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四章 遠州細川家の再興
閑話:甦る黄巾賊
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天文一三年 (一五四四年) 京 柳原 今村 和葉
京の都にやって来てから数ヶ月、私は当初思い描いていた生活とは全く違う肩の凝る日々を過ごしていた。
突然の婚約破棄に突然の養女入り。今村家にとって招かれざる客である私はこの京の都では辛い苦難が待っている、そう覚悟していたのだけれども、現実は想像の斜め上だったのがその理由である。これも全ては国虎のせいだ。うん、そういう事にしよう。
最初は嫌がらせをされたりもした。喜玖様は今村家で大事にされていた娘なのだから仕方ない。私が使用人の立場なら文句の一つも言いたくはなるので、その気持ちは理解できる。
でもそれは長く続かない。運悪く現場に居合わせた護衛の馬路 長正様が、今村家の屋敷で大暴れするという事件を起こした。嫌がらせをしてきた当人は勿論の事、止めに入った男の人まで纏めて殴り飛ばす。助けてくれたのは嬉しかったけど、幾らなんでもやり過ぎである。お陰で私は今村家の人達から恐れられる存在へと早変わりした。とは言え、余計なちょっかいを出されなくなったのでそれはそれで良しとしよう。
覚悟していた稽古も考えていたものとは違い肩透かしを食らう。礼儀作法は当たり前として、それ以外に覚えなければいけないのは読み書きや計算だったからだ。武家として読み書きができないと困るというのは分かるけど、計算まで必要なのは今村家らしいなと思ったりもした。どうやら安芸家の奥を預かるのだから、お金の出入りも分かるようにならないといけないらしい。
私からすれば、読み書きや計算はずっと一羽兄さんや国虎と長正寺で学んできたので今更ではある。三人の中では特に算盤が一番得意なのが自慢だったりする。その辺を披露すると今村家の人が驚く。しかも、私が持ち込んだ簡略化した算盤の使い方を教えて欲しいとまで言われた程である。
そういった訳で、私が今しているのは自然に振舞えるように礼儀作法の反復練習を続けるくらいである。一日の練習時間もそう多くはないので、生活は緩やか……と言うよりは逆に暇を持て余していた。お客様待遇なので家事の一つもさせてもらえない。
この暇を持て余していたのが肩の凝る出来事を呼び込んでしまう。何処で聞いたのかは分からないが、私を訪ねて人がやって来るようになっていた。平たく言えば商品の売り込みだったりする。初めて見る煌びやかな反物や髪飾りの数々に、最初は目も奪われはしたけどすぐに飽きてしまう。私が庶民だからだろう。数点買えば「もういいや」となってしまっていた。それでも、手を変え品を変えやって来る商家の人への対応は続けなければならないのが辛い所。
そんな私ではあるけど一つだけ興味をそそる物を見つける。それは薬。杉谷様のお陰で土佐でもある程度賄えるようにはなってはいても、品数はまだまだ。でも京では漢方を始めとした様々な薬が手に入るからか、見るだけでも楽しい。
今日は新しい反物が入ったという事で浄久様とお出かけ。私自身はもう興味はないけど、良い物があればアヤメちゃんや国虎の母上に贈れば喜ばれるだろうと思って見に行く。国虎から「京では何かと物入りだろうから余分に渡しておく」と結構な量の銀を預かっているので、支払いの心配もない。
浄久様はこういった時、私に色々な話をしてくれる。私が今村家で浮いた存在となっているからか、気を使ってくれているのだろう。今日も本来なら使用人に道案内をさせれば良いのに、わざわざ私のために案内役を買って出てくれたくらいである。
そうした憂鬱ながらも楽しい時間を過ごす筈が、今日はいつもとは違っていた。
「和葉殿、『黄巾賊』というのはご存知ですか?」
「あっ、はい。後漢末期の民の反乱ですね。確か……『三国志演義』だったと思いますが、その中で登場したと覚えてます」
