熊カフェ店長と大学生君

千鶴

文字の大きさ
上 下
2 / 8

出会ったのは優しい熊さん2

しおりを挟む
朝の迷子ハプニングのおかげなのか、無事に試験会場に辿り着けた安心もあってか、思いの他、落ち着いて試験に挑むことが出来た。

結果は合格。

三月に地元の高校を卒業。それから四月には大学生として、再び上京する事になった。熊田から貰ったホッカイロは、未だにお守り代わりとして大切に保管している。

あの日、一緒に駅まで案内してくれた熊田に礼を言いたい。空いた時間を使い、駅周辺を散策していたが、熊田に会う事はなかった。

目的の駅が同じだから、近辺に住んでいると勝手に思い、すぐに再会できると甘く考えていた。
ここは都会。田舎と違い、人が多い。

駅周辺は店も人の通りもとにかく多い。

連絡先も知らない、大都会の中でたった一人の男を捜し出すなんて無理がある。

諦めたのは、五月の大型連休が明けた頃だった。


六畳一間の和室のアパート。

連休中は実家に帰省していたせいか、朝ごはんが出てくる事が当たり前になっていた。布団から起きて、実家とは違う部屋の風景に「あー、しまった」と落胆の声が漏れた。

帰宅前、夕食はコンビニで購入してきたが、朝食の弁当を買い忘れていた事に気付く。冷蔵庫の中身は、連休前に片付けてしまったので空っぽだ。

冷蔵庫の中身と言っても、料理をしないので納豆や食○るラー油など、ご飯のお供系だけ……。

今からご飯を炊くのも面倒臭い。コンビニに買いに行き、戻って朝食を取るのも面倒臭い。

大学近くの定食屋でも良いか……と考えたところで、近所のカフェの存在を思い出した。

昭和のレトロな雰囲気の外装のカフェ。

午後からの抗議の時、カフェの前を通ると若いOL数人が、入っていくのをよく見かける。

数度、すれ違った程度だが、全員綺麗な顔をしていた。普段、人の顔を覚えるのが苦手な楓がはっきりと覚えているくらいだ。

そんな彼女達が『マスターに会うから、気合入れちゃった♪』はしゃぐ声を聞いた事がある。

高身長の若い格好良いマスターなのだろう、なんて勝手に想像していた。

昼前ならば、OL達と遭遇せずに済むだろう。

騒がしいのは苦手で、出来るならば、ゆっくりと静かに過ごしたい。

以前から、気になっていたカフェだ。せっかくの機会だから、行ってみようかな。

そんな軽い気持ちでカフェに向かったが、未来を大きく変える出会いになるなんて、今の楓には想像もしていなかった。


ドアの前にはOPNEの札が下げられていて、緊張しながら、そっとノブに手を掛けた。

控えめにチリン……と鳴るドアベルに驚きながら、両手で開けると「いらっしゃいませ」心地好いバリトンボイスが出迎えてくれた。

「あ……っ!」

「あれ? もしかして、君……」

同じタイミングで声が上がる。

白いカッターシャツ。黒いスラックスと同色のミドルエプロン姿の男性がカウンターに立っていた。

あの日、駅で声を掛けてくれた熊田 順平その人だった。

驚いたように目を大きく見開き、互いの顔を見つめ合う事、数秒……ふと目尻が下がり、変わらない笑顔を向けてくれた。

「楓君、だったよね? 大学生になったのかな?」

「あ、はい。……あの、俺…ずっと、お礼が言いたかったんです」

「お礼?」


「熊田さんのおかげで、落ち着いて試験に臨めました。ホッカイロのお守りの効果もあったと思います。あの時は、本当にありがとうございました」

深々と頭を下げると「そうか、良かった」と嬉しそうな声が聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。

