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子は鎹

156 もしもの時は巻き込んでしまえ

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誰かの視点

カルタが透明化して去った後。

 その場にいる者は記憶を失くした永華も含めて、カルタがあれほどまでに取り乱していたことに驚いていた。

 普段から冷静沈着、他人にたいしては基本的に冷たく辛辣なところがある。
 
 そんなカルタが取り乱すことなんて戦闘になった時だし、戦闘担ったときだって、これほどの取り乱しようになったことはない。

 あまつさえ、涙を見せていた。

「し、篠野部……?」

 ポツリと溢れたベイノットの声が嫌に静かな室内に響く。

「……俺、追いかけてくる!」

 ローレスが走って行ってしまった。

「すみません。僕も行ってきますう」

 ローレスに続いてレーピオがカルタを追いかけていく。

 ザベルは一瞬迷ったが、カルタに掴みかかられて怯えたままの永華のケアを優先することにした。

「……。永華さん、大丈夫ですか?ビックリしましたね」

 ザベルは怯えて自分にくっついたままの永華になるべく優しくなるようが声をかけると、永華は戸惑いながら頷いた。

「び、びっくりし、た、だけなので、大丈夫です」

 胸を押さえているところを見るに、まだ心臓がうるさいんだろう。

「なら良いのですが……」

 ザベルは、こういった時どうしたら良いのか、わからない。

 こんな場面に遭遇したことがないのは勿論、カルタの取り乱しように驚いていることと、記憶を失くした永華がまるで別人のようなこと、今だザベル自身も状況をうまく飲み込めていないことが原因だ。

