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五章 三好長慶の決断

どちらがより悪いか

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「此度は戦勝おめでとうございます」

「ありがとうございます。それと顔を上げてください。今回の勝ちは家臣全員の力でもぎ取ったようなものですよ」

 本日最後の交渉。難敵とも言える宇喜多殿の登場となる。とは言え、今の俺には宇喜多殿の妹を側室とするつもりは微塵も無いので最初から答えは決まっている。先の二つのように事情を聞かなくて良い分、ある意味楽な交渉かもしれない。

 変に期待を持たしたくないという思いから、単刀直入に本題を切り出す。

「宇喜多殿、最初にはっきりと伝えておきます。私は正室との離縁を考えておりませんし、(これ以上) 側室を持とうとは思っていません。折角のお話ではありますがご理解ください」

「……」

 俺の毅然とした態度に宇喜多殿がまさかという表情をしていた。

 その意味は俺にも分かる。兄である彼がこれだけ整った顔をしているのだから妹は間違いなく美少女なのだろう。この反応からしても間違いない。それを平気で袖にする俺は眼科に行った方が良い。そう言いたげな視線が突き刺さる。

 けれども、婚姻はそういった単純な理由だけで決められないのは分かっている筈。下交渉の現段階なら縁が無かったと断っても差し支えはない。そんな打算が俺の中にはあった。

 だからこそ、こんな茶番は終わらせてさっさと次へ進める。

 悲しいかな俺は二度の交渉で一つ学んでいた。

「そういう訳ですから、今回の交渉の本当の目的を教えて頂けませんか? 本日は宇喜多殿とのお話の前にずっと似たような話をしておりましたので、もう慣れました」

 最初に分かりやすい餌を見せて、なし崩し的に本命の案件を承諾させるのがこの手のやり方だというのを。

「……」

 こういう所が宇喜多殿の若さだろう。黙ってしまえば俺の言葉が正しいと認めたようなものである。これが今村殿のような交渉に慣れた人物なら、何食わぬ顔で受け流すのではないかと思ったりもした。

 迷いはあったようだが、観念したのか宇喜多殿が大きく息を吐く。その後に「人払いをお願いします」という言葉が出てきた。どうやら腹が決まったようだ。

 予想通りとは言え、人払いまで求めてくるとは一体どんな深刻な内容なのか? まずは聞かなければ始まらないと思い、刀だけはこちらで預かったが、後は要望通り元明を除いた家臣全てを室外へと出す。宇喜多殿は元明にも退去して欲しかったようだが、俺の身の安全のためにそれだけは了承してもらった。

「……さすがは細川殿と言うしかありませんね。分かりました。そこまで仰るなら私も白状致します。実の所、この度の私は浦上 宗景様の使いで土佐に足を運んだのです 。目的は浦上家の足場固めとなります」

「うん? 浦上 宗景殿と言えば、備前国に入られた浦上家の方ですね。確か宇喜多殿が乙子城を頂いた方だと記憶しています。いや待てよ。今回は浦上 宗景殿個人からの使いという事ですね。どういう意味でしょうか?」

「それを理解頂くには、まず始めに浦上家の状況を知って頂いた方が良いかと思います」

 そう前置きした宇喜多殿が話す内容は衝撃的な出来事ばかりであった。

 浦上 宗景殿の父親は大物だいもつ崩れで細川 高国様が討ち死にされた際に共に戦っていた人物である。同じく討ち死にされた。この敗戦が浦上家を混乱に導く切っ掛けとなる。

 跡を継いだ嫡男の浦上 政宗うらかみまさむね殿 (当時は元服前)は、その後父の仇の一人でもある主家の赤松あかまつ家と対立し、播磨国内で長年激しい抗争を続けていた。浦上家が赤松家の家宰的な立場である事が原因で派閥争い的な要素が含まれてしまい、抗争をより泥沼化させる。

 だが、そんな赤松家中を一転させて団結させる事態が起こった。

 それは出雲尼子家の上洛軍という外敵の存在である。大軍を擁する尼子軍に対抗するには赤松家内部で殴り合っている場合ではないというのは分かる理屈だ。

 そしてここからが問題である。

 尼子軍は上洛する途上に、赤松家や浦上家の支配国である美作国や備前国、果ては播磨国の領土を行き掛けの駄賃のように尼子色へと変えていく。それはもう一致団結した赤松家や浦上家を鎧袖一触する程に。

 つまりは赤松・浦上連合軍は負けた。しかも両家の当主が国を追われて堺まで落ち延びなければならなかったという負けっぷりだ。これが約七年前の話となる。

 これで話は終わらない。その後、出雲尼子家の上洛は事情により頓挫して軍を退却させる事態が起こる。それを好機と見た両当主は領国に返り咲く事に成功した。

 赤松家はさて置き、浦上家は守護代という実務に携わる立場である以上、荒らされた領国を急いで立て直す必要がある。いつまた気紛れで尼子軍が来襲するとも限らない上に、次も大敗して当主が国外逃亡するようでは目も当てられないからだ。特に備前国は浦上家の重要拠点でもあり、絶対に守らなければならない。そういった事情で現浦上家当主である浦上 政宗殿自身は播磨国で赤松家の筆頭家臣として活動しながら (対尼子において一度和解した上、領国回復の尽力によりこの地位を得る)、自身の弟である浦上 宗景殿を備前国に派遣した。

「宇喜多殿、実態は別として、今のお話では形式上浦上家は一度滅んでいる形になりませんか?」

「……当主が国外逃亡しましたからね。続きを話します」

 ここからは備前国内の話となるのだが、備前国には西部に松田家という大きな勢力を持つ豪族がいる。その家が毒にも薬にもならないのなら何の問題も無いが、長年浦上家と争うわ、かと思えば一転して味方になるわ、挙句の果てには出雲尼子家に降伏して尼子の手先になるわと風見鶏のようにころころと態度を変える厄介な存在である。

