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五章 三好長慶の決断

裏切りのススメ

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 外から見れば雑賀衆として一致団結しているように見える雑賀五絡も、いざ蓋を開けて中を見てみると様々な問題を抱えている。以前聞いた大野十番頭の話は氷山の一角でしかないのだろう。ある意味、今回の一件はこの時代特有の問題が切っ掛けとも言えるが、結論が元凶とも言える相手への臣従というのだから皮肉以外の何者でもない。

「元々宮郷は雑賀の中では土地が肥沃でして、周囲との諍いが耐えませんでした。最近は遠州細川家に販売する穀物を卸しておりましたので、取引を円滑に進めるためにも表立って対立する事は無くなっていたのですが、状況が変わってしまったのです」

 そう、この時代特有の問題というのは土地の豊かさである。無い者は持つ者から奪い取る。持つ者は無い者から奪い取られないようにする。宮郷を守る太田党は、この諍いが激しさを増したために結成された自衛集団が始まりらしい。

 とは言え、俺の積極的な食料買い取りによって一時はこの諍いが鳴りを潜めていたというのに一体何があったのか。

「細川様と本願寺が手を結ばなければ、本日私がこうして足を運ぶ必要はなかったと思われます」

「……意味が分かりません。何故、当家と本願寺が提携すると臣従を選ばなければいけなくなるのでしょうか?」

「ボウズ、本気で気付いていないのか? いいか、宮郷は土橋殿が代表の雑賀荘、鈴木党の南郷、根来寺の中郷の三方から囲まれているんだぞ? 一致団結されてしまえばどうにもならないのは分かるよな」

「それは分かるが、団結する理由が無いだろ」

「だからそれが遠州細川家と本願寺の提携だ。本願寺は紀伊国での商圏拡大と信者獲得を考えているのを知らないのか? 今ここで雑賀荘と南郷が宮郷を攻めるとなれば支援に回るぞ。ボウズだってより多くの穀物が手に入るようになると言われたら協力するだろ? 根来だって遠州細川家には恩を売りたいからな。当然援軍を出す」

「そうか、紀伊国は一向門徒が多い地だったか……」

 つまり、以前より紀伊国での勢力伸張を考えていた本願寺が、遠州細川家への協力という名目で宮郷を奪い取ろうする動きが現実化してきたという話であった。特に鈴木党は熱心な一向門徒であり且つ遠州細川家の傘下である。そのどちらにも良い顔ができるとなれば、それはもう張り切るのは間違いない。

 また、今回の動きは、宮郷が日前神宮ひのくまじんぐう國懸神宮くにかかすじんぐうの神社領であるというのも関係していると見た方が良い。よく言う宗教上の対立である。なのに根来とは遠州細川家との繋がりを理由に対立を避ける所が何ともずる賢い。

「ええ。ですので、宮郷を一向門徒に荒らされる前に何とか細川様のご慈悲にすがろうとまかり越しました」

「なるほど。事情は分かりました。……何だか『略奪されないためには略奪者の仲間になれば良い』とでも言われているような気がしますが、この際良いでしょう。宮郷という神社領を犯されないためには苦渋の選択と言えるでしょうね」

「それで細川様……土地の割譲はどれ程をお望みでしょうか? できますれば割譲の割合は少なめでお願い致します」

「どうやら私のこれまでの行動で変に誤解を与えてしまっていたようですね。割譲は必要ありません。紀伊国は直接統治をしようと思っておりませんし、それ以前に大規模な開発の必要の無い土地ですから。お願いするのは、今後宮郷からは購入する産物を割引してもらうくらいです。その分、当家の産物は値引きして販売致します。これは先に臣従した南郷もほぼ同じの筈です」

 とは言え、南郷は大野十番頭との戦いに肩入れしたために再開発の手伝いはしたが。

 この手伝いは、南郷からより多くの穀物を買い取るための投資であり、自分達のために行なったものである。そこから考えれば、まだ土地を荒らされていない宮郷に手を入れる必要は無い。元々が穀倉地帯という関係上、遠州細川家の傘下に入って防衛面での負担が軽くなるだけでこれまでよりも収穫の増加が見込めるというものだ。

