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四章 遠州細川家の再興
閑話:荒殴り
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天文一三年(一五四四年) 京 西岡 今村 和葉
「♪日の出と共に起き出してー」
『♪日の出と共に起き出してー』
「♪走れと言われて一日走る 」
『♪走れと言われて一日走る 』
「♪三好軍はクソッタレー」
「…………何それ?」
決戦の日、桂川近くの革島城を出て指定の場所に行く最中、馬路様の良く分からない歌詞に皆が続く。緊張感がまるで感じられないが、誰もが文句も言わずに続ける所を見るといつもの光景なのだろう。いや、どうやら元気に歌っているのは馬路党だけのよう。他の人は何だかポカンとしている。
「押忍、張角様! これは国虎様から教わった歌です。普段は走りの鍛錬中に歌いますが、今日は皆の緊張を解し士気を上げるために歌っています」
「そうなんだ……」
相変わらず国虎は不思議な事をするなと思いつつも、「士気が上がる」のなら総大将の私も覚悟を決めて歌いだす。他の人達も私に続いて歌うようになった。
……とは言え、今日初めて歌うのだから不揃いにしかならないけど……。
不揃いの足取り、不揃いの装備、手にしているのは元は農具だったと思しき木製の棒。何故か馬路党一〇人は全員丸太を担いでいた。傍から見れば怪しげな集団である事この上ない。
けれども右肩の黄色い布が目的を一つとする。今日の勝利が自分達の何かを変えるのだろうと。そんな思いを抱いて、洛中と洛外との境目にいるはぐれ三好軍の陣に全員が声を出して歌いながら到着した。
……それにしても、この歌詞……もう少しどうにかならなかったのだろうか……。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「よく来たな黄巾賊よ。三好軍に恐れをなして逃げるかと思っていたが、この場にやって来た度胸だけは認めてやろう」
私達を出迎えてくれたのは、大方の予想通り完全武装にはほど遠い単なるゴロツキ集団だった。その数は四〇〇程度だろう。全員が刀や槍を手にしているけれども、防具にまでは手が回っていない。中には弓を得物としている人もいるけどほんの数人である。
そんな中、派手な鎧に身を包んだ若い男が前に出て、勝ち誇った顔でこう話し出す。
すっきりとした鼻筋に端正な顔立ち。ゴロツキの大将には相応しくない上品さである。けれども、こんな人でさえ散所や町の人を虐めていたのかと思うと、三好軍はどうしようもないなと改めて感じる。
「言葉合戦ですよ。姉さん、お願いします」
「えっ、えー。私はお飾りじゃなかったの?」
「こういう時、隊長に任せたら何を言うか分かりませんからね。三好の悪口を言えば良いだけですから姉さんなら大丈夫ですよ」
……早速これだ。こういうのを「なし崩し」と言うのだろう。女の私がここまででしゃばって良いのか分からないけど、皆の顔には期待が溢れている。上手くできるかどうか分からないけど、やるしかないか。
「えっーと、さすがは弱いものイジメしかできない三好ね。散所で町で、そして今この場でも正々堂々と戦えない。武士の風上にも置けないとはこの事」
「貴様……もしかして女か?」
「そうよ。三好に虐げられたのは私のような女も多いからね。黄巾賊として立ち上がるには十分な理由でしょう」
口元を隠し、裾の長い羽織を着て、一見そうだと分からないようにはしているけど、さすがに声を出せば性別は分かってしまう。
あっさりとそれを認めた私に、最初こそ若い男は不快感を表に出してはいたけれども……下卑た目になるのに時間は掛からなかった。
「気の強い女を屈服させるのは嫌いではない。私は石成 友通と言う。そなたの名を聞こうか」
「私は……和……いや、『張角』よ。黄巾賊を率いるのだから、この名前以外はあり得ないでしょう。それでとても偉い石成様は、女相手に後ろに下がってふんぞり返るのね」
「よくぞ私にそこまで言った。なら覚悟してもらおうか。望み通り刀の錆にしてくれん」
