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少年と蜘蛛の章
エクソシスト
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昔々、人間は飢餓と疫病により苦しんでいました。見かねた神々は天界から降り立ち、奇跡を授けました。
奇跡によって大地は緑豊かに潤い、人々は平和な日々を過ごしていました。
しかしある時、強欲に溺れた者がその静かな水面を破りました。地の底から人々を誑かし、陥れる魔の住人、「悪魔」たちが現れたのです。かつて人を苦しめた飢餓と疫病は悪魔達の仕業だったのです。
人を導く神と堕落させんとする魔との全ての大地を巻き込んだ大きな戦争が始まりました。
長い、長い闘いの果てに神々と人間は魔に勝利しました。
しかし地上と海は枯れ、悪魔が残した負の遺産、「瘴気」により人が住める場所はもう多くは残っていませんでした。
神々は残った大地を切り離し、人々と自らの使者「天使」を乗せ魔の手が届かないように天界のさらに先。
世界の外側へ逃がし、残った神々は荒れた大地を浄化するために世界へ留まりました。
そしてまた長い時が流れ…
「ピィー!!!まもなく神聖教皇国エルウェーン、3番ゲート先、プリシティです。繰り返します…」
心地よい女性の語りにウトウトと身を預けかけた時、現実に引き戻すかのように列車の汽笛と車内放送が遮る。
フードと灰のような前髪を除けながら、重りになりかけた瞼をこすり窓の外へ視線を戻す。
段々近づいてくる白く輝きを放つ都の光に当てられ意識が戻ってくる。
「マザー…怒ってるかな。」
はぁ…と深いため息が出てしまう。外の景色とは反対にアニスの心は暗がりに半身が浸かっていた。
しかし辺境とも言っていいほど遠い村に今更戻るのに2日は掛かってしまう。来てしまったのだ。自分の我儘と反発心、マザーの大事な荷物一式も抱えて。
今更どんな顔をして戻ればいいのだろう。まぁ、このままエルウェーンに向かうにしろ計画も立てず勢いで来てしまった時点でどっちに転んでも自分が悪く、死ぬほど叱られるのは決まっているのだが…。後悔しかない。
「うぅ…今更遅いんだけど、遅いんだけど…」
目的地が近づくほど不安が積もる。
アニスが座席の上で膝を抱え、列車のカーブに身を委ね、窓に頬をくっつけながら唸っていると。
「ぁああっ!わたしのぼうしがっ!!」
前方の座席から聞こえた少女の慌てた声に反射的に顔を上げると、窓の向こうで水色のリボンが巻かれた麦わら帽子が過ぎていくところだった。
「!」
とっさにアニスは窓をあけ、精一杯に背と手を伸ばし帽子をなんとか掴んだ。
「ふぅ、なんとか取れ…うわっ?!」
列車がカーブを抜け、重心のバランスを崩しアニスを思い切り窓の枠に頭をぶつけた
「いったぁ…でも良かった帽子は無事だ。」
今すぐあの子に届けたいけど、ちょうどトンネルに入るし、少し待とう。
そのまま列車はトンネルに入ると前から少女のすすり泣きと女性の慰める声が聞こえてきた。
「わたじのっぼ、ぼうじ、グス…」
「もう、窓からお顔出そうとするから…ほら泣かないの。」
「だっへ、だってあれは、ぱぱが、パパがわたしに、うぅ」
今にも爆発しそうな勢いで少女は泣きぐずっていた。
少女の声にそわそわとしているとやっと列車はトンネルを抜け、やっと帽子を届けることが出来る。とアニスが席を立つと同時に後ろから肩を押されよろめいた。
「わっとと、危な…!」
体制を立て直すと前からアニスを後ろから押しやったであろう荒々しい男の声が聞こえた。
「おい、さっきからうるせぇんだよぴーぴーギャーギャーよぉ?!」
「す、すみません。静かにしますので…」
「ひっ…う、うぅっ!ふぇ…」
ふぇええええええん!!!
