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五章 三好長慶の決断
小さな反乱
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一二月は「師走」とも言われている。その意味は僧が東西に忙しく走り回るからだとか。そう思えば、僧でなくとも人々が忙しく走り回る姿はまさに一二月に相応しいと言えるだろう。
但し、走り回るのは阿波三好軍兵士であるが。
「たーまーやー」
新居猛太で撃ち込んだ榴弾が晴元派軍の陣に落ち、派手な爆発を起こす。火の手が上がるのは合計で一〇。それが間断無く続く。
距離の離れたここからでは詳しい状況は分からないが、現場では大災害でも起きたようになっているのではないだろうか? 破片が飛び散り、怪我人が続出し、怨嗟の声が上がる。炎が燃え移り火事でも起こっていればしめたもの。混乱により拍車が掛かる。
ようやく俺達は本来の仕事へと戻る。追い返した敵の先遣部隊がまだ遠巻きに眺めてはいるが、それを無視する形で悠々と進めていた。
両軍の睨み合いが続く中で平気で他の敵を攻撃するというのは、何と間抜けな姿か。筋から言えば、目の前の相手にきっちりと引導を渡した上で行うのが正しいと分かってはいる。ただ、見る限り向こうには戦意が残っていない。例えまだ数が二〇〇〇残っていようと牽制がやっとである。なら、態々それに付き合う必要はない。
俺達のしている事をただ眺めているだけなら、本陣のある若林に戻った方が良いと思うが……あの爆発を見て動くに動けないという所か。その気持ちは分からないでもない。
「そうだ越前、伝令を頼む。善住坊に可能なら榴弾は外周部に落とすようにと。兵や将以外を恐がらせた方が崩壊が早くなる筈だからな」
「はっ。よく分かりませんが伝えてまいります」
今のままでも嫌がらせとしては十分であるが、折角ならより効果的な成果を出そうと新居猛太の部隊を指揮する杉谷 善住坊へ使いを出す。
基本的に兵の総数というのは水増しされている。この辺りは中世なら洋の東西を問わない。理由は非戦闘員の存在である。荷駄のような輸送部隊という意味ではない。この当時は商人や売春婦等の戦闘とは全く関係の無い者達が、当たり前のように軍に付き従っていた。長対陣になればより数が多くなる場合が多い。
売春婦がいるのは実に分かり易い。ストレスの溜まる戦場で発散ができなければ、兵が余計な真似をしだすからだ。周辺の村を襲い、略奪、強姦はお手の物である。
商人には多様な役割がある。周辺の村々から食料を買い上げ軍へと販売する者もいれば、戦場での略奪品の買い取りをする者もいる。買い取りは武具だけではなく人さえも対象であった。平たく言えば奴隷商である。勿論この時代なので古物商の許可申請は不要だ。
また、中には金貸しさえもいるという。暇な野郎が賭け事を始めて、自身の持ち物を質にまで出さないといけなくなるまで負けるというのは日常茶飯事と言って良い。後はお決まりの賭け事の負けは賭け事で取り返すとなる。
そんな民間人を狙って攻撃すれば、より混乱に拍車が掛かるという寸法だ。きっと命惜しさに泣き叫びながら逃げ惑ってくれるだろう。一人二人なら言うことを聞かせられるだろうが、数が増えればそうはいかない。とても外道な考えであった。
「それにしてもこれが新しい戦の姿かと思うと、そう遠くない未来に武芸を磨くのは意味の無い時代が訪れそうですな」
睨み合いに飽きて手持ち無沙汰となったのか、気が付けば本山 梅慶が俺の隣で爆発を見ながら珍しく寂しげな声で話を振ってくる。先の遭遇戦では弓隊をしっかり指揮した上に、木沢隊の突撃時には若手の引率までするという獅子奮迅の活躍を見せてくれた筈なのだが、それとはまた別の思いがあるのかもしれない。そう言えば梅慶自身も武勇で鳴らした将だったか。