ちょっと言い過ぎたかなとは思いもしたが、これだけの挑発で激昂するとは思わなかった。顔を真っ赤にしながら刀を抜き、鞘を地面へと捨てる。
戦自体が初めての私にはこんな時、どうすれば良いか分からない。何もできずにただうろたえる。このままなら、本当に刀の錆になってしまうだけだと言うのに。
──それを、晴れやかな馬路様の声が全て塗り替えてしまう。
「押忍! 任せてください!」
瞬間、私の真横を何かが通過したような気がした。かと思うと、ドカンという音と共に石成様が鳥を絞め殺したような不快な声を発する。
見ればあの派手な鎧の腹部に長い丸太が食い込んでいた。体にまで到達してはいないと思うけど、間違いなく骨が折れたと分かる刺さり方だ。視覚外からの矢のような重量物の飛来。あっさりと投げ込んだ方もどうかと思うけど、当たった方もまさか丸太が飛んでくるとは思わない。石成様が千鳥足となり、膝から崩れ落ちる。
これが開始の合図となった。
「行くぞお前等! 掃除の時間だ!! 俺達が丸太で荒殴りにしていくから、後ろからの奴等はトドメを刺していけ!! ガンガン煙玉を投げ入れろ!」
『押忍!!』
今回護衛として一緒に来た馬路党は、「戦をする訳ではないから」と金砕棒を含めた殆んどの装備を土佐に置いてきた。でも、この「煙玉」だけは万が一の逃走用として大量に持ち込んでいた。本来の使い方ではないけれど、それをここぞとばかりに惜しみなく使う。
乱戦の中で煙玉を使えば、敵味方の判別ができなくなり逆に足を引っ張る。だからこそ馬路党員のみが敵中へと突っ込み、白煙の中で丸太を縦横無尽に振り回し暴れていた。逆に言えば周り全てが敵なら判別をしなくても良いという考え方である。馬路党らしいと言えば馬路党らしいけど、やっぱり馬鹿だ。
笑い声と悲鳴が交錯する。どちらが誰なのかは見なくても分かる。まさに水を得た魚のような心境なのだろう。
そんな中、ある一角では誰をも寄せ付けない雰囲気で二人だけの死闘が始まろうとしていた。
「お主、かなりの手練だな。某は吉岡 憲法と言う。名を聞いておこうか?」
「ふん。貴様に名乗る名は無い。知りたければ俺を倒してみな」
「笑止!」
同時に木刀同士の激突する乾いた音が響く。
余程腕に自信があるのか、吉岡様だけは刀ではなく木刀を手にしていた。その木刀で馬路様の鋭い打ち込みを難なく受ける。しかも鍔迫り合いでも馬路様と互角、いや吉岡様の方に分があるみたいだ。徐々に馬路様が後ずさっていく。体格は圧倒的に馬路様が上だというのにそれを何ともしない。どこにそんな力があるのだろう。
このままでは負けると感じたのか馬路様がさっと後ろに身を引く。ここで肩の力が入っていれば、下手をすると体勢を崩すというのに、吉岡様は微動だにしない。鋭い眼光で追撃の構えさえ見せたと思えば、馬路様の体勢の立て直しに対応して瞬時に取り止める。
こういうのを一進一退の攻防と言うのだろう。見た目こそ地味だけど、その中には技術や駆け引きが詰まっている。
今一度馬路様が仕掛ける。上段に大きく振り被り、間合いを詰める。こうした乱戦の場で横に薙ぐ動作は危険だ。予期せぬ障害物に邪魔をされ、剣筋が乱れる可能性がある。それを考えたのだろう。
大きく馬路様が吠えた。気合と共に相手の木刀を折らんばかり一撃……の筈が、
「えっ……?」
振り下ろされる木刀が馬路様の手にはなかった。眼では吉岡様を捉えながら右手だけを下手に回し、木刀を投げ付ける。視線を一切動かさない中での突然の投擲。ましてや意識外の腹への攻撃にはさしもの吉岡様も対応できず、小さく呻き声を上げながら膝を折る。地面には木刀が一振り転がっていた。
その隙を逃す手は無い。跳び上がりながら吉岡様の後頭部を掴んで、勢いのまま膝蹴りを顔面へと突き刺す。トドメに大の字に転がった吉岡様の頭を蹴飛ばす念の入れようであった。
「つ、強い……」
こういうのを「喧嘩殺法」というのだろう。剣の腕は明らかに吉岡様の方が上であった。でも、勝ったのは馬路様。戦場には作法は通じないとでも言わんばかりの無茶苦茶なやり方である。
これで一気に黄巾賊が沸き立ちそのまま押し切るか……とも思ったりもしたが、そうそう上手くは行かない。
