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四章 遠州細川家の再興

閑話:女張角 和葉

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 天文一三年 (一五四四年) 京 柳原 今村 和葉

 黄巾賊対三好軍 ── 馬路様からその話を聞かされた時、私は一気に卒倒しそうになる。ただ、ある点に気付き何とか踏み止まれた。よく考えなくても、三好軍の全てがこの京の都に押し寄せてくる話があり得ないからだ。

 報せを持ってきた馬路様も同じ見立てだった。三好軍本隊は決して動く事なく、京に滞在している軍の、しかも一部しかこの戦いには参加しないと考えている。

 軍は私的な理由では動かせない。動かすには正当な理由が必要になる。つまり、黄巾賊への逆恨みは理由にはならないという話であった。仮にもしここで軍として動いたなら、三好軍は自らで町中での略奪行為を認めるようなものである。それは外聞が悪くできない。

 そう考えると、黄巾賊の相手となる三好軍の中身自体は、実質その辺のゴロツキと変わらない。主に黄巾賊が退治した跳ねっ返りを集めただけの可能性が高く、どんなに頑張っても数は三〇〇までだろうという見立てである。対決の日は仮病でも使って仕事を休んでの参加になるだろうと馬路様は言っていた。

 何となく馬路様の考えは分かってきたけれども、そうすると今度は別の疑問が出る。

「まだよく分かっていないけど、立て札に掲げるような派手な事をすれば偉い人の耳にも入るんじゃないの?」

「姉さん、こういう時は『見なかった』『聞かなかった』にすれば良いだけですよ」

 馬路党員の一人がこう答えてくれた。

 どうやら三好軍の立場は元々『京の町衆への乱暴狼藉は一切していない』というものらしい。これまでの町の人からの苦情は全てこれで突っぱねていた。なら、実際に悪事を行なっていたのはどういうカラクリなのかと思えば、「非番時に兵が何をしているかまでは関知できない」という言い訳だった。

 つまり、表向き黄巾賊と三好軍のしている事は単なる町衆同士の喧嘩になるそうで……馬路党も身分を隠して活動しているから似たようなものではあるか。

「えっ、じゃあ馬路様が追われていたのはどうなるの?」

「……それは治安維持じゃないですか? 名目上は『喧嘩を止めさせる』でしょうね」

 これも苦しい良い訳にしか聞こえないけど……「よく思い付いたな」と感心するしかなかった。

 それに三好軍、もしくはその主に当たる細川軍は京の町に対して禁制 (金をもらって略奪等の禁止を約束)を出している。そうなると、本来は略奪を行なったり民に危害を加えてはいけない立場であり、兵がそれを行なうと処罰をしないといけない立場である。

 総合すると、今回の相手は表向きは勝手に三好の名を語るゴロツキ集団という話だった。だからこそ馬路様は付け入る隙があると言う。

「馬路党の数自体は一〇人のみですが、自分達には京での仲間がいますから勝てます。安心してください」

 ただ、問題はこの点であった。相手を過剰に恐れなくても良いという所までは理解できたけど、そもそも黄巾賊の戦力自体が問題である。

「確か……黄巾賊自体は二〇〇人を超えると言っていたけど、実際に戦える人はその半分もいないんじゃないの?」

 浄久様から聞いた数と馬路党から聞いた数、この二つに違いがある点はずっと気になっていた。けれどもそのカラクリはとても簡単なものだ。協力者全体の数と戦える人の数が違うというだけの話である。よく考えれば浄久様は黄巾賊の中を知らないのだから、食い違っているのは当たり前だった。

 幾ら黄巾賊の活動に協力してくれる人達がいると言っても、協力の内容は人それぞれ。例えばどこにどれ位の人数がいるかを知らせる役目の人達、例えば追っ手から身を隠すのに匿ってくれる人達、例えば怪我を負った際に治療をしてくれる人達と数え上げればキリがない。

 土佐でも軍として雇っている人達は大量にいる。けれども半数以上は水路や道を整備したり、家を建てたり、物を運んだり、御飯を作ったりと言った後方支援が主になっている。国虎も「兵が前線で全力を尽くして戦うには多くの人が手助けをしないといけない」と言っていたと思い出す。

「た、確かに姉さんの言う通りですが……皆気合が入っているので大丈夫です」

 ……目が泳いでいる。これでは戦える黄巾賊の数は少ないと言っているのと同じだ。数の少なさをひっくり返す策でもあるのだろうか? 何もないなら、無理矢理にでも土佐に戻した方が良いと思うけど……。

「これはその協力者の代表に会って話を聞くしかないか。全く勝ち目がないようなら土佐に返すからそのつもりで。皆をこんな所で死なす訳にいかないから」


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 やって来たのは洛外となる「西岡にしおか」の地。京の中心部から外れているものの、桂川の水を利用して農業が発展している。土佐とは比べ物にならないくらい裕福な場所と言えた。

 ……でもそれは表の話。場所からも分かる通り、ここは入る交通の要衝でもあった。そうなると様々な人の利害が絡み複雑化する。

 私は今、何も考えずに西岡に足を踏み入れた事を激しく後悔していた。

 黄巾賊の有力な協力者は、この地にある一〇を越える豪族の中の一つである革島かわしま家。幕府御家人にも取り立てられた由緒正しい家だ。

 そんな事を感じさせない革島家の人達は皆気さくで女の私を無碍に扱おうとしない。そればかりか、怪我をした散所の子供達を匿い治療まで施してくれていた。三好の人達に乱暴されたのだろう。こういう姿を見ると馬路様の無軌道な行動に何も言えなくなる。

