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第二章:村人
27.恵みの雨
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いつも通り朝ごはんを食べ終え、さて庭の草取りでもしようかと靴を履いたところでフェンリスに呼ばれる。
靴を脱ぎ食卓の椅子に腰掛ける彼の隣に座れば、「少年が来る」と言って私の額に手のひらを翳す。
フェンリスは、ビリエル君が来るとこうして神様の視覚と聴覚を共有してくれる。
ビリエル君はもうお供え物を持ってくることはないが、「楽しかったこと」や「幸せだったこと」を頻繁に報告しに来てくれていた。
いつも石碑の前で手を合わせて、「今日山に水汲みに行ったら、リスと友だちになれてうれしかったです」「父ちゃんに、いつもお手伝いしてえらいなってほめられたので、しあわせでした」「今日は母ちゃんとさんぽをしました。母ちゃん、少しずつ元気になっています」と、その日あった幸せな出来事を教えてくれるのだ。
ビリエル君が私に石を投げたとことで「祟りが来る」と怯えて寝込んでいた彼のお母さんが、ちょっとずつご飯を食べれるようになっていると聞いた時はとても嬉しかった。
今日はどんな報告かな、とウキウキして目を瞑る。
瞼の裏に映し出された光景は、いつもとちょっと様子が違っていた。
ビリエル君は焦ったように息を切らせながら走ってやって来た。
彼の泣きそうな顔はあの時と似ている。石灰を撒いた数日後に「枯れちゃった!」と泣きそうになりながらお祈りした日と同じように焦燥感に駆られながら、「アマネ様!」と私を呼んだ。
「ビリエル君、私を呼んでる。どうしたのかな、やっぱ石灰作戦ダメだったかな……お酢作戦ってのもあるんだけど、でも、どっちもダメだったらどうしよ」
最悪の事態を想像してぶつぶつ言いながら落ち込む私を、フェンリスが「最後まで聞いてやれ」と宥める。
「アマネ様! 聞こえていますか? もし聞こえていたら来てください! おねがいします!」
深く深く石碑の前で頭を下げるビリエル君に応えないという選択肢は勿論なく、すぐにフェンリスに乞うた。
「お願いします!」
ビリエル君と同じように、私もフェンリスに対して深く頭を下げる。
しばらく無言の緊張が続いた後、頭上から「道中走らないと約束できるか?」と条件が降りかかってきた。
「する! ありがとフェンリス!」
「おい、まだ良いとは」
「……だめなの?」
「っ……いや。俺も行くがいいな?」
「うん! 一緒に行こう! カバン用意して来るから、フェンリスはちっちゃくなってて!」
豆柴フェンリスを入れる用の肩掛けカバンを提げて、そっとフェンリスを入れて、準備万端で社の入り口へ向かった。はやる気持ちを抑えられずに庭を走ろうとしたら、カバンの中からお叱りを受けた。
目を瞑って不安そうな顔でお祈りするビリエル君に声をかける。
すると、ぱぁっと表情が明るくなった。
「アマネ様! 来てくれたんですね!」
「ビリエル君どうしたの?」
「見てほしいんです! 僕の家に来てください!」
「分かった、行こう!」
彼に手を引かれるままに、私はビリエル君家の畑に連れてこられた。何を見てほしいのか聞いても、興奮しっぱなしの彼は「はやく、はやく!」と言うばかり。
そんなふうに焦る彼だが、道中は私を気を遣いながら走らず早歩きで歩みを進めてくれた。ビリエル君、八歳にして気遣いのできる素敵な男の子すぎる。将来は間違いなくモテモテだ。。
無事彼の家に到着すると、家の前でパウルさんが大きく手を振りながら出迎えてくれた。
「アマネ様ぁー! 来てくださったのですね!」
「パウルさん!」
「申し訳ありません、またビリエルが無理を言ったのでしょう」
「いえ、ビリエル君に見てほしいと言われたので私も何が何だか気になって」
「アマネ様、こっち! 早く来てください!」
「うん! わ、ちょちょ、ちょっと待って」
「おいビリエル! アマネ様を急かすんじゃない!」
二人に連れて来られた畑は、過去二度訪れた時とは違い周りに大勢の人がいた。
「え…なに……?」
想像していなかった人だかりに戸惑いの声を発すると、みんないっせいにこちらを向いた。
「ア……マネ様……」
「本当にアマネ様が来てくださった」
「良かった…本当に生きておられた……!!」
中には泣く人や膝をついて拝む人もいて、何が何だかわからない。
「ビ、ビリエル君……?」
目の前から消えてしまったビリエル君の姿を探すと、人だかりの向こう、畑の中から彼が叫んだ。
「アマネ様! 見てください!」
私に注目していた人たちはビリエル君の声に反応し、両脇に避けて道を開けてくれる。開けた視界に現れたのは、とびっきりの笑顔のビリエル君と、陽をいっぱいに浴びて青々と光っている瓜の葉だった。
私はゆっくりと近づき、そっと葉を手に取る。白い粉などひとつも見られず、一枚一枚しっかりとした健康な葉が付いていた。
「ビリエル君、これ……」