 そんな松田家の家臣に中山家という領主がいる。この中山家は沼城を居城としており、位置的には松田家の支配地域の最東端、つまり浦上家と領地を接する最前線となる。そんな中山家が松田家の態度に嫌気が差したのか、それとも浦上家に滅ぼされるのを恐れたのか分からないが、主家を鞍替えして浦上陣営に加わった。

 当然この時代がこれで終わる筈がない。何と浦上家当主である浦上 政宗殿は風見鶏の松田家と縁組して自陣営に引き込むという離れ業を見せる。

 さて問題です。この時点で松田家を裏切った中山家は、浦上家においてどんな役割を求められるか?

 もし松田家が尼子の家臣のままであれば、中山家の居城である沼城は対松田家への最前線となり、浦上家を守る盾としての重要な役割がある。しかし今はその限りではない。言わば梯子を外された状態だ。

 また沼城は山陽道と砂川との交点となる交通の要衝でもあり、東に一里半進めば福岡の町というこの時代有数の都市へと辿り着くという、経済上も防衛上も大事な場所でもある。

 加えて中山家は公家の山科やましな家の荘園を管理する代官の一族なのだが……当然ながらこの荘園は浦上 宗景殿が横領を考えているという。

 ここまで挙げられれば何が言いたいか俺でも分かった。備前支配を磐石にするに当たって中山家の存在が邪魔でしかないと言いたいのだろう。松田家側から見ても裏切り者である中山家は同じ認識の可能性が高い。

「なるほど、お話は分かりました。浦上 宗景殿は中山家の一族をこちらで引き取って欲しいという事ですね」

「いえ、婚姻の付き添い名目で中山家の当主である中山 勝政なかやまかつまさ殿には土佐に出向いてもらいますので、細川殿には領内で刺客に殺されるのを黙認してもらえれば……」

「えっ!?」

「えっ!?」

「備前国で暗殺するより楽なのは分かりますが、下手をすると戦に発展しますよ。そんな事をしなくとも、細川家に出向させて当主不在の間になし崩し的に城を乗っ取れば良いと思います。中山殿はそのままこちらで引き受けますので。荘園の代官をしているというなら、細川家では仕事は幾らでもありますから」

 乗っ取りの方法としては手堅い所では政務を代行しながら権限の委譲を勝手に行なえば良い。名義の書き換えである。その後は一族をまとめて叩き出せば作戦が完了する。

 それにしても暗殺の話とは恐れ入った。人払いの意味はこれだったのか。こんな話を持ってわざわざ土佐までやって来る宇喜多殿につい同情してしまう。

 俺も一度は派手な粛清を行っている手前、暗殺への経緯が理解できてしまうのが何とも。宇喜多殿もあの事件を知っているからこうして話したのだろうとも思った。正直な所、福岡の町が絡んでいるなら今後の取引のためには焼け野原にはして欲しくないし、安定した支配をして欲しい。為政者としてはそう間違っていない判断と言える。

「まさか私の予想を超える提案が出るとは思いませんでした」

「ははっ……私も一度通りましたから。付け加えるなら、後が厄介になりますから露骨には行なわない事ですね。一族を追い出す時は何らかの罪を被せるのをお勧めします。あっ、こういうのは一度きりにしておいた方が良いですよ。血を流さないとは言え、繰り返すと疑心暗鬼を招く筈ですから」

「……肝に銘じておきます」

 こうしてどちらが悪人か分からなくなる密談が終りを告げる。どうしてこんな危ない橋を渡るのかと聞いた所、成功すれば沼城が宇喜多殿の城になるという分かり易い報酬があったからだった。早く俺の援助無しでも生活できるようになりたいという思いだと教えてくれる。

 そこで思い出したのだが、中山 勝政殿を受け入れるに当たって何か報酬がもらえるのか聞く。宇喜多殿もこうした形で話が纏まるとは思わなかったらしく、その件については持ち帰って浦上 宗景殿と話し合ってくれるらしい。一応こちらからは低い年利で銭を貸して欲しいと要望を出しておいた。浦上 宗景殿は福岡の町は勿論として伊部の港を押さえており、相当な資金力があるのが強みだ。そこから開発資金を融通してもらえれば嬉しい。

 それとは別に宇喜多殿から陶石を買ってくれないかと提案される。本人はそうだと気付いていなかったが、灰色の表面ながら砕くと白色になる点からこれは間違いない。ろう石の取れる場所から見つかったとの事なので、俺なら欲しがるんじゃないだろうかと思ったそうだ。

 一応陶石は磁器の原料だと伝えたのだが、本人は興味は無いと言う。何でも苦心して磁器を作るよりも俺に売った方が浦上 宗景殿から報酬をもらえるらしい。世の中そんなものである。

「本日はとても有意義な話ができました今後とも宜しくお願い致します」

「こちらこそありがとうございました。それでは次の会談までに妹の嫁ぎ先を決めておいて下さい。細川殿の家臣の中からで結構ですので宜しくお願いします」

 ……何とか婚姻から逃れたと思ったのだが、結局それは許してくれなかった。宇喜多殿曰く今回の件でより細川家とは末永く付き合いたいと思うようになったのだとか。俺の一言がとんだやぶ蛇となる。とは言え、俺にもう一人側室が増えるという最悪の事態だけは回避できたので、良しとしておこう。

 この時代の美少女が嫁になるのだから、嫌だと言う者はそういないと思いたい。
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