「安芸殿の奥方ですね。態々のお越しありがとうございます。話は馬路殿より聞いております。この度は三好との決闘で総大将を買って出てくれたとか。目にもの見せてくれましょうぞ」

「…………えっ?」

 これが後悔の理由である。

 奥方という言葉に嬉しくなり聞き逃してしまう所だったけれども、間違いなく革島様は私を「総大将」と言っていた。

「いやいや、私は女ですよ。それに戦は一度もした事はありませんので総大将には荷が重すぎると思いますが……」

「まあまあ、所詮はお飾りですから。この度は戦と言うよりは規模の大きな喧嘩みたいなものです。だから大丈夫ですよ」

 そう朗らかに革島家の当主である革島 一宣かわしまかずのり様が言う。何だろう。西岡では土佐と同じく喧嘩はよくある光景なのだろうか? それも女の人も参加する程。京の人達はもっと上品だと思っていた。

 そんな違和感を感じながら革島様の話を聞いていると……どうしてだろう。何故か変な方向へと流れている。さっき言っていた「規模の大きな喧嘩みたいなもの」は嘘じゃないのかと思うようになっていた。

 結論から言えば、京の町は今、私の考えていた以上に深刻な状態だという。裏では危険な足音が迫っている。

 数日前の事であるが、三条の町衆が幕府の警護衆と喧嘩となり人死にまで出た。しかも死亡したのは警護衆の方である。その報復が近くやって来るだろうと噂が持ち上がっている。

 京の都は応仁の乱を終えて、法華一揆ほっけいっきを乗り越え、平和を取り戻したように見えるのは表面だけなのだと言う。現実には管領である細川様の家臣の茨木 長隆いばらきながたか様が京の町衆と度々諍いを起こしており、今もいつどんなひどい仕打ちをされるか分からないという気の休まらない日々であった。三好軍の暴走はその中の氷山の一角でしかなかった。

 そんな状態で何も起きない筈がない。横暴に耐えかねた町衆が暴発してしまうのも自然な流れである。今回の事件もそれだったのだろうと。

 戦渦に巻き込まれて人々が逃げ惑い、明日の食べ物さえもままならない。確かに今はこういった事は起こっていない。けれども、何でもない日常も送れず、守ってくれる筈の管領様に怯える日々を平和と言うのだろうか? 

 今回は黄巾賊に触発された可能性もあるけど、遅かれ早かれ同じような事件は起きただろうと話してくれる。

 話を総合すると京の町衆は我慢も限界らしく、何らかの形で溜飲を下げる出来事でも起こらなければ、下手をすると噂となっている報復が切っ掛けで今一度法華一揆のような大事件・大災害へと発展するかもしれないというものだった。

「あっ、あの、お話を聞けば聞くほど、とてもじゃないですが女の私が出る幕ではないような……」

「まあまあ、そう仰らずに。お飾りですから大丈夫ですよ。それに黄巾賊の首領が女性だったとなれば、町衆が喜ぶと思いませんか? きっと京雀 (噂好きの京都の人)達が大いに話題にしますよ」

 つまり私が総大将になるのは演出である。女に率いられた、それも賊に負けるはぐれ三好軍。確かにこんな痛快な出来事はないだろう。……馬路様が三日間帰ってこなかった理由が今分かった。最初から全てを仕組んでいたのだ。まさかこんな大それた事をするとは思っていなかった。

 それに私は知っている。馬路様は単純に三好軍相手に派手に暴れたいというだけの人だという事を。手段として「京の町の人達を守る」を選んだだけである。それを革島様は勘違いして、目的だと受け取ったのだと思う。なんと悪辣な。

「正式に軍が動くと大事になりますので名目上革島家としての協力できませんが、それでも息子をお付けしますのでどうぞこき使ってください。後、若い者もお出しします」

 ああ、この顔は完全に馬路様を信じ切っている……逆に私の方が申し訳なくなってしまった。「真実を知ると怒り出すかもしれないな」と思いながらも、ここまで来れば全てを丸く収めるために私が総大将になると諦めるしかない。本当、西岡の地に来てしまったのが運の尽きだ。

 こうした私の気持ちを知ってか知らずか話は続き、西岡衆からは他にも弓削家が人を出してくれたり、散所の人達も手を貸してくれると教えてくれた。これで総勢一五〇人になる。

 それでもまだ一五〇人である。前に国虎が冗談で言っていた「包囲殲滅陣」でも使えるなら何とかなるだろうけど、そういった事は私にはできないので三〇〇を相手にするのは心許ない。

「そう心配なさらず。馬路殿の伝手で援軍が遅れて来るそうなので我慢すれば勝てますよ。これなら何とかなると思いませんか?」

「自分達が一人で一〇〇人倒しますから腹括ってください」

 馬路党の言葉は別として、きちんと援軍まで用意されているなら革島様の言う通り何とかなりそうな気がした。何だか全てがお膳立てされているようで釈然とはしなかったが、完全に私の負けである。

「ありがとうございます姉さん……いや、これから黄巾賊を率いるのだから大将に相応しい名前が必要ですね。『張角』なんてどうですか?」

「えっ……」

 更に追撃をするような一言がぽろりと零れる。

 困惑する私を余所にこの場にいる人達は皆、妙案でも聞かされたような納得の顔となり、示し合わせたかのように同じ言葉が出るのにそう時間は掛からなかった。

『異議無し!!』

 こうして私は名実共に黄巾賊の首領となる。
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