「それが今、京の町にも出るようになりましてな」
「何なのですか? それは?」
国虎から前に聞いた事がある。明よりずっと昔、大陸には「漢」という国があり、その末期には食べるのに困った人達が略奪目的で反乱を起こしたそうだ。しかも物凄く大きな規模で、人数も三〇万人を超えていたらしい。張角という人がその人達を率いていたのだけど、何でも風や雨を呼び起こしたり病気を治すのだとか。ここまで来ると言い過ぎだと思う。
そして反乱を起こした人達は、頭に「黄巾」という黄色い頭巾を巻いていた事から「黄巾賊」と呼ばれるようになったと。
……「黄巾賊」は分かるのだけど、そんな大勢の人達の反乱があれば今頃京の町は大変な事になっているじゃないかと思う。
「『黄巾賊』と言っても我々京の町衆が勝手にそう呼んでいるだけですな。人数自体は一〇〇人もいないかと」
「浄久様、それならどうして『黄巾賊』と呼ばれるようになったのですか?」
もし時間が巻き戻せるならこの一言を取り消したい。それくらい浄久様が話す内容には心当たりがあり過ぎた。
本来の「黄巾賊」は頭巾を被っているけれども、昨今京を騒がせる黄巾賊は頭巾は被っていないらしい。その代わりに右の肩口に黄色い布を巻きつけているのだとか。全員が口元を隠しているので、誰だか分からないとも言っていた。
そして「黄巾賊」のもう一つの特徴の「蒼天已死 云々」 (そうてんすでにしす=漢王朝は死んだ)という言葉。今の黄巾賊は誰もそんな事はいっていないけれど、一人だけ裾の長い羽織を纏っている人がいて、その背中に「蒼天已死」と書いてあるらしい。
何となく護衛をしてくれている馬路党の人達の顔を見てみた。私と浄久様の話を聞いていたからか、誰もが目を合わそうとしない。何故か突然口笛を吹きだす。
そう言えば馬路様は京に到着したすぐは私に護衛として付いてくれていたけど、あの派手な大立ち回り以来「修行してきます」と言って、いつも朝早く何処かへ出て行き、日が暮れてから戻ってくる。今村家には眠りに帰ってくるだけになっていた。時には帰ってこない日もあるとか。
そう言えば馬路党の護衛は一〇人だった。けれども普段今村家で見掛けるのは三人しかいない。てっきり私はこの機会に京で羽を伸ばしているかと思っていたのだけど、これはもしかして、いや、もしかしなくても……
「和葉殿、ほら噂をすれば。あそこで三好様の見回り隊から逃げている集団、あれが京を騒がせる『黄巾賊』ですぞ」
どうか私の勘違いであって欲しいと思いながら浄久様が指し示す方角を見ると、六人の集団が武装した大勢の兵から逃げていた。
「……やっぱり」
口元を隠し羽織で体型を分からなくしているけど、あの背の高さといい、あの腕の太さといい、そして黄色い右肩といい……あの人しか考えられない。
そう、今逃げているのは馬路党隊長である馬路 長正様、その人であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
結局その日は反物を見る気分にはならなかったので、回れ右して今村家へと戻る。
それからは護衛の三人にこれまでの経緯を聞いていた。
最初は話すのを渋ってはいたが、「話さないなら国虎に告げ口する」と言うと、あっさりと陥落。言葉を濁したり、という事もなくも私の質問にも包み隠さず答えてくれた。
結論から言うと、馬路党の人達もまさかこうなるとは思っていなかったらしい。どんどんと話が大きくなっていって引っ込みがつかなくなったので、私には隠していたのだとか。
うん。それは絶対に事を収めようとしていないよね。
「……まあ、略奪や町の人への乱暴はしていないようなので今回は国虎への告げ口はしない事にします。それにしても何が切っ掛けでこうなったの?」
「黄巾賊」という名前のせいか、私は馬路党がこの京の都で略奪を繰り返しているのかと勘違いしてしまっていた。もしそうなら大問題だ。けれども、その辺は国虎の教育が行き届いていたのか「誓ってしていない」と真剣な表情で答えてくれる。それだけで肩の荷が少し下りた気分となる。