悲鳴のような泣き声がとうとう車内で響く。
さらにうんざりした様子の男が眉間に皺をよせさらに怒鳴る。
「うるせぇつってんだ!この!…あん?なんだてめぇ!」
アニスは耐え兼ね、気付いたときには、親子と男の間に無理やり割って入っていた。
「もうやめてください!!!大の大人が!もう駅は近いんです。そんなに気を立てなくてもいいでしょう?!」
「んだとこのチビぃ!」
男の丸太のような腕が頭上で血管を浮かせながら握り拳を作っていた。
「っ……席に、戻ってください。」
怯むことなく、男の眼を真っすぐ捉える。
「こんの生意気なガキが!!」
「っ!」
振り下ろされた拳は、横から延ばされた手によって止められた。
「おい!目を離した間になにやってる。騒ぎを起こすな。」
「あぁん?」
「いい加減納めろ、いまシスターに手を挙げるつもりか?」
拳を止めた男がこちらを見やる。腹を立てている荒々しい男と違ってこちらの男は生気に欠けた少し青白い雰囲気だった。特別に細いわけではないが、よくあの丸太のような腕を、その平均的な男性より痩せた腕で止めれたものだ。
まぁ、それよりも自分はシスターじゃないんですけど。
「ぁあ?…ちっ聖職者かよ…もういい、いくぞ」
男はアニスの恰好をじろりと見ると、鬱陶しそうに視線を外した。
「…私の連れが失礼した、では。」
荒々しい男とその連れであったのだろう、青白い男は後ろの車両へ去っていった
「ふぅ…良かったぁ」
やっと行ってくれた
「あの、助けて頂きありがとうございます。」
後ろから声を掛けられ、はっと振り返り慌てて言葉を返す。
「いえいえ!そんな当たり前のことをしただけで…あ、それよりこれ…」
思い出したかのように麦わら帽子を少女へ差し出す。
「私の帽子!!」
「娘の帽子まで!どうお礼をお返ししたら!良かったわねエリー、ほら貴女もシスター様にちゃんとお礼をしなさい。」
母親が少女を撫でながら催促する。
「あぁ、えっと自分はシスターでは…」
「お姉ちゃん!帽子ありがとう!!この帽子、パパに貰った大事な帽子なの!ありがとう!!!」
「いや、えと…だから…自分は…」
「ピィー!!!乗客の皆さまへ、まもなくプリシティホームに到着します。降車の方は各車両、後方左側の扉が出口となります。お荷物のお忘れのないよう衝撃にそなえ…」
訂正を加えようとしたところ、車内放送に遮られた。
「あらいけない、ほらエリー、荷物もって。ではシスター様、私たちはこれで…。」
「え、あ…はい、お気をつけて…」
「シスターのお姉ちゃん!またね!ばいばい!」
「う、うん、バイバイ…!」
そのまま訂正は出来ないまま、いそいそと身支度をすませ出口へと向かう親子を苦笑いしながら見送った。
「…席に戻ろう。」
アニスが降りる駅はまだ先であった。
席に座り、程なくして列車はホームに入り、停車した。チャイムと共に車内放送が流れる。
「プリシティホーム到着、プリシティホーム到着。各車両、後方左側の扉開きます、降車の方はゆっくりと順番にホームへお進みください。6番ゲート、ドミニーへの発車は10分後となります。繰り返します…」
放送を聞き流しながら、窓の外の人込みを眺める。沢山の人が次々とホームから出ていく。
「下層か…帰りにあそこに行ってみるのも…あれ?まだ禁止区域なんだっけ…?」
ふと先ほどの2人の親子を見つけた、2人を男性が出迎えている。どうやら父親のようだ。母親と父親が少女を挟み込むように抱いている。
少女は可愛らしい帽子を取り父親の頭へ乗せてあげている。風でまた飛んで行ってしまわないだろうか?