「梅慶、先の戦いでは安岡 虎頼等の若手の面倒を見てくれて助かった。ありがとうな。それに弓隊の指揮も抜群だったぞ。俺からすれば武芸は十分活かされていると思うんだがな……それでも駄目か?」
「……ああいえ、儂は新居猛太でしたかな、あれを喰ろうた経験がありますでな。時折、あれを打ち破るには同じ武器で対抗するしかないのではと考えてしまうのです」
「そんな事か。なら安心しろ。そういう意味なら今後はより武芸が重視される時代が来ると思うぞ」
「……どうしてですかな?」
「薄々は気付いているんじゃないか? 火器の大量投入は敵が数で対抗してきた場合は有効だが、少数精鋭には分が悪い。それに懐に入られたら終わりだぞ」
「お言葉ですが、それこそ近寄られる前に大量の火器で制圧をすれば良いだけではないかと思われますが」
少し意外だな。梅慶は敵として新居猛太の攻撃に晒された経験があるとは言え、こうして逆の立場にもなったのだから長所や短所に気付いていると思ったのだが、そうでもないらしい。
これは鉄砲も含めた火器が万能ではない事を話す必要があるか。
「火器は思った以上に当たらないからな。小さな的に当てるのは至難の技だ。距離が離れれば離れるほど、ちょっとしたズレで見当外れの場所に着弾する。過信は禁物だぞ。だから的を絞らせない機動力の高い部隊には相性が悪いんだ。……確か散兵戦術で良かったと思うが、それで対抗できる。その実践には個々の武芸が必須になる訳だ」
「初めて聞く戦い方ですな」
「足軽を使っての集団戦は応仁の乱からじゃなかったか? それ以前の専門職に戻る形だな。但し、武芸として新たに火器の扱いも覚える必要があると思うが。火器の扱える武家が最強だとは思わないか? 離れれば火器や弓を使い、近寄れば槍や刀を振るうとなる」
結局の所、戦には完全な必勝法は無いというだけの話だったりする。その時々に応じて戦い方を変化させなければ勝てない。この時代は今後鉄砲の配備へと舵を切って行く形となるが、それは大勢の足軽に対抗するのが目的でないかと思われる。なら、俺達は更にその先に進めば良いだけだ。
「なんと! 確かに武芸を身に付けた武家が火器まで扱えるようになれば、足軽など一溜まりもありませぬな。……もしかして馬路党はそれを目指して国虎様が作られたのですか?」
「いや、偶然だぞ。精鋭の遊撃隊が欲しくて作っただけだ。焙烙玉や木砲辺りを使うようにしたのは、兵の少なさを補うためだな。商いを優先すると必然的に兵を専門化するしかないし、数も揃えられないという苦しい台所事情だな」
よく兵農分離をすると一年中軍事行動が可能だという利点が叫ばれるが、俺においては逆の発想である。常備軍化は産業に穴を開けないための苦肉の策であった。始めから軍を独立させておけば、戦を行なっても生産性は低下しない。結果、それが継戦能力の向上へと繋がる。見える結果は似ているが、その意味が大きく違っている。
この時代の土佐はとても貧しい。石高も大きくない。太閤検地基準なら現状の遠州細川家はようやく五万石を超えた辺りか。思った以上に荒廃していた土地が多かったからか、開発にはまだ多くの時間が掛かる。今は少しずつ初期の開発が結果を出し始めている程度であった。
なのに遠州細川家は分不相応な兵の数を持っている。合計すれば五〇〇〇を超えているだろう。それというのも早くから産業を育成してきたからに他ならない。
「それでもこの結果を見せられますと、慧眼としか言いようがありませぬ」
「大袈裟だ。戦を兵の数や銭で考えるのではなく、総生産で考えればこうなるぞ。まあ、その辺は置いておいて、とりあえず火器の扱いも武芸の一つだと思うように考えを改めてくれ。弓と同じで錬度が高くなければ当たらないからな」
「……弓と同じ」
「そうだ。梅慶は種子島銃の試作を見た事があるよな。あれを武芸として高めれば、百発百中となり、一〇〇〇の兵に匹敵する。まさに一騎当千だ。流鏑馬と同じく、馬に乗った状態で当てられるようになれば国士無双だと思うぞ」
