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二章 奈半利細腕繁盛記

かじめ焼きの味

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 前世で「かじめ焼き」という言葉を初めて知った時、「どんな食べ物だろう?」と想像したのを思い出す。名前の響きから、郷土料理の一種ではないかと考えた。海藻をふんだんに使用した野趣溢れる料理──そんな勘違いをしても、きっと誰も責めないだろう。

 しかし、いざ調べてみると予想とは全く違う代物であった。どうして俺はあの時食べ物だと思ったのだろうか……。

 そんな恥ずかしい過去があって強烈に覚えていた「かじめ焼き」の知識が、この時代で役に立つというのは皮肉以外の何物でもない。事実、親信や算長から「何故そんな事を知っているんだ?」と追及された時、事情を正直に話すと妙に納得されてしまう。前世にネットで検索したとは一言も言ってないが、人というのは得てしてこうしたストーリーがあると細部まで気にならないようだ。さもありなん。
 
 それはさて置き、カジメを利用した傷薬というのは「ヨードチンキ」を指す。現代では耳にしなくなった薬ではあるが、一時期日本では一世を風靡し、略して「ヨーチン」とも言われた。その名の通りヨウ素 (ヨード)をアルコールに溶かした物で、ヨウ素の殺菌作用を利用した消毒薬である。

 つまり、「かじめ焼き」というのは海藻のカジメからヨウ素を抽出する工程の一つだ。

 「ヨードチンキ」の製造工程はそう複雑ではない。まずカジメを乾燥させあぶり焼きにし、海藻灰を作る (この工程が「かじめ焼き」)。その後は鍋で煮出して不純物を取り除き、遠心分離にかける。そこで抽出された溶液に硫酸を混ぜ蒸留する。純度は八割程だと言われているが、どの道ヨウ素は劇物であり、そのままでは薬として使用できないので問題無い。最後はアルコールに溶かせば完成である。

 この製造過程において、これまでの俺達ではどうにもならない大きな問題が一つあった。それは、硫酸が手に入らない事である。現代のように薬局で購入する訳にもいかず、堺の薬商人に言って出てくる筈もない。もしかしたら堺の商人が持っているかもしれないが、どこの馬の骨とも分からない俺達に売ってくれはしない。売ってもらえるのは時々宍喰屋を通して買っている漢方薬が関の山である。

 とは言え、硫酸を手に入れる方法が無い訳ではない。それが今回の硫黄と硝石の購入に繋がる。硫酸の作成は中学レベルの理科の知識だ。この二つと水を反応させれば良いだけ。原理は分かっているので、何度かの試行錯誤を繰り返せば完成に至るだろう。

 また、蒸留に到っては焼酎を作る際に使う蒸留器を転用するだけである。最後に使用するアルコールも言わずもがなだ。

 こうして、ようやく傷薬を製作する環境が整った。

 現代では当たり前のようにある傷薬がこの戦国時代では手に入らず、入手の機会をずっと窺っていた。今はまだそんな事はないが、いずれは俺も仲間達と共に戦場に出る。この時代には数々の病気が蔓延しており、その中でも戦場において最も身近なのが、外傷から発生する「破傷風」と言える。

 破傷風対策は俺の中で必須の重要事項であった。特にこの時代は傷口に人糞や塩をすり込んだり、馬糞を水に溶かして飲む等の悪夢とも言える民間療法が幅を利かせている。

 考えれば気付くと思うが、幾ら戦場であろうと即死に至るケースはそう多くない。大半は戦場での怪我が原因で後日死亡する。破傷風で死亡する割合がどの程度かは俺には分からないが、つまりはしっかりとした治療をすれば助かる命が多くあるという意味だ。ならせめて、その割合を少しでも増やしたいと思うのは人情だろう。一応は「金瘡医きんそうい」と呼ばれる外科医はいるが、圧倒的に数が足りず怪我人全てには対応できない。

 少しでも散っていく仲間の命の数を減らす。戦乱の世であればそれは力となる。軍としての損耗率を減らすからだ。ヨードチンキの開発は自分達のためと言っても過言ではない。

 その上で今日出会った津田 算長の存在。根来衆は各地に傭兵を派遣するPMSC (民間軍事会社)的な側面を持つ。なら傭兵の死亡率を下げる薬があれば喉から手が出るほど欲しいとなるのは当然だ。俺達と協力関係を結ぶ相手にはぴったりの橋渡し的なアイテムと言えるだろう。