楓を見つめる表情は優しくて、本当に嬉しそうで……ドキリと胸が高鳴った。なんで、顔が熱くなってるんだろう? ふるふる首を振ると、可笑しそうに笑う声が聞こえてきた。

「本当に良かった。あの後、どうしているのか、ずっと気になっていたんだよ。おめでとう」

「ありがとうございます」

「立ち話もなんだし、お席へどうぞ」

言われるまま、端のカウンター席に手を掛けるが「他のお客さんもいないから、真ん中のお席へどうぞ」と笑われてしまった。

他に客がいなかったから、あえて端の席を選んだのだが……ためらいがちに席を移動する。

「今から朝ごはんかな?」

笑顔でメニューを渡され、小さく頷く。

先ほどは勢いがあったから、お礼を言い切る事が出来たが、元々人見知りの性格だ。恥ずかしくなってメニューで顔を隠してしまった。

空腹と言う事もあり、どれも美味しそうに見える。

親から支援はあるが、無駄遣いも出来ない。あまり高くないものを……メニューを見ていると、見慣れないものが目に入り、何だろうと首を傾げた。

「何か気になる物でもあった?」

「……ウインナーコーヒーって、コーヒーにウインナーが浮いてるんですか?」

コーヒーの上に、焦げ目の付いたウインナーが浮いている。そんな想像を膨らませるが、どんな味がするのか素朴な疑問をぶつけた。

キョトン……とした後、ブハッと盛大に吹き出す熊田。顔を背け、プルプル肩が震えている。

その反応を見て、絶対に違うんだなと察し、真っ赤になって小さく縮こまった。

「笑っちゃってごめんね。ウインナーは入ってないけど、飲んでみる? ホイップクリームが乗ってるから、甘くて飲みやすいと思うよ」

「じゃあ、それで。……えっと、ピザトーストのセットをお願いします」

「かしこまりました。ちょっと待っててね、すぐ作るから」

カッターシャツの袖を捲り上げると、逞しい腕が見えて、ドキンとしてしまう。

さっきから同性相手にドキドキしてるんだ? なんて思うと同時に、若くて綺麗なOL達が想いを寄せるのも分かったような気がする。

同性の楓から見ても格好良くて、優しくて頼り甲斐がある。年齢は少し上でも、素敵な旦那さんになってくれるだろう、簡単に想像出来てしまう。

料理をする後姿を眺め、大きな背中を見つめながら、そんな事を考えていた。


出されたピザトーストは、たっぷりの具とチーズが乗っていて、あっという間に2枚ペロリと食べてしまった。

ベーコンと玉ねぎ、コーン。ケチャップの酸味とチーズ。こんがり焼けたピザトーストは、市販の物とは全然違う。

てんこ盛りのホイップクリームが乗った、ウインナーコーヒーは、ほんの少しだけほろ苦さがあった。

「熊田さんは、俺の大学の近くに住んでいるんですか?」

ずっと胸に引っ掛かっていた疑問をぶつけてみる。

「うん? 僕の家は、この上だよ」

「……? 駅まで送ってくれた時、同じ方向だって言ってたのは?」

楓の素朴な疑問に、しまった! という顔をする。気まずそうに視線を逸らしながら口を開いた。

「あれね、嘘。同じ方向だって言わないと、遠慮するだろうなぁって」

あはは、なんて笑いながら話してくれるが……楓の大学の最寄り駅と、住んでいる場所の最寄り駅は路線は同じだが、真逆の方向だ。

やっぱり迷惑掛けてたじゃないか――!

「……本当、すみませんでした」

「謝らなくて良いよ。楓君は悪くないから。僕としては、困っている君を助けたかっただけだから、ね?」

「……ありがとうございます。毎日は無理ですけど、週一回は通います。俺に出来るお礼なんて、たかが知れてますけど」

「楓君が常連さんになってくれるの? それは僕がお礼をしないといけないね」

熊田にお礼をされては、常連になる意味はないよね? と、思わず首を傾げてしまう。

ニコニコ笑顔の熊田は、小さな小皿を差し出す。小皿に盛られたのは小粒のイチゴだ。

ピザトーストセットには、デザートは付いていないはず。なんのイチゴだろうか? 出されたイチゴと、熊田の顔を交互に見やる。

「イチゴ、嫌い?」

「いえ、イチゴは大好きです。けど、これは……?」

「今朝、うちで採れたイチゴだよ。良かったら、どうぞ」

「いただきます」

イチゴを一つ摘み、ポイッと口の中に放り込む。

小さいからか凝縮されていて、イチゴの甘みと程好い酸味が口いっぱいに広がる。気付けば一つ、また一つと口の中に吸い込まれていく。

あっという間に空になり、甘いイチゴの余韻に浸りながら「ご馳走様でした。凄く美味しかったです」自然と笑みが零れた。

市販の大きなイチゴも食べ応えがあるが、小粒のタイプは甘みが凝縮されていて、違った美味さがあった。

「また採れたらお裾分けするよ。ジャムにした方が良いかな?」

「どっちも美味しそうです」

食パンに塗って食べても美味しそうだ。マーガリンと食パンを買って、レンジで焼いても良い。考え出すと表情が緩んでしまう。

「少しでも日持ちするジャムにしようか」

「ありがとうございます。でも、良いんですか?」

「家庭菜園は趣味だから、気にしないで良いよ。近所のおじさんが、野菜をお裾分けするみたいな感じで。僕としては、試作品を食べてくれる人がいてくれるのは、助かるからね」

「そういう事であれば……」

人見知りで、他人との距離感を計りかねて、打ち解けるまでに時間が掛かってしまう楓。だけど、熊田が相手だと、変に気負わず話す事が出来てしまう。

年が離れた親戚のお兄さんに近いかも知れない。

スマートフォンを確認すると、そろそろ出ないと講義に間に合わない。

少しだけ名残惜しさを覚え、伝票を手にしてレジへと向かった。

「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」

「イチゴが?」

「イチゴも、です。来週も食べに来ます」

「ありがとう。お待ちしております」

顔を見合わせ、どちらともなく、ふふっと笑ってしまう。会計を済ませ、カフェを後にした。

あの日、助けてくれた優しい人が、近くに住んでいるなんて思わなかった。不思議な縁だなぁ、なんて思いながら駅へと急いだ。

優しいお兄さんが、好きな人に変わるまで、そう時間は掛からない――……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

【完結】白い森の奥深く

N2O
BL
命を助けられた男と、本当の姿を隠した少年の恋の話。 本編/番外編完結しました。 さらりと読めます。 表紙絵 ⇨ 其間 様 X(@sonoma_59)

その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。 というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。

美しき父親の誘惑に、今宵も息子は抗えない

すいかちゃん
BL
大学生の数馬には、人には言えない秘密があった。それは、実の父親から身体の関係を強いられている事だ。次第に心まで父親に取り込まれそうになった数馬は、彼女を作り父親との関係にピリオドを打とうとする。だが、父の誘惑は止まる事はなかった。 実の親子による禁断の関係です。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

処理中です...