国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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五章 三好長慶の決断

俺の妹がこんなに可愛いわけがない

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「……本当にそのような理由で遠州細川家に降る決断をされて構わないのですか?」

「細川様、『そのような理由』とはどのような理由ですか? 幼い妹の行く末を心配するのは兄としては当然だと思いますが、何か間違っているでしょうか!?」

「近い、近いです海部様。……コホン。この度はご無礼致しました」

「分かって頂けましたか。ならば細川様には責任を取って、我が妹の良き嫁ぎ先を探して頂きますようお願い致します。何なら細川様がもらってくださっても一向に構いませんが」

 晴元派と氏綱派の和議に伴い、ようやく海部 友光様も阿波の領地へと戻る。海部様は四国勢の兵や物資の運搬を担当していただけに、長く身動きが取れなかったらしい。

 海部家と遠州細川家が友好関係を築いていたとしても、その主家である阿波細川家は明確に遠州細川家と敵対した。そうなれば傘下である海部家もいつ遠州細川家に敵と見做されてもおかしくない。ましてや気付けば自領近くまで侵攻してきたのだから、ずっと気が気ではなかったろう。いつ心変わりして自領を火の海にされるかもしれないと最悪の事態が何度も頭を過ぎった筈だ。

 その証拠に戻ってからの海部様の動きは早かった。三日もしない内に家中の意見を纏め、単独で俺のいる平嶋館までやって来る。部屋に入ってきた海部様は返事が遅くなった経緯を話して詫び、舌の根も乾かぬうちに遠州細川家への臣従を願い出てきた。

 こちらとしては書状にも書いた通り同盟もしくは中立、要は遠州細川家と敵対しないと約束さえしてくれればそれで良かったのだが、何故か俺の意図しない方向へと進んでしまう。

 しかもその理由がまたとんでもない。

 晴元派と氏綱派の和議の条件に三好宗家当主である三好 長慶の婚姻があったが、なんと三好家中ではこれを良い機会と捉えて、いっそ当主嫡男の正妻も決めようという流れになったのだとか。そこで海部様の妹にその白羽の矢が立つ。とは言え両者は共に幼く、婚約という形で話を纏める流れになったという。

 それに反発した形だ。
 
 政治的な視点で見れば、海部様の決断は一見三好宗家に取り込まれまいとした行動となる。しかし、どう考えても代償が大き過ぎる。何故なら海部家は阿波細川家譜代の重臣であり、尚且つ海部様の父上が三好 元長の娘を娶っているために三好宗家では外戚という重要な役割を担っているからだ。遠州細川家への臣従は重大な裏切り行為と捉えられるのは間違いないだろう。

 結局の所、海部様は年の離れた妹を三好 長慶の嫡男の嫁にされないためだけに、これまで積み上げてきた全てを投げ捨てる決断をしたのだ。女性が政略結婚の道具となるこの時代にはまずあり得ない理由である。

 だが、そんな現実を笑い飛ばすように海部様は言葉を続けた。

「私も父から聞いた程度ですが、当時は険悪な関係となってしまった三好家との抗争を回避するために仕方なく結んだ婚姻のようです。友好を継続するなら次は海部家から娘を出すのですが、あの当時とは事情が違ってますので。阿波細川家の重臣という立場も今は大事とは考えていません」

「それは何故ですか?」

「細川様がそれを言いますか。私個人としてはもっと早くに遠州細川家、いや安芸の名を名乗っていた頃に降るべきだったと考えていたくらいです。そうすれば海部家は重臣の立場を得てもっと大儲け……いや失礼、土佐に名を馳せる事が叶ったと思っています。それに海部家は現状、屋台骨を揺るがす大きな岐路に立っているのですよ」

 だから、権力争いには構っていられないと言う。

 そこから語られる話は俺達が以前から予想していたものであり、それでいて当たって欲しくない内容でもあった。

 ──端的に言えば、明が発令した一八回目の海禁令の影響が直撃した。

 海部家は海部刀と呼ばれる刀や様々な鉄製品を製造・販売し、それでいて海運も手掛けている。商いが左前になると途端に力を失う勢力だ。

 これまで明は海賊行為や密輸を行なう倭寇に悩まされ続けてきたにも関わらず、その対策はおざなりであった。海禁令が発令した数を見れば、それが分かるだろう。しかし、この一八回目ではついに本気を出してきた。取締りの厳しさがこれまでとは比較にならないらしい。結果、明を通じた密貿易の物流が大きく停滞する。

