国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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五章 三好長慶の決断

筆頭家老の封じ方

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 日が暮れた後の遠州細川軍の陣は、野戦病院さながらの喧騒とお通夜のような静寂が入り混じる奇妙な状態となる。それだけこの日が激戦だった事を意味するが、結果として俺達は何とか敵の猛攻に耐えた。

 そう、結果としてだ。その代償は数多くの死傷者である。十分な防備であったにも関わらず、その数は一〇〇名を軽く超えた。

 中でも死者自体は現時点では一〇名であり、内五名は武家という最悪さである。兵の命を軽いとは言わないが、討ち死にしたのが俺が安芸家当主となった頃からの連中となれば、その思い入れも強くなるというもの。元は和食家家臣であった長崎 内蔵助ながさきくらのすけ井町 権頭いまちごんのかみは、安芸家に降ってから頑張る姿をよく目にしていただけにより悲しさが増す。

 更に言えば、死者の数はこれから増える可能性を考慮しなければならない。その理由は破傷風であり、早ければ三日後には発症する。傷口を綺麗な水で洗い、その後にヨードチンキを使用したとしても全員が助かる訳ではない。怪我人の何割かには後日壮絶な痛みと共に死が訪れるだろう。

 こうした結果になるなら、せめて「チェスト種子島」だけでも持ってきていればと後悔したりもしたが、全ては後の祭り。散ってしまった命は戻りはしない。全ては俺が策に拘り過ぎたのが原因と言えるだけに、やるせない気持ちばかりが溢れてくる。

「何で大将が負けたような面してんだよ。きちんと勝ったじゃねぇか」

「そうは言うがな……」

 皆の輪から離れ一人手酌で舐めるように酒を飲むそんな俺を気遣ってくれたのか、松山 重治が隣に座り杯に酒を注ぐ。

 戦の最中に酒を飲むなど不謹慎なのは分かっている。しかし、この激戦を凌いだのだから、こんな日くらいは飲んでも良いだろうと労いを込めて全員に配っていた。明日への活力にして欲しいという思いである。

「いいや、俺達の大将がそういうのでは困る。酒が不味くなる。ほら、兵達も時々心配そうにこちらを見ているぞ。少しはしゃきっとしろ」

 とは言え、その思いも空回る。どうにも俺の姿が皆に余計な心配を与え、酒を楽しめなくさせているらしい。

「……」

「何を悲しんでいるのか分からないが、戦で人が死ぬのは当たり前。あいつ等は運が無かっただけだ。大将が馬鹿な命令を下して命を落としたんなら、あいつ等は死んでも死にきれないだろうが、そうじゃないだろう? 俺から見ても今日の大将は最善を尽くしたと思うぜ。それでも負けたと言うなら、俺達が弱いみたいじゃないか? 違うだろ? 遠州細川軍は強い。今日はたまたま敵の運が良かっただけだ。そうだろ? いや、そうでなければ俺達が困る」

「重治……嬉しい事を言ってくれるな」

 今日の死傷者の多くは、大方の予想通り津野家筆頭家老である中平 元忠を相手にした安芸 左京進の受け持つ左翼から出た。報告ではこちらの戦法が一切通じていなかったのが原因だという。

 こちらの戦法は設置した逆茂木で敵の前進を遅らせ、そこに焙烙玉を投げ込み兵の混乱を誘うというものだ。後は、冷静さを欠いている兵をもぐら叩きのように始末していく。焙烙玉の爆発を何とも思わない者などそうそういないため、基本に忠実な手堅さだと誰もが信じていた。

 だが、その決め付けが今回の誤算である。

 中平 元忠率いる精鋭は、焙烙玉の爆発を物ともしなかったのだ。それ所か逆に速度を上げて爆発の中に突っ込んでいたという。煙の中から雄叫びを上げ現れるのはまさに狂戦士の姿。体には破片が突き刺さりながらもそれを何とも思わない。この瞬間、こちらの兵達が恐怖に震えたとしても誰が責められようか。

