国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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三章 敗北者達の叫び

飢饉の夏、略奪の夏

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「殿、大変です。大変です」

 年も明けた天文九年(一五四〇年)夏、事態は動き出した。

「どうした騒々しい」

「物見 (偵察)の報告で、ついに北川家が兵を集め始めたとの事です。きっとこの奈半利で略奪をするつもりかと。こちらも至急兵を集めて対抗を」

「ついに我慢できなくなったか」

 天文九年と言えば、日本中を席巻した出来事がある。

 ──それは「天文の飢饉」だ。

 大雨や洪水の発生による作物の不作に始まり、各地では疫病が発生、果ては大量の死者。阿鼻叫喚の地獄絵図が全国津々浦々で起こったと言う……いや、現在進行形で起こっている。

 だが、実際に経験してみると分かるが、被害は基本的に大量消費地においての話である。俺達のような田舎住まいには「そう言えば昨年から雨が多かったな」と思う程度だ。作物の出来は例年よりも悪いとは思うが、カツカツの食糧事情でない限りはそう深刻になる事はない。

 どうしても俺のイメージする「飢饉」となると、雨が少なく田畑が枯れ……となるので、この「天文の飢饉」は実はピンときていない。

 こういうのは地域による温度差だろう。

 例えば一九三〇年代に起こった世界恐慌においては、アメリカで脅威の失業率二〇パーセント超えが起こり、町には大量のホームレスが溢れたと言われている。逆に言えば、残りの八〇パーセントは給料こそ減少したと思われるが普段の生活を維持していた。

 そう、俺達はその八〇パーセント側の人間である。

 俺がこの地に来てから行なっていた浚渫が功を奏し、増水こそすれど奈半利川の氾濫は起こらず。また、木を切り倒しまくって絶賛環境破壊中という状態ではバッタの大量発生にも縁がなくなる。そもそもが食料自給率が異常に低いお陰で長雨の影響自体が小さかった。

 その上倉庫には、価格が安い時期に調子に乗って仕入れた穀物をたんまりと抱え込んでいる。元々は産業構造の変化から始めたこの食料買取であったが、思わぬ形で役に立っていた。備えあれば憂いなし。

 本来的にはこの食料買取は必要最低限で良い事業だ。幾つもの倉庫を建ててまで買取を続ける必要はない。なのに大規模な飢饉が来てもビクともしない程続けていたのには理由がある。理由の一つに馬路家への援助もあるがそれは大きくない。香宗我部家へし掛けたチキンレースや田村荘たむらそう遠州えんしゅう細川家との伝手作りもそうだ。

 一番大きな理由は奈半利港の使用率が上がった事である。

 商人という人種は売り物も勿論求めるが、何より大事なのは「買い手」。どんなに素晴らしい商品を持っていようが税金等の優遇を受けようが売れなければ意味が無い。逆に言えば、例え石ころでもそれを買わんとする人物がいるなら商人は売りに来る。それが纏まった金額になるのであれば尚更だ。

 つまり、俺が行なった食料買取は各地の商人がこの地にやってくる切っ掛けとして多いに役立った。収穫した作物の余剰分を売りに来るだけである (中には年間消費の量や備蓄を考えずに売る所もある……というか結構多い)。ビジネスチャンスとして低いハードルなのは子供でも分かるだろう。

 そして、ここからが商人の性というか合理的思考となるが、船で奈半利にやって来る以上は空荷で帰るという馬鹿馬鹿しい真似はしたくない。帰る時は商品を仕入れてからとなる。その仕入れる商品というのが勿論俺達がこの地で製造している各種特産品である。こうしてお互いが笑顔となる循環が出来上がっていた。

 お陰で今の俺達は、「飢饉? 何それ美味しいの?」という状態となる。日本全国で悲鳴が上がっているというのに俺達の日常は何も変わらない。

 けれどもそうもいかない者達も近くにいた。それが奈半利川中流域に勢力を持つ北川家だ。普段から食糧事情はカツカツだったのだろう。

 当たり前だが、夏というのは秋の一つ前の季節である。それは収穫前の季節でもある。これの意味する所は、年間を通して最も食料が乏しくなる時期だ。後もう少し我慢すれば食料が手に入る。しかし食料庫には蓄えが残っていない。こんな時はどうすれば良い?

 普通に考えれば食糧を買うという一択だ。だが、ここで「飢饉」というキーワードが重要となる。食料の市場価格が例年よりも跳ね上がるのだ。それは米だけにとどまらず、粟や稗等の雑穀にも及ぶ。

 これまでと違い同じ金額を出しても買える食料は少ない。それでは秋の収穫まで持ちそうにない。後は座して死ぬだけ。俺が北川家に渡した利益は最低限しかなく、不慮の事態への対応は不可能であった。俺の方も、何の見返りも無く飢饉だからといって情けをかける義理は無い。

 そんな時、全ての問題を解決するとても素敵な方法がある。

 ──略奪。

 この言葉を聞いて血湧き肉踊るなら武士の適正がある。武士というのは「無いならある所から奪う」というのが本能だからだ。北川家がその本能に従ったとしても誰も責めはしない。ヤクザの発想としか言えないが、武士というのはこういうものだ。

 結果、北川 玄蕃は俺達から食料を奪い取る事を決意する。だがそれを黙って見ている必要は無い。「命だけはお助けを」とでも言いながら食料を差し出すなんて以ての外。食料が欲しいなら、まず頭を下げろ。

 嘗められたら終わりのこの時代、全ては必然の出来事だった。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


