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三章 敗北者達の叫び

望まれぬ当主就任

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 全ては不幸な事故としか言い表されない。いや、そうでなければ納得できないと言った方が良い。そんな出来事であった。

 昨日の父上は自ら指揮を取り、安芸城から西に位置する和食氏と戦っていたという。ここ数年、父上は毎年のように軍を起こしては和食氏と小競り合いを続けていた。

 我が安芸家と香宗我部家は因縁の関係ではあるが、その両家の間に立ち塞がって蓋をする形の和食家は、小勢力ながらも目の上のタンコブと言って差し支えない。敵対勢力という認識であった。もし和食家と香宗我部家が手を組めば、安芸家にとって非常に厄介になる。それは喉元にナイフを突きつけられる行為に等しい。そんな最悪の事態を回避するため、そして香宗我部家との直接対決のためにも、絶対に潰しておかなければいけない相手と言える。

 だからこそ父上が躍起になっていた。二年後の俺の帰還に合わせて、安芸家の悲願である香美郡奪還の橋頭堡を築いておきたかったのだろう。事実、戦いは激烈を極め、和食氏を本拠地である金岡城まで押し込んでいた。いつ崩壊してもおかしくない状況まで追い込んでいたという。

 ──そこが油断に繋がった。

 一筋の流れ矢が父上の眉間を刺し貫く。勝ちを手繰り寄せようと前線で指揮を採っていたのが最悪の結果を招いてしまった。馬上から転げ落ちる父上の姿に、安芸軍の誰もが現実を受け入れられずに呆然としてしまう。しかも間の悪い事に、これを好機と見た守将の和食 親忠わじきちかただが城から打って出て、総大将である父上を失った安芸軍を蹂躙したという話だ。ボロボロとなった安芸軍は這う這うの体で逃げ帰ってきたらしい。

 全てが初耳の内容であった。本当なら俺にも金岡城攻めの軍の動員を命令して良かった筈なのに、どうして遠慮して連絡しなかったのか。もし俺がこの戦に参加していれば、最低限父上を討ち死にさせなかった自信はある。いや、それ以前に家臣達が父上が前に出るを止めていれば、こんな事は起こらなかった。

 …………考えても仕方がないか。父上の討ち死には不幸な事故と思わなければ納得できそうにない。

 葬儀を行なう前に父上の遺体を見る事ができたが、本当に傷は眉間に刺さった矢の跡だけであった。細かな傷は散見したが、大きな傷はこれだけである。後ほんの数センチずれていればと思わずにいられない。その時は悲しいという感情よりも、悔しさで涙が止まらなかった。

 ここ数年、毎年のように家族が亡くなっていく。兄上、お爺様、そして父上……。残されたのは母上と俺の二人。戦国の世に生まれ変わって、死と隣り合わせである事は覚悟している。命の軽い時代である事も充分に承知している。けれども頭では分かっていても、こうも立て続けに身近な人の死をまざまざと見せられるとやり切れない思いがあった。これ以上身近な人の死を見たくない。そう考えてしまう俺は傲慢だろうか?

 その答えはきっと誰にも答えられない。ただ、一つ言える事がある。この死の連鎖の終着点は俺自身であるという事。それを断ち切るために俺は今も頑張っている。歴史を修正する事、そして変えるという事はそう簡単にできる訳ではないと分かってはいる。時代に翻弄されていると知りつつも、それを甘んじて受け入れる気は今後もなかった。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 本当なら父上の死を悲しみ、弔いたい所だが、諸々の事情がそれを許してくれない。

 平たく言えば、俺が安芸家の新当主となり皆を纏めなければいけない立場上、そんな暇が無いというだけである。

 ただ、ここで面倒な儀式が一つ。実は俺はまだ成人の証となる「元服の儀」を行なっていない。元々は二年後にそれを行なう予定だったからだ。

 本来の「当主就任」だけで捉えるなら、成人男子が必ずしも必要という訳ではない。事実、この時代には突然の当主死亡により二歳や四歳で当主に就任するという事例は山ほどある。多くの場合、このような時は後見人が付く形で体裁を整える。

