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二章 奈半利細腕繁盛記

雑賀衆襲来

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 よく「好事魔多し」とは言うが、俺のように好事すら起こらない者に取ってはそんな格言は無縁だとばかりに思っていた。しかし神の気紛れか、もしくは予定調和なのか、トラブルというのは尽きない。

 奈半利での俺達の生活も少しずつ落ち着きを見せ始めた頃、それは堺の商人である宍喰屋からもたらされた。

「もう塩の買取ができないと言うのか……」

「……はい。何とも心苦しいですが、奈半利製の塩は締め出しを食らいました」

 塩というのは人が生きるためには必ず必要な要素だ。だからこそ、堺のような大きな都市には各地から数多くの塩も集まる。そんな中に新参の俺達のしかも高純度で安価な塩が大量に流れたのだ。それはもう塩の市場が大混乱を起こしたに違いない。俺達はやり過ぎた。

 普通に考えれば「安くて品質の良い商品が手に入るなら、そっちの方が良いんじゃね?」となるだろう。だが、現実にはそうは上手く運ばない。商売というのはただ物を買うだけでなく、物を売ったりもする。そうした関係上、ビジネスライクでドライな商売というのは難しい。現代のようにネットが発達し、オンラインによるやり取りで商売が成立するならある程度は可能かもしれないが、人と人が実際に顔を突き合わせて行なう以上は「しがらみ」というのが必ずと言って良いほど発生する。

 時に顧客との縁を繋ぐため、時に自らの商品を売り込むため、そうしたしがらみは切っても切れない関係にあった。

 塩は人が生きるために必ず必要な要素だ。ならそれを商品として考えた場合、日本全国の様々な場所で作られる必要があり、維持させていかなければならない。

 つまり俺達のした行為はそんな各地の塩事業を潰す卑劣な行為に見えた事になる。もし奈半利製の塩が広く日本に浸透した上で、突然製造を止めたり価格を吊り上げられたりすればもう人々は生きられなくなる。それを危惧した形だ。現代的に言えば独占禁止法が発動したようなものだろう。もしくはどんなに高価となっても国産の兵器を作る事と事情は似ている。

 全ては自業自得であった。

「仕方ないか。金になるからと言って、生産量の調整とかせず売れるだけ作っていたからな。一年も稼がせてもらえば上等か。塩だけにここらが潮時かもな」

 そう、何故実家では堺に塩を売らなかったのかをもう少し考えるべきだった。目先の金欲しさに突き進んだ俺のミスでもある。もう少し周りが見えていたなら状況も変わっていたろうが、全ては後の祭り。今は事実を受け止めるしかない。

「手前共ももう少し気を付けていればこういう事にはならなかったのですが……それでこれからはどうされるのです? 何か考えでもおありですか?」

 今回の件はあの強面の宍喰屋でさえ恐縮するほどだ。きっと前触れも無く突然通達されたのだろう。やはり新参だけに堺ではまだ敵が多いか。もし会合衆かいごうしゅう (堺の有力者)との伝手があったなら結果は変わっていただろうが、それを責めるのは筋違いである。次は失敗しないよう教訓とすれば良い。

 ただ……この注意深く俺の動向を見ながら展望を聞いてくる態度を見ていると何だか可哀想になってくる。まるで俺がこの一件で怒髪天を衝いて「今後の取引を打ち切る」とでも言うのを恐れているようだ。宍喰屋には塩だけではなく、食料の買い付けであったり、借金の件でも世話になっているのだからそんな事はあり得ないのだが……仕方ない、安心させてやるか。

「そう心配するな。腹案はある。けれど、そんな凄い物じゃないぞ。加工品にするだけだな。魚醤や味噌、燻製肉でも作るつもりだ。塩はそれで使う。まあ、塩の生産自体は減らすけどな」

 この三つは塩が売れない場合を考えて予め考えていた商品だ。特に魚醤は自分達の食生活向上のために作るつもりでいた。詳しい事は実際に作ってみないと分からないが、魚醤を作る際に麹を混ぜると魚の臭みが減るらしい。後は馬路村のゆずの絞り汁を加えて香り付けをすれば「ポン酢魚醤」ができる。本格的な醤油に手を出さなくとも俺ならこれで問題無い。塩よりも正直こっちの方が売れるのではとさえ思っている程だ。

 ある意味、今回の件はこうした加工品に手を出す良い機会になったと思っている。

「それなら安心しました。ちなみにそれらの商品は手前共で扱わせて頂けるんですか?」

「そういうのは完成してから言ってくれ。……っとそんな顔をするな。まだ試作品もできていないんだぞ。焦るなよ。それに……」

 と俺が話している最中、それを遮るような形でけたたましく後方の引き戸が開けられた。

「オイッ、宍喰屋! 俺様をいつまで待たせるんだ!!」

「おっ、そうだったな。悪かった」

「……誰?」

 そこに居たのは肉食獣という言葉が良く似合う男。赤茶けた肌に太い腕、分厚い胸板。無造作に束ねた髪に色褪せた小袖とまるで肉体労働者のような風体であった。若いな。もしかしたら一〇代かもしれない。