 奈半利城下に集まった精鋭達。総勢三〇〇。全てが専業となる兵士達だ。ようやくここまで揃った。皆良い面構えをしている。

 専業の兵士というのはこうした不測の事態の際、とても便利だ。ラッパ一つで全員が揃う(実際にはほら貝で召集)。

「押忍! 馬路党総勢五〇名欠員無しです」

 特殊部隊構想で作られた馬路 長正の部隊が背筋を伸ばした直立不動の姿勢で敬礼をする。通常の常備兵よりも厳しい鍛錬を続けている精鋭部隊。褐色の肌に鍛え抜かれた身体つき。一見しただけで他の部隊と一線を画している事が分かる。極め付けはエリート部隊の証となる「ゆず」をイメージした黄色く塗られた右の肩当て。それが隊の一体感を高めていた。

 俺としては「誰がこの部隊に入るんだ」と思っていたのだが、いざ蓋を開けてみると「是非入隊したい」と馬路村の若手を中心に各地から厨ニ病丸出しの奴等が揃いここまで成長する。基本武装はタワーシールドを髣髴とさせる大盾に鬼が持っているような凶悪な金砕棒かなさいぼう。隊長である馬路 長正はそれに加えて大太刀を装備する。大太刀は隊長の証とした。はっきり言って真正面から戦いたくない奴等だ。

「根来衆総勢五〇名全員揃っているぜ」

 シノさんの代わりとして寄越してくれた人材。それは何故か根来衆の傭兵であった。連絡役も兼ねている。算長曰く「好きに使ってくれ」との事だ。隊長は阿弥陀院 大弐あみだいんだいにという物凄い名前。傭兵ではあるが、僧でもあるので読み書きも軽くこなす学のあるインテリである事から選ばれた。武装は僧兵らしく薙刀。傭兵なのできっちり月々の代金は支払わなければいけない。

 なお、後任の監視役としてはシノさんの妹のアヤメがやって来てはいるのだが……今も後ろに控えていたりする。虚無僧の姿で。

「…………やり難い。慣れない」

「そんな国虎殿のために拙僧が一曲奏でよう」

「それだけは止めて下さい。お願いします」

「仕方ありませぬな。またの機会に」

 しかもこうして事あるごとに尺八を吹こうとする。しかも監視役という名目でいつも俺の後ろに付いてくるからか……気になって仕方がない。付いてくるのは仕事上仕方がないとしても、せめてその格好だけでもどうにかしてくれと頼んだが、当たり前のように却下される。最近の俺は女虚無僧を連れて歩くようになっていた。

 それはさて置き、これらの部隊の他に主武装をスリングショット (投石)とした安岡 道清率いる常備兵一五〇と惟宗 国長率いる近海哨戒を主な任務とする海賊衆五〇を含めた合計三〇〇が今の俺達の総兵力となる。これまで模擬戦のような鍛錬は何度も繰り返してきたが、実戦となると根来衆や海賊衆を除いた大部分が初めての戦いである。勿論俺も初めてだ。

 戦国の世の習いとは言え、何の予告もなく突然命のやり取りをしなければいけないというのに戸惑いを感じる。だが、状況が状況だけに四の五の言ってられない。必死で戸惑いを隠す俺よりも、むしろここに集まった皆の方が頼もしい面構えである。臆病風に吹かれている者は誰一人いない。

 なら俺も腹を括るしかないか。大将は俺だからな。

「よぉーしお前等、今から北川の奴等をぶっ飛ばすぞ! 気合入れろよ!」

『おう!!』


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
 

「国虎様、奴等来ました! 大将は北川 玄蕃! 数凡そ五〇〇」

 北川家がもたもたしている間に俺達の軍は既に布陣が完了している。奈半利城の北、奈半利川を西に置く大軍の展開できない隘路の部分を占有した。

 兵力は相手の方が上。二倍近い数だ。しかも、向こうは高い位置から駆け下りてくる。弓を射るにしても突撃をするにしても、地形的には圧倒的に有利である。その上、こちらと違って相手は腹を空かせた狼の集団だ。持久戦となれば話は変ってくるが、瞬間的な爆発力は相当なものがある。さぞや今の俺達は羊の群れに見えているだろう。

 こうして考えると北川 玄蕃も馬鹿ではないと分かる。

 略奪が主な目的なら、夜陰に紛れて盗人行為を繰り返す方が量は少ないがリスクが小さくなる。数を集めて武装蜂起するというのは、成功した際に得られる戦利品の量はチマチマとした盗みよりも遥かに多くなるが、こうして戦になる事が確定する上に負ければ全てがご破算になるリスクの高い選択だ。

 なのに何故それを選択したのか? 以前から俺達の事を嗅ぎ回っていると道清も言っていた。つまり戦となったとしても、充分に勝つ算段があったから今回の武装蜂起を選択したと言える。しかも、大将が初陣の俺となれば、下手をすると鎧袖一触できるとも考えたかもしれない。

 今回の戦いは突発的な挙兵ではなく、計画性の高い、必勝で望んだものと言える。

 ──それがどうした。そんな事はこちらだって分かっている。北川家が反抗的な勢力だというのは念頭に置いていた。それなのに対策がゼロの筈がないと考えないのか? 何のためにこれまでの時間があったか、それを奴の身に充分に叩き込んでやる。

「お前等喜べ! 敵はたかが二倍だ。大した事はない。俺達の強さを存分に見せつけてやろうぜ! 終わったら皆で宴だ。腹一杯食わせてやるからな。楽しみにしておけ!」

 細工は流々、仕上げを御覧じろ……俺自身はまだ何もできないので別のアプローチで勝利の方程式を作っておいた。後はそれを実践で証明するだけである。

 そんな思いで遠くの敵を見据えながらも、今更ながら敵の力を見誤っていたと後悔しているというのは内緒だったりする。多くとも二〇〇くらいだと思っていた。
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