それなら、あの時はどうして三好軍から逃げていたのだろうという疑問が出る。それがこの質問になった。単に喧嘩をするだけなら土佐でも良くある話なので、ここまで大騒ぎにはならないと思う。
理由は……本当はよくないんだけど、私にはとても誇らしいものだった。
この柳原には「散所」と呼ばれる非人の人であったり物乞いの人であったりが住まう場所があり、そこでは何が起ころうと町の人には気にされない。私も元は河原者だったから、そういった空気は良く分かる。
誰からも気にされないというのは、ある意味やりたい放題ができる。例え人を殺そうと何も言われない。貧しい人が多いので、やり返すだけの力など当然持ってはいなかった。
そういう弱い立場の人は憂さを晴らす対象としては丁度良いと言える。私も小さい頃、兄が絡まれているのを何度か見た事があった。
三好軍というのは京では忌み嫌われる札付きと言っていい。今でこそ大人しくはなっているものの、約四〇年くらい前は京の町で火付け、略奪、強姦と悪行の限りを繰り返していた。そうした軍が突然「更生しました」と言っても誰も信じないだろう。
事実その通りだった。
むしゃくしゃした時は散所へやって来て、暴行を繰り返していたらしい。馬路党が鈍った身体を鍛えるのに良い場所を探していた時、偶然遭遇したのだと言う。
国虎曰く馬路党は馬鹿である。だから何の迷いもなくすぐさま殴り飛ばした。気絶するまで。それも全員。最後は散所の外に投げ捨てる。
国虎曰く馬路党は馬鹿である。だからこれは良い鍛錬になると考えた。しかも相手が強い三好軍というのがなお都合が良かったらしい。
これが「黄巾賊」の切っ掛けとなる。
名目上、現在の京の都は公方様の元、平穏を取り戻しているという形になっている。けれども、まだまだ外に出る時には護衛が必要となるほど物騒だ。それは野盗や浪人が原因の全てという訳ではない。
実は本来京の人達を守るべき細川様の軍も時に野盗と同じ事をする。さすがに三好 之長様のように「白昼堂々大軍を率いて」というのは無いけれど、末端の素行の悪い兵は何かの拍子で当たり前のように京の町で略奪をする。
今、京の町には馬路党の獲物が大量にいた。隊長の馬路様を筆頭に皆が嬉々として、京の町で日々大立ち回りを繰り返していたらしい。
これが、修行の正体だった。
幾ら馬路党と言えども、顔を知られると良くないという考えくらいはできるらしい。刃物を使うと大事になる可能性を考えて、得物は木製に限定しているとか。鎧は町中で走り回るのに向かないので着ないと言う。
そこで、同じ馬路党員だと判別するための印が必要になったらしい。
……これが良くなかった。
右の肩口に巻きつけた黄色い布。鎧を着けないためにそれを馬路党の証として代用した (馬路党員の鎧は右肩を黄色く塗っている)。けれども何故かそれが「黄巾賊」と呼ばれる原因になる。そして「黄巾賊」らしく、虐げられた人達が集い始める。
今では二〇〇人を超す大所帯へと変貌していた。
「……頭が痛くなってくるわね」
なお、馬路様の着ている羽織の文字は「晴元政権は死んだ」という意味らしい。何とも意地の悪い。
「姉さん、これでも自重しているんですよ。隊長がいつも『面倒だから屯所を襲いたい』と言っているのを俺達で止めているんですから」
「姉さん言わないの」
結構手遅れなような気もするけど、まだ今なら間に合う。このまま修行を続ければ、京の町で黄巾賊と三好軍、ううん、細川軍が争い、大勢の町の人達が巻き込まれるというのは簡単に想像できる。すぐにでも黄巾賊を解散しないと。
うん。まずは馬路様と今後に付いて話さないといけないな。私達の手に余るようなら、土佐に助けを求めた方が良いかもしれない。
「それにしても、こういう時に限って馬路様は帰ってこないし……」
嫌な予感はするけれども、私一人で解決できる問題ではないので今はどうする事もできなかった。
三日後、とても晴れやかな表情で馬路様が今村家に戻ってくる。