幾ら馬路党の人達が一〇人、二〇人と倒しても三好軍はまだ大勢いる。大将と思しき石成様や実力者の吉岡様を倒しても総崩れとならず踏み止まっていた。黄巾賊の瞬間最大風力は高くてもやはり地力には差がある。
しかも、数の有利を生かして私達を取り囲もうとさえしてくる冷静さであった。主戦力が少ないのが分かったのだろう。丸太の攻撃範囲に入るか入らないかの距離で牽制をしてくる。数で押し潰すような荒い戦い方ではなく、馬路党員を釣り出す方法へと切り替えていた。
黄巾賊は私も含めて多くが馬路党員のような戦闘力は持っていない。分断されてしまえばそれで終わりとなる。それが分かっているからか、馬路党の人達はおいそれと前に出られない。
「張角様、煙玉は使い切ってしまいました。このままじゃ負けるかも知れません」
「まだよ! 援軍が来ればきっと何とかなる。それまで踏ん張って!」
じりじりと少しずつ包囲の輪を狭められる緊張感の中、敵から一筋の矢が放たれる。狙いは総大将である私。その瞬間、馬路党の人が丸太を捧げ矢盾とする。続いてもう一人が丸太を射手目掛けて投げつける。これが敵の一斉攻撃の合図となった。
遠い距離から先端だけを当てるように槍を突き出し、はたまた叩きつける。致命傷を与える意図ではなく、浅い怪我を負わせ体力を削る狙いだ。さしもの馬路党も全てには対応できない。腕に足に顔に切り傷を作り、血が滴る。
「このままでは負ける」と誰もがそう思った時、
ピィーー
敵の背後から指笛の音が聞こえてきた。
「白波賊推参! 義によって黄巾賊に助太刀致す!!」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
──このごろ都にはやる物 女に弱い三好者
「よいしょっと。これで全部ね。思ったより荷物が増えたわね」
あれから五日後、私達は土佐へと帰る運びとなる。あれだけの騒ぎを起こしたのだ。逃げ帰るのは当然の成り行きであった。学んでいた礼儀作法を途中で投げ出すのは心残りだけど、これは仕方ないと諦めるしかない。
結局もう一人の義父となる細川 国慶様には会えず仕舞いに終わる。もしかしたら、「婚姻自体が無くなってしまうかも」と思ったりもしたけれども、事情が事情だけに養女の手続きは今村様が全て行ってくれる形で収まった。
はぐれ三好軍との決闘は「白波賊」を名乗る援軍が到着後、とても呆気なく終わった。というのも、前後を挟まれ分が悪くなったと思ったのか、三好軍が一目散に逃げ出したからだ。援軍の数はたった五〇だったというのに……。
援軍を率いていたのは、ずっと別行動をしていた松山 重治様である。ずっと故郷やこの畿内で仲間集めをしていて、決闘の数日前に京入りをしていたらしい。
その後は気を失っている三好の人達を縄で縛って警護衆の詰所の前に転がして解散となる。というのも、急に激しい雨が降り出したので、そのままにしておくのが可哀想になったからだった。風邪を拗らせない事を祈ろう。私達はずぶ濡れになるし、泥だらけになるしで最悪だったけど。
でも一つ良かった事がある。
後で知ったのだけど、その日は三条で火付けが起きており、雨のお陰でボヤ程度に収まった。火付けは革島様の言っていた報復である。きっと町全体を焼き払うつもりだったのだろう。それを結果的にではあるけど未然に防ぐ形になった。
噂好きの京雀達はこの雨を張角の神通力だとも言ったりするけど、単なる偶然でしかない。それはともかく、どの道黄巾賊の活動はこの辺が潮時なのだと思う。これ以上はもう私達の手に負えそうになかった。
「張……いや、姉さん、こちらも準備が整いました。そろそろ出ましょうか」
行きは十数人だったのが、帰りは一〇〇人近くとなる。散所の子供達や松山様のお仲間が土佐行きに加わっていた。しかも後日、西岡の人達までもやって来るという。あの派手な暴れっぷりをみたからか、馬路党への入隊希望者が多いらしい。そう言えば、前も似たような事があったなと思う。
「ようやく土佐に帰れるかー」
色々とあった京の町ともこれで終わり。
久々に会う国虎は私を見て何と言うだろうか? 京で習った化粧をした姿に「綺麗だ」と言ってくれるだろうか? そんな事はどうでも良いか。今はあの人が待つ土佐に帰れる事を素直に喜ぼう。離れて分かったけど、膝枕する人がいないというのは妙に寂しい。