 これで海部家が安泰の筈がない。このまま行けば海部家の力の源泉が小さくなり、どの道阿波細川家中での立場は低くなるのだとか。

 ならばどうするかとなった時、三つの道がある。一つは昔取った杵柄とばかりに倭寇に参加する。そしてもう一つが……

「それが遠州細川家に降るという選択ですか」

「聞いておりますよ。細川様は領内で製鉄を始めたと。しかも最新設備を導入されているらしいですね。明に頼らなくても安定的に鋼が手に入るという話ではないですか。是非海部家でもその設備を導入したいものです」

「そうは言いますが、遠州細川に降れば堺を敵に回しますよ。臣従をして危ない橋を渡らなくても、値上げで良いのでは無いですか?」

 そして、第三の道が価格の値上げだ。例え物流が停滞したとしても蛇の道は蛇。より高い金額で買い取るなら優先的に物資は回ってくる。差額は商品価格に転嫁すれば良いだけだ。

「降る決断をしなければそれで乗り切ったと思います。三好宗家や堺には文句を付けられるでしょうが。まあ、海部家としては堺と手切れになった所で何も困らないというのが正直な所です。倭寇に武器を提供すれば良いだけですから。おあつらえ向きに此度の海禁令が出された事で、より倭寇の活動が盛んになっております。九州の海賊である松浦党辺りは喜んで買ってくれるでしょう」

「ははは……」

「後、覚えておられますか? 細川様からの依頼で阿波水軍から人を引き抜いていた事を。私も末端の水軍衆に少しでも良い暮らしをと思って協力してきましたが、それが仇となって此度の遠征では内通の疑いを掛けられてしまいました。裏では氏綱派に協力しているんじゃないかと。そうした疑いを晴らすために此度は普段より多い動員が必要になったくらいです」

「そうすると遠州細川家への臣従というのは……」

「海部家の今後のためにはと以前から考えておりました。妹を三好宗家の嫡男の嫁にという話は、切っ掛けにしか過ぎません。良いですか! あくまで海部家の将来のためですよ!」

 絶対に嘘だ。目が完全に泳いでいる。とは言え海部家の経営が危うくなり、同僚から疑いの目を向けられているのは事実なのだろう。当主としてこの状況を何とか打開しなければならなかったと言われれば納得するしかない。意外な事実だが、海部家はあの領地の広さで傘下も含めれば兵を五〇〇〇は動員できる力を持つ。社長として従業員をリストラしたくないという気持ちは痛いほど分かる。

 ……多分、この方便で海部家中を納得させたのだろう。見事に騙された形だ。

 しかし、そうすると今度はどうしてそこまで三好宗家との縁組を嫌がるのかという話になるのだが……

「なるほど。海部様も此度の和睦で三好宗家が細川京兆家内で立場を悪くしていると見た訳ですか。やはり波多野家が鍵になると」

「それと摂津国最大勢力の池田家をどうするかでしょうね。此度の戦で池田家は氏綱派として蜂起したのは良いですが、細川京兆家に攻められ呆気なく降りました。一応は許された形ですが、池田家は前公方様の息が掛かった家です。しかも『富貴無双』と言われている裕福さなのですから、このままでは済まされないでしょう」

「それはどういう意味ですか?」

「私が細川京兆家の立場なら、池田家を何の措置をせずにそのままにしたくありません。力を削ぐか、より確実な支配下に置くかのどちらかを行います。特に支配下に置けば、三好宗家への対抗勢力となりますし、もう三好宗家の力を借りなくても良いと考えてもおかしくありません」

「確かにそうですね。ですが、『富貴無双』なら海部家もそうでしょう。三好宗家のように阿波細川家と両属して細川京兆家でのし上がるという方法もあると思いますが」

「よしてください。父が当主の頃は三好 元長殿とどちらが細川晴元様の家臣になるかと争っていたと聞きましたが、こうも畿内で戦ばかり続くともううんざりです。それよりも私は領国の建て直しが優先だと考えております」

 俺も最近まで知らなかったが、摂津国は土佐とは比べ物にならない裕福な国であった。人口の多さもあるが、何よりも物流の重要拠点なのがその理由となる。西国から京に至る物資の集積場所として古くから栄えているのだとか。それは陸路だけではなく海路も含まれる。とどのつまり日明貿易の船が攝津の港で荷下ろしして、そこから京や大和国へと荷が運ばれる訳だ。これだけでも摂津国が如何に重要な場所か分かる。