「ようし、お前等喜べ! ついに三好軍からご指名だ。戦をするぞ!」
その日、京の町の幾つかの場所に黄巾賊への果たし状が書かれた立て札が立っていた。相手は勿論三好軍である。
京の都にやって来てから数ヶ月、私は当初思い描いていた生活とは全く違う肩の凝る日々を過ごしていた。
突然の婚約破棄に突然の養女入り。今村家にとって招かれざる客である私はこの京の都では辛い苦難が待っている、そう覚悟していたのだけれども、現実は想像の斜め上だったのがその理由である。これも全ては国虎のせいだ。うん、そういう事にしよう。
最初は嫌がらせをされたりもした。喜玖様は今村家で大事にされていた娘なのだから仕方ない。私が使用人の立場なら文句の一つも言いたくはなるので、その気持ちは理解できる。
でもそれは長く続かない。運悪く現場に居合わせた護衛の馬路 長正様が、今村家の屋敷で大暴れするという事件を起こした。嫌がらせをしてきた当人は勿論の事、止めに入った男の人まで纏めて殴り飛ばす。助けてくれたのは嬉しかったけど、幾らなんでもやり過ぎである。お陰で私は今村家の人達から恐れられる存在へと早変わりした。とは言え、余計なちょっかいを出されなくなったのでそれはそれで良しとしよう。
覚悟していた稽古も考えていたものとは違い肩透かしを食らう。礼儀作法は当たり前として、それ以外に覚えなければいけないのは読み書きや計算だったからだ。武家として読み書きができないと困るというのは分かるけど、計算まで必要なのは今村家らしいなと思ったりもした。どうやら安芸家の奥を預かるのだから、お金の出入りも分かるようにならないといけないらしい。
私からすれば、読み書きや計算はずっと一羽兄さんや国虎と長正寺で学んできたので今更ではある。三人の中では特に算盤が一番得意なのが自慢だったりする。その辺を披露すると今村家の人が驚く。しかも、私が持ち込んだ簡略化した算盤の使い方を教えて欲しいとまで言われた程である。
そういった訳で、私が今しているのは自然に振舞えるように礼儀作法の反復練習を続けるくらいである。一日の練習時間もそう多くはないので、生活は緩やか……と言うよりは逆に暇を持て余していた。お客様待遇なので家事の一つもさせてもらえない。
この暇を持て余していたのが肩の凝る出来事を呼び込んでしまう。何処で聞いたのかは分からないが、私を訪ねて人がやって来るようになっていた。平たく言えば商品の売り込みだったりする。初めて見る煌びやかな反物や髪飾りの数々に、最初は目も奪われはしたけどすぐに飽きてしまう。私が庶民だからだろう。数点買えば「もういいや」となってしまっていた。それでも、手を変え品を変えやって来る商家の人への対応は続けなければならないのが辛い所。
そんな私ではあるけど一つだけ興味をそそる物を見つける。それは薬。杉谷様のお陰で土佐でもある程度賄えるようにはなってはいても、品数はまだまだ。でも京では漢方を始めとした様々な薬が手に入るからか、見るだけでも楽しい。
今日は新しい反物が入ったという事で浄久様とお出かけ。私自身はもう興味はないけど、良い物があればアヤメちゃんや国虎の母上に贈れば喜ばれるだろうと思って見に行く。国虎から「京では何かと物入りだろうから余分に渡しておく」と結構な量の銀を預かっているので、支払いの心配もない。
浄久様はこういった時、私に色々な話をしてくれる。私が今村家で浮いた存在となっているからか、気を使ってくれているのだろう。今日も本来なら使用人に道案内をさせれば良いのに、わざわざ私のために案内役を買って出てくれたくらいである。
そうした憂鬱ながらも楽しい時間を過ごす筈が、今日はいつもとは違っていた。
「和葉殿、『黄巾賊』というのはご存知ですか?」
「あっ、はい。後漢末期の民の反乱ですね。確か……『三国志演義』だったと思いますが、その中で登場したと覚えてます」
「それが今、京の町にも出るようになりましてな」
「何なのですか? それは?」