 しかし、周りへの影響を考えるなら、お子様が当主となるよりも成人男子が当主になる方が遥かに安心感があると言えよう。そういった事情から当主就任の前に元服を前倒しするのが一般的であった。しかも、元服自体は一般的に一二歳から一六歳の間に行なう儀式である事から、現状一五歳の俺には何の問題も無い。

 そして、この「元服の儀」には切っても切れない風習がある。それは「烏帽子えぼし親」という制度だ。役割的には成人の証としての加冠、烏帽子を被せる人物であるが、これを誰にするかは意外に重要となる。

 何故なら、この「烏帽子親」は政治的な意味も持つからである。一般的には肉親である父親から加冠される事が多いと思う。特に武家における当主候補に実の父親が加冠というのは、次期当主である事を父親が認めるという意味がある。スムーズに家督継承されるにはこれが一番無難と言えよう。

 だが、世の中はそういった一般的な事例から外れる場合もままある。例えば力を持つ他家の当主が「烏帽子親」を務めると、その「烏帽子子」を後見する、平たく言えば「烏帽子親」の派閥に組み込む事を意味している。それを庇護を受けると取って良いと捉えるか、独立性を失い悪いと捉えるかはその時々の状況次第である。

 今回の俺の場合はやや特殊だ。本来の「烏帽子親」最有力とも言える父上がこの世にいないのが原因と言える。

 そうすると俺の「烏帽子親」をお願いするのは、妥当な考えであるなら母方の祖父である与松 元盛よまつもともりお爺様 (安芸家の一族となっているので安芸 元盛とも言われる)が適任である。一族の結束を固めるという内向きの理由を優先した形だ。

 だが、ここで俺は今回、普段親交のある細川 益氏様に「烏帽子親」をお願いした。元々安芸家は一族の仲が非常に良く、お家騒動に発展するような諍いはまず起こらないという理由から配慮する必要が無かったというのもあるが……益氏様が名乗り出てくれたというのが大きい。

 御本人は「もう守護代家ではない」と言いつつも、やはり名門細川家の面目躍如と言った所だろうか? 現代的に言えば学校の運動会や卒業式に来賓として名を連ねる市会議員と同じようなものだ。以前から俺の元服には「烏帽子親」を務めたいと仰ってくださっていたので打診した所、二つ返事でやって来られた。俺も俺で安芸家と遠州細川家との繋がりを外向きにアピールする材料としたつもりである。遠州細川家は現実的な力を持っていないとは言え、その名まで地に落ちているとは思えなかったからだ。

「ふむ。なかなかの姿だぞ」

「ありがとうございます」

 満足そうな顔で益氏様が烏帽子を被った俺の姿を見ている。そう言えば益氏様は四〇歳を過ぎたというのにまだ子がいなかったか。その辺りも「烏帽子親」を名乗り出てくれた事情かもしれない。普段遊びに来る奈半利とは違い、今回は見知らぬ安芸城内での儀式にも関わらず堂々とした立ち居振る舞いであった。こういう姿を見ると、そこら辺の田舎武士とは違うのが良く分かる。

 もう少しで笑いそうになったのが、部屋の奥で座っている益氏様のお付の方が感極まったような表情をしている事だ。何だか益氏様の晴れ姿を演出するような場になってしまったのは少し滑稽でもある。

 儀式も何とか恙無く終了したと言えよう。着慣れない衣装の俺が緊張でガチガチになった位で大きな失敗は無かったと思いたい。事実、母上や元盛お爺様、左京進義兄上、元明おじさんと身内と呼べる面々は俺の姿を喜んでくれていた。奈半利三人衆も勿論。来賓として来てもらった畠山 晴満様も満足そうな表情だった。現在の畠山 晴満様は、表向き客将という形で名門畠山家との繋がりをアピールする役割を担ってもらっている。

 ……ただ、何と言うかこの白けきった空気はどうした事か。参加している安芸家家臣の殆どが冷めた目で俺の事を見ていた。奈半利三人衆を除くと俺の元服式を喜んでくれていたのは、たった三名である。この場にいるほぼ半数は口を閉ざしたまま厳しい顔をしている。

 これまで気にしていなかったが、俺はもしかしたら安芸家の家臣達から嫌われているのだろうか?

