国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版

カバタ山

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二章 奈半利細腕繁盛記

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「あのー」

「何だい坊や」

「そろそろこの膝枕から離れたいのですが……」

「坊やはお姉さんの事嫌いかい?」

「そういう訳では……」

「ならもう少しこのままでいようか」

 食事会も終わり、後は解散という所で算長から呼び止められる。何でもこれからは商売仲間としても良い関係でありたいという事で、先ほど一緒に鍋を食べたシノさんを預けるという話が飛び出した。曰く互いの連絡役との事だ。

 言いたい事は分かる。電話の無いこの時代、互いの連絡手段は乏しい。基本は手紙だ。場合によっては直接人を派遣するというのもある。ただ、どちらにしても縁も縁もない相手からの場合は見向きもされない。ポスティングされたダイレクトメールが良い例だ。黒ヤギさんなら読まずに食べる案件である。

 ならもう俺達は面識があるのだから大丈夫じゃないかと思うが、現実には仲介者が存在する。組織のトップに位置する人物が、全ての書状や面会者に対応ができない以上は厳選をする必要があるいうカラクリだ。ひどい時では複数人になる場合もあるだろう。そういった役どころに無視されないために対応する措置となる。

 具体的には「この書状、もしくはこの人物は信用できる内容です」という形の添え書きのようなものだ。何度もやり取りがあるならこうした添え書きは必要なくなるだろうが、まだ知り合ったばかりの俺達には周囲を納得させる実績が足りなかった。

 よく秘書が力を持つと言われるのはこういった理由である。取り次ぐ相手や書面を自身の裁量で決められるからだ。それはもう権力者に覚えめでたくなるよう、秘書への心証を良くする事から始めるのはセオリーと言える。

 ……話が逸れた。俺の場合は一羽がいるものの、基本は全て対応している……というか、俺への面会者なり書状はたかが知れているので選り好みする必要が無いというだけだ。零細企業の悲しさよ。

 その点、算長はこの場では一商人であるものの、本拠地に戻ると根来寺の有力者へと変貌する。日々大小様々な案件が彼の元に持ち込まれているのは想像に難くない。

 そう思うとこうして人を残してくれるのはとても嬉しいが……普通に丁稚 (従業員)を残してくれればそれで事足りる。そう思っていた。

 けれども、それでは算長の気が済まないらしい。俺をその辺の商家と同じ扱いにはしたくないとの事だ。さすがに弟を残していく訳にはいかないらしく、次点としてこの派手な格好をしたシノさんに白羽の矢が立つ事となった。予想はしていたが、シノさんは単なる愛人という訳ではないようだ。

 この時点で何かが間違っているような気がするが、まあ百歩譲って良いとしよう。問題があるとすれば、解散して家へ帰ろうとした時に俺の後ろにシノさんが付いてきた事である。

 そう言えば、突然の事だっただけにシノさんの寝泊りする場所を考えていなかったと気付く。だが、急いで宿の手配をしようと思ったら何故か「今日は俺の家に泊まる」と言い出す。

 もしかしたら突然の出来事だったので手持ちの銭を持っていないのかもしれないと、「宿はこちらで手配するから宿泊費は気にしなくても良い」と金銭面での心配は無いと伝えるが、返す刀で「見知った人間が誰もいないこの地では俺が側にいないと寂しい」ととんでもない言葉が出てくる。加えて「冷たくしたら算長様に言いつける」とまで言われてしまった。

 こう言われてしまうと俺にはどうしようもできず、家に連れて帰るしかないという状況。なお、親信は気が付いたらいなくなっていたし、一羽はこういう時絶対に何もしない。とても友達思いの奴等だ。

 お陰で今こうなっている。俺の寝所には現在三人。少し離れた位置に和葉が控えているが、にこやかに微笑んでいながら目が恐い。こういうのを針の筵と言うのだろう。どうしてこうなった。