 こうなってしまえば、兵達は普段通りの動きができなくなる。

 ある兵は急いで追加の焙烙玉を投げ込むが、焦ってとんでもない所に投げ込んでしまう。ある兵は何処に投げて良いか分からず、その場で爆発をさせてしまう。またある兵は、導火線に火を付ける事すら忘れて「来るな来るな」と言いながらやみくもにただ投げていたという。

 敵は焙烙玉の特性を知り尽くしていた。

 いや、ただ知っているだけではこうはならない。知り尽くした上で致命傷とならない最善の行動をした。平たく言えば爆発の中心に入らない、動いて狙いを絞らせないといった回避行動を取り続けた形となる。光景としては爆発の中を掻い潜り近付いてくるという、まさに往年の特撮ヒーローそのものの姿であった。

 結果として起こったのは陣の崩壊となる。この追い詰められた状態で、兵が臨機応変に武装を変更して対処するなどまず不可能だ。呆然自失の最前列から順番に槍で殴られ、斬り付けられ、そして刺されていく惨劇が瞬く間に広がる。

 幸いだったのは、総崩れ一歩手前のこの状況を無理にでも立て直そうと、敵精鋭との間に割って入った者達がいた事だ。大盾で敵の攻撃を受けながらも必死に事態の収拾を図る。左京進も最前線に出て失態を取り返したかったようだが、それよりも兵達への指示を優先し、怪我人を後ろに下げながら武装の変更と隊列を整えていたという。

 そんな時にようやく安岡 虎頼率いる別働隊も掛け付け、敵精鋭を側面から突こうとする動きを見せた。

 このまま乱戦に発展するかと思いきや、さすがは筆頭家老と言えよう。消耗戦を嫌ったのか中平 元忠はあっさりと撤退を決断し、突入の際と同じく風のような速さで隊を引き上げていった。見事としか言えない統率である。

 こうして後に残ったのは怪我人の山であり、中でも凄まじかったのは味方の総崩れを防ごうと犠牲になった者達となる。ある者は腕を切り落とされ、ある者は目を貫かれ、またある者は腹に何本もの槍が刺さったまま仁王立ちしていたという。皆苦しみながら死んでいった。

 右翼の方は囮部隊は兵の多さが災いしてか突入への足並みが揃わず、退却させるまでに時間こそ掛かったもののそう難しい相手ではなかっただけに、全ては率いる将の力量の差としか言いようがない。

 俺としてはここまでの力量を見せられると負けを認めざるを得ないのだが、重治の言い分は違う。今回は偶然相手の想定外の動きに虚を突かれ、実力を出せなかっただけだと。本気でやり合えば負けはしないと訴えていた。

 どう考えても負け惜しみにしか聞こえないが、戦というのは意地の張り合いの側面もある。だからこそ気持ちで負けていては駄目なのだと。言われて気付いたが、今の俺に欠けているのがまさにこの点であった。どんなに分が悪かろうと大将が最後の最後まで負けを認める訳にはいかない。意地を通さなければ、兵達も委縮してしまい酒も楽しめなくなる。

 逆を言えば、俺さえ諦めなければまだ皆は共に戦ってくれるという意味だ。

「俺も随分と焼きが回ったな。こんな大事な話を重治から教わるとはな。けれども、こんなに頼もしい家臣を持って誇らしいよ。ありがとうな。そうだよ。俺が皆の力を信じてやれないなら、明日には本当に負けてしまう。なら、皆の力を信じれば、今日の借りは明日取り返せる訳だ。そうだ、それで行こう」

「おっ、少し顔に生気が戻ってきたな。それでこそ俺達の大将だ。明日を楽しみにしてるぞ」

「簡単に言いやがって」

「そりゃ簡単に言うさ。敵の運は今日で尽きたんだから、明日は俺達の番になる。ただそれだけだろ」

「ははっ、その通りだな。なら俺は、その運を引き込むための仕掛けでもするか。重治、疲れている所悪いが、皆に集まってくれるよう伝えてくれるか?」

「おうよ! お楽しみはこれからだな」

「皆聞いてくれ! 明日は絶対に津野軍の思い通りにさせない! 今飲んでる酒は明日の前祝いにしろ。明日は勝つぞ!」

『応ぅ!』


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「結論から言おう。明日は津野家筆頭家老の中平 元忠を封じる。それが全てだ」

