それで良いなら新当主に相応しい人物をこちらから送りますし、その分優遇もしましょう」

「……むむむ。某は津野家に忠誠を誓った身ですが、これは致し方ありませぬな。分かり申した。主家のために全てお受け致します。何卒優遇の約束は違わぬようお願い申す」

 ようやく今回の降伏劇の全てが見えたような気がする。

 命あっての物種と言えばそうなるが、ほぼ打算の産物と言えよう。

 要するに遠州細川に敵対した罪を全て追放した当主に押し付けた。その上で心を入れ替えて働くから優遇して欲しいと。

 ……厚かましいにも程がある。

 当主を追放するような家臣団が、こちらから送り込む新たな当主の言う事を素直に聞く筈がないだろうに。中平 元忠は大鉈を振るうと言っても了承したくらいだから本気で津野家の将来を考えている可能性はあるが、他の家臣達は新当主を傀儡化して利権をせしめようと悪だくみしているのが目に見えている。

 これは津野家の家臣達には姑息な真似をすれば自分に返ってくると反省をしてもらうしかない。

 中平 元忠は自分が頑張れば遠州細川でもやっていけると思ってそうだが、俺は違う。まず彼を津野家から切り離すのが改革には最も効率的と言えよう。何故なら中心人物がいなくなれば意見の集約が難しくなり、一致団結できなくなるからだ。そうなれば改革に表立って反抗する事すら難しくなる。その上でこちらから送り込む人材に素直に従う者だけ優遇し、反抗する者は冷遇する。分断工作を行えば体質も変わってくるだろう。

 それに、俺の家臣にはこうした事例に適任と思える人材が何人かいる。彼らを送り込んで大鉈を振らせれば良い。上手くすれば脳筋揃いの戦闘集団がまた新たに出来上がる。

 ……改めて思う。やはりこの降伏劇は面倒な案件だった。

 いや、余計な事を考えては駄目だ。兎にも角にも津野家を降し土佐一条家を追い詰めた。今はその事実だけを喜ぼう。
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