 永華がカルタに誰だと聞いた理由は単純明快、記憶がないからだ。

 永華が忘れているのはカルタのことだけではない。

 全て、自分の名前から生まれた場所、親兄弟についても、中の良い六人のことも、担任教師のザベルのことも、なにもわからないのだ。

 記憶がなくなった理由は、はっきりとしていない。

 頭を殴られたことが原因なのか、それとも投与された薬が原因なのかは、それともかけられた形跡があった“呪い”が原因なのか……。

 どれをとっても原因となり得るうえ、決定的なものもない。

 現在は調査中としか言えないのだ。

「あ、あの、今の人ってが呼んでた“戌井”って……」

「君の名前ですよ。永華・戌井、永華が名前で名字が戌井です」

「じゃあ……あの人は私の知り合いですか?」

「……そう、ですね。出身が同じで、入学前からの付き合いだそうですよ」

「そうなんですか……」

 ザベルの説明に記憶がないながらに違和感を感じたのか、釈然としない様子だった。

「皆さんがクラスメイトで友人で、あなたが先生で、あの人は同じところの出身の友人?」

「……えぇ、そうですわ」

 メメは涙を拭いて立ち上がり、永華の前までやってきて目線を会わせる。

 カルタと永華の様子を見て、無理矢理自分を奮い立たせたのだ。

「貴女は?」

「貴女の友人……。メイメア・ファーレンテイン、人魚です。メメと呼んでください」

「メメ?」

「はい、メメです」

 その光景を見ていたベイノットは目を背ける。

 ミューは唇から血を流してしまうほど噛みしめ、ララは椅子に座り込む。

 部屋の中は、悲壮感に包まれていた。



 ところ変わって、透明になってどこかへ走っていったカルタを探していたローレスとレーピオは学校の中を走り回っていた。

 透明になって、目撃情報が得られないことが厄介だった。

 あちこち探し回って、魔力探知魔法も使って探し回った。

 時間はかかったが、なんとか見つかった。

 場所は人があまり来ない学校の裏庭、そこに生えている木の影に隠れるようにして座っていた。

 カルタはまるで何も見たくないとでも思っているのか、膝に顔を埋めていた。

 ローレスは最初は“まだ錯乱している様子ならぶん殴ってやろう”と思っていたが、カルタの様子を見たローレスはその気が失せてしまった。

「……先、良いか?」

「手当てを優先したいんですけどお……。えぇ、どうぞお」

「ありがとう」

 ゆっくりと、カルタを刺激しないように近づいていく。

「篠野部」

 名を呼んでみれば、肩をピクリと揺らしたが顔を上げようとしないし返事もない。

 なんで、あれ程までにカルタが取り乱したのかはローレスにはわからない。

 確かにローレスやレーピオ達だって永華の記憶がなくなっていることに驚いたし、取り乱したし、涙も流したがカルタの反応は異常と言っても良いかもしれない。

 もしかしたらローレス達が知らないだけで、二人はお互いが特別なのかもしれない。

 メルトポリア王国周辺のことを何も知らないのは、極東出身であるのあが理由だろう。

 何も知らない、二人からしたら未開の地も同然のメルトポリア王国の森で二人だけ置き去りにされて、今まで帰るために色々なことをして苦労をしてきた。

 二人にしか分からないことだって沢山あるだろう。

 唯一の同郷、唯一の自分達がきちんと知っている人物、唯一の故郷の話が通じる人物。

 もしかしたら、無意識下で唯一である、お互いに依存していたのかもしれない。

 それ以外にも、カルタのあの反応は何かある気がするけれど、今はおいておく他ない。

「傷、開いてないか?」

 カルタは答えない。

「戌井が忘れているのは、お前のことだけじゃない。俺のことも、お前のことも、家族のことも忘れている」

「僕たちの、故郷もか?」

「みたいだな」

「……そうか」

 カルタは顔を上げない。

「篠野部……。きっと思い出すって、永華がタフなのはお前も知ってるだろ?永華は“帰りたい”って言ってたし、いずれきっと思い出すさ。な!」

 明るく、空気を変えるように声色を変えて話す。

 確証はないけど、そうやって希望を見出だして、それを掴みとる他ない。

「ここは思いでも多いだろうから思い出すトリガーは多い、それに篠野部だっているんだからさ」

 保険医が言っていたことだが、記憶喪失の者に記憶に関連するものを見せたら思い出すことがあるらしい。

 メルリス魔法学校は箱庭試験を筆頭に、色々と濃い思い出がある。

 襲撃したことからも、永華を簡単に魔法学校からは出せなくて、魔法学校で生活してもらうことになるだろうから、記憶を思い出す機会は必然的に増えるだろう。

 それに時間経過が解決することもあるんだそうだ。

 きっと、すぐに思い出す。

 この言葉は、この考えはカルタを慰める言葉であり、自分を奮い立たせるためのものだ。

「……昔、似たようなことがあった」

「え?」

 思わぬ言葉に、すっとんきょうな声が漏れた。

 レーピオも目を見開いて絶句している。

「昔、忘れられたことがあった。戌井のように僕を……いや、違うな。戌井は全部忘れてるんだったな」

 カルタは白い顔を上げてローレスとレーピオに視線を移す。

「疑問だろう?なんで、僕があれほど取り乱して戌井に掴みかかって、記憶を失くしたことを攻め立てるようなことを言ったのか」

 確かに疑問には思っていたが、まさかカルタが似たような経験をしていたとは予想外だった。

「あの時、あの人は僕のことだけを忘れた。記憶からも、心からも、全てから僕を、“篠野部カルタ”を消し去った」

 カルタは、どこか遠くを見つめていた。

「なんで……」

「戌井のような外的要因が理由じゃない。理由は“精神的な負荷”だ」

「“精神的な負荷”?」

「……聞いたことがありますう。極度の“精神的な負荷”つまりはトラウマなんかの大きなストレスを受けたとき、特定の記憶や情報を忘れてしまう……」

 ストレス……トラウマ……。

「そう。それで僕を忘れた、僕だけを忘れた。十三の時だった。忘れられたことが怖くて、怖くてしかたがなかった。記憶はその後、取り戻していたけど、僕はあれ以来、“忘れられる”ことが怖くてしかたがない」

 永華に“誰だ”と聞かれたときに、あれほどまでに取り乱した理由は、親しい者に忘れられたことへのトラウマが原因だったのか……。

「あの人は僕のことを思い出したけど、僕にたいして冷たくなった。理由なんてわかるわけがないし、知りたいとも思わない」

 カルタが誰にたいしても冷たい理由って……。

「きっと、戌井は思い出すんだろうな。でも、思い出さない可能性が一つでもあるのが怖い、その後が怖い」

「……そう、か」

「だから、僕は戌井に……いや、言い訳だな。僕が戌井に怖い思いをさせたのは変わりないし、八つ当たりだと言う事実も変わらない」

 どうしよう、本当にどうしよう。

 事態は二人が思っていたよりも深刻だった。

 トラウマに被弾したからあの反応だったんだ。

「あんなことをしてしまったし、戌井もあの人のように僕にたいして冷たくなるのかもな」

「いや、ないだろ。永華はそんなことしねえよ。したとしても、きっと何かしらの理由があるはずだ。そん時は俺たちが間に入ってどうにかするって」

「そうですよう。もしもの時は僕たちだけじゃなくって先生達や先輩達も巻き込んでしまいましょうよお。それに、永華さんのことですしちゃんと説明したら責めるどころか心配すると思いますよう」

 そういいつつローレスは記憶を取り戻した永華は冷たくなるどころか、「そんなに私に忘れられることが嫌だったの?」と驚き半分からかい半分で言いそうだと考える。

 ちなみに、ローレスに同じことが起こっていたら必ずからかう。絶対にだ。

「とりあえず、保健室行こうぜ。完治してねえのに走り回ってんだから、傷開いているかも知れねえだろ」

「……あぁ。会えたら、謝らないと……」

 カルタは返事した後、弱々しく呟く。

「足はどうですう?」

 カルタはレーピオの言葉で、そっと自分の足を確認する。

「血が、出てる」

 カルタはすっと足を動かして、二人に見えるようにした。

 カルタの足、怪我をしていた部分には血が滲んで、だんだんと範囲が広がっていっていた。

 二人は一瞬、固まる。

 だが、すぐにローレスがカルタを担ぎ、レーピオが回復魔法をかけつつ保健室に走る。

「もっと早く言えバカ!」

「妙に顔色が悪いなと思ったら貧血ですかバカ!」

「タイミングを逃したんだ……」

 カルタはローレスに担がれ、揺られながら考える。

 本当に、二人の言う通り戌井が僕のことを思い出して許してくれるのだろうかと。

 あの人も、そうだった。

 思い出した当初は優しかった。

 トラウマが、カルタの心に二人の言葉では張らしきれない暗闇をもたらす。

 カルタの目には、一寸の光もなかった。

「うまく、いくのかな……」

 あの人にすら、家族にすら忘れられ冷たく当たられる自分が、戌井に許されるのだろうか。
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