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三章 敗北者達の叫び
Not for 楽市楽座
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ここ奈半利での物の売り買いは、多くは領主と商家という業者間取引が主体となっている。露店として軒を連ねる食べ物屋があるもののそれはごく一部。一般客とも言えるこの地域に住む民達は俺がこの地に来た当初、毎日の生活で精一杯であり、懐に余裕は無かった。
そういった事情で皆が生活に困らないようにと、こちらで用意した官製と言っても良い万屋で食料や生活必需品を賄う。これまではそれで全てが完結していた。
だが、ここ数年の産業構造の転換と事業の拡大が給金を増加させ、民の生活に余裕を齎す。それに伴い、これまで通りの最低限の供給では需要に追い付かない事態へと変化しつつあった。
更には港の再開発も行っている。ここ奈半利も寒村から町へと変貌する時期が訪れたと言えよう。結果俺達は、民達の要望に応えるべく市なり商店街を整備し、様々な顧客ニーズへの対応が求められるようになる。
戦国時代は現代のようにネットで簡単に商品を注文できない。物を買わんとするなら、各地から様々な商人なり業者なりを招き出店をしてもらわなければならない。そうすると、現代の歴史の教科書にも書かれているこの時代特有のあの言葉が出てくるのだが……
「この時代で言えば、やっぱり『楽市楽座』の導入か?」
「……いや、それはしない。何より面倒だ」
「そうだよな」
為政者としては、こういった場合活気ある町作りを目指すのが筋だ。「税」という上前を掠め取るためには、間違っても閑古鳥が鳴く寂れた町にしたいとは思わない。そこで織田 信長等が行なったとされる「楽市楽座」を導入するかどうかを親信と話していたが……少し考えた後、面倒臭くなって導入を諦める。俺の言葉に反論する事なく、親信もあっさりと同調していた。
そう、俺達二人は「楽市楽座」の有効性が分からず、全くと言って良いほど魅力を感じていないのだ。例え教科書で画期的な経済政策と書かれていても……。
何故ここで「楽市楽座は要らない」となったのか? それには今一度「楽市楽座」がどういったものかを考える必要があるだろう。
一般的に言われている「楽市楽座」とは、「座」と呼ばれる組合の独占販売を禁止し、誰もが自由に参加可能な公平な市場である。結果、ビジネスチャンスが広がり、競争の原理が導入され、より活気ある市場が形成されるというお題目なのだが……
──正直そんなものがマトモに機能するとは思えない。絵に描いた餅でももう少し上手く描く。
どうしてそう言えるのか? 理由はとても簡単だ。全ては「自由」と「公平」というキーワードである。現実はそう都合良くは進まない。
少し考えれば分かるが、誰もが「自由に参加できる」というのは、どんな悪徳業者も参加できるという意味である。例えば、現代でも話題になった「段ボール肉まん」 (具に段ボールを使用した肉まん)が大手を振って販売されてもおかしくない。
また、商品を偽って販売される事もあるだろう。典型的なのは「馬鹿には見えない服」と言って……ゲフンゲフン、竹光を刀として販売されるような事も起こり得る。
盗品が出回るような事態はほぼ間違いないと言って良い。売買が成立した後で元の持ち主からクレームが来た時には、面倒な事この上ない案件だ。盗品の売買はこの時代なら普通に行われているとは思うが、市場の信頼を低下させるので、できれば関わりたくない。現代的に言えば、本屋で万引きした漫画をブック〇フで買取してもらうようなものだ。
無責任な人間はこうしたリスクを示しても、「悪事が実際に起こってから取り締まれば良い」と簡単に言う。けれども、事が起こってから被害者に聞き取りをして、悪徳業者を捕まえ、被害者への損失を補填する事がどれほど面倒か。考えただけでも恐ろしい。なお、被害者を泣き寝入りさせるのは、当然ながらやってはいけない。
更に悪徳業者というのはどうしてか分からないが、カモが見つかると必ずと言って良いほど湧いて出る。一匹の悪徳業者がいればその影には三〇匹の悪徳業者が隠れているようなものだ。どこかのゴ〇ブリと変わらない。
また、自由な市場というのは大規模資本にとても有利である。平たく言えば、金持ち商家が立地の良い場所を金の力で押さえて市場を独占できてしまう。金持ちに優しく、貧乏人に厳しい市場と言えるだろう。競争の原理もへったくれもない。
こうした意味で、「誰もが自由に参加できる」というのは厄介事が持ち込まれる種でもある。
「俺が思うに、『楽市楽座』はどう考えても性善説でしか見ていないんだよな。この時代で通用する筈がないだろ」
「国虎もそう思うか……俺もだ。他にも、金の買取で聞いた『押し買い』や昔懐かしの『押し売り』もありそうだしな」
「あっー、『押し買い』に『押し売り』ね。絶対あるな」
ここで言う「押し買い」は市場価格より低い値で無理矢理買い取る迷惑行為であり、「押し売り」は買う意思の無い者に無理矢理商品を売りつける行為だ。現代ではもう聞かなくなったが、「今日刑務所から出所してきたばかりだ」と言って、相手を威圧しながら粗悪なゴム紐等を高値で売りつけるといった行為が「押し売り」の典型例である。
俺達が作る奈半利の町にこうした奴等は正直要らない。
──なら「公平」はどうなるか?