父親が乗せられた帽子を少女の手と重ねるように抑えた。あれなら大丈夫そうだ。
両親に囲まれ幸せそうな笑みを零す顔は先ほどの泣きじゃくっていた少女とは別人に見えた。
「ふふ、良かったねエリー。……母さんと父さん…か。」
遠くの幸福な風景を眺め、笑みを零すが、それがあの光景を微笑ましく感じたからなのか。自分の境遇への諦めの苦笑だったのかすぐに分からなくなってしまった。
「やっぱり、帰ろう、帰ってマザーに叱られ…いやそのまえに謝らなきゃね。」
このまま中層区画で宿を取るより、下層区画の宿なら幾分格安だろう。元居た村、ファドリィ村へ向かう列車は2日後まで待たなければいけないのだ。アニスは目的地を変更することにし、荷物をもって出口へ向かう。
アニスが列車を降り少し進んだ瞬間。
最後尾の車両から大きな破壊音、身の毛のよだつ悲鳴のような鳴き声。
振り返ればバキリ、バキリと木片を散らしながら大きなムカデに生気のない人の顔をくっつけたような化け物が車両の屋根を突き破り、姿を現した所だった。
「な、魔物…?!どうして聖都の中に!?」
場は恐怖と混乱に支配されていった。人々は我先にと押しやるように出口へ詰め寄った
「早く前に行け!!」
「どけ!どけよ!!」
「おかーさん!!おかーさん!?」
ホーム内で反響する大勢の悲鳴、怒号を浴び魔物は愉悦に浸っているかのようにニタニタと口角を上げながら残骸と化した車両から這い出し、群衆へ襲い掛かった。
「やめろ!!!こっちだ!!!」
アニスは魔物の前に立ち、懐から瓶を投げつけた。
瓶は魔物の顔面に直撃し、中の透明な液体をまき散らしながら割れた。すると。
『ギィイイイイイイ?!!?!』
何かが蒸発するような音と共に魔物の顔から煙が立ち昇る。アニスが投げたのは聖水入りの瓶であった。
聖水が掛かった箇所から皮と肉が解け剥げていく。
「これだけの量じゃ浄化しきれない!瓶はあと一つ。あとはトランクの中身次第。もう一度聖水を投げつけてそのすきに…」
懐へ手を伸ばし最後の聖水瓶を握りしめると同時に、魔物の苦しみに藻掻く巨体により柱がなぎ倒されアニスに迫った。
「わぁっ?!?!」
間一髪で倒れこむように避ける。あと少し遅ければ瓦礫の下だっただろう。
「う、はっ?!しまったトランクが!」
避けるのに必死で手放してしまったらしい。トランクは魔物の元まで滑り込んでしまっていた。
じりじりと魔物が爛れた顔を近づけながらアニスへ詰め寄る。
酷い異臭だ。魔物、またの呼び名を悪魔憑き。それら特有の瘴気の臭い。人に負の感情を抱かせる絶望の香り。
昔…あの日の夜と同じ香り。
呼吸の度に瘴気を吸い込み、体の力が抜けていく、それに比例して震えが止まらなくなっていく。
異形な手がアニスを捕らえる。魔物の口から生えた両端の手は酷く冷やかな人の手のようにも見えた。
左腕と胴体を締め上げられ身体が軋み、視界が霞む中、ぼんやりと目の前で大きく開かれた口が近づいてくるのが見える。
あぁ…このまま…
このまま近づけば!
アニスは動く右腕に握りしめていた聖水瓶の蓋を歯で無理やり捻じ開け、そのまま口に含み、魔物に目掛けて吹き付けた。
「キィヤァアアアアア!!!!!」
浄化の力により爛れていく顔にたまらず魔物はアニスを放り投げる。
異形の手から解放され地面に転がるように落ちる。
「ぐっ…!」
逃れたのはいいが、起き上がれない。目の先にはトランクがあった。縋るようにアニスはトランクへ這い出す。
背後から大きな影と殺気が迫る。
フシュー…フシューと荒い息遣いが後ろからアニスを押し、コートがはためく。
ふっと、影が引き、そして再び大きくなると共に、魔物の咆哮が近づく。
あ…死ぬ。
そう瞬時に感じ、身を捩り固まった。
「……………、…?」
何も起こらない。
「…い!!おい!!お前、大丈夫か?クソ!なんだコイツの力!…姉貴!!この子はダメだ!きっと放心状態だ!援護くれ!」
すぐ後ろで必死にこちらに呼びかけるような声が飛んでくる。でも何を言っているのか聞き取れない。今度こそ死ぬと思って、怖くて力が入らないどころか何も感じない。