 そんな思いを胸に、休憩を挟んで次の当主就任の挨拶を行なおうと改めて謁見の間に入った時にはとんでもない光景が俺が待っていた。

「ははっ……こりゃひでぇな」

 さっきまで謁見の間にいた家臣の殆んどがいなくなっていたのである。残ってくれていたのは俺の元服を喜んでくれていた者達だけ。後は軒並み休憩中に帰ってしまっていた。一体何が気に入らなかったのか?

 確かにこの時代、家臣だからと何でも言う事を聞く訳ではない。理不尽な命令をすれば簡単にキレて反抗されるし、もしくはあっさりと出奔されてしまう。そうならないよう家臣には十分に配慮をする必要があるのだが……これでは配慮もクソもない。

「国虎殿!」

「あっ、はい」

 呆然と立ち尽くす俺に母上が活を入れてくれる。それで何とか我に返る事ができた。改めて皆の顔を見る。心配そうな顔をする者、「頑張れ」とでも言いだけな顔をする者、ここで俺がどう行動するか興味津々の者、そして優しげな微笑みを見せてくれる者。反応は一人一人違っていたが、何も言わず俺の行動をじっと見守ってくれていた。

 そうだ。例え多くの家臣に嫌われていたとしても、全員に嫌われた訳ではない。俺の当主就任を受け入れ、忠義を尽くそうとしてくれる者もいる。それを忘れてはならない。なら、今この場でやらなければいけない事をやるだけだ。

「まず最初にこの場に残ってくれた者には礼を言う。皆の忠義は絶対に忘れないとこの場で誓おう」

『国虎様!』

「そして安心して欲しい。安芸家はまだ死んでいない。不運にも偉大な父上は亡くなってしまったが、私が残っている。その意味は皆には分かるだろう」

『……』

「簡単な事だ。憎き和食氏に報いを受けさせる。それが私の役目となる。……しかし、私一人の力では事は成せない。皆の力が必要だ」

『応!』

「安芸家の力を結集して和食氏を討つ! 敵は金岡城にあり! 皆の力で私を安芸家最強の当主にしてくれ! 頼んだぞ!!」

 どんなに辛くても恨み言は言わない。そんな事は誰も聞きたくないだろうと思い、ぐっと我慢した。きっと皆が求めているのはこれからの安芸家の目標。それも可能な限り分かり易く具体的な内容。父上の死を利用するようで申し訳ない気持ちとなるが、敵を設定する事で全員の気持ちを一つにさせる。稚拙なやり方だとは思うが、一番手っ取り早い方法を選択した。

 力技ではあるが武家の流儀に従おう。家臣達が俺を当主と認められないなら力を示す。和食氏を打ち倒し、今日出て行った奴らには詫びを入れさせてやる。仇討ちが主な理由だが、そういった意味でも和食氏との戦は避けて通れない選択であった。

 随分といい加減な事を言った自覚はあるが、俺の言葉で皆やる気になっているのが嬉しい。母上は今にも「立派になって」とでも言いそうな顔で涙ぐんでいる程だ。上手くいったと考えて良いだろう。 

 そうと決まれば、まずは現状の把握から始めなければいけない。今の安芸家の力がどの程度のものか。先の戦で被った被害から確認していく必要がある。望まれない当主だからこそ忙しくなるというのは皮肉な結果だな。

 本当に悲しむ時間さえも俺には与えられない。
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