「確かに……確かに……その通りですな。弓一つ、槍一つ取っても足軽と武家では全く違いまする。それを火器でも違いを見せれば良いだけの話だと」
「理解が早くて助かる。そういった訳で今後は武家の武芸が戦場の趨勢を決定する……今は遠州細川だけとなるがな」
俺の言葉が妙に腑に落ちたのか、本山 梅慶は何度も「火器も武芸」と呟いていた。事実、鉄砲の扱いには各地で〇〇流砲術が創設され、それを学んだ者とそうでない者との差は二極化されていく。一節には武家は鉄砲を毛嫌いしていたとも言われているが、その反面しっかりと武芸の一つとして昇華されていた証と言えるだろう。
こうして他愛も無い話を続けていると、状況が動いたのか伝令がやって来る。形式は気にしなくて良いといつも言っているのだが、相変わらず片膝を付いての姿を改めようとしない。
「申し上げます! 只今高屋城から部隊が出たそうです。若林に向けて進軍したと思われます」
「報告ご苦労。どうやら俺達の仕事ももうすぐ終わるな。よし、両軍の戦闘が始まったら撃ち方を止めて撤収するぞ。それまで後ひとふんばりだ」
確認は取れていないが、出撃した部隊は大方一部の主戦派だ。数は多くないと思われる。それでも敵陣が混乱したこの状況なら十分に渡り合えるのではないだろうか? 浮き足立った敵に組織的な抵抗を行なう術はそうそう無い。壊滅は無理だと思うが、陣を下げる程度の成果は期待できるだろう。
これを手柄とすれば今後の交渉もより有利に運ぶのではないかと思われる。俺も俺で救援という名目も果たしたし、後は遊佐殿に任せておけば良いな。
「国虎様、あの遠巻きにしている隊にはトドメを刺さないのですか?」
「あの連中に俺達に襲い掛かってくる気力は残っていないと思うぞ。若林の陣が体勢の立て直しのために後退したら、それに合わせて逃げるさ。そのまま逃がしてやれ。俺達の戦いはこれからだからな。余計な事に手を煩わせるのは馬鹿らしい」
「報告します!」
今度は別の伝令がやって来た。先の伝令と違い何やら様子がおかしい。困っていると言えば良いのか、何か面倒でも起きたような雰囲気であった。煩わしいのには関わりたくはないのだが……。
「うん? 今度はどうした?」
「敵方より和睦の使者が参りました。何やら治療と助命を願いたいとの事です。使者に会われますか?」
「はぁ? 和睦? 別にそんな事しなくても逃がすつもりなんだが……いや待て、治療か。分かった、会おう」
現状交戦中ではないにしろ、目の前の敵に治療を求めるというあり得ない内容に、一瞬「交渉に見せかけた暗殺」ではないかという考えが過ぎる。しかし、暗殺を目論むなら「治療」という言葉は使用しないと気付き、切羽詰った理由を知りたくて交渉に応じるのを決めた。
皆も危険なのは十分に分かっているからか、我先にと護衛に名乗り出る。とは言え、俺の護衛は既に柳生門下生がいるので心配無用である。要は護衛にかこつけて敵将を見たいだけだ。危険だと止めずに野次馬根性を発揮するのが「らしい」としか言いようがない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「このような願いをするのは筋ではないと分かっております。ですが、何卒篠原殿を救ってくだされ」
「……驚いた。本当の話だったのか」
使者としてやって来たのは仁木 高将と名乗る阿波細川家 (讃州家)の家臣であった。阿波細川家と言えば細川の庶流の中でも一線を画す超大物……は良いとして、あの細川 晴元の弟が当主の家だ。ある意味俺達にとっては宿敵の一つと言って良い。
予想外の人物の登場に護衛と称して付き従う皆が驚きの声を上げるが、使者である仁木殿は今にも泣き出しそうな悲痛な表情でひたすらに「何卒、何卒……」と繰り返す。