しかし…それでも人々の悲鳴だけはまだ聞こえる。時間を稼がなければいけない、たとえエクソシストで無くとも…。
気付けばトランクに辿り着いていた、力の入らない指先を金具にこすりつけながら何とか開き、中身を確認する。
「こ、これって…はは、マザーには…敵わないや。」
アニスがトランクの中から一つの本を取り出し持ち上げると、身体が宙に浮いた。
腰に手を回され脇に抱えられていた。あの魔物の異形の手じゃない。黒い皮手袋をしているが、ちゃんと人の手だった。
「ねぇ貴女、大丈夫?私の声聞こえる?!」
女の人の声、誰だろうか、フードを脱いで確認しようにも本を抱えるのに精一杯で、なんなら首を回す余力もないが。
「だ、い丈夫…です。ありがとう、ございます。」
なんとか感謝を伝える。
「!、よかった良く一人で頑張ったわね。貴女は立派なエクソシストよ。あとは私たちにまかせて、ここで休んでいて。本当は安全な外に出してあげたいんだけど…!」
「あぁねぇきぃいいい!!援護をくれってぇえええ!!」
「今は余裕が無くってね!!!じゃ!!」
女性はアニスを壁にそっと掛けさせ、魔物へ向かっていった。
自分と似た黒ずくめの恰好、なによりコートの背に描かれた、聖十字の紋章はこの国の象徴、聖職者もとい、エクソシストの証だった。
「それくらいで音を上げてどうすんのよダンテ!さっさと解放しなよ!」
「うるっさいな!いいから手を貸せって!」
魔物の攻撃を槍のような武器で捌きながら怒号を飛ばしているもう一人はアニスより少し年上くらいの男の子だった。激化する戦闘でフードが外れ、艶めいた赤髪が揺れている。
「アンタ、どうせまだ出来ないんでしょ!!まったくだから聖十字架の鍛錬はしておきなってあれほど…!はぁ、いいわ、そのまま抑えてなさい、私がやる。」
女が袖をまくり、手首に巻き付いている銀の鎖にぶら下がった十字架を掲げた。
「我らが父よ御身の代行者として憐れなる魂を救済することを許し賜え。解放!」
そう叫ぶと十字架が淡い光を放ちながら、形を変えていく。
「…全てを刈り取り、人々に豊穣の時を齎せ!神霊鎌クロノス!!」
光が収縮していき、そこには大きな白銀に光る鎌が姿を現した。
それはエクソシストを象徴するもう一つの証、聖十字架の顕現だった。
アニスはその神々しい光景を見届け。締め上げられた痛みを持て余し、気を失った。
奇跡によって大地は緑豊かに潤い、人々は平和な日々を過ごしていました。
しかしある時、強欲に溺れた者がその静かな水面を破りました。地の底から人々を誑かし、陥れる魔の住人、「悪魔」たちが現れたのです。かつて人を苦しめた飢餓と疫病は悪魔達の仕業だったのです。
人を導く神と堕落させんとする魔との全ての大地を巻き込んだ大きな戦争が始まりました。
長い、長い闘いの果てに神々と人間は魔に勝利しました。
しかし地上と海は枯れ、悪魔が残した負の遺産、「瘴気」により人が住める場所はもう多くは残っていませんでした。
神々は残った大地を切り離し、人々と自らの使者「天使」を乗せ魔の手が届かないように天界のさらに先。
世界の外側へ逃がし、残った神々は荒れた大地を浄化するために世界へ留まりました。
そしてまた長い時が流れ…
「ピィー!!!まもなく神聖教皇国エルウェーン、3番ゲート先、プリシティです。繰り返します…」
心地よい女性の語りにウトウトと身を預けかけた時、現実に引き戻すかのように列車の汽笛と車内放送が遮る。
フードと灰のような前髪を除けながら、重りになりかけた瞼をこすり窓の外へ視線を戻す。
段々近づいてくる白く輝きを放つ都の光に当てられ意識が戻ってくる。
「マザー…怒ってるかな。」
はぁ…と深いため息が出てしまう。外の景色とは反対にアニスの心は暗がりに半身が浸かっていた。
しかし辺境とも言っていいほど遠い村に今更戻るのに2日は掛かってしまう。来てしまったのだ。自分の我儘と反発心、マザーの大事な荷物一式も抱えて。
今更どんな顔をして戻ればいいのだろう。まぁ、このままエルウェーンに向かうにしろ計画も立てず勢いで来てしまった時点でどっちに転んでも自分が悪く、死ぬほど叱られるのは決まっているのだが…。後悔しかない。