「僕、がんばりました! 水汲みも欠かさずやりました! 一回枯れちゃった時はもうだめだと思って泣きそうになったけど、アマネ様の言葉をしんじました。病気の葉っぱが土に還らないように毎日株もとを掃除して、枯れちゃった葉っぱは『今までありがとう』って言って摘みました。枯れたからって何も考えずに肥料をあげるんじゃなくて、植物がどうしたらしあわせになれるか、毎日考えました。アマネ様が教えてくれたから……アマネ様、ありがとうございます!」
この子は、なんてあたたかい子なんだろう。地面につきそうなほど深く深く頭を下げる彼を抱きしめずにはいられなかった。
「ビリエル君……よく頑張ったね! すごいよ! 治ってる! こんなに綺麗な緑色してる。ビリエル君が頑張ったおかげだよ! きっと植物もとっても喜んでる。とっても幸せだって言ってる!」
「ほんとに? ちゃんと治ってますか? ほんとにほんと?」
「本当に本当だよ。でもね、ここからが大事。ちゃんと実をつけるまでしっかりお世話しなきゃね」
「はい! 僕、もう何があってもお野菜を見捨てたりしません! 今まで病気になったら、悪霊のせいだと思ってあきらめてた。でもアマネ様が"あきらめない"をおしえてくれた! アマネ様、ありがとうございます」
ビリエル君の純粋な言葉に、周りの村人たちも次々と喜びの声を上げて自分たちの畑の現状を教えてくれた。
「うちの農作物にも同じ悪霊が付いていたんだが、パウルとビリエルに教えてもらって実践したんです」
「うちもです。でも最初は全然良くならなくて、なんだやっぱりダメじゃねえかって、期待した自分がバカだったって……匙投げようとしたんです。そしたらビリエルが『諦めるな』っつーから、藁にもすがる思いで信じたら、うちのも良くなったんです」
「ごめんよビリエル。アタシは『子供の言うこと』と思って、匙投げちまった。でもアンタの言う通りだったね……こんなに育って、立派だよ……アタシなんて情けないね」
「ウチんとこのはこれと違う悪霊だったんですが、色々昔からの知恵を試して根気強く向き合ったら野菜も応えてくれました。いやぁ、今まで枯れ始めたら『もうダメだ』つって全部放ってたんですがね、なんかここ最近みんな士気が高まってるから雰囲気に釣られちゃって、頑張っちまいました!」
ワッハッハハハと笑う者や、感動に涙を流す者、己の行いを悔いる者。いろんな人たちが様々な感情を言い合う。感情は様々だけど、みな一様に幸せそうな顔をしていた。
私はこの時初めて気づいた。
人間に必要なのは知恵だけじゃない。"経験"だ。
悪霊の仕業などではない。向き合って工夫すれば、諦めなければなんとかなることもある。
そういう経験が足りないんだ。
足りないことは、補えば良い。
私は未来へ明かりが見えたような気がして、フェンリスを入れたカバンの紐をギュッと握りしめる。
「アマネ様、僕ね、あたたかくなったらコーンやナスも育てるつもりなんです。去年はしっぱいしちゃったから……でも次はあきらめません! あきらめたら、しあわせになれないから。ぜったいにぜったいに、あきらめない!」
力強いブルーの瞳は何かを決意したように私に訴えかけた。震える声でごめんなさいと何度も謝っていた彼が、こうして強い意志をぶつけてくれる。
眉宇を引き締めて、唇を固く結び、顔を上げて自分自身を信じ明るい未来へ向かおうとする齢八歳の小さな少年の姿は、どんな勇敢な勇者よりも頼もしく見えた。
そんな彼の姿に私は無意識のうちに涙を流していた。
「私も諦めない! ビリエル君、ありがとう」
「アマネ様? どうしてアマネ様がお礼をいうんですか? 僕の方がありがとうなのに」
「ううん、私は君に大切なことを教えてもらった。だから私にもありがとうって言わせて?」
初めは私の言っている意味がわからないというふうに不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに無邪気な笑顔に戻って「はい!」と返事をくれた。
彼の言葉と笑顔に心温まっていれば、周りの人たちがザワザワと騒ぎ始めた。
ビリエル君の頬に何滴か雫が落ちてきて、私もやっと事態を把握した。
「雨だ……」
「今日も雨が降った!!」
「雨だ~~!!」
「やった、明日は水汲みに行かなくていいぜ!」
パタパタと降ってきた雨はあっという間に畑の土の色を濃くした。
「アマネ様! 雨だ雨だ!」
「うん、本当だね、雨だね!」
やんややんやと踊り始める者もいれば天を見上げて両手を広げ、全身で雨を感じる者もいる。祭りのような雰囲気に私も釣られてテンションが上がってしまい、ビリエル君と手を繋いでバンザイをしたりスキップをしたり、完全にお上りさんみたいになっている。
「水桶開けろおぉ!」
「雨を溜めろ~!」
この日はしばらくみんなで雨に濡れて、ビリエル君の瓜が元気になったお祝いをした。
フェンリス、おうち帰ったらちゃんとお叱り受けるから、今だけは許して。
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