「そんな大事な薬が、偶然とは言え、ボウズの勘違いで調べた中にあったというのが笑うしかないな。良いぜ。その提案、乗ってやろうじゃないか」

「そう言ってもらえると助かる……って、本当に笑わないでくれよ」

 真面目な話をしている筈なのに、妙にツボに入ったのか必死で笑いを堪えながら真剣な表情を作ろうとする。いつまでもネタにされるのは少し癪に障るが、この感触なら後から掌を返される事はないと思いたい。プレゼンは充分な成果を果たした。

「……いや悪い。けど……ぷっ……ボウズがこれほど食い意地が張っているとは思わなかったぞ。それが面白くてな」

「美味い物を食いたいと思うのは誰だってそうじゃないのか?」

「違ぇねえ」

「津田殿、それなら今度、本当に食べられる『かじめ焼き』を開発して国虎に食べさせるなんてどうだ」

「そっちのボウズも面白い事言うな。それもやるか」

 こんな時の親信は絶対に悪ノリする。その上で意気投合しているのが……何と言うか、ちゃっかりしている。親信も武器は好きそうだし、話が合うのかもしれないとそんな事を思っていた。

 歴史上の大人物もただの人なのだと今日改めて思い知る。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「煮えたぞ。さあ、みんな食えよ」

 あれから幾つかの商談を取り決め、最後は親睦を深める意味を込めて皆で鍋をする事になる。堅苦しいのは嫌なので気楽に皆で食べる料理が好みなのだとか。七輪の上に鍋を置き、味噌ベースのスープに魚介類をこれでもかとぶち込んだいかにもな鍋が湯気を立て食欲をそそる。

 今回の参加メンバーは六人。俺と一羽、親信は当然として、津田家側からは、算長と妙算に最後は派手な格好をした遊女風のお姉さん「シノ」となった。こうして派手な女の人を連れているのを見ると商人というよりはマフィアに見えてしまうのは俺だけだろうか?

 そんなくだらない事を考えながら、ぶつ切りの魚を木製の皿に取り、身を箸で解していく。そのまま大きく口を開け……うん、美味い。上品さの欠片もない味だが、これが良い。幾らでも食べられる。

 さて次は貝でも食べようかと思っていた所で、頬を少し赤くした算長が俺の所へとやって来た。奈半利製の酒を気に入ってくれたのだろう。気分が良さそうだ。俺が近くにあった酒徳利で椀に清酒を注ぎ渡すと、一口で飲み干し満足げな息を吐く。

「なあボウズ。サンゴを譲ってもらって本当に良かったのか? あれは高く売れるぞ」

「さっきも言ったが、ウチの連中を明に連れて行ってもらうんだ。これでも安い方じゃないか。それに俺達には干しアワビや干しなまこの俵物があるからな。問題無い」

 念願であった明行きの船も算長のお陰で何とかなった。次の渡航の際に奈半利に寄ってくれると約束を交わす。対価はここ奈半利で取れるサンゴ。意外な事に奈半利近海には明が欲しがるサンゴが生息していた。環境保全など一切考えていないので、それを往復切符の代わりとする。

 勿論俺達だって馬鹿じゃない。明に売れる物を他に持っていたからできた提案である。この時代から中国人は干しアワビや干しなまこは好まれており、後はフカヒレは……どうなのだろう。

 これを元手として、明からは石墨 (鉛筆の芯の素材)とさつまいも、とうもろこしを最低限入手したいと考えている。右京達にはその特徴をしっかりと伝える予定である。そして、逆に梅毒だけは持ち帰らないように厳命する。これは平たく言えば、向こうで絶対に女を買うなという意味だ。

 いずれは海外にある数々の作物に手を出して育てたいと考えているが、まずはこの辺が基本だろう。けれども、この二種類だけで日本の食糧事情は大きく変わる。

「そう言えば、ずっと気になっていたんだが妙算殿とは兄弟という割には似てないような気もするんだが……」

 酒が入っているから細かい事は気にしないだろうと思い、火槍を持ち込まれた時から気になっていた点を確認する。

「養子だからな。そう思って当然だ。杉ノ坊すぎのぼう (根来寺としての名)の方は色々と面倒でな。こういう事もある。けど、あいつは中々良い奴でな。兄弟仲は良いぞ」

「そういう事か……」

 ここで言う「杉ノ坊」というのは根来寺における区画の呼び方の様なものだ。それがそのまま苗字としても使用されている。この時代では例えば馬路村に住むから馬路の名を名乗るという地名由来の名前は良くある。根来寺は山裾を削った数々の坊院ぼういん坊舎ぼうしゃで構成されており、「杉ノ坊」はその中の一つに当たる。