「それで宜しいのですか?」

「土佐と成り行きで手に入れた阿波以外はどの道手が届きませんので。それよりも取引を活発にして互いに足りない部分を補い合う方が当家には利があります」

 土佐国内では遠州細川家の足元を固める意味で多くの直轄地を必要とするが、現状それ以外では領地が必要とは考えていない。阿波国南部は俺の見込み違いである。この地域は多額の先行投資が必要なために直轄地にしなければ開発が進まないだけだ。未来に大きな恩恵が見込まれるとは分かっていても、家臣の誰かではそうそう手を出せる案件ではない。

 結果、宮郷は従属的な取引相手として割り切った方が良い。さしあたって作物の収穫量増加の手助けとなる鉄製の農具や肥料となる魚粉に肉骨粉、木酢酸のような農薬が手堅い。それと内陸部に喜ばれる塩。他は取引を続ける中で徐々に品目を増やしていけば良いだろう。

 現状は堺との手切れで低迷した売り上げを少しでも戻すのが必須とも言えた。

「まさか……このような仕置きとは。南郷が突然賑わい始めた理由がよく分かりました。遠州細川家の産物が安く手に入るなら、値引き販売を否とは言いません」

「こちらとしては、これまで仲買人を介して手に入れていた宮郷の穀物が直接取引になる上、値引き販売して頂けるのですから、それだけで大きな利となります。その辺の事情は太田殿も同じでしょう」

 こうして無事交渉も終わりを迎える。

 本来ならこの手の交渉は戦を行った上で行う筈なのだが……やはり畿内での戦が背景にあるのだろう。領地をボロボロにされる前に少しでも有利な条件での臣従を希望したという所か。それにしても思い切ったな。

 なお今回の太田殿は、全権を与えられているとは言ってもあくまで外交官であり、最終的な決定は日前神宮・國懸神宮の宮司である紀氏きのしが下すのだそうだ。後日改めて書面を携えて訪れると約束する。遠回りな気がするが、前回の鈴木 重意のように当主が直接乗り込んでくるのが珍しいと考えた方が良い。具体的な取引の話等は後日改めて行なう予定となっている。

「よし、そっちの話は纏まったようだな。今日はもう一人ボウズに会わせたい者がいる。宍喰屋殿、入ってきてくれるか?」

 今日は随分と忙しい日だ。「休憩くらい挟んでくれよ」と文句の一つでも言いそうになった所、懐かしい名前にその文句も消し飛んだ。算長としては太田殿は前菜、メインディシュはこちらだと言わんとしているのを理解する。それくらい大事な人物だ。

「細川様、お久しゅうございます。今回の堺との手切れの話を聞いてずっと心配しておりましたが、さすがは細川様と言いましょうか、その手腕、相変わらず見事でございます」

「おおっ、宍喰屋か。こうして顔を合わせるのは久しぶりだな。元気にしていたか?」

「此度は誠に申し訳ございません。手前の力が足りないばかりに細川様には何とお詫びをすれば良いのか」

 入ってきた人物は宍喰屋四郎右衛門。材木商を営む堺の商人ではあり、その仕入れを阿波国の宍喰や土佐で行なっている。俺が小さい頃に初めて金を貸してくれた恩人でもある。宍喰屋がいなければ以後の俺達の躍進は無かったと言っても過言ではない。

 今日のように当人と顔を合わす機会は今では無くなったものの、それでも商家の宍喰屋とは取引を続けている。遠州細川家の産物を堺に卸す役割を果たしてくれていた。

 そうか。取引停止の件でもう宍喰屋とは付き合いができなくなるから、態々顔を出してくれたのか。律儀な奴だ。

「気にするな。気にするな。上が馬鹿だと苦労するのはどこだって同じだ。それよりここに来て大丈夫なのか? 目を付けられないように気を付けろよ。それを言うなら津田殿もか」

「俺の方は大丈夫だ。安心しな」

 当たり前の話だが、俺と堺の町との関係が悪くなったとしても、それは極一部の連中との話であり、堺にいる全ての者達と関係が悪くなった訳ではない。むしろ目の前にいる宍喰屋は被害者の立場である。けれども、町の決定が下された以上はそれに従わなければ堺で商いはできない。その地で生きていく者には仕方のない話であった。