「仁木殿、和睦をせずともこの場から立ち去ってくれるなら、我々は追撃するつもりはありません」
「いえ、最早我が隊は撤退さえもできぬ状況に追い詰められているのです」
「もしかしてそれが、先程言っていた『篠原殿を救ってくだされ』の意味ですか? まずは何があったのかお聞かせください。そうでなければ和睦もできませんよ」
「……実は率いる兵の大多数が謀反を起こしました。篠原殿は刺され、人質にされております。解放の条件がそちらとの和睦です。もうこれ以上戦いたくないというのが兵達の総意で……何卒この通りです!」
そう言うや否や地面に額を擦り付けるように迷いもなく仁木殿が土下座をする。従者もそれに続いた。
「謀反」「人質」「和睦」「戦いたくない」……言っている意味は分かるが、何故こうなったのかがそもそも理解できない。ただ、それでも一つだけ理解できる点があった。それは仁木殿のこの態度から、言っている内容が嘘ではなく急いで治療しなければ篠原殿が危ないのだと。
普通に考えれば俺達が敵将の命を救うなど馬鹿げた話だ。多分皆は反対する。ただ、凶行に走ってまで俺達との和睦を求めた敵兵を受け入れるには、篠原殿を助け犯行に及んだ兵の罪の意識を消す必要がある。そんな気がした。
俺には何となくその時の気持ちが分かる。かっとなってつい手が出てしまったが、本当は怪我までさせるつもりはなかったんじゃないだろうかと。
「ふぅ。未だ事情は分かりませんが、分かりました。和睦を受け入れましょう。仁木殿は急いで戻って和睦が成立したと伝え、速やかに武装解除を行なってください」
「かっ、かしこまりました。ありがとうございます!」
「よし、お前等! 今回の戦はこれで終わりだ。水、食料、酒を存分に元敵さんに振舞ってやれ! それと金瘡医と助手は仁木殿に付いて行け。怪我人の治療だ。篠原殿が最優先だぞ!」
『はっ!』
とりあえず事情は後回しだ。飯を食って酒でも飲めば、苛立ちも少しはマシになって落ち着く筈。全てはそれからで良い。
それにしても畿内での初の戦いで、最後は戦場での宴会になるとはな。本当、どうしてこうなった。
但し、走り回るのは阿波三好軍兵士であるが。
「たーまーやー」
新居猛太で撃ち込んだ榴弾が晴元派軍の陣に落ち、派手な爆発を起こす。火の手が上がるのは合計で一〇。それが間断無く続く。
距離の離れたここからでは詳しい状況は分からないが、現場では大災害でも起きたようになっているのではないだろうか? 破片が飛び散り、怪我人が続出し、怨嗟の声が上がる。炎が燃え移り火事でも起こっていればしめたもの。混乱により拍車が掛かる。
ようやく俺達は本来の仕事へと戻る。追い返した敵の先遣部隊がまだ遠巻きに眺めてはいるが、それを無視する形で悠々と進めていた。
両軍の睨み合いが続く中で平気で他の敵を攻撃するというのは、何と間抜けな姿か。筋から言えば、目の前の相手にきっちりと引導を渡した上で行うのが正しいと分かってはいる。ただ、見る限り向こうには戦意が残っていない。例えまだ数が二〇〇〇残っていようと牽制がやっとである。なら、態々それに付き合う必要はない。
俺達のしている事をただ眺めているだけなら、本陣のある若林に戻った方が良いと思うが……あの爆発を見て動くに動けないという所か。その気持ちは分からないでもない。
「そうだ越前、伝令を頼む。善住坊に可能なら榴弾は外周部に落とすようにと。兵や将以外を恐がらせた方が崩壊が早くなる筈だからな」
「はっ。よく分かりませんが伝えてまいります」
今のままでも嫌がらせとしては十分であるが、折角ならより効果的な成果を出そうと新居猛太の部隊を指揮する杉谷 善住坊へ使いを出す。
基本的に兵の総数というのは水増しされている。この辺りは中世なら洋の東西を問わない。理由は非戦闘員の存在である。荷駄のような輸送部隊という意味ではない。この当時は商人や売春婦等の戦闘とは全く関係の無い者達が、当たり前のように軍に付き従っていた。長対陣になればより数が多くなる場合が多い。