「うぅ…今更遅いんだけど、遅いんだけど…」
目的地が近づくほど不安が積もる。
アニスが座席の上で膝を抱え、列車のカーブに身を委ね、窓に頬をくっつけながら唸っていると。
「ぁああっ!わたしのぼうしがっ!!」
前方の座席から聞こえた少女の慌てた声に反射的に顔を上げると、窓の向こうで水色のリボンが巻かれた麦わら帽子が過ぎていくところだった。
「!」
とっさにアニスは窓をあけ、精一杯に背と手を伸ばし帽子をなんとか掴んだ。
「ふぅ、なんとか取れ…うわっ?!」
列車がカーブを抜け、重心のバランスを崩しアニスを思い切り窓の枠に頭をぶつけた
「いったぁ…でも良かった帽子は無事だ。」
今すぐあの子に届けたいけど、ちょうどトンネルに入るし、少し待とう。
そのまま列車はトンネルに入ると前から少女のすすり泣きと女性の慰める声が聞こえてきた。
「わたじのっぼ、ぼうじ、グス…」
「もう、窓からお顔出そうとするから…ほら泣かないの。」
「だっへ、だってあれは、ぱぱが、パパがわたしに、うぅ」
今にも爆発しそうな勢いで少女は泣きぐずっていた。
少女の声にそわそわとしているとやっと列車はトンネルを抜け、やっと帽子を届けることが出来る。とアニスが席を立つと同時に後ろから肩を押されよろめいた。
「わっとと、危な…!」
体制を立て直すと前からアニスを後ろから押しやったであろう荒々しい男の声が聞こえた。
「おい、さっきからうるせぇんだよぴーぴーギャーギャーよぉ?!」
「す、すみません。静かにしますので…」
「ひっ…う、うぅっ!ふぇ…」
ふぇええええええん!!!
悲鳴のような泣き声がとうとう車内で響く。
さらにうんざりした様子の男が眉間に皺をよせさらに怒鳴る。
「うるせぇつってんだ!この!…あん?なんだてめぇ!」
アニスは耐え兼ね、気付いたときには、親子と男の間に無理やり割って入っていた。
「もうやめてください!!!大の大人が!もう駅は近いんです。そんなに気を立てなくてもいいでしょう?!」
「んだとこのチビぃ!」
男の丸太のような腕が頭上で血管を浮かせながら握り拳を作っていた。
「っ……席に、戻ってください。」
怯むことなく、男の眼を真っすぐ捉える。
「こんの生意気なガキが!!」
「っ!」
振り下ろされた拳は、横から延ばされた手によって止められた。
「おい!目を離した間になにやってる。騒ぎを起こすな。」
「あぁん?」
「いい加減納めろ、いまシスターに手を挙げるつもりか?」
拳を止めた男がこちらを見やる。腹を立てている荒々しい男と違ってこちらの男は生気に欠けた少し青白い雰囲気だった。特別に細いわけではないが、よくあの丸太のような腕を、その平均的な男性より痩せた腕で止めれたものだ。
まぁ、それよりも自分はシスターじゃないんですけど。
「ぁあ?…ちっ聖職者かよ…もういい、いくぞ」
男はアニスの恰好をじろりと見ると、鬱陶しそうに視線を外した。
「…私の連れが失礼した、では。」
荒々しい男とその連れであったのだろう、青白い男は後ろの車両へ去っていった
「ふぅ…良かったぁ」
やっと行ってくれた
「あの、助けて頂きありがとうございます。」
後ろから声を掛けられ、はっと振り返り慌てて言葉を返す。
「いえいえ!そんな当たり前のことをしただけで…あ、それよりこれ…」
思い出したかのように麦わら帽子を少女へ差し出す。
「私の帽子!!」
「娘の帽子まで!どうお礼をお返ししたら!良かったわねエリー、ほら貴女もシスター様にちゃんとお礼をしなさい。」
母親が少女を撫でながら催促する。
「あぁ、えっと自分はシスターでは…」
「お姉ちゃん!帽子ありがとう!!この帽子、パパに貰った大事な帽子なの!ありがとう!!!」
「いや、えと…だから…自分は…」
「ピィー!!!乗客の皆さまへ、まもなくプリシティホームに到着します。降車の方は各車両、後方左側の扉が出口となります。お荷物のお忘れのないよう衝撃にそなえ…」
訂正を加えようとしたところ、車内放送に遮られた。
「あらいけない、ほらエリー、荷物もって。ではシスター様、私たちはこれで…。」
