熊カフェ店長と大学生君

千鶴

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出会ったのは優しい熊さん

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広瀬 楓 十八歳。人生、最大のピンチに陥ってます。

(マジで、辿り着ける気がしないんだけど)

平日の通勤ラッシュ時の駅は、どこから沸いて出てきたんだ? と思ってしまうほど、人で埋め尽くされていた。

受験の為、前日に上京。宿泊したホテルから、受験会場まで電車を乗り継いで行こうとしていたのだが……絶賛、迷子中である。

楓自身、母譲りの超方向音痴である自覚はあった。それは従姉も知っていて『当日、一緒に行ってあげようか?』申し出てくれた。高校生にもなって、従姉に付き添いしてもらうのは恥ずかしい、と羞恥が勝り断ってしまったが、今となっては後悔している。

絶対に道に迷うだろう、と分かっていたので予定時間より早めに出発。スマートフォンのナビのおかげで、無事に駅まで辿り着けた。……が、駅構内が大迷宮だった。

もちろん駅員に尋ねた。日本語なのに、何を言っているのか理解出来ず、首を捻り何度も聞き返す。虫の居所が悪かったのか、忙しいラッシュ時に説明するのが面倒だったのか、眉を顰め、あからさまため息をつく駅員に「すみません。もう、大丈夫です」慌てて会釈して、立ち去ったのは二〇分前の話だ。

何番線とか、○○行きの電車とか言われても分からない。田舎者でも分かるように、細かい説明をお願いします。

駅をさ迷い歩いて1時間半が経過していた。早めに出発したといっても、流石に時間もギリギリだ。気ばかり焦るが、違う電車に乗り込むのは危険だ。

恥を忍んで、従姉に電話するべきだろうか……

スマートフォンの画面を見ながら険しい表情をする。絶対にバカにされるけど、遅刻は出来ない。

通話ボタンを押そうとしたところで「大丈夫? もしかして迷子?」と背後から声を掛けられ、ビクリと大袈裟に肩を震わせた。

自分に声を掛けてくれているのだろうか?

明らかに迷子になっているのは、楓しかいない。他の人は歩みを止める事無く、真っ直ぐ目的地へと向かっている。そんな中、ポツンと立っている楓は、誰がどう見ても迷子なわけで……。

ゆるりと振り向くと、黒いコートに大きな紙袋を抱えている男性が立っていた。声を掛けてくれた男性が優しそうだが、身長が高くて、見上げなくてはいけない。

(熊だ。大きな熊がいる)

ポカンと見上げてしまう。

田舎から上京してきた楓に、変な壷を売り付けたり、宗教の勧誘だったりするのでは? 一瞬の内に、様々な疑念が巡り、無意識の内に引き腰になってしまう。

「あ、急にごめんね。さっき通りかかった時、駅員さんに道聞いてるの見てたんだよ。まだいるから、迷子なのかなって」

「…………っ!」

都会は怖いところだよ。知らない人に声を掛けられても、応じちゃいけないよ。出発前、身内のお年寄りから、耳にタコが出来るくらい、聞かされた言葉が甦る。

目の前の男性は、本当に悪い人なのだろうか?

笑うと目尻が下がり、優しい笑顔を向ける男性が悪い人とは思えない。だけど、詐欺師は優しそうな風貌をしているとも聞いた事がある。

困っているのは事実だが、知らない大人に声を掛けられ、ホイホイついて行くほど世間知らずではない。この場合、どう対応するのが正解なのか分からず、逃げるチャンスを窺う。

引き腰になっている楓に気付いたのか「僕、怪しい人だよね。えっと、ちょっと待ってて……」そう言いながら財布を取り出す。さらにその中から出てきたのは免許証。

「…………?」

「妖しいけど、怪しい人じゃないです。僕の身分証です」

「……くまだ、さん?」

「熊田 順平です。君が困っているように見えたから、声を掛けました」

「あ、はい」

意図せず、名前を当ててしまった事は伏せておこう。

提示された免許証を見ると、記載されている名前も顔写真も、熊田のもので間違いはないようだ。

楓のような子供相手に免許証を提示して、身元を明かすような人ならば、悪い人ではないはず。信用するに値する確信を得て、楓は置かれている状況を伝える事にした。

「迷子です。どの電車に乗れば良いのか、分からなくて」

改めて言葉にすると、かなり恥ずかしい。

駅員の○番線ホーム、○○行きの電車、快速急行だの、各駅停車だの分からない言葉ばかりで、頭がパンクしそうになっていた。色々説明されるも、広すぎる駅構内を一人で歩くのは至難の業だ。

頼れる人が出来た。ずっと一人で心細かった所に、現れた救世主にじわりと涙が溢れそうになる。迷子になった上に、人前で泣くなんて恥ずかしい事は出来ない。グッと堪え、俯く楓の頭をポンと大きな手が撫でてくれた。

「大丈夫。絶対に間に合わせるから。センター試験だよね? 何処の大学かな?」

「えっと……○○大学です」

「……僕も同じ方向だから、駅まで一緒に行こうか。君が迷惑じゃなければだけど」

「迷惑なんて! むしろ、俺の方が迷惑掛けてるのに……あの、お願いできますか?」

「もちろん。少し急ごうか」

「は、はい!」

「この人混みだからなぁ…僕のコートの裾、掴んで良いよ。はぐれたら大変だからね」

優しい笑顔を向けながら、どうぞ。と裾を差し出される。
高そうなコートの裾にシワを作ってしまうのは、正直気が引ける。連絡手段がない中、熊田とはぐれてしまったら、それこそ遅刻確定だ。

申し訳なく思いながら、控えめに裾を掴み、目的地へと歩き出した。


満員電車に揺られ、大学の最寄り駅に到着した。

先ほどの駅に比べると、人が多くない。地元の駅に比べれば人の通りも多く、改札口も複数あり、一人では出口までたどり着けなかっただろう。

改めて熊田に礼を述べると「大した事はしてないよ」と変わらぬ、優しい笑顔にホッとする。

何かを思い出したように鞄から取り出したのは、何故か油性マジックとホッカイロ。色々な物が入ってるなぁ……考えていると「君の名前を教えてもらえるかな?」そう尋ねられる。

楓も熊田の身元も知っているし、目的地まで連れてきてくれた事もあり、警戒心が薄れていた。まぁ、名前くらいなら……

「広瀬 楓です」

「楓君、ね。……うん、上手く出来た!」

ホッカイロに何かを書いて、満足そうに頷いている。差し出されたホッカイロには、ちょっと不細工な熊と《頑張れ、楓君》と綺麗な文字が記されていた。

ちょっと不細工な熊のイラストと、綺麗な文字のギャップに笑いながら「ありがとうございます」とホッカイロを両手に包み、深々と頭を下げた。

「うん、行っておいで。……大学までの道は大丈夫?」

「制服を着てる人達について行くので、だっ大丈夫です……多分」

自信がなくなり、ドンドン小さくなっていく声に、熊田はキョトンとしている。その後、吹き出して「それは大丈夫なのかな?」可笑しそうに笑っていた。

「きっと大丈夫です! 駅から距離もないですし、多分。……あの、ここまで案内してくれてありがとうございました。受験、頑張ってきます!」

「頑張ってくるんだよ」

もう一度、頭を下げて、足早に改札口を通り抜ける。
チラリと肩越しに振り向くと、楓を見送ってくれる熊田が小さく手を降っている。グッと両手を握り締め、気合を入れる楓。最後に軽く頭を下げ、試験会場の大学へと向かったのだった。
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