「申し遅れました。こちらは手前の商人仲間の子息で『佐々木 刑部助ささきぎょうぶのすけ』と言います。廻船かいせんが主な業務です」

「おう! 俺様が雑賀さいが衆の『佐々木 刑部助』だ。これから宜しく頼まぁ。……と宍喰屋から聞いてはいたが、本当にガキじゃねぇか。こいつは驚いたな」

 随分と派手な登場にこちらが呆気に取られていると、勝手にズカズカと近寄ってきて宍喰屋の隣に腰を下ろす。どうやら図太い神経のようだ。

 俺が何も言わないのでいつも通りに隣にいる一羽は涼しい顔をしているが、同じく隣にいた右京の方は呆れたのか開いた口が塞がらない状態となっていた。

 「廻船」というのは運送業のようなものだろう。言わばトラックの運ちゃんとでも思えば良いか。そう思うとこの態度も何となく頷けるが……俺はそれよりもコイツの言った言葉の一点が気になっていた。

「刑部助か、分かった。俺はここ一帯の領主のような役割をしている安芸 国虎だ。こちらこそ宜しく頼む。早速で悪いが刑部助、お前達二人はどういった知り合いなんだ?」

「ぷっ、宍喰屋から聞いた通り変わっているな、安芸のボウズ。俺様を見て何とも思わないのか? それより質問だったな。宍喰屋が主に扱っているのが材木だろ? だから俺様達の船で荷運びを手伝っているのさ」

 意外な接点だった。この時代の日本はまだ航海技術が未発達という事もあり、陸地の目標物を頼りに沿岸を航行するいわゆる「地乗り」が主流となっている。星等を頼りに航行する技術を持っていないなら、陸が見えないというのは自分達が今何処にいるか分からなくなるのである意味当然と言えるだろう。そうなると宍喰屋の堺までの航路は、四国沿岸を伝ったものだと思っていた。

 だがその認識は間違っていた。二人の話を聞く限り、宍喰の港を出た後は紀伊きい国 (和歌山県)に渡っていた事が判明する。つまり瀬戸内海を通過しないで本州に渡る安全な航路があるという意味だ。しかも、宍喰の港と雑賀の港はほぼ直通航路で繋がっているとの事。あの鉄砲で有名な雑賀衆がこんな近くの存在だとは知らなかった。

 一つ不満があるとすれば……こいつがあの有名な「雑賀 孫一さいがまごいち」ではなかった事だ。誰だよ、「佐々木 刑部助」って。

「それでか。宍喰屋がウチの弁才船に興味を示さなかったのは。まあ俺は注文が入りさえすればそれで良いからな。しっかり儲けて注文入れてくれよ」

「はっ、はい。それはもう……」

 約半年前の話となるが奈半利製弁才船の第一号が完成。やはり初めてだったからか、予定よりも納期が遅れてしまった。けれども仕事に手抜きが一切無かったからか、完成品を見た瞬間宍喰屋は大喜びする。その場ですぐ次の注文まで出してくれた。勿論、今も注文を貰っている。それ位気に入ってくれた。しかし、奈半利に来る時の宍喰屋はウチの弁才船には乗っていない。……きっと即行で商人仲間に転売しているのだろう。俺はその行為を咎めるつもりはないし、誰に売ったかも興味は無い。二隻目からは割引無しだが、それでも注文を入れてくれる良いお客様というだけである。

「宍喰屋、あの弁才船はここ製だったのか。どうして早く言わなかったんだよ。お前ばっかり儲けやがって! 少しはこっちにも儲けを回せ。分かってんのか!」

 宍喰屋の胸ぐらを掴み、ガクガクと揺する刑部助。仲が良いのは分かるが、コイツはこの奈半利に何をしに来たのだろうか? 単なる顔見せとは思えない。何かの目的があっての事だろう。その意図を知りたくて、しばらくは何も言わなかったが……いい加減コントを見続けるのも飽きてきた。

「もうその辺で良いだろう。それで刑部助は今日はどういった目的でここに来たんだ? もしかして船の注文を入れに来てくれたのか?」

「……とそうだった。悪いなボウズ。すっかり忘れてたぜ。なぁに俺様がここ製の塩を引き取ってやろうっていう話だ。宍喰屋から聞いたぞ。堺で締め出しを食らったらしいな」

 試験に出るようなとても分かり易い下卑た眼で俺に商談を持ちかけてくる。足元を見る気が満々の状態。どうしてこんな奴を宍喰屋が連れてきたのか分からないが、さっきのやり取りを見ていると無理に付いてきたというのが正しいかもしれない。