売春婦がいるのは実に分かり易い。ストレスの溜まる戦場で発散ができなければ、兵が余計な真似をしだすからだ。周辺の村を襲い、略奪、強姦はお手の物である。
商人には多様な役割がある。周辺の村々から食料を買い上げ軍へと販売する者もいれば、戦場での略奪品の買い取りをする者もいる。買い取りは武具だけではなく人さえも対象であった。平たく言えば奴隷商である。勿論この時代なので古物商の許可申請は不要だ。
また、中には金貸しさえもいるという。暇な野郎が賭け事を始めて、自身の持ち物を質にまで出さないといけなくなるまで負けるというのは日常茶飯事と言って良い。後はお決まりの賭け事の負けは賭け事で取り返すとなる。
そんな民間人を狙って攻撃すれば、より混乱に拍車が掛かるという寸法だ。きっと命惜しさに泣き叫びながら逃げ惑ってくれるだろう。一人二人なら言うことを聞かせられるだろうが、数が増えればそうはいかない。とても外道な考えであった。
「それにしてもこれが新しい戦の姿かと思うと、そう遠くない未来に武芸を磨くのは意味の無い時代が訪れそうですな」
睨み合いに飽きて手持ち無沙汰となったのか、気が付けば本山 梅慶が俺の隣で爆発を見ながら珍しく寂しげな声で話を振ってくる。先の遭遇戦では弓隊をしっかり指揮した上に、木沢隊の突撃時には若手の引率までするという獅子奮迅の活躍を見せてくれた筈なのだが、それとはまた別の思いがあるのかもしれない。そう言えば梅慶自身も武勇で鳴らした将だったか。
「梅慶、先の戦いでは安岡 虎頼等の若手の面倒を見てくれて助かった。ありがとうな。それに弓隊の指揮も抜群だったぞ。俺からすれば武芸は十分活かされていると思うんだがな……それでも駄目か?」
「……ああいえ、儂は新居猛太でしたかな、あれを喰ろうた経験がありますでな。時折、あれを打ち破るには同じ武器で対抗するしかないのではと考えてしまうのです」
「そんな事か。なら安心しろ。そういう意味なら今後はより武芸が重視される時代が来ると思うぞ」
「……どうしてですかな?」
「薄々は気付いているんじゃないか? 火器の大量投入は敵が数で対抗してきた場合は有効だが、少数精鋭には分が悪い。それに懐に入られたら終わりだぞ」
「お言葉ですが、それこそ近寄られる前に大量の火器で制圧をすれば良いだけではないかと思われますが」
少し意外だな。梅慶は敵として新居猛太の攻撃に晒された経験があるとは言え、こうして逆の立場にもなったのだから長所や短所に気付いていると思ったのだが、そうでもないらしい。
これは鉄砲も含めた火器が万能ではない事を話す必要があるか。
「火器は思った以上に当たらないからな。小さな的に当てるのは至難の技だ。距離が離れれば離れるほど、ちょっとしたズレで見当外れの場所に着弾する。過信は禁物だぞ。だから的を絞らせない機動力の高い部隊には相性が悪いんだ。……確か散兵戦術で良かったと思うが、それで対抗できる。その実践には個々の武芸が必須になる訳だ」
「初めて聞く戦い方ですな」
「足軽を使っての集団戦は応仁の乱からじゃなかったか? それ以前の専門職に戻る形だな。但し、武芸として新たに火器の扱いも覚える必要があると思うが。火器の扱える武家が最強だとは思わないか? 離れれば火器や弓を使い、近寄れば槍や刀を振るうとなる」
結局の所、戦には完全な必勝法は無いというだけの話だったりする。その時々に応じて戦い方を変化させなければ勝てない。この時代は今後鉄砲の配備へと舵を切って行く形となるが、それは大勢の足軽に対抗するのが目的でないかと思われる。なら、俺達は更にその先に進めば良いだけだ。
「なんと! 確かに武芸を身に付けた武家が火器まで扱えるようになれば、足軽など一溜まりもありませぬな。……もしかして馬路党はそれを目指して国虎様が作られたのですか?」