あそこが私の居場所であり、日常であった。
「♪日の出と共に起き出してー」
『♪日の出と共に起き出してー』
「♪走れと言われて一日走る 」
『♪走れと言われて一日走る 』
「♪三好軍はクソッタレー」
「…………何それ?」
決戦の日、桂川近くの革島城を出て指定の場所に行く最中、馬路様の良く分からない歌詞に皆が続く。緊張感がまるで感じられないが、誰もが文句も言わずに続ける所を見るといつもの光景なのだろう。いや、どうやら元気に歌っているのは馬路党だけのよう。他の人は何だかポカンとしている。
「押忍、張角様! これは国虎様から教わった歌です。普段は走りの鍛錬中に歌いますが、今日は皆の緊張を解し士気を上げるために歌っています」
「そうなんだ……」
相変わらず国虎は不思議な事をするなと思いつつも、「士気が上がる」のなら総大将の私も覚悟を決めて歌いだす。他の人達も私に続いて歌うようになった。
……とは言え、今日初めて歌うのだから不揃いにしかならないけど……。
不揃いの足取り、不揃いの装備、手にしているのは元は農具だったと思しき木製の棒。何故か馬路党一〇人は全員丸太を担いでいた。傍から見れば怪しげな集団である事この上ない。
けれども右肩の黄色い布が目的を一つとする。今日の勝利が自分達の何かを変えるのだろうと。そんな思いを抱いて、洛中と洛外との境目にいるはぐれ三好軍の陣に全員が声を出して歌いながら到着した。
……それにしても、この歌詞……もう少しどうにかならなかったのだろうか……。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「よく来たな黄巾賊よ。三好軍に恐れをなして逃げるかと思っていたが、この場にやって来た度胸だけは認めてやろう」
私達を出迎えてくれたのは、大方の予想通り完全武装にはほど遠い単なるゴロツキ集団だった。その数は四〇〇程度だろう。全員が刀や槍を手にしているけれども、防具にまでは手が回っていない。中には弓を得物としている人もいるけどほんの数人である。
そんな中、派手な鎧に身を包んだ若い男が前に出て、勝ち誇った顔でこう話し出す。
すっきりとした鼻筋に端正な顔立ち。ゴロツキの大将には相応しくない上品さである。けれども、こんな人でさえ散所や町の人を虐めていたのかと思うと、三好軍はどうしようもないなと改めて感じる。
「言葉合戦ですよ。姉さん、お願いします」
「えっ、えー。私はお飾りじゃなかったの?」
「こういう時、隊長に任せたら何を言うか分かりませんからね。三好の悪口を言えば良いだけですから姉さんなら大丈夫ですよ」
……早速これだ。こういうのを「なし崩し」と言うのだろう。女の私がここまででしゃばって良いのか分からないけど、皆の顔には期待が溢れている。上手くできるかどうか分からないけど、やるしかないか。
「えっーと、さすがは弱いものイジメしかできない三好ね。散所で町で、そして今この場でも正々堂々と戦えない。武士の風上にも置けないとはこの事」
「貴様……もしかして女か?」
「そうよ。三好に虐げられたのは私のような女も多いからね。黄巾賊として立ち上がるには十分な理由でしょう」
口元を隠し、裾の長い羽織を着て、一見そうだと分からないようにはしているけど、さすがに声を出せば性別は分かってしまう。
あっさりとそれを認めた私に、最初こそ若い男は不快感を表に出してはいたけれども……下卑た目になるのに時間は掛からなかった。
「気の強い女を屈服させるのは嫌いではない。私は石成 友通と言う。そなたの名を聞こうか」
「私は……和……いや、『張角』よ。黄巾賊を率いるのだから、この名前以外はあり得ないでしょう。それでとても偉い石成様は、女相手に後ろに下がってふんぞり返るのね」
「よくぞ私にそこまで言った。なら覚悟してもらおうか。望み通り刀の錆にしてくれん」
ちょっと言い過ぎたかなとは思いもしたが、これだけの挑発で激昂するとは思わなかった。顔を真っ赤にしながら刀を抜き、鞘を地面へと捨てる。
戦自体が初めての私にはこんな時、どうすれば良いか分からない。何もできずにただうろたえる。このままなら、本当に刀の錆になってしまうだけだと言うのに。