 ただ……残念だったな。

「あっー、悪いな。一足遅かった。もう無いぞ」

「そうそう、たんまり残っているからな……って、嘘を言うな!」

「本当の話だ。宍喰屋ともさっき話したが、残った塩は加工に使う。だからもう無い」

 勿論、本来的には「塩の生産量を減らすから」という前提が付くが敢えてここでは言わない。安易に弱みを見せてはいけない相手だと見た。だからこそ提案を突っぱねるような回答で相手の真意を探る方が良いだろう。塩を買ってくれるのは嬉しいが、最悪コイツには売れなくても良い。

 そんな俺の考えを知ってか知らずか……

「ちょっと待て宍喰屋! 話が違うじゃねぇか!」

 そうして今一度宍喰屋の胸ぐらを掴み、以下略。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽


「それで……俺は別に塩を売っても良いんだが、足元を見て安値で買い叩くつもりだろう? 何か事情があるのか? こちらも条件によっては値引き交渉に応じても良いからな」

「国虎様!」

「大丈夫だ右京。心配するな」

 何度も同じコントを見るつもりもなかったので、「まだ続けるなら外に出て勝手にやれ!」と言って放り出そうとした瞬間、刑部助が大人しくなり俺達に平伏した。平伏までは求めていなかったが、本人もさすがにやり過ぎだと思ったのだろう。登場だけは派手だったが、今は借りてきた猫のようになっている。

「実は……」

 予想通り刑部助の話は要領を得ない内容だったが、ざっくり言えば今度太平洋側の東方へ販路を拡大する予定だそうだ。販路拡大とは言え、する事は新規顧客の開拓である。新しい客を捕まえるために目玉となる何かが欲しいというのは当然の成り行きだ。幾ら佐々木家が廻船を主な業務にしているとしても物販をしてはいけないという訳ではない。空の荷を乗せて出航する無駄な行為は商売人が最も嫌う。なら確実に売れ、印象に残る商品となる奈半利製の塩はうってつけという訳だ。ある意味とてもありがたい話である。

「そういう事か。移動距離が増える分、価格を上げないと割りに合わないからな。それに各海賊衆への案内料 (領海通過の税金のようなもの)の支払いも含めたら安値で仕入れないと売れないか。良いぞ。値引きして売ってやる。その分、お前らも値引きした商品を持って来いよ。宍喰屋に適正価格は調べさせるから、誤魔化しても分かるからな」

「安芸様、それで本当によろしいので」

「良いんじゃないか? 元々宍喰屋もそのつもりでここに連れてきたんだろう?」

「それはその通りですが……」

 最初は勝手に付いてきたと思っていたが、事情を聞くと今回の件は宍喰屋の罪滅ぼしのようなものだという事が分かった。例え安値にされても、まとまった量を買い取ってくれるなら、商品在庫をダブつかせるよりマシだという考えだ。それは俺も分かる。まさか俺が簡単に次の案を出してそれが必要なくなるとは……まあ考えないか。けれどもこれは宍喰屋だ。なら、あえて拒否する理由は無い。俺も雑賀衆との繋がりが純粋に欲しいという打算もある。

「俺が変な事を言ったから話が流れたが、この話なら定期的に買ってくれる訳ではなさそうだからな。生産調整すれば良いだけだから、何とかなるだろう。それで刑部助はここに何を運んでくれるんだ。穀物なら俺達はありがたいな」

「…………」

「何だ無理か。なら興福こうふく寺の僧坊酒そうぼうしゅ (寺で作られた酒)を作っている坊主を派遣してくれ。それでも良いぞ」

「いや……それはちょっと無理……」

「それも駄目なのか。『無条件で値引きしろ』はこちらもできないぞ。何もできないならこの話は終わりだな」

 問題があるとすれば、結局はコイツが宍喰屋や俺の考えを理解していない点だ。俺や宍喰屋は互いの顔を立てて融通を利かせている。理由は当然長く商売を続けるためだ。

 当たり前の話だが、自分の利益だけを考えていれば商売は長く続かない。商売は互いに利益があってこそ長く続けられる。刑部助にはこういった機微が分かるにはまだ早かったようだ。少し残念ではある。

 そんな諦めの気持ちでいると、突然身体を震わせながら大声を上げる。

「だーっ。分かった。俺の負けだ。親父と相談して奈半利製の船を買ってやるし、安芸家の船の案内料を割引してやるからそれで手を打て」

「思い切ったな。良いぞ。乗ってやる。ただ覚悟しておけよ。割引は塩だけだ。宍喰屋に言いかけたが、新商品の清酒は別だぞ。品質はまだまだだが、それでも売れる。残念だったな」

 前言撤回。俺の方が少し見くびっていたかもしれない。ここで決断できるとは思ったよりもやる。さすがは雑賀衆と言った所か。これは今後の付き合いが楽しみだ。

「本当、宍喰屋が言ったように食えないボウズだな。分かったよ。酒もきちんと買ってやるよ。但し、不味かったら買わないからな」

 よく「好事魔多し」と言う。今回は何とかやり過ごせたが、きっとこれで終わらない。奇人変人、魑魅魍魎、今後もそんな奴等が集まってくるのかと思うとついついため息が出そうになる。俺の平穏な明日は何処にあるのだろうか。
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