 篝火が燃やされる天幕の中で、家臣達の期待の混じった目が一斉にこちらを向く。松山 重治が皆に何を言ったかは分からないが、誰一人として弱気になっていないのが見て取れる。それには、あの「戦は苦手」と言った尼子 経貞でさえも含まれていた程であった。

 雰囲気としてはむしろ、「ここからが本番」と言っているかのように感じる。皆が今日の悔しさを晴らしたくて仕方ないという、そんな気持ちが伝わってきた。

 本当、重治の言う通りだな。

「それで大将、具体的にはどうするつもりなんで?」

「素直に認めよう。中平 元忠の率いる部隊は強い。それもこちらの想定を上回る程にだ。だから今日は後れを取った」

「大将!!」

「まあ聞け重治。逆に言えば、こちらも敵の想定を上回る部隊を当てれば同じようになるという意味だ。そうだろ?」

「それは分かるが……」

「ここからが肝となるが、その想定を上回るには無理に数を揃えなくとも良い。事実、今日俺達は中平 元忠の率いる部隊全員とやり合った訳ではないが、翻弄された。なら、こちらも精鋭中の精鋭を抜擢して敵の度肝を抜いてやればどうなると思う? 例えば一刀の元に最前列を全員倒すとか丁度良いと思わないか?」

 俺は報告のみで現場を想像するしかないが、冷静に考えれば敵の精鋭兵に実力的な面で完全に後れを取ったというのは考え難い。勢いに押し込まれたというのが正しい認識だろう。だから重治もあのような発言をした。これが一番筋が通っている。

 何故虎頼の別動隊が側面を突こうとした際、敵はあっさりと撤退したか?

 勿論消耗戦を嫌ったという認識で間違いないと思うが、こちらが隊を立て直してしまえば勢いが止まってしまうと考えたのが自然である。つまり心理的に優位な時間はそう多くないという意味だ。

 なら、こちらが崩壊しなければどうなるか? もっと言えば、敵の自信を打ち砕けばどうなるか?

 結論としては、こちらが心理的優位な状況を作り出せば良い。

 その方法は灯台下暗しとも言えるような、気付けば簡単なものであった。

「そ、そりゃあ敵も勢いを無くすだろうけどさ、大将は馬路党を使うとでも言いたいのか? 馬路党は隊長含めて全員が須崎港攻略組なんだから無理だろ。援軍に来るよう今から使いを出しても、明日には間に合わないぞ」

「重治、古巣に愛着があるのは分かる。長正も喜ぶ。ただ聞き漏らしているぞ。俺はさっき『数を揃えなくても良い』とも言ったし、『一刀の元に』とも言ったんだがな」

「そういう所は大将の悪いクセだ。勿体振らずに言ってくれ」

「重治ももう少し柔軟な思考ができるようになれよ。ほらっ、俺のすぐ近くにいるだろう。精鋭中の精鋭が。宗直、やれるな」

「はっ。中平 元忠、そこまで強いなら一度手合わせしたいものです。ですが良いのですか? 国虎様の護衛を離れる事になりますが」

「気にするな。ここは柳生 宗直以下、柳生門下生を投入する場面だ。出し惜しみはしない」

 護衛として俺の傍で目を光らせている柳生 宗直以下一〇名は、剣術がかなりできる上に身体能力も高い。ある意味、馬路党と並ぶ決戦兵器と言っても良いだろう。一対一が基準ではあるが、その攻撃力の高さには目を見張るものがある。まさに敵を圧倒し、勢いを殺す役割には適任であった。