──それを、晴れやかな馬路様の声が全て塗り替えてしまう。
「押忍! 任せてください!」
瞬間、私の真横を何かが通過したような気がした。かと思うと、ドカンという音と共に石成様が鳥を絞め殺したような不快な声を発する。
見ればあの派手な鎧の腹部に長い丸太が食い込んでいた。体にまで到達してはいないと思うけど、間違いなく骨が折れたと分かる刺さり方だ。視覚外からの矢のような重量物の飛来。あっさりと投げ込んだ方もどうかと思うけど、当たった方もまさか丸太が飛んでくるとは思わない。石成様が千鳥足となり、膝から崩れ落ちる。
これが開始の合図となった。
「行くぞお前等! 掃除の時間だ!! 俺達が丸太で荒殴りにしていくから、後ろからの奴等はトドメを刺していけ!! ガンガン煙玉を投げ入れろ!」
『押忍!!』
今回護衛として一緒に来た馬路党は、「戦をする訳ではないから」と金砕棒を含めた殆んどの装備を土佐に置いてきた。でも、この「煙玉」だけは万が一の逃走用として大量に持ち込んでいた。本来の使い方ではないけれど、それをここぞとばかりに惜しみなく使う。
乱戦の中で煙玉を使えば、敵味方の判別ができなくなり逆に足を引っ張る。だからこそ馬路党員のみが敵中へと突っ込み、白煙の中で丸太を縦横無尽に振り回し暴れていた。逆に言えば周り全てが敵なら判別をしなくても良いという考え方である。馬路党らしいと言えば馬路党らしいけど、やっぱり馬鹿だ。
笑い声と悲鳴が交錯する。どちらが誰なのかは見なくても分かる。まさに水を得た魚のような心境なのだろう。
そんな中、ある一角では誰をも寄せ付けない雰囲気で二人だけの死闘が始まろうとしていた。
「お主、かなりの手練だな。某は吉岡 憲法と言う。名を聞いておこうか?」
「ふん。貴様に名乗る名は無い。知りたければ俺を倒してみな」
「笑止!」
同時に木刀同士の激突する乾いた音が響く。
余程腕に自信があるのか、吉岡様だけは刀ではなく木刀を手にしていた。その木刀で馬路様の鋭い打ち込みを難なく受ける。しかも鍔迫り合いでも馬路様と互角、いや吉岡様の方に分があるみたいだ。徐々に馬路様が後ずさっていく。体格は圧倒的に馬路様が上だというのにそれを何ともしない。どこにそんな力があるのだろう。
このままでは負けると感じたのか馬路様がさっと後ろに身を引く。ここで肩の力が入っていれば、下手をすると体勢を崩すというのに、吉岡様は微動だにしない。鋭い眼光で追撃の構えさえ見せたと思えば、馬路様の体勢の立て直しに対応して瞬時に取り止める。
こういうのを一進一退の攻防と言うのだろう。見た目こそ地味だけど、その中には技術や駆け引きが詰まっている。
今一度馬路様が仕掛ける。上段に大きく振り被り、間合いを詰める。こうした乱戦の場で横に薙ぐ動作は危険だ。予期せぬ障害物に邪魔をされ、剣筋が乱れる可能性がある。それを考えたのだろう。
大きく馬路様が吠えた。気合と共に相手の木刀を折らんばかり一撃……の筈が、
「えっ……?」
振り下ろされる木刀が馬路様の手にはなかった。眼では吉岡様を捉えながら右手だけを下手に回し、木刀を投げ付ける。視線を一切動かさない中での突然の投擲。ましてや意識外の腹への攻撃にはさしもの吉岡様も対応できず、小さく呻き声を上げながら膝を折る。地面には木刀が一振り転がっていた。
その隙を逃す手は無い。跳び上がりながら吉岡様の後頭部を掴んで、勢いのまま膝蹴りを顔面へと突き刺す。トドメに大の字に転がった吉岡様の頭を蹴飛ばす念の入れようであった。
「つ、強い……」
こういうのを「喧嘩殺法」というのだろう。剣の腕は明らかに吉岡様の方が上であった。でも、勝ったのは馬路様。戦場には作法は通じないとでも言わんばかりの無茶苦茶なやり方である。
これで一気に黄巾賊が沸き立ちそのまま押し切るか……とも思ったりもしたが、そうそう上手くは行かない。
幾ら馬路党の人達が一〇人、二〇人と倒しても三好軍はまだ大勢いる。大将と思しき石成様や実力者の吉岡様を倒しても総崩れとならず踏み止まっていた。黄巾賊の瞬間最大風力は高くてもやはり地力には差がある。