「あっー和葉、やっぱり怒ってる?」

「そんな事ないですよ。お疲れでしょうから、そこでゆっくりしてくださいね」

 やっぱり怒っていた。

 日も暮れ、灯明皿とうみょうざらに灯った明かりだけの部屋に寒風が吹きすさぶ。それを何とも思わないのか、シノさんは俺を上から覗き込んで楽しそうにしていた。

 …………耐えられそうにない。

 そうと決めるとガバりと身を起こして一目散に和葉の元へと向かう。シノさんと和葉、二人共が俺の行動に戸惑っている隙にさっと和葉の膝元へと滑り込んだ。

「……何してるんですか?」

「俺はここが一番安らぐからな」

「そんな事言われても、ちっとも嬉しくないですよ」

「まあ、良いじゃないか。少しの間だけこうさしてくれ」

「……今回だけですよ」

 良かった。少し機嫌を直してくれた。表情こそ変わらないが、雰囲気が和らいでいる。これで和葉の機嫌を気にせず、安心して話ができそうだ。

「残念。振られちゃったね」

 言葉とは裏腹にシノさんはとても残念そうな表情ではない。単純に俺達の事をからかったのだと分かる。そもそもが俺のようなガキになびくような女性ではない。

「…………シノ殿、少し聞きたいのですが……」

「シノと呼んでください」

 膝枕された状態のまま、和葉の表情を確認してみる。角度が悪くて分からないが、さっきのやり取りでまた怒っているような気がした。けれどもこれならまだ大丈夫だ。

「言い難ければ無理に答えなくて良いですが、シノ殿は算長から何を言われてここまで付いてきたのですか? 連絡役としては踏み込み過ぎだし、間者 (スパイ)にしては行動が露骨過ぎるかな……と」

「えっ!? 間者!!」

「あ痛て!」

 俺の言葉を受け、反射的に和葉が立ち上がって身構える。反応が良いのは素晴らしいが、和葉の咄嗟の動きに対応できなかった俺はそのままずり落ち、板間にしこたま頭をぶつけた。

「きゃっ! 国虎大丈夫? 女狐、よくも国虎にこんなひどい真似を……」

「それはお嬢ちゃんがした事でしょうに……」

「あー、和葉。俺は大丈夫だから気にするな」

「……でも……」

 俺の言葉で落ち着きを取り戻したのか、釈然としないながらも和葉が何とか床に腰を下ろしてくれる。雰囲気としてはまだ一触即発で、変な事でもあればすぐにも飛びかからん姿勢を崩してはいないが、冷静さは残っている。これなら話を続けられるな。

「まあ、私も坊やをどうにかしようとは思っていないから、そこは安心してくれて良いよ。少し遊びが過ぎたようだね」

「そんな事だろうと思ってましたよ」

 ……何と言うか、これくらいの修羅場は何でもないと言いだけな態度だな。俺の疑いの言葉など気にせずあっけらかんとしている。ただ、向こうもからかうのは潮時だと理解したようだ。

「それにしても坊やは変わっているね。これだけ見向きもされなかったのは初めてだよ。見た所衆道 (BL:この時代では普通)という訳でもなさそうだし、それなら坊やくらいの年頃なら綺麗なお姉さんに憧れるものだと思ったんだけど。これでも少しは浮き名を流したものなんだけどねぇ」

「ははは……」

 この辺は仕方がない。派手ななりで周囲に色気を振り撒いていたとしても、俺に取っては痛々しいとしか感じないからだ。芸能人で例えるなら渡辺〇美にしか見えないという悲しさ。美的価値観の違いから俺はこの時代のハニートラップには絶対に引っ掛からない。

「こうなってしまったら、今後もあるし正直に話すよ。あの人からは確かに坊やの事を探れとは言われたけれど、どちらかと言うと信頼できる人物かどうか知りたいような感じだったね。ああ見えてあの人も敵が多いから、裏切られたくないというのが本心じゃないのかい。私から言うのは図々しいようだけど、あの人を嫌わないで欲しい……」

「……なるほど。言いたい事は分かりました。確かに勢いがあったとは言え、津田殿とはトントン拍子に商談が進み過ぎましたからね。『いきなり掌を返されたら?』と心配になるのは分かります」

 こういう話を聞くと、俺の知らない所で算長も苦労してきたのだと分かる。きっと何度も煮え湯を飲まされた事だろう。特に倭寇や海外の怪しげな連中と渡り合っているのだから、慎重を期すというのも当然の発想だ。