「手前も大丈夫と言いたいのですが……かなり厳しいです。堺の連中は手前と細川様の付き合いが長いのを知っておりますので、目を付けられております」

「分かった。無理はするなよ。宍喰屋にも付き合いがあるのを知っているからな。それを咎めたりしないさ」

「寛大なお言葉誠にありがとうございます。細川様もこの苦境を何とか切り抜けようとしているのですから、手前も何とかこの宍喰屋を存続させて、堺と和解された暁には今一度細川様と取引をさせて頂くつもりです。その際には一番に駆け付けさせて頂きます」

「……そうか……宍喰屋も厳しいんだな」

「いえ、手前の事は気になさらないでください。細川様より受けたご恩をお返しするまで、宍喰屋は絶対に潰しませんので」

 この口ぶりでは宍喰屋は堺の町衆から監視され、売り上げも低迷して経営危機に陥ったと見るべきか。もしかしたら俺よりも被害を受けているのが目の前にいる宍喰屋かもしれない。

 そう思うとここで何もせず宍喰屋と別れるのは、何だか恩知らずのような気がした。俺も苦しいのは苦しいが、それでもまだやり様は幾らでもある。ぶっちゃけて言えば、阿波南部の土地を返却する代わりに阿波細川家から示談金を巻き上げる手だってあるくらいだ。

 しかし、宍喰屋にはそんな裏技さえ残っていない。これまでの収益の多くを手放さなければならず、今後どうするかも決めかねているようにも見える。

 なら、あの時の恩を返すのはこの時しかない。但し、俺のやり方となるが。

「いや、ご恩って。俺からすれば初めに金を貸してくれたのは宍喰屋だし、立ち上げの一番厳しい時を支えてくれたのは宍喰屋だという認識だぞ。こっちが恩を返さないといけないくらいだ。……なあ宍喰屋。ふと思ったんだがな、いっそ堺を裏切ってみないか? それで木材の商いで天下を取ってみないか?」

「……な、何を突然、やぶから棒に。堺を裏切れなんて……へっ? 天下でございますか?」

「ああ、天下だ。画期的……という訳ではないんだがな……確実に売れる木材の新商品の腹案がある」

「そ、それは一体どのような物で……」

「面白ぇじゃないか。是非聞かせろ!」

「それは私も一枚噛んで良いという意味ですね」

「あっ、太田殿も乗るんですね。商いに興味があるようには見えなかったので意外です。参加する人数が多い方がより面白くなるので是非参加ください」

「良いから勿体ぶってないで、早く教えろ」

「津田殿、そう焦るな。商品は『合板』と言うんだがな、平たく言えば木材を大根のかつら剥きのようにして、『にかわ』で張り合わせて多層構造にした物だ。これだけで意味が分かるか?」

『…………』

「そうだよな。利点としてはまず好きな形や大きさ、厚さにできる。次に原木の中心部以外は使用できるので価格が安く設定できる。捨てる部分が少なくなるからな。これで何となく分かってきただろう」

「続きをお話くだされ」

「この二つを合わせただけでも、大木を使用せずとも板が出来上がるのが分かるな。原木が入手し易くなる」

「おっ、おう」

「そこでだ。そんな素材で例えば馬借 (陸運業者)や海運を手掛ける海賊衆には必須の木箱を作るとする。柱は無理だと思うが、床材や屋根、扉の材料に使用する。家具に使用する。種子島銃の銃床 (ストック)にも使用できるな。ぱっと思い付くだけでも大きな需要が見込める物が多いのが分かる筈だ」

「……」

「難点はにかわで張り合わせるので水に弱い所だな。ただ、漆……は高くて無理だと思うが、それでも柿渋を塗ればある程度軽減される。柿渋は水を弾くからな」

 合板、またはベニヤ板。現代でもお馴染みの安価な木材が、この時代では製造法が確立されていなかった。合板自体は紀元前から存在しているが、まだ一般的ではない。なら、時代に先駆けてそれを商品化しようという悪巧みである。

 個人的にはウッドマイカルタにまで手を出したい所だが、如何せん接着剤が未発展の時代では「にかわ」が精一杯である。にかわは弓作りには欠かせない接着剤のためにこの時代でも手に入るのが合板を選んだ理由でもある。