国虎から前に聞いた事がある。明よりずっと昔、大陸には「漢」という国があり、その末期には食べるのに困った人達が略奪目的で反乱を起こしたそうだ。しかも物凄く大きな規模で、人数も三〇万人を超えていたらしい。張角という人がその人達を率いていたのだけど、何でも風や雨を呼び起こしたり病気を治すのだとか。ここまで来ると言い過ぎだと思う。
そして反乱を起こした人達は、頭に「黄巾」という黄色い頭巾を巻いていた事から「黄巾賊」と呼ばれるようになったと。
……「黄巾賊」は分かるのだけど、そんな大勢の人達の反乱があれば今頃京の町は大変な事になっているじゃないかと思う。
「『黄巾賊』と言っても我々京の町衆が勝手にそう呼んでいるだけですな。人数自体は一〇〇人もいないかと」
「浄久様、それならどうして『黄巾賊』と呼ばれるようになったのですか?」
もし時間が巻き戻せるならこの一言を取り消したい。それくらい浄久様が話す内容には心当たりがあり過ぎた。
本来の「黄巾賊」は頭巾を被っているけれども、昨今京を騒がせる黄巾賊は頭巾は被っていないらしい。その代わりに右の肩口に黄色い布を巻きつけているのだとか。全員が口元を隠しているので、誰だか分からないとも言っていた。
そして「黄巾賊」のもう一つの特徴の「蒼天已死 云々」 (そうてんすでにしす=漢王朝は死んだ)という言葉。今の黄巾賊は誰もそんな事はいっていないけれど、一人だけ裾の長い羽織を纏っている人がいて、その背中に「蒼天已死」と書いてあるらしい。
何となく護衛をしてくれている馬路党の人達の顔を見てみた。私と浄久様の話を聞いていたからか、誰もが目を合わそうとしない。何故か突然口笛を吹きだす。
そう言えば馬路様は京に到着したすぐは私に護衛として付いてくれていたけど、あの派手な大立ち回り以来「修行してきます」と言って、いつも朝早く何処かへ出て行き、日が暮れてから戻ってくる。今村家には眠りに帰ってくるだけになっていた。時には帰ってこない日もあるとか。
そう言えば馬路党の護衛は一〇人だった。けれども普段今村家で見掛けるのは三人しかいない。てっきり私はこの機会に京で羽を伸ばしているかと思っていたのだけど、これはもしかして、いや、もしかしなくても……
「和葉殿、ほら噂をすれば。あそこで三好様の見回り隊から逃げている集団、あれが京を騒がせる『黄巾賊』ですぞ」
どうか私の勘違いであって欲しいと思いながら浄久様が指し示す方角を見ると、六人の集団が武装した大勢の兵から逃げていた。
「……やっぱり」
口元を隠し羽織で体型を分からなくしているけど、あの背の高さといい、あの腕の太さといい、そして黄色い右肩といい……あの人しか考えられない。
そう、今逃げているのは馬路党隊長である馬路 長正様、その人であった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
結局その日は反物を見る気分にはならなかったので、回れ右して今村家へと戻る。
それからは護衛の三人にこれまでの経緯を聞いていた。
最初は話すのを渋ってはいたが、「話さないなら国虎に告げ口する」と言うと、あっさりと陥落。言葉を濁したり、という事もなくも私の質問にも包み隠さず答えてくれた。
結論から言うと、馬路党の人達もまさかこうなるとは思っていなかったらしい。どんどんと話が大きくなっていって引っ込みがつかなくなったので、私には隠していたのだとか。
うん。それは絶対に事を収めようとしていないよね。
「……まあ、略奪や町の人への乱暴はしていないようなので今回は国虎への告げ口はしない事にします。それにしても何が切っ掛けでこうなったの?」
「黄巾賊」という名前のせいか、私は馬路党がこの京の都で略奪を繰り返しているのかと勘違いしてしまっていた。もしそうなら大問題だ。けれども、その辺は国虎の教育が行き届いていたのか「誓ってしていない」と真剣な表情で答えてくれる。それだけで肩の荷が少し下りた気分となる。
それなら、あの時はどうして三好軍から逃げていたのだろうという疑問が出る。それがこの質問になった。単に喧嘩をするだけなら土佐でも良くある話なので、ここまで大騒ぎにはならないと思う。
