神は生贄に愛を宿す

丑三とき

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第三章:天界

33.お呼び出し

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「どうする?  行く?  行かない?」

「……はぁ、行かないという選択肢がある訳ないだろう」

 主神とは俺たち神を統べる最上の神であり、この世界の創造主である。主神の決定したことに拒否権はない。が、

「……ちょっと待て。ナギの名を出さんことと主神に呼ばれたことに何の関係がある?」

 アマネの人間への介入は、神の恩寵でもなければ何かを与えすぎている訳でもない。むしろ供物を受け取っている側だ。もしアマネの行いが好ましくないというのなら俺に言えばいい。何も直接呼び出すことは無い。

 俺の問いに、トトは視線を泳がせながら「あー」だの「んー」だのはっきりとしない声を出すばかりだ。

「あーーもう!  俺の口からはどう説明すりゃいいのか分かんねぇから直接行ってくれる!?  なんかややこしいんだよ色々! 俺も何が何だかよく分かんねぇんだよ!  混乱してんだよ!」

 叡智の神から「よく分からない」という言葉が聞けたのは愉快ではあるが、伝言を託かっているのなら真面目に伝えに来て欲しい。

 しかし主神の決めたことに拒否権は無い。

 至極言いづらそうに「あー……できれば、できればなんだけど、今日行ってくれる?」とほざくトトに舌打ちを浴びせながら、俺はアマネを呼んだ。

 ヒヒとの時間を中断させられ残念そうに眉を垂らしてこちらに来る。ヒヒの協力もあり草は効率よく抜けたようで、庭はかなり綺麗になっていた。

 アマネと一緒にヒヒに礼を言うと、トトは「じゃ、俺ら先に帰ってるわ~」と言ってヒヒと共にそそくさと消えた。

 都合のいい時だけ逃げやがって。

「フェンリス、どうしたの?  トトさんと何かお話ししてた?」

 アマネは軍手を脱ぎ、前掛けの土をパタパタと落とした。

「アマネ、天界に行くぞ」

「てんかい………いつ?」

「今日だ」

「今日!?  それって、私も行くの?」

「そうだ」

 彼はむしった草の入った袋をバサっと地面に落とし、自らの全身をきょろきょろと確認して土のついた部分を一生懸命に払う。

「どどどどうしたらいい?  このままじゃダメだよね。汗くさい? 顔にも土ついてる?」

 彼はその小さな体を俺に確認させようとくるくると回ったり、不安そうに顔をこちらに寄せたりして忙しなく動く。

 本来主神からの呼び出しともなればすぐに浄化をして身支度を整え向かうべきなのだろうが、混乱したまま天界に向かわせるのもアマネにとって負担がかかる。

 今すぐに来いと言われたわけではないということは多少猶予を与えられたと思っても良いと解釈し、ひとまずアマネを落ち着かせることにした。








「ねえフェンリスー、私たち、何で今お風呂に入ってるんだっけ」

 アマネは湯から丁度よく顔が覗く高さに拵えた浴槽用の椅子に腰掛け、隣に浸かる俺に間延びした声で問いかけた。

「一旦落ち着くためだ」

「うん。ありがとう。確かにとっても落ち着いたんだけどね、天界に行くのに落ち着いてて良いんだっけ」

「………構わん」

「今、ちょっと考えたよね」

 俺も一旦落ち着いて整理する必要があった。
 なぜ主神に呼ばれたのかは知らんが、最後に召集がかかったのは土地神となる時、つまり百年以上前だ。直々に呼び出されることなど殆どない為、今回も退っ引きならぬ理由だと予想は付く。

 無意識に吐いていたため息が湯に波紋を描いた。

「フェンリス?」

「……ああ、すまない。だが、そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫だ。天界もこの神域と同じようなものだと思ってくれればいい」

「同じような感じ、なの?  天界って、雲の上みたいなところだと思ってた」

「雲か。それも中々面白いな」

「私は雲の上でぷかぷか浮かんでいる夢をよく見るよ。そこには決まってフェンリスが居て、大きな獣体のお腹で枕してくれるの」

「アマネの夢には俺が出るのか」

「へへっ」

 アマネは両手で目の前の湯を掬ったり指でちゃぷちゃぷと弾けさせたりと、手遊びを始めた。

 彼は風呂に浸かる時こうして子供のように湯を楽しむ。少しは気持ちを落ち着けてくれたのだろう。

「フェンリスはさ、どうして土地神様になったの?」

 アマネは俺によく質問をする。好きな動物だの好きな気温だの、この間はパンに挟む具は何が好きかなどという些細極まりない質問をされた。

 だが、俺自身の生い立ちを深掘りするようなことは今まで聞いてこなかった。

「土地神様としての立場で色々大変なこともあるのに、百年以上続けているんでしょう?  トトさんだって。人間のことあんな風に言ってたけど、でも結局千年近く土地を守ってたんだよね。どうしてなんだろうと思って」

 アマネはあまり過去を振り返らない。未来のことだけを考えている。だから俺も態々話すことは無いと思っていたが、強制的に半神にして運命を強いてしまった彼には全てを話さなければ……いや、違う。義務感ではなく、俺は彼に自分のことを知って欲しいと思っている。

 彼に自分を受け止めて欲しいという確かな欲を感じている。

「長い話になるがいいか」

「うん!  聞きたい聞きたい」

 彼は体勢を私に向ける。
 俺はアマネを見つけた時の記憶に想いを馳せた。

「黒い髪をした者を見たのはお前で二人目だと言ったことがあったな」

「うん。
この世界じゃ珍しいんでしょう?」

「そうだ。初めてアマネを見た時は息を呑んだ。お前はそのもう一人の黒髪、"ナギ"によく似ていた」

「"ナギ"さん……その人とフェンリスは、仲良しだったの?」

「ああ」

「そっか……」

 アマネは俯き、湯に映る自分の顔を見つめた。

「アマネ、これだけは分かってほしい。俺はお前がそのナギに似ているから助けた訳では決してない。アマネというただ一人の存在を大切に思っている」

 あの時から変わらず抱いている思いだが、アマネ自身に伝えた途端初めて自分の中にぬくもりに似た感情が生まれた。

 「思いは口に出すと大切なものになる」という彼の言葉が身に沁みた瞬間だった。

 アマネは驚いたような表情で私を見上げた。

「フェンリス……ふふっ、大丈夫だよ。そんなふうに思ってないから。フェンリスは優しいね」

 彼が笑うだけでそこにある空気が全て柔らかいものに変わる。不思議な力を持つアマネに応えるように話を続けた。

「ナギは、この地の初代土地神である豊穣神・ダミアと永遠の愛を誓った伴侶。つまり彼も神だ」

「神様、っていうことは、今日天界に行ったらナギさんにも会えるの?  私、会ってみたいなあ」

「それは無理だ」

「……どうして?」

「ナギはもうこの世に居ない」

 アマネが柔らかく包んでくれた空気を俺は一変させてしまった。

 お互いに何と言葉を紡いでいいか分からず、少し沈黙が続いた。

「俺を神にしたのはナギだ」

「え……!?」


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