熊カフェ店長と大学生君

千鶴

文字の大きさ
上 下
3 / 8

小瓶の宝物

しおりを挟む
この日の講義は午後から。

だけど、少しだけ早めにアラームをセットして起床。洗面所で身なりを整え、楓が向かった先は熊田が経営するカフェだ。

週に一度だけの贅沢が出来る日。いつもの味気ない白米と味噌汁だけではない、美味しいカフェご飯。

カフェへ向かう足取りはいつも以上に軽く、思わず鼻歌すら口ずさんでしまうほどだ。

だけど、ドアを開ける瞬間だけは、どうしても緊張してしまう。優しい笑顔で出迎えてくれる事はわかっている、けど……

両手で、そっとドアを開ければ、軽快にドアベルが鳴り響く。気付いた熊田が、皿を拭く手を止めて「いらっしゃいませ。……おはよう、楓君」変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。

ドキッとしながらも、平静を装い「おはようございます」照れながら挨拶を返し、カウンター席へと腰掛けた。

梅雨入り真直の六月半ば。

数日、ジメジメした湿気がまとわり付いて、嫌な季節になったなぁとドアに視線を向ける。

「最近は、湿気が多くて嫌になっちゃうよね」

話を振られて「そうですよね」と肩を竦めて答える。

「梅雨のジメジメが嫌いなので、除湿材を背負って歩きたいです」

「除湿材を? でも、分かるなぁ。服が張り付く感じとか、ジメジメする湿気は、僕も苦手でね。除湿材を背負いたくなる気持ちも分かるよ」

可笑しそうに笑いながらメニューを出される。

もう少しマトモな会話は出来ないのか、と自分でも思ってしまう。謎過ぎる変化球にすら、キチンと答えてくれる熊田に救われている……なんて考えながら、今日は何を食べようかとじっくり吟味する。

今日は何にしようか?

週に一度の贅沢が出来る日とは言え、高価な物は食べられない。ジューシーなハンバーグ定食、といきたい所だが予算は千円以内。

食事に飲み物をつける事を考えると、今後の生活が厳しくなってしまう。自炊できれば、もう少し食費は抑えられるのだが……

真剣にメニューを選んでいると「イチゴジャム作ったから、持って行くかい?」熊田が声を掛けてくる。

イチゴジャム? はて、何の事だろう?

首を傾げると、イチゴジャムを作ると言っていたのを思い出す。その場の雰囲気で出た話しだと聞き流していたが、本当に渡されると思ってはいなかった。

好意は嬉しいのだが、本当に受け取ってもいいのだろうか?

「試作品だから、食べて感想を聞かせてもらえると助かるんだけど、ダメかな? それとも今、渡すのは迷惑かな?」

「い、いえっ! 大丈夫です。けど、本当に貰っても良いんですか?」

「うん。楓君が食べてくれると、嬉しいなぁって思って作ったからね」

ニッコリと笑う熊田に「そういう事でしたら……」小さく頷く。

小さな瓶に入ったイチゴジャムは、割れないようにプチプチの梱包材に包まれていた。

宝物を貰ったような気持ちになり、嬉しくなった楓は両手で瓶を抱える。美味しいイチゴから作ったジャムは、どれだけ美味しいだろうか? 今から想像するだけでも楽しみだ。

「ありがとうございます。次、来た時に感想お伝えしますね」

「うん、楽しみにしてるよ」

満足そうに頷く熊田を見て、胸の奥がこそばゆくなる。

くすぐったくなるような、不思議な感覚。だけど嫌な感じはなくて、優しくてふわふわと温かい。

その正体が何かは分からないが、今はこのままでも良いか。そう考えながら、ボリュームミックスサンドとカフェオレを注文した。

「かしこまりました。少々、お待ちくださいね」

言いながら背を向ける熊田。今日も大きな背中だなぁ、眺めて、まったりと品が出てくるまで待っていた。

大きな皿に乗せられたカツサンド二つ、チーズエッグサンド、BLTサンド。美味しそう! と思ったと同時に、カツサンドが多い事に気付いた。

「カツサンド二つですか?」

「常連さんへのサービスだよ。楓君、いつも美味しそうに食べてくれるからね」

下手なウインク。両目が閉じかかってるウインクを見て、ふふっと笑ってしまう。だけど、週一回のペースで通う楓に対して、常連と認識してもらえる事は素直に嬉しい。

育ち盛りで、食欲旺盛な十八歳。

カフェのご飯だけでは足りないと思い、大学近くのコンビニで、おにぎりを買おうと思っていた。

素直に好意に甘えることにして、いただきます。手を合わせると「どうぞ」と嬉しそうにする熊田が目を細めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

王道にはしたくないので

八瑠璃
BL
国中殆どの金持ちの子息のみが通う、小中高一貫の超名門マンモス校〈朱鷺学園〉 幼少の頃からそこに通い、能力を高め他を率いてきた生徒会長こと鷹官 仁。前世知識から得た何れ来るとも知れぬ転校生に、平穏な日々と将来を潰されない為に日々努力を怠らず理想の会長となるべく努めてきた仁だったが、少々やり過ぎなせいでいつの間にか大変なことになっていた_____。 これは、やりすぎちまった超絶カリスマ生徒会長とそんな彼の周囲のお話である。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

処理中です...