理由は……本当はよくないんだけど、私にはとても誇らしいものだった。
この柳原には「散所」と呼ばれる非人の人であったり物乞いの人であったりが住まう場所があり、そこでは何が起ころうと町の人には気にされない。私も元は河原者だったから、そういった空気は良く分かる。
誰からも気にされないというのは、ある意味やりたい放題ができる。例え人を殺そうと何も言われない。貧しい人が多いので、やり返すだけの力など当然持ってはいなかった。
そういう弱い立場の人は憂さを晴らす対象としては丁度良いと言える。私も小さい頃、兄が絡まれているのを何度か見た事があった。
三好軍というのは京では忌み嫌われる札付きと言っていい。今でこそ大人しくはなっているものの、約四〇年くらい前は京の町で火付け、略奪、強姦と悪行の限りを繰り返していた。そうした軍が突然「更生しました」と言っても誰も信じないだろう。
事実その通りだった。
むしゃくしゃした時は散所へやって来て、暴行を繰り返していたらしい。馬路党が鈍った身体を鍛えるのに良い場所を探していた時、偶然遭遇したのだと言う。
国虎曰く馬路党は馬鹿である。だから何の迷いもなくすぐさま殴り飛ばした。気絶するまで。それも全員。最後は散所の外に投げ捨てる。
国虎曰く馬路党は馬鹿である。だからこれは良い鍛錬になると考えた。しかも相手が強い三好軍というのがなお都合が良かったらしい。
これが「黄巾賊」の切っ掛けとなる。
名目上、現在の京の都は公方様の元、平穏を取り戻しているという形になっている。けれども、まだまだ外に出る時には護衛が必要となるほど物騒だ。それは野盗や浪人が原因の全てという訳ではない。
実は本来京の人達を守るべき細川様の軍も時に野盗と同じ事をする。さすがに三好 之長様のように「白昼堂々大軍を率いて」というのは無いけれど、末端の素行の悪い兵は何かの拍子で当たり前のように京の町で略奪をする。
今、京の町には馬路党の獲物が大量にいた。隊長の馬路様を筆頭に皆が嬉々として、京の町で日々大立ち回りを繰り返していたらしい。
これが、修行の正体だった。
幾ら馬路党と言えども、顔を知られると良くないという考えくらいはできるらしい。刃物を使うと大事になる可能性を考えて、得物は木製に限定しているとか。鎧は町中で走り回るのに向かないので着ないと言う。
そこで、同じ馬路党員だと判別するための印が必要になったらしい。
……これが良くなかった。
右の肩口に巻きつけた黄色い布。鎧を着けないためにそれを馬路党の証として代用した (馬路党員の鎧は右肩を黄色く塗っている)。けれども何故かそれが「黄巾賊」と呼ばれる原因になる。そして「黄巾賊」らしく、虐げられた人達が集い始める。
今では二〇〇人を超す大所帯へと変貌していた。
「……頭が痛くなってくるわね」
なお、馬路様の着ている羽織の文字は「晴元政権は死んだ」という意味らしい。何とも意地の悪い。
「姉さん、これでも自重しているんですよ。隊長がいつも『面倒だから屯所を襲いたい』と言っているのを俺達で止めているんですから」
「姉さん言わないの」
結構手遅れなような気もするけど、まだ今なら間に合う。このまま修行を続ければ、京の町で黄巾賊と三好軍、ううん、細川軍が争い、大勢の町の人達が巻き込まれるというのは簡単に想像できる。すぐにでも黄巾賊を解散しないと。
うん。まずは馬路様と今後に付いて話さないといけないな。私達の手に余るようなら、土佐に助けを求めた方が良いかもしれない。
「それにしても、こういう時に限って馬路様は帰ってこないし……」
嫌な予感はするけれども、私一人で解決できる問題ではないので今はどうする事もできなかった。
三日後、とても晴れやかな表情で馬路様が今村家に戻ってくる。
「ようし、お前等喜べ! ついに三好軍からご指名だ。戦をするぞ!」
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