公平な市場というのは金持ち商家も弱小商家も悪徳業者も善良な業者も全てが同じ条件となる。ある意味正しい形ではあるが、そんな所に有名な商家や善良な業者が「是非参加したい」と思えるだろうか? 俺はそうは思えない。善良な業者は悪徳業者と同列に扱われるのを嫌がるだろうし、有名な商家は費用対効果の悪い田舎で商売するよりも都会の方が儲かる。
現代的に考えれば、有名店や工場を誘致するには相応の「優遇」が必要となる。しっかりとこちらが利益を提示しないと、普通は態々やって来ない。
つまり一般的に言われている「楽市楽座」は、現実性の乏しいトンデモ理論であると言わざるを得ない。この解釈の仕方がそもそも間違っていると俺は思う。
「まあ、『楽市楽座』自体が嘘だったとは言わないけどな」
「そうだよな。後、歴史は通説がひっくり返る事が良くあるからな。これもその類じゃないか?」
「言えてる」
今度は「楽市楽座」を切り離して、現代的な発想で商家や業者を呼び込む方法を考えてみる。
そうした場合は実に簡単だ。先ほど触れた「優遇」を行なえば良い。地方が工場等を誘致する際には「固定資産税の免除」等の「税金の優遇措置」が一般的に使用されている。これと同じ考えに立てば良い。
つまり「特権」を与える訳だ。「楽市楽座」とは真逆の考え方である。確かに自分達が「特権」を得るなら、ある程度売り上げが悪くともそこに参加しても良いと考える者が出てきてもおかしくはない。
個人的にはこの何らかの「特権」を与える事が本来の「楽市楽座」ではないかと思っている。どうして真逆の解釈となったのだろうか。
但しこれにも問題はある。「特権」を与えた誘致は、一時的なカンフル剤にしかならないからだ。誘致が完了した時点で目的としては充分に達成すると思われるが、根付くとは限っていないという話になる。平たく言えば「旨みが無い」と思われた瞬間に撤退される。補助金の切れ目が縁の切れ目。残されるのは買い物難民となる地域住民という末路。こういった事例はどこにでもある。
こういった要素を鑑みると、「楽市楽座」は安易に導入できないという話となった。それよりも甲賀忍者を雇って、各地から商品を仕入れてもらう方がお得ではないかと思っている程だ。
後、これは俺の勉強不足だと思うが、「楽市楽座」の導入された地域が大きく発展したという事例を知らない。俺自身は「楽市楽座」は地域の発展にあまり貢献していないと考えている。せいぜいが元々あった門前町の市に「楽市楽座」指定を行い、税金を掠め取るようなものだと思っている。感覚的にはコミケを単なるフリーマーケットだと考えていたら、想像以上に利益を出しているサークルがあったので急いで課税対象にしたという所だろう。
これは繰り返しになるが、商人にとって魅力的に感じる市場とは購買意欲が旺盛な消費者が数多くいる場所である。だから都会には様々な商家が集まる。端的に言えば、商人という人種は「儲かる場所で商売をしたい」。ただそれだけ。優遇だ何だと言っても結局はこれだと思っている。
ならば俺達はどういった市場作りをすれば良いか? 具体的には善良な業者のみで構成された (ここが大事)、有名所からまだ知られていない新進気鋭までの数多くの業者を呼び込む。シンプルだがこれしか方法が無い。
──こうした結果、消費者が安心して買い物ができる空間となる。いわゆる消費者目線である。
それをどう実現するか? となると、この時代なら寺社の力を借り、大規模商家の力を借りて行なう。要は「座」に運営を任せる形だ。これ以外の方法を一から構築するのは費用対効果が悪過ぎる。元からある枠組みを利用する方が早い。「座」という組合にはれっきとした意味があったというだけの話だ。
ここで座の利用を言うと、「それ自体が既得権益になっている」という反論が出るかもしれない。しかし、それが何故悪いのか俺には分からない。大事な事は消費者に「可能な限り不利益を与えない」という一点だ。商品品質の維持への指導、価格維持の指導、悪徳業者の排斥等、こうした雑多な仕事をきちんとこなしてくれるなら、その対価は払って然るべきである。