 そしてこの数々の坊院というのが曲者で、多くの傭兵を抱えている (一万人近くと言われている)上に数々の工芸品の生産、果ては冶金やきん  (金属の採取・精製・加工)と技能者集団の側面もある。本当、この当時の寺院は何でもアリだな。言うなれば、津田算長はある種領主と呼んでも差し支えない人物でもあった。寺という隠れ蓑がそれをあやふやにしている。

 ただ根来寺が寺である以上は、この業務とは絶対に切り離せない。

「そう言えばさっき親信のボウズから聞いたぞ。お前さん、結構な額の証文を抱えているんだってな。何なら全額肩代わりしてやろうか? なぁに借財の一本化 (返済先を一箇所に纏める)だ。くれてやる訳じゃないからな。金利は商売仲間として格安にしてやる」

「ほ、本当か?」

「ああ。但し、幾つかの条件は飲んでもらうぞ。悪いようにはしないから安心しろ。お前等やっている事が面白いからな。俺もそれに噛ませろ」

 そう、中世宗教組織最大の収入源である「金貸し」である。これがあるから中世の宗教は絶大な力を持ち、権力者が気を使わなければいけなくなる。現代日本でも一時期、消費者金融のテレビCMがお茶の間を席巻した事があった。現代日本のような国でもそうである。それなら戦国時代も同じと考えて良い。

 「金貸し」は洋の東西を問わず宗教と名の付くものは大体が手を染めている。多くの信者を抱え、ネットワークが構築されるピラミッドの頂点に集まる物は大体が金であるからだ。なら、その金を有効活用するなら「金貸し」という業務はとても都合が良い。ある意味当然と言えば当然と言える。

 ただ、ここで俺のような領主が宗教関係の金貸しに手を出した場合は、最悪借金のカタに土地を分取られるというリスクを考えなければならない。形式上はこうしたケースの場合「寄進」となるが、数多くの事例が存在する。実態は差し押さえと同じだ(石高を過少申告するという脱税目的で土地を寄進するケースもある)。にこやかな顔で鬼のような提案をしてくるのがさすがとしか言いようがない。

「う……ん? よく分からないが、そんな前のめりになるような凄い事はしていないと思うんだが……」

「何言ってんだ。さっき聞いたぞ。今捕鯨船の設計に入っているって。それと、室津むろつに捕鯨基地を整備するから銭を融通して欲しいと言われたばかりだ」

「えっ……いや、初耳だぞ」

 やられた。俺が目を離している隙に親信がまた余計な事をやらかしてくれた。きっと今の姿を見てほくそ笑んでいる事だろう。

 確かにこの時代の捕鯨は金になる。現代的な価値で言えば、軽く億単位の金が転がり込んでくる実に実入りの良い事業だ。それくらい鯨は捨てる所が無く多く有効活用可能である。幸いにも土佐湾は現代でもホエールウォッチングが可能な場所である上に、室津は江戸時代に捕鯨で有名だった。これ程の好条件が揃っているのだから、手を出したいというのはとても分かる。

 だが、捕鯨には初期投資が多く必要となる。捕鯨を行なう船は勿論の事、基地の整備、人員の確保、海図等々。今の俺達には明らかに足りない物ばかりだ。親信はそれが分かっていないのか?

「そうか。ならきちんと計画を立てろよ。銭の方はこっちで何とかしてやるから心配するな。分け前、楽しみにしているぞ」

「計画自体を中止にするという選択は……?」

「無いな」

 しかし、そんな事情はお構い無しとばかりの無常なる宣告。「混ぜたら危険」、そんな言葉が脳裏をよぎる。

 今日出会ったばかりだと言うのに、何だこの二人の意気投合っぷりは。俺はアイツ等には悪魔の尻尾でも生えているのかと思えてしまった。こうしてまた、平穏が遠ざかる。

「そ、そんなーー!!」

 悲しいかな、俺の叫びは誰にも届かない。気が付けば借金ばかりが増える今日この頃だった。
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