しかも、数の有利を生かして私達を取り囲もうとさえしてくる冷静さであった。主戦力が少ないのが分かったのだろう。丸太の攻撃範囲に入るか入らないかの距離で牽制をしてくる。数で押し潰すような荒い戦い方ではなく、馬路党員を釣り出す方法へと切り替えていた。
黄巾賊は私も含めて多くが馬路党員のような戦闘力は持っていない。分断されてしまえばそれで終わりとなる。それが分かっているからか、馬路党の人達はおいそれと前に出られない。
「張角様、煙玉は使い切ってしまいました。このままじゃ負けるかも知れません」
「まだよ! 援軍が来ればきっと何とかなる。それまで踏ん張って!」
じりじりと少しずつ包囲の輪を狭められる緊張感の中、敵から一筋の矢が放たれる。狙いは総大将である私。その瞬間、馬路党の人が丸太を捧げ矢盾とする。続いてもう一人が丸太を射手目掛けて投げつける。これが敵の一斉攻撃の合図となった。
遠い距離から先端だけを当てるように槍を突き出し、はたまた叩きつける。致命傷を与える意図ではなく、浅い怪我を負わせ体力を削る狙いだ。さしもの馬路党も全てには対応できない。腕に足に顔に切り傷を作り、血が滴る。
「このままでは負ける」と誰もがそう思った時、
ピィーー
敵の背後から指笛の音が聞こえてきた。
「白波賊推参! 義によって黄巾賊に助太刀致す!!」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
──このごろ都にはやる物 女に弱い三好者
「よいしょっと。これで全部ね。思ったより荷物が増えたわね」
あれから五日後、私達は土佐へと帰る運びとなる。あれだけの騒ぎを起こしたのだ。逃げ帰るのは当然の成り行きであった。学んでいた礼儀作法を途中で投げ出すのは心残りだけど、これは仕方ないと諦めるしかない。
結局もう一人の義父となる細川 国慶様には会えず仕舞いに終わる。もしかしたら、「婚姻自体が無くなってしまうかも」と思ったりもしたけれども、事情が事情だけに養女の手続きは今村様が全て行ってくれる形で収まった。
はぐれ三好軍との決闘は「白波賊」を名乗る援軍が到着後、とても呆気なく終わった。というのも、前後を挟まれ分が悪くなったと思ったのか、三好軍が一目散に逃げ出したからだ。援軍の数はたった五〇だったというのに……。
援軍を率いていたのは、ずっと別行動をしていた松山 重治様である。ずっと故郷やこの畿内で仲間集めをしていて、決闘の数日前に京入りをしていたらしい。
その後は気を失っている三好の人達を縄で縛って警護衆の詰所の前に転がして解散となる。というのも、急に激しい雨が降り出したので、そのままにしておくのが可哀想になったからだった。風邪を拗らせない事を祈ろう。私達はずぶ濡れになるし、泥だらけになるしで最悪だったけど。
でも一つ良かった事がある。
後で知ったのだけど、その日は三条で火付けが起きており、雨のお陰でボヤ程度に収まった。火付けは革島様の言っていた報復である。きっと町全体を焼き払うつもりだったのだろう。それを結果的にではあるけど未然に防ぐ形になった。
噂好きの京雀達はこの雨を張角の神通力だとも言ったりするけど、単なる偶然でしかない。それはともかく、どの道黄巾賊の活動はこの辺が潮時なのだと思う。これ以上はもう私達の手に負えそうになかった。
「張……いや、姉さん、こちらも準備が整いました。そろそろ出ましょうか」
行きは十数人だったのが、帰りは一〇〇人近くとなる。散所の子供達や松山様のお仲間が土佐行きに加わっていた。しかも後日、西岡の人達までもやって来るという。あの派手な暴れっぷりをみたからか、馬路党への入隊希望者が多いらしい。そう言えば、前も似たような事があったなと思う。
「ようやく土佐に帰れるかー」
色々とあった京の町ともこれで終わり。
久々に会う国虎は私を見て何と言うだろうか? 京で習った化粧をした姿に「綺麗だ」と言ってくれるだろうか? そんな事はどうでも良いか。今はあの人が待つ土佐に帰れる事を素直に喜ぼう。離れて分かったけど、膝枕する人がいないというのは妙に寂しい。
あそこが私の居場所であり、日常であった。
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