熊カフェ店長と大学生君

千鶴

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出会ったのは優しい熊さん2

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朝の迷子ハプニングのおかげなのか、無事に試験会場に辿り着けた安心もあってか、思いの他、落ち着いて試験に挑むことが出来た。

結果は合格。

三月に地元の高校を卒業。それから四月には大学生として、再び上京する事になった。熊田から貰ったホッカイロは、未だにお守り代わりとして大切に保管している。

あの日、一緒に駅まで案内してくれた熊田に礼を言いたい。空いた時間を使い、駅周辺を散策していたが、熊田に会う事はなかった。

目的の駅が同じだから、近辺に住んでいると勝手に思い、すぐに再会できると甘く考えていた。
ここは都会。田舎と違い、人が多い。

駅周辺は店も人の通りもとにかく多い。

連絡先も知らない、大都会の中でたった一人の男を捜し出すなんて無理がある。

諦めたのは、五月の大型連休が明けた頃だった。


六畳一間の和室のアパート。

連休中は実家に帰省していたせいか、朝ごはんが出てくる事が当たり前になっていた。布団から起きて、実家とは違う部屋の風景に「あー、しまった」と落胆の声が漏れた。

帰宅前、夕食はコンビニで購入してきたが、朝食の弁当を買い忘れていた事に気付く。冷蔵庫の中身は、連休前に片付けてしまったので空っぽだ。

冷蔵庫の中身と言っても、料理をしないので納豆や食○るラー油など、ご飯のお供系だけ……。

今からご飯を炊くのも面倒臭い。コンビニに買いに行き、戻って朝食を取るのも面倒臭い。

大学近くの定食屋でも良いか……と考えたところで、近所のカフェの存在を思い出した。

昭和のレトロな雰囲気の外装のカフェ。

午後からの抗議の時、カフェの前を通ると若いOL数人が、入っていくのをよく見かける。

数度、すれ違った程度だが、全員綺麗な顔をしていた。普段、人の顔を覚えるのが苦手な楓がはっきりと覚えているくらいだ。

そんな彼女達が『マスターに会うから、気合入れちゃった♪』はしゃぐ声を聞いた事がある。

高身長の若い格好良いマスターなのだろう、なんて勝手に想像していた。

昼前ならば、OL達と遭遇せずに済むだろう。

騒がしいのは苦手で、出来るならば、ゆっくりと静かに過ごしたい。

以前から、気になっていたカフェだ。せっかくの機会だから、行ってみようかな。

そんな軽い気持ちでカフェに向かったが、未来を大きく変える出会いになるなんて、今の楓には想像もしていなかった。


ドアの前にはOPNEの札が下げられていて、緊張しながら、そっとノブに手を掛けた。

控えめにチリン……と鳴るドアベルに驚きながら、両手で開けると「いらっしゃいませ」心地好いバリトンボイスが出迎えてくれた。

「あ……っ!」

「あれ? もしかして、君……」

同じタイミングで声が上がる。

白いカッターシャツ。黒いスラックスと同色のミドルエプロン姿の男性がカウンターに立っていた。

あの日、駅で声を掛けてくれた熊田 順平その人だった。

驚いたように目を大きく見開き、互いの顔を見つめ合う事、数秒……ふと目尻が下がり、変わらない笑顔を向けてくれた。

「楓君、だったよね? 大学生になったのかな?」

「あ、はい。……あの、俺…ずっと、お礼が言いたかったんです」

「お礼?」


「熊田さんのおかげで、落ち着いて試験に臨めました。ホッカイロのお守りの効果もあったと思います。あの時は、本当にありがとうございました」

深々と頭を下げると「そうか、良かった」と嬉しそうな声が聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。