「ぐ、具体的にはその表面を薄く剥ぐのはどのように行なうのですか?」

「原理的には木材に刃を当てて、くるんと回すだけだ。で、そのまま回転させ続ける。中心の取り方さえ間違えなければ、後は刃の当て方と切れ味次第だと思うぞ」

 更には木材は当然として専用の刃物が準備できる点も挙げられる。遠州細川家では木材は勿論、刃物も五郎左衛門吉光派ごろうざえもんよしみつはの刀鍛治を抱えている。紀伊国においても同様だ。木材は当然として粉河寺こかわでらに有名な刀工がいる。

 両国は合板製作に適した環境と言えるだろう。

「では、その合板はどこで売れば良いのですか? 堺を裏切るならそこでは活動できないのですが……」

「えっ、普通に本願寺で売れば良いんじゃないのか? 俺が紹介状を書くぞ。まずは合板で木箱作ろうぜ。それで宍喰屋は一向衆になってもらってだな、馬借や海賊に挨拶回りをすれば……」

「待った待った待った!」

「待ってください」

「まずは雑賀荘宇治の市場から始めないか? 土橋殿には俺が口利きしておく」

「そうですよ。紀伊は海運が盛んなのですから、是非紀伊から始めましょう」

「津田殿、宇治の市場なら俺も噛ませてくれ。遠州細川家の産物をそこで売りたい」

「分かった。それも伝えておく」

「宍喰屋、良かったじゃないか。早速協力者が現れたぞ。しかも販路もできたし、前途は明るいな。まあ、急ぐ必要はない。合板作りから始めるぞ。とりあえず宍喰屋は信頼の置ける側近を名目上解雇して津田殿の元に走らせろ。当家との取引が無くなってやり繰りが大変だと思うが、何とか凌げよ。紀伊での売り上げが軌道に乗るまでの辛抱だ」

「細川様、此度は何とお礼を申せば良いのやら」

「安心しろ。きちんと後でこき使ってやるから。宍喰屋には堺の商家の分断工作をしてもらうつもりだ。そのためには活動資金を稼がないとな」

「つまり、手前のように細川様に味方した方が儲かるとかどわかす訳ですな?」

「言い方が引っ掛かるがそういう事だ。すぐには無理だろうが、いずれ堺を骨抜きにしてやろうぜ」

「相変わらずボウズは面白い事を考えるな。『新居猛太』だったか。あれで報復しようとは考えない所が武家らしくなくて良い」

「そんな事をしたら、三好や細川 晴元に包囲網を築かれる良い口実になる。尾州畠山や公方が敵に回るからな。後、六角もか。今回の一件、細川 晴元か三好 範長が裏で手を引いていると想像しているんでね。同じ盤上に上がるつもりは毛頭無い」

「俺もボウズと同意見だ。何が自治独立だよ。あっさり武家に尻尾振りやがって。ああいう奴等には一度痛い目を見させないとな。ボウズのやり方は面白いから俺は大賛成だ」

 自然と俺と算長の目が合い、互いに笑い合う。戦いは腕力だけではないと言葉にせずとも理解し合う。

 そう、向こうが商いで追い詰めてきたなら、こちらも商いで追い詰めれば良い。町を焼くのは最後の大掃除だけだ。それまでにじっくりと甚振いたぶって二度と逆らえないようにしてやる。

 そのためにも、まずは木材部門からズタズタにしていこう。

「では国虎様、良い所で話も纏まりましたので私は皆と共に戦準備にかかります。新たな臣従先も増え、次は木材も必要となれば、残りの山間部は尚の事必要です。吉報を期待していてください。それでは」

 そんな時、これまで沈黙を守り一切の口を挟まなかった木沢 相政が、頃合と見てか締めの発言をする。元々は堺との取引が停止して軍を出す余裕が無いという話だったのを今更ながら思い出した。

 それが一気に販路も広がり新商品の素材確保が必要となれば、軍を出すのに支障が無いと判断されてもおかしくはない。

「あっ……」

 結果として相政は、承諾も取らずに光の速さで部屋を出て駆けて行った。

 こうして俺は取り残される。

「良かったじゃねぇか。これでまたボウズの領土が増えるな」

「……そうだな」
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