問題があるのは行き過ぎた場合だけだ。そうならないように座の監視をしっかりと行なえば良いだけである。一つ一つの業者を監視するより遥かに効率が良い。
新しいから善で、古いから悪というのはそもそも間違っているという当然の話であった。
その上で俺達がする事と言えば、まだヨチヨチ歩きの民間市場を潰さないよう公共事業や投資をしっかり行い、民の所得水準を上げるという教科書的な回答でしかなかった。
話は大きく逸れたが、こうした経緯でこの町の商人の誘致や管理は、安芸家の菩提寺である浄貞寺に協力を仰ぎ、運営自体を任せる予定である。雑賀衆と繋がりのある本願寺や根来寺に依頼するのも一つの手ではあるが、「菩提寺をないがしろにした」と言われたくないので、今回は浄貞寺に依頼する。
この戦国時代は宗教が身近にある時代である。だからこそ、ほど良い距離感が必要となる。利益を奪うのではなく、利益を分け与える。協力し合う。御近所付き合いのような感覚かもしれない。時には助けを求める時もあるだろう。「金を貸してくれ」と。
勿論宗教組織が先鋭化し対立した場合は、武力による討伐も視野に入れないといけない。しかし、そうならないようにするのも俺達の仕事と言える。
色々と回り道をしたような気がするが、結論としては町の運営に浄貞寺を一枚噛まして、面倒な事はそこに丸投げしてしまおうという話であった。
「そうそう。甲賀忍者をスカウトできるなら、一度浄貞寺に預かってもらうつもりでいたから都合が良いな。教育も任せよう」
「……それはもう特権ではなく、顎で使われているだけだと思うぞ。可哀想に」
「そんなに褒めるなよ」
「褒めてねぇよ」
そういった事情で皆が生活に困らないようにと、こちらで用意した官製と言っても良い万屋で食料や生活必需品を賄う。これまではそれで全てが完結していた。
だが、ここ数年の産業構造の転換と事業の拡大が給金を増加させ、民の生活に余裕を齎す。それに伴い、これまで通りの最低限の供給では需要に追い付かない事態へと変化しつつあった。
更には港の再開発も行っている。ここ奈半利も寒村から町へと変貌する時期が訪れたと言えよう。結果俺達は、民達の要望に応えるべく市なり商店街を整備し、様々な顧客ニーズへの対応が求められるようになる。
戦国時代は現代のようにネットで簡単に商品を注文できない。物を買わんとするなら、各地から様々な商人なり業者なりを招き出店をしてもらわなければならない。そうすると、現代の歴史の教科書にも書かれているこの時代特有のあの言葉が出てくるのだが……
「この時代で言えば、やっぱり『楽市楽座』の導入か?」
「……いや、それはしない。何より面倒だ」
「そうだよな」
為政者としては、こういった場合活気ある町作りを目指すのが筋だ。「税」という上前を掠め取るためには、間違っても閑古鳥が鳴く寂れた町にしたいとは思わない。そこで織田 信長等が行なったとされる「楽市楽座」を導入するかどうかを親信と話していたが……少し考えた後、面倒臭くなって導入を諦める。俺の言葉に反論する事なく、親信もあっさりと同調していた。
そう、俺達二人は「楽市楽座」の有効性が分からず、全くと言って良いほど魅力を感じていないのだ。例え教科書で画期的な経済政策と書かれていても……。
何故ここで「楽市楽座は要らない」となったのか? それには今一度「楽市楽座」がどういったものかを考える必要があるだろう。
一般的に言われている「楽市楽座」とは、「座」と呼ばれる組合の独占販売を禁止し、誰もが自由に参加可能な公平な市場である。結果、ビジネスチャンスが広がり、競争の原理が導入され、より活気ある市場が形成されるというお題目なのだが……
──正直そんなものがマトモに機能するとは思えない。絵に描いた餅でももう少し上手く描く。
どうしてそう言えるのか? 理由はとても簡単だ。全ては「自由」と「公平」というキーワードである。現実はそう都合良くは進まない。
少し考えれば分かるが、誰もが「自由に参加できる」というのは、どんな悪徳業者も参加できるという意味である。例えば、現代でも話題になった「段ボール肉まん」 (具に段ボールを使用した肉まん)が大手を振って販売されてもおかしくない。