 中でも『富貴無双』の摂津池田家は領内に複数の主要街道を抱えるだけでなく、木炭の集積場所として有名である。加えて酒造りや金貸しにも手を出しているとなれば、下手な貧乏国より収益が上がるのは間違いない。

 また、これまで摂津国には三宅家、伊丹家、池田家という前公方の影響を受ける勢力が存在していたが、舎利寺の戦いによって旗幟が鮮明になった。三宅家は氏綱派となり逃亡、伊丹家は晴元派として奮戦する。残った最後の一つがこの池田である。

 敵対した細川京兆家に一応は許されたものの、それはあくまで戦が終わるまでの方便に過ぎない。しかも現当主が細川 晴元の一番の側近である三好 政長の娘を正室としているのだから、勝手は許されないと海部様は見ている。

 つまり次の火種は摂津池田家がほぼ確実。結果、三好宗家は細川京兆家内での地位低下が既定路線となった。そのため海部様は泥舟には乗りたくないのだとか。何が悲しくて利の無い政略結婚をしないといけないのか分からないとも言っていた。

 決して三好家の誰かが嫌いとかそういった個人的な感情ではないと力説をしていたが……嫌いなんだろうな。多分。

「逆に言えば遠州細川家への臣従が海部家には大きな利になるという意味ですか。悪い気はしませんね。分かりました。こちらこそ今後も宜しくお願いします。形式上は海部家は遠州細川家の下の立場となりますが、私自身は海部様とは対等でありたいと思っています。両家で力を合わせて荒稼ぎしましょう。……となれば、まずは製鉄事業の梃入れからでしょうね」

「……荒稼ぎ……細川様らしい。では海部家に設備を導入するためにも人を派遣する所から始めますか。それと一つお願いがあるのですが、当家にあの捕鯨船をお譲り頂けますでしょうか?」

「もしかして海部家も捕鯨に乗り出すのですか?」

「以前惟宗殿に乗せてもらったのですが、あの船なら外洋にも耐えられるのではないかと踏んでおります。明とのこの先の関係を考えると、少し手を伸ばした方が良いのではないかと。関東やもっと北へ船を出すのも可能やもしれません」

「あっー……気付きましたか。内緒ですよ」

 そんなこんなで阿波国の実力者海部家の傘下入りが決まる。

 とは言え、今回はいつの世も妹スキーはいるのだと、そんな知りたくもない事実を目の当たりにしただけのような気もする。この調子なら、俺がどんなに良い相手を紹介しても絶対に首を縦に振らない未来が待っているだろう。

 ──俺の妹がこんなに可愛いわけがない。  


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 海部家の臣従、山間地帯の攻略と気が付けば阿波国の半分を遠州細川家が掌握した形となる。特に今回の海部家臣従の影響は思った以上に大きく、阿波細川家も三好宗家も簡単に俺達への手出しができなくなった。下手に兵を出そうものなら、海部家に後背を突かれるからである。これで阿波国南部は開発により重点を置ける。

 ならばと念願の鉱山開発にも着手する。

 この時代は採掘技術が低く露天掘りが主流なため、埋蔵量の少ない鉱山や難度の高い鉱山には手を出せない。典型例が薩摩国の菱刈ひしかり鉱山だろう。例え金の埋蔵量が佐渡金山を越えていても、戦国時代の技術では採掘はまず無理だ。手を出せるのは採掘難度が低い有力鉱山が主となる。

 そういった鉱山が阿波国南部には幾つかある。一つは橘鉱山などの石灰鉱山、それと若杉山遺跡と呼ばれる弥生時代から続く辰砂しんしゃ (水銀の元)鉱山となる。

 特に石灰は大きい。肥料は勿論として、セメントの主原料として、果ては砂糖の精糖にも使える。金銀銅が採掘できる鉱山もあるに越した事はないが、今の俺達には使い勝手の良い石灰の入手の方が大事であった。

 これで綿花の栽培にも弾みが付き、領内の収益もまた上向きになる。そんな皮算用をしていた所でついに事件が起きる。

 それはいつもの杉谷家からの報告書であった。今回は急ぎだったからか、詳細な内容ではなく要点がただ一言だけ書いてある。

 ──摂津池田家当主 池田 信正いたげのぶまさ 細川 晴元邸にて切腹を申し付けられる、と。
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