「いや、偶然だぞ。精鋭の遊撃隊が欲しくて作っただけだ。焙烙玉や木砲辺りを使うようにしたのは、兵の少なさを補うためだな。商いを優先すると必然的に兵を専門化するしかないし、数も揃えられないという苦しい台所事情だな」
よく兵農分離をすると一年中軍事行動が可能だという利点が叫ばれるが、俺においては逆の発想である。常備軍化は産業に穴を開けないための苦肉の策であった。始めから軍を独立させておけば、戦を行なっても生産性は低下しない。結果、それが継戦能力の向上へと繋がる。見える結果は似ているが、その意味が大きく違っている。
この時代の土佐はとても貧しい。石高も大きくない。太閤検地基準なら現状の遠州細川家はようやく五万石を超えた辺りか。思った以上に荒廃していた土地が多かったからか、開発にはまだ多くの時間が掛かる。今は少しずつ初期の開発が結果を出し始めている程度であった。
なのに遠州細川家は分不相応な兵の数を持っている。合計すれば五〇〇〇を超えているだろう。それというのも早くから産業を育成してきたからに他ならない。
「それでもこの結果を見せられますと、慧眼としか言いようがありませぬ」
「大袈裟だ。戦を兵の数や銭で考えるのではなく、総生産で考えればこうなるぞ。まあ、その辺は置いておいて、とりあえず火器の扱いも武芸の一つだと思うように考えを改めてくれ。弓と同じで錬度が高くなければ当たらないからな」
「……弓と同じ」
「そうだ。梅慶は種子島銃の試作を見た事があるよな。あれを武芸として高めれば、百発百中となり、一〇〇〇の兵に匹敵する。まさに一騎当千だ。流鏑馬と同じく、馬に乗った状態で当てられるようになれば国士無双だと思うぞ」
「確かに……確かに……その通りですな。弓一つ、槍一つ取っても足軽と武家では全く違いまする。それを火器でも違いを見せれば良いだけの話だと」
「理解が早くて助かる。そういった訳で今後は武家の武芸が戦場の趨勢を決定する……今は遠州細川だけとなるがな」
俺の言葉が妙に腑に落ちたのか、本山 梅慶は何度も「火器も武芸」と呟いていた。事実、鉄砲の扱いには各地で〇〇流砲術が創設され、それを学んだ者とそうでない者との差は二極化されていく。一節には武家は鉄砲を毛嫌いしていたとも言われているが、その反面しっかりと武芸の一つとして昇華されていた証と言えるだろう。
こうして他愛も無い話を続けていると、状況が動いたのか伝令がやって来る。形式は気にしなくて良いといつも言っているのだが、相変わらず片膝を付いての姿を改めようとしない。
「申し上げます! 只今高屋城から部隊が出たそうです。若林に向けて進軍したと思われます」
「報告ご苦労。どうやら俺達の仕事ももうすぐ終わるな。よし、両軍の戦闘が始まったら撃ち方を止めて撤収するぞ。それまで後ひとふんばりだ」
確認は取れていないが、出撃した部隊は大方一部の主戦派だ。数は多くないと思われる。それでも敵陣が混乱したこの状況なら十分に渡り合えるのではないだろうか? 浮き足立った敵に組織的な抵抗を行なう術はそうそう無い。壊滅は無理だと思うが、陣を下げる程度の成果は期待できるだろう。
これを手柄とすれば今後の交渉もより有利に運ぶのではないかと思われる。俺も俺で救援という名目も果たしたし、後は遊佐殿に任せておけば良いな。
「国虎様、あの遠巻きにしている隊にはトドメを刺さないのですか?」
「あの連中に俺達に襲い掛かってくる気力は残っていないと思うぞ。若林の陣が体勢の立て直しのために後退したら、それに合わせて逃げるさ。そのまま逃がしてやれ。俺達の戦いはこれからだからな。余計な事に手を煩わせるのは馬鹿らしい」
「報告します!」
今度は別の伝令がやって来た。先の伝令と違い何やら様子がおかしい。困っていると言えば良いのか、何か面倒でも起きたような雰囲気であった。煩わしいのには関わりたくはないのだが……。