また、商品を偽って販売される事もあるだろう。典型的なのは「馬鹿には見えない服」と言って……ゲフンゲフン、竹光を刀として販売されるような事も起こり得る。
盗品が出回るような事態はほぼ間違いないと言って良い。売買が成立した後で元の持ち主からクレームが来た時には、面倒な事この上ない案件だ。盗品の売買はこの時代なら普通に行われているとは思うが、市場の信頼を低下させるので、できれば関わりたくない。現代的に言えば、本屋で万引きした漫画をブック〇フで買取してもらうようなものだ。
無責任な人間はこうしたリスクを示しても、「悪事が実際に起こってから取り締まれば良い」と簡単に言う。けれども、事が起こってから被害者に聞き取りをして、悪徳業者を捕まえ、被害者への損失を補填する事がどれほど面倒か。考えただけでも恐ろしい。なお、被害者を泣き寝入りさせるのは、当然ながらやってはいけない。
更に悪徳業者というのはどうしてか分からないが、カモが見つかると必ずと言って良いほど湧いて出る。一匹の悪徳業者がいればその影には三〇匹の悪徳業者が隠れているようなものだ。どこかのゴ〇ブリと変わらない。
また、自由な市場というのは大規模資本にとても有利である。平たく言えば、金持ち商家が立地の良い場所を金の力で押さえて市場を独占できてしまう。金持ちに優しく、貧乏人に厳しい市場と言えるだろう。競争の原理もへったくれもない。
こうした意味で、「誰もが自由に参加できる」というのは厄介事が持ち込まれる種でもある。
「俺が思うに、『楽市楽座』はどう考えても性善説でしか見ていないんだよな。この時代で通用する筈がないだろ」
「国虎もそう思うか……俺もだ。他にも、金の買取で聞いた『押し買い』や昔懐かしの『押し売り』もありそうだしな」
「あっー、『押し買い』に『押し売り』ね。絶対あるな」
ここで言う「押し買い」は市場価格より低い値で無理矢理買い取る迷惑行為であり、「押し売り」は買う意思の無い者に無理矢理商品を売りつける行為だ。現代ではもう聞かなくなったが、「今日刑務所から出所してきたばかりだ」と言って、相手を威圧しながら粗悪なゴム紐等を高値で売りつけるといった行為が「押し売り」の典型例である。
俺達が作る奈半利の町にこうした奴等は正直要らない。
──なら「公平」はどうなるか?
公平な市場というのは金持ち商家も弱小商家も悪徳業者も善良な業者も全てが同じ条件となる。ある意味正しい形ではあるが、そんな所に有名な商家や善良な業者が「是非参加したい」と思えるだろうか? 俺はそうは思えない。善良な業者は悪徳業者と同列に扱われるのを嫌がるだろうし、有名な商家は費用対効果の悪い田舎で商売するよりも都会の方が儲かる。
現代的に考えれば、有名店や工場を誘致するには相応の「優遇」が必要となる。しっかりとこちらが利益を提示しないと、普通は態々やって来ない。
つまり一般的に言われている「楽市楽座」は、現実性の乏しいトンデモ理論であると言わざるを得ない。この解釈の仕方がそもそも間違っていると俺は思う。
「まあ、『楽市楽座』自体が嘘だったとは言わないけどな」
「そうだよな。後、歴史は通説がひっくり返る事が良くあるからな。これもその類じゃないか?」
「言えてる」
今度は「楽市楽座」を切り離して、現代的な発想で商家や業者を呼び込む方法を考えてみる。
そうした場合は実に簡単だ。先ほど触れた「優遇」を行なえば良い。地方が工場等を誘致する際には「固定資産税の免除」等の「税金の優遇措置」が一般的に使用されている。これと同じ考えに立てば良い。
つまり「特権」を与える訳だ。「楽市楽座」とは真逆の考え方である。確かに自分達が「特権」を得るなら、ある程度売り上げが悪くともそこに参加しても良いと考える者が出てきてもおかしくはない。
個人的にはこの何らかの「特権」を与える事が本来の「楽市楽座」ではないかと思っている。どうして真逆の解釈となったのだろうか。