楓を見つめる表情は優しくて、本当に嬉しそうで……ドキリと胸が高鳴った。なんで、顔が熱くなってるんだろう? ふるふる首を振ると、可笑しそうに笑う声が聞こえてきた。

「本当に良かった。あの後、どうしているのか、ずっと気になっていたんだよ。おめでとう」

「ありがとうございます」

「立ち話もなんだし、お席へどうぞ」

言われるまま、端のカウンター席に手を掛けるが「他のお客さんもいないから、真ん中のお席へどうぞ」と笑われてしまった。

他に客がいなかったから、あえて端の席を選んだのだが……ためらいがちに席を移動する。

「今から朝ごはんかな?」

笑顔でメニューを渡され、小さく頷く。

先ほどは勢いがあったから、お礼を言い切る事が出来たが、元々人見知りの性格だ。恥ずかしくなってメニューで顔を隠してしまった。

空腹と言う事もあり、どれも美味しそうに見える。

親から支援はあるが、無駄遣いも出来ない。あまり高くないものを……メニューを見ていると、見慣れないものが目に入り、何だろうと首を傾げた。

「何か気になる物でもあった?」

「……ウインナーコーヒーって、コーヒーにウインナーが浮いてるんですか?」

コーヒーの上に、焦げ目の付いたウインナーが浮いている。そんな想像を膨らませるが、どんな味がするのか素朴な疑問をぶつけた。

キョトン……とした後、ブハッと盛大に吹き出す熊田。顔を背け、プルプル肩が震えている。

その反応を見て、絶対に違うんだなと察し、真っ赤になって小さく縮こまった。

「笑っちゃってごめんね。ウインナーは入ってないけど、飲んでみる? ホイップクリームが乗ってるから、甘くて飲みやすいと思うよ」

「じゃあ、それで。……えっと、ピザトーストのセットをお願いします」

「かしこまりました。ちょっと待っててね、すぐ作るから」

カッターシャツの袖を捲り上げると、逞しい腕が見えて、ドキンとしてしまう。

さっきから同性相手にドキドキしてるんだ? なんて思うと同時に、若くて綺麗なOL達が想いを寄せるのも分かったような気がする。

同性の楓から見ても格好良くて、優しくて頼り甲斐がある。年齢は少し上でも、素敵な旦那さんになってくれるだろう、簡単に想像出来てしまう。

料理をする後姿を眺め、大きな背中を見つめながら、そんな事を考えていた。


出されたピザトーストは、たっぷりの具とチーズが乗っていて、あっという間に2枚ペロリと食べてしまった。

ベーコンと玉ねぎ、コーン。ケチャップの酸味とチーズ。こんがり焼けたピザトーストは、市販の物とは全然違う。

てんこ盛りのホイップクリームが乗った、ウインナーコーヒーは、ほんの少しだけほろ苦さがあった。

「熊田さんは、俺の大学の近くに住んでいるんですか?」

ずっと胸に引っ掛かっていた疑問をぶつけてみる。

「うん? 僕の家は、この上だよ」

「……? 駅まで送ってくれた時、同じ方向だって言ってたのは?」

楓の素朴な疑問に、しまった! という顔をする。気まずそうに視線を逸らしながら口を開いた。

「あれね、嘘。同じ方向だって言わないと、遠慮するだろうなぁって」

あはは、なんて笑いながら話してくれるが……楓の大学の最寄り駅と、住んでいる場所の最寄り駅は路線は同じだが、真逆の方向だ。

やっぱり迷惑掛けてたじゃないか――!

「……本当、すみませんでした」

「謝らなくて良いよ。楓君は悪くないから。僕としては、困っている君を助けたかっただけだから、ね?」

「……ありがとうございます。毎日は無理ですけど、週一回は通います。俺に出来るお礼なんて、たかが知れてますけど」

「楓君が常連さんになってくれるの? それは僕がお礼をしないといけないね」

熊田にお礼をされては、常連になる意味はないよね? と、思わず首を傾げてしまう。

ニコニコ笑顔の熊田は、小さな小皿を差し出す。小皿に盛られたのは小粒のイチゴだ。

ピザトーストセットには、デザートは付いていないはず。なんのイチゴだろうか? 出されたイチゴと、熊田の顔を交互に見やる。

「イチゴ、嫌い?」

「いえ、イチゴは大好きです。けど、これは……?」

「今朝、うちで採れたイチゴだよ。良かったら、どうぞ」

「いただきます」

イチゴを一つ摘み、ポイッと口の中に放り込む。

小さいからか凝縮されていて、イチゴの甘みと程好い酸味が口いっぱいに広がる。気付けば一つ、また一つと口の中に吸い込まれていく。

あっという間に空になり、甘いイチゴの余韻に浸りながら「ご馳走様でした。凄く美味しかったです」自然と笑みが零れた。

市販の大きなイチゴも食べ応えがあるが、小粒のタイプは甘みが凝縮されていて、違った美味さがあった。

「また採れたらお裾分けするよ。ジャムにした方が良いかな?」

「どっちも美味しそうです」

食パンに塗って食べても美味しそうだ。マーガリンと食パンを買って、レンジで焼いても良い。考え出すと表情が緩んでしまう。

「少しでも日持ちするジャムにしようか」

「ありがとうございます。でも、良いんですか?」

「家庭菜園は趣味だから、気にしないで良いよ。近所のおじさんが、野菜をお裾分けするみたいな感じで。僕としては、試作品を食べてくれる人がいてくれるのは、助かるからね」

「そういう事であれば……」

人見知りで、他人との距離感を計りかねて、打ち解けるまでに時間が掛かってしまう楓。だけど、熊田が相手だと、変に気負わず話す事が出来てしまう。

年が離れた親戚のお兄さんに近いかも知れない。

スマートフォンを確認すると、そろそろ出ないと講義に間に合わない。

少しだけ名残惜しさを覚え、伝票を手にしてレジへと向かった。

「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」

「イチゴが?」

「イチゴも、です。来週も食べに来ます」

「ありがとう。お待ちしております」

顔を見合わせ、どちらともなく、ふふっと笑ってしまう。会計を済ませ、カフェを後にした。

あの日、助けてくれた優しい人が、近くに住んでいるなんて思わなかった。不思議な縁だなぁ、なんて思いながら駅へと急いだ。

優しいお兄さんが、好きな人に変わるまで、そう時間は掛からない――……。
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