 それくらい商売における信頼関係というのは一朝一夕で出来上がるものではない。故に今回俺を探られたからと言って怒り出すのは筋違いとも言える。俺からは算長に「裏切りは無い」と安心をさせる担保は何も提示していないからだ。

「……うーん、こちらも裏切らない証として誰かを人質として派遣した方が良いでしょうか?」

 そうなると、この時代の流儀であればこの辺が妥当なのかもしれない。派遣する人選が難しいが、これなら相手も納得する。

 ただ……どうしてかは分からないが、こういった時ほど俺が望まない方向に話が流れ出す。俺が呪われているのか、それとも算長が余計な事を吹き込んでいたのか。俺の周りはいつもこうである。

「そこまでは求めてないと思うよ。どうしようかねぇ。一番良いのは坊やが私に溺れる事だけど、それは無理そうだし……」

「全力でお断りさせて頂きます」

「それはお姉さんが傷つくよ。まあ、この子の手前仕方ないか。愛されてるじゃないのお嬢ちゃん……」

「…………」

「よし決めた! 私が駄目なら妹を側に置いておくれ。あの子はちょっと変わってるけど監視役ならこなせるだろう。年齢も近そうだから丁度良いよ。気に入ったらいつでも寝所に誘ってくれて良いし」

 もう完全に隠す気が無い。堂々と「監視役」とまで言い出す。ここまではっきり言われると「間者」とどこが違うのか聞きたくなるが、多分聞いた所で絶対に白を切り通すに違いない。要はするだけ無駄という話だ。

「いや、まだそういう年齢ではないので……」

「そう言ってられるのも今の内だけだよ。男はすぐ女を求めるようになるから。三、四年なんてあっという間だよ」

「ちなみにそれを辞退するのは……」

「ん? 私の方が良いなら……って、このお嬢ちゃんが怒るか。そう恐い顔をしなくても、取って食ったりしないから大丈夫だよ。どの道、監視役は受け入れてもらうしかないね。男なんだから間者の一人や二人いた所で堂々としていれば良いんだよ。気になるようなら妹を惚れさせて、抱き込むくらいすれば全て丸く収まるんじゃないのかい」

「シノ殿がそれを言いますか……」

 こうも開き直られると、呆れて何も言えなくなってしまう。ここまで押しが強いと思わなかった。最初のしおらしさはどこに行ったのか。もうどんなに俺が抵抗した所で、この決定は覆りそうになかった。

 それにしても「監視役」か……まるで重要人物にでもなったような気分だ。普通は気分の良いものではないが……

「国虎はそれで良いの?」

「良いんじゃないか。そもそもが俺を監視した所で何も出ないと思うからな」

 色々と考えてみるものの、行き着く先は結局こうなる。

 仮に算長を裏切ろうと思っても、俺にはどうすれば良いかさえ分からない。唯一可能な方法と言えば借金を返さず夜逃げして行方をくらませるくらいだが、そんな事をしても土地を差し押さえすれば良いだけなので特に困る事はない。

 「その内飽きて諦めるだろう」 今の段階ではこうなるとしか思えなかったので、シノさんの提案というかごり押しを受け入れる事とした。

 和葉が心配そうな顔で俺を見てくるが、「心配無用」と頭の上に手を置いて優しく撫でる。気付けば彼女の髪も随分と伸びていた。今度、昔のように櫛で髪をとかせば喜ぶだろうか、とつい余計な事を考えてしまっていた。

 改めて今日一日の事を思い出す。全てがこれまでの自分では考えられない出来事ばかりだった。これぞ戦国の醍醐味と言えば聞こえは良いが、逆に言えばもうこの地でのんびりと過ごす時が終わりに近付いているという事だろう。例えるなら次のステージを見せてくれる切っ掛け。俺と津田 算長との出会いはそういう意味なのだと思う。

 いや、考えても仕方がない。いずれは長宗我部との戦いに身を投じるんだ。自分や仲間が生き残るために。この時代に生きる俺の宿命からは逃げられない。

 だからこそ、今この場でも全力で抗う必要があった。

「シノ殿、話は決まったのですから勝手に布団の中に入らないでもらえますか?」

「そんな……お姉さんは今晩どこで寝れば良いの?」

「津田殿が泊まっている宿で寝れば良いだけでしょう」

「いけず」
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