但しこれにも問題はある。「特権」を与えた誘致は、一時的なカンフル剤にしかならないからだ。誘致が完了した時点で目的としては充分に達成すると思われるが、根付くとは限っていないという話になる。平たく言えば「旨みが無い」と思われた瞬間に撤退される。補助金の切れ目が縁の切れ目。残されるのは買い物難民となる地域住民という末路。こういった事例はどこにでもある。
こういった要素を鑑みると、「楽市楽座」は安易に導入できないという話となった。それよりも甲賀忍者を雇って、各地から商品を仕入れてもらう方がお得ではないかと思っている程だ。
後、これは俺の勉強不足だと思うが、「楽市楽座」の導入された地域が大きく発展したという事例を知らない。俺自身は「楽市楽座」は地域の発展にあまり貢献していないと考えている。せいぜいが元々あった門前町の市に「楽市楽座」指定を行い、税金を掠め取るようなものだと思っている。感覚的にはコミケを単なるフリーマーケットだと考えていたら、想像以上に利益を出しているサークルがあったので急いで課税対象にしたという所だろう。
これは繰り返しになるが、商人にとって魅力的に感じる市場とは購買意欲が旺盛な消費者が数多くいる場所である。だから都会には様々な商家が集まる。端的に言えば、商人という人種は「儲かる場所で商売をしたい」。ただそれだけ。優遇だ何だと言っても結局はこれだと思っている。
ならば俺達はどういった市場作りをすれば良いか? 具体的には善良な業者のみで構成された (ここが大事)、有名所からまだ知られていない新進気鋭までの数多くの業者を呼び込む。シンプルだがこれしか方法が無い。
──こうした結果、消費者が安心して買い物ができる空間となる。いわゆる消費者目線である。
それをどう実現するか? となると、この時代なら寺社の力を借り、大規模商家の力を借りて行なう。要は「座」に運営を任せる形だ。これ以外の方法を一から構築するのは費用対効果が悪過ぎる。元からある枠組みを利用する方が早い。「座」という組合にはれっきとした意味があったというだけの話だ。
ここで座の利用を言うと、「それ自体が既得権益になっている」という反論が出るかもしれない。しかし、それが何故悪いのか俺には分からない。大事な事は消費者に「可能な限り不利益を与えない」という一点だ。商品品質の維持への指導、価格維持の指導、悪徳業者の排斥等、こうした雑多な仕事をきちんとこなしてくれるなら、その対価は払って然るべきである。
問題があるのは行き過ぎた場合だけだ。そうならないように座の監視をしっかりと行なえば良いだけである。一つ一つの業者を監視するより遥かに効率が良い。
新しいから善で、古いから悪というのはそもそも間違っているという当然の話であった。
その上で俺達がする事と言えば、まだヨチヨチ歩きの民間市場を潰さないよう公共事業や投資をしっかり行い、民の所得水準を上げるという教科書的な回答でしかなかった。
話は大きく逸れたが、こうした経緯でこの町の商人の誘致や管理は、安芸家の菩提寺である浄貞寺に協力を仰ぎ、運営自体を任せる予定である。雑賀衆と繋がりのある本願寺や根来寺に依頼するのも一つの手ではあるが、「菩提寺をないがしろにした」と言われたくないので、今回は浄貞寺に依頼する。
この戦国時代は宗教が身近にある時代である。だからこそ、ほど良い距離感が必要となる。利益を奪うのではなく、利益を分け与える。協力し合う。御近所付き合いのような感覚かもしれない。時には助けを求める時もあるだろう。「金を貸してくれ」と。
勿論宗教組織が先鋭化し対立した場合は、武力による討伐も視野に入れないといけない。しかし、そうならないようにするのも俺達の仕事と言える。
色々と回り道をしたような気がするが、結論としては町の運営に浄貞寺を一枚噛まして、面倒な事はそこに丸投げしてしまおうという話であった。
「そうそう。甲賀忍者をスカウトできるなら、一度浄貞寺に預かってもらうつもりでいたから都合が良いな。教育も任せよう」
「……それはもう特権ではなく、顎で使われているだけだと思うぞ。可哀想に」
「そんなに褒めるなよ」
「褒めてねぇよ」
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