「え、あ…はい、お気をつけて…」
「シスターのお姉ちゃん!またね!ばいばい!」
「う、うん、バイバイ…!」
そのまま訂正は出来ないまま、いそいそと身支度をすませ出口へと向かう親子を苦笑いしながら見送った。
「…席に戻ろう。」
アニスが降りる駅はまだ先であった。
席に座り、程なくして列車はホームに入り、停車した。チャイムと共に車内放送が流れる。
「プリシティホーム到着、プリシティホーム到着。各車両、後方左側の扉開きます、降車の方はゆっくりと順番にホームへお進みください。6番ゲート、ドミニーへの発車は10分後となります。繰り返します…」
放送を聞き流しながら、窓の外の人込みを眺める。沢山の人が次々とホームから出ていく。
「下層か…帰りにあそこに行ってみるのも…あれ?まだ禁止区域なんだっけ…?」
ふと先ほどの2人の親子を見つけた、2人を男性が出迎えている。どうやら父親のようだ。母親と父親が少女を挟み込むように抱いている。
少女は可愛らしい帽子を取り父親の頭へ乗せてあげている。風でまた飛んで行ってしまわないだろうか?
父親が乗せられた帽子を少女の手と重ねるように抑えた。あれなら大丈夫そうだ。
両親に囲まれ幸せそうな笑みを零す顔は先ほどの泣きじゃくっていた少女とは別人に見えた。
「ふふ、良かったねエリー。……母さんと父さん…か。」
遠くの幸福な風景を眺め、笑みを零すが、それがあの光景を微笑ましく感じたからなのか。自分の境遇への諦めの苦笑だったのかすぐに分からなくなってしまった。
「やっぱり、帰ろう、帰ってマザーに叱られ…いやそのまえに謝らなきゃね。」
このまま中層区画で宿を取るより、下層区画の宿なら幾分格安だろう。元居た村、ファドリィ村へ向かう列車は2日後まで待たなければいけないのだ。アニスは目的地を変更することにし、荷物をもって出口へ向かう。
アニスが列車を降り少し進んだ瞬間。
最後尾の車両から大きな破壊音、身の毛のよだつ悲鳴のような鳴き声。
振り返ればバキリ、バキリと木片を散らしながら大きなムカデに生気のない人の顔をくっつけたような化け物が車両の屋根を突き破り、姿を現した所だった。
「な、魔物…?!どうして聖都の中に!?」
場は恐怖と混乱に支配されていった。人々は我先にと押しやるように出口へ詰め寄った
「早く前に行け!!」
「どけ!どけよ!!」
「おかーさん!!おかーさん!?」
ホーム内で反響する大勢の悲鳴、怒号を浴び魔物は愉悦に浸っているかのようにニタニタと口角を上げながら残骸と化した車両から這い出し、群衆へ襲い掛かった。
「やめろ!!!こっちだ!!!」
アニスは魔物の前に立ち、懐から瓶を投げつけた。
瓶は魔物の顔面に直撃し、中の透明な液体をまき散らしながら割れた。すると。
『ギィイイイイイイ?!!?!』
何かが蒸発するような音と共に魔物の顔から煙が立ち昇る。アニスが投げたのは聖水入りの瓶であった。
聖水が掛かった箇所から皮と肉が解け剥げていく。
「これだけの量じゃ浄化しきれない!瓶はあと一つ。あとはトランクの中身次第。もう一度聖水を投げつけてそのすきに…」
懐へ手を伸ばし最後の聖水瓶を握りしめると同時に、魔物の苦しみに藻掻く巨体により柱がなぎ倒されアニスに迫った。
「わぁっ?!?!」
間一髪で倒れこむように避ける。あと少し遅ければ瓦礫の下だっただろう。
「う、はっ?!しまったトランクが!」
避けるのに必死で手放してしまったらしい。トランクは魔物の元まで滑り込んでしまっていた。
じりじりと魔物が爛れた顔を近づけながらアニスへ詰め寄る。
酷い異臭だ。魔物、またの呼び名を悪魔憑き。それら特有の瘴気の臭い。人に負の感情を抱かせる絶望の香り。
昔…あの日の夜と同じ香り。
呼吸の度に瘴気を吸い込み、体の力が抜けていく、それに比例して震えが止まらなくなっていく。
異形な手がアニスを捕らえる。魔物の口から生えた両端の手は酷く冷やかな人の手のようにも見えた。
左腕と胴体を締め上げられ身体が軋み、視界が霞む中、ぼんやりと目の前で大きく開かれた口が近づいてくるのが見える。
あぁ…このまま…
このまま近づけば!