 彼らのような武芸者は本来戦には向いていない。それはそうだ。例え個としての強さがあったとしても、集団戦は囲まれれば終わりだからである。一人の剣豪が戦場をひっくり返すなど妄想の産物であり、現実にはあり得ない。むしろ連携の取れないスタンドプレーなど味方の足を引っ張るお荷物である。

 そのような使いづらい存在であったとしても、時と場合によっては違ってくる。目的は敵の殲滅ではないのだから、深追いさせなければ良い訳だ。斬り込んですぐさま戻るヒットアンドアウェイのような役割なら、敵の度肝を抜けるのは間違いない。それを数回繰り返せば、膠着状態を作り出せるのではないかと考えている。

「重治の隊は柳生勢の支援に回れ。視野を広くして柳生勢を囲ませるなよ。という訳で、明日は重治が中平 元忠の担当だ」

「待ってました。腕が鳴るねぇ」

「気を付けろよ。絶対に深追いだけはするな。深追いしたら逆撃を喰らうと思っておけ」

「あいよ」

 問題があるとすれば、俺の護衛を全て放出する形となるので代わりの護衛をどうするかとなるが、ここは有無を言わせず尼子 経貞を任命する。本人は役に立たないと駄々をこねるが、敵は武人気質だから護衛を必要とするような局面にはならないと騙して事無きを得た。

 重治の陣が破られれば真っ先に当たるのが経貞となるのだが、それはトップシークレットである。

 ここまで纏まると、後は具体的に配置をどうするかという話し合いに発展する所であるが、世の中はそう甘くない。この時代特有とも言えるもう一つの問題がふき出す。

「国虎様!」

「どうした左京進?」

「何ゆえ新参者ばかりに役を与えるのです。次こそ中平 元忠に引導を渡すと心に決めておりましたが、それさえ許されないのでしょうか?」

 平たく言えば新参に役目を奪われたという嫉妬だ。今日十分に働いたのだから、一日くらい休めと言っても聞かない。古参ならではの矜持がそれを許さなかった。

 俺としては松山 重治を柳生勢の支援に回したのは、元傭兵を多く抱えているからこそ武芸者の扱いも心得ているのではないかという考えなのだが、その辺は理解してくれそうにないようだ。

 とは言え、これでも伊達に何年も武家の当主をしていない。こういう不満が出るのは想定済みである。だからこそ信頼していると感じさせる過酷な役割を披露する。

「その通りだ。左京進にはもっと大事な役目があるから中平 元忠とは戦わせない」

「まさかこのような仕打ちをされるとは……何と? もっと大事な役目ですか?」

「きちんと話を最後まで聞かないからだ。俺が左京進を忘れる筈がないだろう。左京進には別動隊として津野軍本陣への強襲を行ってもらう。夜の内に馬で大きく迂回して敵本陣の側面もしくは背後を取れ。戦が始まれば本陣に突撃を敢行して焙烙玉を投げまくってこい。大将の首は取らなくて良い。筆頭家老さえいなければ簡単に本陣を突けると相手を震え上がらせてやれ」

「はっ。かしこまりました。必ずやり遂げます」

「予め言っておく。明日の役目は物凄く危険だぞ。決死隊に近いからな。下手すると全滅する。だから絶対に動きを止めるな。首はいらない。とにかく動きまくれ。必ず帰って来いよ」

 これも中平 元忠を封じる一つの手だ。筆頭家老が本陣にいなければ襲えるという脅しである。このような真似をされてしまえば、津野家当主やその周りが保身に走るのは目に見えており、中平 元忠個人の考えを無視して自らの手元に置こうとする。

 その理由は兵力の差だ。負けない戦いとなれば、何を急いで勝負を決めようとするのか? そんな意見がいつ出てもおかしくはないだろう。

 細工は流々仕上げを御覧じろ。例えどんな強敵であろうと、倒さなくても良いなら封じる方法は幾らでもある。さてこの策が上手く嵌まってくれるか? 成功した時、中平 元忠はどんな気持ちになるだろうか? どれ程悔しがるか今から楽しみである。
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