「うん? 今度はどうした?」
「敵方より和睦の使者が参りました。何やら治療と助命を願いたいとの事です。使者に会われますか?」
「はぁ? 和睦? 別にそんな事しなくても逃がすつもりなんだが……いや待て、治療か。分かった、会おう」
現状交戦中ではないにしろ、目の前の敵に治療を求めるというあり得ない内容に、一瞬「交渉に見せかけた暗殺」ではないかという考えが過ぎる。しかし、暗殺を目論むなら「治療」という言葉は使用しないと気付き、切羽詰った理由を知りたくて交渉に応じるのを決めた。
皆も危険なのは十分に分かっているからか、我先にと護衛に名乗り出る。とは言え、俺の護衛は既に柳生門下生がいるので心配無用である。要は護衛にかこつけて敵将を見たいだけだ。危険だと止めずに野次馬根性を発揮するのが「らしい」としか言いようがない。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「このような願いをするのは筋ではないと分かっております。ですが、何卒篠原殿を救ってくだされ」
「……驚いた。本当の話だったのか」
使者としてやって来たのは仁木 高将と名乗る阿波細川家 (讃州家)の家臣であった。阿波細川家と言えば細川の庶流の中でも一線を画す超大物……は良いとして、あの細川 晴元の弟が当主の家だ。ある意味俺達にとっては宿敵の一つと言って良い。
予想外の人物の登場に護衛と称して付き従う皆が驚きの声を上げるが、使者である仁木殿は今にも泣き出しそうな悲痛な表情でひたすらに「何卒、何卒……」と繰り返す。
「仁木殿、和睦をせずともこの場から立ち去ってくれるなら、我々は追撃するつもりはありません」
「いえ、最早我が隊は撤退さえもできぬ状況に追い詰められているのです」
「もしかしてそれが、先程言っていた『篠原殿を救ってくだされ』の意味ですか? まずは何があったのかお聞かせください。そうでなければ和睦もできませんよ」
「……実は率いる兵の大多数が謀反を起こしました。篠原殿は刺され、人質にされております。解放の条件がそちらとの和睦です。もうこれ以上戦いたくないというのが兵達の総意で……何卒この通りです!」
そう言うや否や地面に額を擦り付けるように迷いもなく仁木殿が土下座をする。従者もそれに続いた。
「謀反」「人質」「和睦」「戦いたくない」……言っている意味は分かるが、何故こうなったのかがそもそも理解できない。ただ、それでも一つだけ理解できる点があった。それは仁木殿のこの態度から、言っている内容が嘘ではなく急いで治療しなければ篠原殿が危ないのだと。
普通に考えれば俺達が敵将の命を救うなど馬鹿げた話だ。多分皆は反対する。ただ、凶行に走ってまで俺達との和睦を求めた敵兵を受け入れるには、篠原殿を助け犯行に及んだ兵の罪の意識を消す必要がある。そんな気がした。
俺には何となくその時の気持ちが分かる。かっとなってつい手が出てしまったが、本当は怪我までさせるつもりはなかったんじゃないだろうかと。
「ふぅ。未だ事情は分かりませんが、分かりました。和睦を受け入れましょう。仁木殿は急いで戻って和睦が成立したと伝え、速やかに武装解除を行なってください」
「かっ、かしこまりました。ありがとうございます!」
「よし、お前等! 今回の戦はこれで終わりだ。水、食料、酒を存分に元敵さんに振舞ってやれ! それと金瘡医と助手は仁木殿に付いて行け。怪我人の治療だ。篠原殿が最優先だぞ!」
『はっ!』
とりあえず事情は後回しだ。飯を食って酒でも飲めば、苛立ちも少しはマシになって落ち着く筈。全てはそれからで良い。
それにしても畿内での初の戦いで、最後は戦場での宴会になるとはな。本当、どうしてこうなった。
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