アニスは動く右腕に握りしめていた聖水瓶の蓋を歯で無理やり捻じ開け、そのまま口に含み、魔物に目掛けて吹き付けた。
「キィヤァアアアアア!!!!!」
浄化の力により爛れていく顔にたまらず魔物はアニスを放り投げる。
異形の手から解放され地面に転がるように落ちる。
「ぐっ…!」
逃れたのはいいが、起き上がれない。目の先にはトランクがあった。縋るようにアニスはトランクへ這い出す。
背後から大きな影と殺気が迫る。
フシュー…フシューと荒い息遣いが後ろからアニスを押し、コートがはためく。
ふっと、影が引き、そして再び大きくなると共に、魔物の咆哮が近づく。
あ…死ぬ。
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「……………、…?」
何も起こらない。
「…い!!おい!!お前、大丈夫か?クソ!なんだコイツの力!…姉貴!!この子はダメだ!きっと放心状態だ!援護くれ!」
すぐ後ろで必死にこちらに呼びかけるような声が飛んでくる。でも何を言っているのか聞き取れない。今度こそ死ぬと思って、怖くて力が入らないどころか何も感じない。
しかし…それでも人々の悲鳴だけはまだ聞こえる。時間を稼がなければいけない、たとえエクソシストで無くとも…。
気付けばトランクに辿り着いていた、力の入らない指先を金具にこすりつけながら何とか開き、中身を確認する。
「こ、これって…はは、マザーには…敵わないや。」
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腰に手を回され脇に抱えられていた。あの魔物の異形の手じゃない。黒い皮手袋をしているが、ちゃんと人の手だった。
「ねぇ貴女、大丈夫?私の声聞こえる?!」
女の人の声、誰だろうか、フードを脱いで確認しようにも本を抱えるのに精一杯で、なんなら首を回す余力もないが。
「だ、い丈夫…です。ありがとう、ございます。」
なんとか感謝を伝える。
「!、よかった良く一人で頑張ったわね。貴女は立派なエクソシストよ。あとは私たちにまかせて、ここで休んでいて。本当は安全な外に出してあげたいんだけど…!」
「あぁねぇきぃいいい!!援護をくれってぇえええ!!」
「今は余裕が無くってね!!!じゃ!!」
女性はアニスを壁にそっと掛けさせ、魔物へ向かっていった。
自分と似た黒ずくめの恰好、なによりコートの背に描かれた、聖十字の紋章はこの国の象徴、聖職者もとい、エクソシストの証だった。
「それくらいで音を上げてどうすんのよダンテ!さっさと解放しなよ!」
「うるっさいな!いいから手を貸せって!」
魔物の攻撃を槍のような武器で捌きながら怒号を飛ばしているもう一人はアニスより少し年上くらいの男の子だった。激化する戦闘でフードが外れ、艶めいた赤髪が揺れている。
「アンタ、どうせまだ出来ないんでしょ!!まったくだから聖十字架の鍛錬はしておきなってあれほど…!はぁ、いいわ、そのまま抑えてなさい、私がやる。」
女が袖をまくり、手首に巻き付いている銀の鎖にぶら下がった十字架を掲げた。
「我らが父よ御身の代行者として憐れなる魂を救済することを許し賜え。解放!」
そう叫ぶと十字架が淡い光を放ちながら、形を変えていく。
「…全てを刈り取り、人々に豊穣の時を齎せ!神霊鎌クロノス!!」
光が収縮していき、そこには大きな白銀に光る鎌が姿を現した。
それはエクソシストを象徴するもう一つの証、聖十字架の顕現だった。
アニスはその神々しい光景を見届け。締め上げられた痛みを持て余し、気を失った。
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